E-listBBSSearchRankingMusicHall-HornGo to Top

罪と蕩減復帰
(全面表示) 戻る


第一章 蕩減・復帰原理の根拠


一 間接主管圏と直接主管圏

 1.間接主管圏

 統一教会の原理を見れば、間接主管圏と直接主管圏があります。しかし人間が堕落によって間接主管圏にとどまるようになり、直接主管圏には連結されていないのです。それで復帰摂理も責任分担ゆえに何度も延長されていくのです。それを知らなかったのです。直接主管圏に連結され得る神様の愛の圏に行くためには間接主管圏で何をしなければならないのでしょうか。自分の責任分担を完遂しなければなりません。
           *
 人間が成長するための間接主管圏をおいたのは、人間が成熟することを願う神様にとっては不可避なことだったということを論理的に解明できなければなりません。原理結果主管圏をなぜつくったのでしょうか。これをつくらなければ成熟したという限界、その時をつかむことができません。思春期という時をどこに定めるのかというのです。それで原理結果主管圏において、思春期になる時まで待つのです。ゆえに愛は、神様が全部干渉してはいけないのです。人間が必要とするものは何かと言えば、絶対的な愛です。
           *
 統一教会の原理という言葉は何を意味しますか、なぜ原理と言いますか。原理結果主管圏と直接主管圏の限界線をつくること、それが原理です。アダムとエバが長子として蘇生、長成、完成圏に上がらなければならないこと、それが原理です。この間接主管圏内でも人間が完成するためには責任分担を果たさなければなりません。成熟するまでは絶対に愛の因縁を結ぶなというのです。大人になる前にアダムとエバがそれをしてはいけないのです。ですから限界線を定めておいて、「待ちなさい、取って食べるな!」と言ったのです。
           *
 アダムとエバが堕落しないで、神様の前で間接主管圏を通過し、直接主管圏と連結され得る思春期になれば、すべての宇宙の力がここに和合できるし、ここに凝結され、作用するのです。その焦点で男と女が出会うと同時に、天と霊界と肉界が出会うのです。それは霊界で結ばれるのではありません。それで天国に入った人がいないというのも、この焦点に照準が合って写真を撮って(霊界に)行った人がいないということです。これはよく撮れていない写真と同じようにピントが合っていないのです。平面的焦点とともに垂直の焦点がぴったり中央点に合ってぱっとやらなければならないのに、そのように写真が撮れなかったというのです。愛の完成的写真が撮れなかったということを知らなければなりません。分かるでしょう。皆さんの中で誰がそのような愛をしていますか。そのような夫婦になっているのかというのです。
           *
 直接主管圏は、アダムとエバが愛を中心として同参することのできるところです。ですから間接主管圏は、まだ責任分担未完成圏です。責任分担完成と同時にアダムとエバが愛を中心として夫婦になって、神様は内的父になり、アダムとエバは外的父母となって内外に一つとなる時に初めて直接主管圏が設定されるのです。ですからこの過程では結婚が絶対に必要だというのです。独身では越えていけないのです。
           *
 天国はどこから始まるのでしょうか。サタンを分立しただけのところで始まるのではありません。責任分担完成圏から始まるのです。それは直接主管圏、間接主管圏が責任分担を完成したアダムとエバを通じて初めて連結され、天の愛が地上の愛に連結されるのです。これが原理です。それができていないので、サタンはこれを妨げるのです。天の愛の道を妨害するのがサタンなのです。
           *
 いくらキリスト教文化圏が大きいとしても、新婦と共に真なる神様の愛と結合することのできるアダム完成者が来なければなりません。ですから責任分担を完成して直接主管圏内に入り、愛を中心として上下、前後、左右に一体化し得る家庭的真の愛の基盤を備えなければならないというのです。それは易しいことですか。
           *
 真の父母は全体の責任分担を完成した立場で、間接主管圏と直接主管圏の心情圏を一元化させなければなりません。天国化させるためには、天上世界や地上世界を一元化させ得る基盤が築かれなければ天国はできないようになっています。それが創造理想です。
           *
 人間が堕落しなかったならば、一度に責任分担を果たすようになっていました。しかし、堕落することによってサタンが生じたので、父母様は堕落した後孫たちの前に世界的な基準で一度に越えていける蕩減基準を立ててあげなければなりません。そのような責任分担圏を立てることによって一度に蕩減基準を立て、間接主管圏内から直接主管圏内に飛躍して入ることのできる基準をつくってきたのが、今までの先生の一生の仕事だったというのです。


 2.直接主管圏

 責任分担を完成することによって間接主管圏と直接主管圏が連結され、地上天国と天上天国が連結されるのであって、それがなければすべて無効です。ですから私たちは責任分担を完成した愛の実体、愛の化身となって、神様を愛し、全宇宙を愛し、自分の家庭を愛さなければなりません。そのような人だけが天国に入るのです。それが天国に入る公式です。
           *
 責任分担圏は、愛を中心として一つになったところです。完成に向かって縦的な神様の愛と連結されたとき、間接主管圏と直接主管圏が連結されます。そこにはサタンがいないのです。間接主管圏が連結されれば心情圏が連結されるので、サタンがそこに存在できないのです。その前に堕落したので問題なのです。
           *
 神様の完全な愛が顕現するとき、サタンは現れることができません。それが責任分担完成です。責任分担を完成したならば、間接主管圏と直接主管圏において愛の因縁が結ばれるのです。そこで神様の縦的愛とアダムとエバの横的愛が連結されるのです。
           *
 本来アダムとエバが堕落しないで、責任分担を完遂して神様と愛の一体圏内で天地が一体化して勝利的基盤を築いたというときは、神様とアダムが一つになったその愛の圏内で天使長を連れて天国に行くのです。それが道理です。それが原則です。
           *
 責任分担は成熟する時まで必要なものです。成熟して思春期に入ればすべて終わるのです。愛の圏内に入れば直接主管圏内です。神様であると同時に私であり、私であると同時に神様です。
           *
 原理の責任分担という言葉は何を意味しますか。責任分担完成というのは人間の愛と神様の愛が一つになることです。神様の愛は永遠の愛なので、永遠の神様の愛を中心として人間は相対の立場で永遠の一体を成すのです。そこには分立があり得ません。
           *
 神様が人間を創造されるとき、直接主管圏と間接主管圏をおいてつくられました。それではなぜ間接主管圏をおいたのですか。直接主管圏と間接主管圏はいつ一つになるのでしょうか。本来の真の人類始祖であるアダムとエバが成熟して互いに横的な立場で愛によって一つになろうとする時、神様が臨在し、縦的な愛を中心としてアダムとエバを横的な愛によって接ぎ木するためのものがアダムとエバの結婚です。それで天地の一体化を成すのです。
           *
 直接主管圏がなぜ必要なのでしょうか。直接主管圏に連結せずには神様と愛の連結ができないからです。この愛が連結されなければ神様から宇宙を相続することができません。相続は愛を中心としてするようになっています。ですからすべての国やすべての家庭も愛する子供を中心として相続させようとします。原理がそうなっています。
           *
 責任分担という言葉は先生の時代に初めて出てきた言葉です。ある人は「間接主管圏や直接主管圏という言葉は、文先生が頭がいいので、合うように作った言葉だろう」と言うかもしれませんが、それなら私がどうして苦労しますか。適当に作ったのならば、私が一生の間何のために監獄に出入りしながらこのように苦労するでしょうか。口にもしてはいけません。私が作ったのならばどうして楽に行けないのでしょうか。楽な道を行ったらいいのに、なぜこのように、花のような青春を犠牲にし、ぼろのふろしきをまとって、このように生きなければならないのかというのです。レバレンド・ムーンが作ったという言葉は成り立たないのです。作るに先立って、それ以上の何かがあるということを知っているので、死の峠でも行こうとし、迫害の道も自ら進んで行ったのです。迫害の道を好む人がどこにいますか。神様しかその事情は知らないでしょう。
           *
 祝福を受けて否定するのは、サタンよりももっと悪いです。サタンが讒訴するというのです。これは直接主管圏内に入って堕落したのと同じです。皆さんは知りませんが、その原則、その天理の法度が適用されるということを知らなければなりません。ですから、頑張らなければなりません。皆さんが、どのようにその伝統を立てるのかということが重要な問題です。
           *
 その世界は、皆さんが考えるような漠然としたところではありません。直接的にお父さん、お母さんが私の皮膚にぶつかって来るし、私の精神にぶつかって来るのです。心の感動が爆発して私を刺激することを感じれば、彼は既に天国内で生きている人です。このようになれば、ちょっと人に接すれば分かります。「あの人は悪い人で、あの人はいい人だ」というのです。そのようになれば、皆さんが想像できない次元の高い直接主管圏内に入ったことを発見するでしょう。そう見るのが原理観です。そのように生きなさい。
           *
 間接主管圏と直接主管圏を連結させるために責任分担を完成しなければなりません。責任分担完成というものは男性が成熟し、女性が成熟しなければならないのです。男性と女性が完成したとはどういうことですか。エデンの園での完成は神様しか知らないのです。神様を第一に愛さなければなりません。その次に男性は女性を第二に思い、女性は男性を第二に思う、そういう人にならなければなりません。このようになるとき、責任分担を完成することによって、みな間接主管圏から直接主管圏内に行くことのできる新しい次元に越えていくのです。
           *
 堕落した人間世界で一番必要とするものは、堕落圏を乗り越えた真の父母です。私たちの原理で言えば、責任分担を完成した、その圏内を越えた人だというのです。間接主管圏内から直接主管圏内に入った人です。直接主管圏とは何ですか。愛に一致した世界です。こうなれば他の主人が生じることができません。絶対的です。愛にぴったり一致すれば二人の主人を願いません。神様も他の主人を願わず、人間も他の主人を願わないというのです。そうしてそれが家庭に拡大し、氏族、民族、国家に拡大され、その愛の軸を中心として天運は回るようになっています。
           *
 神様を中心として責任分担を完成した基準で愛を中心として統一され、天運が回るのです。このような回転圏内に誰が来てぶつかるでしょうか。サタンは影も現すことができなくなるのです。このような基盤さえできれば地上天国は自然に形成されるのです。
           *
 原理結果主管圏を通過し、人間の責任分担を完成することによって愛を中心として連結されるので、直接主管圏に入るのです。そうすれば縦的な役事も横的にできるし、横的な役事も縦的にできるというのです。下に押せば横的になり、引っ張れば縦的になります。その言葉がそれです。引っ張れば縦的になり、下に押せば横的になるのです。それゆえ縦的にも占領できるし、横的にも占領できるのです。
           *
 神様の完全な愛が顕現するとき、サタンは現れることができません。それが責任分担完成です。責任分担を完成したならば、間接主管圏と直接主管圏において愛の因縁が結ばれるのです。そこで縦的愛と横的愛が連結されるのです。そうなればその縦横の愛を通じて神様の血統的な因縁が、血縁ができるのです。血筋が生じます。その血筋、神様の愛を中心として一つになり縦横の愛と因縁を結んで生まれた血筋は、サタンが干渉できないのです。サタンと因縁がないのです。ですから心情を受け継ぐためには、純粋な神様の愛を中心とした本然の伝統的血統を受け継がなければならないというのです。それが問題です。
           *
 責任分担の統一的直接主管圏の一致点というのは理想的父母の愛からのみ可能なのです。
           *
 責任分担は直接主管圏、間接主管圏を克服するのです。思いどおりに天上世界と地上世界に通じることができるようにするのは、神様の愛を中心として、一体的心情圏に入らなければならないのです。それが原理基準です。神様の愛を中心として自分の縦的な面の父母の立場を代表することのできる横的な面さえきっちり決まれば、そこからはサタンがいないのです。直接主管圏です。いまだに責任分担圏を越えることができていないので問題です。
           *
 責任分担完成は、結果主管圏と直接主管圏の過程を通過し、愛をもって一体化します。一体化して直接神様の指導圏に入るのです。主管圏に入る、それ自体が神様の心情圏に属するのです。


二 人間に責任分担がある

 1.責任分担を下さった理由

 神様が人間を愛されるとしたなら全天下が丸ごと屈服することのできる愛であり、権威を下さるとしたなら全宇宙が彼に従い、完全に頭を下げることのできる権威です。そのような最高の愛と最高の権威を考えて人間に責任分担を下さったのです。
           *
 神様はどうして人間に責任分担を下さったのでしょうか。全知全能なる方なので、その全知全能な創造性までも賦与し、また永遠不変な愛の主体であられるので、その愛の主体を代表することのできる位置に立てるために責任分担を下さらざるを得なかったのです。これは福の条件になるのです。全体を占領することのできる一つの鍵のようなものなので、これを下さらざるを得なかったのです。しかし、この責任分担が問題になり、堕落したということを私たちは知らなければなりません。
           *
 人間は神様の創造の偉業に加担しなければなりません。もともと人間が堕落していなかったとしても、そのような責任はあるのです。堕落して人間の責任分担が設定されたのではなく、堕落していなかったとしても人間は責任を負っているというのです。人として完成することのできる神様の九五パーセントの創造理想的形態をみな備えたとしても自分の五パーセントの責任を完遂しなければなりません。人間自体の完成を神様がさせるのではなく、自分がそこにプラスして完成しなければならない責任があるのです。堕落していなかったとしてもです。
           *
 私たちは再建するのではなく、再創造しなければなりません。神様の責任分担九五パーセントに人間の責任分担五パーセントを合わせて新しくつくらなければなりません。
           *
 人間に責任分担をなぜ与えたのでしょうか。創造の偉業に加担することのできる権威を与えて、神様の前に対象的な価値を賦与するためです。それは驚くべき事実です。
           *
 原理には絶対性があります。原理には許しがありません。どうせ行かなければなりません。死んでも行かなければならないというのです。永遠に行かなければなりません。神様自身がこれを思いどおりにできれば、今まで復帰摂理の路程で受難の道を行く必要もないのです。しかしそのように制定しておいたので、責任分担的限界線のゆえに神様もそれにかかって今まで人間を復帰するために数多くの受難の道を歩んできたのです。その責任は神様にだけあるのではないということを知らなければなりません。人間と共同で責任を負っているのです。堕落しなかったとしてもそうだというのです。
           *
 人間が責任分担を果たすことができなかったことによって蕩減復帰という怨恨の言葉が出てきたということを知らなければなりません。蕩減復帰の過程では、絶対に神様も後援しないし、本部も後援しないので、一人でしなければなりません。助けてあげたら蕩減になりません。どうしてですか。人間の責任分担という原則があるのでその原則において、助けては蕩減にならないからです。それを助けることができたならば、人間が堕落するとき、神様が干渉して堕落しないようにしたでしょう。責任分担があるからできなかったのです。人間の責任分担があるからできなかったのです。
           *
 レバレンド・ムーンを神様が愛されますが、人間の責任分担を果たす過程で蕩減路程を行くときには神様が協助できません。私自身がサタンに勝って行かなければならないのです。サタンとサタン世界に勝って行かなければならないのが本来のアダムに許された理想圏でしたが、その理想圏を凌駕しなければならないというのです。
           *
 結局責任分担があるから蕩減も生じるようになったという事実を知らなければなりません。もし責任分担がなかったならば神様はいつでも主管することができるのです。堕落するとき、「おい、そうしたら駄目だ」と言うことはできますが、人間の責任分担があって、神様が干渉することができない立場にいたので、人間が堕落しサタンが活動するのを防止することができなかったという事実を知らなければなりません。
           *
 アダムとエバが、彼らが堕落する前に神様に先に尋ねていたならば堕落しなかったでしょう。「天使長がこれこれこうするのですが、どうしましょうか」と尋ねなければなりませんでした。そうしていたならば、神様が答えたはずです。この尋ねてみることが責任分担の五パーセントです。尋ねてみるのは自由です。しかし、尋ねないで横的関係を結んでしまったのです。それが問題です。尋ねないで行動したので問題が起こったのです。いつもそうです。皆さんは自分の責任分担の五パーセントを果たす自信がありますか。ないのにはしゃぐ雑多な鬼神たちが多いというのです。そのような精神をもって、いつ統一させますか。
           *
 人間には責任分担があります。神様が人間に責任分担を与えた目的は創造の偉業に同参させるためです。九五パーセントは神様が造り、五パーセントは人間が造ることによって、創造するとき神様だけが創造したのではなく人間も自ら創造したという条件になるというのです。このような同等な価値を賦与するためのものが責任分担です。これが偉大なのです。人間だけに責任分担があるのです。しかし歴史始まって以来、責任分担を完成した人がいないというのです。責任分担、これを知らなかったのです。
           *
 能力の多い神様、全知全能なる神様、絶対的な神様がどうして地上に御自身が願う天国を実現できなかったのかということが問題です。神様が思うとおりにされたなら既に一瞬のうちにすべてこれを解決することができたでしょう。しかし人間が堕落したので、人間の責任分担が残っているので、人間がその責任を果たさずしては神様が願う天国実現が不可能なのです。
           *
 アダムとエバは愛を中心として完成しなければならないのに、愛を間違って、その責任分担に問題が引っ掛かりました。責任分担はすべての分野の過程にあります。目的を完成しようとすれば、過程を経なければなりません。過程には必ず責任分担が連結されるのです。それを知らなければなりません。ある時限的な過程を経るときは必ず責任分担があるのです。それを果たさないときには、すべてのものが破壊されるというのです。
           *
 アダムとエバがなぜ堕落したのかと言えば責任を果たせなかったからです。責任分担はアダム一人でできるのですか。まず神様を中心として神様と一つにならなければなりません。神様と一つにならなければ責任分担を完遂することができない、ということを皆さんは知らなければなりません。その次は原理と一つにならなければなりません。このような二つの条件が成立しなければなりません。           *
責任分担を完成しなければなりません。責任分担、責任という内容を喪失してしまいその世界に生きることができなかったのが恨です。血統転換という怨痛な、この悲運の運命をもった堕落の後孫になったことが気の遠くなるような悲痛な事実です。これを抜け出すためにはありったけの力を尽くして責任を果たした息子の姿、娘の姿として立ち上がり、神様に対してためらわずお父さんと言うことができなければなりません。
           *
 先生が行く道は泰山峻嶺(注:とても険しい峠の道)でした。いつ神様が手でも一度つかんで「おいおい、お前大変だな」と言われたと思いますか。夜も昼も保護し、喜んで迎えてくださると思いますか。見ながらもじっとしているのです。どこに行けという話もしません。教えてくださることができないのです。責任分担を果たさなければなりません。神様は本然の愛をもった人間を愛そうとしたのであって、愛を求めていく過程の人間を愛そうとはしなかったのです。
           *
 責任分担を完成した立場の人間とはどんな人間でしょうか。神様のように完全な人間だというのです。神様が九五パーセントを創造しましたが、人間が共に一〇〇パーセント完成した創造の資格を賦与される位置に立っているので、人間の完成であると同時に神様の創造の偉業の完成になるのです。創造の偉業の完成であると同時にみ旨の完成であり、み旨の完成であると同時に神様の完成になるのです。このようことが言えるのです。
           *
 責任分担を完遂できなかった私たちの先祖の罪によって死亡の深淵、どん底が生じたのです。サタンの愛の領域が天国の門の前の境界線まで連結され、直接主管圏内と間接主管圏内の違いをもたらしたのです。
           *
 責任分担を完成すれば、サタン悪魔がいなくなります。讒訴する存在がいないのです。この基準を越えられなければ讒訴条件があるのでいくら天上世界に、天国に入ろうとしても入ることができません。讒訴条件の内容をもてば入ることができないのです。絶対的な愛、不変・唯一・永遠の愛の内容を中心として神様の愛と関係を結んだ基準に立てばサタンがそこに讒訴条件を立てることが できません。そのような立場に立てばサタンが居座ることができません。私が行けば、サタンがいても出ていかなければなりません。
           *
 アダムとエバが堕落しなかったならば、神様の体に和してその体を着て完成し、この地上で神様の愛によって直接主管圏と間接主管圏を連結させ得る責任分担を果たした愛の王になるのです。そうすれば神様はそのアダムの心におられ、アダムの霊は神様の体になるのです。一身になるのです。永遠に神様の愛と人間の愛を共に分かち、それを呼吸するのです。
           *
 人間が責任分担を完遂して神様と対等な立場に立とうとするのは、真の愛を授受するために、対等な愛を与えるためであり、同じ愛を授受するためです。互いに同じ立場で中心になり、同じ立場で授受するというのです。それを知らなければなりません。
           *
 堕落していなかったならば、責任分担は易しいのです。ただそのまま育てば思春期が来るようになっているので易しいのです。それは自然に来るようになっています。自然に来るので難しいことはないというのです。間違った愛によって責任分担が難しくなったのです。それでは責任分担の中心とは何ですか。神様が九五パーセントの責任を果たし、人間が五パーセントの責任を果たして、人間が神様の創造の偉業を相続することだというのです。それでは相続するための中心とは何ですか。真の愛です。


  2.責任分担を果たせなかった結果

 統一教会が言う責任分担という言葉は偉大な言葉です。皆さんもみな責任分担を果たせなかった立場にいるでしょう。人類始祖が責任分担を果たせなかったその場は、サタンの支配圏になってしまったのです。ですから責任分担を果たせなかったその位置以下から、悪主権の世界ができたのです。ですから復帰時代においての善主権の世界は、責任分担を完成した線以上のところから始まります。理論的にそうです。責任分担線以下では悪主権であり、責任分担線以上では善主権が始まりますが、悪主権の出発は何によって始まったのでしょうか。堕落した愛から始まったのです。
           *
 責任分担の未完成によってサタン世界が形成され、この地がサタン主管圏内に残されたことを知っています。この責任分担未完成によって、神様も今まで苦労の道をたどってきたことを骨身にしみて感じなければなりません。
           *
 責任分担圏を侵犯されることによって何が生じたのかと言えば、もう一つの父母ができたのです。もう一つの父母がサタンです。はっきり知らなければなりません。
           *
 アダムとエバが責任分担を果たせませんでした。責任を果たせなかったことがアダムとエバ自体だけで終わったのではなく、アダムとエバが根となり、幹となり、枝となり、葉となって全人類は結局責任を果たせなかった、そのような立場にとどまっているという事実を、はっきりと知らなければなりません。
           *
 神様が今まで人間の責任分担圏以上の立場で接しているというのです。しかしそれ以下に落ちた人間はどんなことをしても橋を架けて上がらなければなりません。その圏にすべての人類が引っ掛かっているのです。世界が引っ掛かっており、歴史が引っ掛かっており、霊界に行った人、現在この世界の人類、今後生まれてくる後孫全体が、この運命圏を抜け出ることができずにいるというのです。これが怨恨の堕落圏です。
           *
 堕落した人間は人間の責任分担だけではありません。全体創造の九七パーセントを蹂躙してしまったのです。ですから再創造しなければなりませんが、再創造過程全部が倒れたというのです。ゆえにどんなに難しいかというのです。したがって人間が九七パーセントに該当し得る責任を果たさずしては、責任分担を完成する道が永遠にないというのです。再創造しなければなりません。復帰摂理は再創造摂理ですが、再創造がなぜ必ず必要なのでしょうか。人間の責任分担のゆえです。人間の責任分担を果たし、その場まで出ていくためには、必ず再創造の過程を経なければなりません。再創造過程を通過するためには、必ず蕩減しなければなりません。蕩減条件を立てなければなりません。受難の道を行かなければならないというのです。
           *
 蕩減復帰して解怨成就したのちにこそ初めて責任分担が展開されます。恨を残した責任分担、このために神様も参って……。今まで人類がこの責任分担を果たすことのできる世界的な一時を迎えることができなかったので、恨の歴史は繰り返し流れてきたことを知らなければなりません。恨の多い責任分担の峠を、どのように越えるのかということを皆さんがはっきり知らなければなりません。
           *
 アダムが責任分担を果たせなかったことによって天地にこのように数多くの壁(韓国語でダム:垣根・囲いの意味)をつくってしまいましたが、アア、ダムをどうしたらいいのですか! ダム(壁)をつくってしまったので、エバはどのようにしてこなければならなかったのですか。ですから人類歴史での女性の道は悲惨な道だったのです。こちらに行っては引き裂かれ、向こうに行っては踏みにじられたのです。ひょうたんのように、割れたひょうたんのようにけられて割れてもまた転がっていかなければならないのです。ぱんとけられて靴の跡がついても転がっていかなければなりません。また向こうでもけられて穴が十個あいても転がらなければならない境遇にあるのが女性だというのです。全身傷だらけになって転がっていかざるを得ない道を歩んできたのが女性です。なぜですか。してくるために(韓国語でヘオギウィヘソ:エバを意味するヘワをもじって)。エバになるためにです。
           *
 アダムとエバに悪口を言うとき、アダムから言いますか、エバから言いますか。エバから言うというのです。エバ(ヘワ)という言葉は、韓国語で「仕事をして(ヘ)復帰して来い(ワ)」ということです。それを覚えておきなさい。本当です。「アダム」は堕落して壁(ダム)ができたというのです。責任分担を果たせなかったことによって、いろいろな壁ができたのです。ですからその壁を壊していかなければなりません。
























SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送