御旨と世界
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統一戦線守護

1972年1月1日 アメリカ ワシントン教会本部


 年頭標語は、「統一戦線守護」であります。このようにして、アメリカに来て、新しい年を迎え、神の日を迎えることのできたことを栄光に思っています。

 昨年は、一年の生活標語として、「統一基盤確保」をもって、一年の間戦ってまいりました。我々は一年の間に多くの活動をしましたし、また天が多くの祝福をしてくださいました。

 民主世界の危機と統一教会

 今年は、「統一戦線守護」という標語を掲げました。なぜこういう標語を立てたかというと、人間世界と神の世界とを戦線として我々は考えているのです。しかし、今の現情勢に立って見る時に、民主世界が相当に危機なる立場に立っていることを感じています。それは、共産主義の脅威によって、民主世界がそういう思潮に巻き込まれていることを我々はよく知っています。ゆえに、これは、米国ばかりでなく、民主世界全体にかけて、アジアあるいは西欧や、いかなる国家も、いかなる社会団体、いかなる教会を問わず、こういう思潮に巻き込まれているのです。外的な責任を負わせるために、民主世界を前に立たせているにもかかわらず、その使命を全うし得ず、脅威を受ける立場に立つ場合には、内的使命を負つたものが、外的使命まで兼ねて全うしなければならないということが当然の立場なのです。

 さて、民主世界圏内を見るときに、それは、宗教圏内に限るのでありますが、宗教圏内において、いろいろな宗教がありますが、その中でもキリスト教が内的使命を全うしなければならないと考えるのであります。そういう観点から見るときに、現世キリスト教が、共産主義体制に勝つことのできる体系を整え、実質的な対社会、対世界に活動をしているかというと、そうではないということを我々はあまりにもよく知っています。

 それでは、キリスト教が果たせなければ、どこからか、こういう使命を内的にでも全うし得る一つの宗派が生まれてこなければならないと思うのです。それが我々、統一教会であることは言うまでもありません。我々はキリスト教を守護すると同時に、すべての宗教を守護しなければならないし、共産主義世界からの脅威を防御しなければならない責任をもっています。

 そういう観点から、我々、統一教会が今まで発展してきた過程において、この二つの方向、キリスト教と民主世界において共藤世界を対備することのできる基準を強化するために、我々は今まで準備してきたのであります。

 こうして、神のみ旨ということを中心にして見るときに、現在、統一戦線こそ、世界的に神が最後の頼みとして信じる戦線であると考えざるを得ないのであります。ですから、この統一戦線を守るということは、単に個人ばかりではなく、我が教会、そしてキリスト教を救うために、民主世界を救うために、全般的な責任を負わなければならない、統一戦線守護という標語を立てるようになったのです。

 この観点から、外的にはこういう世界的使命があると見られます。その反面に、内的には摂理的、世界史的使命を担っているのであります。いくら内的勝利が完結したとしても、外的勝利がここに伴って完結しなければ、一つの全体的目的を完成することはできないというのが原理の観点であります。

 それでは、ここで、内的なものが重要か、外的なものが重要かが問題になるのです。それは内的なものがもっと重要視されるのであります。内的問題は、神のためであり、外的問題は人のためであります。その観点から見るときに、我々は神のみ旨を重要視せざるを得ないのであります。神のみ旨は、神と共に一つとなった個人を通じて、内的に一つになった家庭を通じて、内的に一つになった氏族を通じて、内的に一つになった民族を通じて、内的に一つになった国家を通じて発展させようとするのが、神のみ旨なのです。これは、どの時代にも、摂理の目標は国を目標として、今日まで至ったのであります。

 再臨主を守護する基盤

 では、こういう全体的責任を全うし得る人は、いくら国を標準としたといっても、国を動かし得る人がなけれはなりません。こういう観点から、四〇〇〇年の歴史を準備してまいりましたし、一つの国を中心として、その国の中に一つの全体の責任を負える、内的に一つになった責任者、内的教会に一つになった責任者、あるいは氏族、民族、国家、こういう面から、内的全体の責任者を必要としたのであります。そういう中心の責任者として来られたのがイエス・キリストでありました。

 これが四〇〇〇年の歴史を通じて御苦労された結果のイエス様であったのです。しかし、我々が知っているように、イスラエル民族は、不信することによって殺してしまったのでありますから、神と内的に一つになり得る個人的勝利基盤ももつことができなかったし、家庭的勝利の基盤あるいは氏族的勝利の基盤、民族的勝利の基盤、国家的勝利の基盤、この全体を築くことができずして行ったのがイエス様であります。

 ですから、その歴史が再延長されて、二〇〇〇年の歴史を延長して、今日数多くの外的な民主世界圏にその内的なキリスト教圏内に、その中でももっと内的であるこの統一教会圏内を中心として二〇〇〇年のこの摂理が再び内的に決定しようとするのが神の摂理であります。

 では、ここに問題になるのは何かを、我々はもう一度考えざるを得ません。言い換えますと、二〇〇〇年前に、ユダヤ人たちは個人的にイエス様を神のみ旨どおり、神の内的み旨と一致し得る立場で守護することができなかったために、その個人的基盤を築くことができなかったのであります。

 その次には、ヨセフの家庭や、ザカリヤの家庭や、この家庭がイエス様と共に立つことのできる家庭を守ることができなかったのであります。そういうわけで、氏族自体が、その家庭を守ることができなかったし、民族自体がその氏族を守護することができなかったのです。こういう意味で、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に守り得なかったこの基盤を再現させて、今日我々は再臨する主を中心として、個人的に守護し、皆さんの氏族で守護し、皆さんの民族で守護することのできるそういう基盤を強固にしなければ、再び神のみ旨を成就することができないのであります。

 ですから、我々統一教会は、天が外的に公認し得る個人的基盤を成就しなければならないし、家庭的基盤を成就することによって個人を守り、民族的基盤を成就することによって氏族を守り、国家的基盤を成就することによって民族を守ることのでき得る道を再びつくろうとするのが、今までの戦いの路程でありました。ですから、新しい内的因縁を中心として、新しい氏族を編成し、新しい民族を編成し、新しい国家に向かって我々は前進しているのであります。

 こういうわけで、皆さん個人個人は、自身がサタンの一線と神の一線の中間にいて、神の立場に立った自己自身を守って、サタンの攻撃を受けない、勝利の決定圏を皆さん個人が確定しなければならないのです。例えていえば、ペテロ、ヨハネ、ヤコブよりも、悪い立場に立ってサタンを退ける権威の位置に立たなければならないのです。そうならないと神が保護することができません。

 では、ヨセフの家庭とか、ザカリヤの家庭がサタン世界の一線で戦って、勝利して、イエスの家庭を守らなければならないそういう立場に立っていたにもかかわらず、それをすることができなかったために、イエスは家庭を成すことができなかったし、十字架につけられたことを我々はよく知っているので、持さんの家庭においてこういう基盤をつくって、主様の家庭を守らなければならないというのです。

 その次は、この家庭がイエス様の氏族を迎えるためには、イエス様の氏族を救い得る数多くの民族的保護圏があって、その民族圏に打ち勝って、サタン世界で勝利の基盤に立って、イエス様側の氏族に対することのできる守護圏をつくらなければならないということであります。一段階下がった立場ですから、イエス様の親類家庭があることによって、イエス様の家庭を救うことができ、氏族があることによって家庭を救うことができ、民族があることによって氏族を救うことができ、国家があることによって民族を救うことができます。

 今までは主に守られこれからは主を守る

 そういう立場から見るときに、今までこういうことを今日、既成教会とか、いかなる民主世界の誰も考えた人がなかったので、皆さん自体からこれをつくらなければならない責任があるというのです。言い換えますと、皆さんがここに集まってきたのは、皆さんが救いを受けるために、あるいは、天国へ行くために集まってきたということよりも、神はどういうふうに考えているかと申しますと、来たるべき主様を個人的に保護するために考える人を天はもっと望んでいるのであります。

 そうして、その互いの立場が、カイン、アベルが一つにならなければならないと同じように、家庭的に、カイン、アベルが一つにならなければならないし、各自の立場が連結されて、垣根のようにならなければならないのです。

 それと同じように、我々、統一教会を信じる人たちは、その統一家庭を保護し、その家庭は全体家庭を保護して、完全に一つになるところから、サタンの審判を受けない立場に天が立って、新しい計画をし得る原動力の動機的基盤をもつことができるのであります。そして、国家自身が、我々統一氏族を守護する責任をもってこそ、イスラエル民族がイエス様を守護することができず滅びたことを、もう一度、守護することのできる立場に立つことによって新しいイスラエル圏国家を復帰することができるというのです。

 ここで、七二年度を期して、どうして「統一戦線守護」という標語を掲げたかというと、今年度こそ、越えていく年であるからであります。これまでの歴史は、皆さんのために、皆さんを保護し、皆さんの家庭を保護し、皆さんの氏族を保護し、皆さんの民族を保護し、皆さんの国を保護するための戦いを今までなしてまいりました。しかし、いつまでもそうであってはいけません。それは先生として、しなければならないどの限界、国家なら国家を中心として、先生なら、先生の氏族を中心として、立つことのできる一つの限界点をつくってきたと見るのであります。これからは反対に、皆さんが先生を保護するために、み旨をなすために、皆さんが一層大きな責任をもって、全世界的に活動しなければならない時が来たのであります。

 言い換えますと、今までは先生についてきながら運動してまいりましたが、これからはついてばかりではいけません。皆さんがついてきながら、かえって、奉仕する立場に立ってこそ、先生が位置をとることができるとい →うのです。

 今までの先生は、個人的に見れば位置がありませんでした。家庭もそうであります。先生の家庭が位置をとれれば、祝福された皆さんの家庭が次々と位置をとれるのであります。その次には、祝福を受けた全体の氏族が位置をとるのであります。そういう基盤が広くなって、一つの国家が成立すれば、世界国家は短い期間に復帰されるでありましょう。そうなると、個人的に皆さん自身が問題になるのです。皆さん自身が先生の使命を受け継いで、責任を全うすることができるか、ということが問題になるのであります。

 先生は、国の迫害を受けてきましたが、皆さんは世界の迫害を受けることを覚悟することによって、国は保護を受ける圏内に立つようになるのです。言い換えますと、先生が個人的に審判を受けるいかなる問題があるとしても、これを皆さんが守護する責任をもって、防御し、守護することができるか、が問題となります。それが個人ばかりではなく、家庭では、先生の家庭が歩まなければならないすべての受難の道を、あるいは、外的に内的に受けるべきことがあればすべて、どこまでも責任をもつという家庭がなければなりません。そして、統一教会の食口全体を外的に守護してくれる教団がもしあるとするならば、統一教会は立たされるのです。統一教会を守護する団体、この全体を合わせた宗教団体を国が守護してくれるというと、その宗教団体までも完成し得る位置に立つことができるのであります。

 そのように守ってくれるその国に対して、世界のいかなる国家でも責任をもつ立場に立てば、その国は、安息する基盤に立つことができるのであります。こうなると、世界復帰は、短い期間になされるのです。そして、皆さんが個人的に神の中心を守護し、家庭的に守護し、氏族的に守護し、あるいは民族的に守護し、国家的に守護し、それが別々ではなく、一つの国を中心とするその国の中で一つの民族として、一つの氏族として、一つの家庭として、一つの個人として守護し得る立場を整えるようになると、大きな問題が問題にならないというのであります。

 国家を代表する代表者が、氏族を代表する代表者が、家族を代表する代表者、このように一人ずつ代表者を立てれば、カイン、アベル復帰でありますから、個人的カイン、アベル、家庭的カイン、アベル、氏族的カイン、アベル、民族的カイン、アベル、またカイン、アベル国家の代表者たちがこの一つの中心を中心として、それぞれが完全に一つになれば、一時になされるというのであります。

 国家的勝利基盤をつくる

 しかるに、我が統一教会はどうなっているか。国家の反対を受け、キリスト教の反対を受け、家庭の反対を受け、全体から反対を受けたのであります。

 そうして見ると、我々、何かといいますと、イエス様に反対する群れではなくして、イエス様を積極的に支持する、すなわち、皆さんたち祝福された家庭は、積極的に支持する、そして祝福された全体の氏族が支持し、そうすることによって、だんだん大きくなって、今韓国においては、統一教会がアベル教会になっており、既成教会がカイン教会になって、これが今、折衝する段階に入っています。同時に、国家と折衝する段階に入っているのです。

 しかし、万が一、既成教会が信じない可能性がありますので、ここに中間段階のユニオン教会をつくっています。この団体は、韓国と日本と台湾が合同してつくったもので、既成教会と一つになって、国を中心として、アベル圏をつくっていかなければなりません。

 それで、今年に入って、先生がアメリカでしなければならないことは、韓国のキリスト教を包囲作戦しようということです。韓国のキリスト教を滅ぼそうというのではなく、韓国のキリスト教を救ってあげるために、韓国はアメリカの直接的影響を受けますので、アメリカで、ある程度まで、命令に服従してくれれば、韓国は一度に回る可能性があるので、ここから間接的防御作戦を必要として、救援の可能性があると兄るのであります。万一、米国教会が応じない可能性がありますから、世界的集団をつくろうとしています。

 天の摂理作戦は、黙って座っていては成り立ちません。こういうふうに、防御線をつくる時はつくらなくてはならないし、処理していかなくてはなりません。橋を架けておいて発展していきますので、そこに防御し得る、また我々が前進し得る基盤を広くしておかないというと、復帰摂理は進行できないのです。

 滅びてはいけません。イエス様と同様に失敗してはいけません。この運動を先生がアメリカに来て、皆さんと手を取って活動すれば、皆さんが喜ぶだろうと思います。しかし、そうはいきません。その基盤を次々と広くしていかなければならないのです。それは、個人的基盤、家庭的基盤、氏族的基盤、民族的基盤、国家的基盤、その上に世界的基盤を築いていかなければなりませんから、国家的基盤を築かなくしては、来ることができないのです。万一、私がここにいて韓国が全部破壊されてしまったら、どうなるでしょう。

 そうでありますから、今までずっと韓国問題だけの作戦をしなければならなかったことを皆さんに理解してほしいのです。皆さんは米国にいますが、米国の食口という立場ではありません。これは、新しい一つの氏族圏内にいる氏族であります。み旨的立場から見るとき、一つの国家複帰の問題を中心として動くときは、皆さんはそこを中心として終わりまで、すべての真を尽くして、外的に守護する立場から戦わなくてはなりません。

 皆さんが今まで活動したことは、早くこの五十州に宣教部をつくって、アメリカをもっと早く復帰して、世界を復帰しようと考えたかもしれませんが、それではいけません。国家を復帰する前に、世界は絶対に復帰することができないのが原則であります。万一、どういう人が世界を復帰したとしても、できるのではなく、必ず、このコースを再び通っていかなければならないのです。

 皆さんが、もし、世界を握ったとしたら、その世界は国が土台となりますので、それを中心としないと、世界が回る時には、全部が破れてしまうのです。ですから、これをするためには、何をしなければならないかというと、五十州を通じて世界復帰をするには、その基盤を築いた勝利の結果を、復帰基準の前に帰して、それを合わせて、世界に向かうべき道をつくらなければならないということです。これが非常に重要なのであります。 

 一つになろう

 このような立場が、個人的にいっても、私が家庭を中心として、三位基台になるのです。

 家庭を中心として氏族を求めようとしますが、アベル家庭がなくして、カイン家庭の立場だけではいけません。家庭もカイン、アベル家庭が一つになって氏族を復帰しなければならないので、カイン家庭だけでは氏族を復帰することができません。二つが一つとなって復帰しなければ正常的復帰にならないのです。これは、氏族も、民族も国家もみな、そういうふうに通っていかなければなりません。

 どうしてそうしなければならないかと言いますと、これを保護して、一つになって、一緒に進まなくてはならないから、こういう関連をもたねばならないのです。この基準を失えば、二つに分かれてしまいます。今、我々が土台を築いて、何をしようとするのか。それを守護しようとするのです。そうするためには、一つにならなければいけないので、一つになるには、完全に一つにならなければなりません。カインを屈服させて、例を挙げれば、骨と肉というような関係で、当たる場合には骨が当たってはいけません。イエス様がこの世に来られて、体を打たれ、みな打たれましたが、骨は打たれませんでした。この骨が打たれたとするならば、みな滅びてしまったというのです。

 我が統一教会が、二十年間、世界的土台をつくるために、あるいは、この世界の宣教部だとか、みな、自分の国を早く復帰して、世界を早く復帰するには、それも団結しなければならないし、その目的は早く団結させなければならない目的だという観が確かに立っていないといけないことをはっきり知ってほしいのです。先生はそう考えているのです。

 これは、韓国を救おうというのではなく、神の国を復帰しようというのです。先生が生まれた国でありますが、私の国ではありません。今まだ闘っているのです。皆さんが、思いもつかない家庭で、一人で今まで闘ってきたのです。皆さんは、蘇生、長成まではいいですが、完成時代は子女の時代に入っているので、父母に侍らなければなりません。父母が苦労しているのに、自己を守護するのは親不孝者です。父母が当たるべきことを、代わりになって、自己が責任を負って出なければ、父母を守護することにはなりません。

 それが同じように、皆さんは統一教会において、個人と家庭に適用されることを忘れてはなりません。カイン家庭はアベル家庭のためにあるのであり、カイン氏族はアベル氏族のため、カイン民族はアベル民族のために、カイン国家はアベル国家のために立っているのです。

 こう考えてみる時に、初めて守護圏が生まれてくるのです。そのために存在するのですから、難しいことがあれば、自分が全体の責任を負うという時に、そこで安息圏の建国が始まるのです。

 イエス様が死んで、イスラエルの民族が滅びたのは、この思想が反対になっていたからです。イエス様が来てからは、自分たちのために尽くしてくれると思ったのです。自分たちは何もしないで。

 例を挙げれば、我が祝福家庭が、自分たちだけ行って暮らすと考えるならば、それは大きな誤算です。それはいけません。自分たちが祝福を受けたのは、先生の家庭を代表してアベル的立場を相対的に防御するために祝福を受けたのです。ここアメリカにいる家庭はみな、韓国の家庭が何だ、と非難する家庭があってはいけません。韓国にいる家庭と一つになるために、すべて一線に立って活動する責任感をもっていくことによって、その家庭を中心として、一つになっていると同じように、一つになれるというのです。ここで一つになって協助しなければならないのに、みな、分かれていて、自分勝手にしていてはいけません。これから、世界的に、約一二〇カ国の家庭たちが一緒に住めるアパートを造って、共同生活する訓練をさせる時が来るかもしれません。そういう生活を考えてみたことがありますか。

 これから、我々祝福家庭は一つになれなければならない。ですから、一九七二年度は、「統一戦線守護」というこの標語を立てたということは、我が教会の歴史的時点であるというのです。皆さんがもし、先生が家を建てるというのなら、皆さんがここで一番立派な家を建てて住んでいるその家よりも、もっと立派に建てなければなりません。それは、先生の手で造るべきか、皆さんの手で造るべきか?今、韓国では、先生の家を造ろうとして、幹部たちが募金をしています。その計画を、いくらで造るべきか、それを知って、みな基金を約束したのです。

 今、韓国では、家も建てなければならないし、教会も建てなければならない。これから世界的修練所も建てなければならない。すべての広大な計画をもって、その韓国でしなければならない計画も必要でありますが、韓国でなさなければならない計画を、アメリカにもってきてしたいという考えを先生はもっています。

 先生は神学校も設立しようとしていますが、それはアジアだけでするばかりでなく、我々が万物を送らなければならないと考える人があるならば、貧乏にならない。そうする自信がありますか?そういうことがあれば、団結して、その幾倍を我々の手でしなければならない覚悟をもたなければなりません。

 復帰はまっすぐでなければなりません。まっすぐ成長することによって、枝もみな、四方に平均して伸びていくのです。これが曲がってしまえば、みなゆがんでしまいます。ですから、これがいかにまっすぐ伸びていくかを考えなければなりません。

 先生はこれを心配しているのです。いくら葉が多くあっても、枝が曲がってしまえばいけません。枝はまっすぐに伸びないと使い道がありません。しかし、私が心配しないのは、これを標準として、伝統的なこの基準を間違いない方向性をもって発展させる内容をもっているからです。もう結論を下しましょう。

 「統一戦線守護」ということは、内部が安定する内容を外部にいる人がみな責任をもってなすときに、内部は安全でありますから守護になるのです。ですから、全国にいる食口たちが中心のためにお互いが一つになって動かなければなりません。こういうふうにして、個人的世界的であり、氏族的世界的であり、民族的世界的であるこの圏がどんどん広くなれば、天国は成就されるのです。ですから、統一戦線を守護する原則的この思想的基盤、あるいは生活的基盤、活動的基盤ができないと、このような理想天国は不可能でありますから、七二年度から皆さんがそういう使命をしなければならないと考えたので、「統一戦線守護」という標語を定めたのであります。














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