宇宙の根本
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 3.神様の宇宙創造の動機は愛

 天と地自体も、自ら存在したくて存在するようになったのではなく、ある力の源泉に立脚して生まれたということを考える時、ここよりも一段階上がって、中心的な主体を備えて天地を動かすか、あるいはここに創造をするという力の作用体、根本の作用体が必ずなければなりません。このような立場にいるそのお方を私たちは「神様」と言いますが、民族が違い、言語が違うことによって異なった表現をします。しかし、その名詞が問題ではありません。この宇宙の中心がなければならないというのです。その中心は、この存在世界全体の前において、存在が作用して移動してもその移動するところについていって移動せず、動く相対的な世界の中心において億千万年動かない中心的な本体がないといけないというのです。
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 宇宙の根本を掘り返してみた時、神様はなぜ生まれたのかという問題は根本に入ります。神様はなぜ生まれたのか、何のために生まれたのか、神様は何をするのか、このようなことが問題なのです。今日、キリスト教の盲目的な信仰時代は過ぎました。むやみに神様を信じる時代は過ぎました。このような推理的な結論に続いて、適切な神様に対する内在的性稟、外向的なみ旨に対する世界との関係、神様における内外との関係、この関係というものが問題です。
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 人間が第一の存在になることはできないのです。いくら優秀だとしても原因的存在になることはできないというのです。私たちは、あくまでも第二の存在です。結果的存在です。それでは、この宇宙の原因的存在とは何ですか。神様がいるならば、神様自体が原因的存在であり絶対者です。そのような絶対者がいるとするなら、絶対者自身が何を必要とするでしょうか。何を中心として人間や被造物と関係を結ぼうとされるでしょうか。これが根本問題です。神学で取り扱わなければならず、哲学で取り扱わなければならない重要な問題です。神様と人間、原因と結果を連結できる内容は何なのかというのです。
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 神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本はどのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されています。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。
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 真の愛というものは、最も深いところから出発します。では、真の愛の起源は何ですか。神様、ゴッド(God)です。「ゴッド」という発音を韓国語で言えば、昔の人々が使った帽子のことを表します。帽子は、てっぺんに使うものを言います。同じ意味だというのです。ここにおいて、性相と形状がなぜ分かれるのでしょうか。問題になります。宇宙の根本とはどこでしょうか。宇宙の根本はどのように生まれたのでしょうか。これが問題です。神様がどのように生まれたのかというのです。神様を見ましたか。それはどのように生まれましたか。皆さんはどのようにして生まれたのですか。宇宙のすべての要素の津液を取って、総合して生まれたのが正に「私」です。
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 愛の中心は神様なのです。宇宙生成以前からいらっしゃる、唯一的であり、永遠的であり、不変的な存在なのです。ところで、愛は心情の流れです。内的な心情が外的に流れるものが愛です。ゆえに神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。この根本原因からの宇宙の生成が、正に神様の宇宙創造だったということは言うまでもありません。
 それでは、神様は、どうして宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。それは、神様が心情をもっていらっしゃるからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が展開するためです。ところが、その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来心情というものは目的を指向するものだからです。ですから、創造目的は、心情を充足させる喜びであるといわざるを得ません。そして、この喜びは、被造物、特に人間が神様に似た時に訪れるのです。
 ゆえに神様の愛と創造性に似た人間と国家が、神様が創造しようとされた目標だったのです。これは、人間の理想がそれを追及することを見ても知ることができます。理想とは、当然享有するようになっている世界を追及する熱望なのです。
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 宇宙の根本とは何でしょうか。この宇宙が生まれる前には何があったのでしょうか。神様ですか。神様だけいましたか。愛が見えますか。愛は実体がありませんが、愛はどこにありますか。愛はコンセプト(概念)です。神様においても、愛はコンセプトなのです。神様にとっても、愛はコンセプトだということを知らなければなりません。
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 神様は、なぜ創造をされたのでしょうか。愛のためにされました。愛は、一人ではできないのです。相対がいなければなりません。一人でいる愛は縦的な愛なので、環境的条件がありません。
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 神様は絶対者ですが、何が慕わしくて人を創造されたのでしょうか。黄金も何の知識も必要ない全知全能の神様が、もっていないものは一つもない神様が、何が必要で人を造られたのですか。
 すなわち、創造の根本動機は何ですか。それは権力でもなく、知識でもなく、所有でもないのです。神様には愛の基盤がなかったのです。神様も一人では愛を成し遂げることができないのです。それゆえに、天地創造の動機が愛だというのです。
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 神様は、なぜ天地を創造されたのでしょうか。その全知全能の絶対者が、何がなくて人を創造されたのでしょうか。愛のために創造されました。愛は相対がなくては現れません。相対がいないのに作用するようになれば損をします。すべて自分を保護するようになっています。損をするところでは絶対に動きません。愛は、相対が現れれば、ないようですが、飛び出してきます。
 神様にも愛がありますが、男性的な神様が静かに一人でいる時には、その愛が現れません。これを現してみせることのできる相対が、正に人です。
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 全知全能の神様、遍在する神様が、何が不足で人を造られたのでしょうか。神様にお金が必要で、金の塊が必要で、ダイヤモンドが必要ですか。そのようなものはいくらでもあります。それでは、知識が必要ですか。神様は知識の王なので、知識はいくらでもあります。それならば権力が必要ですか。権力とは、神様にとってあってもよく、なくてもよいものです。神様に不足だったのは愛です。愛というものは相対的関係においてのみ成立するものだからです。神様も、愛を必要とする神様にならずしては、この創造世界と人間世界が関係を結ぶことができないのです。ですから、愛をもって訪ねてこなければ存在世界とは関係ないという結論が出てくるので、神様は愛を標準として定めてこられたのです。
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 神様がなぜ天地を創造されたのでしょうか。いくら絶対者だといっても一人では喜びを感じることができず、仮にうれしいと思っても喜びの刺激を感じることができないので創造されたのです。絶対者がいくら、「私は絶対者だ。私は愛の主人公だ。生命の主人公だ」と言ったとしても、絶対者一人では愛の刺激を感じることができませんし、天地が私の体の中にあるという生命の刺激を感じることができないのです。
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 神様が自分自身だけを考えたとするなら天地創造をされたでしょうか。創造とは、力の投入をいうのです。芸術家は、最高の傑作品をつくることが願いです。芸術家は、傑作品をつくるためにあらゆる精誠を投入します。すべてを投入するところにおいてのみ完全な傑作品が出てきます。これ以上できないという時に、初めて傑作品が生まれます。
 創造は、投入するところから始まります。力を投入してこそ創造が可能です。力を投入しなくてはいかなるものも生まれません。完全な投入をするところから完全な対象が成立するという原則をおいて見る時、神様は主体として対象を造るために完全に投入されました。神様御自身が、自分自身のためにではなく、対象のために生きるといって運動を始めたのが創造です。
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 創造するということは、力の投入をいうのです。投入をしたのですが、どれほど投入したのでしょうか。神様がみ言によって造られる時、「このようになれ、あのようになれ」といたずらに創造したかのように理解しています。違います。そうではありません。ここには真の生命を完全に投入して、真の愛を完全に投入して、真の理想を完全に投入しました。私たちも精誠を尽くさず、血と肉を投入しないものは愛しません。
 それゆえに、創造する前と創造したあとが違います。創造する前には自分のことを考えましたが、創造を始めてからは対象のために生きました。私がいるのは自分のためではなく相対のためだ、息子、娘のためだ、このようになっています。
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 神様が人間を創造される時、自分よりももっと立派な愛の相対を造ろうとされたので、神様のすべての要素、見えない無形の要素を一〇〇パーセント実体化させるために投入しても、もっと投入しようとされたのです。そのことが意味するのは、投入して忘れてしまうことができるその場においてのみ、真の愛の起源を発見することができるというのです。簡単な内容です。正にこれが、宇宙の根本原理です。
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 愛を占領しようとするなら、投入して忘れ、投入して忘れてしまわなければなりません。なぜそのような愛をもたなければならないのですか。愛は、動けば動くほど小さくなるのではなく、大きくなっていくものだからです。力学世界での自然現象は、動けば動くほど、作用すれば作用するほど小さくなるでしょう? 自然世界は、動けば動くほど小さくなるのですが、真の愛の世界は、動けば動くほど大きくなっていきます。神様がそれを御存じだったので、真の愛を中心として創造を始めることができたのです。
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 宇宙はどのように出発したのですか。神様をおいて見る時、すべてが「ため」に生きるところから、投入するところから出発したのです。自分を消耗するところから始まります。それでは、自分を消耗して相対をつくって何をしようというのでしょうか。二つとも消耗するのですが、消耗して得るものが愛です。愛さえもてば、いくら消耗しても良いというのです。そのような概念が愛なので、愛を中心として神様が創造を始められたのです。
 神様が損することをされたのではありません。投入することは損害ですが、なぜ神様がそのようにされたのでしょうか。愛はすべてのものを満たしても余りある力があるので、消耗させて投入しましたが、その代わりに愛を取り戻してくるのです。真の愛は、投入するほどますます小さくなるのではなく、動けば動くほど大きくなっていきます。そうでなくて、真の愛が小さくなるという原理ならば、神様自体が投入して消耗してしまうのです。反対になります。真の愛は、投入すれば投入するほど大きくなっていくのです。
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 愛には創造能力があるので疲れません。愛の心をもてば、いくら投入しても、消耗したエネルギー以上にいつも補充し得る愛の力があるので疲れないのです。それで、難しくて苦痛でも嫌ではないのです。それが嫌ならば行くことができません。愛ゆえに生きる道には、「嫌だ」という心を永遠にもつことはできません。真の愛ゆえに生きる道には、永遠に「嫌だ」という心はあり得ないというのです。神様の本質には怨讐の概念がありません。悪の概念がないのです。それは、真の愛の中にいらっしゃるからです。
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 神様の創造理想を中心として、投入、投入、投入しなければなりません。投入をすれば巡り巡るのです。空気を例に挙げて、絶対低気圧と高気圧があるならば、その中間の気圧が生じます。誰が呼ばなくても天が降りてくるのです。それゆえに、一〇〇パーセント以上投入したいと思う人は、常に天が満たしてくれるのです。宇宙の原則がそうです。完全に投入して忘れてしまうところには永遠の運動が連結するので、その基準において永生の論理が出てくるようになるのです。永生、永遠の生命、そうでなければ、統一原則をどこから引き出すことができますか。「ため」に生きるようになればぐるぐる回るでしょう? ぐるぐる回ってどこに行きますか。どんどん小さくなって上がっていきます。上がっていくのです。くるくる回って広がれば下がっていきますが、徐々にすーっと上がっていくために、神様は、自動的にアダムとエバの肩の上に両足を載せざるを得ないのです。
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 なぜ神様がいらっしゃるのでしょうか。何のためにいようとされるのですか。愛のためにいようとされるのです。それで、愛の相対が必要なのです。そのようにして全知全能の神様は、愛の相対を創造しなければならなかったのです。
 創造の本質的理想が愛を中心として創造を始めたということを、これまで私たちが全く知らなかったというのです。愛を中心として、すべての被造世界が創造されたというのです。
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 神様の願いは、真に与えることができる世界的な踏み台をもつことです。神様は、与えることにおいても誰も讒訴することができず、受けることにおいても誰も条件を提示することができない、自由で平和で幸福な場を願われます。そのような場を世界的に広めて、万民がそこで暮らせるようにすることが神様の収めようとする所期の目的です。
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 愛が先ですか、生命が先ですか。愛が先です。地球が神様の生命から出てきたからといって、生命が一番だとはいえません。愛が一番だというのです。神様は、天地創造を生命からしたとしても、その生命の発源地、動機は愛です。生命が生まれたのは愛のためです。
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 世界の一番になるものは何ですか。神様が一番です。その位置に上がっていくのです。上がっていって何をしようというのですか。神様の愛を中心として、宇宙を自分のものにしようというのです。そうです、皆さんも全員欲心があるでしょう? その欲心、欲望のすべてを完成するには、お金をもって、自分の知識、自分の権力をもってはできません。唯一、愛です。これが統一教会の「原理」の真髄であり、人生哲学の根本です。今までこれを知りませんでした。簡単な内容です。



















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