真の父母
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A 歴史の願い

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我々統一教会では、真の父母という言葉を使っているのです、真の父母。皆さんが今、この堕落した世界歴史について見るとき、この世界には堕落した父母が生まれた、堕落した父母が生まれて堕落した世界を成した、ということが分かるでしょう。

この世界は、どんな世界かというと、堕落した父母と因縁づけられた世界であって、真の父母、神様が理想とした本然の世界とは関係のない世界です。それゆえ、長い人類歴史を経てきながら、この世に多くの人たちが生きては死にましたが、彼らが幸福を歌いつつ「ああ、私は人間として生まれてやはり幸せで、人間として成功した人だ。すべての面において成功した一人だった」と宇宙の前に誇って暮らしていった人は一人もいないのです。

それで、人間の歴史は苦海と同じだ、悲哀の歴史だ、戦争の歴史だ、疾病の歴史だというのです。なぜこのようになったのかというと、堕落の結果によってこのようになったのです。

今、人類の希望は何か? 人間がどのように完成した人になるかということです、完成した人。神がいるなら、その神の前に、完全な絶対者がいるなら、その絶対者の前に、完全でありうる人をどこで探し、どこで成すかということです。

それで、今まですべての哲学を通じて、宗教を通じて、人間たちはそれを探しに探しましたが、その解決点を皆見れず、今はすべて放棄状態に至ったのです、それが現世の人間の立場だというのです。(一三七\八一)

今まで人間たちの歴史的な願いが何かというと、真の父母に侍ることです。真の父母を迎えるためのものなのです。神様がイスラエルの国とユダヤ教を立てられたのは、メシアを迎えるためなのです。メシアが誰かというと、真の父母です。また、キリスト教とキリスト教文化圏を作ったのは、再臨主を迎えるためなのです。再臨主は誰かというと、第三次アダムとして来られる真の父母です。

真の父母が来られる時になれば、世界のすべての国家が兄弟の因縁を持つので、第二次世界大戦後に、戦勝国家が敗戦国家を全部解放させるということが起こったのです。これは、兄さんの立場から弟を叩いて捕まえたので、そのような非正常的な歴史的現象が起こってきたのです。

歴史が願いつつ訪ね来たことが何かというと、真の父母に会うことです。宗教が出てきたのも、真の父母に会うためです。世界が出てきたのも、真の父母を探すため、国が出てきたのも、真の父母を探すためです。真の父母の道を備えるために出てきたのです。(五一\三五四)













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