E-listBBSSearchRankingMusicHall-HornGo to Top
南北統一と世界平和への道
(全面表示) 戻る

文鮮明師一行の定州訪問のご様子

                  韓国「世界日報」社社長 朴普煕


 四十余年ぶりの帰郷

 十一月三十日、北朝鮮差し回しの特別機で、文鮮明先生ご一行が平壌の順安飛行場に到着されると、そこには、北朝鮮政府高官らと文先生の六人の肉親の方々がお迎えのために来ておられました。文先生が見てすぐに分かる顔は、お姉さんの文ホスンさん(七三)、妹さんの文ホソンさん(六四)、そして兄嫁さんの池チスクさん(六九)でした。そこで文先生とご家族の方々は、四十数年ぶりの再会をされたのです。その感激的な出会いは表現のできないものでした。

 文先生はお姉さんを抱き締め、みな言葉を詰まらせ、込み上げる涙を抑えながら再会を喜び合ったのです。その後、お姉さんは息子さんやお孫さんを紹介しました。続いて、文先生もご夫人を紹介するなど家族ぐるみの対面となりました。もしそこで文先生が少しでも涙を流されたならば、飛行場は慟哭で覆われたことでしょう。文先生はその感情を抑えて、泣いて泣いて本当に懐かしがるお姉さん、妹さん、兄嫁さんをなだめられたのです。

 文先生の親族のある人は戦争中に他界されたり病死されていましたが、一人も当局によって迫害を受けたり、死刑を宣告された人はいませんでした。文先生は金日成主席の寛大な配慮に敬意を表されたのです。


 迎賓館接見室にて姉妹たちと対面

 その後、文先生ご一行は飛行場から宿泊所の牡丹峰迎賓館に移られ、二階の接見室で約一時間姉妹たちとの対面をされました。姉妹たちは、涙を流しながら「きょうがちょうど亡くなった母の誕生日です。その日に合わせて故郷に戻ってきたことが本当にうれしい」と、声を詰まらせられました。

 文先生のたった一人のお兄さんは現在すでに他界されていますが、弟の文先生を大変愛しておられました。お兄さんは弟が特別の啓示を受け、特別の使命があることを悟っておられたので、自分の妻に弟の面倒をよく見るようにと指示していたのです。それでお義姉さんは本当に文先生の世話をよくしてくださったのです。

 再会した時には、お義姉さんは涙で泣き崩れそうでした。しかし、文先生は「泣かないでください。私は泣くために来たのではありません。神の使命を遂行するために来たのです。私たちは成すべき重要なことがあるのです」と言われ、決して涙を見せられませんでした。


 ヘリコプターで定州ご訪問

 いよいよ十二月五日、文先生ご一行は平安北道定州のご訪問を実現されたのです。文先生の故郷は、典型的な朝鮮の農村でした。そしてその還故郷は非常に劇的なものでした。長距離の自動車移動は高齢の文先生に負担をかけるとして、北朝鮮当局は大型ヘリコプター二機を準備しました。「主は雲に乗っていらっしゃる」と聖書にも書かれていますが、このたび、なんと主はヘリコプターに乗って定州に降り立たれたのです。

 村人たちは一体どんな貴賓が見えるのだろうかと、数日前から大騒ぎでした。それというのも、文先生の生家の修理、特設トイレの設置、ご両親のお墓の整備など、慌ただしい準備が続いていたからです。
 文先生を乗せたヘリコプターは、人民学校(小学校)の校庭に降り立ちました。そして文家を継いでいる長孫(長兄の長男)文ジョンヒョンさんの家に向かいました。その家に寄りますと、四十二名の親族、氏族たちが集まっていて、大変な歓迎を受けました。空港で涙の再会をしたお姉さんの文ホスンさん、妹さんの文ホソンさんをはじめ皆が文先生の帰郷を待ち構えていたのです。文先生ご夫妻は、各家族ごとに一緒に写真をお撮りになって、一人ひとりに名前を尋ねられました。また最後には全員で写真をお撮りになりました。

 これまで、韓国政府は南で反共活動などに従事している者の家族は強制収容所へ入れられるなど、悲惨な境遇に置かれていると言ってきました。しかし、親戚には軍人の甥もいれば村長もいたのです。


 聖地となった文先生の生家

 その後、文先生の生家に移動しました。途中、文先生は、文家が所有していた田んぼにお立ちになって、記念写真をお撮りになりました。そして「昔、私は田植えをここでしました。稲刈りもここでしました」とおっしゃっていました。

 文先生が還故郷をなさるために、政府がいかに準備をしたかということはどこにでも見受けられました。雨が降って軟らかくなった土地はみんな石ころを入れて固め、家にはペンキが塗ってありました。そして私が最も感激したのは、文先生がお生まれになった生家がそのまま残っているということでした。今まで敵と思っていた金日成主席の命令で、その家が整えられたのです。

 文先生の生家は築一〇〇年近くたっていますが、韓国の標準から見ると大きい家です。文先生は生まれ育った部屋にお入りになって、そこで本当に意義深いお祈りをされました。文先生が裏門に回られると、「小さい私がスルスルと通り抜けていたのに、今はつかえてしまう」と懐かしそうに皆に説明されました。それから中庭で写真を撮られ、そこで指さしながらいろいろな山の名前を教えてくださいました。十六歳の時に神様から啓示を受けたという山も、指でさされました。この家で永遠なる命が生まれ、この家で真の愛が生まれたのです。

 その次の日に行われた午餐会で、金日成主席は文先生に定州ご訪問の感想を尋ねました。文先生は「どうもありがとうございます。私は故郷に行き、生家を訪ねましたが元のままでした。ペンキがまだ乾いていなかったので、体中ペンキだらけになりました」と語られました。

 すると彼らは大笑いしました。また「昔はとても大きな家だと思っていましたが、今見るととても小さく見えて」ともおっしゃいました。幼い頃のことですから、大きく見えたのでしょう。そして金日成主席は、「それは大切に維持しなくてはなりませんね。あなたの生家を丁重に聖地として保存しましょう」と語ったのです。

 想像できるでしょうか。かつては文先生を殺害しようとまでした無神論の全体主義国家、北朝鮮が、今では文先生の生家を聖地として保存したいと思っているのです。このように北朝鮮の定州にはすでに聖地があるのです。


 ご両親のお墓参り

 文先生は近くにある文先生のご両親のお墓参りに行かれました。朝鮮式の土まんじゅうで、枯れ草に覆われていました。そのお墓も北朝鮮政府によってきれいに整えられ、花もちゃんと準備されていました。文先生ご夫妻は花を供えて、北朝鮮指導者が立っている前で、お祈りを公にされました。そして文先生はお父様、お母様の墓をなでながら、「今、私のしていることをご存じですね」「今ここに帰ってきました」と、帰ってこられたことを報告されたのでした。

 妹さんが「お母様、生前一度でもいいから、どんなにか息子に会いたかったことでしょう。今あなたの息子がここにいます。お母様、目を覚まして息子に会ってください」と泣きながら訴えるのを聞いた時、私は泣かずにはいられませんでした。しかし、文先生は「もうそんなことを言ってはいけない。霊界では私がここに来ているのをみんな知っているのだから」と言って、妹さんをなだめられたのです。ここでも文先生は、一滴の涙も流されませんでした。それは、いまだに一〇〇〇万の離散家族が引き裂かれたまま胸痛い思いをしているからなのです。

 その後、親戚の家にお帰りになり、そこで北朝鮮の幹部たち、近い親戚の方々と一緒に昼食をされました。立派な食べ物が多かったのですが、それを召し上がらずに、「幼い時に、好んで食べたとうもろこしを持ってきてくれたんだね」とおっしゃって、それを一生懸命おあがりになりました。


 文先生のお母様

 文先生のお母様は本当に深く息子を愛しておられました。しかし、文先生は天からの使命のゆえに、お母様を顧みることができなかったのです。それがまたお母様の心を傷つけたのです。文先生が興南の刑務所にいらっしゃった時、お母様は衣服と、当時としては大変貴重で高価な麦こがしを頭に載せて、興南まで三十日の道程を歩いて行ったのでした。もちろん文先生は喜んでお母様をお迎えしましたが、持ってきたものを受け取るとすぐに他の囚人たちに全部分け与えてしまわれるのです。

 お母様は「命懸けで持ってきたのに、どうしてこんな扱いを私にするのだろうか」と、どうしても納得できなかったのです。そして、泣きながらまた帰っていかれるのでした。しかし、二、三か月もするとまた興南にやって来られるのですが、文先生はまた同じようになさるのでした。お母様は、文先生の立場を理解できませんでした。文先生は自分が生きるために興南刑務所にいるのではなく、再臨のメシヤとして、そこにいる人たちに真 の愛を示していかれなければならなかったのです。


 涙のお別れ

 文先生ご一行は親族たちに別れを告げて、自動車でヘリコプターの所に行きました。ヘリコプターに乗ろうとしたら、妹、甥、従兄弟、みんなが文先生ご夫妻に飛びついて泣き始めました。文先生がそこで少しでも涙をお見せになったならば、大変なことになったでしょう。ところが文先生は「今は涙を流す時ではない、喜ぶべき時である。お祝いをする時である」とおっしゃりながら皆をなだめて、そうしてヘリコプターに乗られました。みんなが手を振るのを見ながらそこをお発ちになり、平壌に向かわれました。そして翌日には、金主席との歴史的な会談が行われたのでした。

 こうして文先生の故郷、定州訪問は終わりました。故郷を出られてからすでに四十八年の歳月が流れていたのです。
         (朴氏来日の際に語られた内容と米国月刊誌『Today's World』より)




















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送