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南北統一と世界平和への道
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国際勝共安保決意大会

神のみ旨と韓国
                    1985年12月16日  韓国・ソウル

 文師はこの講演で、神の摂理歴史が集約されている韓半島の統一が世界の思想的、体制的統一の端緒になると語るとともに、怨讐をも愛する真の愛と神からの絶対真理をもってすれば、韓半島の統一は必ず成し遂げられると訴えられました。


 満場の国内外来賓、紳士淑女、および勝共同志の皆様、年中で一番お忙しいときであるにもかかわらず、このように多くの方々が参席してくださったことに対して深く感謝を申し上げます。

 今日、私がこの席を借りて皆様にお伝えしたいメッセージの題目は、神がいないという共産主義に勝利するには、神に対する確信と体験の上において勝利しうるのでありますから、そのような観点においてこの題目を定めたのです。それで「神のみ旨と韓国」という題目にしたのです。それは韓国が神の摂理の焦点になっているということと、今日の世界問題の解決のかぎが韓半島にあるということを明らかにしようということです。


 休戦ラインは善悪の対峙線

 今日の世界情勢を眺めるとき、だれしも失望を感じざるをえません。人類の切なる願いが自由と平和と安定であるにもかかわらず、世界的混乱は日ごとにより悪化し、人類の将来は今や絶望状態に至りました。世界の指導者の絶えざる努力にもかかわらず、世界の問題はより複雑になり、より難しくなりつつあります。

 民主主義も共産主義も、宗教も哲学も、世界の問題の解決において全く無力であることが露呈されてしまいました。それは、神のみ旨が分からないからです。人類歴史は神の摂理歴史ですから、神の摂理のみ旨が分からなくては、今後世界問題の解決が不可能な段階に至ったのです。

 神は分断された韓半島に焦点をおいて世界を摂理しておられます。それゆえに、神のみ旨が分かるためには、韓半島の分断の意義を理解しなくてはなりません。韓半島の休戦ラインは、共産独裁体制と自由民主体制が対立しており、悪側の左翼と善側の右翼が対決しており、唯物論と唯心論、無神論と有神論が衝突している対峙線です。

 今日、世界を思想と体制の面から見たとき、米国とソ連を両極として民主陣営と共産陣営に分かれていることを知ることができます。ゆえに韓半島は世界の縮小型であり、世界は韓半島の拡大型です。ここに神の深奥なる経綸の意義があるのです。それは縮小型である韓半島の統一をまず成し遂げ、同じ方式を拡大型である世界に適用して、世界の思想的、体制的統一を達成しようとする摂理です。

 韓半島の休戦ラインのもう一つの摂理的意義は、旧約時代のヘブライズムの流れを引き継いだキリスト教文明とヘレニズムの流れを継承した共産主義文明が、この休戦ラインで対峙している事実です。

 ヘブライズム文明とヘレニズム文明はローマにおいて、イエスによって統一される予定でした。しかし、イエスの十字架刑によって統一の支点がなくなったために、平行線を描きつつ、ときには一方が優勢に、ときには他方が優勢になりながら、今日に至りました。そして、ヘブライズムの流れはキリスト教文明に連結し、ヘレニズム文明は共産主義文明に引き継がれて、今日休戦ラインを間において対峙しております。

 韓半島においてこの二つの流れの文明が統一されるのが神のみ旨であることを思えば、そういう点でも休戦ラインは摂理的な意義が大きいと言えましよう。

 韓国は、地政学的に四大強国の中にあって不利な点もありますが、摂理の焦点が韓国であるために、韓半島の成功を世界に広めるには、強大国を通じれば速いという点においてむしろ有利な立場にあるのです。
 それでは神は、韓半島の統一をどのように達成しようとされるのでしょうか? それは一人の摂理的中心を立てて、彼を通じて神の愛を実践せしめるように摂理するのです。その愛は、自分の隣人や自分の国のためだけの愛ではありません。国家を超えて全世界までも愛し、ひいては世界的な怨讐までも愛する愛です。怨讐のために祈り、怨讐のために必要であれば命までもささげる愛が神の愛なのです。二〇〇〇年前にメシヤとして来られたイエスが、正にその愛の主人公であったのです。


 分断は摂理的十字架

 イエスは十字架にかけられてまでも、怨讐を愛しました。ここでしばらく、イエスの十字架に関して触れてみます。皆様はイエスとともに二人の強盗が十字架にかけられたことをご存じと思います。

 ところで、ここにも神のみ旨があったのです。右側の強盗はイエスを証して善の側となったのであり、左側の強盗はイエスを誹謗することによって悪の側になったのです。特に右側の強盗は左側の強盗に対してイエスを擁護し、左側の強盗を終わりまでいさめました。このようにして十字架は神とサタンの対決の決戦場にあり、すべての問題の解決の焦
点になりました。

 道であり真理であり命であられるイエスが、十字架にかけられ、その苦痛の中でも怨讐を愛しながら、両側に善と悪をおのおの従えたのには、非常に深い摂理の意義があるのです。

 そこには神の愛を中心とした、和解の原理、統一の原則が含まれているのです。それは、善の側と悪の側の対立をはじめとして、すべての種類の対立、闘争、衝突はもっぱら犠牲的な愛によってのみ和解され統一されうることを見せてくれるのであり、いかなる困難な状況下においても神の愛を実践することができればこそ、罪人を悔い改めさせうることを見せてくれるのです。

 そしてまた十字架を中心とした左右の強盗は、遠い歴史的終末点において、現実的な善悪の対立として結実する種子の立場でもあることを理解しなければなりません。善の側の右翼と悪の側の左翼という名称が今世に現れたのも、イエスの十字架に起因するのです。 今日の善の側の自由陣営と悪の側の共産陣営の出現を、すでに二〇〇〇年前に十字架を中心として見せてくださったのであり、のみならずこの左右の強盗の対立は、その後の数多くの対立、闘争の原型ともなったのです。今日の左翼と右翼という名前の歴史的起源は、実に十字架の左右の側の強盗にあったのです。

 ところで特に右側の強盗は、命を懸けて左側の強盗に対抗しながらイエスを証し、そのために死んで復活し楽園に行きました。同じく今日右側の強盗と同じ立場の右翼の代表である米国が、左側の強盗に該当するソ連に対して、最後まで強力な態度を堅持していったならば、ついに神の公認を受けて地上天国に入ることができることを見せているのです。

 ところで十字架上の善の側と悪の側の対立として象徴される、現実のすべての対立と闘争の状況は、韓半島の現在の休戦ラインがそのまま集約的に表しております。ゆえに南北が分断された休戦ラインは、世界の分断の摂理的な代贖のための民族的十字架なのです。ここで韓国は十字架のイエスに該当し、再臨の基地でもあります。神はなにゆえこのような摂理をなさるのでしょうか? 神がこの民族に十字架を負わせたのは、この民族を召命するためです。長い間、天を崇拝し道義精神と平和精神をもって長い試練に打ち勝った受難の民族であり、善の民族であるために、召命されるに至ったのです。


 すべての難問を解く絶対真理

 そして終末に、人類を救うための摂理史的な祭物になったのです。数千年間、苦難の歴史を越えてきた韓国は、最後に人類救済の祭物になって、分断という世界史的な十字架を負って、あらゆる試練に打ち勝っております。祭物として召命された民族であるために、摂理の焦点が韓国におかれているのです。

 これは韓民族として栄光の恩寵であると同時に、最も恐ろしい重荷であることを理解しなければなりません。祭物である民族としての責任を果たすとき、最も栄光ある祝福を受けるようになりますが、責任分担を果たせないとき、最も過酷な不幸に襲われるからです。

 二〇〇〇年前のユダヤ民族は責任分担を果たせなくて、歴史を通じて大きな不運にさらされてきたことを私たちは知っております。民族に担わされた摂理史的な祭物の使命を果たすためには、愛の実践と同時に神の真理を知らなければなりません。イエスは愛を中心とした実体としてのご自身を、道であり真理であり命であると言いました。イエスは愛と真理の実体として十字架にかけられたのです。これは善の側と悪の側を和解させ怨讐を悔い改めさせるのに、愛とともに真理が必要であることを意味しているのです。

 真理とは、世俗的な真理でなく神の愛のみ言をいいます。神の真理は一定の摂理的人物を通じて、啓示として、地上に伝達されるのです。神の真理は絶対真理です。絶対真理は万能のかぎと同じであって、この真理を適用するとき、いかなる難問題も解けるようになります。

 私は以前から長い間の祈りと瞑想の生活を通じて、ついに実在する神に出会い、この絶対真理を受けてきました。それは全宇宙と人生と歴史の背後に隠されたすべての秘密を明らかにした、驚くべき内容でした。


 共産主義の悪を諭し包容する

 この内容を社会に適用すれば社会的問題が解かれ、これを世界に適用すれば世界的問題が解かれるのでした。のみならず、宗教や哲学の未解決の問題も解かれるのです。特にこれを共産主義理論の批判に適用したとき、共産主義のすべての虚構が白日のもとにさらされると同時に、共産主義に対する代案も立てられるのでした。

 これはいまだかつてなかった新しい人生観であり、新しい世界観であり、新しい宇宙観、新しい摂理観であり、新しい歴史観です。これはまた、すべての宗教教理や哲学の特性を生かしながら全体を一つに包容する統合原理でもあります。私はこの思想を統一思想または神主義と名づけ、世界的に統一運動と勝共運動を展開していますが、この運動は現在、燎原の火のごとく広がっています。

 以上、すべての対立の和解と統一のためには、神の愛の実践と神の真理が必要だということを明らかにしました。

 休戦ラインを境にして善の側と悪の側に分かれた韓民族は、善の側の真理で悪の側の思想の誤りを諭しながら、愛でもって抱いていくならば、統一は必ず成し遂げられるでありましょう。


 国境を超えた世界愛が天理

 ここで私は愛に関して、もっと具体的に説明することにいたします。愛とは相対のために与えることを意味します。愛とは相対があるところに成立します。愛は相対から来ますが、「為に生きる」ところに真の愛が成立します。相対のない愛は存続することができません。

 自己のためにするのでなく、相対のためになすのが愛です。すべての被造物は「為に生きる」よう創造され、ために存在します。人間のみならず、動物、植物、鉱物もために存在します。原子の世界もために存在し、日月星辰の運動もすべてためにする運動です。

 人間の男性は肉身の構造から見て女性のために存在し、女性もまた身体構造から見て男性のために存在します。同様に、父母は子女のために存在し、子女は父母のために存在します。「為に」の原則は学校、職場、国家においても同じです。しかしその「為に生きる愛」は国家の枠内でとどまってはいけません。国民は国境を超えて世界を愛し、さらに進んで世界的怨讐までも愛さなければなりません。

 全宇宙のすべての個体は「為に」存在し運動しております。ゆえにために生きる愛の道理は、天道であり天理なのです。いくら困難の中にあっても愛の道理を実践すれば、宇宙的な力が彼を助けて彼は決して滅びることがなく、いくら快適な中で生活していたとしても、この「為に生きる」道理を守らなければ早晩、衰退するでしょう。逆天者は滅び順天者は存するという言葉は、この天理のことをいうのです。

 民族的十字架を背負った韓民族が、統一の達成がいくら難しいとしても、難しければ難しいほど真理の中心と一つになった中で、天道に逆らうことなく、「為に生きる」生活を、個人で家庭で社会で国家で営み、国際的に拡大していくならば、間違いなく韓半島の統一はもちろん、全世界の救済の道も早められるでしょう。それは韓国に摂理の焦点をおいたみ旨と一致するからです。

 南北統一が早められるばかりでなく、この方式が一つの公式になって、全世界も同じ公式に従えば、この愛と真理の運動の前に、世界のすべての難問題は解決し、初めて人類は長い間の不幸と混乱の悪夢から解放され、ここに永遠の幸福と平和が訪れてくるでしょう。

 歴史を通じてだまされてきた祖国は、神に頼る以外に方法がありません。それで私と統一教会と勝共の同志たちは、これまで、外国の地で世界的な勝利基盤の造成に全力をささげてきたのであり、その固められた勝利の基盤を韓国に連結させて、韓国をして世界に跳躍しうる契機とさせることを願って、このたびこの国に帰ってまいりました。

 特に韓国の勝共の皆様、世界の勝共運動の先頭に立ってくださるようにお願いします。どうか連結された国際的基盤を強固にし、大韓民国とともに世界の手本となってくださることを祈ってやみません。

 終わりに、皆様の家庭と私たちの祖国と世界に神の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。























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