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罪と蕩減復帰
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 五 堕落の恨、神様の復帰の心情

  1.愛の怨讐、堕落の恨

 堕落したという事実は、長男長女を追い出したということと連結されます。長男というのはひとり子です。長女はひとり娘です。アダムとエバは、神様の億万代のひとり子、ひとり娘として生まれました。善悪の実を取って食べて、その億万代のひとり子を追放したと考えてみてください。皆さん、息子を一人もち、娘を一人もっていて、息子一人が死んだというとき、父母の痛みはどれほど大きいでしょうか。
七代のひとり子の死は町内とそのすべての村と知り合いたちがみな痛哭するという言葉があります。七代のひとり子を失った父母の悲しみは推し量ることができないので、周辺にあるすべての家庭をもった父母たちと子供たちと兄弟たちが同情するということを考えるとき、これは何代のひとり子ですか。億万代です。億万代。それで、父子の関係が成されませんでした。億万代のひとり子を失った神様がそれを再び取り戻すためには、億万代の苦痛を越えずしては取り戻す道がないというのです。そのような天の父母がいたということを知りませんでした。
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 サタンとは何ですか。神様の愛の姦夫です……その怨讐サタンにエバを抱かせて今まで千回、万回讒訴すれば聞いてあげ、それを愛する立場に立っていたのです。それが神様の立場です。どれほど神様の立場が難しい立場かということを皆さんは知らないでしょう。愛する妻を怨讐に抱かせておいて福を祈ってあげることのできる男の立場、それ以上の立場が神様の立場であることを知らなければなりません。あなた方はそうすることができますか。
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 サタンはエバの姦夫です。ゆえに神様の愛の怨讐です。その愛の怨讐が数千年の間、来て讒訴しても嫌な表情一つしないで、今まで真の主人としての仕事をやってきたのです。それで神様がこの地に一つの中心を育てあげるまでは、誰でも不平を言ったり、それを反対してはいけません。なぜでしょうかといえば、天使長がいるからです。
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 サタンは神様の愛の姦夫です。愛の姦夫。これは文総裁が世界的に初めて発表した言葉ですが、悪魔とはいったい何でしょうか。僕が未来に神様の妻になることのできる人を強姦したのです。アダムとエバとは何ですか。神様の体です。聖書のコリント人への第一の手紙を見れば、「あなたの体が聖殿であることが分からないのか」と言いました。神様の家です。家。聖書にアダムが名前を付けたようになったということばがありますが、それは何を意味するのでしょうか。神様がその心の中に入っていらっしゃるということです。
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 サタンは神様の立場から見れば姦夫です。エバは姦婦で、サタンは姦夫だというのです。そのような立場にある婦人とその娘を、純潔な女性として純潔な娘として考えなければ復帰することができません。そうでなければ、もともとのままに取り戻すことができません。そのような心情圏に処している神様の悲惨な心境は、誰も知りません。先生以外には、誰も知らないというのです。
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 怨讐に引かれていった自分の愛する妻が、子供を産んで再び帰ってこなければならないとき、そのような母と子を結婚前の純粋な心で迎えることができるでしょうか。サタンは愛の怨讐であり、愛の姦夫です。それこそアダムとエバが堕落した立場と同じです。しかし神様の心情圏では、その峠を越えていかなければ平和の世界はできないのです。その基準が成立してこそ、サタンは自然屈服するのです。
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 考えてみなさい。愛の怨讐になった悪魔のその息子、娘たちを怨讐の子として扱っていたら、神様のようなことはできません。それを、堕落する前の本然の息子、娘として愛するのと同じ心をもって愛したという基準を立てなければなりません。そうせざるを得ない悲痛な神様の立場を考えたことがありますか。
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 キリスト教や他の宗教の最高基準が怨讐を愛せということです。神様もこのような原則的な立場にあるので、サタン悪魔を愛さざるを得ないのです。これは愛の怨讐ですが、その怨讐を堕落していないアダムとエバ以上に愛さなければならないのです。なぜそうなのでしょうか。怨讐の懐に抱かれたエバが庶子三、四人を連れて入ってくるとき、お父さんは彼らを自分が生んだ子供たちよりも愛さなければ、エバが本然の立場に帰ってくる道がないからです。何のことが分かりますか。
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 自分の愛する妻を怨讐に抱かせてあげて、福を祈ることのできる雅量のある男にならずしては神様の息子、娘になることができないという結論にまで到達します。なぜですか。エバとは誰ですか。神様の妻です。サタンが抱いて今まで弄んだ姦婦のようなものを今まで六千年間、六千年ではありません。数万年です。人類歴史を一千万年までと見るではないですか。その間、彼が讒訴しても今まで相手にしてきた神様のその痛い心情の谷間を誰が知るでしょうか。ですから自分の愛する妻を自分の怨讐に抱かせてあげて、福を祈ることのできる心情圏を出入りする経験をしたことのない人は、神様の心情を知ることができないというのです。
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 結婚の前日に神様を捨てて怨讐に引かれていき、姦婦になり、息子、娘を生んで暮らしていたのを再び本然の、そのような傷のない立場として受け入れなければならない神様の心情を思うとき、お母様を偉大なお母様につくらなければならないと考えるのです。昔のエバよりももっと素晴らしいお母様にしてこそ、エバによって傷つけられた悔しく悲痛な神様の心情の傷を埋めることができるというのです。父母様の家庭がそのことをしなければならないのです。何のことか分かりますか。
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 先生がこの道を備えてくるには、先生の愛する妻までもサタン魁首に抱かせてあげ、祝福してあげることのできる心がなければならないというのです。何のことか分かりますか。神様がそのような立場に立ったのです。悪魔は愛の姦夫です。怨讐ですが、終わりの日になってメシヤになることのできる資格者ならば、自分の新婦までも犠牲にしてサタンに与え、神様を解放しようとすることのできる立場に立たなければ、神様を解放できないのです。


  2.サタンの讒訴条件

 神様の愛の姦夫が悪魔です。今まで愛の悪魔である姦夫が讒訴するとき、彼を相手にしてきたのです。彼を人類の前に、全体の人間たちの前に、愛したという条件を取り戻すために今まで耐えてきたのが神様の心情だというのです。なぜですか。堕落しなかったら天使長でしたが、天使長も神様が愛してこそ天国に入るのです。神様と神様の息子、娘たち、天使長を愛した人たちが天国に入るのです。それでサタンが讒訴するというのです。「私は悪魔になったとしても、あなたの創造原理、本然の原則的基準は残っているので、神様も私を愛し、神様の息子、娘も私を愛さなければ天国に行けないのが原則ではありませんか」と言うとき、「うーん!」と言うのです。ここに襟首をつかんで今まで讒訴してきたのです。
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 サタンとは何ですか。神様の愛の姦夫です。この妖邪なやつが天理の大道を破綻させておいてもずうずうしくいまだにこの地球星で、人類を離さず、かじり食い、はぎ食い、削り食っているというのです。こいつを私が地獄に行って、全部ごみ箱にぶち込むでしょう。ほっておけば神様に帰る本心があるので、ぐるっと回っていくのです。春になりさえすれば、がりがりに枯れた木の枝も朝の日差しに、春の日差しに芽がふくのと同じように、人の心はじっと自由さえ与えれば、本心は自然に神様に帰ろうとします。ですから生きられないようにどっとぶち込むのです。そのようなことを知らないでしょう。自分の運命がそのように悲惨になっていることを知らないこの人類をすべて解放させて、一つにしようというのです。統一しようというのです。
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 私たちはどんな犠牲でも投入して父の姦夫に恨みを晴らさなければなりません。恨みを晴らすには銃や刀で晴らすようにはなっていないのです。より大きい愛でなければ晴らす道がないと見るのです。ゆえにその怨讐を愛してこそ、本来の創造理論に合格した神様のところに登場するのです。なぜですか。サタン悪魔、天使長も本来、創造当時は神様の愛を受けるようになっていたからです。永遠に受けるようになっているので「あなたが神様になるには、私が堕落したとしても、私を愛したという原則を立てなければこの宇宙を支配できる立場に行けません」と言ってしがみつくのです。ここに引っ掛かっているのです。本当にあきれる事実です。
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 人間は本来、創造原則に従って神様の息子、娘でなければならないのに、堕落することによってサタンの息子、娘になりました。それで神様は姦夫であるサタンと額を突き合わせて闘ってこられました。讒訴の条件を防ぎながら、今まで人類を取り戻してくる作戦をしてこられたのです。このような気のふさがる神様であることを既成教会の人たちは知らなかったというのです。栄光の神様としてのみ考え「おお! 天地の栄光の中の偉大な神よ」と言っているのです。
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 皆さん、サタンとは何ですか。神様の姦夫です。したがって姦夫を許してあげれば天理の原則にそぐわないので、許すことができないのです。それゆえサタン世界の人間たちは百回、千回許すことができてもサタンだけは絶対的に許すことができないというのです。それで大審判があるのです。大審判は誰を審判するのかといえば、人を審判するのではなく、人間の心の中に主人の如く臨在しているサタンを審判するのです。
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 サタンは愛を蹂躙した怨讐です。お母さん、お父さんが寝ているところに入ってきて、お父さんを殴り殺し、お母さんを強姦したどろぼう野郎です。サタンとは何ですか。神様の愛するエバ、神様の実体的相対であるエバを強姦した愛の怨讐です。そのような姦夫に自分の愛する人を渡して祝福してあげることのできる心をもたなければなりません。怨讐を愛するには許してあげるくらいではいけません。そのくらいでサタンが「ありがとう」と言うでしょうか。かけがえのない愛する人を怨讐に与えても祝福してあげることのできる心までもたなければならないのです。これが最後の峠です。それなのにただ信じれば天国に行くというのですか。
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 今日、人間の堕落をキリスト教徒たちは、蛇がひそひそささやいて取って食べたと言います。原則がどうなっているかも知らない人たちです。ですから神様がどれほどもの悲しく哀れで悲惨で、残念がったでしょうか。アダムとエバが善悪の実を取って食べる瞬間、心臓が爆発するようなもどかしい心情をもたれた方でした。しかし神様は彼らを愛さざるを得ませんでした。皆さんはそれを知らなければなりません。
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 アダムとエバが善悪の実を取って食べようとするとき、神様が「私が心配したとおりになったな。もう少しやれ」と言ったでしょうか。いいえ。心臓が縮み、すべての感覚が一箇所に吸い込まれていくそんな立場だったでしょう。「それを取って食べてはいけない」。血を流し、震え、形容できない哀絶なもどかしさのゆえに何も考えられない、そのような立場に立たざるを得ない神様だったのです。そのような神様がアダムとエバが善悪の実を取って食べているとき、見物だけしていただろうかというのです。刀があれば歴史を斬り、この天下を斬り、切ってしまいたい心でしたが、そのようにできない立場にいることを、自ら嘆かざるを得なかった神様でした。
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 神様の前に立っていたアダムとエバ自身が神様の内情を察することができたなら、堕落しようにもできなかったはずです。父母は父母として子供に対して愛の心をもっていますが、子供は父母の深い心情まで知らなかったのです。もちろん幼くて堕落したのでしょうが、その年齢の幼さが堕落の動機になったのではなく、心情が足らずに堕落したのではないでしょうか。「あの方は私に対している。あの方は私と離れようにも離れられない」と、神様が一切の問題に関係しているということを、もしアダムとエバが感じることができたなら、彼は堕落することができなかったのではないでしょうか。結局心情の一致点をもてなかったので堕落したのです。天の願いと自分たちの願いが食い違い、自分の考える方向が天の考えることと食い違っていたから、堕落したのではないでしょうか。
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 強盗が本来の父を殴り殺し、お母さんを強姦することによって生まれたような立場にあるのが、今日の堕落した人類です。サタンとは何かといえば、神様の愛の怨讐です。サタンは神様の子女を強姦した姦夫なので、愛の神様もサタンを許すことができません。愛の姦夫を許す法はないのです。ですから他のことは許すとしてもサタンだけは許すことができません。サタンを許せば天法がみな壊れるのです。
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 私たちは神様の心情に背反した堕落した後孫です。皆さん、私たちの先祖が何に背反したと思いますか。取って食べるなという善悪の実を一つ取って食べたことだと思いますか。とんでもありません。心情に背いたのです。神様の心情に背反したのです。問題はそこにあります。どんな心情に背反したのか、創造理想の心情、希望の心情に背反したのです。
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 サタンをなぜ一度に分別できないのですか。なぜ神様は全能な方なのに一度に引き離せないのですか。血筋が連結されているからです。血筋です。一度に引き抜いてなくしてしまえば、人類の種をみな滅亡させることになってしまいます。サタンの血を受けたのを一度に引き抜けば人類がいなくならなければなりません。アダムとエバまでいなくなります。たたきつぶさなければなりません。もう一度造るようにはなっていません。愛はアルファでありオメガなのです。初めであり永遠なので、そのような理想的基準になったので、その愛の対象としての人は打つことができません。それを知らなければなりません。
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 サタンがどのようにして神様の前に六千年間対抗してきたのですか。サタンは今まで神様の前に原理をもってやってきました。「神様、私を処罰することができますか。私を処罰するにはまずこの天地を壊してしまわなければなりません。神様は私を創造されるとき、たとえ天使長が受ける愛であっても完成基準で愛してくださろうと創造されたのではありませんか」と言うのです。天使長も天使長級完成基準で愛を受けなければならないというのです。それで天使長は神様にいつ私を完成段階で愛してみたのかと聞くのです。神様もここにすっぱり引っ掛かるのです。神様が完成段階の愛を天使長に施しましたか。施せませんでしたか。できなかったというのです。自由天地であるエデンの園で天使長にも完成段階の愛をし尽くしてこそ、神様も責任を果たしたといえるのです。そうでなければ微動だにできず、引っ掛かるのです。
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 神様が六千年の間、息子、娘の首を切ることを数千万回ほしいままにしてきた天使長を追及できないのは、天使長を完全に愛してあげることができなかった責任があるからです。それで今まで誰かが間違えば「神様! 誰々がこのようにしようとします」と言いながら讒訴しなければならない悲しい歴史の背後があったというのです。このような内容は今日統一教会が出てきたので分かるのであって、誰も知らなかった内容です。
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 神様の前に孝子がいなかったし、神様の前に忠臣の道理、神様の前に聖人の道理、神様の前に聖子の道理、その国を守ることのできる主流の愛の体制がなくなったので、神様が立つ位置がないというのです。今まで囹圄(牢獄)の身として軟禁状態にとどまった神様になっているというのです。天の国は完全に廃虚となって空いています。その痛みを感じているかわいそうな神様であられます。


 六 真の父母の祝福と血統復帰

  1.メシヤとして真の父母が必要だ

 皆さんは真なる父母と関係のない立場で天の前に追い出された偽りの父母の血筋を受けて生まれたので、この血筋から抜け出すためには血筋を踏んで踏んで、引き抜いてしまわなければなりません。そうして血統を根本的に変えなければ天の国に行くことができません。
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 血統転換を成すためにはアダムの骨髄まで、骨肉の中心部まで入って、将来の子供となるその種に神様の愛と結束された勝利的条件を充足させなければ、神様の子女として生まれることができません。これは理論的に間違いないものです。聖書にそのようにしてきた記録があるからです。そうだとしたら、聖書は神様のみ言だというのです。
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 メシヤとは誰ですか。真の父母です。それなら真の父母がなぜ必要ですか。真の父母の愛によって再び接ぎ木しなければならないからです。ですからメシヤである真の父母が現れなければ、堕落した人間は原罪を脱いで罪のない解放された立場で完成段階の祝福を受けることのできる立場に出ていくことができないのです。
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 メシヤがこの地に来て、代行しなければならない立場が真の父母の立場です。真の父母の立場。それでは真の父母とは何でしょうか。縦的な真の父の代わりに横的な真の愛を中心とした横的な父母です。キリスト教ではメシヤが神様であり、神様がメシヤだと言いますが、それは間違いです。神様は縦的な真の父です。これは一つしかありません。メシヤは横的な真の父母だというのです。
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 堕落した人間が要求する救い主とはどんな救い主ですか。堕落した父母の立場ではなく、堕落していないアダムとエバのような立場で神様のみ旨と一体となり、神様の愛を受けて、神様の祝福を受けることのできる真の父母の立場で人類を生んでくれる救い主でなければいけません。そうでなければ人間が原罪と関係のない立場に上がることができません。
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 皆さんは新しい血筋を受け継がなければなりません。受け継ぐにはメシヤが父として来て、サタン世界に勝った、サタンが干渉できない超世界的な基盤でエバを迎え、蕩減復帰しなければなりません。そうして夫婦の因縁を中心とした家庭で息子、娘を立てて、横的に接ぎ木するということが起こらなければなりません。それで統一教会で祝福をしてあげるのです。統一教会は違います。統一教会は、血筋がどこから始まったのか、神様から始まったというのです。ですからいくらでもサタン世界で反対してみよというのです。反対していたら損害賠償を払うようになるのです。
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 私たち人間は血統的にサタンの血統を受けたので、それ自体では天の前に帰ることができないのです。ゆえにメシヤは絶対に血統復帰をして、サタンが汚した血統を改造しなければなりません。これを転換させなければなりません。それでメシヤは必ず来なければならないのです。メシヤが来なければ血統復帰ができないのです。血統を復帰しなければなりません。
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 血統が違うというのはお父さんが違うということです。それゆえお父さんが違う血統をもって生まれた人間は本来、堕落していない本然の父母によらずしては罪を蕩減することができません。ですから今日まで歴史は堕落していない元の先祖になることができる権利をもったそのお一人が来るときまで、宗教の理念を中心に連結させてきました。
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 真の父母が必要なのは何のためでしょうか。心情圏を中心としてその根を下ろさなければならないからです。今は根が違います。堕落によって幹と枝が全部違います。ここから新しく根が真の父母から始まり、幹と枝が出て、接ぎ木するのです。切って接ぎ木するのです。接ぎ木してそれが宇宙の大きな主流になるのです。サタン世界のすべてのものを切ってしまわなければなりません。根まで切ってしまわなければなりません。
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 人間は堕落によって神様とは関係のないサタンの実体をもった存在になってしまいました。これは神様の愛とは正反対になるので、蕩減しなければなりません。蕩減とは原罪を除去することです。原罪を除去するには血統的なものが根本的に存在します。血統的なものは堕落人間としては到底解決できないものです。それでメシヤが必要なのです。
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 真の父母は何をしなければならないのでしょうか。サタン世界の根である間違った血統を正さなければならず、間違った命を取り戻さなければならず、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。聖書に「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とありますが、そのような逆説的な論理がなぜ出てこなければならないのでしょうか。サタン世界は殺さなければならないからです。
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 エデンの園で結婚を間違えたのが堕落なので、今真の父母が正しく結婚させてあげることによって再びひっくり返したのです。偽りの父母がしでかしたことを真の父母が清算することによって地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させてあげるということが起こるのです。真の愛を中心とした地上の後孫たちの家庭基盤を通じて、霊界の先祖と地上の後孫が縦的に一つに合わさるだけでなく、このような家庭基盤を起点として東洋と西洋が互いに連結されます。
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 まずは父母を心から慕わなければなりません。私の命の動機も父母であり、私の希望の一切も父母であり、私のすべての理想と幸福の根源も父母だという基準をもって、父母に侍ることができなければ救いを受けられないのです。皆さんはそのように侍ったことがありますか。皆さんはこれをはっきり知らなければなりません。ですから「私は真の父母と永遠に一つになることができる息子、娘だ」という信念を、自分の存在意識を超越することができるくらいに堅くもたなければなりません。そうでなければいけません。
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 皆さんが先生をどれほど愛さなければならないでしょうか。根本問題に帰るのです。サタン世界の愛の痕跡がある、その愛がしみ付いた立場で愛してはいけません。それ以上でなければなりません。それはどういうことですか。皆さんが、サタン世界で生まれたお母さん、お父さん妻子、その誰よりももっと愛さなければなりません。それで聖書で「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」と言ったのです。すべてそのような結論を下したのです。そうしながら後では「自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(マタイ一六・二四)と言いました。十字架を負わなければならないと言いました。反対に引っ張っていく力を押さえて越えていこうとするので、十字架です。ここで悲痛な涙を流さなければなりません。
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 血統を転換するのはメシヤがするでしょうが、転換できるように行動するのは自分自身でなければなりません。このような基準が成されない限り、私たちは救いの道に至ることができません。これは決して易しく成されるのではなく、死ぬか生きるかの境地を通過しなければなりません。四十日断食祈祷だとか血を吐く死の境地に行ってこそ血統転換が可能です。
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 蕩減条件を立てる方法については先生から教えてもらわなければなりません。もし昔、日本でそれを知ろうという考えをもった一人の人がいて、日本全部と交換してでもそれを買ってきたとするならば、日本は既に世界を統一していたかもしれません。世界でそれよりもっといい事業はないでしょう。聖書に「たとえ人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」というみ言があります。命はそれほど貴いものです。私たちは蕩減条件を立てる方法を正しく悟って自分の貴い命を復活させていかなければなりません。


  2.再臨思想の核心は血統復帰

 血統転換は誰がするのでしょうか。それは誰でもできるものではありません。先生がこのことをするために涙ぐましい十字架の道を歩んだということを知らなければなりません。このような基準があるので、皆さんは何の功労もなく祝福という新しい血統を継ぐことになりました。転換の勝利圏を立てるには数千年にわたる神様の労苦と実体を中心とした先生の苦難の生涯がありました。これをパターンとして立ったところが、正に皆さんが立っているところです。祝福とは接ぎ木することであり、接ぎ木することによって、血統が変わるのです。
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 血統の同一性が必要なので、神様の心情圏に従わざるを得ないのです。なぜそうかといえば、根が違います。幹が違います。ゆえに根が同じでなければならないし、幹が同じでなければならないし、芽が同じでなければなりません。そこには絶対的に血統転換という大変な問題が起こるのです。それは一人ではできません。真の父母がいなければなりません。
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 神側ではサタンの偽りの愛圏にいる人間をより大きい神様の愛で奪ってきて重生させるのです。人間が偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通じて生まれたので、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の血統を通じて再び生まれてこそ神様の子女、神様の民になるのです。イエス様の宝血(注:人類の罪を贖罪するためイエス様が十字架にかけられて流した血)の貴さも、聖晩餐の儀式もすべて血統転換を通じて神様の子女になる摂理を形状的に象徴的に現すものです。
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 統一教会の祝福を受けるところに血統転換式があるのです。皆さん、血統転換式をしたでしょう。蕩減棒行事だとか三日行事だとか……どれほど複雑ですか。そこにはサタンが入って来ることができません。それは真の父母と神様の法によって天国の門を開き、解放を宣言して出てきたものなので、長成期完成級で行使していたサタンは関係することができません。祝福を受けた家庭は血統転換式をしたことを知っていますか。それを経なければならないのです。
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 復帰家庭には血統転換という絶対語が必要です。皆さんも祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。その血統を転換するために聖酒がなければなりません。そして聖酒という酒が出てくるためには二十一種類の聖別過程を経なければなりません。それが何か分からないでしょう。それは空中で実を結ぶものと地で実を結ぶものと地のもとで実を結ぶものを中心として、その次には鉱物世界、植物世界、動物世界で最も貴いもの、このように二十一種類の聖別されたものを通じてその過程を経るのですが、そのすべてのものが讒訴条件に引っ掛かってはいけません。七カ月の間使わずにおきますが、そこに不祥事が起こってはいけません。皆さんはそれを飲みましたが、それが簡単に出てきたのではありません。
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 皆さんは血統転換、これが実感がわかないでしょう。皆さん、いつこのようになりましたか。そのカイン・アベルがいつ……先生がアベルになるときには、皆さんはカインとして完全に一つになるのです。この関係があるので、皆さんが先生と一つになれるのであって、この関係がなければ大きい問題が起こるというのです。
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 この烏合の衆、足りない者たち、みんな何と言うか、人間のいとこみたいな者たちを集めておいて……統一原理の特約とは何ですか。神様の息子、娘になる特権的な内容を中心としてサインしてもらって、真の父母様のサインをもらって真の父母を通じて血統転換をしたという立場に立って、解放者という名前をさっともらえば天国にも入ることができるというのです。入るには礼服を着て、入らなければなりません。服を脱いで行くことはできません。天国に入るには礼服を着て入らなければならないというのです。その礼服とは何ですか。統一教会の原理で武装してそのとおりに実践した人だというのです。特権はすべてもらったのです。この世にそうすることのできるものはありません。
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 神様の心情はどこで連結されますか。理論で連結されるのではありません。血統を通じてこそ連結されるのです。皆さんは神様の心情の血統を受けましたか。今まで知らなかったというのです。それで皆さんは祝福を受ける前に血統転換式があるのです。その時は私は何もないという無の境地に入らなければなりません。私の体はないという立場に立って、父母様の血肉を再び受け継ぐ結着点が私から始まるという信念をもたなければなりません。
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 皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。皆さんは何も知らずに先生がさせるとおりに従ってやっただけですが、それがそんなに簡単なものではありません。イエス様が夫婦関係を成すことができなかったので歴史がこんなに混乱してきたということを考え、その目的に合う一双を立てるという心情的基準から見るとき、祝福で血統を汚すようなことがある場合には大変なことになります。これは刑罰が問題ではありません。エデンの園では未完成期に堕落したのも追い出しましたが、完成の心情的基準で罪を犯したとすれば言うまでもありません。それは後ろ姿も見たくない神様であられます。先生もそうです。
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 祝福を受けるとき皆さんは血統転換式をしたでしょう。その次からは完全に変わらなければなりません。真の父母が出てこなかったならこのことが可能でしょうか。創世以後どれほど大変な道を歩んできたでしょうか。真の父母が出てきたことだけでも有り難いですが、真の父母から祝福を受けたということはもっと驚くべきことです。こうして伝統、その伝統が何かといえば、血統の伝統です。真の愛と真の命と真の血統を植えたことが伝統になっているのです。これをいつも考えなければなりません。
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 祝福家庭はどんな意味をもっていますか。祝福家庭を中心としてみるとき、サタンが祝福家庭を支配することができないというのです。先生を完全に信じてどんな国ででも真の父母様に属しているという信念をもって立っているとき、サタンはそれを侵犯できないのです。なぜでしょうか。父母様の心情を中心として血統転換した心情圏に連結されているからです。ですからここからはサタンが手をつけることができないのです。
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「私は堕落してあなたの血統的すべてのものを蹂躙しましたが、あなたがあなたの息子と天国に入るためには血統転換をさせなければならないのではありませんか。あなたの血筋と連結された一つの根……あなたが命の主体ならば、あなたからアダムが命の種を受けたのです。ですからあなたからアダムが受けた命の種がエバを中心として連結され、根になることができる本然の基準を成して、その基準であなたの血族の立場に立たなければなりませんが、そうするには今私の血族の中に立っている彼らの血統を転換させて、根を改造しなければ天国に入れません。天の国にはアダムの根の人が入るようになっているのであって、天使長の根の人が入ることができますか。入れません!」と言うのです。何のことか分かりますか。
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 血統転換という怨痛な悲運の運命をもった堕落の後孫になったことが、息が詰まる悲痛な事実です。これを抜け出すためには力の限りを尽くして解放された息子の姿、娘の姿として現れなければならず、神様に対してためらわずに、お父様と言えなければなりません。自信がありますか。先生は神様に対して「お父様!」と呼ぶ自信があるでしょうか、ないでしょうか。自信があります。
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 復帰途上で僕の僕の時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がらなければならないのです。それでは完全に僕の僕の時代を経て、僕の時代、養子の時代を経て、直系時代と因縁を結ぶことができますか。直系の時代と因縁を結ぶにはただ結ぶことはできません。必ず原理によって信仰の基台を経て、実体基台を経て、メシヤのための基台を経なければなりません。すなわち、メシヤを迎えなければならないというのです。メシヤは神様の真の息子です。養子と真の息子は血統的な関係が違います。ですから血統転換が必要だというのです。
           *
 堕落人間は血統を転換しなければなりません。これが根本的な問題です。神様と人間の関係は父子の関係ですが、このようなすべてものが未知の事実として残っているので、歴史が解かれなかったし、今まで神様の摂理を知らなかったというのです。血統転換も個人圏、家庭圏、民族圏、国家圏、世界圏と、すべてしなければなりません。これはメシヤが来なければならないのです。メシヤが。父母が出てくることによって父母から血統が出てくるのです。父母が出てこなければ、血統が転換されないのです。このようなすべての問題に個人が責任を取らなければなりません。個人がすべてこのようなことをして、越えていかなければなりません。これを知らないので、知っているメシヤが来て、代わりにしてあげるのです。
           *
 堕落人間は出発が間違ったというのです。ですから再び戻らなければなりません。戻るには戻りますが、どこに行くのですか。原点に帰らなければなりません。偽りの父母で始めたので、戻って真の父母で再び始めなければなりません。ですからどれほど深刻でしょうか。私が神様の愛と神様の命と神様の血統を再び受け継がなければなりません。それで皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたのです。それを私の命よりもっと信じなければなりません。統一教会の一つの儀式だと、ただ一般の宗教儀式のように考えてはいけないのです。これは死んだ人を回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です。解毒注射。
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 聖書の歴史を見れば、ヤコブはお母さんと一つになりお父さんをだまして祝福を受けたし、タマルの役事を中心としてもこのように背倫の行為をしたのに、ユダの支派を通じてイエス様が来るということばは何を意味しますか。血統転換という問題があるからです。血統を清めなければなりません。ここにキリスト教だけが血統を重要視して、血統浄化を主要思想としてきました。他の宗教にはこのような歴史がないので、ここについていくべきだという結論が出てくるのです。ですから血統転換ということを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を抜くことができなかったのです。それで選民思想を受け継いだキリスト教を抜くことができなかったのです。すべての宗教が同一だと言ったならどうして私が迫害を受けるでしょうか。何のことか分かりますか。骨子の思想がこのようになっているからです。はっきり知らなければなりません。































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