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  2.祝福の中心家庭、自分の名によって祈祷する時代

 今年(二〇〇一年)一月十三日のその日から、祈祷の内容が変わりました。「祝福の中心家庭、誰々の名によって」祈祷するのです。それをはっきりと知らなければなりません。それ以前はどのように祈祷しましたか。「真の御父母様の勝利圏を祝福によって受け継いだ祝福家庭、誰々の名によってお祈りしました」と祈祷していました。
 堕落以後のサタン圏との関係が完全に整理されたのです。それを知らなければなりません。それ以前は、何の名によって祈祷しましたか。「真の御父母様のみ名によって」祈祷しました。自らの名前で祈祷することができる自らの主体性がありませんでした。そこで祈祷するのは、真の御父母様の勝利圏を祝福によって受け継いだなにがしの名前です。変わるのです。それは、サタン側と完全に断絶したということです。内的にだけでなく、外的にも何らの関連もありません。
 その次には何ですか。祝福の中心家庭だということです。祝福の中心家庭です。祝福の中心家庭は、堕落世界とは何らの関連もありません。神様の心情世界と連結していたアダムとエバが堕落する以前の立場です。それが祝福の中心家庭です。それは、神様の創造理想が完成された家庭であり、堕落していないアダム家庭を身代わりするものです。
 そのような位置では、祈祷する代わりに報告を捧げるのです。完成したアダムの家庭では、祈祷する必要はなく、報告を捧げればいいのです。毎日報告を捧げながら理想世界を成し遂げていくのが、完成したアダム家庭の進んでいくべき道です。そのような新しい何かがなければ報告することはできません。
 そこにはメシヤも必要なく、宗教も必要ありません。なぜそうかというと、すべてのことを知っているからです。皆さんも、すべてのことを知っているでしょう? 真の父母がすべて教えてあげました。毎朝、訓読会をしているでしょう? その時間を通してすべてのものを理解するようになるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙、そして神様の心情世界までのすべてを知ることができます。すべてのことを知るのです。
 ですから、常に投入して忘れてしまうのです。個人は家庭のために投入して忘れてしまい、家庭は氏族のために投入して忘れてしまい、氏族は民族のために投入して忘れてしまい、民族は国家のために投入して忘れてしまい、国家は世界のために投入して忘れてしまい、そのようにして神様の位置まで上がっていくのです。それでは、神様はその投入を受けて何をされるのでしょうか。そのすべてのものを息子、娘に投入されるのです。神様もそのように投入して忘れてしまうのです。そのように回っていくのです。
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 第四次アダム圏時代に入ってきたので、最近祈祷をどのようにしますか。「祝福の中心家庭誰々の名によって」このように祈祷するでしょう? 皆さんは、そのような祈祷をする資格がありません。神様も、そのような祈祷をすることはできません。神様も、祈祷をさせようとすれば「神様の名によって祈祷しなさい」と言うことができないようになっています。救世主の名によって、族長の名によって祈祷しなければなりません。
 皆さんは、その時代をすべて通過しました。「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ祝福家庭誰々の名によって祈祷します」。このように祈祷したでしょう? それがすべて過ぎ去ったのです。第四次アダム圏の心情圏時代に入ってきたのであり、堕落していないアダムとエバが祝福を受けて天宙の中心になった家庭圏内に入ってきたので、「祝福の中心家庭」です。
 祝福とは何ですか。結婚式をすることではありませんか。旧約の約束は結婚することだったのですが、その約束を壊してしまいました。それで、新たにまた約束したのですが(新約時代)それも成し遂げることができませんでした。
 再臨時代である成約時代には祝福をしたのです。結果主管圏内と直接主管圏内に分かれていたすべてのものに対して責任分担を果たした祝福的基準を成立させることによって、アダムとエバが堕落しないで祝福を受けた中心の位置に立つのです。そのような家庭に帰ってくるので、自分の家庭を中心として祈祷し、保護しなければならないのです。
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 祝福の中心家庭について、少し話をしなければなりません。今月の十三日、その日から祈祷の内容が変わりました。「祝福の中心家庭誰々の名によって……」祈祷するのです。それをはっきりと知らなければなりません。
 真の御父母様の祝福を受けた誰々家庭です。それは、サタン世界と区別されるのです。サタン世界と一つになりません。その時、真の父母の祝福を受けた誰々というものは、サタン世界と区別されているのです。以前、「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ」と祈祷した時のその祝福は何かというと、サタン世界と隔離されているものであるということを知らなければなりません。そのようなことを考えて祈祷する人がどれくらいいたのか、ということが問題です。
 堕落以後のサタン圏との関係が完全に整理されたのです。それを知らなければなりません。それ以前は、何の名によって祈祷しましたか。(真の御父母様のみ名によって祈祷しました)。自らの名によって祈祷することができる自らの主体性がありませんでした。そこで祈祷するのは、真の御父母様の勝利圏を祝福によって受け継いだ誰々の名前です。変わるのです。それはサタン側と完全に断絶されたということです。内的にだけでなく、外的にも何の関連もありません。
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 死のうと生きようと、天のお父様のために生きなければなりません。すべて蕩減過程を経てきて、真の父母のために生きるという言葉も必要ありません。真の父母も必要ないというのです。皆さんは、祝福の中心家庭の位置で報告することができるようになったのですが、その報告は、今の堕落圏内での報告であってはいけません。本然の真の父母まで否定し、本然の神様に父として侍ることのできる一体となった位置から神様に侍る立場にいるので、祝福の中心家庭誰々の名によって懇切に報告するのであって、祈祷するのではありません。そのような時代になったということをはっきりと知らなければなりません。
 今、先生が話したことを記憶し、自分がどのような位置にいるのかはっきりと知らなければなりません。糞のような、犬の糞よりももっと汚い放棄された物にしがみついて、そこに首を結んで生き、そこに因縁をかけて生きながら「国だ」「何だ」と言うのですが、それがどれほど恥ずかしいことかということを知らなければなりません。
 本然の真の父母の苦労を崇拝するよりも、真の父母が苦労して成し遂げたものまでもすべて踏んで上がり、真の父母がいなく、神様だけが真の父母の位置にいらっしゃったその位置を追求することによって、皆さんが祝福の中心家庭誰々の名によって報告することができるようになったという事実を知らなければなりません。
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 善行をなすことができなければ、祈祷することはできません。今、皆さんがそうではありませんか。世界に自分の行くべき道が残っており、生まれた理想の国を世界へ連結させ、天国へ連結させなければならない責任があるのに、その膨大な責任をほっておいて……。すべきことが山のようにあるのに、そこに砂一握りでもプラスさせなければならないのです。そのようにしなければ、報告することはできません。報告です。祈祷するのではありません。
 祝福の中心家庭誰々の名によって懇切に報告しなければなりません。懇切に祈祷する時代は過ぎ去ったのです。そのようにしようとすれば、毎日のように報告する材料がなければなりません。
 御飯を食べる時、兄弟同士が互いに一さじでも多く食べようと争ったとすれば、何が報告ですか。口のきけない人にならなければなりません。自分が食べられる御飯の量の一さじでも兄弟たちに譲るのです。また、学校に行けば学校を掃除しなければなりませんが、学生たちはみな掃除を嫌がるでしょう? それならば、その嫌がる学生たちのために、私が雑巾がけを一度でもしてあげなければなりません。
 そうすれば報告できるのであって、何もしないで、遊んでさぼっていて何が報告ですか。目などのすべての五官を閉じてしまわなければなりません。五官が死んだようにならなければなりません。このような即決時代に入ってきました。
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 祝福の中心家庭誰々の名です! 神様の間違いない息子、娘になったのです。血筋を受け継いで一心一体となったのです。「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」と言うのです。完成したならば神様しかいないでしょう? 真の父母も心身一体となり、皆さんも一体となり、どこにおいても父母に対することができる特権の基盤に立ったので、真の父母が入ってくることはできないのです。
 真の父母の前に、真の父母と同じ、恥ずかしくない位置に立つのです。先生は、一生涯蕩減の道を歩んできましたが、皆さんは一生蕩減の道を行くのではありません。
 このみ旨を知ったその場から、蕩減の道から解放されているので、余生は、先生の何十倍、何百倍も忠孝の道理を果たさなければなりません。家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を果たさなければなりません。生きている間は五官をもち、十官をもって、私の生きたこの地を神聖な地として残していくことが、私たち祝福の中心家庭の責任です。
 それは良い話ですか、難しい話ですか。難しい話だと思うこと自体が恥ずかしいことです。そのようにすることができる道があるとすれば、どれほど良いでしょうか。御飯を食べても、寝ても覚めても、一心一念がその根と結託しなければなりません。生まれたこともそうであり、生きることもそうであり、話すこともそうであり、すべての行動もその上で行ったという、そのような自分自身を愛することができる立場に立たなければなりません。祝福の中心家庭の意味が分かりますか。
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 安物ではありません。天地の何ものよりも貴く、お金をあげて買うことができず、何ものとも交換することができない貴いものであるということを知らなければなりません。私の男性の前にいかなる女性が来たとしても離婚することはできず、女性の前にいかなる男性が、お金でも何でもすべてをもってきたとしても離婚することはできないのです。血統を守らなければなりません。命に替えてもそれを守らなければなりません。そのような人は、死んでも霊界の最高の位置に行きます。
 だからといって、最高の位置に行くからということで、若者たちが精誠を尽くさないで、わざと死んでは困ります。「祝福の中心家庭誰々の名によって」このように祈祷するのですが、祈祷という言葉はやめるのです。祈るという言葉はやめなさいというのです。祈祷ではありません。報告です。それがぎこちなければ、祝福の中心家庭の孝子誰々、それ以上になれば忠臣誰々、それ以上になれば聖人誰々、それ以上になれば聖子誰々、神様の友人誰々として報告するのです。
 神様の友人になるのです。自分たちが分かっています。忠臣の次には聖人、その次には聖子ですが、イエス様は聖子として理想家庭を成し遂げることができずに逝ったので、聖子よりも勝っているというのです。
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 もうこれ以上、皆さんに教育は必要ありません。神様の心情まで、すべて知っているのです。そのような内的な観念が、真の愛を中心として外的に一つにならなければなりません。そのように内的に真の愛を中心とするようになれば、すべての万物が従ってくるようになります。そのようにつくられた万物が、四季にわたって昼も夜も従ってくることができる中心が真の愛です。皆さんは、そのような真の愛の観念をもって生きなければなりません。それを知らなければなりません。
 それゆえに、真の御父母様も必要ありません。イエス様も必要なく、アメリカの憲法のようなものも問題ではありません。それ以上の位置に上がっていかなければなりません。それゆえに、皆さんが祝福を受けたのも……。先生が第四次アダム圏をすべて発表しました。第四次アダム心情圏です。それは何かというと、堕落前のアダムとエバです。それは、堕落せずに神様と完全に一つになった立場にいる祝福家庭です。
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 今、私たちが叫ぶ自由、私たちが叫ぶ解放、私たちが叫ぶすべてのものは、神様と天国と一体となり、真の父母と祝福家庭すべてが一体になるということです。一つになるということです。
 皆さんが祈祷する時、どのように祈祷するのですか。「祝福の中心家庭誰々」と祈祷します。そこには神様も必要なく、イエス様も必要なく、真の父母も必要ありません。
 真の御父母様が教えてあげたその道を行けば、すべて終わるのです。その道を行けば解放されるのです。道というものは一つしかありません。二つはありません。仏教を信じようと、イスラム教を信じようと、それから孔子様を信じようと、すべて一つの道です。真の父母の教えを皆さんが学んでいるように、霊界でもすべてそのとおりに学んでいます。
 永遠の天国の橋、高速道路をかけておいたのです。国道ならば国道であって、国道が道の道路になることはできず、州の道路になることはできません。世界ならば世界の名で真の御父母様がつけてあげたならば、それを取り替える者はいないというのです。道は二つではなく一つです。
 それは何かというと、祝福家庭、すなわち祝福の中心家庭が行く道です。わき道にそれてはいけません。
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 皆さんが祈祷する時、「間違いありません。真の父母が残したみ旨は、間違いなく私が何十倍も良く主管して育ててあげます。私たちに橋を架ける時まで、真の御父母様が苦労しながら五十年の生涯をかけてこられましたが、私たちは解放された息子なので、天の前に孝子としてこの上ない真心で侍るにおいて、先生ができなかったことを、私が代わりにやります」と言わなければなりません。
 先生より優れていなければなりません。それゆえに、「祝福の中心家庭誰々の名によって懇切に報告いたします」このようにするのです。祈ることをするのは乞食です。忠臣になることはできません。聖人になることはできません。孝子になることはできません。

















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