真の家庭
(全面表示) 戻る


第三章 家庭は天国の中心模型


◆一 家庭はすべての存在の中心モデル

 人が空間の世界に立つようになれば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ自分の存在位置が確定されるのです。皆さんが上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによっていろいろな姿になるのです。

 皆さんの上下、左右、前後関係、そして家庭の問題や国の問題、世界の問題を扱う上で、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように家庭でも父母と子供がいなければならないし、夫と妻がいなければならないし、兄弟姉妹がいなければならないのです。同じように、国にも国の主人を中心としてすべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべて抱き、その次に世界万民を兄弟姉妹のように抱き、結局一つの家庭モデルを実現するのです。モデルは同じです。そして私自身がそのモデルの中心です。

 自分がいて次には自分の家庭がなければならないし、国と世界と天と地、そして神様まで行かなければならないのと同じ道理です。皆さんは宇宙の中心になりたい思いがあるだけでなく、皆そのようになることができます。

 このように宇宙においてその核のようなものが家庭の概念です。天を父母と見れば地は子女です。東西を見れば東方は男を象徴し西方は女を象徴するので、女は結婚することによってどこでも夫の位置に従っていくのです。西方が太陽の光を浴びて光り輝く時東方と同じ価値をもつのと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄さんを中心として行動するとき、弟たちが協力するようになるのです。

 ですから人間は親子の関係がなければならず、夫婦関係、そして兄弟関係がなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点で結ばれなければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはいけないというのです。この中心点が違えば上下、左右、前後関係の均衡がみな崩れるというのです。それで結局上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで全部で七数をなすようになるのです。

 このように七数を成すというのはまさに神様を中心として完全な真の愛で一つになりこのすべてが完全に球形になって、調和と統一を成す家庭になるというのです。私たちがよくラッキー七というのもこのような観点から一理あるというのです。

 真の愛が永遠に変わらない限りこの中心核も変わらず、永遠に回るようになり真の家庭の理想が成されるようになります。またすべてのものが核から連結されるのでこの中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、全部が同等です。おじいさんが願えば孫が反対せず、息子・娘もそれを願うようになり三代がみな共に願うようになるのです。おじいさん、おばあさん、夫婦、息子、娘みんな中心に合わせるようになります。

 この愛を中心として見るとき、親子の関係も一つなので一体と言うし、夫婦関係も一体と言うし、兄弟関係も一体と言います。一つの体です。何を中心としてこのょうな関係を一体と言うのかといえば愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。真の愛を中心として父母と子供が一つになり、夫婦も一体となり、兄弟姉妹も同じです。このようになることによってすべての価値が同等になります。(祝福家庭と理想天国I−五七)


◆二 家庭は宇宙の愛に接する愛の教材

 宇宙とは何でしょうか。被造世界のすべてのものは神様が愛する息子・娘が愛の理想を求めていけるように教材としてつくっておいたものです。それですべてがみな相対的な構造です。鉱物も主体と対象の関係で作用します。原子もそうです。陽子と電子が主体と対象の関係で作用します。作用しなくては存続することができません。運動をせずしては永続、存続ができないというのです。ですから宇宙は人間を中心としてその重点に到達できるように創造された世界だというのです。(一三七−五九)

 宇宙とは何なのでしょうか。家庭を拡大したものです。家庭の愛を完全に成した家庭を見れば上中下(父母・夫婦・子女)がいて、左右がいて、前後がいます。これが原則です。それで上下を言うときは父母と子女のことを言うし、左右を言うときは夫と妻のことを言うし、前後を言うときは兄弟のことを言います。このような全体が何によって一つになるのでしょうか。力でもなく知識でもお金でもできません。ではどんなものでできるのでしょうか。愛です。間違いのない真理です。そうでなければ球形にならないのです。

 それなら上中下は私たち家庭において何なのでしょうか。愛の教材です。宇宙の愛に接することのできる愛の教材です。そのようなことを社会に出てしなさいというのです。どのように愛さなければならないのでしょうか。イエス様も「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」と言いましたが、どのようにすればいいのでしょうか。漠然としています。

 世の中に出ていっておじいさんに接するときは皆さんのおじいさんのように対しなさいというのです。お母さんのように対し、お父さんのように対し、息子のように対しなさいというのです。
世の中に出れば、みなそのようにしなければなりません。上中下と前後左右の人が世界という展示場に展示されています。人の博覧会が世界だということを知らなければなりません。皆さんがそのような愛を持ってすべてのものを愛することができればその中に神様が共にあります。(一二八−二三)

 天国とは何でしょうか。自分の家庭のように世界の人々を愛することのできるところが天国であり、そのような人が天国の民です。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分の妻、兄弟、子女、この四代は何でしょうか。天の国の民として愛を、宇宙の真の愛を体験するための教材としての家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だというのです。(一二九−九八)

 私たちは宇宙の愛を習わずしては生きられません。神様は教本や経典のようなものをつくって「あなたのおばあさんとおじいさんを愛しなさい。地上にいるおばあさんとおじいさんは霊界のおばあさんとおじいさんを代表して送ったのでそのおばあさんとおじいさんを愛することは全体を愛することにしてあげる」と公約するのです。

 その次には「あなたかお母さんとお父さんをこの上なく愛することはこの世界の数多くのお母さんとお父さんを代表する教本のように愛するモデルにしたので全体を愛した条件にしてあげる。また男性として女性を愛したことは世界の男が世界の女を代表的にまとめて愛したこととして見てあげる」というのです。

 またその次は「あなたの息子・娘を愛したことで全体の息子・娘をみな愛したことにしてあげる」というのです。ですから家庭はその訓練を受ける訓練所です。経典による世界の愛の訓練過程ですが、その訓練を受けた人に今からこの世に一度出て皆さんのおじいさんとおばあさんの代わりにこの世のおばあさんとおじいさんを愛することができるのかというとき「イエス」と言えば、それは世界を救うことができるのです。(一三〇−二七三)


◆三 愛の王国に入籍するための愛の訓練場

 愛の王国を実現したいのが神様のみ意です。愛の理想世界を発展させ世界化させようとするのが神様のみ意だというとき小学校卒業から大学の学士・博士卒業までパスすることのできる実験場がどこかといえば家庭です。

 家庭を拡大すれば世界です。世界をよく見てみるとおじいさんとおばあさんが住む世界、それからおじさんとおばさんが住む世界、兄さんと姉さんのような人たちが住む世界、青少年たちが住む世界、子供たちが住む世界があります。ですから老年から壮年、中年、青年、少年たちが住むここが、形が大きいだけであり数が多いだけであって家庭を拡大させたものです。(一四七−二八一)

 家庭は天国に入ることのできる最小単位の修練所であり、教材です。そこにはおしいさん級、お母さん級、夫婦級、兄弟級が皆あります。これをおじいさんとおばあさん、あるいはお母さんお父さんの年齢、その次には自分の年齢、息子・娘の年齢に拡大させたのが世界人類です。この人類を自分の妻のように愛し父母のように愛し、息子・娘のようにために生きることのできる家庭だけが天国を相続できるのです。これは驚くべき事実です。神様がつくられた天と地のすべての権勢を相続できる特権がここにあるのです。(一四三−二八五)

 家庭は死ぬとき天の国や平和の王国に入籍する手続き権を得ることのできる愛の教科書です。家庭が愛の修練場だというのです。この家庭を拡大したものが世界です。おじいさんのような世界があり、おばあさんのような世界があり、お父さんとお母さんのような世界があり、夫のような世界があり、妻のような世界があり、息子・娘のような世界があるというのです。これを拡大すればそのまま世界になるというのです。ですから自分の家庭を愛するように、その家庭を中心として神様を愛するように全世界の人々を愛すればそれが天国にまっすぐ行く道になるのです。

 したがって「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして主なるあなたの神を愛せよ」というのが第一の戒めです。第二は「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というものです。神様を愛し人類を愛せばすべて終わるのです。それができなければいくら修養しても意味がありません。宗教でいくら修業を積んだとしても神様を愛することを知らず、人類を愛することを知らず、全宇宙を愛することを知らないならばすべて落第になるのです。

 家庭で全体宇宙を縮小させた修練所のような公式過程の愛を体験して拡散させ、世界を愛さなければなりません。そうすることのできる訓練場として引き継いだのが皆さんが育った、お父さんとお母さんが住む家庭だというのです。

 ですから自分の妻を愛する以上に父母を愛し、自分の妻を愛する以上に息子・娘を愛し、自分の妻を愛する以上に人類を愛し、自分の妻を愛する以上に神様を愛するならすべてオーケーです。だからといって自分の妻を捨てろというのではありません。そのようにみんなを愛するようになればその愛を受けたすべての人々が自分の妻を愛するようになるのです。それ以上の栄光の場がどこにあるでしょうか。自分の妻を愛そうとするならば、そのようにしなさいというのです。(一四二−二四二)


◆四 家庭は天国の模型教科書

 子女の立場にいる人はどんな運勢を受けなければならないのでしょうか。祖父母と父母の運勢を引き継がなければなりません。祖父母はなぜ必要なのでしょうか。過去を代表するからです。祖父母は過去の生きた歴史を代表します。その次に父母は現在を代表します。それから子女たちは未来を象徴します。そこには東西も入っているし、南北も入っています。そして全体の中心です。祖父母の中心、父母の中心、子女の中心、神様の中心、このすべてのものが真の愛を中心としたものです。

 ですからおじいさんを愛しおじいさんを尊敬するのは過去をすべて引き継ぎ、過去の世の中を学ぶことです。お父さんからは現在を学ぶのであり、子女を愛することは未来を学んでいくことです。おじいさんとおばあさん、お母さんとお父さんを通じて何を引き継ぐのでしょうか。真の愛を引き継ぐのです。おじいさんとおばあさんは年を取っていますが二人が真の愛に一つになっており、お母さんとお父さんが一つになっているので私たちもあのようになって未来を引き継ごうというのです。ですから絶対に真の家庭にならずしては未来を引き継ぐことができないのです。

 家庭のこの三つを見る時、それは宇宙を見るのと同じです。宇宙の愛は現在と未来を代表した真の家庭にあるのです。動物世界を見ても雌を愛し雄を愛しますがこれは宇宙の愛を学ぶことのできる教科書です。おばあさんがいなければ不安定です。おじいさんがいなくても不安定で、どちらがいなくても同じです。このようになればそのまま天の国へ移っていくのです。祖父母、父母、子女がそのまま天国に行くのです。真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国に行くのです。その模型教科書が家庭です。(一六二−一四〇)

 家庭は天国をつくることのできる教材です。天がつくっておいた教材です。世界にいるおじいさんの年齢の人をみな自分のおじいさんのように愛すればその人は天国に行くようになっています。自分の父母のような年齢の人を自分の父母のように愛すればどこに行っても通じます。万国共通です。霊界に行っても境界線ができないのです。万国の若者を自分の子女だと思う心をもてば彼は十二の真珠門があり方向があっても天国のどこでも通じるのです。ですから家庭というのは天国と因縁を結ばせるための教材です。

 それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心とすれば神様の子女、聖子になるのです。人はみな、そのような欲望をもっています。(一三七−七八)

 皆さんは五色人種の子女を抱きその孫たちを抱くことができなければなりません。ですから神様の真の愛をもって真の父母として世界人類を愛する家庭の主人になったという立場に立たなければなりません。神様の愛を中心とした本然の父母の因縁の中で真の愛の家庭基準を代表することのできる立場に立つことによって、初めて天国に入ることができるのです。(一七六−二一〇)


◆五 家庭は三時代の愛が結集した核心体

 歴史を抱き、時代を抱き、未来を抱くことができるのが家庭です。ですから神様が今まで六千年を経ながら求めてきた最後の基点は何でしょうか。家庭です。その家庭は愛が連結された、愛によってすべてが結束された家庭です。存在するすべてのものはみなこれに主管を受けるのです。根源的な愛、絶対的な愛との関係を離れることはできません。このような家庭をつくるのが神様が創造当時にアダムとエバにくださった本来の使命ではなかったのでしょうか。

 神様は男性アダム、女性エバとして終わるのではなく互いに結合した新しい家庭を夢見られたのです。これが神様が男女を立てられた第一次的な出発の起源です。ですから家庭を求め、家庭圏内で神様の愛を中心としてこの世で充足感を感じることのできる境地に入って生きてこそ天国も無事に通過するのです。そうしてこそ、この世界も切り抜けられます。(三〇−八六)

 愛の家庭園を形成するためには絶対的でなければなりません。父母は歴史に代わることができるものであり、夫婦は時代に代わることができるものであり、子女は未来に代わることができるものです。自分が一つの時代で一人の相対を愛することは、神様が世界に対されるのと同じことです。ここで父母と夫婦と子女が一致し、天雷を代表して私たちの愛を見習いなさいと言うことができるし、後孫たちに対して私たちに従いなさいと言うことができるし、内心や外心で主張できる心の本郷、天情が通じるそこは天地に記憶されることでしょう。(三〇−八〇)

 今まで神様は何を探してこられたのでしょうか。主体を探してこられたのではありません。理想的な対象を探してこられたのです。神様に似て、ご自身がつくられた世界の内外の内容を備えているものを探してこられたのです。このような結果的な一つの基点が何でしょうか。家庭です。家庭より宇宙を代表することができるものがないのです。

 父母と一つになることは歴史と現実が出会うことです。ここで「私」は父母を愛することで過去を愛することができるし、相対を愛することで現実を愛することができるし、子女を愛することで未来を愛することができます。ですから私は、三時代の愛を体験することができるのです。三種類の愛が結集した核心体がまさに家庭です。(三〇−八〇)

 では天国生活はどこからでしょうか。家庭からです。他のところから始まるのではありません。天国は家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭園を離れたものではないというのです。ですから皆さんが自分の妻や夫を抱くときにはこれは世界の男性と女性が一つになるのだと思わなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることのできる場が、まさにこの家庭なのです。

 皆さんはそのように生きていく道を求めなければなりません。父母を愛することは歴史と現在を連結させることであり、神様が訪ねてくることのできる道を整えることです。ですから父母を愛さなければなりません。歴史的な存在と時代的な自分を連結させること、すなわち過去と現在を一つにすることが父母を愛することです。また自分を中心として子供を愛することは、現実と未来を連結させることです。そしてこのような愛を千年万年たたえるようにしようという思想が統一思想です。(三〇−八三)


◆六 家庭は心情的な訓練場所

 私たちは心情を離れては生きられません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもったとしても心情的な喜びを表せるところがなければ生きられません。自分が率いる人たちや閣僚たち、あるいは追従する人たちには心情的な満足を感じることができません。それは家庭で感じなければなりません。

 家庭に帰ってきて夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じることができなければなりません。そうしてその喜びを他の人に誇ることができなければなりません。その喜びは第一次的な喜びであって二次的な喜びではありません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても家庭のない神様は喜ぶことができないのです。結局、家庭がなければならないのです。(二五−八六)

 家庭では父母を中心としなければならないし、社会を代表する教育機関では先生を中心としなければなりません。父母は自分に乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、それで情緒的な面を助けてくれるのです。では、学校は何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練させるのです。家庭が情緒的な訓練場なら、学校は社会においての実験的な訓練所です。

 社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのでしょうか。国に帰結します。国には国王がいます。人々がみな大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってから、それからどこに行くのかというと、もっと大きなところに行くのです。

 大統領といえば蘇生、長成段階を越えて三つ目の段階の結実です。種が根から始まって循環作用をして分かれます。分かれてここで統合され花が咲き実を結ぶのです。ですから学校も国のための貴重な棟梁、人材を養成し国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強とは何でしょうか。訓練です。ですから学校は訓練場所、実験場です。訓練は実戦ではなく準備段階です。準備を誤ってはなりません。

 家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場所です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから情をもって兄弟のように学校で生きなければならないし、情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のこのような教育は学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるのです。

 父母は情緒的なすべてのことを子供たちに伝授してあげなければならないのです。父母が生きたのと同じように家庭ではこのように生きなければならないし、社会ではこのように生きなければならないし、国のためにはこのように生きなければならないという情緒的なパターンを築いてあげなければならないのです。(一八〇−一三〇)

 皆さんが家庭のことを見るとき、家がよく、その周りの環境がいいからといっていいのではありません。反対にいくら環境が悪く、家がみすぼらしくてもそれを安息所として、そこに自分の事情と生涯と生活のすべての基準を因縁づけようとする家庭がいい家庭なのです。そこには親と子の間に、互いにために生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。(二九−一七)


◆七 人間の永遠の本郷は家庭

 家庭、家庭はいいところです。どうしていいのでしょうか。お母さんとお父さんがいるからいいところであり、お姉さんとお兄さんがいるからいいところであり、弟妹がいるからいいところであり、親戚がいるからいいところなのです。ですから人間なら誰でも本郷の地、故郷を懐しがる郷愁の心情をもっているのです。国よりも故郷にもっと想いを馳せます。大韓民国で暮らしながらも懐しがるところが故郷です。大韓民国が好きで大韓民国に住みたく思いながら、また大韓民国で暮らしながらも懐かしいところはどこでしょうか。故郷です。故郷。故郷なのです。

 故郷はどのようなところでしょうか。私の心情を四方に、立体的に全部引き上げるところです。その心情とは何でしょうか。愛で結びつけるものです。上には父母が結びつけられ、左右には夫婦の因縁が結びつけられ、下には子女、親戚が立体的な愛で堅く結びつけられているところが本郷です。人は愛を中心とした幸福の基点を最高に望むので本郷を慕わざるをえないのです。

 では神様の本郷はどこなのでしょうか。この地球星において神様の本郷の地はどこなのでしょうか。これは考えなければならない問題です。愛の神様ならこの地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですがその基点はどこでしょうか。それを知るためには神様がその基点を準備するためにどのようにしてこられたのかを知らなければなりません。

 神様の家庭を準備することのできる本郷の基点になりうるところはどこなのでしょうか。他のところではありません。神様を本当の父だと思う息子がいるところです。すなわち、神様の愛を独占することのできる息子、ひとり子がいるところです。またそのような娘がいるところです。そうしてその息子・娘が結婚して完全な家庭を築くところです。(二三−一五一)

 ではその本郷の地には誰がいなければなりませんか。見たい人たちがいなければなりません。父母がいなければならないし、兄弟がいなければなりません。また会いたい方がいなければなりません。またそこにはいっしょに住みたいしいっしょに住みたいのに一瞬会うだけでいいでしょうか。ちょっとだけ会って済むでしょうか。彼らに会って彼らと共に住むにおいては永遠に永遠にいっしょに住んでも嫌になってはいけません。そのようなところを探していかなければなりません。そこが今日、宗教で目指す天国なのです。(二三−八一)

 今日私たちが本郷の地を慕うのは、その本郷にはどこの誰よりも近い父母がいるし、兄弟がおり、親戚がいていつも私を導いてくれ、また私がいついかなる時に訪ねていっても私を昔のように迎えてくれ、私に困難なことがあればその大変な事情に同情し慰労してくれ私を喜んで迎えてくれるからです。もしそれがなければ本郷が懐かしく好きで訪ねていっても切実に慕っていた当時の心情はなくなりかえって嘆息の条件をもって帰ることになることを知らなければなりません。本郷の地には必ず迎えてくれる人がいなければなりません。(二三−八〇)


◆八 家庭は天宙主義を完結させる最終基準

 すべてのものは一つから多くのものに分かれて結局一つの大きなものに統合されます。すなわち一つからいくつかに分かれてから一つに統合されるのです。ここでまた分かれてより大きなものになるのです。そこには家庭がありますが形態は統合される前と同じです。家庭は夫婦を成したところであり、その夫婦を一つにするところです。氏族は家庭を一つにするところであり、民族は氏族を一つにするところです。民族が集まって一つの国家の前に全部入ります。ここにおいてはどこまでも家庭が中心になります。この家庭を展開させれば横的な世界になるのです。ですからどのような社会であったとしても家庭を除くことはできないのです。

 家庭を復帰することができなければ世界を復帰することができません。その次にはその家庭を中心として天宙主義を成就しなければなりません。天宙は天と地を総合したものです。天と地は人間において心と体のようなものです。心と体が一つにならなければなりません。一つの主体があれば一つの相対が必要なように一人の男性には一人の女性が必要なのです。男性と女性が一つになるのが家庭です。この一つの家庭を中心にしなければ神様の愛の基盤が定まりません。

 天宙主義というのは心と体を合わせたのち、神様の愛の本体となる家庭を築いてその理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の宙という字は家を意味する字です。家を表す宙です。ですから天宙主義という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちは家庭が必要です。皆さんが家庭で一つになれなければ天宙主義とは関係がないのです。家庭が天宙主義を完結させる最終基準になるのです。ここで平和の歌を歌うことができず幸福をたたえられない人はこの地上でも霊界に行っても不幸な人になるのです。(二六−一八九)

 天国はどこから成されるのでしょうか。私たちの家庭から成されます。では私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は天の字に家を意味する宙の字、すなわち天の家主義だというのです。このようになってこそ天宙という意味がはっきりするのです。ですから聖書六十六巻はすべて理想的な家庭を願ったみ言です。

 また万民が願うものは何でしょうか。理想的な妻をみな迎えることです。また女性として生まれて最も願うことは理想的な夫に出会うことです。女がいくら学士博士になって世界に大言壮語するとしてもその願いは理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会って恵まれた子女を生むことです。これが幸福の根です。統一教会の理想は他のところにあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。(二六−一〇三)

 では天宙主義とはどのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局この二つの主義は父母の主義です。これはわが家の主義であり、わが国の主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったならば世界は誰の主義になるでしょうか。アダムの主義になるのです。そのアダム主義がまさに真の父母主義です。父母主義だというのです。これ以上の他の主義はありえないのです。ですから統一教会は心情的な問題をこの本然の理想的な家庭の範囲の中で真の父母という理念を中心として天主義と結びつけなければなりません。このような理念で制度化された家庭の因縁が残っている限り統一教会は滅びません。(祝福家庭と理想天国I−五〇二)
























SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送