本 郷
真の愛による交差祝福と国境撤廃
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聖酒式前の御言
日時:1988年10月29日 場所:一和龍仁研修院

 この御言は、一九八八年十月二十九日夜より、翌日の未明にかけて、一和龍仁研修院で、「国際祝福」を中心とした六五〇〇双に対して、日本語で語られたものです。


我々の使命

 韓国の男性と韓国の女性、日本の男性と日本の女性が共に座っているときの気持ちはどうですか?

 今までの両国間の立場というものは、日本人にとっては、韓国人は一番嫌いだった。また、韓国人にとって日本人は一番嫌いだった。長い歴史を通して怨讐のように考えてきました。いかにその壁を崩してしまうかということが問題である。人間の力、人間の方法、手段ではできません。また、堕落世界の心情圏では絶対不可能である。その不可能なことが、今この地上に可能になりつつある。それは神様によってです。神様は万物の創造主である。だから創造主につなぐ、真の心情圏の力によって、こういう現象が起こってきたというのです。それは何よりも偉大なことである。

 君たちがこのように集まったこと自体、今世界から見た場合には、最頂点に立っている。最高の所に立っているということを忘れてはならない。だから、君たちの行動というものは、天から見たときに、一番注目の的であるというのです。サタン世界は、この絶頂に立っている者たちが何とか崩れて、転がり落ちるように願っている。天の方では、何とか一つになってこの絶頂から飛躍する、跳躍することを願っている。

 この二つの境界線を迎えながら、今から君たちの生涯の運命がどういう方向に決定していくか。この頂点から下がっていくか、跳躍していくか、それが、今からの君たちの使命として、双肩に掛かってくる重大事件です。「だれか一人ぐらい、自分一人ぐらいこういうふうになるのは何でもない。たくさんのカップルのうちで全体に何のかかわりもない」というように思ったら大間違いです。それは一つの水晶玉であって、そこに傷が一点つくというのは、全体の傷になる。一人の傷ではありません。

 今からは、このような怨讐国家間で、み旨を通して共につなぎ合って、今まで築き残した壁を崩さなければならない。それが我々の使命である。いかなる苦難が、いかなる迫害が増し加わっても、何としてもこれを崩壊させなければならないという使命を我々は持っている。もし、君たちがそれをなしえなかった場合には、我々の後孫を通しても、これが果たされるまで続くであろう。長く続けば続くほど、それは二重、三重、それ以上の難しい結果を来すようになる。

 だから、最初の出発が何よりも貴い。そうだろう? 出発が最も貴重なものである。出発を誤った場合には、全体が曲がってしまう。そういうふうに考えて、我々全体を中心として考えた場合には、君たちは一人ではない。きょう十月三十日に式を挙げる全体は、一つの塊である。跳躍して、飛躍して行かなければならない各自の使命を、各自が固めつつそれを進めて行かなければならないということを、決意しなければなりません。分かりました? (「はい」)。全体が一つだ。各自ではない。そういうような重要な時点に立っている。

 君たち、考えてみなさい。霊界から見た場合に、君たちの先祖はどう思っているか?

 韓国の先祖も、日本の先祖も皆霊界に行っている。霊界では、会おうとすればすぐに会える。“あの者は自分にとって恩師だ”と思ったらすぐ会える。見たいと思えばすぐに現れる。思えばそれが果たされるような世界になっている。時間と空間を超えているのです。

 君たちの先祖をずーっと考えてみた場合に、韓国と日本の先祖は今まで恨みが多い。怨讐関係を続けてきた先祖が霊界に行って、どういうような立場にあるかを考えてみなさい。それは悲惨である。そういうような立場は、日本と韓国ばかりではない。国境を境とした両国家は皆、世界いずれの国も同じです。いずれの国家も、国境が問題となる。国境問題を中心としていろいろ争いが起こって来る。

 国境を越えて他の国を犯したり、被害を被らせるようなことを続けていくことによって、両国家の間は、特に悪くならざるをえない。そういう歴史性を持っている。それは、日本と韓国ばかりではない。フランスからドイツを見ても、フランスからイギリスを見ても、皆国境を控えている国々には、過去から現在、未来を通じて複雑な状況を残しながらいくのです。

 もしも神が、何とかしてそういう問題を解決しようとして、「どこから始めるか?」と尋ねた場合に、日本と韓国民族は「ああ! 日本と韓国からは嫌だ!」、そう言うだろう。神が「フランスとイギリスを中心として境目を崩す」と言うと、「フランスとイギリスでそれをするのは良くない! 他の国でやってくれ!」と、いずれの国もそういうふうな考えをする。そう思いませんか?

 結局、どこの国からもそういうような答えが返って来る。そうだとすれば、初めに召命される国々が悪いかというと、絶対そうではありません。それは、天に向けて最初に召命された立場に立っているということを、その人々は知らなかったからです。だから、地上の国々は、自分たちが知らないうちに、天の運勢を逃がしてしまうことがいくらでもある。


み旨の完成

 こういう観点から見た場合に、統一教会は一つの世界的宗教である。天が多くの世界的な祝福を授けるために、どこかの国を立たせて、ある使命を任せたい、そういうふうに召命された場合に、大概の人は分からない。また、準備する国がない。準備する国もなければ、それを好む国もない。準備して、そういうときが来るのを待つ国民もなければ、それを好む国民がないというのです。

 神のみ旨は地上を中心として完成していかなければならない。完成していくには、蘇生、長成、完成と、レベルを上げていかなければならない。それを、地上の者は皆知りません。知らない環境の中に、特別に天から召された預言者とか、先駆者たちが生まれて、「時が来た。国ともども、国民挙げて準備をしなければ国が滅びる。アジアに、世界に危機が来る」といくら言っても、それを理解する者がありません。神のみ旨に対して、はっきりした理論的な内容を、まだ、この地上の人間は分かりません。知る者がいないというのです。元をはっきり決定しない立場から堕落してきたから、その元を探って、それを明かすということは絶対不可能な境地に立っている。

 数多くの預言者、宗教者たちがその境地を、峠を越えよう、越えようと努力してきた。しかし、努力したとしても、それを解決する道を見いだすことができないで、皆、失敗に終わってしまった。失敗に終わったその個人、その国自体が、未来にその道を訪ねて来る人々に対して、一つの教えの材料として用いるような基準で失敗したのではない。かえって警告をなし、これは危険だというような失敗の結末を残して去って行った。世界的に、歴史上、そういうような立場を残して行った。

 だから、決意を囲めて、その峠を越えようとする者には、皆が反対する。「過去もこうだったのに、皆失敗してきた。それなのに、その失敗の道をなぜたどるや?」と。それは、個人が反対するとともに、社会から国ともに、為政者たちは皆迫害を加えて、国を挙げてブレーキをかけて来た。そのように見た場合に、神様のみ旨を果たさなければならない霊界、天と神様はいかに惨めな立場であろう。それを考えなければならない。

 それと同じように、統一教会の今までの発展の路程は、そういう道を訪ねてきた。だれ一人も歓迎する者がいない。たった一人ぼっち。世界を挙げて「正しい」と主張しても、聞こうともしない。振り向くこともしない。それで済めばいいんだけれど、「これは問題になる、切ってしまわなければならない」と言って除去してしまう。そういうように、天に向かう使命を天から召命された人たちは、その時代の迫害を受けるのが常識的になっている。当然、そういうような迫害を受けるようになっていると思うような世界になってしまった。

 だからと言って、「そういうような思いは捨ててしまえばいいじゃないか、手を着けなければいいじゃないか」と言うのは神のみ旨ではありません。神のみ旨は、神自身を中心として果たすようになっていません。人間とともに果たすようになっている。その人間というのは、今霊界に行っている、神のみ旨を知っているその霊人体ではありません。肉身を持っている地上の我々人間です。堕落圏に覆われている場合は、人間を適してみ旨を果たすことを求めなければならないのが神のみ旨であったというのです。


サタン世界転覆のための闘い

 そう考えてみた場合に、霊界と地上界は反対になっている。必ず反対になっているというのです。サタン世界は、左の世界からずーっと右の世界を全部占領している。「占領しているそれに沿うて行けばいいじゃないか」と言えば大変なことになる。「何で逆の方向を求めて行かなければならないのか。今世界的に、こういうようにいい世界になっている、皆ともどもに青年が個人の目的に向かって、自由世界に向かい合うその様子がいいじゃないか」と言う人があるかもしれない。

 しかし、この世界は堕落した結果の世界だ。堕落して成しえた結果の世界であるということが間違いない結論であるとするならば、それは悪い方に包囲されている。それをいつか引っ繰り返す。引っ繰り返さなければならない。それをだれがやる?

 世界的になっているものを、だれがいっペんに世界的に引っ繰り返すか。間違っているこの世界、天地ともどもの地獄になっているすべてを、いっペんに転覆させなければなりません。そういうことをやれる個人が生まれないと、そういうことを成す家庭が生まれないし、家庭が生まれないと、氏族、民族、国家、世界が生まれるようになっていない。そういうことを考えた場合、だれがそれを転覆させてしまうかという結論になる。「私がやる」という決意をして立つ者があろうとも、それを果たす時間が何年くらいかかるであろうか?

 生涯を通していくらやったとしても、人間の生涯は百年、一世紀以内に消えていくものだから、数百万年の歴史を通して固執するようになった現実の社会を、いっペんに転覆させるようなことは夢みたいな話である。それは不可能なことである。そういうことをやれますか?

 五十億が反対して、数百民族、百六十以上になる国家が反対しても、自分が転覆してしまうんだという決意を固める人間が、果たして歴史上に現れたであろうか? 深刻なものです。間違いなく堕落した結果の世界だとすれば、だれか一人でも、一人から転覆運動を成して、世界の果てまでもかき回して、火をつけるような、転覆させるような圏を造らなければならない。その一人も満たすことのできない歴史過程であるならば、未来の歴史はそのまま暗たんたる結果に終わってしまうであろう。それ以外に道はない。

 だから、左一本の世界、これをサタン圏と言えば、そこにブレーキをかけて、反対にこれを切り抜くということが生まれないと、右の世界は生まれてきません。分かりました? (「はい」)。これを切り抜いて世界の果てまでつなげておかないと、右の世界は生まれてきません。だから、個人から、家庭から、氏族から、民族、国家、世界から天宙まで交差点をつくらなければならない。ここには闘いだ。(しぐさで示される)。交差点において闘いだ。個人の交差点の闘い。家庭の交差点の闘いである。

 そういうような闘いを続けてきたのだから、人類歴史に、一般社会の為政者、国を率いる主権者たちと宗教を信ずる者たちには、闘いが続かざるをえない。だれが優勢な立場に立つかというと、サタンの世界だ。神のこれを横取りしようとする。右圏の世界を築こうとする方向に、死力を尽くして反対し続けているのがサタンの世界である。

 君たちもそうである。君たちも、良心と肉心を中心として交差点をつくっている。良心ばかりの体になっていないのです。良心と肉心が闘っているだろう?

 しかし、今結婚する男と女が違うのである。女、男、皆こういう態度をしてはだめです。それはサタン世界の闘いの現状を維持した立場を現す環境である。男が正しかった場合、女は絶対に主張してはならない。一方きり。神のみ旨を知った以上は、絶対権限を立たせて、否認しても、服従させても、無慈悲な立場をとっても、それを維持していかなければ、個人から家庭、氏族、民族、国家発展の道をたどっていくことはできません。分かりました? (「はい!」)


習慣性の克服

 こう見た場合に、今統一教会は何のために現れたか? 統一するために生まれてきた。すべての悪の世界を横切って、ふさいでしまって、新しい神の善権を中心として、サタンのすべての世界を消化するための運動が統一運動である。統一の運動はジグザグに行かない。垂直に行かなければならない。その周りとか、前後にはサタンの影もない。右の果て、左の暗い果てにはサタンが現れることがあったとしても、正面には、世界統一の理念の方向の向くところには、サタンの姿が現れてはいけない! そういう環境をつくろうとするのが統一教会の使命である。

 君たちが個人で立った場合に、良心と肉心がある。良心が右とすれば、肉心が左となって水平線に立っている。垂直の方向に向けて、水平線になった状態で、いかなるものが東西南北から見ても、間違いなく水平だと認めるような、そういうラインに立って、み旨に向かう自分になっているかということが真剣な問題です。左右、内的外的になっているものが一つの水平線をなして、垂直の方向にならなければならない。なぜ垂直かというと、宇宙には垂直線は一つしかない。だから、水平線において、垂直線に向けて行く、その姿の個人をいかに発見するかという問題です。そうするには、サタンの讒訴するような習慣性や、文化の汚れを残すような自分自身になってはならないというのです。重大問題です。

 そう見た場合、君たちはどういう立場か? 交差するための、一方的な方向を求めていく統一の群れか、それとも、真正面に立って、世界を方向づけて、垂直方向を固める方向に向かう、サタンがいない、神だけが前後で保護してくれながら、御旨の道を果たしていく者であろうかということを考えてみた場合に、それは大変な問題だ。

 君たちの現在の位置はどういうものなのか? 悪なるものか、善なるものか、重大な問題だ。君たち日本からこちらに飛んで来るとき、「あー祝福がある」(と言って喜んだだろう)。祝福はいいことであるが、君たちはその祝福を迎えるにふさわしく、いいことを迎えるにふさわしい、いいものになっているか?

 いい良心、いい肉身、いい過去と、いい現在と、いい未来を保証しうるような善なる立場に立っているか、それを考えてみなければならない。

 それを解決せずしてここに立ったとするならば、自分の将来をともにし、生死を分け合いながら、共にみ旨の道を成就しうるための理想相対として迎えるその夫、妻に対して無礼であり、恥ずかしい。それを隠す何物もないということの悲惨さを、君たち、日ごろ感じているか?

 かえって、こういう祝福の場が恐ろしい。自分以上の、善なる先祖の代表者がこの座で祝福を受けて、氏族全体にその福を分けてくれるような、そういう先祖がいれば呼び降ろして、ここに来て立たせたい思いに満たされる。そうでなければ、これはうそである。それは真剣なものです。

 今君たちの考えはどこに向いているか? 韓国の女の顔を見、韓国の男の額を見たときに、自分の両親、兄弟ともども「ああ、何ということだ」と思うとしたら、それ自体が罪です。それは赦されない、恥ずかしいことである。天の宝座の御前に立たされた自分という位置を考えてみた場合に、そういう態度が成り立つか、受け入れられません。真剣なものです。出発点をはっきり知らなければならない。

 君たち、右の世界を抱擁したいのか、右左ともの世界を抱擁したいのか、どっちだ? 真正面の世界を抱擁したいのか、どちらだ?

 答えは簡単だ。「真正面の世界を抱擁したいのであって、それは、聞く必要がないじゃないですか?」 それは、もっともなことである。しかし、それはたやすいことではありません。

 君たちは習慣性を持っている。日本人はたくあんや刺身、それからお鮨にみそ汁を好む。日本人はどこに行ってもそれを考えます。「あー何が飲みたい、何が食べたい」。もう、アメリカへ行っても、イギリスへ行っても、世界一のりっぱな料理を食べようとするときにも、すぐ箸を持って食べ物をつまみ上げ、「ああ、鮨だったらよかったのに」と言う。二十年、三十年かかっても忘れることができないというのです。その習慣性を乗り越えるには、完全に忘れるには、何十年たっても難しい。それを取り消そうとして何十年努力しても、取り消すことができない。そういうような恐ろしい習慣性があるということを、君たちは、はっきり発見しなければならない。

 生涯の真理、長年習慣づけられたその習慣、死ぬまで努力しても、なおそれに力が足らないということが実証された場合には、何百万年も続いてきた習慣性と堕落性を抜き取るということは、何世紀の人生の路程をたどってもできないという結論を出すのが理論的だ。

 君たちは、「堕落的心情」とか何とか、堕落性のことを平気で言っているだろう? それは恐ろしい、恐ろしい。それは骨肉を受け継いでの、血統を受け継いでの、血肉を交えての習慣性となっている。それは、人の力では抜き取れないような、根を下ろした、世界万民を抱えるような、大木になっているようなものである。それを自分二人で抜くことが可能なことと思いますか? 絶対不可能な立場に立っているという、我々の立場を知らなければならない。


神解放の基準

 それで、我々は絶対必要なる力を補給してもらう。これを取りつける力というものは、サタンの世界にはもうない。それ以外には、これを果たしうる、これを抜き取る力はないじゃないか。そこにおいて、宗教界がそれを取り抜く? そうはいきません。宗教界が「取り抜く」と言っても、これをどこから抜くか?

 ここに、一本の大きな木があるとするならば、こちらの枝をいくら取り抜いたとしても、何の効力もありません。東西南北からいくら引っ張っても、それは抜けません。抜く道があったとするならば、反対の方に立って、穂先からハーッと抜かなければならない。その道さえ知らない。そう見た場合に、歴史上サタン圏に固着した、その環境を抜き取るということは、いかばかり難しいことであろうか。これは真剣なものです。そういう真剣な自分自身を、その境地に立たせて、それを正面から攻撃していく天の代表者という決意と覚悟が満たされなければ、いくら「私は信仰がある」と言っても、自分の勝利圏、サタンの血統を受け継いだ罪悪世界を乗り越える道は、絶対ありえません。

 そういうようなことを、天から見下ろしている神様がいたとするならば、いかに憤慨されるか。万民は自分の血統的後孫であるべきなのに、悪魔がこういうような悲惨な境地に追い込んで、それを悟ることも、怒ることも、抜き取ることもできないような現状をして、「あんたの後孫たる者は、こんな立場に追われている」と言って、救うことのできない神に対して讒訴する。「全能なる神だに、できないようなこの環境をいかにして収拾しましょう」と尋ねた場合には、神は沈黙を守らざるをえない。見ながら、目で見ないふりをしなければならない。聞きながら聞かないふりをし、感じながら感じないふりをしなければならない神様の歴史的悲惨さを君たち考えたことありますか?

 世の中で、そういう者は一人も現れる道がなかった。レバレンド・ムーンという者が地上に生まれて、こういうことを言えるところまで抜き出て、話をするということ自体が歴史的なことである。天下いずこに求めても、こういうような真剣な立場において、正義を立たそうとする神の心情の根源の勝利圏を求めて得ようとする者は、今までの歴史になかった。

 統一教会は、そういう観点から見た場合に、偉大な宗教である。そういうような罪の根源を抜くのはもちろん、心情圏に染められている怨讐に対しての憎しみを抱いている神様を解放したい。考えてみなさい。従順なる神様の心の前に、歴史的に赦されないサタンを迎える。サタンが何の怨讐かというと、愛の怨讐だ。神様にとって、サタンは何かといえば、愛の姦夫である。神様の奥さんを盗んでいった者がサタンだ。

 神が絶対なる愛の方であるならば、なぜサタンが赦されないか。そのこと対して答える者はない。「怨讐を赦すと言いながら、その怨讐の種類が違うじゃないか」と。それは違う。怨讐を抱えているその人は赦されるけれど、怨讐は赦されない。それはなぜか。愛の敵だからである。それを赦した場合には、宇宙創造理想を完全にサタンに譲与しなければならない。宇宙創造の権限すべてを、サタンに渡してやるような神様ではありません。赦されません。

 なぜかというと、神様だに愛に首をかけている。愛の目的を成すことによって、自分が安息の地に立ち、愛の目的を成さないときは、その反対の位置に立つ。神様自体の生来の運命の目標として臨んできているのが愛である。

 その愛の怨讐を赦したとするならば、絶対なる神の愛の出発点が無視されなければならない。絶対なる神の愛の帰着点が絶対的に一つだとするならば、もともと神を中心として絶対的に一つであるべきであったとするならば、それが原則であって、サタン自体にその基準を譲与することは絶対にありえません。それゆえに、絶対なる愛の基準を絶対視する神においては、神の愛の怨讐であるサタンを赦すことができません。これをはっきり知らなければなりません。分かりました? (「はい」)

 日本人と韓国人は歴史的な怨讐です。アメリカと日本人は、四十年前の第二次世界大戦を中心として怨讐です。アメリカ人とヨーロッパを代表したドイツ人は怨讐。そういう怨讐圏の四大国家、国民を代表して、アメリカへ行って何をしたかと言うと、アメリカを滅ぼさせるようなことはしなかった。アメリカを救ってあげる。アメリカは怨讐であるけれど、サタンと違う怨讐である。サタンに引きずられている第二の怨讐である。第二の怨讐を収拾することによって、第一の怨讐が自動的にやられる。降伏する。そういう観点です。だから、先生はアメリカの法廷闘争をしながら、ダンベリーの獄中に居ながらも、第二の相対の位置にあるアメリカ国民を救ってやることによって、第一の怨讐であるサタンがいくところがない。日本と韓国と、なぜこういうことをやるか? 日本をつかんでいる第一の怨讐がいるからである。日本は第二の怨讐圏に立っている。同じ道だ。

 世界のために我々はやる。世界のサタン圏、カイン圏を我々は救わなければならない。なぜか? サタン世界のカインの親父、愛の種をまいた親父がいるから、その根を引き抜くためである。抜き取るまで、我々は励まし、闘い、開発し、発展していかなければならない神のみ旨の道に立っていることを忘れてはなりません。分かりました? (「はい」)。その点をはっきりしなければなりません。

 私の手で、私の体で、第一のサタンをいかに追放するか。神はできません。それを元返すその者が、神に似た苦労をしながら、迫害を受けながら、血を流して死ぬような姿をして闘ってきた。そういう勝利的な立場において、神が感動する基準をえないというと、神自体はその場を去ることができないし、神の解放の基準が生まれてこない。


復帰摂理の原則

 例を挙げれば、悪者がいる、親父が一番憎む者がいる。親父は憎むんだけれど、この子供はその人を愛する。それが親は気分が悪くて、「この野郎! なぜ愛するか?」と言う。「私は何かの因縁でもって、情的、あるものの負債を被っている。それを弁済しなければならない。それで、親がいかなる辛い立場で反対しても、これを弁済した後に、親の言葉を聞くことができる。弁済する前に親切言葉を開いた場合には、その恩に反発する、恩を打つ者になる。恩を返して、親に孝行する」と言う場合には、いくら親だって、「ああ、それはそうだ」と言う。そういう場合には、親が待つことができる。赦すことができる。

 恩をなして、「まあ、親の思うままにやりなさい」と言うとき、親が「ああ、このような者は直ちに殺してしまう…」と言うようになった場合に、その子供が、「そうじゃありません。私は命を懸けて愛したい。命をささげても彼を救ってやりたい」と言う場合には、神様もそれに服従するということがあるのです。愛の問題を中心として、そういうふうにしてみれば、子供によってその怨讐が救われるとともに、子供と怨讐が一つになって、親に奉仕しようとする場合には、親自体の立場が解放される。何の話か分かった? もしも、先生が神を親として、その子供の立場と考えれば、人類がそういう立場だ。皆怨讐だ。皆殺してしまいたい。

 しかし、先生は七十近くになっているんだけれど、ある面においては先生に同情した者もいるのです。そうだろう? 命を懸けて、このみ旨の道を開拓するために、昼に夜に休まず、すべてを奉仕しながらも足りないと。それをあえぎながらいく人がいるとするならば、それは先生に対して重荷であり、負債になっている。これをどういうふうに報いるか。道がない。それに報いるためには、先頭を切って、正義の道を正しながら神に報告するならば、これを皆、恩返しをした場合に、そのいく途中にあって、「いいです。わしが恩返しをしよう」と言うところにおいては、「怨讐を打ったらいけません」と言うと、神は「そうだね」と言うのです。まさしく同じだ。本当に恩を返して、殺してしまうか? そうしてはいけません。共に連れて行きたい。自分のいく所、いい目的地に、共に連れて行きたい。住みたい、それが本情、本心の思いである。本心の思いは尊いものである。

 そういう場合に、「いけない!」と言われれば、「それは、そうだね」と言う立場で、統一教会の、あらゆる多くの者が一つ二つ、そういう心情圏に加わった場合には、数を超えても超えても、赦すような道が拡大していく。拡大されたそのものが、国を越えて、国で怨讐になった基準と、世界に怨讐になった基準があるとするならば、国で怨讐になった基準を超えて世界の怨讐圏まで乗り越えようとするとき、神様は待たざるをえない。世界の怨讐圏まで乗り越えた後に、その者と子供と、今まで反対した怨讐圏の人が一つになって、今こそ、神に奉仕したい、あなたの子供と同じような心情で、あなたに侍りたいと言ったとするならば、神はしかたなしに、「それは最も願うところであった」というふうに答えざるをえない神の心情である。分かりました? (「はい」)

 復帰の道は、そういう関係でもって拡大されてきた。日本と韓国とは怨讐だろう? それは、そっくり同じです。先生が日本を救ってあげる。そうした場合には、日本のメンバーたちは、先生に命を懸けてついて来るようになる。それ以上の、日本より大きい世界を解放するために、我々は日本の国を投入して、「神の息子のために、神の解放のためにいくのだ」とするならば、日本の国を赦して、世界に向けて追いついて行かざるをえない神の立場である。そして、世界を復帰して神に帰ろうとするならば、その同じ子供とともに、一体となって帰るカインの兄弟姉妹、カイン、アベルをともに愛さざるをえない。それを愛した後において、初めて解放がなされる。これが摂理の道なのです。

 そういうふうにして、世界と万民をともに連れて、神に帰って献納した後に、サタンに宣言しなければなりません。「歴史以来数百万年の間、人類を滅亡の世界に率いて来たサタンよ! わたしが検事の立場で訴える。神の子としてサタンを処刑する」。そうしたら、間違いなく神は、「そうだ」と言って手を出すことができる。なぜかというと、サタンは、アダムによって生まれてきたものだから、アダムが処刑を願うところには、神はそれを処刑するのが、原則の道である。神のためにサタンが生まれてきたのではありません。アダムの失敗によって生まれてきた。君が失敗してきたことを、君が責任を果たして、すべてを元返したとすれば、悪の立場、心情の神の敵であるサタンを、君が検事の立場で讒訴した場合には、神は裁判長の立場でもって刑量を判決しなければならない。

 これが、今宇宙をたどっていく最後の道であろう。その途上にサタンが立つ。サタンの因縁をもった数多くの霊界に行っている者たち、地上に残る者たちを、神は残して裁判をしたくないというのです。それは元の原理の道だから確かだ。霊界の霊人体も、地上のすべての悪を解放して、サタンだけを抜き取ってしまいたいのが神の思いであったということを、この時間、はっきり心に留めておかなければならない。そのサタンを、裁きの途上に引き出すために、我々は信仰している。それは、親孝行の息子として初めて、歴史以来失敗したすべてを神に元返して、神の喜びに満たされた本然の愛の主体として、万民の喜びに満たされたその父母の懐に抱かれたいというのが、堕落した人間個人個人の最高の願いであろうというつことを忘れてはなりません。分かりました? (「はい」)


神聖なる歴史の出発点

 では元に返って、問題はだれから出発するか? これが問題である。だれから出発するか? 歴史はエバから出発した。その無自覚な、その恥ずかしさを忘れてはなりません。原理原則に立たずして、違反した立場から出発したその道を、堕落の道をはっきり知らなければなりません。出発はだれから? エバからした。その悔しさを忘れてはなりません。特に女の子たち! 日本は特別にエバ国家として立たせるために、世界一の苦労をしてきたのではないか? 日本の女は、男に踏みにじられたり、叩かれたり、姿も正すことのできないような絶対服従の歴史過程を歩んできた。特に、武士道の女というものは話しようがないほど悲惨なものだ。エバ国家の象徴である日本の神、天照大神も女性神だから、その国は霊肉ともに女性です。だから、日本人は一方しか見ない。

 女は旦那さんをもらった場合には、旦那さん以外に考えない。目も鼻も、耳も口も触覚も、忠実な動物のように、五感は全部旦那さんに向く。しかし、男はそうでない。男は三面を振り向く。女は男の後ろについて来ながらちゃんと男を守ってくれるから、男は三面を振り向くようになっている。それが自分の世界だと思ったら大間違いです。女の喜びを探し求めて、造ってあげなければならないために三面を振り向くようになっているということを、男は忘れてはなりません。

 それゆえに、男の一生の道は、もう右に行ったり、左に行ったりしてはいけない。左にいくのも、右にいくのも、ともどもに真っすぐの愛の歴史的夫婦の生涯の道を残すためであるにもかかわらず、男は男なりに、女は涙ぐみつつ、あごを垂らして男の影を追いかけていくような悲惨な、そういう路程であってはならない。

 愛に一体化した基準に立てば、時には後に、時には前にも立つことができる。情的生活には男はちょっと鈍感だ。しかし、女は敏感だから触覚が鋭い。男は鈍い。だから、情的面においては、前にいく男の心情的方向を正すには女が先立つ。情的に右にも立つこともできるし、左にも立つことができる、東西南北、女が後ろから一方的に追いつきながら、前後左右に往来ができるように、その中心となるべき男であるということを忘れてはならない。中心者として立った場合に、男は中心であり、女は東西南北を回る、中心を保護する立場に立っているということを忘れてはなりません。

 女が間違って出発してしまった。その間違って出発した女が、いつになれば正しい立場に立って出発するときが来るか、それが宿題である。女の世界の永遠の宿題として残っている。それは簡単な言葉でありながら、事実の言葉である。いつ、エデンの園に、女として正当な罪なき自由権限を持って出発しうるその時を元返すことができるか? それは、女として宿望の的になっている。

 その次は、だれがそれを追いかけて出発したか? この男の野郎! 女のしっぽを追いかけて、なぜ行ったか?

 け飛ばして行ったらよかったのに。け飛ばしたらエバをつくるのは問題ありません。そう見れば、女も悪いけれども、男も悪い。この地上において、神の願う本然の理想郷に向かう出発点において、男が女を率いながら出発する出発基準を失った悲惨さ、哀れさを忘れてはなりません。先生が言うのはただの話ではありません。神の立場から見た歴史の原点に戻って、その地上を再び振り返ってみながら、事実を明らかに話す立場であるということを忘れてはなりません。分かりましたか? (「はい」)

 歴史過程において、男女ともども、聖なる出発点を抱ええなかった、その悲惨な姿を忘れてはなりません。夜、昼、生涯かけてそれを忘れてはなりません。それを忘れた場合には、神を捜す道を得ることができない。君たちの信仰の道が惑わされる。行ったり来たり、下がったり、前後左右、反対になったり、自由気ままに方向もなく、軸もない回転をしてしまう、こんがらがって砕かれてしまうような結果になってしまつということを知らなくてはなりません。分かりました? (「はい」)

 我、天宙に声高らかに叫ぶ。「神よ! こういう歴史的に悲惨なる女、男の出発点の汚点をいかにして取り戻すか? そういう権限を我にくれるのであれば、いかなる死力を尽くしても、我はそれを求めていく」そういう自覚が必要です。大学を卒業して、博士号を取り、国家的確威を持って首相の第一夫人になったとしても、何の効果がありますか? 失敗の雲の中で、失敗層を重ねる以外ない自分の立場をはっきり知らなければならない。

 女! 気をつけろ! 男! 気をつけなさい。頑張れ!

 (「はい!」)。その新しい出発点は、この地上にはありません。それは事実であり、理論的です。跳躍して、世界の国境を超えて、地球星を超えて、宇宙まで超えて行かなければ、その迎える出発点は現れません。この縦的関係は、だれが責任を持って答えてくれますか? だれがそれに向けて投げ込んでしまうか? だれもいません。永遠に、そんなにしてくれる者はだれもいない。自分が、男たる者、女たる者がしなければならないという結論になる。もしも、だれかしてあげることができるのだったら、こういうような世界になっていません。世界はもうすでに善い世界になっているはずだ。神がいるとするならば、もうすでに地上天国が成されているはずだ。

 なぜできないか? 失敗の、その元を取り出すには、神もできなければ、悪魔もできない。それは、男女たちがしなければならない。歴史的重大な使命、重荷が我の両肩に引っ掛かっているということをだれが感じる者がいるか?

 日本に何人いると思う? 閣僚が考えるか? おりません。宗教界がそれを考えるか? おりません! たった一人、レバレンド・ムーンしかいません。だから、レバレンド・ムーンの語る言語は世界的問題になる。人類歴史上に超えて行かなければならない板場みたいなものである。分かりました? (「はい」)

 このはしごを渡らなければ、この問題を解決しなければ、自己解放はもちろん、家庭解放が不可能であり、民族、国家、世界、神様解放すらできないような運命圏を前にしている、悲惨な自分の立場を忘れてはいけません。いかなる決意を固めなければならないかということを、分かりました? (「はい!」)

 個人個人は、悲惨なエバの立場を、歴史的に継承している。アダムたる私が現場に立って、これを除くような心情圏を、決意をいかに固めていくか。その足場を造っておかなければ、君たち、地獄のどん底に落ちて行きます。その足場の石になるのが統一原理である。分かりました? (「はい」)。その場に立って初めて自由が立てられる。この場に立って跳躍ができる。この場に立って神の心情圏、歴史的な天国が生まれてくるのであって、この場を逃がしては絶対にありえません。


女性の位置

 そう見た場合に、こういう因縁でもって、ここ韓国の地まで駆けつけて来て、祝福の一日を前にして、先生の訓辞を受けることは歴史的である。

 例を挙げれば、神が先生に会って、「こういうふうにしてもらいたい」というような立場とは違います。先生がしてもらうどころではありません。してもらった後に、成しえた勝利の基台、基盤の上に、こういう因縁でもって国を超える時勢を迎えて、上に上がるのではありません。平行でもって世界に向かい合う勝利的時代に入っている。だから、世界の国々すべてが村みたいになっている。「地球村」といわれているでしょう。村の親父はだれか。それは神様であり、それは真のおじいさん、真のお父さん、真の旦那さん、真の兄さんだ。それが生まれないというと、地上に平面的基盤が残りません。三代つながないと、地上の前後左右に足場を下ろすことができません。だから、真のおじいさん、真のお父さん、真の旦那さん、真の兄さん、この家庭につながせる。

 エバが堕落したために何を失ってしまったかといえば、真のおじいさんの基準を破壊し、真のお父さんの基準を破壊し、真の旦那さんの基準を蹂躙し、真の兄さんの心情圏を攪乱してしまった。大きい罪です。誤った出発をなしたことによって、心情圏を蹂躙して罪を犯した。一時の言葉で慰める何の道もありません。血統が間違っている!

 その過ちによって神の血統を受け継ぐべき者が、悪魔の血統を受け継いだ。それが問題だ。本来、王子様になるべきなのに、ちゃんと待てばお姫様になるのに、この者が僕とくっついてしまった。僕と一つになることによって、エバの兄さんの立場にある者にそのエバが反逆したし、それから真の旦那さんをけ飛ばしてしまったし、真の親の立場をけってしまったし、真のおじいさんの立場をけってしまった。兄さん、それから旦那さん、お父さん、おじいさんと縦的に、そういう罪を犯した。それを忘れてはなりません。

 このエバたち。歴史的にそういう罪を犯した末の穂先たるものが、いまだに、求めて行かなければならない真の旦那さんの道を蹂躙しつつ、妹をなくしたアダムの悲しみを、歓迎して、看護してやるのではなくて、今でも男たちを無視しながらけ飛ばしてしまう。そのお父さんの立場に立つべき希望の基を取り除いてしまったり、おじいさんの立場にある神様を否認してしまう。街に迷子になって、方々巡り回る姿を見たときの、自身を忘れた女たちは一体何か?

 そういう歴史の背後のめちゃくちゃな女の姿をいかに正すか。だから、ここにおいて男を崇拝しなさい。女として生まれた場合には、すべての男を自分の兄さんとして愛する。世界一の、宇宙一の兄さんであるというように崇拝しなさい。崇拝をして、それを成しえた後に、その兄さんからすベてを赦されて、元の位置に来て愛することができるであろう。

 それから、旦那さんの位置を汚してしまった。妻になった場合には、絶対服従です。罪悪の根源を取り去る、その運命をかけた夫婦の行き合う道というものは、いかに深刻なものか。だから、旦那さんに対して、神様を迎えて侍るような心情を持たなければならない。それ以外に道がありません。結婚した後に、すぐにけんかをやって、荷物を包んで、門を開けて、裏足でけって飛び出したその女性が、自由に帰れる道がありますか? 何もそんなにひどくなくて、言葉一つでもって、そういう結果をもたらしても自由に帰れないのに、心情を蹂躙した女性が帰る道はありえません。それを分からなければなりません。(「はい」)

 日本語が分からない韓国の女たちは知らなくてもいい。先生がどれほど深刻に語ったかを聞いた男たちには、はっきり先生の言ったとおりに教えてあげなければ、真の旦那さんではありません。間違いなく、ちゃんと心のテープレコーダーに記録して、刻々と奥さんに伝えるであろうと思っています。何を考えるよりも、先生の話を聞いたらそのまま百パーセント聞き入れなさい。

 それから、親を売ってしまった。売るどころではなく、親を殺してしまった。人類歴史の親を、神様をサタンの懐に追い詰め、押し込んでしまったのである。天宙を治める王様の王圏がめちゃくちゃに破壊された。何によってこうなったか。心情、愛を中心としてそうなった。愛は恐ろしい。愛の因縁というものは恐ろしいものである。これを正した場合には、愛の因縁を通じて世界は復活の道に通ずるけれども、間違った場合には、万国の滅亡に通ずる。愛は偉大な力を持っている。分かりました?


メシヤの思想

 韓国の言葉では、「なぜお嫁にいくか?」と聞くと、「旦那さんから愛を受けるために行く」という話がある。娘がなぜお嫁にいくか? それは、旦那さんから愛を受けるために行くと考えている。しかし、愛はそういう簡単なものではありません。愛を受けるには、旦那さんを受け入れるには、歴史の初めにおいて悪の出発をした、その限界を乗り越えて、新しい春を迎えなければならない。堕落の失敗は、春が来たときに、本来の理想的春を迎えるべく備えられていたにもかかわらず、神の御前で前進しながら愛の道を開くべきであったのに、神に背いて、サタンに向けて反対の道を行ったことである。

 いつも女性は、先生の言うことを聞かなければなりません。統一教会で教える蕩減復帰というものは、事件が起きたそのときの現状そのものを再び元返して、蕩減復帰するということである。その原理の言葉を知っているだろう? (「はい」)

 重要なことだ。いつも、結婚前に君たちの親父が、こういうふうにするんだと訓示すると同じように、今先生が訓示する時間なのです。

 神様はおじいさんだろう? (「はい」)。それから父母、それから旦那さん、それから兄さん、四代を失ってしまっている。それを蕩減復帰するには、神を迎えて、ずーっと侍りながらいくのです。おじいさんの神を迎えて、お母さん、お父さんを前に置いて、そのお母さんによって生まれた乙女として、その乙女の兄さんであるアダムとともに大きくなって、心情一体圏に向かって、結婚した夫婦になるべきでした。分かりました? (「はい」)。そのような基準によってエバが出発すべき原点があったということを、はっきり分かりました?

 堕落はその反対に、兄さんを、旦那さんを、お父さんを蹂躙し、愛によって皆、殺してしまった。だから女が、純潔で純粋な心情圏を抱くことによって、天的旦那さんが現れ、天的お父さんが現れ、天的神様が現れて、自分と一体になって、一時に心情圏を結ぶことによって、女の解放は歴史的に完成するものである。真剣なものである。そういう兄さんを持ちましたか? そういう旦那さん、男を持ちましたか? そういうお父さんを持ちましたか? そういう神様を持ちましたか? 持っていない。

 神様はそれをよくご存知だから、四方八方から、世界的歴史を通して、サタンの前にそういう準備をされてきた。それがメシヤの思想である。分かりましたか? メシヤは、女に村して、真の兄さんとして現れるための道をたどって来る。そのことをありがたく感謝しなければならない。そればかりか、蕩減復帰するためでなく、真の旦那さんになるために、親になるために、歴史を通してたどって来る。真の創造主である神様と結びつけてあげるために来られるそのかたがメシヤだと言うのです。分かりました?

 今男は知らなくてもいい。女は分かりましたか。(「はい」)。女が先に悪くなったために、そこから先に解いてあげないと、男を解く道がありません。世界にいくら多くの女が住み、男が住んでいるとしても、神の前には一人の女と見るし、一人の男と見る。完全に、神が永遠に求め、永遠に奉仕せざるをえない、永遠に愛さざるをえないような女たるもの、男たるものがいません。

 君たちに子供が生まれて来る場合には、その精子何億個かの中から力の強いものが母の胎に入って、子供として生まれてくる。まさしくそれとそっくり同じように、復活した、神と一体となれる子供、女はいずこにいるか? それを捜している。それがいない。神の血統を受け継ぐことができなければならない。神が親の立場に立つことができないような立場だから、そういうような子供の種がありません。それを考えれば、君たち恐ろしくないですか?

 「神、宇宙すべてが嫌がる、サタンの怨讐の血肉が取り巻いて動いている。ああ、気持ちが悪い」と。それは、自由世界の善なるすべてを保護するため、宇宙圏に存在として残りたいという欲望なのです。深刻なものです。その境地を、そういうような死亡圏を、死亡環境を抜き出なければならない。そこには、イエス様が復活し、昇天したと同じように、堂々と神の愛を讃美しつつ、宇宙すべてに、私に従う聖なる道、栄光の通がたたえられると叫び、昇天するような道が生まれてくるというのです。メシヤが分かりましたか? (「はい」)。女の恨みを四代にわたって、四つの圏を一時に蕩減復帰するために来られるかたがメシヤである。

 男は何か? 男は天使長の後継者である。だから、男は本当は妻がいない。男はサタンの子供だろう? 理想的男は再臨主である。それはアダムだからです。アダムは、その善なる、正義のエバを捜すために、再創造して復帰するために来る。そのエバは、四大心情圏を一致させて、神とともに、父とともに、旦那さんとともに、兄さんとともに、愛を失った位置を蕩減復帰しうるような主体性を持つ女性である。そのような女性が生まれることによって、メシヤに迎えられる。そういう心情を、神とともに一致させるような血統的内容を持って生まれた男は、メシヤ以外は地上にいません。血統が違うのです。

 だから、イエス様は血統が違うだろう? それは聖別してある。カイン、アベルを中心として蕩減復帰した、内的に交差した立場である。左が右にいくし、右が左にいく。交差点をつくって、カインがアベルの立場に立って、アベルがカインの立場に立って、勝利の間向きに、正当な道を、自分の良心、心身を中心として、方向性九〇度を合わせて、両翼ともに一致した方向性をまとめる理想を、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に求めていく。

 それで、世界も二つに割れ、各党も二つになっている。政党が分かれて闘うその国は滅びる。アメリカの偉大さは、自由世界の指導国家としてあるばかりでなく、民主党、共和党が選挙運動においては、あしざまに人身攻撃をして、怨讐視してたたき合ったとしても、いったん勝敗が決まったら、絶対にその勝者に奉仕するというのが偉い。そのアメリカは、今まで滅びなかった。それが、金力、財力、それから謀略等いろいろ交えて、混乱を来たすような現状になって、青年層、壮年層、老年層が方向を失ってしまって、どん底に落ち込むような困難な時代になったけれど、その精神はそろっている。しかし、韓国は今めちゃくちゃになっている。滅びる!


天国の中心者

 きのうまでは、何時間前までは一人ぽっちだったのに、今はその横におまけがついているでしょう。日本人は、おまけが好きでしょう。昔、おまけと言えば、キャラメルがあっただろう? (笑い)今もありますか? 日本のことはよく知っている。学生時代に、日本でやらなかったことはない。それは悪いことではない。乞食もやった。貧民窟から先生はずーっと上がって来た。有名人の字書きもした。先生は字がうまいのです。

 それで、先生のような年齢になったら舌が固くなって、本国の言葉もよく語れなくなるのが普通なのに、日本語を早くしゃべるだろう。研究したよ。日本語を語るのに、スピードを出すのに第一番になる。けんかをする場合にも、一言に対してでも、三言語る。研究した。だから、指導者になるのは簡単ではありません。何でもする。川崎の鉄工所とか造船所とかへ行って、先生は労働もよくした。今も忘れられないが、そのとき先生は、百二十トンのりっぱな船で、四人組で八時間労働を四時間でやり遂げた。汗を流しながらやった。その時代が思われる。

 先生は日本をよく知っている。日本の政財界がどういうふうに腐敗していくか、よく知っている。女性の世界のこともね。敵国を知らない者は敵と戦うことができない。国の問題を抱えた場合は、堂々と愛国者になれる。それを超えて天国の中心になる。天国の中心の峠を越えて、聖人、聖者になる。国のためにその首をささげられないような者は、忠臣になれません。聖人になれません。先生をよく分かっておきなさい。日本を知らない男と思ったら大間違いです。先生は、日本に一回も行かないのに、日本のことをちゃーんと分かっている。


真の子女の血統

 女性というものは、メシヤによって心情一体圏を、現状の堕落心情園を再表示して、再展示して、蕩減する統一心情圏を持ち返らなければ、ジャンプして境界線を越えることができません。それは、歴史以来初めて、先生によって可能となった。女性は皆、そうだ。今は、聖婚式をしてお母様を立たせているから問題ないけれど、お母様を立てる前に、先生は一九四五年の解放以降十四年間、国家基準で闘ったイエス様の、蘇生、長成圏まで上がってくるには、十四年間の闘いの期間があった。それは、一人の男として堂々たる成長をしていくとともに、理想的勝利の国家基準を超えて、理想的相対圏を確立しなければならない期間だった。

 それで、統一教会に女性が入れば、世界の女性たちは″先生のような旦那さんをもらいたい″というように皆、霊通する。公式がそうなっている。「そうだ」と言う女の子は手を挙げてみなさい。横に旦那さんを置いて語ったとしても、これは無礼なことでありません。(笑い)それが原則です。

 なぜこういうような現象が起こるか世界の人々は分かりません。それで、先生に会ったときには、「いやあ、いつか会ったおかただ。目も耳も鼻もどこか見たことがある」と言うのです。しかし、いくら考えても思い出すことができない。分からない。だけど、どこか因縁があるからだれよりも近い兄さんみたいに感じる。そういう娘を先生の懐に抱えても、いかなる男性も不思議に思いません。父母の代わりの懐に帰るような思い、兄さんに向けての妹の思いが思い出されるような男が先生です。

 その過程を通過した場合には、旦那のように、「ああ恋しい」、会いたくてしかたがない。夜も寝られません。そこまでいく。サタン世界において、その心情圏を超えなければならない。いくら命を懸けて恋愛結婚した女であっても、原理を聞いて家に帰ったら、即一週間以内に、その旦那さんがそばに来ると蛇が近寄るような思いがしてくる。″ブル、ブル、ブル″と、逃げて行きたいような思いがする。逃げて先生の所へ行きたい。それが問題だ。心情圏。

 だからそういう場合には、君たちに指導する。今も皆そういう体験するだろう。兄さんのように、エデンの花園を連れ合いながら案内して、いろいろと教えてくれる。夢で何回も先生に会うだろう。時には、婚約の指輪をつけてあげたり、結婚準備の花束を上げたりする。その心情圏が何かというと、失った旦那さんの心情圏を元返す天的恩恵なのです。それから、そういう心情圏を超えて、お父さんみたいに、先生のひざの上とか、四方にいくら戯れ過ぎても嫌に思われないような関係、それは父子関係みたいな思いがする。そうすることによって神が分かる。

 み旨の道は、自分を中心として止まっていない。宇宙のために祭物にならなければならない。男も女も、真の子女の血統を正すためには、世界を乗り越えて行かなければならない。世界が自分たちを歓迎してくれるような道を作らなければならない。神の願う所はここではなくて、さらに跳踵飛躍しなければならないという心情圏に至るのです。歴史以来、エバが失った四大心情圏を、宗教圏を中心として、初めて先生によって、平面的、縦的一時に体恤する七年間の期間がある。分かりました? (「はい」)。なぜ、統一教会に七年の期間が必要か? 兄さんから旦那さん、お父さん、それからおじいさんの心情圏を捜すのである。そうするには、サタン世界の東西南北を通過しなければなりません。

 世の中において、踏みにじられ、迫害されながら、悲惨な涙を神のために流さなければならない。“ああ、兄さんの所へ行きたい”、“旦那さんの所へ行かなければならない”というような涙の峠がふさがっている。お父さん、そして神様の所へ行かなければならない涙の峠が積っている。それを崩さなければならない。


心情圏出発

 統一教会の食口たちもそうです。先生がソウルにいるのに、ソウルの先生の所へ行かれない。あまりにも迫害がひどい、決死的である。それはもう不思議なほど、なぜ彼らがあれほど一所懸命反対するのか、研究しても分からないほどに迫害する。それは、融通を利かしてやった場合には、サタンが一遍にやられることを知っているから、死にもの狂いで闘って、反対して攻撃する。兄さんを失わせ、夫、将来のお父さん、おじいさん、神様を失うような立場に追い込むために、サタンが全力で集中攻撃する。それで、先生のいく迫害の道は世界的である。分かりました? (「はい」)

 個人の迎える迫害が世界的である。先生は世界的な中心者だから、その中心者に相対する基準に立つには、当然世界的な迫害を勝利して立たなければならないのが、サタン世界の原則である。迫害を超えて来る。だから、四十年期間内に、先生は世界から迫害を受ける対象になろうと祈った。世界的迫害を受けなければ、勝利圏を捜すことができない。そこに、心情圏が始まる。

 結婚する君たち、そういう立場に立っていますか? 女性は皆、神に属する。男性は何の権利もない。君たちは天使長だろう。天使長には女がいたか? エバを盗んでいったから、女をつくったのであって、元返ししてエバを返した場合には、男は皆、無精卵みたいな生命のない卵のように、何もない天使長のように、中間の立場に立つべきであって、相対的立場ではありません。男たるものは、エデンの園では天使長です。だから三年間女性(相対者)の話を尊重しなければならない。分かりました? (「はい」)

 だれが君たちを生むか、神のアダムの子供を生むかというと、堕落した女性は生むことができません。真の父母の立場で、お母さんが君たちを再び生んであげたという条件を立てなければ、相対者、妻を得ることができません。その公式を今晩行うのです。

 女性もまた、神よりの血統、生命の元を受け継ぐためにつなぐ。神の子供の種は、お父様の骨肉にあります。お母さんは畑であって、生命の種、子供の種はありません。その女性が娘になるには、旦那さんを愛して一つになる道以外には、そういう立場に立つことができません。だから、夫は偉いものである。主人というものは、自分を通して生まれたかわいい乙女の、その種の親父だと言うのです。ということは、万世一系の天皇を載いたと同じように、そういう血統を受け継ぐものでなければなりません。そうでないと、その中心型がありません。堕落しなければ、人間は神の血統になるようになっているでしょう。


生命の元

 きのう、創造主は何の親だと話しました? (「真の愛」)。真の愛は何? (「絶対者」)。絶対なる創造者である神は、人間にとっては真の愛をもった縦的親である。その垂直というものは一つしかない。絶対的である。二つありません。その縦的な親だけでは、そのまま置いたら倒れてしまう。大変でしょう? だから、横的親を引き継がなければなりません。それを真の父母、アダム、エバが成就した場合には、縦的真の愛のお父様を骨とみれば、肉と同じような立場に立つのが、横的真の愛を中心とした父母である。それが真の父母である。分かりました? (「はい」)。統一教会は真の父母を持っていますか、持っていませんか? (「持っています」)

 それでは、真の父母は一体何者ですか? 真の神は縦的であり、真の親は横的であり、縦横一体となって結合したその中心点より、神の子と、真の父母の子供が腕を組んで生まれても、血統がそこから生まれてくるというのです。それは、神の血統であるとともに、真の父母の血統である。これは簡単な内容であっても、この世界の人々はそれを知りません。先生はそれを知るのに生涯かけて、祈り探ってきました。

 答えは簡単です。「宇宙の秘密は何ですか?」と言うと、「それは父子関係だ」と、簡単です。父子は何か、それは教えられません。それを皆、詳細に解説してみれば、真の創造主は真の愛の縦的親であり、創造されたその者は、子供の立場でありながら、真の神の体になる横的父母の立場に立つ。それが内外一つになり、内外の共鳴体となることによって、そこにおいて授受作用をすれば中心が生まれるとともに、その内外共の共鳴圏の中心に核が植えられる。それが、君たちが生まれる生命の元なのです。分かりました? (「はい」)

 だから、堕落しなかった場合には、神の血統圏を、神の愛による一体圏の振動作用を抱えた圏(英語でring(環、輪)というが、)が縦的にパーンと振動した場合には、横的に自動的に共鳴圏がなされるようになっている。真の愛の神がパーンと打てば、真の横的父母の愛の実体は振動数が同じだから、共鳴体になってブルブルと震える。だから外的にパーンと打っても、内的神の心情圏はブーと共鳴する。そのようにして、二つが共鳴したその振動圏は球体振動圏になる。分かりました?

 その境地の中に、神様がずーっと座っておられた場合には、宇宙が見られる。核が動けば、副体(注:対象)はともに動くのです。副体を引っ張れば、核も一体となって引っ張られる。それに似て生まれてきたのが君たちであるから、君たちにも核があり、副体がある。その核たるものが良心である。良心の副体が体である。体は横的欲望の世界を自分のものにしようとする。考えは高貴なもの、価値あるもの、高尚なものを握ろうとします。君たちの良心はもっと高いもの、もっと価値あるものを求めるし、肉体はもっと価値あるものより、もっと多く、もっと広いものを求める。

 なぜ、横的欲望の限界をまとめるための肉心、縦的限界をまとめる良心を抱えるようになったか? 神の愛と真の父母の愛が共鳴圏になって一体となるのと同じように、堕落しなかった場合には、君たちはその二つを抱えて生まれたために、君たちの良心は真の創造主の神に通じ、君たちの肉心は横的真の父母の血肉と一つになって共鳴圏を成すために、良心と肉心を持つようになったということを忘れてはなりません。

 神を慕い、宇宙の理想郷の愛の共鳴圏を成す、その実体を復帰するための相対位置に、たとえ小さくとも、ちゃんと結晶体として共鳴するようになっているのがこの自分である。だから、良心を中心として、肉身が歩調を合わせなければならない。もしも堕落しなかった場合には、神の愛の血統、真の父母の愛の血統に染められている体には、サタンが存在することがない。真の愛は、神の一体圏に属する者、神に主管されるのであって、サタンに主管されるようになっていません。

 堕落圏にいる君たちはそうなっていないだろう。垂直理想の神の心情圏のその原型は残っているけれど、横的原型が血統の過ちを受け継いだために、これは九〇度になっていません。七五度、あるいは一五度になっている。その差異によって良心の呵責を受けながら、苦悶の辛さを逃れることができない圧迫と圧力を受けている。そこから、解放圏を求めなければならない。

 それを解放するのは、真の力? 真の知識? 真の金や権力? 真の愛をもった場合には、真の知識といえば、これ以上の知識はありません。真の真理といえば、これ以上の真理はありません。真の権限、真の金、これはいくらお金があっても買えません。今度の結婚で、「先生が誤って、中学、国民学校出の者たちも組んだ」と言う者がいるとすれば、それは、人間の価値を知らない者です。

 祝福された者が、将来世界を治める大統領のおばあさんになれないとはだれも断定できません。自分が好きだからといって、大学を卒業した美人の女の子を抱えたとしても、それが悪者の王者になるかもしれません。マフィアのおじいさん、おばあさんになるかもしれません。だから、バックグラウンドの偉大なるオリジナルの権限を抱くところにおいて、幸福の基が高まり、広くなるというのです。


心情の土産

 先生をどれぐらい知っています? きょう初めて会ったのでしょう。先生を初めて見る人、手を挙げてごらんなさい。九〇パーセント、皆、手を挙げています。初めて見ながらどうして先生が分かりますか? 先生が分かるようになれば、面白い先生なのです。(笑い)それ本当だ。やれないことがない。けんかもよくするし、話もうまい。話をして先生に勝った者がありません。(笑い)神様さえもそうです。質問に追われて神様が逃げて行ったけれど、隠れ場がないように追い駆けて行った男です。だから、こんな偉大な統一教会の教祖になっているのではありませんか? (拍手)君たち、会長に従いますか、先生に従いますか? (「先生!」)。なぜかというと、それは親だからです。親は一人だけ、絶対に一人、永遠に一人です。それに背くことができません。

 先生が二階に上がるにも、足を使わずにスーツと飛んで上がると思ったら大間違いです。(笑い)先生は現実の指導者であって、妄想をなす空想の指導者ではありません。理論に合わなければ教えたりしません。理論にかなうように教えている。いかなる天の真理を解くにも、それに相応して実際の環境に合うように、理論に合うようにして話している。統一教会員に、理論で勝つ者はもう世の中にはいません。先生が理論で負けたとするならばここにはいません。またどこかへ行って、理論闘争しているはずです。(笑い)

 将来は、首相をしていた者が、通りがかりにたくさん漢南洞の公邸へ訪ねて来るかもしれません。君たちも、なぜ日本からこちらへ来たか? 先生がいなかったら一人も来ません。女性が解放されるには、心情の堕落圏の元を求めて行かなければならないからです。そういうような者は天にもいないし、どこにもいません。韓国の地、ソウルのこの場に、こういう男の前に来なければ解放されないから、日本の女性は命懸けで太平洋を水泳しても渡って来なければならない公式になっているからです。それを知らなければなりません。

 お父様の所に来るのに、お土産を持って来ましたか? (笑い)数千年前に別れて、再び迎えるお父様の前に、手ぶらで来られますか? 土産を持って来た? (「持って来ていません」)。それを恥ずかしく思ってはなりません。神は、金とか、他のものの土産を必要としません。永遠に燃え上がる心情の土産、溶鉱炉の溶鉱のように燃える心情を願う。その心情の燃える高さは天より高い。どこでも燃え上がるその光にはすべてが臨みたい、そういう心情が問題です。

 だから、先生の所へ来るには、心情復活体として来なければならない。男性なら男性の心情復活体、その復活体はエデンの園で失ったアダムより以上の心情を持ちなさいという話である。エバもそうだ。分かりました? (「はい」)。それがお土産だろう。先生は何も願いません。女性は、日本海が問題ではない。太平洋が、ヒマラヤ山頂が問題ではありません。この道をたどって、人間解放の喜びを迎えるには、先生を訪ねて、先生の紹介を受けなければ、それを満たすことは絶対にありえません。南北に向かう磁石の方向性が永遠に変わらないのと同じように、本心を抱えた人々は、そのような作用をする良心を持っており、自動的に先生の方に引きずられて来ざるをえないから、このような結果になっているというのです。

 ヨーロッパの人に向けて、「生活環境を皆、まとめて韓国に来なさい」と言えば、来るか来ないか? (「来ます」)。それはなぜかというと、真の愛の理想郷に率いて行かれる中心者と思うからです。思うのは自分たちが思うのですが、先生がそういうことを言えるのは、中心者であるからです。


真の血統の相続

 それで、すべての人間は、何を中心として怨讐圏になったかと言うと、心情を中心として神に背いた、心情的に違反することによって怨讐圏になったということをはっさり知らなければならない。だから君たちは、異質の血統を受け継いでいる。分かりました? (「はい」)。堕落世界の人間は、皆、偽りの木として生まれている。だから、聖書にもあるように、その真のオリーブになれるように接ぎ木をしなければならない。

 接ぎ木をする場合には、その根元の茎を切って、根元をそのままにして、真のオリーブの芽とか、枝を接ぎ木するのですが、ここで言う接ぎ木はそうはいきません。根元が腐っている、根元が間違っているために、その根を掘ってしまわなければならない。それから、アダムの先を切ってしまわなければなりません。そして、真のオリーブの茎と根のところに挿し込んで、その茎をこういうふうに曲げて、穂先の方も幹の方に挿し込んで、その曲がったそのものに、真のオリーブの芽とか枝を挿し込まなければなりません。接ぎ木は複雑です。

 堕落したために根元が腐った。根も先もそのまま切ってしまうのです。先は何も必要ありません。だから根元を切って、こういうふうに一つ下にして、別個の枝みたいにして、穂先をその幹にまたつけて、その他のところに、オリーブの芽とか枝をまた接ぎ木しなければならない。そうしないと、君たちが真の木になる道は生まれてきません。

 それは何を意味するかと言うと、日本を切ってしまい、先祖も皆、切ってしまい、自分の大学とか、そういうものは何も要りません。中間をザァーットと切って、両方を曲げて弓矢みたいにつけて、生かしたものにして、そこに真のオリーブの枝か芽をつけなければならない。二重接ぎ木だということです。分かりました?

 この日本人たち、接ぎ木をするとき、「あー、痛い、あー嫌だ」と話しかけたら日本人になる。死んでも、「日本人だ」という話をしてはいけない。「痛い」と言ってはいけない。死んだような形で、なすがままに、やるがままに従う以外に道はありません。自分の主張は一切しない。主張した場合には、接ぎ木が延長される。無条件に投下されるような立場、投下するのではなくて、投下される以外に道がない。そういうふうにして、一つの体みたいになったところに、その真のオリーブの枝か芽とかを接ぎ木する方法が、真の血統を受け継ぐ接ぎ木の方法です。それを知らなければなりません。それは、自分でできますか? (「できません」)。そんな接ぎ木をこの世の中でやったら、接ぎ木の親父がけっ飛ばして逃げてしまう。そういう接ぎ木の親父が先生だというのです。


永遠の共鳴圏

 悪の血統を受け継いだその罪がどうして赦されますか? それが赦されるためには、真の兄さん、真の旦那さん、真の父母、真の神が君たちと一つになって、赦してやるような立場に立たないと、赦される道がありません。そういうふうにしながら、本当に世の中に解放圏を求めようとして、自分がそれを実行すると考えてみなさい。いかばかり難しいであろう。

 真の兄さんと真の旦那さんの間に、大きなヒマラヤ山脈のような峠がある。また、親とその旦那さんにも峠がある。お父様と神様にも峠がある。だから先生も四十年間、生涯をかけて苦労してきた。神に向かい、神に帰るには、世界の峠を先生でさえも越えなければなりません。そういう峠がいつも残っている。この話は空想ではありません。サタンはそういう峠を作って、「この者、上がって来い。君の通る道はここしかない」と言って、山頂の窓口で待っている。それが復帰の道だ。だから大概の者たちはそこでやられてしまう。

 それにもう一つ、サタンをいかにして屈伏するか。それが問題です。サタンは時空を超越している。いかにそれを屈伏させるか。時空を超越するのは、この世の中にたった一つ、愛しかない。愛、それは偉大な話だ。愛の力はいかに速いことだろう。一秒間に三十万キロと、地球を七周半回るような速い光でも、膨大な大宇宙を行くには二百十億光年もかかるのに、愛は一瞬に飛ぶ。偉大なものです。時空を超越する力は愛しかない。分かりました? (「はい」)

 愛が時空の中に住みたいか? 時空が愛の中に住みたいだろう。宇宙の環境は、愛の環境になりたいと願う。霊界へ行けば愛の環境に変わります。愛の偉大さを我々は知っている。愛に立ち寄る以外には、それを切り抜く道はありません。それは時空世界を主管する王様ということができる。サタンを屈伏させるには、時空より偉大な愛の権限圏を持つことによって、自動的に愛によって治める以外に方法がありません。その愛は、心身共が振動して、一つの焦点に集まって走る道である。心身共に百パーセント振動して、相合わさって進んで行こうという、その方向性に愛は行くというのです。

 だから、良心と肉心が完全に一つになって、目的に向かう突進力の方向とともに愛は走る。だから、心身共鳴圏によって、はっきり絶対的方向性を抱える所には、愛があるという話です。君たちの喜びは、体と良心が共鳴圏になるところに生ずるでしょう。英語で言えばレザナンス(resonance)、それを知らなければならない。共鳴圏に立たなければ愛が生まれてきません。だから、君たちは良心と肉心が永遠に共鳴圏に立っているかということを重視しなければなりません。今後結婚すれば、女性として君たちが主人になりますか、なりませんか? 主人はだますのがいいことか、悪いことか? (「悪いことです」)。だましても分からないでしょう。しかし、宇宙が分かる。すべてが分かるのです。皆、話すのです。愛を中心として、真の愛を通して皆、友たち。岩も話す、そういう境地になる。「君、何歳だ?」と聞くと、ちゃんと言ってくる。どういうふうに生まれて、創造されるときの自分の存在圏、すべての生態、すべてを語る。神様が知らないはずがありません。こんなに大きい盤石の山にしても、姿が煌々荘厳な山といっても、神様から見た場合には「愛されたい」と言うのです。神様が山を見て、「この野郎、なぜ大きくなったか?」と尋ねたとすれば、山は、「神様を喜ばせるために、こんなに大きくなりました」と答えてくる。だから叱ることができない。愛に同化されないものは何一つない。それゆえに、宇宙はすべて愛を守る主人になっているというのです。

 先生はそれを知ったのです。だから、愛の交差する交差点に入ってみれば、宇宙が、霊界が皆分かるというのです。教えられずして分かる。偉大なものだ。お釈迦様が「天上天下唯我独尊」という宣言をしたのは、そのような境地に立ったからです。ちょっと入っただけの境地に立つだけでは、永遠に存在する愛のことは言えません。「神様は自分のうちに」というような基準にはなりません。一体であるが、神もいないし核もない。骨のような中心性が分かりません。だから、人格の神が分からない。相対的位置が絶対の基準に立つということが分からない。それが仏教精神だ。人格神が分からなかった。

 きょうまで女の生活は自由に振る舞ってきた。自分が中心だったように思っていて、中心性も何もなかった。しかし、今からは、そうではありません。ちゃーんと主体が生まれてきたと言うのです。自分がいくら偉いと言っても、自分が大学を卒業しているのに、今の相対者が高等学校しか出ていないからと言って無視したら、男として頬をたたきなさい。女も、旦那さんがそう言ったらほお頬をたたきなさい。愛の相対圏の価値として、君のパートナーとして立たせたい夫婦関係というものは、そういうものではありません。ちゃーんと分かるようになっている。

 堕落した場合には、子供に影響が及ぶ。悪い子供、非礼な子供が生まれてくる。統一教会のりっぱなカップルになっており、顔もいいし、美男、美女が夫婦になっているけど、子供はみっともない片輪になってしまう。だから夫婦は貴いものである。

 美人の女の子、手を挙げてみなさい。「自分はこれぐらいだったら、日本の何番目になっても恥ずかしくない」という女の子、手を挙げてみなさい。それは馬鹿な女です。いくら美人だと言っても、いくら男性がその女性を好きだと言っても、顔を見るとき、目、鼻、口、耳、四つしかありません。それを一生涯にらみつけながら生きていく男はいかばかり不幸か。(笑い)

 愛というぼかすものがなかった場合には、やっていけない。愛の色が染まった場合には、赤いものが黄色に見えるし、とがっているものが深くへこんだり、こういうふうに動いたりする。見れば見るほど分からないように、迷わすように魔力を持っている。愛がそういうふうにして喜ばせるから、その四つを見て生涯引っ張っていけるのであって、自分の美が引っ張っていくと思ったら大間違いです。分かりました? 女の子たち。(「はい」)。美人と言われている女の子たち、どろぼうがつくよ。本当は美人と醜男を組むべきなのに…。そうしたらいかに簡単か。目を閉じて組めばそれでおしまいです。(笑い)


宇宙的愛の統一式

 実際、夫婦生活するのに、先生はいつも面白く考える。ふたりが愛して、一生涯抱えて生きていく。子供を生みながら、苦労を乗り越えて、共に励まし合いながら、生涯かけてのマラソンレースを続けているということを見たとき、どうしてあんなにやれるのか? それは金でもなければ、女の力でも男の力でもない。そこをかき回したのは、偉大な愛の力である。愛は、寝ている子供でさえ舌を巻きながら、お母さんのお乳を願うようなものです。泣きながらも舌を巻き、なめるようにしながら、母のブズム(bosom)、懐を慕うような心を持つ子供の立場と同じです。そんなに貴重なものだ。

 愛するその娘のために、愛する子供のために愛する奥さんのために罪を犯す男はいかばかりだろうか。それは被害が多い。自分の妻とか、自分の子供、娘、そして母とか、愛する者をより大切にしてあげるために、自分一身を犠牲にしてその道をたどっていく。その冒険のために、罪人のように扱われる先生は、刑務所にいる専門家だね。そうだろう?

 今まで何回も刑務所に入っている。刑務所をよく知っている。入ってみれば、皆、愛が動機になっている。そう考えてみた場合には、罪人と思われない。偉大なものだ。刑務所が悪い所ではありません。もしも、天命によってそういう罪を犯したとするならば、地獄に行きません。そこに国が加担し、天が加担する。自分を絶対圏においてなすときには、国を犠牲にしたことが罪になったとしても、愛を第一と思って成していくところに、すべてが解放圏になる。愛だけがすべてを解放する。それを信じるのではなくて、徹底的に分からなくてはならない。分かりました? (「はい」)

 手を挙げてこのように宣誓した場合には、その宣誓は、ただの宣誓というのではありません。男も女もこう宣誓して、結婚を成した場合には、手を挙げたというだけの宣誓ではありません。宇宙の愛、マイナス(−)の愛、プラス(+)の愛を統一して宣誓したことになる。その表徴的手の挙げ方は、いかばかり素晴らしいことか。

 明日の結婚式は、ただ礼服を飾って、澄ました顔つきをしてほほえむそのような姿を見せるだけの式ではありません。先祖より伝来している無限なる力を、無限なる栄光の道をたどって行こうという、その栄光の座に歩調を合わせるための式なのです。新郎新婦が、歴史の方向に歩調を合わせるその歩調は、日本だけにとどまりません。韓国だけにとどまりません。アジアを通して、もっと大きい世界を通して、天宙を通して神の心情圏の中核点に向けて回転しながら、永遠に動き回りながら戻って来られるような、その道をいくというのです。だから、地球も、大きくなったり、小さくなったり、呼吸する。皆、呼吸する。それは愛の授受作用の表徴なのです。すべて姿として現れなければ、存在しないというのです。

 男の手をちょっと触ってみなさい。今触ってみなさい、男の額も女の右手でともに触ってみなさい。気持ちがいいかどうか。それは、日本人の手でもなければ、韓国人の手でもありません。愛の手だよ。分かりました? 何の手ですか? (「愛の手」)。今から愛の手だ。その体は、日本人、韓国人の体ではありません。素晴らしい結論です。

 もしも男が女を殴った場合には、それを韓国人の手と思うのではなく、愛の手と思いなさい。それから女は、爪をとがらせてかきむしり、傷をつけても、「日本女の馬鹿」と言うのではなくて、愛の爪と考えて、深くかいてくれれば、もっと一時に血が吹き出るが、そうなればいいと思うのが愛の奇跡だと考えなさい。

 天地がそこにとどろく。とどろいた後に驚く。泣くよ。(笑い)泣き合った後は、抱き合って転がる。それはいかに素晴らしいか。そういう夫婦になると、いかにけっ飛ばしても感謝する。それを今晩先生に約束しますか? (「はい」)。約束しない者、手を挙げてください。もう約束しましたね。(笑い)


究極の思想

 さあ、一幕が終わりました。結論は、愛は偉大なものである。偉大なものは偉大な行動をする。だから、歩くときも偉大な行動をする。動くときも偉大、話すときも偉大な愛を兼ねて語るとき、偉大なことが起こる。

 偉大な遺産は愛によって残される、先生の生涯はそれです。先生は何も持っていません。先生が今誇れるものは、愛の心情。愛の心情圏は先生によって発明されたし、開拓されました。その世界は、今はまだありません。自由世界にもなければ、共産世界にもない。共産主義は物本主義、唯物主義です。民主主義は神本主義。その神本主義は、キリスト教文化圏が神をさておいてしまって、世俗的な人本主義になってしまった。それは動物的な人本主義、動物的な人間になってしまっている。もはや神は主人ではありません。だから、この両方の世界はもう中心をなくしたから、共にもみ合って、衝突し合って、二つとも疲れてしまった。

 その真っただ中に、レバレンド・ムーンの思想が世界的思想として、学者世界で問題になっている。文先生は「愛の哲学者」、「愛の思想家」、「愛の宗教者」という三大名称が残るようになっている。愛の哲学、愛の思想、愛の宗教、それから愛の実行家。そういう名前がつくようになっている。愛のことを言う場合には、文先生を差しおいて言う者はありません。

 キリストさえそうですし、キリスト教さえそうです。イエス様が実際現れたとしても、先生に習わなければなりません。霊界へ行っているイエス様自体も、先生が説くような内容を知らず、先生が説いてみて初めて分かったのです。そう見れば、統一教会に入って、統一教会の信者になったということは、もう偉いことです。愛の世界に及ぶようなものになったということです。分かりました? (「はい」)

 愛の哲学、愛の思想、愛の宗教、愛の実行、それ以上のものがありますか? 哲学は何かと言うと、神を捜す、神がいるかいないかということを理論的に捜し求めていくものです。神を捜し求めていく哲学は、もうすでに神の発見をせずして、落ちてしまっています。だから、神を知らない者は愛を知ることができません。そういうふうにして、先生に習わなければならない。

 それから、思想というものは、個人的思想、家庭的思想、民族的思想、国家的思想、宇宙的思想があります。「思想」という名前は同じでも、思想の位置というものは皆、別個です。個人の位置においても言えるし、「理想的な夫婦」とか、家庭においても言えるし、思想と言えば、そういう個人的関係とか、氏族、民族自体の方向性が全面化される、四方方向に適用される関係を言うのです。だから思想圏と言えば、理論的体系を持たなければなりません。その体系によって、この現実に組織体制を抱えなければなりません。だから個人的な生活体制から、個人一方ではなく、それらを皆総合的理論的につながなければなりません。それを思想体系と言うのです。個人のいく道も、家庭の行く道も、氏族、民族、国家の行く道も、皆、つながった体制によってそれをまとめた理論、その理論が世界のための理論でなければなりません。

 思想はまた、「共産主義の実行圏」、「民主主義実行圏」というように、実行圏を持っている。それと同じように、統一教会も思想を中心として実行圏を持っています。世界を統一する。民主主義、共産主義、左翼、右翼を消化するゴッデイズム(神主義)とか、ヘッド・ウイング(頭翼思想)とか、神本主義とはそういうものです。

 それから、その思想内容は、例えば国家体制とか、そういう現実の活動舞台にならなければ、思想圏になりません。だから、人種がいかに違ったとしても、四方八方、東西南北がいかに違っても、その方向がその体制に基づいていかなければ、思想ではありません。そのように見た場合には、永遠に持続するものが理想となる。思想というものは皆、理想を求めるものです。そういう面から見て、共産主義、民主主義世界も皆落第です。

 例を挙げれば、人をまとめるには、人が多く住んでいる国がいいのです。それは中国です。アメリカ人が中国を消化しえたか? 消化しえません。共産主義が中国を消化しえたか? 消化しえません。なぜかと言えば、唯物論は唯物だけであって、それは人本主義とか、神、宗教も包容できません。理論的にそうである、というのです。それでは、統一教会の統一式は中国を消化しうると思う? (「できます」)。どういうふうにしてですか? 統一思想は、神本主義も、人本主義も、物本主義も皆入っている。中世は神本主義、今はキリスト教文化、世界大戦以降は人本主義。今は物本主義もだんだん落ちて、真っ暗になってしまって、何も頼るところがなくなってしまった。

 それで、統一教会は中心主義を中心に、神本主義を抱えるようになっている。その相対に、宇宙、天宙に通ずるような愛を中心としての、価値を抱えた人本主義、それから、物本主義も抱えています。体自体は良心の相対圏になっている。物を中心として皆がまとまっている。ばらばらになっていません。愛によって内外共に一つになっている。核は、真の愛によって核になっている。核の反応基盤が体であり、国家であり、世界であり、宇宙である。そういう意味においては、これ以上の世界的、宇宙的な思想はありません。分かりました? (「はい」)


ために生きる

 今は、先生がこういう壇上に座って、こういうことを言うと思っているけれど、今から百年後には、この場をいかに慕うであろう。あのとき言った話の内容は、こういうことであったと。先生がもし結婚式の後、明日かあさってにも死んだとすれば、これは最後の教えになるかもしれない。真理をたどって来る者たちの、その感激の波動は、いかばかり高かっただろう。それは、いかばかり大きい振動圏を抱くものであっただろう。それは偉大なものである。

 神も聞いている。「君が一番好きなものは何ですか、御飯ですか?」。霊界は食べなくても生きられます。「着物ですか?」。着られなくても着るようになっています。「住居ですか?」。宇宙全体が住居です。霊界では、直感的に愛の感覚を宇宙的に拡大して、作用の中核体として持ち帰るような立場に立って、相対的に発表すれば実現されないものがありません。

 だから、前にも言ったように、哲学は神を発見することに失敗した。宗教は何ですか? 神に会って、共に生活し始めるのが宗教である。イエス様の宗教の始まりも、神と生活し始めたでしょう。仏教も皆そうだ。儒教の教えは天ということを言うけれども、人格的な内容をはっきり知らなかった。その宗教は天とともに始まっているけれども、それは天と分かれている。この世界に、堕落圏の雑多な欲望が入っています。それ以外は宗教は皆同じだから、先生も神とともに生活しだして、今出発している。いかに迫害が多かったとしても、それを乗り越えている。共産主義理論、民主主義理論、いかなる理論においてもそれを乗り越えるような中核的位置にある。

 それから、宗教的儀式ばかりの宗教ではありません。罪悪世界の真っただ中に閉じこもって、それを感動的な環境に治め、消化しうるような中心的、中軸的な力を持っている統一教会、これは偉大なものです。どこまで入るか? マフィアの親父の住みかまで入って、霊的現象で屈伏させる。ただ祈るよりも、ためになせというのです。祈るより、ために生きなさい。

 この世の中の悪いところは、自分中心で個人主義になっていることです。神の愛の相対者になって、宇宙を代表した中心者である神に迎えられる、東西南北に通ずるような環境的人格の中心圏を求めて行かなければならないのに、どうして個人主義になりうるか。こういうふうになった世界を屈伏させて、天宙的な方向にいかに回すかということは難しいことであるばかりか、不可能である。


真の父母の分身としての結婚式

 しかし、統一教会に不可能はない。日本の国と韓国の国と、この世の氏族を超えて、民族を超えて結婚するようになった。結婚するのも写真で紹介してあげたのに、皆、乗り気になって大変喜ぶようになったという奇跡。(笑い)天宙にありません。捜してみなさい。これは偉大なことです。若い者たちがなぜここに集まっているか?

 偉大な発見をしたのです。黄金の金脈、世界中の金脈を発見した以上、金剛石の鉱山を発見した以上の偉大なことが起こっている。その偉大な働きをだれがやっているか?

 「我々」がやっているのではありません。″わしがやる″というのです。そういう主体性を持って、わしがやる。私の結婚式に励ますために祝いの者たちがこんなに来ました。そういう考えを持ちなさい。七千双だったら、六千九百九十九、それは仲人だ! (拍手)そんなにたくさん祝いに来たのに、餅一つ作ってあげなくても感謝する者はいかばかり偉大かと考えなさい。我々は愛に第三者が介入することを許しますか? 絶対許しません。

 それで、だれの結婚式ですか? (「私のです」)。「私」はまだ長い。「わし」。鷲は飛ぶ。(笑い)そう考えなさい。二羽の鳩みたいに、ウエディングマーチに合わせて、こういうふうにして歩くその姿は、いかばかりみすぼらしいか。(笑い)君たち、考えてみなさい。それはやる気になりえますか? 動機をもった、偉大な「わし」の結婚式にならざるをえません。「えない」と言ったらえません。(笑い)実感しますか? (「はい」)

 「わし」の結婚式を明日やったら怒鳴りなさい。大きな声で怒鳴っておきなさい。歌でも一つ山頂へ行って歌い、「わしや・」。(笑い)そうするのです。踊って、踊って、踊っていい。座って転んで転んでいい。そう何か印象的なことを残していきなさい。(笑い)それがなければ奥さんのしっぽをけっ飛ばしてもいい。(笑い)何とか記念になるように、共に相談してやりなさい。分かりました? (「はい」)。そうしたら、その記念品を見たときに、けんかしようとしても引っ込んでしまう。それが必要です。

 君たち、結婚の後に、自由自在に生活できますか、できませんか? 夫婦共の生活はだれが干渉しますか。(「神です」)。その世界にだれが干渉しますか? 愛が干渉します。

 四十日を通過しないと、真の愛が来るのに、基本数が、四十回転とか四十が合わないというと、愛の通行が不可能です。基本が四十回、基本が四十合わないと平均になりません。平行にならない。だから、荒野四十日とか、四十年の歴史蕩減、四千年の蕩減とか言われてきた。それから三日式は分別式です。韓国の歴史は四千三百年を起点として、今年は二十一年目、実に原理的です。先生が、「世界統一国開天日」を発表したのが十月三日の開天節で、ちょうど(壇紀)四千三百二十一年のその日に当たります。記念に残しておきなさい。分かりました? (「はい」)。だれの結婚式ですか? (「わし」)。わしの結婚式です。その「わし」という者は、世界に村して勝利した「わし」。サタンに命令する力を持つ、サタンを屈伏する、闘いの勝者としての「わし」。それを自覚しなさい。サタンに勝ったの? (「勝ちました」)。わしたる者はだれに勝った? (「サタン」)。サタンです。サタンに命令するようなアダムに接ぎ木された「わし」。それが目的です。しかし、君たちは神の愛を中心として、真の愛につながる血統圏をつないでいません。

 だから、君たちは「勝った」と言おうとしても、自分の名前でいくら「勝った」と言っても、サタンが逃げて行きません。「真の父母によって勝った」と言うしかありません。真の父母を骨とし、君たちはその骨の副体としての「わし」。分かりました? はっきり覚えておきなさい。(「はい」)。それは、貴重なものです。

 自分で、「サタンの勝者になった」といくら言っても、サタンは相対しません。真の父母と神によって勝ったその基準に通じる「わし」は、その副体となっている。真の父母を骨とすれば、わしは肉みたいな一体圏になっている。父子関係、父子関係にある。「それは、だれがそうなったと言うのか」。「復帰理想の目的においては、サタンの血統をけっ飛ばして真の血統に帰るような父子関係の因縁が、堕落する前の原型ではありませんか」。それでサタンも、「ホッホッ、そうであったかな」。それをはっきりしておきなさい。

 だからお父様を骨として、君たちを肉とすれば、この結婚式は、お父様の結婚式とともに自分の結婚式になるというのです。君たちの結婚式に、先生が同参してあげるという話です。真の父母が価値に同参して、参席して一体化の基準を結束してあげないというと、そういう因縁が立ちません。これをはっきり知らなければなりません。

 だれの結婚式ですか? (「わし」)。わしの結婚式、それはご父母様の分身としての結婚式であるということ、これが貴重です。そうしないと、君たちの結婚式の中間に骨が立ちません。横的垂直の、親の心情圏がないことになるから、その結婚式はサタン圏に基づくものであるということになる。分かりました? (「はい」)

 だから、真のご父母の分身としての夫婦間係、父母様に伴っていくような夫婦生活をしなければならない。ご父母様がその真なる子供を残すために、すべてをささげて蕩減の道をさかのぼって来ながら、乗り越えて勝利の道を立たせたのと同じように、自分たちもその後を謙遜に従いついて行こうという、生涯決定の道をスタートするのが結婚式なのです。それは貴重なことです。そうしなければ、君たちの後はいつでもサタンがついて回る。


天国の王座

 君たちの血統は、先生から「真の親」と教えられたし、君たちは「真の親の子女」と教えられて、はっきり分かっている。それを自覚しなければならない。それが一つの原点です。ご父母様は天に、君たちは地に、神様を囲んで一つになったというふうに、あるいは、ご父母様は右に、君たちは左に、東西南北の中核の立場に立っている分身だ。分かりました? (「はい」)。そうしないと接ぎ木になりません。だからご父母様のことを研究しなければならない。

 お母様、お父様はけんかをよくしますか、しませんか? 世界一です。けんかをするにも世界一ではありませんか。(笑い)お母様と先生は、「もしも子供がいた場合には、子供たちに涙を見せてはいけません」という盟約をしている。夫婦げんかをするような姿を見せたらいけません。子供は第二の、下の神様である。神様は、上の神様。自分たちは今の神様、中間の神。皆神様である。神様の分身である。

 だから、父母たる者は、自分の子供に対して嘆きの涙を見せたら、上を見上げることができません。それを記憶しなさい。君たちはいつも生きている神様だ。正義の審判をなしうる審判官だ。兄弟は左右にある神様だ。だから、りっぱな人格者となり、その息子、娘もりっぱな人格者とならなければならない。

 人の親になるには、そう簡単なものではありません。これは宇宙的に難しい。一生において、夫婦げんかをして、涙を見せるようなことは絶対にしてはいけません。それを守らなければならない。いくら死ぬくらいにたたき合うような境地だったとしても、子供が、「母ちゃん!」と言えば、さっと、何もなかったような立場に返らなければならない。それがご父母様の生活様式です。だから、子供たちが今二十四歳にもなったのに、先生がけんかをするのを見たことがない。涙を流すのを見たことがない。もう手が出そうになっても、それは守らなければならない。

 親の前にはいつも愛。子供の前にはいつも愛。夫婦の前にはいつも愛。その家庭を中心として生活してみればいつも愛。それを考えてみた場合には、いかばかり貴いであろう。それが天国の王座だ。そこは、神様が住まいとして、万年とどまりたい安息地になるであろう。だから、先生の子供たちは一般の子供たちと違うのです。鋭い。血統が違う。


父母として立つ道

 イエス様の恨みを解放してあげなければならない。それが、地上に結婚する者たちの責任である。

 イエス様は真の親として、地上天国実現のために来られた。ザカリヤの家庭とヨセフの家庭において、洗礼ヨハネとイエス様はカイン、アベルだ。洗礼ヨハネがイエス様の兄さんであり、別な腹から生まれた兄弟だった。それを知らなかった。家族同士隠していた。イエス様の家族がアベルであり、洗礼ヨハネの家族がカイン、その二つの家族が一つにならない場合には、父母の立つところがない。長男も次男も、神の愛によって生まれるのが原理原則なのに、これが反対になっている。だから、原理原則の基準を通過しない以上は、親のいくべき通が生まれてこない。これをはっきり知らなければなりません。

 洗礼ヨハネの家族と、イエス様の家族が一つになることによって、アベル家族であるイエス様の家族が兄さんになり、洗礼ヨハネが弟になる。イエス様は弟であり、洗礼ヨハネは兄さんであるけれど、家族的に組まれた場合に、氏族的長子権復帰の基台として現れないというと、親としての神、天の前に恥ずかしくない立場に立つことができない。それが反対になった場合には、親の立場が堕落圏に立つことになる。原理をはっきり分からなければなりません。いつでもカイン、アベル問題が問題になってくる。

 だから、君たちの家にも、悪に頼る兄弟がいるとともに、善に頼る兄弟がいる。いつも二つになっている。国家もそうです。野党と与党。民主主義世界もそうだし、共産主義世界もそうだ。無神論世界と有神論世界と、皆そうなっているだろう?

 だから、この世界において共産主義と民主主義がカイン、アベル、それが逆になって一つにならなければ、世界の中心として、ご父母様として立つ道が生まれないというのです。

 それが、個人から家族、氏族、民族、国家、世界になっている。だから先生は今、個人的カイン、アベルを中心として世界的に闘っています。体と心を中心として世界的に関っている。体はカインの立場であり、心はアベルの立場である。神は良心の立場に立って、サタンは肉身の立場で闘う。それを逆に、長子権を復帰することによって、個人の勝利圏が生まれ、神様が親として立つ。個人的な立場に立つことになる。それが男女ともに、その立場に立つ夫婦として一つになった場合に、その夫婦を中心として、横的にカイン、アベル基準として立つ。そういう家には神様が臨在するというのです。それを、はっきり知らなければなりません。

 君たちは祝福される前に、イエス様が地上に来られて失敗したそのことを回復しなければならない。だから、統一教会で今までやって来たのが″ホームチャーチ″、家庭教会だったのです。その三百六十軒を、もしも洗礼ヨハネとして君たちが立てたとするならば、ホームチャーチは洗礼ヨハネの氏族に当たり、それはカインの立場である。イエス様の立場は君たちの本家であり、アベルの立場です。だから、洗礼ヨハネ圏をイエス様の立場から一つずつ成したとすれば、自分の故郷に帰れば、自分の一族、イエス様のヨセフ一族は一週間以内にすぐ一つになるようになっていたのです。

 それで、一つになった場合には、その責任者が中心になっているから、自動的に長子権を得たのと同じ立場において、その洗礼ヨハネ圏の立場にあるホームチャーチは従うようになるというのです。その基盤においてご父母様が立つようになる。ホームチャーチの目標はそのためです。分かりました?

 イエス様が十字架につけられたために、氏族的に蕩減されえなかったことを復帰するために、そういうような基台を造らせてきたのが、先生が今やってきたことです。

 先生は、そのようにして個人的、家庭的、氏族的、民族的に、先生の家庭を引き連れながら、日本だったら日本民族、韓国だったら韓国民族、世界中の民族から、サタン世界から、ずーっと反発されながらアメリカへ行った。アメリカを中心として、カイン圏の牢屋に入りながらも、地獄に落ちるべき者を、天国へ引き上げるような道を開いてあげたことによって、先生によって救われたカイン圏のキリスト教文化圏は追いすがらざるをえない。そして、韓国まで七千人を引き連れてきました。その牧師たちは、アメリカに行って皆リージョナルリーダーになっている。皆尊敬する。そこにおいて、カイン、アベルを国家的、世界的に合わせる基準を成しえたために、先生は父母の立場に立った。

 そして、新しい世界統合、世界統一のために、左翼、右翼、民主主義と共産主義を元に返して、その基盤を頼りつつ、今それが南北に引っかかっているのです。ソビエトを中心とした衛星国家、中国につながった北韓と、民主主義全体の対峙するセンターが板門店です。板門店は霊界から見ると、サタンが讒訴する「讒訴門」と同じです。

 霊界に入ると、必ずサタンの検事と神様の弁護士が論争する。「おまえ、そのまま天国に入れません」。「そうじゃありません。こういうことなんだから…」。そういうふうにして今闘っている所が板門店だ。板門店は今、天国の「金門店」の表徴である。それは世界に一つしかない。金日成も、「親」と言うでしょう? 「金日成アボジ」。南の韓国にいる先生を何と言いますか? (「アボジ」)。面白い言葉だ。「ソウル」と書いて、「アボジ、ご父母様」と言えば、先生のところに手紙が来るのです。(拍手)「NEW YORK CITY」と書いて「Rev・MOON」と送れば、ちゃんと先生の所に来る。(拍手)「地球村」と書いて「文先生」と送れば、ちゃんと入るようになっている。(拍手)先生の名前の復活とともに、実体復活が伴われる。それは、原理がそういうふうになっているからです。


蕩減復帰の道

 君たちは「蕩減復帰」と言うが、いつ蕩減復帰したか? 蕩減の道は、個人的蕩減、家庭的蕩減、それから氏族的蕩減、民族的蕩減、国家的蕩減、世界的蕩減、天宙的蕩減、それから神に帰って、神を解放しなければならない。神を解放するには愛の段階まで八段階行かなければならない。

 サタンは言う。「いくら神を発見したって、あなたの理想世界は授けられません。神の愛をわたしに授与しないと退きません」と、堂々と言う。

 イエス様は、「(汝の)怨讐を愛せ」と教えました。先生は国家的怨讐を愛して天国出現を発表しています。サタンが天の首を絞めて、讒訴しうるその力の本がここにある。サタンいわく、「わたしはこういう悪者になって堕落したとしても、全能絶対なる神様は永遠に神様でなければならない。わたしみたいに法を犯すような者では絶対にありえません」と言うと、神は、「そうだ」。「そうだったら、もともとの理想郷の基準から見た場合には、天国に入れる者は神とともに一つになって、神の愛でもって、神とともに天使長を愛するようになっているのが原理じゃありませんか?」と問う。そうすると、神様は、「そうだ」。「だから、神の子供として生まれた者が天国に入るには、神とともに、わたし(天使長)を愛さずしては天国へ入れないというのが原則だ」。そこに引っかかっているのです。

 イエス様はその道を行くために、十字架につけられ、槍で胸を刺されて殺されるような怨讐に村して、神に赦しを願ったというのです。その赦しの基準が一人ではなく、国家基準でした。分かりました? (「はい」)。だから、天国に入るには、サタンの国と、サタンの世界を愛さずしては、神とともにサタンを愛さずしては、天国は生まれてきません。それが原理です。宗教界はこれを今まで分からなかった。

 いつもサタンは、なぜ最後まで追いかけて回るか。個人蕩減、家庭蕩減、氏族、民族、国家、世界蕩減、天宙蕩減の愛の基準まで到達するには、天国の愛の基準に到達するその責任分担を果たさなくてはならない。愛に到達して、天上天国に入るには、サタンまで愛さなくては天国に入れないという原理原則があるからである。先生もその基準に引っかかっている。み旨にいくら頑張っても、個人蕩減の勝利圏を得て、神につなぐような道を得るには、「神とともに、わたしを愛したという条件の項目を、わたしがサインしなければ勝利圏として譲与しません」。その道である。三人以上の迫害する者を、愛でもって屈伏させなければならない。それが蕩減復帰である。

 だから、蕩減復帰は逆に打たれる道である。打たれて復帰する。神の戦法は、打たれて賠償金をもらう。サタンは打って滅亡する。打って譲与する。だから、個人的にそういう蕩減の道をたどるとともに、氏族、民族、国家的にもその道をたどってきた。だから先生は全南韓において迫害されただろう。迫害しない者がなかった。世界的に完全な迫害を受けた。

 それで、一九七六年を中心として全世界的に統一教会を迫害してきた。迫害する百三十七か国に宣教師を送って、カーター政府と衝突しながら、騒ぎの真っただ中に宣教師を送って迫害を受けるようにした。いろいろな迫害を受けながら最大の迫害期を迎えた。アメリカにおいて、ニューヨーク界を代表したヤンキースタジアム大会においてニューヨークを救う。いくら反対されても、神に向かう神側の群れが、君らが大使たちだったのです。

 ワシントンの三十万人の大会もそうだ。「レバレンド・ムーン」と言えば、アメリカ政府でも押さえつけられると思ったのにどうにもならない。ワシントン・タイムズも″何でもない″と思っていた。彼らも法の手段をもって追求すると、四十日期間内に許可した。許可せざるをえなかった。だから四十日期間において、ああいう歴史にない大会を成しえた。そこにおいてアメリカ政府はがっかりした。アメリカ政府の力では、宗教自由圏を自認するアメリカ世界は、どうにも手のつけようがない。後退せざるをえない。反対されて、結局打たれて、最後に屈伏するようにした。何の話か分かりますか? 貴重なことを言っているのに、これが分からなかったら大変なことになる。


内外の長子権復帰

 そういうふうにして牢屋まで引きずられて、「この野郎!残しておいたら大変だ。殺してしまう」と言うのです。もし法律がなかったら殺されていたはずです。しかし、再臨時代に、保護するための方便として作られた民主主義のため、殺されずに獄中に入って行った。

 アメリカは文先生にとって怨讐国家であるにもかかわらず、アメリカを救うために、文先生の怨讐である日本を動員させた。それからアメリカ人はもちろん、ドイツ人も動員して、怨讐国家四か国がともに固まって、アメリカ人よりアメリカを愛する。そのアメリカは世界を指導する世界の指導国家である。世界の指導国家を握り、守る。

 アメリカ人は、世界指導国家を愛さずして、アメリカを堕落させてしまうところを、我々がアメリカに立って、世界万国を愛する心情圏に結びつけて、アメリカを回復しようとする運動をした。アメリカに行っている君たちの先輩がそういう歴史を持っている。韓国人、日本人、アメリカ人、ドイツ人、この四か国が一つになって、愛国心より以上の心情圏、愛したという基準を立たせることによって、神とともに、アメリカ自体を愛したその基準においてサタンは泣かされる。愛さざるをえない。

 だから、世界的に指導権を持つ基準においてサタンに勝利したために、民主主義を引き連れて、代表して南韓に出発する。韓国民族は、悲惨な、世界的な民主主義の先端国家になっている。それは、アベル圏が方向を知らずして問題になっている。渦に巻き込まれて死にそうになっている、その渦巻きを先生が引き掛けて、それをコントロールしなければならない。それが七六年、七七年、七八年の活動であった。この期間において、方向を完全にめちゃくちゃにされたその中で、文先生だけが韓国の希望だった。今や、韓国民族の前に統一教会は完全に長子権を抱えるようになった。韓国の政府自体が、先生を無視することができないような方向に今完全に入っている。

 北韓はサタン世界だから破壊工作をやる。一九五〇年に六・二五動乱を中心として破壊をなすことによって、民主主義世界と共産主義世界に完全に両極に分立されて、歴史的破壊現象が起こった。北がサタン、南が神だったら和合しなければならない。それが今度のオリンピック大会を中心として、ソビエトとアメリカが、衛星国家とともに、中国とともに韓国に来て一つになりえた。完全に、衛星国家圏が韓国と一つになった。

 ソビエトも今大変だ。中国も大変だ。中国とソビエトがいかにして韓国に近寄るか。そういうふうになっている。ソビエトから見た場合には、北韓に依頼することよりも、南に立ち寄った方が有利である。ソビエト、中国は南韓を自由自在に操れると思っているけれど、そこに、レバレンド・ムーンがいるということを知らなければならない。逆に消化される大物が住んでいるということを、中国は分かるようになっている。それは、日本において平和高速道路。今、大きな中国自体は重工業化が必要だし、重工業の発展が緊急に必要だ。そういうような世界の現状の中で、八一年の第十回科学者会議において、先生は科学技術平準化の世界伝道をなした。

 今から八年前に先生が発表したそのものが、ちゃんと歴史的な図書館に皆入っている。大学総長、各国家の指導者たちに皆送っているから皆知っている。そういう面から見て、韓国を中心として、日本と中国とアメリカを中心として四大国家を結ぶような基準を作った。だから、アジアにおいて、日本と、アジア天使長国家である中国を結べば、カインは向かうところがない。アメリカは西洋の天使長だ。そういうような運勢をまとめているから、こういう基準を内外ともに立て、カイン、アベルの統一権限を中心として、内的長子権復帰、外的長子権復帰のために、オリンピック大会とともに、我々の百二十か国の宣教師と各国のリーダーを集めた。

 そのときにも皆先生が土産を与えた。ヤコブがエサウに会ったときに、すべてをささげた。ソ連の選手団一行も、たくさんの土産品を先生からもらった。それで、このごろ、先生に各国の責任者から皆、「ありがとうございました。韓国で世界的なオリンピック大会に出て、自分たちをこのように優待してくれた先生に感謝します」という手紙が来た。そう見れば、オリンピック大会は先生がしたような立場になってくるというのです。(拍手)


世界基準を超えた祝福

 第二次大戦中、先生は日本の憲兵や警察に追われたり、獄中生活をしたりして、非常に迫害を受けた。やっと戦後になったとき、神のみ旨から見た場合には、「打たれて倒れた者を打つ者が、また打たれるようになる」というその言葉のとおり、怨讐であったその者を、本来ならば復讐すべきにもかかわらず、彼らを皆日本に返した。そういう後始末をして送ってあげたのです。その見返りとして、この日本の若者が先生のために命懸けで奉仕する。因果法則は厳格なものである。なぜ君たちはこういうようになったか。種をまいたその基準があるからです。分かりました? (「はい」)

 日本は怨讐である。神の愛に通じて愛したその愛に報いるために、末の時期、転換期において、日本の重要な若者や頭のいい者は先生につくようになる。それは、神の原理原則に通ずる真理である。それを知っておかなければならない。

 今度祝賀に来た者たちは、女も男も顔も良く芳しい姿をしている。皆韓国人のような顔をしている。それは、末の時期に、日本の革新的な第二世を引っ張って韓国に引きつけ、アジアの新しい天地の出発をなそうとするためである。分かりました? (「はい」)

 先生がこの十月三日に、「世界統一国開天日」を発表した。これは「天を開く」という意味で、「紀元節」と同じです。歴史以来初めてそういう発表をしたのも、蕩減条件を立てて国家を超えて世界へ進む時代になってきたからである。今からの統一教会の交際や伝道は、頂点だけすればいいというのです。

 だから、それを目指して、今、国家的次元につなげなければならない。横的世界的基準に、天的心情、天と地を結びつける両父母様の心情圏が、個人から世界に通ずる垂直線を下ろした。それに平行の韓国に村して、エバ国家である日本、アダムの心情とエバの心情が平行に立つことによって、世界は動くようになる。そのために、日本の女性は韓国人と、韓国の女性は日本人と祝福した。アダム国家の中心は先生であるというのです。アダム国家の中心が男である。アダム国家の男がプラスとすれば、アダム国家のエバは韓国の女性です。韓国の女性がマイナスとなって、プラスである日本の男性と一つになる。そうした場合には、日本の女性は逆に回って、韓国の男性と四位基台になって“グルグル”と回転運動が始まる。プラス、マイナス、こういうふうに四か所に立って、完全に自動的に垂直運動をすれば、モーターに電気回転運動が起こるのと同じように宇宙は回る。

 今度の祝福は、そういうような歴史的限界を超えるためのものである。こういう国家的次元と結びつくのが原理的であるから、原理の主人である先生は、こういうことをしているということを忘れてはなりません!(「はい!」)

 イギリスとフランス、フランスとドイツ、それからアメリカとカナダというように、何カ国かを十万双ぐらい祝福するとすれば、世界はもう回るようになります。そういう計画の下で、先生は「文化オリンピック大会」を発表するとともに、世界的男女を集めて祝福をするということを発表している。その訓練だ。(拍手)

 オリンピック大会で、もしもこういうことをしたとすれば、それは素晴らしいことだ。明日以後に世界に風が吹くだろう。

 「またレバレンド・ムーンがやった!」、「何やった?」、「日本の男、女たちを盗んできて、韓国の男と強制的に結婚式やった!」と言うだろう?

 何も知らないで何を言うか。何の内容もないのに、いくら騒いだとしても、そのようなことは通じません。いくら騒いだとしても、それは烏合の衆になる。

 先生は、こういうような歴史的な内容を明らかにしたうえで、志ある者、知恵ある者、頭ある者は、だれも否定できないという基台の上に発表している。そのことを知っている我々は、堂々と誇るべき所に立ってやっているのである。これは恥ずかしいことですか、誇るべきことですか? (「誇るべきことです」)

 君たちの右を見てみなさい。君たちが求める以上の顔つきを皆している。君たちが求めたとしても、みっともない格好した者を求めただろう。自分たちにいいような者だったら、子供たちは皆ペっちゃんこ、国は将来ペっちゃんこになる。二世をりっぱに生んで、偉大にさせないと国は栄えません。

 それを見て先生は真剣な立場で君たちを紹介してあげた。それも写真でなしたというのは偉大である!(拍手)写真を見て喜んだだろう? 電報受けて喜んだだろう? 写真も見ないで喜ぶ者もいた。(笑い)そういうふうに組まれたその基準が、世界基準を超えている。そのような心情圏はサタン世界では造ることができません。ただできるのは、文先生しかありません。(拍手)今から十年、百年後の世界は、こういうような波涛に漂わないものは一つもないというのです。(拍手)これをやるべきか、やらざるべきか? (「やるべきです」)。両手を力強く握ってやるべきか、伸ばしてやるべきか?

 こういうふうに締めてやるべきか? (「力強く」)。力強く握ってみなさい! 両手をしっかり握れ。それは悲惨なようですが、そうではありません。こういうような言葉も通じない合同結婚式をするのは、もうすでに歴史が古い。イギリスの男とドイツの女を組んだ。ドイツの女は腕白な女で、イギリスの男は、余り従順で女みたいな男だった。言葉は一も語れません。一つも分からない。そういう者を、通訳を通して先生がこういう国の見合いの写真を出して、未来のことを考えながらやるとき、先生も非常に寂しかった。それはみすぼらしい立場だった。なぜこういうことをやるか? 金がもらえるのでもなければ、讃える者もいない。皆に聞けば皆、悪口を言うはずのそのことをなぜしたか? そうしないと、神の国が生まれて来ないからである。


栄光の歴史的瞬間

 天の伝統に乗って父母の前で今祝福を受け、結婚するということは、すべてを伝授する時間である。それを知らなければならない。すべてを伝授する。真の父母として、生涯かけて求めた勝利圏のすべてを、天来のすべてを真の愛によって伝授する。

 真の愛に接すれば同参権がある。どこでもともに参席しうる。高い所も、低い所も、地獄のどん底でも同参しうる。それから同位権を持っている。どこの位置にも行かれる。お父様が首相官邸へ行けば、それはいつでもついて来れる。大統領官邸へもいつでも行ける。真の愛には、同参、同位権がある。最後には、相続権がある。

 そういうような心情圏を抱えることによって、神様自体が私の親であり、真の父母が私の親であり、そのそうそうたるすべての天宙、すべての物が私の物になる。それを動かしている中核の母体の力が、真の愛が私を守る、私を立たせる。それは私の物になる。それ以上私に願うものがありません。「栄光」と言えば、それ以上の栄光はないし、「勝利」といえばそれ以上の勝利はない。成しうるすべてにおいて、残した物は何ものもないような勝利圏に立つという、偉大な道を迎える瞬間、今日一晩を境目として迎えようとする、歴史的瞬間の時期に立っている。それをはっきり君たち、分からなければならない。

 真の愛を知った以上、その道を守っていく決意を固めて、新しく復活しえた理想的夫婦として、イエス様の悩みを解放し、真の父母の四十三年以来の恨みを解放する者にならなければならない。四千年来の文化的、摂理的イスラエル民族を通しての神の辛さを歴史的に解放してきたということが分かったために、未来、将来にわたって、その責任を果たすのに恥ずかしくないような中心者になりうるのである。今から新しい、氏族の真の先祖たちが韓国の地に、世界の地に生まれるであろう。

 イエス様をメシヤとして神様は送ったにもかかわらず、祝福の家庭を求めえずして死んでいった。先生は七十年間苦労してきたが、国を超えて結婚しうる、メシヤ的、世界的基盤において、勝利の結婚を成しえた。その上に解放圏を迎えて、故郷に帰る先祖たちを派遣する偉大な日が目前に展開し、現世の世界に現れたということは、神の、天来の望みの的であったということを忘れてはならない。分かりましたか? (「はい」)。響き渡るそのラッパの昔とともに、朝日を迎えつつ、自分の故郷に、勝利の権限を持って前進する姿を高らかに誇りつつ、進んでいく末来の希望はいかばかりであろう。日本が問題ではありません。韓国が問題ではありません。アジアが我々の足に、世界が我々の懐にかかってくる時代に転換しつつある。それを相続して、跳躍、飛躍して、世界へ跳び出そうじゃありませんか!(歓声が沸き上がる)。歓迎する者、両手を挙げて。(挙手、拍手)…決意したね。(「はい」)


三大歴史過程を中心としての十字架路程

 今から血統的転換式を行う。神から祝福を受けるには、神の血統を受けなくては受けることはできません。前にいた立場から接ぎ木されるには、そういうような難しい過程を通過しなければなりません。しかし、君たちの背後は知る必要がない。先生がいかに闘って、こういうような血統を、勝利圏をえたかということは簡単ではない。惨めな過程だ。

 旧約時代は物を祭物にささげる時代である。それは、物を犠牲にして神の子供を救うためである。新約時代は子供を犠牲にする。それは、親の来られる道を作るためであるというのです。だから、イエス・キリストが子供として来られたのに、親の代わりにとどまることができず、カインの立場を屈伏させることができなかったのです。それゆえに、アベルの立場を引き続かせて、霊的救援の道を行かれたのです。そのとき、地上まで反対してきました。だから、それ以降のキリスト教は、数多くの血を流して、神の子供を犠牲にして、親の道を開くために犠牲になってきたのです。

 今度は、親がこの地上に来て、キリスト教文化とキリスト教とアメリカ自由世界と一つになって、カイン、アベルの勝利基台に立ったとするならば、先生が四十歳のときに、すでに世界は一つになったはずです。一九四五年から一九五二年の七年間において、世界的旧教と新教、ローマンカトリックとプロテスタントを一つにして、自由世界を抱えて勝利圏をえたとするならば、共産主義は生まれてきません。キリスト教が責任を果たしえなかったために、サタンが再侵入し、共産主義出発とともに世界は乱れて、民主世界が被害を被った。責任を果たしえなかったキリスト教界と自由世界は打たれる。めちゃくちゃになった。なぜか。ご父母様の来られる道のために準備されたその基台が、サタンに侵害されたからである。

 そのことによって、基台なき所に現れて、親の立場に立つべき先生は、キリスト教文化圏の代わりに統一教会を中心として統一国家を求め、世界の自由世界基盤を吸収して世界統一圏に向かおうとした。それが親の希望であり、真の父母の希望である。だから、旧約時代は新約時代を生かすため、新約時代は成約時代を生かすために世界を準備したにもかかわらず、責任を果たすべき、選ばれた者が使命を果たしえないために、すべてを砕いてしまった。それと同様に、今度先生を中心とした統一教会と世界の行く道を備えなければ、どういう結果になるか考えてみなさい。世界は滅亡する。それほど深刻です。

 だから、旧約時代は物の犠牲にしてきた。新約時代は子供を犠牲にしてきた。成約時代は親が十字架につけられる道をたどって来たという、三大歴史過程を中心としての十字架の道を忘れてはならない。

 物を見た場合に旧約時代を思い、子供を見た場合に新約時代を思い、自分の夫婦たちを見た場合に真の成約時代を考えなければならない。成約時代は、自分が親として立ったとするならば、子供が平面に立って一つとなり、その子供とともに、横的に万物ともどもに一つとなる。エデンの園に、アダムの家庭なるべきその基準をこういうふうにしてまとめてきた。それゆえに、君たちの食べる御飯は歴史を代表し、君が生んだ子供は歴史を代表し、自分たち夫婦は、歴史を通して神の復帰路程に投入した旧約時代、新約時代、成約時代の親の身代わりに立っているという真剣な立場を忘れてはなりません。分かりました? (「はい」)


所有権決定

 すべてを、神の愛によって所有権決定を成しえて主人になるべき神様、主人になるべき真の父母、それから真の子供、真の物になるべきであったのに、それができなくて逆さまになって、物と子供を犠牲にして蕩減復帰をして、歴史を通して中心核を求めてきたということを忘れてはいけません。分かりましたか? (「はい」)

 真の父母は十字架を通じてきた。アメリカのダンベリーの道は二十世紀の世界的十字架の道である。イエス様が十字架につけられたとき、ローマ兵に向かって祈ったと同じように、そのアメリカ国家に対して祈りつつ、救いの道をたどって、現世のアメリカの宣教の勝利的基盤を作ったのが先生である。

 それで、世界には、多くの家族があるけれども、家族に属するそのものは、神のものではありません。その子供が神のものではありません。その夫婦が神のものではありません。こういう悪の世界にあって、我々は神を代表して、我々の抱えるものは神のものであり、我々の抱える子供は神の子供であり、我々自身は神を代表した中心家庭である。抱えるすべてのものが神のものである。そうして初めて氏族が神の氏族、国と世界がそういうふうになる。その後に、世界全体を代表した神様、真のご父母様を中心として、世界万民が、世界の万物が、すべて一つの大家族として、一体化されたそのものが、神の所有にならなければならない。

 今まで、所有権というものが間道になっているだろう? 共産主義の所有は社会的所有、国家所有に、民主主義の所有は個人所有になっている。それは移行している。全世界は神のものであり、全世界は子供のものであり、それは家庭のものである。その移行する過程において、まとめなければならない。ただ神が主人なのに、(サタンが主人となった。それゆえに、再び)神が所有権を持つ主人になって、それから真の父母によって自分の子供に授けられてこそ、この所有決定権は神の世界のものになる、家庭のものになるということを分かりました? (「はい!」)

 返さなければならない。返すには、君たち、原理的に習ったように、僕の僕の立場から僕の立場、それから養子の立場、庶子の立場、実子の立場、それからエバ、アダムを通して、神の方として、愛の方に八段階戻らなければならない。それは、縦的な蕩減の道をいうのである。また、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族、国家、世界復帰の、横的復帰八段階ともども必要である。分かりました? (「はい」)。心情圏を立たせるために、神はこういうような道をたどって来た。

 君たちは先生を迎えて「先生」と言う前に、あなたは僕の僕の道に死なずして残り、勝利の旗を立てて僕を屈伏し、それから養子として、それから庶子圏、実子圏を持ち、そうして真のアベルの勝利圏を立たせて真の母を、エバを立たせ、エバとともに一つにならなければなりません。エバがカイン、アベルを生んだのだから、一人では帰れません。双子を抱えて子供が戦ったらいけない、け飛ばしたらいけない。共に引き裂き合う怨讐になるべきその(二人が)母の懐に入ることによって抱き合う。

 日本と韓国は怨讐である。母の懐に抱き合わなければなりません。懐に抱き合う女、エバにならなければ、アダムの懐に帰ることができません。アダムは、エバとこの双子を抱き合って、四人ともに抱き合って、神に帰らなければなりません。それが先生の使命である。

 エバ国家、そして天使長国家、アベル的天使長、カイン的天使長、怨讐の怨讐、死んでも離れないようなアダム、エバ、死んでも離れないようなアメリカとドイツを組まなければ地上天国は成立しません。ここから、ご父母様の成さなければならない使命が促している未来を眺めつつ、君たちの生活の出発をする。

 励ますのも、急ぐのも、その目的を短縮するため以外の何ものでもありません。こういう無理なことをして何になるか? 一週間以内に七千組に近い結婚式を成しうるということは無理である。世の中にないことを初めて成した。これは一つの証拠になる。文化オリンピック大会に若者たちが申請して来た場合には、皆三年間準備するのです。原理の教えは三年間準備する。それも写真で紹介する。十万双も先生が十日以内に成す。そう見た場合に、「りっぱだ、よく組まれたものだ」とたたえざるをえないような天才的力を先生は持っている。皆分かる。神はそういうような霊的感覚を授けたから、こういうことをなしうる未来の力があったからではないか。

 それで、日本人はアメリカへ行って、アメリカ人とドイツ人を一つに抱えていかなければならない。ドイツに行って、ヨーロッパに行って、アメリカに行って、そういう伝統的精神を日本が植えつけなければならない。

 日本において、世界中の金が皆、集まるようになったのは、エバがなくしたそのものを元に戻すためである。そのお金は日本の国のものではありません。アジアを通して、日本が世界のために尽くさなければ、日本はペっちゃんこになる。見なさい。今年が境目である。その境目の日本を減ぼしたくないから、こういうことをやるのです。

 今度、できれば結婚の後に、聖婚献金をしなければならない。一族を代表した立場で献金をしなさい。日本の財産をあなたの後に引きつけることによって日本は滅びる。下がるようになっている。分かりました? (「はい」)。一族を中心として、物と子供と国がそれを条件として元に帰らないといけない。物と君たちと家族は、天に、主人の方向に帰らなければなりません。だから、聖婚献金をするようになった。何の話か分かったの? (「はい」)。先生は金が欲しいからじゃありません。日本のためである。

 先生はそういうような悲惨な歴史を、路程を経て来た。君たちには分からない。そういうことは言いたくない。親の苦労したことは、子供に対して残したくない。皆隠していきたい。怨讐たちにいじめられたことを忘れたい。皆、忘れてしまう。なぜか? エデンの園で、堕落圏の悲しみがない立場の主人にならざるをえない、その原理の要求を知ったからである。分かりました? (「はい」)

 いつも、ひもじい男の姿をしながらも、何もなかったように神に侍りつつ、神を慰めつつこの難しい蕩減の峠を越えなければ、平安の地上天国は生まれてきません。その代表者、公的な者は寂しい者である。分かりました? (「はい」)

 だれか一人立って、「文先生はこういうことをなして…」と一言言う者があった場合は、先生は痛哭するその心情を持っている。年寄りの、涙も皆、渇くような七十近いおじいさんになっているというのに、それは、哀れみの涙が流れを止めることができないような寂しさを持っている。そういう親がいたということを忘れてはいけません。分かりました? (「はい」)


純潔な血統

 アダムはささげて生涯かけてその道をたどって、君たち、そういう伝統を自分の後孫に残さなければ、天来の祝福を正当に受け継ぐ後孫になりません。そこには、正当な純潔な血統が残っている。純潔な血統が生まれてくる。

 乱れ切った青春のフリーセックスというこの時代を、元の世界に戻さなければならない先生の使命がある。サタンが根を植えたから、秋になって収穫するように、アダム、エバがエデンの園に、こういうような淫乱の無分別な行動によって植えたそのものが、世界の終末期、収穫期になって、世界いずこにもはびこっている。それを先生がきれいに取り去ってしまわなければならない。分かりました? (「はい」)

 男、女、今から覚悟しなければならない。今までのような外れた生活は、自分の気ままにやった女として、それは正さなければならない。女の生殖器、男の生殖器は皆自分たちのものじゃない。女は男のために生まれた。男は女のために生まれた。女の生殖器は、女が主人じゃない。男が主人である。男の生殖器は、女が主人である。自分勝手にする者は滅亡する。神様は自由の主であるから、それは主人を交換しておいてある。だから、妻たる者、旦那さんたる者が夫婦たる因縁を持った場合には、主人知らずして行動なすことができないような、そういう神聖なるものである。分かりました? (「はい」)

 モーセ路程に、「法の箱」(注:「契約の箱」を指す)があることを知っているだろう? 「法檀」だね。韓国語で、「(ポッケ)」という。そこには、マナとかアロンの杖とかが入っており、神聖視されていた。人の手で造った物を神聖視していた。神がすべてを投入して、真心を尽くして、精いっぱい努力して造り上げたのが、君たちの最も重要な生植器である。悪いものじゃありません。堕落して、神の世界を破壊するような、その利用器として使われるから悪いものとなった。そこにおいて人間の幸福がつながる。そこにおいて、人間の歴史がつながる。それが悪い?

 それは、もともと聖なるものである。聖書に、「至聖所」というものがあるだろう? 人間として、至聖所はどこか? 体は聖殿であり、君たちのそこが「至聖所」である。分かりました? (「はい」)

 それを犯す者は天罰を受ける。一族、民族が皆引っかかる。先生の生涯には、そういう誘惑がたくさんあった。学生時代、日本にいるときに、数多くの女に誘惑されたことがある。

 先生が寝る部屋に、たくさんの女が飛び込んで「助けてくれ」と叫び声をあげたことがある。(そのとき先生は)「それはいけない!」(と言って諭した)。そういう面において、世界中のすべての女を任して足りるような者として神は見ているから、そういう使命を渡されている。そういうような正しい伝統を今から汚すような、愚かな女にならないように。分かりました? (「はい」)

 この基盤を立たすために、先生はいかばかり苦労したか、君たちは知らない。愛の十字架を背負わなければならない。引きずられながら、涙の峠を越えて来て、血だらけの、その鞭打たれる十字架の丘を越えて、その恨みの洞穴を埋めるための苦労をいかばかりしたか分からない。それは、歴史を調べれば分かる。

 純潔な血統を授けるために、血統転換式をしなければならない。この転換式をするには、数多くの内容を、条件を、満たさなければならない。分かりました? (「はい」)

 だから、真剣な場であることを意識して、復帰という血統的復活の勝者に立ちうる瞬間を得なければ、祝福の道に出られない。三年間の路程が残っているというのです。サタン世界と習慣性、これは侵入しやすい。四十日後に三日儀式を終えて、三年間の分別期間を経ながら、そこにおいて乱れるような者たちだった場合には、女に、男に、近寄ってはいけない。そういう、真剣な過程を通過しなければ、純潔の血統の因縁に立ち返ることができない。深刻だ。この一点を求めるために、キリスト教の殉教の歴史が残っていた。分かりました? (「はい」)

 それは、君たちの結婚式のためだから、先生がこういうことをするのは君たちのためである。先生自体のためではなく、万民解放の門を開くためであるということを分かりました? (「はい」)

 今から結婚した後には、第三者にその手を触らすな。肌を見せてはいけない。先生自体も、そういう貞操を守ってきた。興南のアンモニアの山で、汗を流しながら荷造りをしなければならない立場においても、ちゃんと長袖を着て肌を見せなかった。サタン世界に、神の願うところの基準で一身をささげたということでなければならない。それは守っていかなければならない。女ばかりでなく、男としての貞操もある。

 そういう意味において、世界は、こういう理論的な原則によって正された統一教会の家庭を見て、十年、二十年、三十年、四十年以内には、世界全体の青年層は、黙っていても統一世界に潜り込んでくるようになる。それが原理が見る今後の世界だ。分かりました? (「はい」)。模範的家庭をつくる覚悟を決めなければなりません。

 今度、国際結婚した者は感謝しなさい。言葉は、知らないのが幸福だ。語るのに大変、表現するのに大変です。自由自在に語った場合には、どんなことが起こるか分からない。幸福と思いなさい。君たちは難しいと思うんだけど、習慣性にとらわれて、サタンに引きずられる糸口を残さないためには、神の摂理としてこれはいいチャンスだと思う。

 純潔の血統を残して、ご父母様の血統を築いた清い基盤の上に、純潔な愛によって、純潔な種を植え、純潔な子孫を迎えるその喜びを考えつつ、耐えて越えなければならない道が、山が、峠が重要なのです。そのことを望み眺めながら越えていくように先生は願っています。分かりました? (「はい」)。「そうやれる」と言う者、手を挙げてみなさい。(全員挙手)


聖酒式の意義

 ここには、お母さんの生命とお父様の生命の結合した内容が入っている。それを通過することによって、君たちは、サタン世界と訣別された、何の因縁も持たない、再び真の父母により生まれ返ったという信念を持たないといけない。そうしないというと、ご父母様の前で祝福は不可能だ。生まれ返って、それから父母様に侍りうる、成長した男、女として神の前に立って、神の心情圏を、ご父母様を通して再び生まれ変わったという相続権を神よりもらわないというと、結婚することができない。

 それは、サタンの蕩減条件基準から見た場合には、血統転換式であり、生まれ返る方から見た場合には、天使長からエバ、エバからアダムによって逆に引かれていったその心情圏を、血統の上に植えつけることである。真の父母の愛でなければ、心情圏は植え込めない。分かりました? (「はい」)

 そういうふうにして、君たちが再び生まれ返ったという自覚を持たなければならない。真の父母の子女であるということの自覚を持たなければならない。そういう自覚の心情圏。それは、原理から言えば、「責任分担完成」である。責任分担は、結果主管圏の過程を通過して、愛でもって一体化する。一体化して、直接神の指導圏に入る。それ自体が、神の心情圏に属するものである。分かりました? (「はい」)

 そういう覚悟でもって、この式に参席しないといけない。ただの式ではない。重大な式である。サタンのトンネルを通り抜けた場合には、天国の世界に入るという思いで、“生まれ返る”という心情、絶対的信仰と絶対的愛を中心としての心情圏をつなぐような覚悟を持たなければならない。分かりました? (「はい」)

 それで聖酒を飲むにも、盃を天使長からお母様、つまりエバに、エバからアダムに渡す。それから君たちはどういうふうにするかというと、エバからもらう。エバがいないと、男は生まれ変わらない、復帰だからね。エバが半分飲んで、その次にエバが旦那さんに渡す。盃をもらうときには、お父様からもらう代わりに三拝するような思いでもって、一拝して、それをもらって半分飲んで、飲んだものを旦那さんに回して、それを飲んでから返してもらう。お父様からお母様、それから天使長を通して置くのです。分かりました? (「はい」)

 そうするとどうなるかというと、心情的に一体化する。本当はその前に、先生が女たちの手の上に手を伏せて祈らなければならない。これは一体化の祈祷である。そういう祈祷をして聖酒を飲むことによって、それが血統圏の蕩減条件、血統転換式となる。キリスト教における洗礼式のようなものです。分かりました? (「はい」)。そういう式をしなければならない。






















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