宇宙の根本
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 3.なぜ結婚が重要なのか

(1) 結婚の目的は神様に似ること

 宇宙の根本がそうです。神様の完成も、やはり同じです。アダムとエバが二性性相になって縦的に一つになるのです。それで、神様を完成させて解放させるのが人間だというのです。また、人間を完成させて解放させるのが神様だというのです。離れることができません。その場で生きなければなりません。
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 アダムとエバは、神様の二性性相がそのまま出てきたので、一つのふろしきから出てきたのと同じです。双子で生まれた兄と妹のようなものです。その兄妹の双子がおっぱいを片方ずつ分けて飲み、お互いに触って、母親のおっぱいを飲む愛を中心として考えるのです。すべて母の懐に抱かれて愛するのです。
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 神様が二性性相に分立されるので、その本性がそのように分立されるのではないですか。男性は何ですか。男性は性相的な神様であり、女性は形象的な神様です。この二人が一つになり、分立されたもの一つになることによって、愛を中心として愛の軸が生じるのです。愛の軸は誰もタッチできません。神様も愛の軸の前に絶対服従するという論理がここから展開するのです。すべて理論的です。
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 統一的基準の内容があるところとはどこでしょうか。垂直線です。人間が堕落していなければ、神様と人間はどこで会いますか。なぜ結婚するのですか。神様に会おうとするのです。神様の愛の前に接ぎ木をするためなのです。愛のために生まれたので、その愛は宇宙と同参して、神様のような愛の理想相対を探さなければならないのです。それは一人ではできません。神様が二性性相に分立したのです。
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 なぜ結婚するのですか。神様の姿に似るためです。神様は二性性相でいらっしゃる方として、各々の一性が合体化した一律的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。その種を連結させるためには、愛の道理の道を通らなければならないので、生まれるときも愛を受け、育つときも愛を目標として育ち、生きるにも愛を中心として生きて、逝くときも愛に帰るために逝かなければならないのです。その道は、「ため」に生きる目標を中心として訪ねていかなければ、方向がずれるという事実を皆さんは知らなければなりません。「ため」に生きて愛するという心を先頭に立てれば、いくらこっちに行くといっても、南極と北極の方向を探し当てるように正しく行くというのです。
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 私が結婚をするのは、私だけのためではなく、相対のためでもあります。結婚が自分自身より相対のために行われるということはどういうことでしょうか。天地間のすべての道理が主体と対象で成り立っているように、男性と女性が結婚するのも天地間の道理です。
 男性が右側ならば女性は左側になりますが、それは、宇宙間の横的な関係をなすためであり、男性が主体ならば女性はその対象になりますが、それは、神様との縦的な上下関係をなすためなのです。したがって、結婚とは男性だけのためではなく、また女性だけのためでもない、天理の法度を合わせるためにするのです。それゆえに、男性と女性がお互いに異なる形を備えています。天理法度に合わせられるようにできているのです。
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 なぜ結婚するのですか。神様を愛するためです。神様を愛して何をするのですか。神様の軸と一致するためです。一致して何をしようとするのですか。一致すればどのようになるのですか。なぜ一致しようとしますか。絶対的な神様の愛を中心として、永遠であられる愛を中心として、永生が展開するのです。それだけではありません。そのように接触したところから宇宙の相続権が伝授される、ということを知らなければなりません。愛を中心として造られた被造世界は神様のものですが、私のものとして相続権を与えられるのです。
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 なぜ結婚するのですか。アダムとエバが自らの愛を求めていくためではありません。縦的な神様の愛を核として、その核を中心として、客体として一つのバランスをなすためなのです。それが理想です、
 神様の創造理想もそのような愛を中心として結びつくことであり、人間の男性と女性も成熟してそこで愛の結着点が展開して、生命が連結されるのです。ですから、生命によって連結されるのではありません。愛によって連結されるのです。縦的な父の愛と横的な夫婦の愛を中心として、本然の愛の種が初めて連結されるというのです。
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 結婚とは何かといえば、創造理想完成の場です。神様の子女完成の場であり、兄弟完成の場であり、男性と女性の理想的完成の場です。男性と女性が理想の場で一つになることは、創造前にアダムとエバが二性性相の性相と形状でいたものが実体として一つになることです。
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 神様の無形の二性性相がアダムとエバの実体として分かれたのですが、これが再び縦的に会うのが結婚式です。結婚して一つになる瞬間は、未完成の半分が完成する瞬間であり、完成品として合格する瞬間であり、相対の世界を抱く瞬間です。愛の力以外にはそのようにできるものがありません。それだけではなく、神様を占領するのです。結婚は、相対を占領して神様を占領するのです。それが正に結婚です。でたらめにするのではありません
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 結婚とは何ですか。男性は女性の世界を占領しようというのです。女性の世界を知りません。また、女性は男性の世界を占領しようというのです。結婚する前は、女性は男性が神秘的です。男性には女性が神秘的なのです。同じです。結婚して神秘的な男性・女性世界をお互いに占領して二つとも備えることによって、神様の二性性相の主体の前に一つになる、その姿を備えるのです。このようにして神様と一つになるのです。
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 男性は女性のために生まれて、女性は男性のために生まれたのです。結婚は何かというと、片側の身分が完成することです。男性半分、女性半分が一つになることであり、その次には神様を占領するためです。二性性相の男性と女性が二性性相になったので、愛で一つになることによって、正から分かれたものが合わさっていくのです。
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 アダムとエバの結婚は誰の結婚かといえば、神様の結婚式です。愛の根、生命の根、血統の根、良心の根であるその根が、先に愛を体恤しなければならないのです。結婚するその場には、神様をお迎えしておいて夫を迎えなければなりません。神様の二性性相がアダムの心とエバの心に入っていかなければなりません。正から分立して入っていくのです。これで正分合になるのです。したがって、プラスとマイナスがすべて一つになるのです。
 結婚はなぜするのですか。神様の姿に似るためです。神様は、二性性相でいらっしゃる方として各一性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的な人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。結婚は、神様と一つになることができる位置に行くということです。
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 結婚とは何ですか。男性を通じて愛を結ぶことによって、半品存在である女性が完品存在になることです。男性も同じです。結婚を通じて完成するのです。何によってですか。愛で一つになることによってです。ですから、男性と女性の生殖器は絶対に必要なのです。ですから、男性の生殖器は女性のためにできたのであり、女性の生殖器は男性のためにできたのです。自分のものではありません。
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 結婚初夜の愛というのは偉大なものです。初愛です。皆さんが女性として生まれて一生保護してきた自分の体、その一身を男性に捧げるのです。
 男性もそうです。自分一身を備えて純潔な体を女性に一〇〇パーセント捧げるのです。そのためのものが男性としての結婚前の生活です。
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 男性と女性が出会って愛が芽生えれば、絶対的に一つにならなければならないといいますか、絶対的に分立されなければならないといいますか。絶対的に一つにするとは、どうなることですか。男性と女性がキスすることですか。どこが一つになりますか。何のために結婚するのかと言えば、生殖器理想の完成のためです。結婚とは何かといえば、生殖器官の理想を満たすためのものが結婚だというのです。それは間違っていますか、合っていますか。俗的な結論のようですが、俗的な結論ではないというのです。俗的な人間の世の中で話すので俗的なのであって、神様の創造本然の世界では神聖なのです。神様が願われる至聖所はどこかというのです。愛が永遠に宿ることができるところが至聖所だというのです。そのとおりでしょう?
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 女性が男性を訪ねていく時は、「神様よりもっと貴いものを訪ねていきます。一生を大切に装って貴く思い、何よりも貴いものをもってあなたを訪ねていきます。あなたを愛します」こうでなければなりません。そのように女性が男性を慕えば、生殖器が息をします。
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 結婚して男女が初めて愛する瞬間、関係する時間は、子女の愛の完成なのです。兄弟の心情の完成場、夫婦の心情の完成場、未来の父母の心情の完成の出発点です。それで、女性の生殖器というのは愛の本宮です。愛の根源です。そこから愛が始まるのです。空中から始まるのではありません。何ですか。愛の本宮です。
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 男性と女性が完成するのは何ですか。それが結婚生活です。男性と女性の凹凸、これを一つにするのです。何を中心として一つにするのかというのです。男性と女性の凹凸が何のためにそのようになったのかといえば、愛のためにそのようになりました。愛で一つにすることを知らなければなりません。人間のすべてを構造的に見るとき、この生殖器のように全体の核的な内容をもって生まれたものはありません。神様が創造されたなら、ここにすべての精力を込めてつくられたという話になることを知らなければなりません。
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 結婚とは何かといえば、半分の男性と女性が生殖器を一つにすることによってお互いに完成するのです。男性は、女性の愛を中心として完成するのです。男性は女性を完成させ、女性は男性を完成させるのです。それは、真の愛を中心として完成させるのであり、真の生命の結合が展開するのです。真の愛で一つになるのです。愛が中心になって生命が活性化され、二つが一つになる位置がその場です。男性の血、女性の血が一つのるつぼで一つになることのできる位置がその場だというのです。その場から息子、娘が生まれます。その場は、息子、娘より貴いということを知らなければなりません。夫よりも、神様よりも貴いということを知らなければなりません。
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 男性と女性がお互いに愛して抱擁する、それ自体が、宇宙が一体をなす場になります。神様の理想の中でなされる創造本然の姿は、そうです。
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 福の中で最も貴い福は、神様の愛です。その次には、神様の創造の権限を引き継ぐことです。神様がアダムとエバを創造されたように、創造的権限を与えられるのが子女なのです。皆さんは、なぜ子女を愛するのでしょうか。神様の創造の業績を横的に実体圏で受け継いだのと同じなので、アダムとエバを造って神様が喜ばれた、その喜びを代わりに感じるためです。
 その次には、神様が天地万物を主管されたように、万物を主管するために私たちに主管権を賦与されました。したがって、結婚するその時間には、神様の愛を相続して、再創造の権限と主管権を完成圏に立って受け継ぐようになる、ということを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、結婚式というものは、愛の顕現を意味すると同時に、創造権と主管権を賦与されることです。
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 世間で盛んに行っている自由結婚は、サタンが人々を堕落させて神様の前に出ていけないようにするためにつくっておいたわななのです。そのわなに引っ掛かれば死に、サタンの支配を受けてえじきになるしかないのです。今日、西欧社会、特にアメリカは、自由結婚が盛んに行われることによって、真なる家庭を築くことができなくなっており、家庭生活に失敗した人々が日増しに多くなって、いくらもたたないうちに家庭をもたない人が多数を占めるようになるでしょう。
 そのようになれば、アメリカ社会は愛が干からびた社会になり、不信によって不安と恐怖が支配する地獄のような社会になるだろうと、自信をもって確言することができるのです。このような時点に立っている皆さんには、このような社会風潮を一掃して、アメリカ社会に愛が満ちあふれ、神様の願われる社会を建設しなければならない義務と使命が賦与されていることを知らなければなりません。
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 私たち統一教会は、結婚観が違います。結婚というのは根本に帰るためのものです。

(2) 夫婦の愛と絶対性

 夫婦が、神様を愛して人類を愛する心の基台の上で爆発するようにお互いに愛するならば、その家庭によって神様が酔い、宇宙が酔うことができるようになるのです。その愛は、神様のための愛であり、人類のための愛です。その愛の根は、自分にあるのではありません。神様が愛の根源であり、人類の愛が根源なのです。
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 結婚したなら、既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結される時には、垂直的概念が生じます。平面的な歴史は宇宙を収拾し、天宙を収拾することができません。垂直と水平が出会って九〇度をなす時、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろにしても、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦、どの面をくっつけてもぴったり合うのです。地上完成基準は、霊界のすべての完成へ続くのです。
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 結婚して夫婦が真の愛をなす位置は、神様と人間の愛と生命と血統の根源である王宮の位置であり、理想のための地上天国・天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が真の愛を中心とした夫婦一体を完成し、神様に侍って暮らす家庭となり、平和と理想の出発基地になるのであり、半分である男性と女性は、一体となって、神様の相対として神の理想愛を完成させるようになるのです。
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 男性と女性が祝福を受けて、完全な愛を授け受けして喜びを享受する時、神様が地上に咲いた花のように御覧になるというのです。また、彼らの愛によってなされるすべての調和万象は、神様にとって良い香りと同じです。このような美しい香りの中で神様は暮らしてみたいと思って訪ねてこられるというのです。神様の愛が訪ねてくることのできる基台が、すなわち夫婦の愛の場です。その場は、万物と宇宙が和動する場になるはずです。
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 男性と女性の生殖器の主人とは誰ですか。縦的な神様です。どこで神様の理想的愛と人間の理想的愛が一つになりますか。生殖器です。神様に出会うために結婚するのです。驚くべき話です。神様がほかにいるのではありません。その場に入っていくようになれば、神様が生きていらっしゃいます。三大主体思想がどこで結合して根を打ち込むのですか。愛です。神様の愛と人間の愛が生殖器を中心として…‥。結婚は、神様の縦的な愛に接ぎ木をするためのものです。
 曇った日に陰電気と陽電気が合わさって雷が鳴ったり稲光がするのは、宇宙結婚の象徴です。大声で叫ぶでしょう? はとも愛する時、大声で叫ぶでしょう? 皆さんも愛する時、大声で叫びますか。声が出てきそうなのに両親に聞こえるかもしれないと思って、ただもう死ぬほど心配でしょう。率直であるべきです。なにもそのようなことを隠す必要はありません。これからは、窓ガラスが一度にガッシャーンと音がするくらい叫んでも罪ではありません。雷鳴がとどろき、稲光がするかのように、火が出なければなりません。聖女に侍って生き、聖男に侍って生き、神様に侍って生きる境地に入っていかなければならないのです。そのような愛の世界があります。ですから僧侶たちには、いくら修行に励んでもその世界を知るすべがないのです。
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 皆さんが夫婦関係をするのを神様が見ないと思いますか。公開的なのです。これは宇宙的に公開するのです。それを知らないということは大きな間違いです。皆さんの先祖がすべて見ているというのです。霊界でも、すぐ目の前に見えます。手のひらに立ってするかのように、すべて見えるのです。ですから、それを恥ずかしいと考えれば大きな間違いです。
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 愛は永遠です。そのような愛は二つではなくて一つです。男性と女性の間が愛によって結ばれれば、地上で偕老(共に年を取ること)しなければならず、死んでも永遠に共に生きていくようになっています。体は二つですが、一つになって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様と回るようになって愛の四位基台を成し遂げるようになりますが、それが正に理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵犯できず、ただ真の愛だけが臨在するようになるのです。
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 理想的夫婦とは、どのような夫婦ですか。最高の芸術を実体として展開させることができる夫婦、最高の文学を展開させることができる夫婦なのです。最高の理想、最高の文化世界に接する前に、最高の愛によって夫婦が授け受けする、その甘い愛が世界最高の芸術作品にならなければならないのです。夫婦生活自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければならないのです。
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 家庭を芸術化させなければなりません。おもしろい夫、芸術的な夫にならなければなりません。何かの雑誌などに良いものがあれば、さっととっておいて、寝ようとする夫人の前で素晴らしい声で読んであげるのです。感動して寝る妻の姿を夢に描けば、それが再現されるのです。霊界と連結するのです。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。そのように暮らしたいですか。でなければ、そのまま野暮な夫婦同士で暮らしたいですか。素晴らしく生きたければ、素晴らしくなれる姿勢から、素晴らしくなれる方向をとらなければなりません。それが第一条件です。
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 赤ん坊を生む位置は、神様の上弦世界を占領するのです。神様の位置に上がっていくことによって、子女を愛することで、神様が創造以降に人間をどれほど愛されたのか、その内縁を体恤させるのです。
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 このように、夫婦が息子、娘を生んで父母の立場に上がっていくことで、神様の立場で神様が人間を創造される時、どれほど喜ばれたかを体恤するようになるのです。天地の大主体であられる神様のすべての権限を相続できる立場に入っていくことができる体恤的環境において、体恤的内容として伝授させてあげるのが息子、娘の生産です。息子、娘を生産して大切に育てて結婚させるまでが父母の責任です。神様がアダムとエバを育てて結婚させるはずでしたが、できなかったのです。アダムとエバも、息子、娘を生んで結婚させることができませんでした。この恨を解かなければなりません。これが教育の原論になるのです。結論は簡単です。
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 夫婦が一つになって息子、娘を生むことによって永続することができます。それで、創造した創造主の位置に上がっていき、息子、娘を生んでみることによって、神様が創造された喜びを平面世界で感じることができるのです。それゆえに、自分の妻は、息子、娘と同じでなければなりません。息子、娘と兄弟の位置を合わせたものです。ですから、別れることができないというのです。愛はいい加減になっていません。息子、娘を生もうとするなら、このようなすべての伝統を踏まえて経ていったのちに息子、娘を生んでこそ、神様が本来創造理想として願われた本然的基準に到達するのです。それゆえに、家庭が天国基盤です。
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 神様を中心として一つになる時、千態万状に回るようになるのです。したがって、兄弟間で愛するのも、父母が子女を愛するのを見習って兄は弟を愛さなければならないのです。そのように愛しながら一元化した家庭は、家庭愛が花開くことができます。これはまた、社会愛になることができます。これがさらには、民族を愛する民族愛になります。このように愛すれば世界になるのです。ところが、今日これが漠然としているというのです。
 神様は、真の愛の本体なので、真の愛と連結すればすべてが同じ体になります。父母は、神様を身代わりした生きている神様であり、夫と妻は、お互いがもう片方の神様であり、息子、娘はもう一人の小さな神様です。
 このように、三代が真の愛を中心として成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を築かなければ、天国を成すことはできないのです。家庭とは宇宙の中心です。家庭完成は宇宙完成の基礎になるために、家庭で愛して宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。このような場合、神様は、全体宇宙の父母として愛の複合的な中心の位置にいらっしゃいます。
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 平和の立て札、碑石を立てるのが、女性の節操と男性の志操です。そのようになれば、男性でも女性でも絶対に信じます。これが水平にならなければなりません。永遠に水平になるのです。そうなれば幸福でしょう? なぜですか。自分たちの宝物の中の宝物が何かといえば、半分のかけらだった女性が夫を占領することです。夫も占領しましたが、天地が半分のかけらだったものが一つになるのです。上弦の神様側に下弦の息子、娘が生まれるのです。上下関係が生じるのです。
 その次には夫婦関係です。これを中心として四方に広がっていきます。そのようにして、前後を中心として初めて家庭が定着するのです。前後関係は兄弟です。兄弟をもたないといけません。上下関係、左右関係、前後関係です。その器官を完全に定着させなければなりません。
 それゆえに、唯一私にあるものは何ですか。男性には妻一人しかいません。財産でも何でも、全部捨てるとしても、これは取り替えることができないのです。ただ一つの宝物は妻だというのです。






















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