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  二 王権即位式の主題、真の御父母様のみ言


  宗教を通した人類救援摂理歴史

 きょうは、「神様王権即位式」の日です。「神様王権即位式」は、真の御父母様だけでできますか。天と地にいるすべての人たちが国をもち、祝福を受けて一族となり、血筋が一つとなった単一民族を成した基盤の上で初めて、このような式をすることができるのです。
 「神様王権即位式」のために、今まで数多くの宗教圏の中でキリスト教を中心として、ユダヤ教の第一イスラエルからキリスト教の第二イスラエルを経て第三イスラエル圏である韓国に至るまで、旧約時代、新約時代、成約時代として越えてきました。
 「成約」という言葉は、すべてが祝福を受ける時代だということです。神様が造られた被造万物は、人類始祖の堕落によって祝福圏に立つことができませんでした。しかし、神様は、救援摂理の道を通してキリスト教を中心とした数多くの宗教を立てて万民を教育することによって、段階的に引き上げながら成約時代を迎えるようにされたのです。
 しかし、主流思想ではない系列に属する宗教は、その全貌を知ることはできません。ユダヤ教とキリスト教を中心として、神様を人類の父として侍ることができる道を築いてきたのです。そして、イエス様がいらっしゃることによって初めて「ひとり子」という名前をもつようになりました。神様が失ってしまったこの歴史時代、アダムとエバが失敗した歴史時代において、初めて神様の愛を受けることができる血統的内容を中心としたひとり子が、初めて地球星に生まれました。神様の長男が生まれたというのです。
 しかし、ひとり子は生まれたのですが、ひとり娘がいません。神様は、四千年間の救援歴史を通してアダムを再び創造されたのと同じです。神様は、アダムをまねてエバを造られました。アダムの相対となることができるように、アダムを造られた原則、青写真を基礎として、それをまねて造られました。
 聖書を見ると、男性のあばら骨を取って女性を造ったと記録されています。それはどういうことですか。骨子をまねて造ったということです。ですから、アダムは、地上で失ってしまったものを取り戻すことができるひとり子です。しかし神様は、直系の愛の血筋を通してアダムを取り戻しましたが、エバは取り戻すことができませんでした。エバを取り戻そうとすれば、堕落以降の今までの歴史性を再び家庭から復活させて接ぎ木し、国をつくらなければなりません。
 それを準備しておいたものが、ヤコブから始まったイスラエル民族であり、十二支派でした。選民思想を中心としてヤコブの十二人の息子、娘が着地し、世界に勝利の版図を拡大させてきたのが、イエス様が来られる時までの二千年間におけるイスラエルの国とユダヤ教です。
 イスラエルの国は外的なカイン型であり、ユダヤ教は内的なアベル型でした。そのカインとアベルの基盤の上で、霊的・肉的に父母の責任を果たすことによってカインとアベルを収拾することができる母を選択して待たなければなりません。母を選択した基盤の上でイエス様を迎えていたならば、霊肉が一体となった真なる父母を迎え、霊肉が一体となったイスラエルの国とユダヤ教がカインとアベルの立場で一つになっていたはずです。
 そして、その一つになって祝福された家庭を中心として氏族を編成し、民族、国家まで編成したものに対しては、誰もこれを否定することはできません。いくらローマが世界を支配していたとしても、それを凌駕することはできません。外的なものは肉と同じであり、内的なものは骨と同じなので、肉は骨にはかなわないということです。もし、そのような立場に立っていたならば、イスラエルの国を中心として万国統一し、神様の解放も二千年前にすべて成し遂げることができたはずです。
 しかし、イエス様がエバを復帰して家庭を成すことができなかったので、イスラエル民族、選民圏国家の基準まで成すことができるように準備されたものがすべて崩れてしまいました。すべてが崩れてしまったのです。イスラエルが準備した基盤がすべて死んだもののようになったので、イスラエルの国はなくなり、七世紀に入って中東からイスラム教が出てきたのです。イスラエル民族は、エジプトから帰ってきて祝福された民族になったにもかかわらず、その中心民族の中からイスラム教が出てきたのです。反対する立場でイスラム教徒が現れ、怨讐になりました。
 アブラハムの息子であるイシマエルとイサクは兄弟ですが、互いに怨讐となって闘う歴史が展開したのです。エルサレムを中心として、十字軍とイスラム教徒が闘い、イスラエルを奪われてしまったのです。それで奪われたイスラエルを再び取り戻さなければなりません。しかし、闘って奪い取ってはなりません。
 イエス様の時代に国家基準のカインとアベル、右翼と左翼の立場で平和の基準をつくっていたならば、カインとアベルの闘争歴史は、霊界でも地上でもすべて解決されたことでしょう。しかし、国家形態の基準を準備したイスラエルが亡国の種となることによって、「再臨」という名詞が登場するようになりました。
 第二イスラエル圏を中心として、ローマ圏を支配することができ、乗り越えることができる世界版図圏がキリスト教です。イエス様の体を失ってしまったので、霊界を代表するキリスト教を中心とした連合国が、第二次大戦を通して枢軸国と戦って勝つことによって、キリスト教文化圏が世界を統一するようになりました。
 キリスト教が世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代となり、怨讐の世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が天の側の世界に帰属することができました。この基盤を中心として、旧教と新教が一つになった立場に立って、キリスト教文化圏を代表して来られる再臨主を迎えていたならば、その時から統一天下の運勢を受け、一九四五年から三年半ないし七年、一九五二年には、統一天下を成し、その時に神様の王権即位式が終わっていたことでしょう。
 しかし、キリスト教は統一教会を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、妨害して追い出そうとしています。それはなぜでしょうか。ユダヤ教がキリスト教に対して、最後まで反対しながら妨害して滅びるしかない立場に立つようになったのと同じです。今、キリスト教が統一教会に反対しながら全く同じ道を行っています。宗教圏はみな同じです。キリスト教が神様のみ旨を果たしてさしあげられないのと同時に、仏教と儒教、イスラム教なども同様に困難な道を行っています。
 その結果、家庭から社会、国家、世界など、どこもみな地獄のようになってしまいました。神様が願われた愛の理想圏は、地球星で見いだすことができないという結果になりました。アメリカのような大国にも、神様が訪ねていくことのできる心と体が一つになった真なる息子と娘、神様が願われる堕落していない本然の基準で夫婦の心と体が一つとなった家庭はありません。父母と息子、娘が争わない家庭がありません。個人主義化してしまったこの世の中は、すべて分かれるのです。

  理想的な地上・天上世界

 神様は、人間を相対理想で造りました。すべてがペア・システムから成っています。鉱物世界もペア・システムであり、植物世界もペア・システムであり、それから動物世界もペア・システムなのです。天と地もペアとして一つになるべきなのにもかかわらず、分かれたのです。すべてが分かれて反対になりました。反対になってしまったというのです。それをどのようにしてひっくり返して合わせるのでしょうか。それは、誰がしなければならないでしょうか。蘇生、長成、完成! 蘇生的アダム家庭において失敗し、長成的メシヤも国家的基準において失敗したがゆえに、その国家的失敗の内容を逃れることができないので、世界、ローマの限界線を越えなければなりません。世界圏まで越えなければならないというのです。
 イエス様が国家を越えて訪ねていくべき峠が世界的舞台であったので、世界の舞台に向かって越えていかなければならない時が地上に必ず来ます。再臨主は、イエス様の理想を越えなければならないので、国家的基準ではなく世界的基盤の上でキリスト教文化圏を相続し、そこから出発しなければなりません。
 しかし、相続されるべき立場のキリスト教、すなわち旧教と新教自体が争っているので、統一しようとは考えることもできずにいます。結局、キリスト教を統一することができる時まで、必ず争いを続けるでしょうし、その争いを続ければ続けるほど宗教圏も滅びるしかありません。最後の日には、道もなく、手も出すことができないので、仕方なく主人であるメシヤを求めるようになるのです。
 今、天も失ってしまい、宗教と世界、国、社会、家庭はもちろん、すべてのものを失ってしまったので、すべてを否定する時代に入るようになります。「おじいさんとは誰か、父母とは誰か、夫婦とは誰か、子女とは何だ」と、すべてを否定する時代になりました。「どこに天があり、どこに神様がおり、どこに宗教があるのか」、「どこに社会があるのか」、「どうして家庭が必要なのか」と言って、すべてを否定するのです。
 この世はペア・システムでつくられました。動物は子供を産むためにペア・システムが必要ですが、人間はそれにも及びません。享楽的な基準でのペア・システムは一時的で、永遠という概念はありません。男性も女性も、愛の神様の理想的基準とは完全に掛け離れた、堕落した天使長の個別的な立場にみな落ちていきました。
 ですから、愛の道をそのまま通り抜けていくことはできません。人間の本性的な愛の道は、神様と一体となることができる道なので、人間の修養や決心だけでは最後まで情欲を克服することはできません。
 それゆえに、悟りの道を行く人がいるとすれば、サタンが霊的に妨害します。美男子が修道を行って天性に近づいていくことができる立場に立てば、美女がやって来て抱き抱えて試験をします。ですから、「私を抱いてください、ぎゅっと抱いてください!」と言うときに、抱いてあげればそれでおしまいなのです。男性であれば美女が現れ、女性が修道を行えば男性が「抱いてください」と言い寄ります。男性は天使長の立場なので、「抱いてください」とも言いません。ですから、そこで目を開けただけでも終わりなのです。
 愛を中心として展開するこのような霊的、肉的な生死判決の闘いは、修道を通して霊的に体験をしなければ分かりません。これが克服し難い問題であり、サタンの(活動)舞台の中の(活動)舞台になっています。神様は、この(活動)舞台を奪って理想の位置に戻さなければならないことを知っているので、千辛万苦、それを元に戻そうと、万万世繰り返してこられましたが、それでもこの問題は継続してきたので、宗教のみ旨を立てようとする神様は、今まで力なく失望に失望を繰り返してこられたのです。
 それは上がっていく道ではありません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで行って下りていくときには、国家の基準から氏族の基準に、氏族の基準から家庭の基準に落ちていきます。このようにしてどん底まで落ちていき、そこで失敗すれば他の所に回っていくのです。ですから、数千年の歴史がかかりました。逆回りです。
 旧約時代の二千年を見れば、これが霊形体ならば、霊形体圏に至るまでは次に上がっていく方法がありません。誰かがそこに穴を開けて生命体圏まで上がっていかなければなりません。そうでなければ、二千年という限界線が再び訪れるまで、蘇生、長成、完成の三段階に分けて復帰歴史の基準が満ちるときまでは、回り道をし、すべり、再び巡ってくるのです。東洋で始まったものが西洋で始まり、天で始まれば地で始まって、それが一つにならなければつぶれてしまいます。
 そのような転換の時期に、東洋と西洋でそれぞれ文化背景が異なるので、メシヤの代理的責任をもって世界人類を東西四方で収拾してきた宗教形態が、正に仏教や儒教やイスラム教やキリスト教です。
 それでは、再臨主とは誰なのかというと真の父母です。真の父母は何をもってくるのでしょうか。真の愛と真の血統をもってきます。偽りの父母とは何でしょうか。偽りの愛と偽りの血統をもたらしたものです。
 堕落していない本然の世界においては、神様を中心として家庭を成さなければなりません。真の息子、娘の家庭を成そうとすれば、血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。父母と子女という言葉、父または子女という言葉は、血統が連結されなければ絶対に不可能です。それは、神様も分けることができません。堕落したサタンも分けることができません。それによって、蕩減復帰がなされるのです。
 真なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木して、偽りのオリーブの木の畑だとしても、真のオリーブの木の血統に、愛を中心として、一体、一心、一念となって、生死の境を行き来しなければなりません。
 個人的な生死の境、家庭的な生死の境、国家、世界の生死の境、いかなる犠牲があるとしても越えていこうという、そのような心情をもった人は、サタンが関与することができません。国家基準以上に越えていけば、既に完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンとは関係を結ぶことはできません。
 イエス様も、もし結婚していたならば死にませんでした。殺すことはできません。そのようにしていれば、相対理想の直接主管圏に連結することができるのです。原理でいえば、責任分担を完成した基準になるので直接主管圏内に入ります。直接主管圏では、神様の血統と連結されているので、サタンには断ち切るすべがありません。そこに向かう過程で堕落することによって、心情一致することができる位置に行くことができなかったがゆえに問題になったのであって、アダムとエバが夫婦となって愛し合ってさえいれば、永遠に堕落することはできないのです。サタンが引き離すことはできません。
 しかし、この過程で実が実りませんでした。実が実っていなければ、いくら実を土に埋めても芽は出てきません。ですから、永遠の生命ではなく死んだ生命になったので、それを処理する所が地獄なのです。神様とは関係がないというのです。
 父子関係というものは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、そのままでは連結されません。一人では血統が連結されません。男性一人だけの血ではできません。男性と女性の血統が一つにならなければなりません。宇宙の根本道理は、性相と形状の血統が一つになったその位置で、つまりお互いが喜ぶ立場において、性相である心が喜べば形状である体も共に喜ぶことができる位置で人間を創造したというのです。
 そのように、その見えない形態が見える実体を迎えれば爆発が起こるのです。水は水でも、温めれば水蒸気になって完全に見えなくなります。同じように、とても熱い位置にいる神様が冷たい見える実体とぶつかれば爆発するのです。
 神様は、自体的性相と形状の愛を中心として平たい水溶性を帯びた球形で存在します。しかし、それは、内的運動が外的に現れないので刺激を感じることができません。
 ところが、この実体に刺激的な対象が生まれることによって、熱いものが冷たいものとぶつかるので爆発するのです。内的に心と体が血統を通して愛で和合し、生命で和合すれば、その瞬間には相違なる喜びを感じますが、実体で感じることができないのです。これが相対的実体によって、爆発することのできる刺激を感じてこそ、天地が一つになるのです。
 爆発すれば運動が起こります。愛というものを軸として運動が展開するので、永遠に愛そうという心さえあれば、永遠に回転することができるのです。ですから、中心に神様をお迎えして暮らすことができる家庭となり、永遠に運動することができる原動力によってその家庭で種から芽が出るのです。
 芽が本然の実に、神様と同じ実の位置に戻ろうとするので、幹が東西四方に大きく育って完成し、大きく広がった枝ごとに実を実らせることができるそのような環境形態ができるのです。
 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、それを中心として、アダムとエバとして創造した実体的対象を繁殖させて東西四方、世界に満ちあふれさせ、天の国の民を繁殖することができる数多くの分工場を拡張するのです。そうすることによって天の民をいっぱいにし、霊界にいらっしゃる神様と地上の実体の父母が共に暮らしながら、協力してそれを生産するのです。そして、それらが霊界で永遠に暮らすことのできる一体として復帰され、天上世界の国と民と地を中心として、地上・天上理想を完成するというのです。
 今までキリスト教は、カインとアベルが一つになって霊界、すなわち霊的基準で基台をつかんできました。キリスト教は、体を中心として霊界を収拾したのであって、地上世界を収拾することはできませんでした。地上世界を収拾しようとするので、闘いをしなければなりません。
 国家を越え、民族を越えて単一民族を形成するために、連合国と枢軸国が互いに怨讐となって戦った第二次大戦において連合国が勝利したのちに、初めてそれを消化するようになりました。カインとアベルが消化され得る時が来たというのです。この基準で、第二次大戦以後にアメリカをはじめとするイギリスとフランスが受け入れていたならば、統一教会は一躍、三年以内に峠を越えていたことでしょうし、七年以内にすべて終わっていたはずです。
 このようになっていたならば、今日、私たちがいう地上・天上天国が、統一的な民族形態の基盤の上で成されるのです。分離されていた霊・肉界が一つになるのです。
 イエス様の体が霊と肉に分かれました。再臨時代までの二千年間、苦労しながら蕩減して備えられた勝利の覇権を引き継ぐことができるこのような基準と、霊界の父母の位置に行ったイエス様が二千年間霊界を収拾して勝利したものとを一つにしなければなりません。一つにするには、イエス様ではできません。イエス様は結婚できなかったからです。イエス様が結婚させることはできません。神様も祝福してくださることはできません。
 祝福を通して血統を転換することのできるお方が真の父母です。偽りの父母が現れることによって、神様とサタンが闘うような状況が生じてしまったのですが、その闘いを終わらせるためには、真の父母が中間に立って、「あなたはこのような理由で闘うのでしょう。神様はこのような理由で闘うのでしょう。それでは、私がそのような状況を変えてあげます!」と言うのです。それで「変えてもらってもいい」と言えば、終わるのです。
 ですから、神様とサタンまでも和解させ、ユダヤ教と来られる主、それから周囲に存在する宗教と和解をさせるのです。イエス様が来て、家庭を中心として国家の和合が成され、主権さえもつようになれば、その時にすべてが終わります。
 しかし、それが終わらなかったので、世界舞台において、第二次大戦以後に世界国家であるアメリカ・・アメリカは、世界の第二次的なイスラエル圏・・が、第三次地上・天上の主権、覇権の主人として来られる主人に出会い、地上統一、天上統一の基盤を造成していたならば、第三イスラエルの天国出発と同時に、第三解放圏である地上・天上天国の解放へと連結されたことでしょう。
 それが四十年間回り道をして今日まで五十六年の歳月が過ぎ去りました。そうして、きょうこの「神様王権即位式」をすることができたということは夢のような話です。

  神様王権時代・天国人の条件

 神様の即位式を誰がしてあげますか。初めに誰が即位式を台無しにしたのですか。サタンとアダムが台無しにしたのです。アダムとエバが真の父母になることができなかったことによって、サタンが入り込み、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができませんでした。堕落することによってサタンの血統が残ったので、これをすべて否定してひっくり返すことは、神様にもできず、サタンにもできません。今までサタンが自分でつくってきた国を自分で壊してしまうのは難しいのです。誰でも、自分がつくったものを改造することになれば嫌がります。サタンも同じです。
 それを神様がひっくり返すことはできません。神様がひっくり返すことができるのならば、エデンの園でアダム家庭を失うことはなかったでしょう。いずれにしても、理論的にも神様が手を出せないということは間違いないので、神様が手を出すことができないことに手を出すことができる人物が誰かというと、完成したアダムです。本然の愛の家庭をもつことができるそのような家庭は、アダム家庭以外にはありません。
 その家庭とは何でしょうか。今日、祝福家庭の皆さんは、「祝福の中心家庭誰々の名によって祈祷します」と言います。「誰々の名」とは、世界を代表しているので「誰々の名」と言うのであって、その時には、「アダムの名によって祈祷します」と言うのです。千万後代の人たちは、アダム一人の実です。実というものは、いくら多くても、その価値は同じです。
 ですから、「祝福の中心家庭誰々」とは何ですか。万国が競争しています。すべての祝福家庭がみな中心家庭だといいますが、すべてが一等だとみなすことができますか。千人が中心ならば、競争しなければなりません。武道大会に出て競ったり、相撲を取ったりして、力比べをして闘わなければなりません。闘って勝ってこそ一等になります。
 ここには四千家庭以上集まりました。しかし、一等は一つしかありません。マラソン大会で何百人が走ったとしても、一等は何百分の一です。ですから、一等、二等、三等! 普通は何等まで賞をあげますか。オリンピック大会でも、メダルを与えるのは何メダルまであげますか。金メダル、銀メダル、銅メダルです。三等、三段階まで該当します。すべてのものは三数です。三数が一つの峠です。全部が三数になっています。
 それを見ると、良心的な人たちや精誠を尽くす人たちは、競技をしたとしても、自分でも知らずに天地の度数に合わせるようになっています。中央を知らないだけです。この周辺の中に入っても、中央を知らないだけであって、ここでは度数に合わせるのです。
 ですから、十二カ月がそうですし、今日の測定器を見ても、十進法、十二進法を使っています。十二進法を中心として見れば、その十二カ月自体が中心ではなく、十二カ月の中心がなければなりません。三六〇度を回っていくにおいて、中心がなければ三六〇度を見分けることはできません。ゼロ点がなければなりません。ゼロ点、ゼロ点とは何でしょうか。固定した立場で、永遠に変わらない位置を備え得る定着基盤なくしては、三六〇度の方向はすべて混乱してしまいます。
 中心が問題です、中心! 復帰も中心なくして完結できますか。祝福家庭の中心とは何ですか。誰が祝福をしてあげますか。父母がしてあげるのです。誰が結婚式をしてあげますか。自分の息子、娘に、血統を一つにして父母に似るようにしてあげる結婚式を、誰がしてあげますか。堕落していなければ、誰がしてあげたのでしょうか。父母がしてあげるのです。天使長に引っ張られていったので、今日の結婚式は、社会の有名な人、名のある人が主礼をします。横にはしごを掛けて上がっていこうと考えるのです。
 昨年の十月十四日、聖人と先生の息子、娘、祝福を受けた家庭と一つになって、宗教界の統一式をしてあげました。そのようにしながら語ったこととは何かというと、先生は「家庭の王だ」ということです。今まで家庭の王、天地を代表した中心の立場に立った家庭の王がいましたか。家庭の王になろうとすれば、すべてのものの中心にならなければなりません。父母の中の父母にならなければなりません。それから、長子の中の長子にならなければなりません。長子の王が先に家庭をもつのです。
 結婚に逆婚(兄弟姉妹の中で年の若いほうが先に結婚すること)というのがあるではありませんか。結婚をひっくり返してすることはできません。順序どおりにしなければなりません。最近では、逆さまにして騒いでいます。またそれは、復帰という内容と相通じるところがあるので、このようにしても合い、あのようにしても合い、逆さまにしても通じるというのです。本来は、長子、次子、生まれた順序どおりに結婚しなければなりません。韓国には逆婚という言葉があります。それはいけません。
 その順序が逆さまになれば、ひっくり返ってしまいます。世の中は、すべてそのようになっています。これをどのようにして合わせますか。そのように混沌となっているので、最近は親族相姦関係が現れています。姦淫するという話です。おじいさんが孫娘と暮らし、おじいさんが嫁と暮らしています。親族相姦関係が生じたのです。そのような人々は、中心が分からずに回っているので、お互いにしがみついて暮らそうとしているのです。
 このようなことをする大混乱時代、家庭的大混乱の時代です。一家、親族を問わず、自分の系列をつかむことができずに、一度なのか、ゼロ度なのか、三六〇度なのか、一八〇度なのか分からないので、互いに回りながらゼロ度でも、三六〇度でも、一八〇度でも合わせてみるのです。
 それゆえに、民族を移動して、世界が乱交する事件まで起こります。今、そうでしょう。外交官という人たちが外国に出ていけば、その国にどのくらい旗を差してくるのか、どのくらい女性たちと相姦関係を結んでくるか分からないという乱交時代の様相となりました。
 このようなことを誰が収拾しますか。神様もエデンの園でアダムとエバが堕落するのを干渉できず、サタンが結婚することも干渉できなかったので、終わりの日に干渉する方法がありますか。病の根源を取り除くことができなければ、その病のために死ななければなりません。滅びるというのです。結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって偽りの血統が生じたので、真の父母が来て、これをもう一度否定して蕩減復帰しなければなりません。
 したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は蕩減される時まで生き残ってこそ成立する言葉です。つまり、死亡世界で生きている者が死ぬような境地に立ったとしても、生き抜くことができる余力があってこそ生き残るということです。死ぬことを悲しみ、逃げ出したいと思う人には、永遠に復活圏はありません。ですから、聖書には「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と言ったのです。
 それでは、もし神様が死のうとすればどのようになるでしょうか。神様が生きようとすればどうですか。永遠に希望がないというのです。それはそういうことです。人が死なんとしてこそ生きて天国に行くとすれば、神様も同じです。神様がもし死んだ立場、堕落圏内に巻き込まれているなら、それを抜け出すためには、神様も死なんとする立場に行ってこそ生きるのであって、生きんとすれば神様も? (死にます!)。
 先生はどうですか。先生も同じです。先生も生きんとすれば死に、死なんとすればどうなるのですか。それゆえに、統一教会の文教主がメシヤとなり、真の父母になろうと考えたでしょうか、考えなかったでしょうか。そのように考えたのなら、毎日死ななければなりません。毎日、毎日、「死ぬ」と言って大騒ぎしなければなりません。死なない環境でも、死ぬようなことをしなければならないという話にもなるのです。
 竹には節目があります。節目ができるときには、新しい節目が出てきます。育てば育つほど大きな節目が出てきますか、小さな節目が出てきますか。根元の節目が太いですか、てっぺんの節目が太いですか。節目がたくさんできればできるほど、細くなるのです。それが理想的です。太くなれば冠をかぶって偉そうにふんぞり返ったようになってしまいます。この竹は、大きくなればなるほど先が細くなるので、その中に入っていこうとしても入っていく所がありません。
 ですから、神様も同じであり、真の父母も同じなのですが、天の国に行こうという人はどうですか。気も狂わんばかりでしょう。神様も、生きようという人間の一生命、一生命を生かすためには、その反対に死の場にまで行かなければなりません。そのようにしなければ生かすことができません。崖から落ちた人をひもで縛って助けようとすれば、死ぬほどの力を注いで平地に引っ張り上げなければなりません。そのように生きるか死ぬかの基準を越えて初めて、人も生き、神様も生きるのです。
 それゆえに、天国に行きたい人は、神様が何千万回も死の峠を経てこられたので、何千万回死の峠を行ってもその峠を越えなければならないのです。あとで神様も疲れてしまいます。私よりも年を取っているからです。一番年を取っているでしょう。おじいさんの中の大王のおじいさんとは誰ですか。神様です。ですから、ひもで縛って平地に引き上げるのにどれほど力を使ったでしょうか。ですから、私が引き上げられれば、神様は間違いなく疲れて倒れてしまうというのです。
 そのようになればどうしますか。背負って病院に行かなければならないでしょうか、行ってはならないでしょうか。病院がなければ、仕方なく、どのようなことをしてでも助けようとしなければなりません。祈祷をするとか、死の峠を踏み越えていく道しかないという結論が出てきます。
 メシヤ、あるいは救世主という人は、神様よりも苦労しなければなりません。神様を遊んで暮らすようにさせ、自分は死ぬほどの苦労をしようと思わなければなりません。

  世界のために苦難の重荷を背負う覚悟を

 神様を死なせて、自分は遊んで暮らそうという人がメシヤになれるでしょうか。統一教会に入ってきた皆さんも同じです。先生は死ぬほど苦労するのに、自分は遊んで暮らそうという人がいるなら、天国に行かなければなりませんか、地獄に行かなければなりませんか。「先生は、私の言うとおりにしてください! 先生は今、社会のことも知らないようですが、それではいけない!」と、そのような話を聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか。生きるか死ぬかという課題が残っているのに、生きるために陰で何かをたくらむようなことが通じますか。一緒に死のうとしてこそ、一緒に生きるのです。自分一人だけ生きようとしてはなりません。
 「父親が賢いのか愚かなのか分からないが、息子、娘のために先に死のうというのが父親の心であることに間違いない」と思うときには、父親がするとおりに最後まで行動しなければ別れてしまいます。最後の局面になって別れるのです。
 父親は死のうとするのに、自分が死ぬまいとすればどのようになりますか。別れますか、別れませんか。父親の行動と息子の行動が別れれば、地獄の行動と一体になるのです。そのような行動に従っていった孫は、おじいさんの懐に抱かれて一度のキスさえできません。
 皆さんの中で、今まで統一教会を信じてきながら、先生以上、神様以上に苦労してみようと思った人はいますか。特に西洋の人たちの中にそのような人がいますか。「いかなる困難があっても、私は先生が迫害された以上の立場を越えよう。それは問題ない」というそのようなコンセプトをもっていますか。西洋の人たちは「自由、自由、自由!」と言っているでしょう。いくら西洋の教育制度が良くても、皆さんには自由のコンセプトしかありません。家庭観、社会観、国家観、世界観、宗教観、神様の摂理観のようなものがありますか。アジアの教育と西洋の教育は一八〇度違います。家庭観も違います。 
 ですから、終わりの日に西洋は滅びるのです。特に、ここに集まっている西洋の家庭は、きょうの記念日を忘れてはなりません。皆さんは、過去の宗教指導者たち、イエス様、そして再臨の時の先生がどれほど多くの困難を克服してきたかを知りません。個人主義の観点では、そのようなことを知ることはできません。
 氏族、民族、国家、世界、天宙のコンセプトがないではありませんか。どのようにしてそのようなことを教え悟らせるのでしょうか。先生が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観を完成し、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階まで上がってきました。
 どのようにしてそれを成すのでしょうか。心と体を統一することから始めるのです。絶対的に心と体が一つになった立場から、家庭、国家、世界、神様まで進んでいくのです。
 西洋の人たちがいくらその位置まで進んでいきたくても、進んでいくことはできません。なぜ進んでいくことができないのでしょうか。個人主義のコンセプトをもっているからです。それが怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の立場に連結されるのです。皆さんは、ここに見物に来ましたか、先生のみ言を聞き、困難な峠を踏み越えるために来ましたか。それが問題です。そこに個人主義的概念はあり得ません。それを知らなければなりません。
 ハーバード大学を出て、エール大学やオクスフォード大学を出たとしても、問題は同じです。かえって、労働者やできの悪い人たちのほうが良いのです。フリーセックスを好む人たちは誰ですか。白人たちですか、誰ですか。黒人がそれを好むとすれば、白人から教わったのでしょう。このように思わなければなりません。フリーセックス、ホモ、レズビアン、このような者たちは、間違いなくエイズにかかるようになるのです。
 エイズと麻薬のために全滅するようになっています。アフリカは、六〇パーセントがエイズにかかっています。十五年、二十年以内に滅びると思うのです。エイズの潜在期間は、八年から十二年です。二代ですべて滅びます。
 きょうの行事のために、付き添い人として立った人たちは自信がありますか。先生についていく自信がありますか。先生が神様を解放したのなら、皆さんは先生を解放しなければなりません。数多くの国々がいまだに解放されていません。ですから、皆さんを解放して百二十カ国を解放させようというのです。イエス様の百二十門徒がマルコの家の屋根裏部屋で解放されましたが、その百二十門徒に当たるのが世界の国家代表たちです。国家の王にならなければなりません。統一教会を中心として、皆さんが総督となって百二十カ国を復帰しなければなりません。
 皆さんは責任を果たしましたか、果たせませんでしたか。祝福家庭は、南北統一のために統班撃破の活動をしています。統班撃破の活動をきちんとしたとしても、世界が一つになることはできません。国連を残しておいて、世界が一つになりますか。皆さんは統班撃破をし、私は国連を動かすのです。
 国連を中心として見るとき、NGO(非政府機構)もたくさんの問題点を抱えています。この人たちに「一番難しいことをしなさい」と言えば、それをする人がいますか。NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、どうだこうだと指摘しますが、先生のように、国連の役割と共産主義を料理する問題など、そのようなことを指摘しますか。あまりにも次元が高いので、聞いてからぼーっとなります。そのような次元の高い内容を知って初めて反対することができます。彼らは「正しいことは正しいです」と言っているのです。
 青少年の淪落と家庭破綻、エイズ問題、特に純潔な血をどのようにして残すのかという問題は、彼らには分かりません。それに対する解決方法は、大統領や国連事務総長など、誰も分からずにいます。彼らは「これはうそのようだ、本当だろうか」と言います。
 世の中はずる賢いのです。誰かが大統領になれるといえば、どやどやと群がります。そのようにあまり歩き回ると、糞ばかりがくっつくのであって、金の粉が付くでしょうか。皆さんは、そのような人たちにどやどやと付いていきますか、付いていきませんか。では、先生に付いていきますか。先生は、どやどやと歩き回るよりも、もっと早く歩き回りますが、どうしますか。私が南米に行って何年間か働きましたが、今からは「環太平洋時代が来た」と言って、「海で鯨を捕まえよう。金の延べ棒を探そう!」と言っているのですが、皆さんは付いていきますか。皆さん、入籍する自信がありますか。入籍の修練を受けたとしても、パスする課題を残しているということを知らなければなりません。
 さあ、きょうの主題は何ですか。神様王権即位式をする前に必要な話はもう終わりました。何があっても、死なんとする道を行かなければならないということです。
 皆さんも、今から息子、娘たちに自分たちの先祖、金氏なら「金氏の先祖即位式だ」と言わなければなりません。朴氏なら朴氏に対して、朴氏先祖王権即位式ができないなら長官式でも、それもできなければ局長式でもして、初めてその国の所属になるのです。そのような競争時代に入ったということをはっきりと話してあげなければなりません。今から、神様王権即位以降に守らなければならない条件をはっきりと教えてあげようと思います。
 今まで問題は何かというと、血統が問題です。「血統」は英語で何というのですか。ブラッド・リニージ(blood lineage)です。それが最も重要です。自分の国の王は重要ではありません。父母も必要ありません。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。それらはつばを吐いてしまわなければなりません。今、この世界には多くの国がありますが、神様に属したものは一つもありません。
 サタンに属しているというのです。もう、ほかに方法がありません。神様に従い、真の父母に従う以外には、中心の位置はありません。アメリカ大統領であるジョージ・W・ブッシュ大統領がアメリカの中心ですか。ゴアと闘って、得票はゴアのほうが多かったのです。選挙人団か、何か、そのために負けました。終わったというのです。
 アメリカは、CIA(中央情報局)とFBI(連邦捜査局)を中心として、弱小国家に「おい、民主主義と両院制を選択しなさい」と言うことはできなくなっています。「自分の国のことをきちんとしろ、こいつ。誰のためにここに来て大きなことを言っているのか」と言われてしまうのです。民主主義がなければ、今から西洋の人はどのようにして生きていきますか。ですから、私がブッシュ大統領に会ったなら話すことがあるのです。
 任期を四年制から八年制に延長しなさいということです。政権が交代したあと、四年間競争ばかりしていて、どうして仕事ができるのですか。国の財産、国家の財産をすべて消耗してしまいます。一つの峠が八数なので八年間はしなさいというのです。男性と女性がいるので、民主主義的にしようとしても十六年間はしなければならないのです。また、家庭を中心としてその二倍するようになれば、三十二年間はやってこそ、死んでいた国でも生かすことができる可能性があるというのです。四年間でどうやってするのかというのです。二年もたたずに選挙運動を始めるので、民主主義をしながらすべて滅んでしまいます。原理が許しません。
 今後、王権時代に入っていきます。どのようにして入っていくのですか。四年を八年にし、男性と女性がいるので、十六年ずつ、それを一次、二次とすれば、三十二年間することができます。天下の王が三十二年だけ王でいいですか。ですから、王権時代に入っていくことは問題ありません。
 そして、アメリカのような自由世界、民主世界は、「ユニオン(労働組合)」のために問題を抱えています。しかし、考え方によっては、ユニオンは問題ありません。労働者と農民のユニオンがあるのと同じように、株主、ストックホルダーのユニオンをつくりなさいというのです。
 「労働者のユニオンと株主のユニオンが一つになって、自分たちの家庭と子供と妻をきちんと食べさせて生かさなければならないので、去年の生産量よりも今年はもっと高めなければならない。高めなければならないから、労働者ユニオンと株主ユニオンが競争しよう。それで、利益が出たものは、三年間、主人に与えずに自分たちで分けるのだが、労働者のユニオンが一生懸命に働けば、その何パーセントかを多く与え、株主のユニオンが一生懸命に働けば、その分もっと多く与えよう」と、このようにするのです。そうすれば、争うでしょうか。西洋社会でこのように考える人はいません。
 それができないときには、「宗教連合の世界組織よ、集まれ。全世界の祝福家庭、集まれ。私たちで宗教ユニオンをつくろう」と言うのです。そのように「宗教ユニオンをつくりなさい」と言えば、つくりますか、つくりませんか。(つくります)。
 統一教会の人たちは、生涯奉仕しようとしているので月給の三分の一も必要ありません。会社がつぶれそうなとき、「稼いで補填しながら私は働く」、そこまではしなくても、「もらった給料から三〇パーセントを会社に捧げて働く」と言えば、ユニオンたちはどうなるでしょうか。私にアメリカを任せてみなさいというのです。三年から七年以内に、みなきれいに整理できます。
 それは、可能な話ですか、不可能な話ですか。希望的な話ですか、絶望的な話ですか。ですから、「ユニオンも退きなさい」と言うならば、共産党は退いていくのです。ロシアにユニオンがありますか。中共にユニオンがありますか。北韓にユニオンがありますか。先進国にユニオンが現れた原因はどこにありますか。ロシアが外交政策でその国を滅ぼそうとユニオンを支援してきました。先生の話したとおりにすれば、ユニオンがもっている問題点を解決することができます。
 今からは、このように見ようとあのように見ようと、好きでも嫌いでも、東洋人であろうと西洋人であろうと黒人であろうと、人という人は、文総裁の言うことを聞かなければ困るようになります。ですから、初めから困った立場に立たずに、きょうから新しく決意しなさいというのです。一度決意すれば、いくら困難な迫害があったとしても変わってはならないというのです。今からは確信をもたなければなりません。
 「祝福の中心家庭誰々の名でお祈りいたします」と言う人たちは、家庭から氏族、民族、国家、世界、天宙まで、アダムとエバが家庭を破綻させたことをすべて収拾して、自分の一族はもちろん、国までも天の前に捧げなければなりません。氏族基盤は国を建てるためのものです。氏族の財産を売って国に税金を捧げてでも、国が豊かにならなければなりません。
 今から、天の国の組織は、サタン世界の行政組織よりも立派でなければなりません。サタンの先進国家に王宮があれば、その王宮よりももっと素晴らしい王宮をつくらなければならないようになっています。天と地の民が喜んで休息することができる空間をもったビルディングをつくらなければなりません。

  人間が守るべき三大規範

 生涯、飢えて暮らしたとしても、そのようなものを自分の一族で造っておかなければ、天国に行く面目がありません。先生の前に面目が立ちますか。それから、大使館を造り、学校を造らなければなりません。祖国の教育をしなければなりません。そして教会を造らなければなりません。祭祀の方法を教えてあげなければなりません。そのようにしてから自分の家を建てなければなりません。それまでは、負債を負った者です。
 孝子とは何ですか。父母が死ぬ立場にいれば代わりに死ぬ人です。忠臣とは何ですか。国王が滅びようとすれば代わりに滅び、死ぬとすれば先に死ぬことのできる人です。聖人や聖子も同様です。
 今年の標語は何ですか。「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」。「解放された天地父母と子女が一心一体となって」という言葉の間に、水が入り込むすき間がありますか。空気が入り込むすき間がありますか。太陽の光が入り込むすき間もありません。「一心一体となって」、それから、真の愛です。真の愛で一つになるのも、一心一体となってこそ一つになります。天地父母と一つにならなければなりません。父母と子女が一心一体となってこそ、真の愛が生じるのです。一心一体となってこそ、真の愛です。
 真の愛の中に何ですか。「主体的中心性」です。「中心的主体性のみ旨が完成されますように」これは、一年だけの標語ではなく、三〇〇〇年までの期間、誰もが守って実行しなければなりません。
 今回、祝福家庭は、「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」という名のもとで祝福を受けました。それを中心として生活すればいいのです。
 今日、この新千年時代にすべきこととは何でしょうか。これまで、神様も解放されませんでしたし、真の父母も解放されませんでしたが、今、解放された天地父母と子女となったので恐れるなというのです。監獄に入ったとしても恐れるなというのです。自分が早く天国に行きたいのに、若くして行けばどれほどいいでしょうか。損をしますか。天上天下の全宇宙が自分の手に入ってきて主人となるのに、なぜ否定しますか。死ぬか生きるかは心配いりません。そのようになっていなければなりません。
 先生は、食べる物を探し求めていきましたか、み旨を探し求めていきましたか。食べる物に従っていきますか、み旨に従っていきますか。み旨は見えますか、見えませんか。神様は見えますか。愛は見えますか。生命は見えますか。血統は見えますか。良心は見えますか。見えません。見えないので、考えない人には分かりません。
 きょう、即位式を行うことによって、国が変わりました。今から、み旨の道のために心配しなければなりません。神様は、今までみ旨の先頭に立つことができずに恨を抱いています。御自分がしたいとおりにできなかったという恨が染み込んでいます。神様がしたいとおりにできるように、後援部隊になりなさいというのです。
 「神様、なぜこうなのですか。けさは何か忙しいことがあって、私よりも早く降りていかれるのでしたら、私を起こして連れていかなければならないでしょう。今までは、神様が人類を起こすために働かれたのですから、これからは入れ替わる時ではありませんか。お父様は、息子よりも立派なのに、息子、娘よりも苦労して、やっとのことでここまでして即位式をしてくださったので、即位式の権限を中心として、号令一つで天下がするっと巻き込まれていくはずなのに、なぜお出ましになられないのですか。私が案内します」と、このように言うのです。
 神様がお出ましになられなくても、案内はできるでしょう。今からは時が変わりました。「行わずに心配する人は死になさい」。たった今、私が何と言いましたか。「すべきことを明らかに知りながら、心配する人は死になさい」と言ったのです。死にますか、死にませんか。「全員が死んだとしても、自分だけは残る」と、そのように思わなければなりません。
 皆さんは、どのように個人完成するのか知っているでしょう。個人の心と体がどのようにして一つになるのか知っているでしょう。堕落するとき、サタンの血統を受け継いだ体を堕落するときの愛が、堕落していない、愛を知らない良心の力よりも強かったというのです。これが問題です。
 どのようなことがあっても、体のしたいとおりにしてはいけません。「こいつ、こいつ! 涙を流しても『ありがとう』と言って感謝しなければならない」、「こいつ、なぜ涙を流すのか」と、このようにしなければなりません。「死ななかったので、早く殺してください。血が出てこなければ、血を抜いてください。むちでは駄目です。槍で横腹を刺してください」、イエス様もそうではありませんでしたか。死なないので、槍で刺したのと同様に、血を抜けというのです。祭物になろうとすれば潔くならなければなりません。
 今から守るべき鉄則とは、第一に、死ぬほどのことがあったとしても血統を汚すなということです。何の話か分かるでしょう。第二に、人事措置を間違えて、人権を蹂躙するなということです。男性であれ女性であれ、黒人であれ白人であれ、平等です。人権を差別したり、人権を蹂躙したりするなということです。責任者たちは自分と気が合わないといって、むやみに人事措置をしてはいけません。気が合わないといってむやみにはできません。
 教会の幹部たちよりも、先祖が善なる人はいくらでもいます。何代もたたずに大統領になる家門の人の首を切ってしまえば、自分の先祖ががらがらとすべて崩れます。ですから、先生は、人事措置をあまりしません。上のほうの人たちを人事するときは、くじ引きでします。人権を蹂躙するなというのです。
 先生は、どこに行っても、黒人だといって差別したり、出身大学で何かを決定したりはしません。人権を正しく指導するには、真の愛、「ため」に生きる愛をもって暮らす人が主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想を乱してしまうことは、許すことができません。罪の中で二番目の罪です。
 第三に、公金を盗むな、公金を自分勝手に使うなということです。以上、三つです。このために監獄に入ってみると、そこにいる人の七〇パーセント以上が、これらのことゆえに監獄にいるのです。人権を蹂躙し、血統を汚し、男女問題に引っ掛かっています。それから、金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐だったというのです。分かりますか。天の国の憲法第一条とは何でしょうか。血統を汚してはならない、血統を清く保存しなさい、純潔の血統を永遠に守りなさいということです。
 今から、祝福を受けた血統は、神様の血代であり、神様の愛と生命を受け継いだものなので、今までの堕落世界に染まった習慣的な行動で汚してはなりません。それを守ることができますか。夫婦になっている人も、配偶者がいなければ一人ででもいいので、完全に血統を汚さないという人は、目を閉じて決意し、神様だけを見つめて力いっぱい手を挙げて誓いましょう。誓い! きょうの記念の日を忘れてはいけません。分かりましたか。夫婦でけんかしても、「正月十三日、十三数!」と言えば、気を静めなければなりません。
 西洋では、「十三」といえば、最も悪い数です。十二カ月の中で中央数です。中央に十二カ月が入っていれば、天地の道理が循環しなければなりませんが、これがないのですべて混乱し、逆理的混乱世界になっています。これを正そうというのが天の願っていることなので、このことを知ったならば、「千回死ぬようなことがあったとしても守らなければならない」と鉄のような決意をする時間としてこの時間を受け入れなければなりません。
 第二には、人権を蹂躙してはならないということであり、第三には、公金を盗んではならないということです。国家財産略取! どこかに行って良いものがあれば、ビルから金塊が落ちてきたとしても、それを自分のものにすれば略取です。自分勝手に使うことはできません。先生は、皆さんがもってきたものを受け取りません。お母様を通して受け取ったとしても使いません。それは毒薬よりももっと恐ろしいものです。あの国に行って、がちっと引っ掛かってしまいます。
 最も恐ろしいこと、天の国の憲法の第一条とは何かというと、純潔な血統を守らなければならないということです。汚してはいけません。女性たちはいつもナイフを手の近くにもっていて、引っ張られていく状況になれば、そのような怨讐には「ええい、どうにでもなれ」と言って、つかんだ相手の手の近くを切ってしまえというのです。それでも、いざとなれば、自分の首を切ることもできるのです。血統の純潔は生命よりも貴いのです。
 理想的な夫婦ならば、自分の夫や妻が他の男性や女性とこのようにするのを喜びますか。黒人はどうですか。白人はどうですか。みな同じです。分かりましたか。一番目が何ですか。純潔であれ! 二番目は? 人権を蹂躙するな! 三番目は? 公金を略取するな! きょうのこの記念日に、天の国の王権を維持し、皆さんが王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためには、これが絶対に必要です。
 それゆえに、兄を無視することはできません。弟の体が不自由だからといって、無視することはできません。親戚を無視することはできません。世の中は、みな無視するでしょう。知識があるといって、大学を出た人だといって、高卒の人を無視してしまいます。それは、人権蹂躙になります。
 それから、公金! 国家財産略取の罪です。先生のポケットにあるお金まで、何かの方法を使ってでも抜き出して使おうとするのは、公金略取です。これはみな犯罪です。余っても、報告して、「これは自分が使う」と言えばかまいませんが、そのまま使えば問題が生じます。行く道に鉄条網が張られます。
 ですから、先生は、絶対にそのようなことはしません。献金をしても、私は手を出しません。それでは、どのように暮らしますか。車が必要ならば、稼いで買います。私はお金のもうけ方を知っています。
 一番目は純潔を守りなさい! 分かりましたか。特に西洋の食口たちは、どのようにして純潔な血統を維持するのかというのです。二番目は何ですか。人権保護! 三番目は公金を略取するな! 皆さんはたくさんの公金を略取したでしょう。働きもせずに「ああ先生、ひと月に、一週間に一度ずつ家に来てくれれば良い」と思うでしょう。ここに集まって「問題児」になり、規則も守らずに良い所で寝ようとする、それがみな略取です。公的な環境を破壊するのです。国家財産の略取と同様に恐ろしいのです。そのように生きる人は、いくらうまくやろうとしてもできません。そのように生きてごらんなさい。いくら神様の前に祈祷しても、伝道できません。人が門の前に来ても戻っていってしまいます。
 負債を負う人は、天下がみな嫌います。金氏の家門なら金氏の家門の中で、問題を起こして負債を負うということを好む人がどこにいますか。あとから行く道までふさがれて、逆さまにくぎで打ち込まれてしまうというのです。そのような時が来ます。
 この三つについて分かったでしょう。三つを一度、数えてみてください。一人で内心決意したことを、一つ二つ三つ、一つ二つ三つ、一つ二つ三つ、何度も数えてみてください。純潔、人権、国家財産の略取、この問題についてはっきり知って、習慣化しなければなりません。口さえ開けば、目さえ開ければ、そのような言葉が出てこなければ、行動をすることができないのです。
 これに付け加える話をするとすれば、先生は、生涯、愚かな人や、ありとあらゆる人を連れて生きてきたので、何らかの事情がないでしょうか。皆さんが生きていくにおいて、何らかの事情がないでしょうか。そのとき、多くの事情があるはずですが、この三つの法に引っ掛からないように努力すれば、その事情にみな打ち勝った人になるはずなので、先生が何も言わなくてもいいでしょう。

  父子・夫婦・兄弟が一つにならなければならない

 では、どのようにしなければなりませんか。どのように生きていきますか。正しく生きなければならないでしょう。正しく生きるのに、一人で暮らすことを正しく生きるといいますか。一緒に暮らさなければなりませんが、正しく生きるということの中には何が入りますか。神様の公式法度として立てられたものの中で、どのような環境、どのような人たちとでも共に暮らせば、正しく生きることになるのかというのです。簡単です。それも三つです。父子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は夫婦の前では子女になります。子女関係、兄弟関係だというのです。
 自分の家庭を中心として、父と母がいて、それから、夫婦がいれば、息子、娘がいます。したがって、父母の前で、自分にとっては兄弟関係と同じ姻戚の八親等、四親等以上がみな連結されて入ります。ですから、父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟は自動的にできるのです。
 子女関係を兄弟関係といってもかまいません。彼らと一つになって正しく生きなければなりません。正しく生きるためには、正しく生きることができるように指導しなければなりません。お互いが手本になってこそ、それが正しく生きることになるのです。手本になっていなければ、不幸せに暮らしているのです。父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本となれるように暮らせば、正しく生きることなのです。そのように正しく生きればどのようになりますか。天の国の王がいて、地上の王がいれば、その王たちが正しく生きる家庭を訪問する日が来ます。毎年、年の初めに、その国で最も正しく生きる家庭を訪問して表彰する時が来るというのです。
 そのように暮らしたおじいさんから、父母、夫婦、三代が四位基台理想を備え得るそのような家庭に賞をあげるのです。そのような家庭がその国にあれば、先にそのような賞をもらった家庭が、後代に賞を授与することができる責任者、国王を身代わりした国の中心、大統領家庭を身代わりして賞を授与する時が来ます。
 これも三つです。分かりましたか。父子関係、夫婦関係、子女関係です。子女関係が嫌ならば兄弟関係といってもいいのです。兄弟関係が一つになることによって、子女たちがそれを見て似ていくのです。それゆえに、兄弟関係でも子女関係でも、共同の責任のもとで和解し、影響を及ぼしながら主体的な立場に立つ「ため」に生きた人になれば、天の国の誰も自分を追い出すことはできません。
 今から、逆賊として追われて死ぬようなことがあったとしても、この法を守って生きれば、間違いなく天の国の皇族圏となって、どこにでも自由、統一、解放の家庭になります。きょう、これを肝に銘じてくださるようお願いします。これを標語として定めるのです。
 三〇〇〇年標語の中で、みな純潔血統、それから、人権平準化、それから、国家の公的財産略取……。それから何ですか。父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうというのです。兄弟といってもいいです。先に兄弟がすることは、その生活を子女たちが見習うのです。そうではないですか。自分の親戚、親族がみな幸福に暮らせば、息子、娘が見習うようになっています。そうしてこそ、手本になります。町内中がみな、「あの人に従っていかなければならない」と言い、「あの人のように暮らしたい」と言えば、その人は、間違いなく天国の民となり、天の国に記憶され得る人になります。先生自身もそのように暮らしています。
 どこに行ってもおじいさんとおばあさんがいれば、昼食の時ともなれば、パンの一つでも買ってきてあげたいという心をもって暮らすようになるのです。ですから、つらくても天が協助してくれるので、版図がどんどん広がります。どこに行っても、私のために生きる人がどんどん増えていきます。十年暮らしてみると、あの谷間のおじいさんとおばあさんにまでも、共同墓地に行く日を待っているおばあさんのためにも生きようとするので、その町内の犬までも、ほえずに私だけにずっとついて回るのです。
 町内の犬さえもほえずに、ぺろぺろなめてくれるように、善なる生活をしなければなりません。もちろん、人間たちもそうです。主人も愛する人が来たので、なぜ反対するでしょうか。喜んでそうするようになります。皆さんは、先生が好きですか。一緒に暮らしたいですか。毎日のように、餅をつくようにおしりを三発ずつたたかれても、暮らしてみたいですか。蕩減儀式の代価があるので、たたかれても損害を被ることはありませんし、悪口を言われても損害を被ることはありません。
 きょう、神様の王権即位式において最も重要な三大鉄則を話しました。それは、私たち人間が公人として必ず守るべき、家庭にあっても、国にあっても引っ掛かることのない指針です。この日に、十分に覚えておくに値する内容であることを肝に銘じて、生涯の標的としてくださるようお願いします。では、きょうのこの歴史的な記念行事を閉じることにします。













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