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南北統一と世界平和への道
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第一章 文鮮明師の北朝鮮訪問

  ―現代のヤコブとエサウの歴史的な出会い―

文鮮明師北朝鮮訪問の摂理的意義
        韓国「世界日報」社社長 朴普煕


 メシヤの使命

 このたび、私は文鮮明先生ご夫妻のお供をしまして、北朝鮮に行ってきました。北朝鮮に入ってから帰ってくるまでの八日間というものは、私の生涯において考えることもできない光栄なる時間でした。私は北朝鮮からではなく、月世界のようなとても遠い所から帰還したような気がしています。そこにおいて、文先生ご夫妻は、完全なる真の愛を見事に示してくださいました。

 聖書の中にはいろいろな人物が出てきます。アダムからイエス様に至るまで、摂理的中心人物としての役割を果たした人々がみな現れます。ところがよくよく勉強してみると、この聖書は神の摂理のエキスでありながら、成功した例よりも失敗した例のほうが多いということを学ぶのです。

 再臨の時が来るまでに、神の摂理を完全に成し遂げた人物はヤコブでした。アベルの立場にいるヤコブが、カインの立場にいるエサウを自然屈伏させたのです。ヤコブの勝利は、神が本当に満足され、喜びに光り輝いた一時でありました。ヤコブは神の期待に完全に応え、そこから神の選民としての歴史が始まり、イスラエルという国が興ったのです。ところが、神の復帰摂理歴史において、ヤコブの後にも先にも勝利した人物はいませんでした。だから神は人類始祖アダムとエバの堕落以後現在に至るまで、常に悲しみに打ちひしがれてこられたのです。

 メシヤの使命は真の父母としての使命を完成することであり、そうすることによって神様の復帰摂理歴史が完成します。六〇〇〇年という歴史は聖書的な時間ですが、その六〇〇〇年という復帰摂理歴史において、私たちは最終点である再臨の時に生まれ、真のご父母様に侍る光栄に浴しています。


 現代のヤコブとエサウ

 聖書の『創世記』を見ると、ヤコブはエサウに会ってこう言いました。

 「どうか、わたしの手から贈り物を受けてください。あなたが喜んで私を迎えてくださるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います」(創世記三三章10節)。

 このたび、文先生は天宙的ヤコブとして北朝鮮に行かれ、天宙的エサウとしての金日成主席を抱き締めて、「あなたは私よりも七歳年が多い方です。だから私の兄の立場です」とおっしゃいました。すると金日成主席は、「あなたと私は兄と弟という仲になって、これから親しくやっていきましょう」と言われたのです。ヤコブがエサウを自然屈伏させたのと同じように、真の父母と偽りの父母が完全に兄弟として抱き合ったのです。この時、神様はヤコブの時以来、初めて善き一日を迎えることができたのです。

 金日成主席は国民が父と呼ぶ唯一の世界的リーダーであり、偽りの父、偽りのアダムとして全ヘレニズム的思想、全サタン勢力、全共産主義勢力の代表となる人物です。

 金主席は、知られているだけでも三回は文先生を殺害しようと企てました。まず平壌で共産党政府が文先生を拷問して、死の寸前にまで至らしめたことがありました。金元弼先生が道端で倒れている文先生を発見し、お墓の準備までしたほどでしたが、文先生は奇跡的に息を吹き返されたのでした。二回目は、興南の刑務所の中でした。三回目はつい最近の一九八七年で、金主席は、日本人の率いる赤軍派をアメリカに送り込み、ボストンのモーニング・ガーデンを爆破しようとしたのです。しかし寸前のところでFBIが彼らを発見し、逮捕したのでした。このようなことがあったにもかかわらず、文先生は「あなたを許しましょう。私はあなたを本当に兄のように愛しています。あなたと私は一つなのです」と言われたのです。

 写真を見れば、文先生と金主席はあたかも数十年間も離れていた兄弟であるかのように、お互いを見つめ合っているのが分かるでしょう。これこそ真の愛の具現であり、神の復帰摂理歴史が成就した瞬間でもあるのです。

 私はここに、このたびの北朝鮮訪問の意義を置くのです。この摂理の完成のためにはいかなる犠牲を払っても、まだ足りないと思うのです。私たちがどんなに苦労したとしても、この最後の天宙的な復帰摂理が成就するまで歩み切らなければなりません。


 最高の歓迎を受けて

 さて、もう少し例を挙げながら摂理的に説明してみましょう。

 まず、文先生が受け取られた北朝鮮からの招聘状には二つの特別な意味がありました。一つは、文先生を統一教会の教祖として招聘したということです。今まで文先生はいろいろな国で多くの招聘を受けられましたが、彼らは自由世界でありながら文先生を統一教会の教祖としては受け入れませんでした。二つ目は、この招聘状には副首相の名前でサインがしてありました。北朝鮮の最高機関の最高部の者が文鮮明先生ご夫妻を招聘した責任者であるということ、これもまた意義深いことです。

 そして北朝鮮での文鮮明先生ご夫妻の歓迎、接待というものは、今までの世界のどんな国でもなかった丁重なる最高の国賓としての、または国家元首に並ぶ歓迎でした。これは本当に歴史的です。それがアメリカでもなく、日本でもなく、韓国でもなく、最後の敵国だと思っていた北朝鮮の共産国家が、文先生をこういうふうに歓迎したのです。

 文先生の宿舎として選ばれた場所も牡丹峰迎賓館といって、北朝鮮で最も大きな迎賓館でした。文先生のご一行を接待するために、北朝鮮は一五〇名という人材を動員しました。そして、文先生の食事やら運転やら警備、その他様々な仕事に携わりました。

 一言で言うと、二五〇〇万人の北朝鮮の同胞たちすべてが、金主席を中心として文先生ご夫妻を歓迎したということです。金主席は、『創世記』に出てくるエサウとは違う、もっと現代的なエサウだということです。二十世紀を完成する天宙的なエサウである金主席は、文先生ご夫妻のために最大のことをして侍ったのです。

 文先生ご一行が北京をお発ちになったのは、一九九一年十一月三十日の午後でした。一般の飛行機でお発ちになったのではなくて、北朝鮮が文先生ご一行のために特別機を準備したのです。今までどこの国の政府も、特別機を送って文先生ご夫妻を迎えたことはありませんでした。

 平壌の飛行場に着くと、特別機をお迎えするために、北朝鮮の金達玄副首相と尹基福朝鮮海外同胞援護委員会委員長(祖国平和統一委員会副委員長)が政府の代表として、またいろいろな歓迎の方たちが来られていました。その平壌の地に、四十一年ぶりにお立ちになる文先生でした。その感激、感動というものはいかなるものであったでしょうか。

 もっと涙ぐましいことは、文先生の親族、氏族の皆様が飛行場にまで来られていたということです。文先生が故郷をお発ちになったのは四十八年前ですから、それはとても長い年月です。


 真実を語るために

 文先生ご夫妻は、その夕方には尹委員長、金副首相が主催する歓迎晩餐会に出席されました。そこで尹委員長の歓迎の辞が述べられ、続いて歓迎の辞に応える文先生の答弁がありました。その中で、文先生は「韓半島の分断は他の意思によって生じたものです。その恨みに終止符を打つために私は平壌に来ました。私たち皆が統一のために心を合わせて努力しましょう」と述べられました。そこで文先生は、「神様」という言葉を使われたのです。そしてその内容が、北朝鮮の唯一の新聞である「労働新聞」にそのまま掲載されました。

 驚くべきことは、四十六年間の「労働新聞」の歴史において、「神様」という言葉が現れたのは初めてだということです。そして二五〇〇万の北朝鮮の同胞が初めて「労働新聞」を通じて「神様」という言葉を読んだということは、偉大なる功績ではないでしょうか。

 翌十二月一日は、万寿台国会議事堂特別室で、尹委員長を中心とした北朝鮮側と文先生ご一行との会談が行われました。これは会談というよりも、北朝鮮の事情を知らせるためのブリーフィングであり、北朝鮮が誇る主体思想の紹介でした。彼らは、主体思想を受け入れるようにと、文先生を説得しようとしました。尹委員長は大演説家であり、主体思想について朗々と三十分間語り、これこそ世界を救うことのできる思想であると述べたのです。彼らは質問がいくつか出ることを期待していました。

 しかし文先生は、そばに座っている私に「私がアメリカで過去二十五年間になしてきた業績について報告しなさい」と言われたのです。私は机をたたきながらも丁重に語りました。そして率直に神主義、頭翼思想、真の愛について、特に国際ハイウェイ・プロジェクトでソウル――平壌間の高速道路建設計画、金剛山観光特別区開発計画があることなど、私たちの活動のすべてを説明しました。彼らはそこでそういうことを聞かされるとは思いもよらなかったので、とても驚いていました。彼らは礼儀正しく拍手を送り、尹委員長は「愛国、愛族、愛民の文先生の活動、思想を見ると、金主席の活動と思想に似たものがあります」と高く評価しました。そして私はそれで終わりだと思っていました。

 ところが突然、文先生が立ち上がられたのです。北朝鮮の役人たちは、「お立ちにならないでください。どうかお座りください」と困惑した様子で言いました。文先生は、「水を一杯欲しい」と言われ、水を飲まれるや否や、統一教会会員に語られるのと全く同じような調子で説教を始められたのです。尹委員長をはじめ三十名の幹部たちを前にして、文先生は投獄された内容を基盤にして、神中心の哲学を説かれました。一時間以上お話しされましたから、大体全部の思想を証されたことになります。尹委員長を中心とした北朝鮮の先生たちは国Rとしていました。顔が真っ青になりました。しかし、圧倒的な文先生のお姿に対して、何も言うことができませんでした。

 そして最後に文先生は、「主体思想は、神が存在しないので間違っている。だから、統一国家のイデオロギーとはなり得ない。中心イデオロギーは神主義と頭翼思想です」と言われ、彼らが神聖なる思想として述べた主体思想に対しての批判も与えられたのです。私は「無事、韓国に帰れるのだろうか。いや、これでおしまいだ。明日にはおそらく監獄行きだ」と思いました。

 しかし、文先生は後で私にこうおっしゃいました。「私がここに来たのは歓迎を受けるためではない。真実を述べに来たのだ。たとえ金日成主席に会えなくても、私は真実を語って帰らなければ神様が許さない」と。


 大人物と大人物が認め合う

 金日成主席との会談なくしては、今回の文先生の北朝鮮訪問は無意味なものになってしまうことを、私はよく知っていました。ですから、私は内的にはもう瀕死の状態でした。ところが、金主席は、政府役人たちが文先生には会わないようにとどんなに説得しても、ただ一笑に付すだけで「何と面白い人物であろう。この男にますます会いたくなってきた」と言ったのです。

 このようにして大人物が大人物の存在を認めたのです。文先生は金主席を知り、金主席は文先生を知ったのです。それで役人らのつまらない申し出は却下されました。金主席は大変誇らし気に、文先生に「私がご招待しましょう」と言ったのです。言葉を換えて言うならば、「政府役人たちは、あなたをとても恐れて会いたくないと思っています。でも、私はあなたにお越しいただきたいのです」ということなのです。

 十二月五日に文先生ご一行は、北朝鮮が準備した二台のヘリコプターで文先生の故郷である定州を訪問されました。そして帰った時、平壌の飛行場には、別の飛行機が待っていました。文先生ご一行を乗り換えさせて、尹委員長と金副首相がお供して、そのまま離陸しました。私たちにもどこへ行くとも言ってくれませんでした。飛行機に乗って初めて、「金主席とお会いするために、今から興南に行きます」と教えてくれました。

 そのとたん、私は「あっ」というほど驚きました。興南というと、文先生が北朝鮮共産党の指令によって拘束され、三年近くの間過ごされた強制収容所のあった所です。そこで金主席が文先生ご夫妻を歓迎するということは、考えることができないほど感激的な巡り合わせでした。

 それがいかにあっぱれだったかということは、副首相の言葉で知ることができました。彼はこう言いました。「私は神を信じたことはありませんが、神様がいないということは言えませんね。なぜならば、計画しようとしてもこういうふうになりません。それなのに計画したのでもないのに、わが主席は、文鮮明総裁に興南の地におきましてお会いするということです。これは神様の業でございます」と。

 こういうことを聞く時に、いかにその巡り会いが偶然ではなく、神の摂理であったかということを、つくづくと感じることができました。文先生を興南に招待したのは、ある意味では「象徴的に過去の過ちを陳謝したのであった」と、歴史に記録されることでしょう。


 金主席との歴史的会談

 十二月六日。私たちは北朝鮮訪問の七日目に、いよいよ金主席との会談のために出かけました。その途中に興南市を貫いて行ったのです。その時に、私の右手に大きな工場がありました。そこには「興南肥料製造工場」と書いてありました。私はそのとたん、心臓が止まるような感じがしました。ここが正に、文先生が四十年以上も前に人類の救いのため、文字どおり僕の僕となって、過酷な強制労働に耐えながら囚人たちに真の愛を示された場所なのです。その前を通って、咸興にある金主席の公館に着きました。

 この金主席と文先生の単独会談がいかに歴史的な会談であるかは、最初にお伝えしました。これはただ儀礼的に金主席が文先生に会うというのではなく、本当に文先生をお迎えするために、六日間準備をして、最後に、金主席は自分の館に文先生をお招きしたのです。

 会議室では単独会談が約二時間半にわたって行われました。ここで金主席は歓迎の辞を述べ、次に文先生が話されました。驚くべきことは、文先生が金主席に対して、それは素晴らしく、かつ丁重に振る舞われたことです。金主席は終始幸福そうでした。国を愛し、神を愛する文先生の姿勢に対して、金主席は敬意を表するばかりでなく、三回にわたって拍手をしました。その後、金主席は「文師が悪い人物だとはどういうことか。彼は私の友人だ。なぜ私に虚偽の報告をしたのか」と、部下たちをひどく叱ったのでした。

 後日、金副首相は、文先生に「私は、心からあなたを尊敬いたします。金主席との会談で、私はあなたの別の側面を拝見しました。あなたにお会いしてから、私は神がいないと言えなくなりました」と、感想を述べていました。


 友人から兄弟へ

 その後、午餐会でもお二人は仲良く語られ、全く兄弟のようでした。そして釣りの話、ハンティングの話も出ました。文先生が金主席に「アラスカで一緒に釣りをしましょう」とお誘いになると、金主席も「北朝鮮にもいい所があります。また夏にいらっしゃって、一緒に釣りをしましょう。冬がよかったら、白頭山でハンティングをしましょう」と返事をしました。

 この午餐会の後、文先生と金主席は手をつなぎながら、一〇〇ヤードもある長い廊下を歩いて行きました。二人はもはや友人ではなく、兄弟でした。この時のお写真を見ますと、文先生が金主席の手をしっかりと握っておられるのを見ることができます。文先生はしっかりと金主席を抱き締められました。

 文先生は次のように語られています。「今回の北朝鮮訪問は、私にとっても四十年ぶりに故郷を訪れることのできた歴史的機会でした。私ほど、北朝鮮に悪意を抱くことのできる理由を持っている人はいないでしょう。私は宗教指導者であり、また断固とした反共主義者であるという理由により、激しい迫害を受けました。私はひどい拷問を受け、三年近くも強制収容所にいました。私はそこで、何の理由もなく収監されていた人々が、数多く息絶えていくのを目撃しました。私が今生きているという事実は奇跡であり、神の特別の祝福と保護の結果であるとしか言いようがありません。本当に愛され得ない人々を愛するのが、真の愛の本質です。私は敵の館に入っていくのではなく、故郷に戻り、兄の家を訪ねているのです。私は北朝鮮に『許せ、愛せ、団結せよ』という、私をいつも支えてきた原理を携えて行ってきました」と。


 神の代理者として

 文先生は、重要な二つの文書にサインされました。一つは北朝鮮政府との共同声明であり、もう一つは経済に関する共同契約です。この共同声明は大統領の行うべき行為です。韓国政府は、「文師は私人として北朝鮮に入ったはずなのに、大統領がすべき協定を結んできた」と非難しています。しかし、神の言われることが最も重要なのです。神はこう言われるでしょう。

 「あなたは私の息子、私の代理者です。北朝鮮に行って、そこの人々と交流し、彼らの心を開き、神を証し、彼らの心の苦痛を取り除きなさい。そして南北格差の問題を解決し、共同声明に署名しなさい」と。
 この共同声明によって、父なる祖国の統一に向けて、正に第一歩が踏み出されました。これはとても重要な声明なのです。北朝鮮側からも十か条の取り決めが成されていましたが、この共同声明のポイントもまた十項目あります。

 その後、南北政府は会談を行いました。ゴルバチョフ大統領に韓国の盧泰愚大統領に会うよう勧めたのは文先生であり、同じように盧泰愚大統領に会うよう金日成主席に勧めたのも文先生です。韓国政府は文先生に感謝すべきです。文先生は、韓国政府の目的とするところを成就できるように、その土台を据えることができたのです。

 第一段階として、両政府は一九九二年内に離散家族が会い、手紙を交換できる場所を設定することを取り決めました。文先生は金日成主席に激烈に訴えられました。「私は家族に会えましたが、他の離散家族も皆お互いに会えるようにせずして、どうして私だけ韓国に帰れましょうか」と。すると金主席は「文師よ、私はあなたの声明と情熱に感動しました。ですから、すぐにそれを実行いたしましょう」と答えたのです。


 同胞愛を感じつつ

 最後の日、平壌の飛行場には、親族の方たちが皆来られて、見送りをしてくださいました。そして尹委員長と金副首相が、その他様々な方々と共にお別れを告げに来ました。八日目に平壌を出たのですが、その八日の間に、もはや私たちは一緒になって暮らした北朝鮮の同胞のいろいろな顔が懐かしくなって、本当に別れるのがつらく、深い愛を感じることができました。

 先のゴルバチョフ大統領との会談が象徴的なヤコブとエサウの出会いであるならば、このたびの金主席との出会いは、本当のヤコブとエサウの出会い、天宙的な出会いだと言えます。ここで神様の摂理が完成されたのです。メシヤの使命が完成されたのです。真のご父母様の使命が果たされたのです。そして文先生は、世界女性連合指導者大会において「再臨のメシヤ」であることを公に宣言されたのです。

 この真のご父母様の勝利の土台の上に、私たちはこれから世界天宙復帰の勝利を引き継がなければなりません。前途には勝利しかないということを皆様にお話ししておきたいと思います。
        
 (朴氏来日の際に語られた内容と米国月刊誌『Today's World』より)



















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