訪韓修練会御言集(女性)
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 「希望の峠を越えましょう」の発刊にあたって
 今回、「希望の峠を越えましょう」というタイトルで一九七五年十二月三十一日に語られた説教(文鮮明先生御言選集第八十二巻)に対して、真の父母様より「日本語に翻訳して、十六万人の女性たち、また三十二万人の男性たちが必ず学習するように」という、み言がありました。

 これは、真の父母であられる文鮮明先生ご夫妻がアメリカを救うために、心血を注いでマジソン大会やヤンキー大会およびワシントン大会を通して、「神の宣言」として語られてきたものであります。もしアメリカが、この真の父母様の永遠の真理のみ言を受け入れていたとするならば、今日に見られるような政治的、経済的混乱はいうに及ばず、家庭的崩壊、性的退廃、麻薬問題、未婚の母や私生児の問題など、さまざまな問題に悩まされるようなことはなかったことでしょう。

 「真理は栄光を帰させる」とあるごとく、このみ言を受け入れれば天国をつくれるし、もし受け入れなければ地獄とならざるを得ないというのが、宇宙の法則であります。

 「歴史は生きている」というのが、真の父母様の口ぐせであります。己をむなしくして、責任と犠牲の道を行く者は中心者となるでしょうし、また、み旨を中心として共に一体となって行く者は、天運と宇宙力の加護を受けるようになっていくものであります。思えば、エデンの園における人類始祖のエバのほんのささいな愛の過ちが、これほど複雑極まりなき歴史の罪悪を招来せしめたということを考える時、私たちは自らの一挙手一投足に対して、慎重にならざるを得ないとともに、これまでの一切の歩みを深く悔い改めていかざるを得ません。

 今こそ世界的なエバ国家として、その蕩減を何としてでも果たしていかなければならないことを痛感する次第であります。神様は、エデンの園におけるエバの堕落によって、エバと息子であるアダムを失い、そればかりか二人の息子のカインとアベルまでも失ってしまいました。さらに、神が本来の人類に与えようとした宇宙の所有権、相続権、主管権までサタンに奪い取られてしまったのです。

 神様は悠久なる救援摂理を通して、蕩減復帰の道を越えてこられましたが、その背後にはどれほどご苦労の道があったことでしょうか? その道は、革命的、英雄的女性であるリベカ、タマル、そしてマリヤへと、善なる人々をサタンの犠牲にしながら、最終的には真の母に引き継がれてきているのです。

 今や、この日本は、真の母の心情と伝統を相続して、世界を生かすために、神と真の父母の願いに相対し得る絶対的信仰と絶対的心情の一体圏を成して、真の父母様の勝利を相続する者となっていかなければなりません。私たちはエバ国家として神のみ旨を果たすために、このみ言を徹底的に体恤していかなければなりません。そのために日本の全食口が、この小冊子を熟読し含味して、徹頭徹尾自らの責任を果たし、神と真の父母様に栄光をお返しすべく前進してまいりましょう。

 一九九五年二月五日




希望の峠を越えましょう

 1975年12月31日 ベルベディア修練所

 二十五日に出発して、遠い距離を経て、きょう(アメリカへ)着きました。今回、このように巡回しながら新たに感じたことは何かというと、もちろん私も、もう少しこのような日々を続けなければなりませんが、私たち統一教会の会員も、このような生活を続けるならば、相当に発展するだろうということを考えてみました。また、時間が足りなくて感じる切迫した心情というものは、復帰摂理を果たさなければならない私たちにとって最も尊いものであるということも考えてみました。

 さて、巡回で感じた内容は、きょう話すことではないので、これから違う話をしたいと思います。


神と人類の愛を受ける人をつくるのが統一教会の目的である

 皆さんもご存じのように、きょうは一九七五年の最後の日です。このような集まりは、今年は最後になるのではないかと思います。一九七五年を振り返ってみると、この年に私たち統一教会では実に多くのことをなしてきました。特に、アジアを代表して、日本と韓国に国家的次元の基盤を完全に強化させる重要な年でありました。それを、今からは西欧文明圏の結実であるアメリカに移して、私たちのすべての基盤を強固にしていかなければならないという切迫した使命を、私たちは目前にしているのです。

 神様のみ旨を見た時、そこには東洋とか西洋という観念がありません。神様を中心として見ると、すべてが一人の子女なのです。今日、西洋と東洋が戦っているという事実、また分裂し、あるいはさまざまな不条理のゆえに妨げられて、その間隔が広がっているという事実などは、本来神様の構想の中にはなかったものなのです。

 では、なぜこのようになったのでしょうか? それは堕落のゆえなのです。ですから、このような実情を見つめる神様は、ますます悲しみを深くされるしかないという事情を、私たちは感じざるを得ないのです。

 それでは、この世界と人類をどのようにして一つにすることができるのでしょうか? 誰が一つにするのでしょうか? これは、地上で神様ご自身がなさるのではなく、ある一人の人を立ててなされるのですが、その一つにする仕事をしようとしたのが、今までの宗教だったのです。しかし、宗教はいまだにその使命を果たせずにいるのです。

 皆さんがよく知っているヨハネによる福音書三章十六節を見た時、「神は、そのひとり子を賜ったほどにこの世を愛して下さった」とあります。この世をこれほど愛されたとあるのであって、アメリカをこれほどに愛したとか、キリスト教をこれほどに愛したとか、ユダヤ教をこれほどに愛したとか言ったのではありません。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と言われたのです。愛したのはキリスト教でもなく、ユダヤ教でもないというのです。それでは、統一教会はどうでしょうか? この統一教会も違うというのです。ですから、神様の愛を受けるためには、人類を愛される神様の代わりになって人類を愛することができなければなりません。そのような宗教であってこそ、はじめて神様が愛することができるのであり、それができなければ、その宗教は必要ないというのです。

 人類は、神様の人類に対する観というものがどうなっているかということを知りませんでした。神様と同じ観を持っていないというのです。人類は今までそれを知らなかったというのです。そのような観点から、今日の統一教会は宗教を超えて、宗教を基盤としながら、いかなる宗教よりももっと世界を愛し、人類を愛するために努力しているのです。ですから、統一教会は歴史上において、この時代に多大なる貢献をしていると考えざるを得ません。

 皆さんがいかに先生を愛しているかということを、私はよく知っています。そして、私も皆さんを愛しています。ところで、私は皆さんを愛していますが、それは神様を中心として、神様の愛を通して愛しているのです。その神様の愛というのは、世界人類の中にとどまる愛であって、統一教会の中にとどまる愛ではないのです。そのような愛を世界に残してあげるために、その愛を世界に植えてあげるために、皆さんを前面に立てていかなければならないというのです。

 皆さんを犠牲にし、皆さんを苦労させても、このような愛に貢献できる人をつくることは、世界を代表した愛の結実をもたらすことに貢献することによって神様の愛を受けることができるし、人類の愛を受けることができる統一教会人をつくるためなのです。今そのような運動をしているということをよく知らなければなりません。神様の愛を受けることのできる人をつくり、人類の愛を受けることのできる人をつくるのが、統一教会の目的なのです。

 ですから、皆さんは統一教会の中でのみ愛を受ける人ではないのです。統一教会の中でのみ愛を受ける人ではなく、神様の愛と人類の愛を受ける人にならなければなりません。それゆえ私は、皆さんをただ統一教会の中でのみ愛するのではなく、人類と神様の愛の中で愛そうと思うのです。そのような先生になろうと思うのです。これが、私たちの行く道なのです。今からは、私たちの行くべき道の観をはっきりと知らなければなりません。今までの宗教は、このような観を提示できなかったのです。


意見も目的も、神様と同じでなければならない

 このような志を立てて、そのように指導しようという私自身、レバレンド・ムーン自らが、まず模範にならなければならないというのが私の人生の哲学であり、生活の哲学になっているのです。統一教会の教えを信じる皆さんは、そのことはよく知っていることと思います。ですから、私は生きて負債を負う人間ではありません。生きている間に負債をなくさなければならないというのです。私が皆さんに負債を負えば、私は搾取者になるのです。それでは、神様の前に公儀の法度を立てて、指導する責任者になることができないのです。

 統一教会において、もし苦労したというならば、誰よりも私が一番たくさん苦労したし、世界的な迫害においても、誰よりも私が多く受けたし、心の苦労をしても誰よりも私が多く苦労したのです。それも短期間ではなく、一年、二年、三年、十年、二十年。年月がたてばたつほどに、私がこのようなことをすることによって、統一教会に入ってきた皆さんも心の奥底に、このような目標を持ち、そのような信念を持った人格者になれると思うのです。ですから迫害がいかに加重してきたとしても、反駁せず、黙って耐えていくことを、皆さんは知らなければなりません。

 皆さんと私が、迫害の環境の中に包囲されるようになる時こそ、私たちは内的にも団結して、神様の心情と一つになることができなければなりません。もし、この三者が一つになる基盤が得られるならば、その迫害も価値があるものだと考えられるのです。このように、神様と私と皆さん、三者の考えがいつも同じでなければならないと思うのです。

 神様が迫害する人々を見て、「この者たち! なぜ妨害するのか」と言って、百発百中すべてに復讐すれば、この世界は再び滅んでしまうというのです。そのような立場の神様であることを私は知っているので、私も神様と意見が同じでなければなりませんし、行動も目的も同じでなければならないというのです。ですから、ここ(統一教会)を打つ人は必ず交代するようになるのです。必ず神様が除去するからです。

 いつの時代も神様のみ旨に対して、指導する人間と、それに従う人間と、神様の三者が一つになるということは実に難しいことなのです。もしその三者が一つになって、神様が「攻撃せよ」と言った時に、攻撃することができれば百発百中です。

 皆さん、イエス様当時を見ても、神様のみ旨を中心としてイエス様と神様の意見は同じでしたが、弟子たちの意見は違っていたのです。ここに問題があったのです。もし、その時に十二弟子や七十門徒がイエス様と一つになっていたならば、国家がどんなに反対しても、環境がどんなに反対しても、それをすべて消化してしまうことができたのです。弟子たちを打つことはイエス様を打つことであり、神様を打つことになるからです。

 今、アメリカではテッド・パトリックとか、デプログラミング(逆洗脳)とかいうグループが大騒ぎしていますが、先生は、皆さんがどうなっているかということを重視しているのです。そうして彼らに、強力にあくどい仕業で、「もっと打ってみろ」と言っているのです。それがいくら強くても変わらずにいる時、一〇〇回も打たれても、必ず戻ってくることができるのです。


反対する人のできないことをやりなさい

 神様もそうです。「君たち、このようにやりなさい」と教えてあげて、もしやらない時に罰を与えるのであって、何も教えてあげずに、罰だけを与えるでしょうか? 皆さんの両親がなぜ反対するかというと、分からなくてそうするのであり、皆さんが今まで、親に対して神様のみ旨が何かということをはっきり教えてあげなかったからなのです。もし教えてあげたにもかかわらず、それでも反対するような親は滅んでいくのです。そのような人は親ではありません。そのような意味から、私は責任を感じるのです。私がアメリカ国民に対して、皆さんの両親に対して、神のみ旨が何かということを教えてあげられなかったということに対して責任を感じるのです。

 親であれば自分の子供が良くなり、良い所にいるということに反対する者がどこにいるでしょうか? いないというのです。しかし、現実は、「自分の子供が悪くなる」と言って、「悪い所に行った」と言って大騒ぎしているのですが、皆さん自身には悪いことが一つもないというのです。自分で見ても悪いところが一つもないということは、皆さん自身がよく知っているのです。それは先生も同じです。一生の間、多くの迫害を受けてきたのです。レバレンド・ムーンの思想が分かるようになれば、誰も反対する人はいなくなるのです。思想が分からないから反対するのです。

 皆さんも反対されれば悔しいでしょう? 先生も同じです。しかし、見る観点が違うのです。ですから、反対されればされるほど、私たちは早く全国的に教えてあげる責任があるのです。そのように教えてあげたにもかかわらず反対する時には、私たちには責任がないのです。レバレンド・ムーンにも責任がないのです。もし、教えてあげたにもかかわらず、それでもレバレンド・ムーンを打ってきた場合には、それを聞いた人たちがみんな、そのままにしておかないのです。そのようなことが起こるのです。そのような原則的な道を信仰者は知っているので、そういう原則的な道を見つめつつ進んでいくのです。

 ですから反対する人々にも、涙を流しながら一回、二回、三回までは教えてあげるのです。それを公開的にしたものが、マディソン・スクェア・ガーデン大会であり、ヤンキー・スタジアム大会であり、ワシントン・モニュメント大会なのです。三回は教えてあげなければなりません。今はもう、アメリカの国中で、レバレンド・ムーンを知らない人はいないのです。そうなったのです。すべて分かったというのです。ところが、悪い人であると理解したのです。レバレンド・ムーンはマフィアよりももっと恐ろしい人だと思っているのです。

 ですから、みんな大騒ぎなのです。それがいつまで続くかと、皆さんは笑っていることでしょう。それでこそ、皆さんはさらに強くなるのです。誰かが反対すれば、「弁明するな」と言っても、命をかけて弁明するからです。そのようにしながら、今、このアメリカの人々や、反対する人々のできない大きなことをやってしまうのです。例えば、律法学者のデービスが私たち統一教会に反対していますが、そのラビ・デービスの何十倍ものいいことをやってしまうのです。そうすれば、問題が全部解決するのです。今までは前面で反対していたけれども、統一教会がだんだん大きくなるので、その後ろについて来ながら、「ああー」と言いながら反対するのみです。

 見てみなさい。三十年前の韓国では、国家を動員し、既成教会を動員し、すべてが私に反対してきましたが、今や、すべてが歓迎するようになったのです。日本もそうです。それと同じことがアメリカでも今から始まります。今はレバレンド・ムーンが打たれていますが、それも長く続くことはなく、すべてが歓迎するようになるのです。

 今日、統一教会の教会員の中で、私に対してたくさんの罪を犯してきた人がいると思います。世の中の人々の話と同じく、「実際の文鮮明先生は、そうじゃないか?」と言われれば、「知らない」と言ってきたというのです。事実ですか、違いますか? (違います)。(笑い) みんなそう考えていても、言葉だけは「ノー」と言うのです。そう考えているのです。

 先生は良心的に、神様の前や人間の前に少しも呵責がないのです。私は正義には素直な人です。正しい人なのです。その代わり、悪に対する場合には、この上なく強くなるのです。どんな人よりも強くなるのです。私は自分のことをよく知っています。誰よりも私は自分のことをよく知っているのです。皆さんも自身のことは、自分自身が誰よりもよく知っているようにです。

 見てみなさい。西洋の人々はみんな、東洋人である先生に対して大騒ぎしているのです。ですから、それが問題になって、「あのレバレンド・ムーンよりもっと素晴らしい宗教指導者、ビリー・グラハムのような人もいるのだから、そっちに行ったほうがどんなにいいか」と言って、両親はみんな反対しますが、そうしますか? (行きません)。そのような何かが(文先生には)あるのですね。(笑い)もし、ビリー・グラハムの所に行って、皆さんが二十四時間仕事をするようになれば、「ああ! うちの娘はよくやっている」と言って自慢しようとして大騒ぎになるでしょう。(笑い)両親は、ビリー・グラハムを先生よりも立派だと思っていますが、皆さんはビリー・グラハムよりも先生がもっと高いと見ているのですね。観点が違うのですね。(笑いと拍手)考えが違っているのです。ですから、これがすべて過ぎ去って、再び元に戻って会うのです。

 では問題はどこにあるのでしょうか? この統一教会の若者たちがどれほどの短期間に、ビリー・グラハムの持っている人格以上の素晴らしい人になるかということなのです。そうなれば、すべてのことが解決します。そういう人になれますか? (はい)。もし、そうなれれば、アメリカも変えられるのです、全世界を前に、霊界が全部回るというのです。問題は実力と実績です。これが、すべてを清算するのです。皆さん自身が、そのような立場に立ってすべてのことを行うのです。皆さんは私よりも英語がうまいでしょう?

 そのような意味から、皆さんが私のようになり、独身の男性、女性となればどうでしょうか? 私は三年間に、全アメリカを「ワアー、ワアー、ワアー、ワアー」と、町中を大騒ぎにしましたが、皆さんは言葉もうまいし、みんな生活に慣れていますから、そういう人々が、各州に入っていって良い問題を巻き起こせば、アメリカがどうなるか考えてみなさい。悪くなりますか、良くなりますか? (拍手)

 そのような意味で、皆さんがレバレンド・ムーンのように、神様を中心として善なる事件を起こす勇者たちになった時には、このアメリカは滅びません。民主世界を代表したアメリカが滅びなければ世界は滅びないし、あの共産圏も問題にならない世界になっていくのです。私たちが集まって何か悪いことをしましたか? (いいえ)。

 皆さんがファンダレイジングをするのは、金をもうけるためでしょうか? そうではなくアメリカを生かし、世界を生かすためにするのですね。全く違うのです。このようなことは、歴史が見ているし、全人類が見ているのです。私たちがみんな死んでいなくなったとしても、この思想だけは残って世界を一つにするというのです。


礎石をどのように置くかによって、歴史と宇宙の勝利が左右される

 それゆえ、今の世界に影響を及ぼせないからといって心配することはありません。これからの三十世紀において、あるいはいかなる歴史時代においても、この主義とこの思想でなければ駄目だということになれば、どんなに小さくてもこの統一教会の思想は、世界を一つにすることでしょう。今は国もなく、何もなくても、必ずここから国が出てくるし、理想世界も出てくるのです。そう思いますか? (はい)。

 このような主義と思想を持った国家がなければならないし、宗教がなければならないのに、今の世界にはないというのです。ところが唯一、この統一教会だけがそうだというのです。この世界を見た時、ここに希望があり、神様の摂理から見た時、ここだけしか信じられるところがないという結論が出るのです。皆さんもそう思いますか? (はい)。

 私たちはこのような立場で、礎石を正しく置かなければなりません。標準点をよく定めなければなりません。礎石を正してこそ、全体が正されるのです。このコーナーストーン(礎石)をいかに置くかによって、宇宙の歴史的な勝利が左右されるということを考えた時、今日、何でもないような私たちですが、このコーナーストーンを置くことにおいて主役になっているという事実は、実に恐ろしいことなのです。

 ですから、精誠を尽くして、また精誠を尽くしてあげなければならないのです。私たちが未熟なので、何百倍、何千倍も精誠を尽くして、これを繰り返していって、初めて完全な理想の結果をもたらすことができるのです。

 一〇〇年後、三〇〇年後、一〇〇〇年後を見た時に、このコーナーストーンが間違って置かれたとなれば、大変なことになるのです。これが正しければ、ほかの礎となる石がずれていても、この礎石を中心として、いくらでも収拾していけるのです。先生はいつもそれを考えています。個人として、家庭として、氏族として、民族として、国家としてのコーナーストーンをどう置くかということが問題なのです。お金が問題ではありません。お金のこと、権力のこと、自分の名誉のことを考えるのではありません。いかなる権力も問題ではありません。問題はこの礎石をどう置くかということです。このような観点から「自分を犠牲にしても、もっと大きなもののために生きよう」という、伝統的な思想を残しておかなくては、新しい世界が出てこないのです。それを残すことができなければ、すべてが終わりなのです。

 アメリカという国と、アメリカ人の皆さんが、韓国人の私の世話にならなかったでしょうか? 今も世話になっているというのです。お金も、私はアメリカのお金を使わずに、全部私のお金を持ってきて使ったのです。私が一九七二年に初めてアメリカに来た時、ここに残っている人々はみんな、先生がアメリカに来て仕事をすることを好まなかったのです。皆さんの思考方式と先生の思考方式が違っていたのです。三年ほど過ぎてみると、先生のすることが素晴らしいことだと分かるようになったので、今は何も言わなくてもいいようになりました。


神様の協助で、反対され迫害されながらも発展する統一教会である

 私たちのように小さい団体が、国家的だけではなく、世界的次元で影響を及ぼすことができるということを、彼らは知っています。私たち統一教会の少数の群れが世界的に活動しているのを見て、歴史的に研究すべき団体であるとみんなが見ているのです。世界の三分の一を占領した共産党が目を見はって「ああ! あれを全部なくしてしまわなければならない」と言っているのです。アメリカを踏みつける前に、レバレンド・ムーンを先に踏みつけなければならないというのです。それはなぜでしょうか? 私はいてもいなくてもいい人だからでしょうか? (いいえ)。

 神様の目から見れば、神様は共産党を良く思うでしょうか、悪く思うでしょうか? (悪く思います)。それでは、共産党が一番嫌うレバレンド・ムーンを、神様はどう思うでしょうか? (良く思います)。これは、理論的にもそうなのです。それゆえ、神様は「おい、レバレンド・ムーン! 頑張れ! 頑張れ!」と言いながら、どんなことをしてでも為に生きようとするのです。私が神様を嫌だと言っても、神様が私を訪ねてきて、援助してくれるのです。(拍手)

 神様は、世界がすべてなくなるとしても、共産党がなくなっても、この団体を残したいと思い、民主世界がなくなるとしても、この団体だけは残そうと思っているのです。

 これが事実ならば、もし既成教会がレバレンド・ムーンに反対するようになれば、神様が喜ぶでしょうか? (いいえ)。では、私たちは既成教会に反対しますか? 私たちは一度も反対したことがありません。「さあ、さあ、一つになろう」と言っているのです。今まで、その役事をしてきたのです。彼ら(既成教会)は、ただ反対しようと大騒ぎです。私たちが人蔘茶を紹介するのを見て、デモをして大騒ぎなのです。くだらないことです。これは相手にもならないほどに次元が低いのです。それは、こっけいなことです。あわれな人々です。皆さんは反対するにしても、そのようなくだらない反対はしないようにしなさい。理論的に「統一教会の教理が悪くて」と、教理的に反対しなければならないのです。

 私は、既成教会のすべての神学を知っている人です。そして、統一教会の神学を創設した人なのです。私が敵を知っているのに、敵は私を知らないのです。ですから、彼らはもはや負けるようになっているのです。皆さんの話を聞いてみると、既成教会の言うことはこっけいです。幼稚きわまりないというのです。

 それゆえ結論づければ、私たちの賢くて若い青年たちはみな、以前はイエス様を信じて、既成教会に通っていた人たちなのです。そのような人たちを私が伝道してきたので、彼らはそれをねたみ嫌って反対するのです。しかし、アメリカの若者たちがこのように変わったので、アメリカは動くことでしょうし、世界の若者たちがこのように変わったので、世界が統一教会の文先生に従っていくということは自動的な結論なのです。既成教会を見れば、全部が老人たちなので、養老院のようです。それは長続きせずに、みな門を閉めなければならないということなのです。養老院のようになれば、みな死んでしまっておしまいなのです。ですから、大変なことになったというのです。かわいそうです。それから、共産党がなぜ反対するかというと、私たちが怖くて反対するのです。

 そのような反対者を支持する人々は、歴史が過ぎれば過ぎるほどに、だんだん少なくなり、反対される私たちは、歴史が過ぎれば過ぎるほどに支持する人々がだんだん多くなります。神様が生きておられるならば、そのように怖がる彼らと、いつも堂々としている私たち統一教会のうち、どちらを援助したいでしょうか? 神様は私たちを援助するので、統一教会は反対され迫害されながらも、発展するという結論を下すことができるのです。

 これが、神様が見た正しい観点であり、皆さんが見た正しい観点なのです。三者がみな、正しい観点をもって進む時には、誰も傷つけられないという話です。それゆえ、どんなに迫害を受けても、神様の協助のもとで発展せざるを得ないという結論が出てくるのです。私は多くの迫害を受けてきましたが、統一教会の教会員は離れましたか、もっと多く増えましたか? (増えました)。一番最初に、私がアメリカに来た時は、この部屋が大きく見えたのに、今では狭くなったのです。どれほど教会員が多くなったことでしょうか? 来年になれば、少なくみても十倍は増えることでしょう。(拍手)

 私たちに誇りがあるとすれば、それは迫害されながら発展し、世の中の人々が嫌だと言っても、神様がいいと思い、すべての歴史的な霊人たちが協助し、今後は良心的な真なる人士が私たちを支持し、後世の人々が私たちを歓迎するだろうということです。数字的にも、私たちはさらに大きな圏を持つことになるので、私たちは永遠に勝利するだろうという結論を下せるのです。(拍手)

 いくら誰が反対しても駄目です。反対してどうなりますか? 反対でも何でもしてみなさい。もはや、讒訴できないようになっているのです。それゆえ、彼らと一緒になって争っては駄目です。彼らよりも大きく、彼らよりも立派になれば、彼らは自然に復帰されるのです。早くそのようになればいいでしょうか、じっと待っていればいいのでしょうか? (早くです)。アメリカの人々は、「(アメリカは)八時間労働なので、八時間だけ働けばいいだろう」と言うのですが、私は二十四時間働いても足りません。神様のために、人類のために働くことにおいて、神様に昼があるでしょうか、夜があるでしょうか? 神様は「夜になったので寝ないといけない」と言って寝るのでしょうか? (笑い)

 ですから神様の息子は、「神様のようになろう」と言わなければならないのです。日が沈むようになれば、「ああ、日が沈むのではなく、朝に向かって日が昇っていく」と、そのように考えることができなければならないのです。皆さん、そのように考えられますか、そのように考えてみましたか?

 神様のために生き、人類のために生き、自分のために、そのように生きるということの何が悪いのですか? どこが悪いのですか? それを批判し、それを嫌だと言う人は、それを正しく知らなければならないのです。ここにいる先生は、皆さんがやるファンダレイジングにおいても、何においても、やらなかったものがないのです。みんなやってきたのです。私がみんなやってきたので、皆さんにも、そのように命じることができるのです。人々がたくさん集まった所に行けば、その人々をどのようにして、一時に集中させて動かすかということまで全部研究して、そのようなことをたくさんやってきたのです。


問題は自らの中にある

 さて、そのように思った時、皆さんは統一教会によく入ってきましたか、うっかり入ってきましたか?(よく入ってきました)。皆さんの父母は何と言っていますか? 「よく入った」と言いますか、「間違って入った」と言いますか? (「よく入った」と言います)。(笑い)父母が反対している人は一度手を挙げてみなさい。皆さん、昔のヒッピーよりもいいですか? (笑い)私たちの主張は、神様の前や、人類の前や、歴史の前や、どのような立場でも間違いのない主張なのです。

 先生は三十年の間、迫害を受けながらも世界的な基盤を築いてきたのです。悪いと言われていても発展してきたのです。もし、その段階を越えて、よいと言われる日にはどうなるでしょうか? 世界中がどうなるか考えてみなさい。そのような時が来ればいいでしょうか、来なければいいでしょうか? (来ればいいです)。では、そのような時が自然に来ればいいでしょうか、自分たちがつくればいいでしょうか? (つくればいいです)。誰がつくりますか? 私がつくりますか、皆さんがつくりますか? (私たちです)。それでは、私はあすにでも韓国へ出発しましょう。(駄目です)。そうじゃないですか? 皆さんがつくるのならば、この私は必要ないのです。必要ないから、ここにはいないようにしようという話なのです。皆さんがみんなやることができるからです。

 この国よりも、もっと私を必要とする国があるとするならば、私はそこに行かなければならないでしょう。いずれにしても、先生がほかの国に行って早くこのようなことをすればするほどいいのです。アメリカの国務省も私を追い出そうとしていますが、その必要はないというのです。そうでなくても、私は出て行くのです。皆さんを見たくないからです。(笑いと拍手)私はこのアメリカに、お金を願って来たのでもなく、よい車、よい家を求めて、アメリカ文化を享受するために来たのではないというのです。アメリカの裕福な人以上に、私はお金を持っている人です。私はそのような能力もみな持っている人なのです。

 さっきも話したように、反対されるにもかかわらず、このように発展したので、支持できるようにしたいですか? (はい)。そうなれば、神様はどうなるのでしょうか? 神様も「ああ、レバレンド・ムーンがあのように苦労したので、一度に私が救援をしてやりたい」と思うでしょうか、思わないでしょうか? (思います)。それならば、可能だというのですが、先生はどうでしょうか? 先生はそれを願うでしょうか、願わないでしょうか? 願うのですね? (はい)。

 全く同じように苦労しながら、皆さんがただ拉致されていって、「デプログラミング(逆洗脳)だ、何だ」と言う時、先生は気持ちがいいでしょうか? そのようなことは、私の願いではありません。では、問題はどこにあるのでしょうか? 神様が問題ではなく、先生が問題ではないのです。問題は皆さんにあるのです。皆さんが、神様の願う以上に、先生の願う以上にするならば、一気にできるのです。もし先生よりも、神様よりも、皆さんが切に願うならば、話は違ってくるのです。

 なぜかというと、お母さんとお父さんが(み旨の道に)「行かない」と言っても、愛する息子が「お母さん、行きます」と言えば、引っ張られていくのです。仕方なく、そうなるのです。ところが、願わなくてもそうなのに、もし願うならばそうせずにいられるだろうかというのです。問題はどこにあるのでしょうか? (私たちです)。皆さんにですか? (はい)。そうです。皆さんが、神様よりもっと一生懸命やり、先生よりもっと一生懸命やることです。一度そのようにやってみましょう。(はい)。

 ですから私たちが主張することは今までの世界にない、神様だけでなく人類全体が支持することのできる堂々たる主張だと結論づけることができるのです。私たちが生命を投げ出して主張すれば主張するほど、何千万倍の価値となって返ってくるのです。

 人として生まれたからには、生涯に一度願ったこのような仕事に加担することは栄えあることなのです。皆さん、そうですか? (はい)。「私はそうだ」と言う人は手を挙げてみなさい。下ろしなさい。今、一幕が終わったのです。(拍手)

 一時間たちましたか? 一時間十分たちましたね。このくらいにしましょうか、もっと話しますか? (はい)。今まで六日間、ひたすら話し続けてきたので、のども痛くなりました。それでも、同情してくれませんか? 話を続けるのは無理です。きのう着ていた洋服のまま来ました。着替える間もありませんでした。そんなに忙しいのですから、このくらい話してあげればいいのであって、もっと話せと言うのですか? 皆さんがもっと話すようにと言うのは、礼儀正しいことでしょうか、礼を失していることでしょうか? 考えてみてください。(失していません)。(笑い)民主主義的にやったので、私はすっかり引っかかりましたね。(歓声と拍手)


神の国をつくるために、六〇〇〇年間ご苦労された神様

 では、一幕を終えたので、二幕目に移りましょう。「希望の峠を越えましょう」というタイトルに入ります。

 私たちが三十年の間迫害を受けてきたすべてを、一度引っ繰り返して、神様と先生と皆さんが得意になる中で、大衆が全部擁護する中で、統一教会の教えをテレビやラジオを通して、一時に世界中に伝えることができるとすれば、どれほど素晴らしいことでしょうか? 本当に素晴らしいですね。皆さんはどうですか? 居眠りするなと言っても、もっと居眠りするでしょうか、目を覚ますでしょうか? (目を覚まします)。それはどれほど素晴らしいことか、形容できません。そうですか? (はい)。

 皆さんもそうですから、神様もそうでしょうか? (はい)。神様も「おい、あれを見なさい」と言いながら、「いやあ!」と初めて声を張り上げて喜ぶならば、このくらい口を開いて、目をつぶり、よだれを垂らして、そのように溶けることでしょう。違いますか? そうなれば、天上から地上に走り下りてくるでしょうか、下りてこないでしょうか? そして、皆さんを片手でつかんで、そのまま放さないで天上に上がりたいことでしょう。(笑いと拍手)そうなる時が来るでしょうか? (はい)。そうなるというのですが、その時がいつかということを、皆さんは知らなければなりません。

 人類の文化史は六〇〇〇年の歴史を経てきましたが、今まで神様がなされてきたことは何かというと、アダム一人をつくることです。完成したアダムを立てようとしてきたのです。アダムを立てた後に、そのアダムを通して初めてエバをつくろうとしたのです。ですから、イエス様を新郎とする、新郎新婦という言葉がここから出てくるのです。アダムによってつくられたものがアダムによって失ってしまったので、再びアダムによって探し出し、再創造しなければならないという結論が出てくるのです。そして、エバを探さなければなりません。それから、父母が現れるのです。そのようにして真の父母が現れるというのです。

 堕落した私たち人類は、偽りの父母によって生まれました。ですから、病気になったと同じです。故障したというのです。ですから、これを治してあげなければなりません。悔い改めて、再び息子としてつくり直すのです。宗教がそれをするのです。

 では、メシヤが来てなすべきことは何でしょうか? それは、世界をすべて救うことです。そのためには、善なる父母の子供に、善なる氏族に、善なる国に、善なる世界に全部接ぎ木する役事をしなければならないのです。全部洗って新しくつくらなければならないのです。それで、今まで神様と人類と宗教が総力をあげて何をしてきたかといえば、そのメシヤ一人を立てる仕事をしてきたのです。メシヤとは、神様の偉業を受け継ぐ完成したアダムなのです。

 では、そのメシヤの願いは何でしょうか? それは、世界を救うことですが、世界を救うためには個人から救わなければなりません。イエス様が男性を代表したのであれば、男性として女性を救わなければならないのです。ここで、この二人が一つになっていくのです。二人がエデンの園で堕落したので、それを蕩減復帰して二人が一つになってこそ、人類を救うことができるのです。

 そうして、その次には、何を探し出さなければならないかというと、家庭を探し出さなければなりません。息子娘がいなければならないのです。皆さん、イエス様がお父さんになって、その子供が「お父さん!」と言うのを見た時、気持ちがいいでしょうか、悪いでしょうか? (いいです)。では、イエス様は結婚しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (しなければなりません)。そうです。そうなれば、イエス様の孫がイエス様に対して「おじいさん!」と言うのを見た時、神様は気持ちが悪いでしょうか? (いいえ)。イエス様も気持ちが悪いでしょうか? (いいえ)。

 この世の中でもそうなのです。自分の息子娘が年を取ったのに、結婚させてあげられなかったならば、お母さんもお父さんも眠ることができないというのです。神様は息子をこの地にメシヤとして送ったのに、三十三歳になっても結婚できず、息子娘も持てずに、一度も愛というものを体験できずに死んでしまったイエス様の姿を見た時、神様が喜ぶだろうかということです。神様はイエス様が独身であることを喜びますか? もし、そうだとするならば、原理とは異なるのです。

 神様は父母なので、イエス様が願う以上に、イエス様の相対を願い、息子娘を願い、その次には、その息子娘を中心として一族をなすことを願い、その一族を通して国家をつくってみたく、国家をつくったあとには世界をつくってみたいと思わないはずはないのです。神様がそうであれば、イエス様も同じなのです。今日の人類も全部、神様の願いに帰って、その思想を持って、神様の息子娘になることであるというのです。

 ところで、この世は神様の世界になっていますか? (いいえ)。どこかに神の国がありますか? (ありません)。このアメリカは神様の国でしょうか? (いいえ)。では、神様の会社や団体がありますか? (ありません)。今日の既成教会は、神様の理想とする教会でしょうか? (いいえ)。では、神様の家庭がありますか? (ありません)。神の人を尋ねてみても、本当の神の人はどんな人なのかも知らないのです。本当に神様の願う家庭が何なのか、本当に神様の願う氏族、本当に神様の願う民族、本当に神様の願う国が何なのかを知らずにいるのです。

 ですから神様は、そのような人を見たいでしょうか? (はい)。神様を中心として、見たい個人と家庭を代表し、氏族を代表し、国家を代表し、世界を代表した集合体として来られるお方がメシヤだということを知らなければなりません。イエス様の思いどおりにできる人さえいれば、その人を中心として家庭をつくり、社会をつくり、国をつくり、世界をつくることができるのです。七年間でつくることができるのです。七日間でつくろうとしたことを蕩減するには、七年間がかかるのです。七年間で、みなやってしまうのです。


世界を救うために、一〇〇パーセント動員できる宗教が真なる宗教である

 それで、終わりの日には、七年大患難という七数が残るのです。そのような意味があるのです。このようなことを、イエス様の思いどおりに一度に整理して、編成する準備をしなければなりません。そのように準備したのが、イスラエル民族だったのです。これは間違いない話ですか、そうですね? (はい)。ですから、イエス様の思いどおりにできるユダヤ教、イスラエル民族のようにならなければならないということが結論なのです。

 「世界に責任を持って、私たちは貧しくても、この世界を助けよう」と言ったら、どうしますか? そういう時はどうしますか? 「ああ! メシヤよりも、私の夫のほうがいい」と言えば、どうでしょうか? 「ああ! 私たち夫婦だけがいい。ああ! 二人だけで行かせてください」と言うのですか? そうなれば、どうなるでしょうか? そうしますか? (いいえ)。女性たちが僕になり、男性たちも僕になったので、全部接ぎ木しなければならないのですが、それは一度にできないのです。別々に接ぎ木しなければならないのです。接ぎ木して再び再生するという、そのような過程を経ざるを得ないのです。

 イエス様が世界を救おうとされているのに、皆さんが「世界を救う仕事など私は嫌です」と言っては駄目です。さあ、皆さんは「世界を救おう」と言うのですか、「自分の立場を固守しよう」と言うのですか? (世界を救うことです)。「終わりの日には、あなたの家の家族が怨讐になる」という言葉は、このような意味が含まれているのです。また「乳飲み子を持つ女は、不幸である」という言葉があります。それは何かというと、イスラエルの国のためのメシヤではなく、世界のためのメシヤなので、乳飲み子を持つ女も、イスラエルの国のために生きる時は、そこで乳を飲ませることができますが、世界のための道にいで立つ時には、赤ん坊を連れていけないという話です。ですから、問題だというのです。

 もし「男性だけが働き、女性は協助しなくてもいい」と言えば、世界を救うのにどれほどの時間がかかることでしょうか? それゆえ、「男性も女性も共に働こう」という結論が出てくるのです。イエス様が世界を救おうとすれば、そのように考えるでしょうか、考えないでしょうか? それゆえ、「あなたの家族を捨て、夫を捨て、赤ん坊を捨てて、世界のためにいで立て」ということは、悪い命令でしょうか、良い命令でしょうか? (良い命令です)。そのようにしてでも、世界をすべて救ったならば、世界の人々が皆さんの息子娘に対して、栄光の立場で仕えることでしょう。

 それゆえ、国のために忠誠を尽くした人は、神様のための忠臣になるというのです。なぜかというと、自分の家を捨て、自分の妻を捨て、自分の子供を捨て、すべてのものを捨て、そこに全力を投入したという事実は、その世界において伝統を立てる重要な資料になるからです。そのようにしてでも、神様とイエス様は、この世界を早く救いたいでしょうか、救いたくないでしょうか? (救いたいです)。

 今の世界を見て、なぜそうしなければならないかということを私たちは考えてみましょう。人間は、一〇〇年前後で死ぬのです。一〇〇人のうち一年に一人ずつ死んでいくとすれば、一〇〇分の一が死んでいくという話です。それでは、アメリカの人口が二億二千万人とすれば一年にどれほどの人が死んでいくことになりますか? (二百二十万人です)。そうなれば、一年の間に死んでいく二百二十万人という人々は地獄に行くというのです。では、一年に四十億の人類はどれほど死んでいくことになりますか? (四千万人です)。四千万人が死んでいくのです。一年で韓国の人口に当たる人々が地獄に行くというのです。

 それを見た時に、神様はどのような犠牲を支払ってでも、それを早く防ぎたいでしょうか、防ぎたくないでしょうか? (防ぎたいです)。自分の妻一人のために、自分の息子娘のために、このような問題をないがしろにしてはなりません。全体を早く救わなければならないのです。息子娘が何ですか! 神様は女性たちを動員し、おばあさんたちをすべて動員してでも、一人でも早く救ってあげたいでしょうか、救ってあげたくないでしょうか? 神様はすべて総動員してでも、早く救ってあげたいのです。

 それゆえ、宗教の中でも一〇〇パーセント動員できる宗教が、真なる宗教であるという結論が出てくるのです。家もすべて捨てて、全部清算して、一〇〇パーセント動員できなければならないというのです。このように神様の摂理のみ旨が非常事態におかれているということを、私たちは考えなければなりません。

 ですから、神様を信じ、神様を愛する者が、「私は知らない」と言えるでしょうか? 神様がそのような考えを持っておられるのに、この世の宗教指導者たちが「そのようなことは全部やめて、適当にやればいい」と言うとすれば、これは怨讐だというのです。「この者たち!」。もし非常時になって、統一教会に「全体動員せよ」と命令すれば、一〇〇パーセント動員できるかという話です。皆さん、動員できますか? (はい)。

 それで、今までこのような訓練をしてきたのです。韓国の祝福家庭は、一九七〇年度から三年間、子供や夫や妻を問わず、全部捨ててみ旨のために出ていかなければなりませんでした。総動員したのです。その時、この世の人々は「レバレンド・ムーンは家庭を破綻させる」と言って大騒ぎしました。しかし、神様がそれを見た時、「やあ! レバレンド・ムーン、お前は呵責を覚えるであろう」と言うでしょうか、「やあ! レバレンド・ムーン、よくやった」と言うでしょうか? どちらですか? 答えてください。(「よくやった」と言われます)。大変なことですが、理解できるでしょうか? 理解はできますね? (はい)。


神様のために犠牲になった者は、必ず素晴らしい報いを得る

 皆さん、「死なんとするものは生き、生きんとするものは死ぬ」という言葉を知っているでしょう? イエス様がそう言われました。それは個人にも適用されるし、家庭にも適用されるのです。家庭を犠牲にしようとすれば家庭が蘇生し、家庭を生かそうとすれば家庭が死ぬということなのです。ユダヤの人々がなぜ滅びたのかというと、このような法度に従って、イエス様のために死のうとすれば生きることができたはずなのに、生きようという立場で働いたので死んでしまったのです。それが歴史的事実なのです。そのことが理解できますか? (はい)。

 統一教会は、神様の非常事態の時に死のうという者をつくるのでしょうか、生きようとする者をつくるのでしょうか? (死のうという者です)。死のうとすれば生きるのであり、生きようとすれば滅びます。それと同じことなのです。皆さん、死ぬ時は一緒に死にますか? (はい)。神様が必要とするならば、理由なくすべてのものを捧げることのできる、一つしかない尊い生命までも、絶対的に神様のために捧げることのできる思想がなければならないのです。先生はそのように生きてきたのです。これがレバレンド・ムーンの思想です。父母も捨てたし、兄弟も捨てたし、妻子もすべて捨ててきたのです。むしろ、お母さんやお父さん、親族をさらに苦労させ、犠牲の場に追いやったのです。それが嫌だと言ったならば、世界は今どうなっていたことでしょうか? 非常事態の時には、私たちはそれを捨てても行かなければならないでしょうか、それをつかんで行けないようにしなければならないでしょうか? どうしなければなりませんか? (行かなければなりません)。関係を断つことに努力しましたか? (はい)。先生は、そのように実践してきたのです。

 聖進(様)のお母さんが反対して、そうなったのです。途中で離婚するということが生じたのです。ついて来ないので仕方がないのです。世界を捨てるか、妻を捨てるかといえば、世界のために妻を捨てるというのです。私は、そのように実践した人なのです。そうかといって、夢にも離婚ということは思いもしなかったのです。お母さんやお父さんを含めて一族が全部既成教会の信徒でした。彼らがそうしたのです。既成教会がすべて自ら請うて、私たちの家庭を破綻させたのです。

 それでも、夫としての責任をすべて果たしたので、私は良心的に呵責を覚えることは一つもないのです。「お前は妻を捨てても世界を救わなければならない」という天法によって、神様の命令によってそうしたのです。神様がそのような方法でなされるのだということを、私はよく知っているのです。そうではないですか? 神様のみ旨のためには、アブラハムはイサクを殺して祭物として捧げなければならなかったのです。み旨のためには妻でも祭物として殺そうとする時、そこに順応して「殺してください」と言うべきなのが妻なのです。そのようなことが、原理を通して語られているのです。

 先生は、み旨のためには父母も家庭も国も全部捨てる覚悟をした人です。自分の妻を愛し、自分の子供を愛することよりも、統一教会の教会員たちをより愛し、国をより愛さなければならないのです。これが神様の行く道なのです。そのように、統一教会の教会員たちを自分の父母よりも自分の妻子よりももっと愛したというのです。それはなぜかというと、神様が自分の息子娘を犠牲にしながらも、このサタン世界の人々を救おうとしてこられた歴史的な事実を知っているからです。私がそのみ旨を知り、そのお父様の息子になったので、その伝統の思想に従わなければならず、引き継がなければならないのです。

 そのようにして行動した時に、その何倍ものよいものをもって神様が訪ねてくださることを、私は知っているのです。本当に、不思議なことをたくさん感じます。私の愛する友達がいれば、必ず霊界へ連れていかれるのです。昔、私の知っていた友達の中でも、親しい人は全部霊界へ連れていかれました。全部、道を断ってしまわれるのです。そのように、情緒的なものをみな断ってしまわれるのです。たくさんの友達、たくさんの人々が、私ゆえに、先に(霊界へ)逝ってしまったのです。そして、兄弟たちのうちでも、私を一番愛し、私に一番尽くそうとしてくれた兄も連れていかれました。それは、なぜでしょうか? それは後で分かったことですが、私が情緒的に引っ張られそうなので、神様がそのようにされたのです。

 それで孤独な私というものを感じて、孤独な立場で神様を訪ねながら歩むうちに、このみ旨がだんだん成されていくのを見た時、本当に不思議だと思ったのです。どこに行っても、そのような人々が伝道されているのです。本当に、「あの人が、そうではないか?」と思うくらいに、似ているタイプの人々なのです。言葉もぴったり同じであり、表情も同じような人々が、驚くほどに伝道されてきているのです。時がたってみれば、すべてを奪っていくのではなく、もっといいものをもって神様が報いてくださることを、いくらでも感じることができるのです。

 自分の家庭を神様のために犠牲にすれば、その家庭以上のものを(神様が)与えてくださるでしょうし、自分の国も、自分のすべてのものも犠牲にすれば、それ以上のものを神様は与えてくださることでしょう。今日の世界の若い青年男女たちが、「レバレンド・ムーン! レバレンド・ムーン!」と言って、死をも覚悟して行こうと誓う運動がなぜ起こるのかというと、私が捨てたすべてのものを、何千万倍にして、神様が世界的に報いてくださるためであると考えられるのです。これは私がつくった話ではありません。すべて神様がなされることなのです。


神様が私たちを協助するその理由

 韓国のはるか山合いに住んで、何も持たなかったレバレンド・ムーンがこのアメリカ大陸に来て、世界の中心であるアメリカ大陸に来て、希望的な課題を提示していることは、レバレンド・ムーンの力でやれることではないのです。ある時、私が車に乗ろうとすると、黒人や白人が全部ついて来るのです。まるで一大事が起こったみたいなのです。自分でも知らずに走ってくるのです。私が走ると、自分も知らずに走ってくるのです。

 人間としてできることは、アメリカ大統領にもできるし、アメリカの教会の牧師にもみなできます。ただ一つできないことは、彼らは神様の非常事態において、神様の願う道を行けませんが、私は神様の非常事態にそれを満たしてあげるために、すべての犠牲を覚悟して行こうとするのです。これが違うのです。神様の非常事態に、アメリカの大統領やアメリカの有名な牧師、あるいは教皇は安らかな立場にいるかもしれませんが、レバレンド・ムーンは人知れず涙を流し、人の知らない中で、心情深く一人で見もだえしながら、「これは私でなければ、ほかに責任を負う者がいない」と言いつつ、見もだえした歴史があるので、そうするしかないのです。もし、アメリカの立派な指導者たち、あるいは宗教指導者たちが先生と同じ心をもったならば、このアメリカは、このようにはならなかったことでしょう。そうなっていたならば、子供たちが父母の前に親不孝することはなく、個人がその団体の責任者の前に反抗することはなく、国民は国の大統領の前に順応せざるを得ないというのです。

 それゆえ、統一教会が異なるところは、このような思想のもとで、このような流れのもとで生きていくということです。統一教会は、こうした環境で、神様の非常事態には一〇〇パーセント、全体の前に犠牲を覚悟して乗り出すことのできる宗教にしなければならないというのが、先生の一片丹心です。皆さん、統一教会に一〇〇パーセント動員できますか? (はい)。皆さん自身でそのように考えますか? (はい)。このレバレンド・ムーンには夜がないのです。神様が命令されるならば、夜が問題ではありません。睡眠が問題ではありません。休むのが問題ではありません。死ぬこと生きることが問題ではありません。もし、私が疲れている時間があれば、「この時間に神様の命令があるとすれば、私の運命は決定される」と、いつも考えるのです。ですから、私は神様の天命を、御飯を食べることよりも、遊ぶことよりも、いろんなこの世の欲望を持つことよりも待っているのです。いつも、このような思いなのです。誰が反対しても私は行くのです。だから、私が神様が命令したことを成しておいて、その後で仇を討つのであり、その前には怨讐と争う時間がないのです。このように考えるのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 そのような心情の姿勢を持って生きてきたので、神様も私に協助してくださるし、私の行く道に協助してくださるのです。そのような協助がなければ、神様のみ旨を成せないのです。皆さんもそのようにするならば、問題はないはずです。アメリカや世界を救うことは問題ないと見るのです。ですから安らかに眠むるならば、良心の呵責を受けるのです、安らかに眠むった後には、また、よく食べた後には、良心の呵責を受けるのです。


神様の非常事態に責任を負って世界を一つにしよう

 皆さん、どうですか? 神様の非常事態に動員命令が下れば、どんな時でも動員できますか? (はい)。アメリカが第二次世界大戦の時に、国家の非常事態において軍人を選抜する時、「私には妻がいて、父母がいるので行けない」と言ったならば、今日、どうなっていたことでしょうか? そのような国は滅びるのです。そのような家は滅びるのです。ですから、妻がいても、病気の父母がいても、捨てて行かなければならないでしょうか、捨てて行かないようにしなければならないでしょうか? (捨てて行かなければなりません)。それと、同じことなのです。天地が行き交う危急な非常事態を迎えて、神様の命令がある時は、直行しなければなりません。私たちが先に直行しなければなりません。お母さんとお父さんが「行くな」と言う、その言葉を聞かなければなりませんか? (いいえ)。先生の妹はとても先生を愛していたので、先生の若かった時に、「お兄さん、どうかそうしないで、私たちの家で一緒に暮らしましょう」と、どれほど言ったことでしょうか?

 もし、そうしていたならば、今日の統一教会が現れたでしょうか? (いいえ)。先生の妻も「どうか私たちと楽しく暮らしてください」と言いました。聖進(様)のお母さんは、「この世の中で男性は、あなたしかいません」と言いました。「この世の中で、聖進のお父さんが一番いい」と考えていました、いまだに「聖進のお父さんは、間違いない人だ」と考えているのです。しかし、「私たちとつつがなく暮らしましょう」と言った、その言葉を先生が聞いていたならば、どうなっていたことでしょうか? この統一教会は残っていたでしょうか?

 そのような困難なことをたくさん体験したので、それを断つことがどれほど難しいか私はよく知っているのです。私のお母さんが私をそのように愛し、私の兄妹が私をそのように思い、聖進(様)のお母さんが私をそのように愛しましたが、今まで、私は彼らのために生きることよりも、国と世界のために生きてきたのです。そのように生きてみると、さまざまなことが起こりましたが私は滅びなかったのです。私に反対した人は良くなかったのですが、私は発展してきたのです。神様が保護するので、そうならざるを得ないのです。

 では、今日、レバレンド・ムーンは成功した人でしょうか、失敗した人でしょうか? (成功した人です)。一代で成功した人です。イエス様を見ても、当時一二〇の国家の版図を持つことができたでしょうか? いかなる宗教指導者が、生前にそのようなことを一代で成し得るだろうかというのです。誰もできなかったのです。神のみ旨を中心として、歴史上の非常事態がいつかということを考えた時、正に今がその非常事態なのです。

 皆さんが知っているように、民主世界は没落するのです。キリスト教も完全に没落してしまうのです。それから、共産主義の脅威が襲ってくるのです。そこで神様は、民主世界を防御して、キリスト教を防御して、共産主義に備えることのできる道がないかと、その道を模索し、再びそれを回復し、神様のみ旨の世界へ導きたいというのです。

 このような環境を経ながら、先生は国家が反対し、すべてが反対する時も、神様のみ旨を中心として、神様の個人に対する希望を成就させるために、非常事態に責任を持って解決しなければならないと考えた人なのです。個人的勝利の土台の上で、家庭的にこの世界を代表して、すべての怨讐たちが讒訴する中で、これらを勝利的に残さなければならないと考えたのです。

 その次に、氏族的に出ていくのです。それは勝利した家庭の土台の上でなさなければならないのです。そのためには、先生自身が家庭を持っているならば、その家庭も当然犠牲にしなければならないのです。家庭のすべてを犠牲にしなければならないのです。そうして、氏族を解放しなければならないのです。そのようにして、統一教会の皆さんは世界的な氏族になったのです。そして、これらが一つの国家の土台にならなければなりません。これらを犠牲にして、国をつくろうというのです。

 そのようにして一つの標準をつくり、万民の前に、「このような国であってこそ、幸福に生きることができる」ということを見せてあげ、万国がそう成り得るようにして、世界を一つにしようというのです。そうして、世界がそのような国になった時、これが地上天国となるのです。

 先生一代で、個人を中心として戦う場合は、全世界のサタンと全個人がみな攻撃してくるのです。そこで戦って勝利していくのです。その次に、家庭がまたそうなるのです。私たち統一教会の人々は氏族圏ですが、そのためには氏族が全部反対するのです。そのような中で戦って、国を超えて世界に連結しなければならないのです。


一九七六年はキリスト教歴史を、霊肉を中心とした次元で超えていく時である

 一九七五年、今年の六月七日に汝矣島広場で「救国世界大会」を開きましたが、この時は、大韓民国が霊的肉的な峠を越える時でした。皆さんは、ここから蕩減復帰を学ばなければなりません。イエス様がイスラエルの国で霊肉を中心とした戦いに失敗して失ってしまったものを、神様のみ旨を成し得る一国を中心として探し出さなければならないのです。そうして、霊肉を中心として国家から追われたものを探し出して、初めてイエス様を解怨し、滅亡していたイスラエルの国を再び探し出して、神様のみ旨に立てなければならないのです。それを成し得る時が、今年の六月七日だったのです。

 そして私は、このアメリカに渡ってきたのですが、今からは何をしなければならないかというと、アメリカはキリスト教を中心とした霊的世界の中心国家であり、肉的国家基盤を築かなければ霊的世界基準に行くことができないので、ここに橋を架けて、霊的キリスト教世界に肉的国家基準を連結させて、世界的版図に霊肉共に影響を及ぼすことのでき得る雰囲気をつくらなければなりません。そうして、アメリカと自由世界の峠を越えなければならないのです。それをなさなければ、霊肉を中心とした世界的版図が形成されないのです。

 当時イエス様が、三年間に、霊肉を中心として国を動かそうとして失敗したことを、この時代において、キリスト教国家の第一イスラエルのような霊的国家のアメリカを中心として、三年間で霊肉を中心とした一つの世界的版図を造成しようというのです。それが一九七五年、七六年、七七年の三年期間だというのです。ですから、来年で建国二〇〇年目を迎えるアメリカの歴史は、キリスト教二〇〇〇年の歴史を蕩減する最後の期間だと見るのです。

 この二〇〇年期間は、歴史時代において過ったすべてのことを全部蕩減して、来られる主を迎えるための準備の歴史として築かれてきたものです。また、そのような国家としてアメリカをつくっておいたのです。この三年期間の二番目の年が来年なのです。何の話か分かりますか? マディソン・スクェア・ガーデン大会の勝利によって、霊肉を中心とした勝利的な国家基準を韓国に連結させる版図が成されたのと同様に、今やヤンキー・スタジアム大会を勝利で終える日には、それをアメリカ自体に連結させ得る基盤が決定されるというのです。分かりますか? (はい)。

 キリスト教は何かというと、イエス様を中心とした宗教です。アダムを第一アダムとすれば、イエス様は第二アダムであり二番目です。二番目を中心としてすべてのものの生死を決定するのと同様に、このキリスト教文明圏であるアメリカを中心として…。私たちの三次七年路程は国家を超えた世界的路程なので、二番目の年である一九七六年と一致するのです。

 それゆえ、来年の一九七六年は、アメリカ歴史の建国二〇〇年目に当たる年であると同時に、今日までの二〇〇〇年のキリスト教歴史が霊肉共に移行していく時なのです。霊的なキリスト教世界が、今や霊肉を中心とした新しい次元の世界に移行していく時だというのです。それも、世界を代表して移行していく時が来たのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 ヤンキー・スタジアム大会を中心として勝利した日には、今までアメリカで騒がれてきたすべてのことが完全に除去され、反対していた人々も完全に除去されるのです。今まで、「レバレンド・ムーンは悪い」と言ってきたことは、イエス様を殺そうとしたことと同じです。ですから、レバレンド・ムーンを殺す工作をしながら、大騒ぎしてきたのです。しかし、レバレンド・ムーンは、イエス様のように、ユダヤ教とイスラエル民族に追われて死ぬ立場に行く男ではありません。アメリカの全土で反対され、追われて死ぬような環境に追い立てられても、死ぬことはありません。ヤンキー・スタジアム大会さえ勝利する日には、完全に勝利の勝ちどきを上げて超えていけるからです。

 キリスト教は、霊肉を中心として勝利した基盤において、イエス様が死なずして出発すべきであったのに、イエス様が死んだことによって、霊的にだけ出発したのです。ですから、二〇〇〇年のキリスト教文明を通して形成された二〇〇年の歴史を持ったアメリカが、その二〇〇〇年を蕩減して、肉的イエス・キリストの目的と連結させて、新しい世界に移行していく歴史的時期が来年なのです。この歴史的な使命を果たせるか否かという、この戦いに責任を持つ私たちの目標が、ヤンキー・スタジアム大会であるということをはっきりと知らなければなりません。

 イエス様時代のローマと同じ場所はどこでしょうか? 今日、韓国で生まれたレバレンド・ムーンによる新しい宗教である統一教会を中心として見た時、正にアメリカがローマと全く同じ立場なのです。イスラエルの国で生まれたイエス様がローマ帝国に入って、そのローマを制圧して勝利の勝ちどきを上げなければならなかったのに、それができずして四〇〇年の間、迫害を受け、受難の道を経てきたキリスト教の悲惨な歴史を私たちは知っています。それと同様に、今日、統一教会の私たちが、ローマと同じこのアメリカに来て、勝利の勝ちどきを上げ、ローマ帝国と同じアメリカを動かし、方向を定めて世界に出ていく決定を下すのが、ヤンキー・スタジアム大会なのです。(歓声と拍手)

 このような観点から見た時、これは、神様の六〇〇〇年の摂理を中心とした最後の戦争なのです。そして、ユダヤ教とイスラエルの国とイエス様が一つになれなかったことを、私たちはここで統一教会とアメリカとキリスト教が一つになるかどうかという問題を決定づける、その関門を開くことができるのです。もし、そこで勝利する日には、イエス様が死なずしてローマに入城し、世界圏を宣布する新しい歴史的起源を成し得たのと同様の、新しい歴史的起源が設定されるのです。(拍手)


ヤンキー・スタジアム大会の歴史的な意義

 皆さん、来年のアメリカの大統領は、四十代目の大統領です。この四十代を中心として成すことができなければ、さらに三代が延長されるのです。それゆえ、四十代に二〇〇年が合わさるので、内外共に統一教会が働いて、ヤンキー・スタジアム大会で「ゴッド・ブレス・アメリカフェスティバル」というタイトルで愛国運動を提示するということは、アメリカの歴史における生死の問題を決定づけ得る起源になるということを知らなければなりません。(拍手)

 神様が、人間の先祖アダムとエバが堕落することによって六〇〇〇年、数十万年という歴史的期間を通して受難の道を歩んでこられる中で受けた悲しかった数々の心情の解怨を、どこで解放すべきかという問題を考えて見た時、アメリカの地でこのような日を迎えたということは、歴史的事件であるということを知らなければなりません。イエス様が神様の息子としての責任を持って、世界万民救援の目的を達成できずに、悲しい心を抱いて十字架にかかり、血を流して死んでいったその日から、この勝利のひと時が来るのを願って、このような国を形成し、神様の願いを成して、神様を解放し得る日を願ったその時が、正にヤンキー・スタジアム大会に連結されているということを知らなければなりません。(拍手)

 そればかりではなく、今まで二〇〇〇年の間、追われに追われてきたキリスト教の運命の道に従って、血を流しながら倒れ、殉教の道の祭壇を通して、今まで世界的舞台に発展させてきた先知先烈たちの願った今日の神様の解怨、イエス様の解怨、私たちの解怨を完結づけて、万民の救援と万民の解放を迎えるその時その日が、正にヤンキー・スタジアム大会の日だということを、皆さんは知らなければなりません。(拍手)

 キリスト教を中心としたイエス様と神様はもちろん、統一教会を中心とした神様と先生と統一教会の教会員の所願成就を決定づけるひと日が、正にヤンキー・スタジアム大会の日だということを、私たちは知らなければなりません。そればかりではなく、今日、二つの世界に分かれて混乱のうちに、どこに行くべきかも分からない、この世界のかわいそうな万民が、神様を求めて一つの新しい方向を見いだし、天国の民になる、その門を開く日が正にヤンキー・スタジアム大会の日だということを知らなければなりません。(拍手)

 さあ、ヤンキー・スタジアム大会で、このレバレンド・ムーンが失敗するか成功するかという問題は、宇宙史的な意義があるのです。それゆえ、これは神様とイエス・キリストとキリスト教はもちろん、全世界の人類と統一教会と統一教会の文先生が命を懸けた戦いなのです。命を懸けた戦いだというのです。このようなことをサタンはよく知っているので、アメリカの言論機関を通して、アメリカで私たちに反対する人々を立てて、私たちに攻撃してくるのです。先生が若き時から願い、待ち焦がれていたその日が、ほかでもなく、正に来年の六月に来るということを彼らはよく知っているのです。

 そのような日の来ることは、この上なくうれしいことですが、もし勝利できない日にはこの上なく悲惨なのです。それゆえ、その日はうれしい日であると同時に、恐ろしい日だというのです。ですから、私が壇上に立って勝利の勝ちどきを上げるのか、敗者の声を上げるのかということが問題なのです。もし、敗者の声を上げる日には、統一教会の行く道と人類の未来は悲惨な姿が生まれることでしょう。そうなれば、神様の前に私は顔を上げられないことでしょうし、また、皆さんはもちろん、神様と霊界のすべての霊人たちと全世界の宗教が共産世界の侵略の風に追われて、この世界は荒れ地になり、今までの宗教も全部消え去ることでしょう。共産党に全部が蹂躙されるという話です。

 そうなれば、一九八〇年度になる前に、アメリカも全部引っ繰り返ることでしょう。そのようなことを知っているので、私たちはヤンキー・スタジアム大会を中心として、歴史的な責任を負い、その前線に立っているのです。このヤンキー・スタジアム大会を成功裡に終える日には、来年秋のワシントン大会はさらに成功裡に終わることができるというのです。もし私たちがワシントン大会を、五十万人以上を集めた集会として成功裡に終えた日には、アメリカ歴史上にない大きな問題となることでしょう。(拍手)


ヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会が終われば世界が私たちの前に現れる

 見ていなさい。そうなれば、アメリカの知恵のある人々は、すべてレバレンド・ムーンを研究せざるを得ないというのです。研究せずにいられますか? 考えてみてください。「あの人は外国人なので、英語もできずに通訳をおきながらも、数年のうちに世界の中心国家であるニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンから、ヤンキー・スタジアム、ワシントンを一瞬の間にさらってしまった。何の力でもってやったのか?」と言うのです。そればかりではなく、「このようなことのできるお金はどこから出てきたのか?」と言うのです。経済的な面において新しい方向がここにあるということを考えた時、お金を得たい人は私を研究せざるを得ないのです。また、政治をする人の中で「おお、このような団体を私が動かすことができれば、アメリカの大統領にもなれるだろうに、レバレンド・ムーンのような力があったらいい」と思う人は、私を研究せざるを得ないというのです。

 その次に、アメリカにいる数多くの宗教指導者たちはみな、完全に惨敗を喫してしまった後で、結局レバレンド・ムーンが信じる神様と自分たちが信じる神様が異なることを知るようになるのです。「神様が共にあるので、あのようなことができるのであって、サタンが共にあるなら、あのようなことはできない。私たちが信じる神様は今まであのようなことができなかったのに、レバレンド・ムーンを中心とした神様は特別なので、ここに新しい神様の役事がある」ということを、認定すまいとしても認定せざるを得ないというのです。そうなれば、反対していた人々も、みな入ってきてしまいます。ですから、前面では攻撃しても、後ろでは、口では反対しながらも、心ではいいと思っているのです。

 皆さんはアメリカをよく知っていますが、私は、「このアメリカは主人のいない国だ」と見ているのです。「民主主義なので、アメリカの国民が主人だ」と言うのでしょう? しかし、皆さんは主人の資格を持っていますか? 全部が主人になっていないのです。主人がいないのです。自分が自分自身の主人にもなっていないのです。なっていますか? この姿は、ただ風が吹くままに引っ張られていっているだけです。「共産主義がいい」と言えばそこに行き、「ヒッピーがいい」と言えばそこに行っているのです。何か言えば、全部が一度に行ったり来たりする者になっているというのです。

 そのような、主人にもなれずにいる皆さんが集まって、「この国の主人だ」と言うのですか? そのようなアメリカの人々が、この国を収拾して、永遠な理想世界をつくることのできる主人になれると思いますか? ですから、「主人はいない」と言うのです。アメリカは主人のいない国なのです。主人になろうとすれば、まず個人の主人から、家庭の主人、民族の主人、国家の主人にならなければなりません。また、世界を指導できる理念を持たなければなりません。そのような人が現れれば、その人が主人になるのであって、ほかの人は主人にはなれないと私は見るのです。そのようには思いませんか? (思います)。

 見てみなさい。このアメリカの青年たちはやりたいことはみなやってみました。ヒッピーにもなってみたし、フリーセックス、ありとあらゆることをみなやってみましたが、満足できず、全部が壁にぶつかって麻痺状態なのです。目だけが生きているのです、目だけが生きています。生きた死体なのです、生きた死体です。それでは家庭が破綻して、青年たちは全部麻薬中毒者になるでしょう。教会という教会はみな壊れてしまうでしょう、共産主義の脅威があるので、そうなるのです、どうしますか? これを、満身創痍になったというのです。

 見てみなさい。アメリカの中心都市であるニューヨークが破綻前夜にあるのはなぜでしょうか? あの人々は、なぜ責任を持てずにああなったのでしょうか? すべて考えるべき問題ばかりです。ニューヨークが倒れる日には、アメリカ自体に希望がないという話です。もし、ニューヨーク市民が、私の話さえ聞くことができるならば、私は三年以内に、全部を回復させることができるのです。(拍手)

 このような実情を見た時、「今から、新しいことが何かないか、行くべき道が何かないか」と思いながら、大学の教授も、宗教者も、既成教会も、ビリー・グラハムもみな求めているのです。しかし、何もないというのです。そのような中で、このレバレンド・ムーンがあまりにも有名になり、問題になるので、東洋から来たレバレンド・ムーンとはいったいどんな人なのかと気がかりなのです。もしも「レバレント・ムーンがいい」という日には、一度にどっと集まってくるのです。ほかに行く所もないので、こっちに来るのです。(拍手)

 皆さんも、反対していたにもかかわらず、ここに来たのですね。もし、ヤンキー・スタジアム大会やワシントン大会で「いい」となった日には、このように世界的風が吹く時は、どっと集まってくるでしょうか、集まってこないでしょうか? 若い人々はみんなどこに行くでしょうか? 皆さん、考えてみてください。神様を中心として、このアメリカの国民が統一教会の思想で武装して感化されたならば、世界は一瞬の間に、三年以内に完全に統一して余りあるというのです。そうなれば、私たち統一教会は世界の人々を養っても余りある役事をいくらでもすることができるのです。

 一つ例を挙げてみましょう。私が、もし各国に十億ドルほど寄付すると考えてみてください。各国の外務省の大臣たちが、私たちのイーストガーデンに来て、並んで「統一教会の思想がいいので、どうかレバレンド・ムーンが来て、私たちの国でもそのような国民をつくってください」と言うことでしょう。そうなれば簡単なのです。その国の閣僚たちを中心として、そこで修練会を開けば、その国は一瞬の間に全部復帰されるのです。(拍手)そのようにして一週間くらい教育を受けた日には、考えが変わらないだろうかと思うのです。何の話か分かりますか? (はい)。強制しなくても、自主的に変わるのです。

 このことを考えた時、ヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会さえ勝利する日には、世界が私たちの前にやって来るのです。そのようになれば、私がここから上院議員に、電話を一本して「ニューヨークのイーストガーデンに来なさい。一度会いましょう」と言えば、来るでしょうか、来ないでしょうか? 考えてみてください。(来ます)。私たちは、お金も持っているし、若い人たちの力も持っているし、国家や世界を一度に動かす基盤もあるのです。それが、必要なのです。このようなことを見た時、皆さんはこの世の中に生まれて、レバレンド・ムーンのような人によく出会いましたか、よく出会いませんでしたか? (よく出会いました)。よく出会わなかったのでしょう? (いいえ)。言葉ではそうでも、心はそうではないでしょう?(いいえ)。(笑い)


新しい決意で一九七六年を迎えよう

 神様と人類が解放されれば、その後は死んでも大丈夫です。それが先生の生涯の目的であり、天命を受けた使命なので、その使命をすべて果たした後には、この地上でもっと生きたいという考えはありません。今も先生は命を懸けているのです。

 この前、私は何人かの人を調査しました。ニューヨークの暗黒街で調査してみたところ、一七〇ドルさえあげれば、「いつでも人を殺す」と言うのです。また、麻薬を飲んで精神病者になる青年たちが多いのです。そのような所に若者たちを連れていって物議を醸しながら活動することは、どれほど危険千万か考えてみてください。

 今や統一教会をなくそうと、共産主義者たちはさまざまに捏造することでしょうし、共産主義の専門家たちを投入することでしょう。反対派たちは、ありとあらゆる凶悪な輩を送って、内部分裂を工作しようとするのです。そのような人たちがたくさん入ってくることを私は予想しています。この前も、『デーリー・ニュース』の記者がここに来て、三日間スパイ活動をしたのです。それと同じように、いくらでもできることです。ここには制裁がありません、すべて公開しているからです。

 ですから、どんなに危険千万なことでしょうか? 私の一生において、アメリカに来て、このように生命の危険を感じながら、命を懸けて戦うことは生涯において初めであると同時に終わりになることでしょう。なぜそうまでしなければならないかというと、このアメリカの地においてこのように戦うことが、ヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会の戦いが、神様の願いであり、イエス様の願いであり、人類の願いであり、また過去に地上に来ては死んでいった先祖たちと、現世界と未来の後孫たちの願いだからです。すべての願いの峠がここにあるので、ここで判決を下さなければならないため、私もここに来て、このようなことをなさざるを得ないというのです。

 皆さん、きょうの題目と同じ「希望の峠を越えよう、望みの峠を越えよう」という峠が、正にヤンキー・スタジアム大会なのです。原理の教える内容と同様に、マディソン・スクェア・ガーデン大会は蘇生であり、ヤンキー・スタジアム大会が長成の二回目なので、この峠が最も難しいのです。三回目は問題なく越えていけるのです。

 イエス様が追われて、十字架で亡くなられるようになったのも二年目です。この二つ目の年をイエス様が越えていたならば、十字架上では死ななかったことでしょう。統一教会も同じです。ヤンキー・スタジアム大会が二回目の峠なので、これを越える日には、すべての峠を越えていけるというのです。それによって、新しい世界に越えていけるのです。このように深刻な歴史的最後の関門を見つめる私たちは、今や強く雄々しくなければなりません。強く雄々しくなければならないというのです。

 ですから、じっと座っているのではなく、前進しなければなりません。この瞬間が神様の非常事態であり、イエス・キリストの非常事態であり、長い歴史時代に殉教した先烈たちの非常事態であり、人類歴史の世界的情勢から見ても非常事態なのです。すべてのことが、この非常事態にかかっていることが分かったのですから、男として生まれ、女として生まれた私たちは、過去の人類の先祖たちを代身し、現在の人類を代身し、未来の後孫を代身して、勝利を標榜して立ち上がった天の勇士であることを知らなければなりません。

 きょうは、一九七五年の最後の日です。今からの勝利を決心するこの瞬間に、決意を誓ってください。新しい一九七六年になって決心するのではなく、今年のうちに決心して、これから訪れる一九七六年を迎えなければなりません。そうしなければ三年が連結しないのです。ですから、きょうが蘇生、長成、完成の三年を連結することのできる最後の日なのです。

 一九七六年に、アメリカの歴史的な運命を決定しなければなりません。このアメリカは世界の運命を代表し、今日の統一教会はこのアメリカの運命を代表して立ったので、一九七六年を勝利の年として飾ることを誓わなければなりません。理由を問わず、異議なく総動員しなければなりません。一〇〇パーセント総動員して、この非常事態を一時に、各自が肉弾となって、「勝利の勝ちどきを上げてみせる」と誓う私たちにならなければならないのです。正にその誓いを、正にその決意を、私たちは神様と全宇宙の前に宣言しなければなりません。私たちによって、すべてのものが勝利をたたえる結果をもたらすことを誓わなければなりません。

 困難であればあるほど、峠を越えて頂上に立った時に、より一層の大きな喜びを感じることができるのです。ですから、困難を撃破して勝利しなければなりません。皆さん、そうできるという人は手を挙げて誓いましょう!

 そのように、希望の峠を堂々と越えて、神様の懐に抱かれ、永遠に勝利をたたえることのできる勝利者になることを願いながら、先生のお話を終わりにしたいと思います。(拍手)
















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