宇宙の根本
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 3.悪魔サタンは淫乱によって堕落した

 サタンとは、いったいいかなる存在ですか。特にイエス様を信じる人々は、神様の前にサタンの正体をはっきりと明らかにしなければなりません。サタンとは何ですか。姦夫です。愛の姦夫です。そのサタンが父をたたき殺し、母を強奪して生んだ子女がまさしく皆さんです。気分が悪いでしょう? 本当だと信じることができなければ、先生のみ言が本当かうそか、命を懸けて神様の前に一度談判祈祷をしてみてください。
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 サタンとは誰ですか。神様の夫人となるエバを強奪した姦夫です。エバは、アダムの夫人であると同時に、神様の夫人です。神様の夫人となるエバを強奪した姦夫です。サタンは愛の怨讐です。それゆえに、神様は怨讐を愛するのですが、愛するにおいては、姦夫であるサタンまで「愛しなさい」とはおっしゃいませんでした。サタンは許すことができません。サタンに属した人は愛するのですが、サタンは許すことができません。それは原理なので、皆さんはそれを知らなければなりません。
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 私たちの先祖がサタンに讒訴され、蹂躙され、虐殺の祭物となってきた恨を解かなければならないのがキリスト教信徒であり、修養の道を行く人であるからには、このサタンの正体を解明しなければならず、歴史的な神様の心情と時代的な神様の心情、そして未来を心配される神様の心情を知らなければなりません。そのようにして、神様が涙を流しながら「おお! 私の息子、娘」とおっしゃることができてこそ、この世の中は戻っていくのです。
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 本来の主人を追い出し、その妻を奪い、その息子、娘まですべて死の位置に引きずり込んでいく悪党の親玉の立場が悪魔サタンだというのです。このように見るとき、神様の怨讐であり、人類の怨讐である悪魔サタンを許す道がありますか。結局、悪魔サタンは、愛を中心として神様と姦夫の関係になってしまったのです。
 ですから、許すことができますか。そのようなサタンを許せば、世の中をすべて破綻させてしまうのです。ですから、皆さんがただそのまま神様の息子、娘となることができると考えることができますか。それゆえに、これを変える日まで、神様と人類は、呻吟と苦痛の道を避けることができない立場で歴史をつづっていくということを知らなければなりません。
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 皆さんの愛の関係は、どこから始まりましたか。どこから出発しましたか。悪から始まりました。この悪の親玉が悪魔サタンです。どのような因縁をもった悪魔かというと、愛の姦夫だというのです。その姦夫の血肉を受け継いで人間が生まれたのです。そうであるならば、私たちが受けようとする愛は、姦夫の愛ですか。姦夫の血統を通して受け継がれてきた不正な血統の愛を受けようとしましたか。違います。ですから、これが問題なのです。
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 神様は、希望にあふれた大業を夢見ながら、あらゆる最善を尽くして宇宙を創造されたのですが、その大業と生命と理念のすべての条件が一時に破綻して駄目になった時、天地が真っ暗になったというのです。ここに怨讐として登場したものが天使長ルーシェルでした。このルーシェルを打倒しなければなりませんか、打倒してはなりませんか。神様が最も愛された骨の中の骨であり、肉の中の肉である息子、娘を、ルーシェルが自分の息子、娘にしたのです。このような怨讐の首を切らなければなりませんか、そのままにしておかなければなりませんか。このような問題について、歴史始まって以来、初めて苦心されたお方が神様です。
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 神様が願われた王子、王女の資格を破綻させ、王子、王女の家庭的愛を破綻させ、王子、王女以後の王孫を破綻させ、神様が理想とされる家庭と天国を破綻させた元凶が、悪魔サタンだということを知らなければなりません。この元凶は、神様の怨讐であるだけでなく、私たち人類の怨讐です。その怨讐の敵将にその国の王宮にいる王族、王族の王子、王女が捕らわれていき、僕の生活をしながら、その僕の世界の子供を繁殖させたというのと同じです。王子、王女を中心として、王権のもとで繁殖していかなければならなかったにもかかわらず、悪なる悪魔の王権のもとで繁殖した群れのようなもの、それが堕落した人類だというのです。
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 聖書の内容を観察してみれば、人類始祖が不倫な愛をなすことによって、悪魔サタンを中心として父子の関係を結んだという事実を否定することができません。神様の血筋を受け、神様の絶対的な愛の中で神様の直系の息子、娘として生まれなければならない価値的な人間が、悪魔サタンの血統を受け、サタンの息子、娘として生まれたのです。
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 ローマ人への手紙第八章に、「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分(実子でなく養子として)を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(二三節)と記録されています。養子は血統が異なるのです。これが、私たち人間の実情です。
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 ローマ人への手紙第八章を見ると「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分(養子)を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(二三節)とあり、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分(養子)を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(一五節)とあります。養子にしかなることができないのです。
 今、キリスト教徒たちは養子です。養子は血統が異なります。ヨハネによる福音書第八章四十四節を見ると「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」とイエス様が語られました。ここで「父」と言っているので、血統、先祖は悪魔なのではないですか。それゆえに、割礼とは何ですか。陽部を裂くことです。このようになっています。善悪の実とは、何かの実のことですか。
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 堕落によって、人間は偽りの父であるサタンに屈服せざるを得なくなりました。人間は、自分たちの父を取り替えてしまったのです。私たちは、真の父である神様を捨て、偽りの父である悪魔サタンと一つになったのです。このようにして、最初の男性と女性はサタンの息子、娘となってしまいました。
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 本来、サタンとはどのような存在ですか。悪魔という存在がどのような存在かというと、神様の僕です。しかし、この僕が主人の娘を強奪したのです。これが堕落です。聖書に出てくるその堕落とは何かというと、エバが善悪の実を取って食べたことが堕落だというのですが、善悪の実は果物ではありません。僕が主人の娘を強奪したことです。将来、代を継ぐ息子と娘を生んで育て、神様の理想を成し遂げようとしたのですが、僕としてつくられた天使長という輩が、主人の娘を強奪したのです。それが人類の堕落の起源になりました。天地がそのようになったのです。このように複雑に絡んだ内容は、皆さんが「原理」を聞けば大概分かるはずです。
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 聖書を見ると、善悪の実を取って食べて堕落したとあるのですが、下部を覆ったということはどういうことですか。既成教会において聖書をもう少し知性的に解析しようとする思いさえあれば、すぐに堕落の起源が分かるのです。なぜ下部が恥ずかしいのですか。口を覆い、手を覆わなければならないはずなのに、なぜ下部を覆ったのですか。下部だからといって科(とが)になるのではありません。しかし、下部で堕落することによって、そこが天の愛を蹂躙した恥ずかしい宮殿となったのです。真の愛の泉がわいてこなければならなかったのに、悪魔の愛を中心とした偽りの愛の泉が噴き出てきたというのです。ですから、これが愛の基台の中で、最も悪い愛の基台になったのです。
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 アダムを追い出す時、息子、娘を生んだのちに追い出したのでしょうか、生む前に追い出したのでしょうか。見ることはできませんでしたが、息子、娘を連れていれば追い出すことができますか。涙をもっとたくさん見なければならないのです。「おばあさん、おじいさん、なぜこのように追い出すのですか」と、しがみついて痛哭するはずです。四人が両手両足にしがみついて大騒ぎすれば、それをすべて包丁で切って追い出してしまわなければならないのではありませんか。罪を犯したアダムとエバは分かりませんが、罪を犯していないアダムとエバの息子、娘はそれを見抜くのです。それを知っている神様は、息子、娘を生む前に追い出したのです。
 彼らは、追い出されたのちに任意で結婚して子供を生んだのでしょうか、神様が追い出される時、「あなた方は出ていって結婚し、息子、娘を生みなさい」と訓示して送り出したのでしょうか、それとも、そのような話はせずに追い出してしまったのでしょうか。答えてみてください。いずれにせよ、彼らは追い出されたのちに息子、娘を生んだのではないですか。
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 終わりの日になれば、再びそれを編成して神様の恨を解き、天倫の恨を解くと同時に、人類の恨を解かなければなりません。このようになるのですが、これを知らないで「善悪の実を取って食べてどうで」と…‥。ここで言っている人の言葉が間違っていると思うならば、首をくくって四十日間祈祷してみなさい。そうすれば、統一教会の文先生がうそを言ったかどうかが分かるはずです。皆さんは、正常な血統を受けて生まれたのではありません。ですから、独身生活を強調してきたのです。子女を繁殖しては困るのです。
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 神様は淫乱を憎悪します。なぜでしょうか。人間が不法な愛によって天地をひっくり返してしまったからです。この悪の血はどうすることもできません。ですから、修養の世界では独身生活を主張するのです。もし男性が神霊的祈祷の境地に入っていけば、必ず女性が現れて試験をします。必ずこのようなことが起こります。修養の道を妨げるのです。なぜそのようになっているのでしょうか。不法な愛によって歴史が結ばれたからです。善悪の実を取って食べて堕落したという教理をもって、二〇〇〇年まで残ったということはすごいことです。
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 アダムとエバが堕落していなければ、神様を中心としたアダムの直系の初孫が生まれていたはずです。アダムは初孫であり、真の父であり、王です。地上の国と天上世界の王です。また、真の父母であり、真の長子です。それゆえに、アダム家庭は天国の王室です。
 それでは、アダム家庭のおじいさんは誰ですか。神様がおじいさんです。それから、お父さんとお母さんはアダムとエバです。そして、過去の立場を身代わりした観点から見ると、おじいさんとおばあさんは神様の代身であり、また神様は父母の代身です。縦的に見ると、神様が一代圏、二代圏、三代圏を中心として家庭に着陸がなされるのですが、一代圏が横的に展開したのがおじいさんであり、二代圏がお父さんであり、三代圏が私です。それで、息子、娘を中心として、万世一系の皇室の代を継ぐのです。
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 なぜ神様がアダムとエバを造られたのか分かりますか。神様も、父母の立場で息子、娘を愛する愛を一度もちたいと思われたのです。それから、アダムとエバと共に、新郎と新婦が愛し合っている愛を一度体験してみたいと思われたのです。おじいさんの愛、それから国を愛することを一度してみたいと思われたのであり、すべてもちたいと思われたのです。すべてもちたいと思われたものを私たち人間世界に伝授され、それを受け継いだのが皆さんの一族であり、皆さんの民族であり、皆さんの国であり、この世界であり、この地であり、あの世の霊界であるということを知らなければなりません。
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 堕落せずに完成の位置まで行っていれば、アダムとエバは個人完成だけではなく、宇宙史的な完成をしていたはずです。また、神様の愛を中心とした新しい家庭が出発していたはずです。このようにして、家庭から氏族、民族、国家、世界ができていれば、神様に侍る一つの大家族社会となっていたはずです。このような大家族社会の中心は、神様とアダムです。そして、その世界においては、神様を中心としたアダム家庭の生活や一生の路程が歴史的伝統として残されます。その生活様式、風習、慣習、そして生活的な背景が歴史的伝統になるのです。それは、神様の愛によって絡み合った伝統とならざるを得ません。
 神様の愛は生命の根源であり、すべての理想の源泉なので、その懐を離れようとしても離れることができず、離れたとしても再び戻ってくるしかありません。アダムとエバの堕落はアダムとエバだけの堕落ではなく、全般的な人類歴史を総合した立場における堕落です。言い換えれば、アダムとエバが堕落したということは、善の父母になることができずに悪の父母になったということを意味します。悪の父母によって悪の子女が生まれたのであり、悪の子女が生まれることによって悪の氏族、悪の国家、悪の世界が形成され、この世界圏内で五十億人類が存続しているのです。このような堕落圏内にいる今日の人類歴史は、喜びの歴史ではなく悲しみの歴史であり、人類も、喜びの人類ではなく悲しみの人類であるということに間違いありません。
 このような話を、お金を払って聞くことができますか。自分の家を売り、財産を売って、千年、万年、祭祀を捧げても教えてくれる人はいません。統一教会の文先生以外にはいません。これは宇宙の秘密です。聖書にもこのような内容はないでしょう? 聖書では、「善悪の実を取って食べて堕落した」と言っています。善悪の実とは何かの果実ですか。そのような幼稚園児にも及ばない実力をもって博士学位を検証し、博士学位の総会長になった文総裁を「異端である」と言うことができますか。「異端」という言葉は、端が異なっているということではなく、端が見えないという意味です。私の言っていることは正しいですか、正しくないですか。正しいのです。
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 この世においても、自分の罪の実相を知っている人がいない場合は、罪を犯した者でも、どこに行っても罪を犯していない人として堂々と振る舞うことができるのです。しかし、とても幼い少年がその人の「罪を犯した現場を見た」と指摘するようになれば、その犯罪者はそこで屈服するのです。したがって、悪魔サタンを屈服させようとすれば、サタンの正体を暴き、罪状を暴露し、天上と地上において追放運動をすれば良いのです。
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 神様は永遠の公法の主人公であられるので、神様の前にサタンを引っ張ってきて讒訴しなければなりません。サタンを告訴しなければならないのです。サタンが弁護するのを見て、検事の立場で論告し、どうすることもできないように厳しく締め上げてしまわなければなりません。そのようにして、堕落した天使長ではなく、堕落していない天使長たちが「正しい! やはり正しい! 正しい!」と言わなければなりません。






















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