御旨と世界
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愛の相続

1978年9月21日 埼玉 神川村


◆恐ろしい祝福

 今までの神の歴史を考えてみた場合、六〇〇〇年どころでない、何千年、何万年、何千万年が、アダム一人を復帰するためにかかってきました。そのために、歴史過程で犠牲になった個人、あるいは家庭、氏族、国家は数えきれない恐ろしいほどの数になります。堕落前のアダムの基準を復帰する、たったそれだけのためにです。そのようにして来られた方が、メシヤであり、またそれがメシヤ思想です。

 それでは、そのようにして来られたメシヤの使命とは何でしょうか?それは、本来の原理原則に通じる男性をつくることです。そのようにアダムをつくってからエバをつくるのです。アダムによってエバは再創造されるということです。ですからアダムが復帰され、エバが復帰され共に神の前に立ってすべての蕩減条件を越えて祝福されるということは、実に恐ろしいことです。歴史の中に消えていった数億万の犠牲者が、私たちに讒訴の目を向けているということです。自分たちがあのような立場に立ったなら、そんなふうにはやらない、ああすべきなのにというようにです。それなのに、何ということです。日本が罰せられるし、世界が罰せられます。それは一個人の問題ではなく、宇宙的問題を抱えているのです。

 あなたたちはここに来て、祝福される何の条件があるのですか!二年もたたない、三年もたたなくて、神の目から見たら泥水の中のうじ虫のような存在なのです。前後関係はどうか、背後関係はどうかと何の原理原則も知らないで、何ということです。女性を無視することは、お母さんを無視することです。お母さんを無視することは、お父さんを無視することで、天を無視することです。そのような連体関係をもっているということを考えられないあのような者は、生きる価値がありません。そういう者は、善なる先祖が七十代も引っかかります。霊界に行った場合、地獄どころではありません。統一教会は、地獄をも復帰しようとしているのですが、このように完成基準に、親の心情圏を蹂躙する者は救う道がありません。救う道があるとすれば、それは神の理想を果たしてからです。愛の心情圏を蹂躙する者は、絶対に許されないし、救われません。今度、第三次七年路程を終えた場合には、再祝福は絶対にありません。二人が別れた場合のその罰は、二人とも地獄に行ってしまったほうがかえって簡単です。

 だからイスラエルの歴史が、そうなっています。姦淫の罪を犯した者は、石で殺してしまうというのが聖書の教えです。天が祝福した者が、自分勝手に再び結婚してこの地上にその血統が残るということは、先生が非常に苦悩する重大な問題です。エデンの園にそういう者が存在すべきでしょうか?

 理想天国建設から見て、そういう者は許されるべきでしょうか?そういう原則はありません。結婚して旦那さんを不信したり、妻を不信したりするようになれば、それは宇宙に顔を向けることができません。心情圏を全面的に犯した者です。そのような者は、行く所がありません。
 

◆愛の相続
 男性にとって妻は、お母さんの分身であり、結集体です。お姉さんの結集体であり、妹の結集体です。そして宇宙の女性の結集体であり、代表した存在です。そのような内容をもっている妻を愛するということは、すべての人類を愛したという結果になりますし、すべての女性を愛した立場に立ち、自分の家のお母さんとお姉さんと妹を愛したことになります。ですから家庭とは、人類愛を教育する代表的修練所です。代表的心情の中心を立たせる場です。だからそこにおいて信頼され、幸福を得る生活を営むということは、全天宙の中心として幸福な生活をし、幸福な愛の中心に据えることを意味します。それが理想圏の始まりです。愛なくしては何もありません。何にもなりません。同じように女性にとっても、旦那さんはお父さんの分身であり、お兄さんの結集体であり、弟の結集体です。これが私たちの家庭の理想です。

 それで、父母が結婚を願うのは、自分たちの愛のすべてを相続し、伝授したいからです。親は死んでいくのですから、後孫にその実体を残していくのです。だから自分の後孫が必要です。愛は、永遠に続くべきです。愛は、人間の最高の願いだから万民がもろ手を挙げて相続したがるのです。それを残していくのですから、霊界でも、「自分たちはこういう素晴らしいものを残してきました」と、堂々と神の前に出ることができます。それを果たし得る所が家庭です。ですから家庭を通して天国に通じるということは、その愛の一体圏においてということです。それをなし得ない立場においては、絶対不可能です。

 人間は、自分が願って生まれてきたのではありません。それは、何によってでしょうか。お父さん、お母さんの願いによってでしょうか? そうではありません。天の願いによって生まれてきたのです。天の身代わりの父母の愛を通して、新しい生命体として生まれてきたのが自分です。そして愛は、全体を創造する力をもっているので、宇宙の愛のすべてを受けて、全天宙の中心的な立場に立つ存在として生まれてきた自分です。そのような素晴らしい内容をもって生まれてきたのです。愛によって生まれ、愛によって育てられ、愛によって生き、愛してまた愛を残していく、それが人生の最高の目的です。天宙あるいは世界を制覇することが問題ではありません。自分の家庭において天宙の中心たる愛の使命を果たすことが、もっと素晴らしいことです。

 このように夜が遅くなったのですから、適当にやってしまえば良いのですが、そうはいきません。仕事は、始まりよりも終わりの時のほうが貴重です。愛の世界も、そのように考えるのです。神もアダムとエバを創造した時よりも、そののちにもっと貴いものがくるようにしました。それが、創造目的です。愛を中心としての四位基台の完成ということです。
 

◆先生の苦悩

 人との付き合いもそのように考えるのです。男女が付き合って、最初気持ちが悪いということは先生も分かります。しかし、それ以上に信念を高めて、将来を見つめていくところは、理想が育つのです。そのような祝福です。それなのに何ですか! あのような者はどこに行っても通じません。あなたたちは、感謝しないからです。サタンは、祝福の基台を崩そうとして、先生に生涯かけても戦いを挑んできます。そのような無責任な者が、天に責任をもつようなことはできません。自分の奥さんから信じられない男が、世の中で信じられるということはありません。

 天の原理原則を中心にこの世と対決した場合、固くて強いものが残るのです。そのような戦いの真っ最中なのに、何ですあなたたち! 先生があのような者を見たということ自体があなたたち全体の恥です。あなたたちは原理を知らないのですか。先生も原理を知らなければ、とんでもないことになってしまいます。人間の誘惑ばかりではありません。サタンの誘惑、試験がいくらでもあります。六〇〇〇年の間、神に対して讒訴し続けてきたサタンとは、有能な力をもっています。大概の者はみんなやられてしまいます。先生が今ここまできたのは、原理原則、天の鉄則がどうなっているのか、はっきり知っていたからです。ですからそのような誘惑に巻き込まれません。あなたたちは、それを誇りにしなければなりません。

 あなたたちの中で、祝福されてから、どこかにいい女、男がいるといって子供を残した場合、これは許されません。その子供まで消えていくでしょう。この問題を将来どうしていこうかと、先生は今、非常に苦悩しています。先生は万民を救うために来たのです。原則を中心として、これをいかに処理していくかが実に重大な問題です。それができない場合は、目をつむって行かなければなりません。

 男女の貴重な愛を、神の心情を破壊するそのようなところで使うものではありません。これは悲惨なものです。原理からいってどうなるか、先生はよく知っています。しかし先生は、それは教えません。もう議論の余地がありません。遊び半分ではありません。そんなことだったらやる必要がありません。


◆中心は家庭

 先生はもう六十近くで、地上にいる時が長くはありません。このように考えた場合、世界に、万民に通じる伝統を立てなければなりません。そのように伝統を築いて、韓国に帰る途中なのです。

 それなのに何です。こういうことで。本当に恥ずかしいことです。ですから一八〇〇双の中でそのような者が出そうだったら、一八〇〇双すべてが一心一体となって防備作戦をとりなさい。これは一八〇〇双すべての汚点ですよ。真剣ですよ。

 この問題を中心として、神様は今まで苦労してきたのです。イスラエル民族を滅ぼしたのもその問題のゆえです。統一教会を生かすために神は苦労してきました。統一教会を生かすというその最も中心は、家庭を生かすということです。神から見た祝福家庭とはそういうものです。家庭部長もそのことをよく理解して、しっかり教育しなければなりません。先生は命懸けです。滅亡のどん底に落ち込んでいく人類のために、新しい道を切り開いて、一人ずつ修理して生かすのです。これが神の摂理です。これは家庭の修理工場であり、愛の修理工場です。

 本当ならば、あなたたちの中で恋愛したことのある者は、家庭を完成することができません。恋人を慕ってその手で手紙を書いたそのこと自体が、恥ずかしいことです。原理的観点から見たらそうです。それにもかかわらず、日本はもうでたらめでしょう。若者は、動物のようにみんな乱れています。そういう者を祝福するのです。だから悔い改めずに、そのまま統一教会の祝福を受けられると考えたら大間違いです。先生の使命は、純粋なる童貞と処女を神のみ前に復帰することです。今回は特赦です。先生は以前、第三次七年路程を終えないと祝福がないと、みんなに宣布したのですから。

 ですから、そのような倫理問題を解決しなければ、統一教会が地上に生まれてきた使命を果たせないことになっています。乱れきった世界を、きれいな世界にしなければならないのが、先生と統一勇士の使命です。このような使命をもっているにもかかわらず、あのような者がいるとはどういうことですか。「再び祝福してください。頼みます」と言える資格は全くないのです。そのような使命を考えたこともありませんでした。今は復帰路程があるから、第三次七年路程まで世界的限界が終わらないから、それを引きずりながら処理しなければならない先生です。第三次七年路程以降はそれはありません。

 一九六〇年以降、歴史がこのように変わっていったのは、統一教会を中心としての神の摂理があるからなのです。なぜこのような大転換期に入ったのか、現代の歴史家は分かりません。それは小数の統一教会のゆえです。ですからあなたたちの祝福とは、模範を示すためである、ということを忘れないでおきなさい。
 

◆永遠の因縁

 先生は愚かな者ではありません。先祖に対しても、現実の社会に対しても、後世にとっても良いということをよく分かっているのです。ここで祝福されて、自分たちでお互いに努力していけば、必ず良い方向に行くと理論的に分かりきった上でやっているのです。それを理解して理論的基盤の上に実行して、その実行基台の上に結果が理論原則に一致したかどうか検討するのはあなたたちの使命です。

 万民は兄弟です。もしも、自分の兄弟の中に不具者がいたら、それを心情で犠牲になるのが兄弟愛です。父母がそのようになっているのですから、父母に従って犠牲になるのが孝行の道です。それは原則です。先生もそうです。このような時でも、人並みに素晴らしい顔もしていないし、背も低い者がいた場合、父母の立場に立てば、その子が何とも言えずにかわいいのです。天の心情に立って誰よりも十分にその子を愛していく、それが親の心です。

 先生が、永遠に責任をもつのです。一生だけではありません。祝福された者が霊界に行っても、先生が主管し、指導し責任を負います。祝福とはそのように永遠に先生と因縁を結んでいくということです。
 

◆未来を見つめて

 先生は、韓国へ行けば韓国の先生です。日本の帝政時代に相当に拷問されたこともあります。そのことを思うと、日本が滅びる道があれば、それを考えてもおかしくない過去の歴史をもっているのですが、先生はそうではありません。第二次大戦で日本が負けた時、先生を拷問した人たちをみな夜中に呼び出して、「あなたたち、韓国にいたら危ないから逃げなさい」と荷物を積んで送り出した先生です。先生はその時、今までの日本は敵国であったが、将来はそうではない、神のみ旨によって、兄弟になるであろう未来を思いつつ、現実の許し難い日本を許そうと思ったのです。その時の日本は韓国を迫害したけれども、未来の日本は韓国と共に神のみ旨に生きるであろうという願いをもちつつきたのです。今、日本人が命懸けで慕いつつ、ついてくる背後には、先生がこのように歴史的な条件を立ててきているからです。

 学生時代もそうです。川崎の造船所から山谷周辺の貧民街まで、先生の行かなかった所がないくらいです。先生は、日本を知り尽くしています。共産党は日本を破壊してしまうようなことをしますが、先生は日本の未来のためを思ってすべてに対しています。すべてを見ても将来性がありません。なぜなら、それを受け継ぐ青年がいません。今、日本は、小学校、中学校、高校でも国旗に敬礼することを拒む者さえいるのでしょう。日本を憂える者があるとすれば、経済問題が問題ではなく、政治問題が問題ではなく、それらを受け継がせる青年層がどこにいるかということです。これは、重大な国家的問題です。先生は、数十年前からそのように見てきました。それらを受け継ぐだけでなく、世界に向けてより発展させるような青年をと、決意しています。そのような青年は、統一教会以外におりません。すべての面から見ても素晴らしい内容をもっています。歴史、伝統から見ても恥ずかしくありません。統一教会は、素晴らしさをもっているのです。個人完成、家庭完成、氏族完成、国家完成、世界完成、天宙完成、神の解放まで、神の愛の理想圏まで理論的に公式化されているのです。それは死んでも行かなければなりません。
 

◆強靭な精神力

 韓国において、今から三十年前には、統一教会の文先生は、人のようには思われていませんでした。「人間ではない」と。それこそ悲惨に扱われてきました。今の先生と、その時の先生にそんなに違いはありませんでした。かえって、その時の先生のほうが素晴らしいくらいです。今は六十歳近くですが、その時は若く、勇気はあるし、血気も盛んで頼もしい限りでした。そのような先生であったにもかかわらず一番価値のない、どん底に陥っていました。なぜでしょうか?先生には分かります。サタンがいるからそうならざるを得ないのです。

 サタン圏とカイン圏というのは、アベル圏を全面的に死ぬまで打たなければ気が済まないのです。それでまた姿を現すのを願わないのです。それがサタンの心情です。それで先生は、そのようなどん底から、一言も言わずに、すべての迫害の道を甘んじて受け入れながら、それを消化して今日まできました。あらゆる迫害を真正面に受けて、それを克服し得る強靭な忍耐心と精神力をもって、ここまで闘ってきました。先生という男は、強靭な精神力をもっているのです。一度決心した場合、命を捧げても進んでいきます。先生は、体を見たらあなたたちと大差ありません。同じような人間です。しかしその思想、精神力、考え方が違うのです。一瞬のうちに決定した思想ばかりでなく、人類共通のものであり、それにプラスして神が摂理を兼ねて決定した、そのような考え方をもっているので強いのです。

 そのように考えると、滅びるのは自分一人ではありません。全人類の将来がなく、天宙復帰の理想が破壊されるし、神自体の存在を汚すような結果になるということをよく知っています。ですから、自分一身にいかなる迫害があったとしても、幾百万の迫害を加えられても、人類のために、あるいは神の名を汚さないように、自分一身に背負って立つというのが先生の思想です。
 

◆命懸け

 ですから、アメリカに向けての出発もそうです。一九七一年十二月十八日に韓国を発つとは誰も知りませんでした。先生は、内心において、神とこのような世界的路程を行くと、プランを組んでいました。

 アメリカでも最初、皆は韓国人がニューヨークに来て講演をするというけれども、西洋を知らない東洋人が成功するはずがないと結論づけていたのです。しかしアメリカでの長い間の闘いに完全に勝利して、イギリスでヨーロッパの基盤をつくってきました。そして、日本を素通りして韓国に帰り、勝利の祝杯をあげるつもりでした。そして韓国で四十日ぐらい休養をとり、それからアメリカに行けば良いのに何でこんなに暑い日本に来たのでしょうか?汗をたくさんかきました。祝福を神のために喜ぶのではなく、自分のために喜ぶという結果になってしまいました。いくら弁解してもそうです。先生はきのう、二十四時間も飛行機に乗って日本に来たのです。そしてここに来て夜通しで(祝福を)やって、実に感謝すべきです。先生は、命懸けでやっているのです。それほど感謝しているかどうか分かりませんね。

 霊界は先生にひざまずいて感謝するでしょう。それも分からないで、ああいうことをするのです。平気なことを考えるし、先生は大変です。そう思うでしょう。
 

◆素晴らしい時代

 男性は、恥ずかしい時はあごに手をやります。女性は「ホホホ」と口をふさぎます。誰が教えたわけでもないのに西洋の女性もそうです。それは女性は口を注意せよということです。家庭に入って問題なのは女性です。五〇〇CCのオートバイのように、女性は口が早いのです。だから女性は口に注意しなさい。男性はどうでしょうか。男性は権威をもたなければなりません。悪い者を立って審判する、そういう権威ある者です。

 祝福の内容を知れば知るほど、みんながあなたたちに感謝するでしょう。そのような、どこにも誇れるような夫婦、立派な家庭をつくってください。でも今日のような、あのような者はまずいです。あなたたちは、あのような者になりやすいでしょう。先生は、たくさん煮え湯を飲まされてきました。人間はちょっと不利になれば逃げていくし、有利になればサーッと顔を出します。それが人間の実相です。あなたたちもそうでしょう。顔にそういうレッテルが貼ってあります。歴史がそうだし、現実もそうです。イエス様の十二弟子まで逃げたのです。十二弟子は、あなたたちよりも素晴らしい者たちです。人間とは弱いものです。

 夫婦の心情基準の高まりと一体基準によって、生まれてくる子供が違ってきます。だから人の親になるということは、たやすいことではありません。また人の妻、人の旦那さんになるということは実に恐ろしいことです。

 闘いの真っ最中から統一教会の祝福の歴史が始まりました。サタン世界は死に物狂いで反対しました。しかし韓国では今、反対した者たちが統一教会のメンバーになっています。韓国では、統一教会といえば「合同結婚式」というようにあだ名がつくようになっています。もう反対する者はいません。日本も今度で三回目です。そのような伝統をつくりましょう。














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