南北統一と世界平和
(全面表示) 戻る INDEXへ
 世界平和と統一に関する文鮮明先生のビジョンと実践 2

第一章 文鮮明先生の平和運動

一 平和運動の真の意味

 私が繰り広げている統一運動の最終目的を、具体的に明らかにしようと思います。神様の真理と愛の理念である「統一思想」をもって、第一に、社会的、世界的なすべての問題を解決し、共産主義をこの地球上から完全に一掃して真なる自由と平和と繁栄の世界を成し遂げようということであり、第二に、新しい価値観、新しい倫理道徳による大家族主義の世界を実現しようということであり、第三に、すべての抑圧と搾取と差別と社会悪が消えた共生・共栄・共義主義の大統一世界を具現しようというのが統一運動の最終目標なのです。

 一言で言うと、真なるユートピアを実現しようということです。そして、このような社会を実現する方法も共産主義式の暴力と闘争の方法ではなく、真理と愛による平和的で理想的な精神運動によるものです。このすべては神様の願いであり、神様が成就しようという最終目的になるのです。(一二九−三三〇、一九八五・一二・一四)

 私は、相撲をしても誰にも負けません。高等学校の時は相撲のチャンピオンでした。幅跳びだとか何の運動でも、できないものがありません。ボクシングまでやったのです。悪い人にガンとぶつかり、ふっと転がせば、転がっていくというのです。そのような訓練までしました。それは、なぜそうしたのでしょうか。けんかをするためではありません。「偉大な革命をしなければならない」、「世の中を一度、正しく天理に符合する平和の世界にしてみよう」という所信をもった以上、体が健康でなければ大きなことはできないのです。(八五−二〇、一九七六・三・二)

 皆さん、先生のことを考えますか。きょう、先生が帰ってきたらいいなと考えますか。東の空を眺めて、自分も知らないうちにそのような心が連結されなければなりません。国境を越えて、距離と時間と空間を超越してそのようになる心が、その心の流れがどれだけ強いでしようか。御飯を食べられず、のどか締め付けられて涙が出る時がいつでもなければならないのです。このように苦労して出会った先生なのに……、それを考えてみましたか。堕落以後、歴史の曲折の中を巡り巡って、国が滅びて世界が滅びる中、千辛万苦の果てにその種を受け継いで、このように探し出して出会った先生なのに……、そのように考えてみましたか。そのような心が募らなければならないというのです。そのようになってこそ、その家に平和が来るのです。子供たちも健康に育ち、すべてのことが平穏だというのです。先生だけを考えていれば、皆さんは福を受けるというのです。それは私の言葉ではありません。天理、道理がそうだというのです。良い服を着て出ていく時は、御父母様を考え、天を考えて……。それが天理です。天理は天の道理です。それは誰かが教えてくれたのでそうなのですか。自然にそのようになるというのです。そのようになることのできる心の因縁が……。皆さんが先生に対してそのようにできるようになった動機というのは、皆さん自身がつくったものではなく、先生がつくったものです。分かりますか。(八一−三二六、一九七五・一二・二九)

 私は、直接的な生活経験を通して、神様は真なる方であられ、人生で最も重要なものは真なる愛であることを確信するようになりました。人類の進歩は、人類が神様をあがめ、愛を最も大切なものと考える時に可能なのです。はっきりと申し上げて、現在、共産主義や自由世界はみな平和な二十一世紀に人類を導くことができる準備ができていません。

 一九九〇年代が始まるにおいて至急に必要なものは、自由世界と共産世界の価値観の崩壊によって発生した真空状態を埋めることができる真なる価値観です。この新しい価値観は、神様を中心とする世界観である「神主義」を基礎としなければなりません。全生涯を通して私は、この神様を中心とした世界観に対する理解の幅を広げるために、すべての宗教宗派の人々と共に努力してきました。このような方法で、絶対的な価値観の探求と真なる平和の樹立を目標とする広い基盤をもつ、多くの学術団体および宗教団体を創設することができました。私はまた芸術機関、教育機関と言論機関も設立しました。全世界的な私たちの財団は、皆さんのように真なる世界平和を成そうと努力する人々を助ける準備がいつもできています。真なる世界平和は、万人が共有できる明確な価値観がなくては成し遂げられません。価値観が明確な時、人類はこれ以上暗黒の中にとどまらなくなるのです。(一九八−一六八、一九九〇・二・二)

 皆さん! 私は多くのことをしました。多くのお金も投資しました。しかし、私はお金を稼ぐために投資したのではありません。私は名誉のために働いたのでもありません。私は、ただ神様を悲しみと苦痛から解放してさしあげるために、真なる人類の平和のために血と汗と涙を流してきました。人間が個人的にも、家庭的にも、国家的にも、世界的にも、まず神様を悲しみと苦痛から解放してさしあげて、喜ぱせてさしあげなければ、人類の真の平和はあり得ません。私は、これを徹底して悟り、自ら実践してきました。(一九八−一六二、一九九〇・二三)

 平和は、何もしなくて来る、というものではありません。自分中心の「私のために」という思想を全滅させ、撃破しなければ来ないのです。この思想運動を世界的に行っている人が文総裁であることを知り、これだけが真理だということを知らなければなりません。(一九七−二七二、一九九〇・一・一九)

 私が全生涯にわたって傾けた努力の目的は、全地上に、固く真正な平和が定着された環境をつくることでした。このような事業をしてきながら、私は寂しくありませんでした。すべての人々が平和を追求しているからです。そのために私たちは、このような質問を投げ掛けることができます。「何のゆえに平和はいまだに来ていないのか」。平和を叫ぶことは簡単です。しかし、平和の達成は本当に難しいのです。

 私の考えでは、もし私たちがいまだ平和を成すことができていないのなら、それは人々が平和の最も重要な側面を忘れていたからです。民族間の平和に対して語る前に、まず私たちは、神様との平和に対して語らなければなりません。人間は、地上で生活する間に神様のような人格体として発展するよう創造されました。したがって、究極的にこのような目的を達成しなければ、神様と他の人々とも平和に過ごすことはできません。

 人々は、自分の利己主義によって個人的な発展はもちろん、他の人々の発展も民族の発展も妨害しています。人間の心の中にある利己主義と欲望が平和へと進んでいく道に大きな障害物となっています。個人的な欲望は、民族的な欲望の道を開きます。これは、民族と人々の間に分裂と紛争を引き起こさせます。そして、流血と、何の意味もない人間の苦痛だけを呼び起こします。数百万の人々が悲劇的に死んでいきます。

 したがって、私たちの世界は、何よりも精神的な革命を必要としています。精神的な革命が実現された時、初めて私たちは経済・社会問題を解決することができます。各個人、各民族が友好的な協力の重要性を認定するならば、その時こそ人々は、全世界の平和問題を含めて、私たちが語った現代世界の重要な問題に接近することができます。

 平和の達成、これは全生涯の希望です。御存じかもしれませんが、一九八一年、ソウルで第十回「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)が開かれました。百カ国以上の国家の著名な学者たちが集まった会議でした。私はその会談で、国際平和高速道路建設案を発表しました。この巨大な計画が実行されれば、東京からロンドンまで自動車で行くことができるのです。

 また現在、私は中華人民共和国の輸出能力を増大させるために、南部中国に自動車都市の建設を援助しています。中国大陸のために輸出用自動車を生産するよう援助することは、興味津々な挑戦です。このことは、遠くない未来に成し遂げられるでしょう。中国の現代化は、十億以上の人々の福祉を保障するでしょう。これは、全世界の未来の平和のためにも重要な意味をもちます。

 私は、早くから天の召命を受け、神様のみ旨を地上に実現させるために生涯を捧げてきました。韓民族が神様の摂理の中心民族であることをよく知っている私は、歴史を通した民族の受難の意味を他人とは違う解釈をし、分断韓国を統一祖国に転換させることが、すなわち平和世界の実現と直結されることと確信しています。(一九三一三一七、一九八九・一〇・一二)

 監獄において救世主になれない人が平和時代に「救世主だ」と言うならば、彼は偽者の救世主です。監獄で平和の救世主の権威をもつことによって、平和世界では救世主になるのではなく、君主になるのです。王権を中心として万国を指揮できる永遠の場になるのだと見るのです。「獄中の聖者」といって、興南監獄にいた人が私に対して書いた本があるのを私は知っているのです。監獄は、私にとって恐ろしい所にはなり得ません。むちがどんなに恐ろしく、その環境がどんなに厳しくても、その愛を欽慕する心を占領できませんでした。神様を呼んで、父を呼んで、神様に向かう心を折ることができませんでした。その力とその愛の欽慕に折られてしまいました。その力を中心として私は、縦的な段階を解放できる場を強固に築いたのです。個人、家庭、氏族、国家、世界的基準まですべて築いて上りました。(一八四−二八一、一九八九・一・一)

 いつも気分の良い男性の姿をして難しい蕩減の峠を平然と越え、神様を慰労して峠を越えなければ平和の地上天国はできません。その代表者、公的な人は寂しい人です。誰か一人が立ち上がり、「文先生はこのような仕事をされて……」と一言言う時、先生は痛哭する心情をもっています。年を取って涙がすべて渇いた七十歳近いおじいさんになっているのに、誰もその悲しみの涙が流れるのを止められない寂しさをもっています。そのような父母がいる、ということを忘れてはいけません。(一八三−八六、一九八八・一〇・二九)

 共産党や民主世界、左右が今、すべて崩れるのです。先生が東西文化の格差、南北の貧富の格差をなくして一つにするのです。西洋人と東洋人を一つにするのです。南北の黒人と白人たちの格差をなくするのです。隔離された東西南北の人間たちが、初めて愛を中心として、神様の家庭を中心として平和を謳歌しなければならず、神様の宗族を中心として平和を謳歌することができる地球星の人類にならなければならないというのです。その次には、神様の愛を中心とする神様の民族を中心として幸福を謳歌しなければなりません。神様の国家を中心として幸福を謳歌しなければなりません。(一七七−六〇、一九八八・五・十七)

 私には、お金は必要ありません。名誉も必要ありません。ただ神様を解放し、人類を解放して、サタンまでも解放して、永遠の平和と愛の基地をつくることが新しい祖国を求めていく希望峰なのです。皆さんはそれを知って、行く道をどのような険山峻嶺にふさがれたとしても、朝を忘れ、昼を忘れて、夕を忘れ、昼と夜を忘れながらもその道を行こうと身もだえしなければなりません。そのような生涯が長ければ長いほど、天の怨恨を越えた神様の理想的愛が皆さんと共に、皆さんの家庭と共に、皆さんの一族と共に、皆さんの国と共にあることが天理原則であることを知って、そのように生きてくださることをお願いします。(一七四−五三、一九八八・二三)

 私には怨讐がありません。すべて忘れました。ですから、私は自叙伝を書けない人です。すべてのことを、涙なくしては事実どおりに書けません。平和の旗をもって幸福を謳歌し得る自由と理想的な世界を出発させなければならない私であり、祖国光復という新しい祖国を願う私なので、その自叙伝をつかんで痛哭し、歴史を後悔する民族を残したくありません。私はすべて忘れました。(一七四−四七、一九八八・二・二三)

 真の愛の主人であられる神様を中心として、真の国を代表できる愛の代表者として、民族を率いて家庭を率いて個人を代表して、億万サタンが「そうではない」と言う環境で、「そうだ」と言うことができる材料をもって押して越えてきたのです。それで悪なる怨讐もひざまずかせ、こうしてみると、反対していた怨讐も「それが正しい」と言うのです。怨讐が証し人となって神様と万民の前に証できる平和の基地をこの地の上に着陸させずには、平和的家庭の場ができないのです。また氏族と民族の基礎ができず、人類が願った統一的一国の基地が地上に着陸できないという事実を知っているので、それのために今まで闘争してきたのです。(一七四−四四、一九八八・二・二三)

 今まで近世史において五十年歴史、二十世紀の末期である二〇〇〇年を前にして、世界の問題を扱った人は私しかいません。昨年だけを見ても、キング牧師三十年記念祭をする時、平和の先駆者として死んだので、三十年後に世界平和のために演説できる主賓を招待しなければならないというのですが、集まった人が会議の終わりに、すべて文総裁を推薦したのです。世界平和のために世界歴史の先頭旗手になった人は文総裁だ、というのです。文総裁に侍って、マーティン・ルーサー・キングの没後三十周年に、二十五万人の白人と二十五万人の有色人種を合わせて五十万人が集まる大会に、メーン・スピーカーとして私を招待したのです。(二七三−五五、一九九五・一〇・二二)

 統一教会の文総裁は今、何を主張し、何をもってきたのでしょうか。平和の代表者として来たのです。「世界平和宗教連合」、「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和言論人協会」、「世界平和教授アカデミー」など、すべて「世界平和」が入るのです。

 世界平和の代表が誰かというと、文総裁以外にはいません。今は、世界がそう思っています。「平和問題は文総裁の所に行って尋ねてみなさい」、「絶対的価値問題は文総裁の所に行って尋ねてみなさい」というのです。終わりの日において平和を主張した代表も私で、価値観において世界の絶対価値を叫ぶ人も私だというのです。「ICUS」(科学の統一に関する国際会議)で数十年の間、学者世界を主導し、数十冊の関連書籍を広げてきたので研究せざるを得ないというのです。

 私は、日本が韓半島を占領していた一九三〇年代中盤、私の年が十六歳(数え)の時、天からイエス・キリストを通して宗教的召命を受けて以来、今年七十三歳になるまで、二瞬も天のみ旨、すなわち天命を忘れて生きたことかありません。

 不幸なことが重なり、韓半島は第二次世界大戦が終わった直後、南北に分断され、六・二五動乱が勃発して、殺し殺される同族相争う戦争に、全世界が左右に分かれて参戦して闘う悲劇を経たのです。私は、このような悲劇的な歴史の現状を直接目撃しながら、平和世界の消失による神様と人類の苦痛と悲しみを骨の中深く体恤せざるを得ませんでした。

 私が生涯にわたって六回も投獄された事実を想起してみてください。その非難と迫害の度がどうだったのか、見当してみても余りがあるのです。(二三四−二四七、一九九二・八・二四)

 今日、私たちの南北統一を神様はどのようにされるのでしょうか。氏族とキリスト教文化を通して、キリスト教徒たちが環境を受け入れることができる受容体制を成せるようにしなければなりません。そのようにするためには、方向が千種類、万種類混乱したこの環境で、心の世界を代表する全体の宗教世界を、世界平和という表題のもとで一つに結んでおいて、平和の世界に行かなければなりません。体の世界を代表する──すべて宗教の怨讐です──このような世界をすべて結んでおいて、国境を超越していくのに、これが連合体制なのです。統一体制に行ける「世界平和連合」創設というものが、ただ座っていて夢見ればできると思いますか。違います。天をおいて痛哭すれば、皆さんが絶え間なく痛哭し得る悲しみを抱いて生きるのです。

 宗教界が一つになり、政治界が一つになっても、平和の方向は二つを通してはできません。連合という一つの方向を通してこそできるので、そのような環境を整えたこの舞台を直視しながら、この韓民族を脱落者にさせるのでしょうか、利用物にするのでしょうか。私はそのようにしたくありません。歴史的な倍達(注:朝鮮の上古時代の名称)の血をもって生まれた彼らを精いっぱい育て、教えてあげるのです。こうしても駄目ならば、日本が代身者になるのです。日本の「世界平和教授アカデミー」は韓国のと比べるどころではありません。「アジア女性連合」の発足は既に五年前です。朝野が驚くことをしているのです。

 技術平準化のために、私たちがドイツにある世界最高の工場を四つも買い取りました。また日本の電子業界で、最高の権威を占領したのが私です。それできょうも、その分野のドイツ代表を呼んですべて訓示して、このような準備をさせてきました。その次に、日本を連結させて平和の世界に行くことができる産業分野として引っ張って入ろうというのです。しかし、それは一朝一夕にできるものではありません。(二二一−一九六、一九九一・一〇・二四)

 今、レバレンド・ムーーンという人が、問題の人として登場しているというのです。共産主義の滅亡を私が過去に預言してきました。世界の人々が私に期待して注目できる、このような時代が来たのです。さらに今回、韓国において「ICUS」(科学の統一に関する国際会議)大会をして科学者たちを集めて、宗教人たちを集めて、政治的な指導者たちを集めて、平和の世界に向かって一つの方向に結んだという事実が、新しい一つの起点になったと見るのです。(二一九−二二四、一九九一・九・八)

 人間世界を超越した神様によって、未来の世界を収拾できる中心として韓国を準備してきたのだ、と私は見ているのです。このような観点で私は、歴史時代を経てきながら、これからアジアの展望がどのようになり、これを世界にどのように連結させて一つの神様のみ旨を中心として終局的な平和の世界、統一的理想世界を建設するのかという問題を、生涯をかけて探究してきたのです。また、これを実践するのに、国家を超えて超国家的な核心肺を多方面に連結させ、同化させて結成するのに今まで努力してきたので、太平洋を渡ってすべての自由世界を指導するアメリカも、今になってはレバレンド・ムーンという人を無視できない段階に入っています。ソ連もそうですし、中国も同じです。(二二二−一二六、一九九一・一〇・二八)

 誰かが世界平和のために自分自身を投入して犠牲になった、という材料が必要なのです。教材が必要だというのです。何をもって教育するのでしょうか。私たちのような人はそれを知っているので宗教指導者になったのですから、世界的な悪口を言われながらも、このように基盤を築いてきたのです。今、それが世界的に必要な実績になったのです。実績になったという時は、世界的に反対していたその人たちが私の前にひざまずくということです。そうでなくしては平和の基地に着地できないので、このようなことをしているのです。(二一二−三二七、一九九一・一・一一)

 アメリカの全般的な摂理史を中心とした観、ここには政治、経済、文化など、すべての面が入ります。また、ソ連ならばソ連を中心としても、これから摂理観を中心とする平和の世界に行くための一元化された統一的な内容を形成するために、共産主義という問題を根本的に崩さなければなりません。その思想体系をもっているので、それを根本的に崩して、そこに対置克服できる内容を、思想体系を通して提示しなければ、将来共産主義が倒れても他に希望がないのです。倒れればそれで終わるのです。

 アメリカのキリスト教ならば、キリスト教全体が神様の摂理に対することを知りません。また宗教の教団がたくさんありますが、それらが神様の全体的み旨を中心として、宗教が行くべき摂理観を知りません。それならば、このような全面的な摂理観的な立場から見ると、今後のアメリカの方向性がないというのです。さらにソ連は、無神論的立場に立っているがゆえに、神様を否定する立場なので、摂理の内容が適用できる立場ではありませんが、摂理観の立場に立っているアメリカ自体が、そのような方向性、今後の平和世界、二十一世紀に越えていけるこのような代案的方向性がないというのです。その方向性、摂理観を知っている私たちが提示してあげなければなりません。(二一四−三三、一九九一・二・二)

 レバレンド・ムーンは今まで、問題の人物でした。世の中の反対が終わった次には、どうなるのでしょうか。レバレンド・ムーンは平和の建設者だ、このようになるのです。そうでしょう?そうしてこそ理論的に合うのです。では、なぜ今まで世の中が反対したのでしょうか。レバレンド・ムーンを知らなかったからです。なぜ今は反対しないのでしょうか。世界のどこでも、レバレンド・ムーンが必要だということを知っているので静かなのです。

 今まで世の中の人々は、レバレンド・ムーンに反対しながらも、私が内的に何をしているのか知りませんでした。また、今からは平和時代に向かって進むのに、どのように平和を建設していくのか知らないでついてくるのです。それは不思議でしょう? アメリカの若者たちは、複雑で深い内容を知りたがりません。それが欠点です。そのように知らない中で、レバレンド・ムーンが平和の建設者になったというのです。宗教世界で自分たちがどれだけ争ったでしょうか。その争うのを一つになるようにしてきたので、これから宗教世界のすべての指導者たちは、レバレンド・ムーンのような人々にならなければならない、という結論を下す段階に既に入ってきたことを知らなければなりません。(二〇三−五三、一九九〇・六・一四)

 体と心が分かれるのが怨讐の出発なので、体と心を一つにし、家庭の左右である夫と妻を一つにし、父、母、孫、三代を一つにして、家庭を平和の基地、家庭天国をつくるということに文総裁の偉大さがあるというのです。何を中心としてですか。真の愛の核です。ここで球形を中心として相手方に行こうとするなら、この核心を通さなければなりません。これを通さなければ相対圏がありません。愛は相対圏で成されるので、真の愛の核がこれです。老若男女を問わず、愛をみな望むでしょう? 何の愛ですか。「ため」に生きる愛です! 「ために生きなさい」と言う愛ではありません。「ため」に生きる愛を望むのです。(二一一−二〇六、一九九〇・一二・三〇)


二 平和の旗手真の父母とメシヤ、聖人たちの使命

 第二次大戦以後、世界は変わってきています。国連が出てきて世界が変わってきています。第一次大戦後には戦勝国家が敗戦国家を思いどおりに虐待して思いどおりに支配しましたが、第二次大戦後はそうではありません。第二次大戦以後には戦勝国家が敗戦国を解放してあげました。それは、父母が来る時になったからです。国連国家は、すべて兄弟です。大きい国、小さい国を問わず、みな兄弟です。ですから、国連を中心として、すべてが一対一の権威をもって同等に、一つの家の兄弟のような立場にならなければなりません。そこに平和の旗手として誰が来なければならないのでしょうか。父母が来なければなりません。真の父母が来なければなりません。(二三−一六二、一九六九・五・一八)

 皆さんがどんなにけんかをしても、「神様のみ旨」、「真の父母のみ旨」と言うとき、そこでは一つにならなければならないというのです。また、自分がどんなに世界を動かす主権者だとしても、「神様のみ旨がこうで、父母のみ旨がこうではないか」ということを真なる意味で秩序整然と、強制ではなく自然な体系と論理的な形態で展開して語るとき、その前には悠久無言とならざるを得ません。このような基準を離れては、その内容に符合できる何の価値も発見できません。そして、そのような価値を発見できない基準が続く限り、人類世界に真の父母を中心とする永遠の平和の起源と統一の起源は成されない、ということをはっきりと知らなければなりません。(二五−六一、一九六九・九・二八)

 現情勢を見てみるとき、来られる主は、国境がない国をつくり、人種問題を超越して世界を一つにつくらなければなりません。分裂した家庭をすべて統一しなければならず、善悪が闘うこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。それならば、主が来られて誰を立ててこのことをさせるのか、という問題を私たちは考えざるを得ません。(五三−七一、一九七二・二・九)

 皆さん、これから来られる真なる父母に国家と民族を超越して侍り、彼と共に一つの世界を成してこそ、神様が願う一つの世界宗教の形態を成して平和の世界を成すことができるのです。(五三−二三四、一九六九・九・二八)

 主が来られる目的は、世界に平和の王国と地上天国を建設することなのです。争っている所には来られないというのです。(五四−一二一、一九七二・三・二一)

 聖人は、世界主義者です。聖賢の道理は、国家を超えるところから出発するのです。そして、その時が来てこそ、聖賢の道理を中心とする世界国家形成の時代が来るのです。その世界国家形成時代がいつかというと、主が来て悪なる世界を審判して、世界が統一されて、平和の世界に入る時をいうのです。(五六−一七九、一九七二・五・一四)

 人情というものは国を越えられないのです。今まで堕落圏内の人情というものは国を越えられませんでした。大韓民国の民は、大韓民国を越えられませんでした。愛国者たちは、国を越えられなかった、そのような偉人たちです。違うというのです。一つの国の愛国者の中には、その愛国者を殺そうとする他の国があります。韓国の李瞬臣将軍は、日本の何ですか。怨讐です。日本は、「こいつ一刺しで、一槍で、最初から首を切って殺せば良かったのに、普通に死んでしまって無念だ」と、こう言うでしょう? それは世界的ではありません。それをもっては、平和の国家基準を超えられません。ですから「統一思想」をもつ人々は、小さいながらも世界主義者なので、世界を復帰してから本格的に私たちのために出発しようというのです。これが統一教会主義です。(五六−九八、一九七二・五・一四)

 絶対者は決して観念的存在ではなく、歴史を通してそれ自体を現してきた実在的存在です。私たちは歴史上に数多くの宗教指導者または聖賢たちが時間や場所を変えて出現したということを知っており、これらは一様に人間の良心と心情に訴えて隣人への愛を実践することを促しました。これらの教えに一つの民族や国家が順応する時、平和と興隆を享受したのであり、そのようにできない時に混乱と衰亡に陥ったりしたのです。(六九−二三八、一九七二・一一・・二六)

 愛国者とは、乱世、患難時代を通して出てくるのです。正常な平和時代には愛国者は出てきません。国家が滅びるか栄えるかという運命にぶつかり、敵国が国をのみ込もうとする時、その敵を討って屈服させる場で、それを退治して勝利の基盤を築いたところで、初めて愛国心が出てくるのです。あるいは奸臣たちが飛び回る環境を清算した、そのような場で愛国者が出てくるようになるのです。困難な時、敵と闘って勝利したその場で、「愛国」という言葉が成立するのです。

 人間が行くべき道とは何でしょうか。この基準を訪ねていかなければならないのが歴史的な基準であり、私たち個人的な希望の基準ではないのかというのです。ですから真なる幸福と真なる平和、真なる理想はどこで探すのでしょうか。それは、「私」だけでは駄目なのです。歴史的な使命をもつメシヤに出会わなければなりません。メシヤと私が関係を結ぶことが理想を解決する焦点になるのです。そういう人がメシヤでしょう?(七九−二四〇、一九七五・八・二四)

 私たち人類が平和と幸福を望むときは、私一人だけでそのようになることを願うのではありません。それは、私の家庭と、私の親戚と、私の上下関係をすべて必要とするからです。メシヤが私たち人類の前に平和をもたらし、幸福をもってこようとするならば、このような内容を一時に提示しなければなりません。そのような内容を提示できなければ、この世界の人々に平和をもたらすことはできない、という結論が出てくるのです。今まで人類歴史過程には理想とする真なる父母や夫婦、兄弟の関係、そのすべてのものが「一つの家庭制度だ」ということが出てこなかったので、これが一時に一つの形態を備えて出てこようとすれば、このような内容が一時に備えられなければならない、という結論が出てくるのです。(七九−二四一、一九七五・八・二四)

 神様が定めなければなりませんが、結局「ああ、民主主義はどうで、共産主義はどうで、平和になったりならなかったり……」と、このように公議の判断をすべき一つの世界史的な預言者が出てこなければなりません。「そうでなければ、世界は滅びる、生きる道がない」という結論を私たちは今、下すことができるということです。ですから預言者が出てこなければならないでしょう? それを皆さんも望みますが、全世界の人もみな望み、神様も望み、霊界の霊人たちもみな望むというのです。(七九−三三七、一九七五・九・二八)

 万民が平和の世界を望んでいます。その世界は今日、世界の先進国家が追求しているそのような文化を通して成されるものではありません。真の父母を通して成されるのです。真の父母がどんなにむしろをかぶって、黄ばんだふろしきを背負い、模様があせて擦り切れた服を着ても、また千丈、万丈のくぽみから疲労困憊しながら出てきても、堕落した人間は、その真の父母を中心に神様の心情を学ばなくてはなりません。(一七−一二九、一九六六・一二一一)

 メシヤを中心とした個人は世界を代表する個人であり、メシヤを中心とする家庭は世界を代表する家庭であり、メシヤを中心とする氏族は世界を代表する氏族であり、メシヤを中心とする民族は世界を代表する民族であり、メシヤを中心とする国家は世界を代表する国家になるでしよう。ですから、そのような個人、家庭、氏族、民族、国家は世界のためのものです。神様は、これを四千年の同計画してイエス様をこの地上に送られたのです。イエス様を送って、イエス様と個人、家庭、氏族、民族、国家、世界が一つになるようにしたのです。人間始祖が堕落したことによってカイン、アベルに分かれたために、それらを復帰しようとするならイエス様と個人、家庭、氏族、民族、国家、世界が一つにならなければならなかったのです。そうでなければ、世界の平和は訪れることができないものだったのです。(五六−九一、一九七二・五・一四)

 四大聖人たちは、天を中心として出発しました。イエス様も、神様を中心として歴史の現実、歴史的未来を追求することにおいて先駆者になろうとしたのです。彼らが努力したそのすべてのことと教えた内容は、自分の願いを開くためではなく、天の願いを開くためだったというのです。天の願いというものは、人類の幸福と平和を現実と未来に永遠に続くようにすることです。そのような理想を主張した人々が聖人であったのです。(一八〇−一〇、一九八八・八・二〇)

 人々は、様々な面で平和と幸福を追求し続けてきましたが、満足できる成果は得られませんでした。

 第一次・第二次大戦が終わり、戦争を阻止するために結成された国際連盟と国連の両機構が展開してきた世界的活動でも、平和の世界は来ませんでした。宗教団体の努力においても、幸福な世界は実現しませんでした。国際共産主義の理想とファシズムの夢でも、理想世界の実現は失敗しました。高度な技術においても、政治的な努力においても、人類に平和と幸福をもたらすことはできませんでした。

 平和と人間の幸福は、人々の道徳性と霊性の開発にかかっています。世界平和や和平した国も、その構成員個々人と家庭によって成されるからです。科学と技術も善なる人々によって応用されるとき、これが人類の生活向上のために価値あるものとして使われるのです。歴史を通しても聖賢たちや大師匠たちが、平和で幸福な世界のために家庭、社会、国家を指導することに彼ら自身を捧げてきました。私たちは二十一世紀に挑戦するため、道徳的に霊的に完璧な指導者をはぐくめる人類の真の父母、真の師匠、真の主人を必要とします。(二七一―七三、一九九五・八・二二)

 新しい世界政治体制を成すのにどのような人々が入らないといけないかというと、政治家ではありません。世界の学者たちと、宗教家だちと、新しい文化創建のためのオピニオン・メーカーになれる指導者たち、核心要員たちが入らなくてはなりません。そのような人々を集め、世界平和のために一つにするようにするのです。このことを誰が一つにするのでしようか。それには、神様の愛と真の父母の愛がなければなりません。(二一四−一二六、一九九一・二・一)


三 家庭と平和

 人間の完成はどこでなされるのでしょうか。家庭の完成を中心として世界の完成圏を連結することができる愛の主体者になることが人間の完成です。人間の完成であると同時に家庭の完成です。そこから家庭の平和の基準が生まれてくるのです。(一四三−三一一、一九八六・三二一)

 今、先進国家の悩みとは何かというと、パンの問題ではありません。家庭を中心とする愛の問題です。これを基本原則に当てはめることができなければ、平和の国と平和の世界は絶対に来ることができないでしょう。言い換えるなら、サタン側に立っていればサタンと一緒に滅びるというのです。このような観点からアメリカ社会の実情を見るとき、問題が大きいと感じずにはいられないというのです。(五三−八五、一九七二・二・一〇)

 男性と女性が愛で回っていくようになると、その家庭は平和の家庭になるというのです。父母と子供の間においても同じです。国も同じです。すべてそのようになるのです。(五八−二四、一九七二・六・一一)

 父が息子、娘に「お母さんよりも私が立派だ」と言ってみてください。問題が複雑だというのです。もちろん、父も立派で母も立派かもしれませんが、父の中には何々博士の父もいるでしょうし、母の中には勉強のできない母もいるでしょう。だからといって、父が何の知識をもって「ああ、私が一番なのに……」と言うのでしょうか。それではいけないのです。家庭が平和で、一つの体制を備えていくためには、愛をもって語らなければなりません。父母の愛をもって語らなければなりません。お金をもって、知識をもって、権力をもっては駄目なのです。二〇六−五八、

 「家和万事成」が金塊をもって成されるでしょうか。金塊を分けずに互いに見ている時には家和万事成になりますが、それを分け合おうという時には争いが起こるのです。愛をもって分けようとする時には、分けるほど万事成が起こるのです。お金をもって分ける時には、分けるほど分裂が起きますが、愛をもって分ければ分けるほど統一が起き、和合が起き、平和が宿るのです。

 一つの家庭をおいても、その家庭が平和な家庭になるためには──食口(家族)全員が自分なりの道を中心に自分自らを主張できる立場にありますが──その家庭全体を中心に十人の食口なら十人の食口、その食口の数に該当する各自の権威を認定して、各自の行路を総合して、家庭という全体の価値を決定できる一つの中心的な位置にいなければならないのです。そのような位置を見つめながら進んでいく家庭ならば、その家庭はその位置を見つめている間は不和な家庭、あるいは不幸な家庭になり得ません。しかし一つの中心点をもち得ず、各自の主張どおり行く家庭になるとき、十人なら十人が互いに衝突するようになるのです。ここで主張するその主張は、ある中心に代わる価値と一致するものではなく、中心に反抗する立場を決定してしまうという事実をおいて見るとき、その主張の結果が全体の前に幸福の要件をもたらすのではなく、不孝と衝突の要件を間違いなくもたらすというのです。このようなものは、私たちの生活周辺を眺めてみるとき、否定できない事実です。(四八−二六七、一九七一・九・二六)

 ある人が社会に進出して成功できず、または社会の一員として堂々とした権威と資格をもっていないとしても、真なる父母、真なる夫婦、真なる子女を中心とした家庭を成して、誰もがその家庭を手本としたいと思うくらいに平和に生きるのならば、その家庭は幸福な家庭だということを否定できません。(二三−一一、一九六九・五・一一)

 皆さんが求めている家庭は、どのような家庭でしょうか。今日、人間が「ああ! 今まで私たちの家庭は幸福だ」と言っても、その家庭の幸福は未来にまで保証を受けられないというのです。どんなに平和な家庭でも、ある日突然、夫が死を通告されるかも分からないのです。ですから、幸福と平和を永遠に保障される信念を備えた家庭を成して、どんな悲しいことが迫っても、それを除去できる基盤を私たちは見いださなければならないのです。そのようになるためには、個体がそれを除去できる信念をもたなければならず、家庭もそのような信念をもたなければなりません。そうなれば、その家庭で夫婦のうちの一人が先に死ぬとしても、それが不幸の条件にはなり得ないというのです。そのような家庭を築かなければなりません。

 自分個人もそうですが、神様もやはり同じです。神様にたった一つしかない愛を蹂躙すれば、神様は許す法を立てて平和の起点を整えることはできないのです。この平和の起点は、絶対的に一つです。これは二つになり得ません。それゆえに、この起点が二つになる日には、理想が壊れるようになるのです。(二三−一三、一九六九・五・一一)

 すべての人間が最後に行くべき共同的な目標であり、行くべき共同的な関門は何でしょうか。国でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。共産主義世界がある前に、本然の家庭がなければなりません。また民主主義世界がある前に、真なる民主主義世界を創建できる本然の家庭がなければなりません。それでは、今までこれに対する秩序がどこにあり、これに対する教育がどこにあり、これに対する目的基準がどこにあったのでしょうか。このような決定的な基準がこの地の上に現れなかったというのです。これが現れる前には、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ないのです。(二三―三一、一九六九・五・一一)

 宗教の目的とは何でしょうか。万民が善なる人になって、平和に生きていくことができる一つの世界を成すことです。平和の与件は、ある国際的な政治゛家たちの手によってできるのではありません。ですから、ある政策や主義によって世界に平和が来るということは不可能なのです。さらに、軍事力によって世界の統一と平和が来るというのは不可能なのです。平和の起点を発見できる、その根拠地はどこでしょうか。幸福の起点を発見できる、その根拠地はどこでしょうか。そこは、皆さんが生きている家庭なのです。(二三−一〇一、一九六九・五・一四)

 「天宙主義」というものは、体と心を合わせたのち、神様の愛の本体になる家庭を成して、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」は、「家」を意味する文字です。それで「天宙主義」という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちは家庭が必要です。皆さんが家庭で一つになれなければ、「天宙主義」とは関係ないというのです。ここで平和の歌を歌えずに、幸福を賛美できない人は、この地上でも霊界でも不幸な人になるのです。(二六−一八九、一九六九・一○・二五)

 世界を代表し、アメリカを代表できる家庭の基礎を、どこに置くのかというのです。今日、私たち人間は、誰でも平和な家庭を求めているのと同じで、絶対的な神様がいるならば、その方もやはり絶対的な平和の家庭的基準を尋ね求めてこられるのではないでしょうか。このような家庭を標榜したのが、キリスト教で新郎新婦の因縁を中心として追求した家庭的基礎だというので

 妻が夫を「天が送った人だ」と考えて神様以上に愛するようにさえなれば、間違いなく家庭に平和が来るというのです。妻から尊敬されない夫は、教会の責任者になれません。絶対に教会の責任者になれないというのです。(三三−二六一、一九七〇・八・一六)

 すべてのものは、父母と子供と万物の立場で見ることができます。今日、この世を生きていくにおいても、父母のあとに息子がついていき、息子のあとに万物がついていっているのです。より大きいものを中心として息子と万物が父母を擁護し守っていくのです。永遠の世界までそのように行かなければなりません。この堕落した現実から死の世界にまで、そのように引っ張っていかなければならないというのです。父母は息子、娘を引っ張っていかなければなりません。ですから、メシヤは息子、娘を救うために引っ張っていかなければなりません。万物は、そのために準備されたのではないですか。子供として生まれれば、既に父母になるように準備されているのです。それゆえにj、父母の周囲には息子、娘が囲っていなければなりません。父母の周囲に息子、娘が永遠に取り囲んで座っていたいと思う、その心の基盤がこの地上に現れれば、平和の王国は建設されるのです。(三五−二八〇、一九七〇・一〇・二五)

 一つの家庭を中心として見るときも、家庭で夫婦が互いに相反する立場を固守しては、その家庭に平和はあり得ません。必ず主体的な立場である一つの中心を基準にして、その中心と相対が一つにならなければならないのです。主体と対象の関係において、誰が中心にならなければならないのでしょうか。どちら側が中心に立たなければならないのでしょうか。主体が中心にならなければなりません。対象は主体を中心にしなければならず、主体の前に自分を連結させなければなりません。そうしてこそ自分が対象としての目的を成すことができるのです。ところが主体が対象の立場に立って行ったり来たりすれば、一つの目的を成就できないのです。このようなことを思うとき、一つの家庭で目的を成そうとするなら、その家庭の内外が一つにならなければならないのです。(二八−一五六、一九七〇・一・一一)

 生命の世界と死亡の世界を見ると、死亡の起源はサタンであり、生命の起源は神様であられます。神様を中心として見るときに、サタンの世界は反対になる世界です。サタン世界の家庭は、どのような家庭でしょうか。平和な家庭ですか、でなければ不和な家庭ですか。不和で出発したので、どこに行っても不和な家庭だというのです。不和な家庭で始まって不和な家庭として成された世界は、天の世界ではありません。そうでしょう? 家庭が問題だというのです。「家和万事成」という言葉があるでしょう? それは本当にうまい言葉だというのです。

 一番耐え難いこととは何かというと、愛する人同士、互いに恨が積もることです。これ以上耐え難いことはありません。アダム家庭から不和の種が蒔かれることによって始まった家庭は、偽りの父母によって始まったので、不和が宿っている家庭はサタン世界の家庭であり、平和が宿っていて和合が宿っている家庭は天の世界の家庭です。このように反対だというのです。それでは、サタンは何を中心として登場したのでしょうか。サタン世界の中心は何でしょうか。不和の固まりの家庭がサタン世界の中心になるのです。サタン世界の中心とは何かというと、悪なるものです。不和の固まりは何かというと、毎日のように争うことです。(四四−一三四、一九七一・五・六)

 御父母様に三年以上侍らなければなりません。御父母様に三年以上侍るには、家庭が侍って、その次には国家が侍って、世界が侍らなければなりません。事実は、そうでなければならないというのです。そうしてこそ世界復帰圏まで出るようになるのです。三数を中心として見るとき、三年以上侍らなければいけないというのです。したがって三年の間は御父母様を中心として、御飯も一緒に食べて一緒に議論しながら、一緒に生きなければならないというのです。皆さんの家がそうでなければならないというのです。父母に侍って生きる家庭として、平和で幸福で、話をしても良い言葉だけ語り、互いが喜びながら生きる三年期間がなければならないというのです。(四四一一六九、一九七一・五・六)

 父が悲しんでいるのに、息子が喜ぶことはできないのです。父と兄が悲しむとき、その弟が喜ぶことはできないのです。人間は、父が悲しんでいても、夫が悲しんでいても、息子が悲しんでいても、全員が同じ心、同じ心情で和するのです。子供が社長だとしても、父が悲しむのを見て会社に出たのなら、仕事をしながらも悲しむ父を心配するのが道理です。自分が家に帰ってくる時、その父に喜びながら迎えられることが、何よりも自分の喜びにならなければなりません。そのようにできる家庭の一員になってこそ、平和と理想を享受できる幸福な家庭になるのです。(六三−三〇四、一九七二・一〇・一五)

 母と父と共に一つになって授け受ける家庭は、愛を中心とした平和の基地です。愛を中心として子供だちと父母が完全に一つになる家庭が平和な家庭です。(一二九一五七、一九八三・一〇・一)

 家庭的天国を成さなければならないのが神様のみ旨です。世の中で一番恐ろしいものが息子、娘です。分かりますか。息子、娘は、皆さんがするとおりに学ぶのです。したがって一番恐ろしいものが息子、娘なのです。母親がえんえん泣いていれば、その娘も間違いなくえんえん泣くというのです。すべてのものを受け入れてあげ、許してあげ、平和になれば、その息子、娘もそのまま学ぶのです。罪のない息子、娘の父母になることは易しくないということを知らなければなりません。

 今から第一条に「私たちの家庭の平和のために、一度けんかをすれば三年間守節(注:夫婦生活をしないこと)」という立て札を書いて、初めから約束をしなさいというのです。神様の前で祈祷して……。それならば誰が先に降伏するのか、女性たちが先に降伏することでしよう。今から、「けんかしよう」という言葉を完全にやめようというのです。そのひどい言葉を言うのをやめようというのです。三年間守節するよりも、けんかをしないほうが良いのです。世の中で言えば、「夫婦げんかは刀で水を切るのと同じ」と言いますが、統一教会の夫婦げんかは、そうではありません。水を切るのはおろか、鉄を切ることよりもっと大度なのです。もっと怖いというのです。無責任になるようにはなっていません。(一〇〇−三〇二、一九七八・一〇・二二)

 天国は、皆さんの家庭で成されるのです。幸福が別にあって、平和が別にあるのではありません。皆さんの家庭が仲たがいすれば、世界など何を手に入れたとしても、みな不幸なのです。

 家庭は、死ぬ時に天国や平和の王宮に入籍する所属権を受け得るようにする愛のテキストブックです。家庭が愛の修練塀です。これを拡大したものが世界です。おじいさんのような世界があり、おばあさんのような世界があり、お父さん、お母さんのような世界があり、夫のような世界があり、妻のような世界があり、息子、娘のような世界があるというのです。これを拡大すれば、すなわち世界になるのです。(一四二−二四二、一九八六・三・一一)

 結婚とは何でしょうか。男性の愛は女性がもっており、女性の愛は男性がもっており、お互いに愛を交換してコントロールするのです。ですから、女性が行くべき道を男性がコントロールするのです。また、男性が行くべき愛の道も、男性がコントロールするのではなく、女性がコントロールするのです。ですから、愛はお互いにコントロールするのです。この愛を大切に考える男性と女性が、「自分よりももっと大切だ」と思うことができる愛をはぐくむとき、家庭に平和があり、円満な家庭ができるのです。(一四五−二一二、一九八六・五・一一)

 今、四十八億ほどの人類がこの地上に住んでいますが、そのすべての人々に「今後の世界にあなた方が望むことは何でしょうか」と尋ねれば、誰彼を問わず「平和な世界になれば、統一された一つの世界になれば」と答えるでしょう。また現在、大韓民国に住んでいる人々にこの問題を問えば、四千万人全員が「南北が統一されれば」とこのように答えるでしょう。

 今日、この統一という問題は、歴史上において、単に今の国家の問題だけをかけていう問題ではありません。これは、大きくいえば世界的問題であり、小さくいえば個人の問題にも連結されるのです。世界の統一が成される前に国家の統一が成されなくてはいけないということは、論理の形成の正常な道だと思います。国家の統一が成される前に家庭の統一が成されなくてはいけません。夫婦がどんなに幸福を望んでも、一つになれないときは、その家庭は幸福にはなり得ないでしょう。また、その家庭が幸福であることを望んでも、私個人が幸福でなければ、その家庭が幸福を得るのは不可能でしょう。故事の中にもあるでしょう? 「家和万事成」です! 一番重要なことは、夫婦が一つになって平和の家庭を築くことであり、これがすべての解決の起点になるというのです。(一四三−二五九、一九八六・三・二〇)

 家庭がこの世界に平和の王宮を建てるための訓練場だ、ということを知らなければなりません。真の愛を中心として、「ため」に生きる夫と「ため」に生きる妻として、天倫の中心、永遠の愛の道を行くための夫婦として、家庭として、息子、娘として責任を果たさなければなりません。私たちの家庭が平和の基地だというのです。「ため」に生きる愛の革命のたいまつをもち始めるならば、正にその家庭には新しい平和の春の光がほとばしるでしょう。(一四三−一六八、一九八六・三・一七)

 夫を王様のように、自分の四千万の国民のように、世界の大統領のように、世界の五十億ほどの人類のように、神様のように愛することができる妻になるときには、その夫は、自然屈服して帰ってくるのです。平和の基準がここから設定されていくのです。(一六八−一七八、一九八七・九・二〇)

 息子、娘たちが「父母が争うのを一生の間見ずに生きた」と言うようにしなければなりません。生きているとあらゆることがあります。小言も言わなければならないでしょう。しかし、へとへとになるまでけんかして、手を挙げたりしていても、子供たちが帰ってくれば、ぴたっとストップしなくてはいけません。元の状態に返らなければいけないのです。どんなに父が寂しくても、赤い顔をして息子に接するなというのです。これが先生の哲学です。それで私たちの子供たちは、「いつも平和で、いつも仲むつまじい母、父だ」と思うのです。「母の中で一番で、父の中で一番だ」と考えるのです。父母は第二の神様です。「神様が欲しいか、お母さん、お父さんが欲しいか」という時、「父母が欲しい」と言うことを神様も喜ばれるのです。それが貴いのです。教育の中で最も貴いのです。教育の中で最も貴いものがそれです。(一六五−九四、一九八七・五・二〇)

 世界万民は、一つの家庭の食口(家族)にならなければならない、兄弟にならなければならないといいます。万国が平和になり、世界が統一される時、どのような世界が成されるのでしょうか。兄弟の関係をもつ家庭主義の世界が来なければなりません。それが理想世界です。(一六〇−二七七、一九六九・五・一七)

 今日のこの世界を見てみるときに、どうでしようか。数多くの人々が「世界は一つにならなければならない」と言います。平和の世界が来ることを望んでいます。幸福の世界が来ることを望み、さらに進んで宗数的な名詞を挙げていうならば、「地上天国を成さなければならない」、あるいは「理想世界を建設しなければならない」と言っています。

 どんなに大きな世界がそのようにできることを望み、またどんなに努力するとしても、それができる基盤がどこかというと、家庭なのです。それゆえに、家庭で理想を謳歌し、家庭で平和を建設し、家庭で愛と幸福の歌を歌うことができる基盤を世界的に整えない限り、どんなに理想世界、あるいは天国、地上天国を夢見ても、その世界は来ないということは、言うまでもないことを私たちは知らなければなりません。(一五九−一七四、一九六九・五・一二)

 天下を代表する夫を従えるためには、私が俳優以上にしなければならないのです。ですから朝、昼、夜、三回ずつ鏡を見なければなりません。私のこの顔の表情の中で一番平和な表情がどれか、それをいつもキヤッチしなければなりません。目はどのようにすべきで、格好はどのようにすべきで、私がどのような格好に変えてあげるのがいい、ということを知らなければなりません。このようなことをいつでも生活目標として立てなければなりません。その格好を中心として、自分の顔の容貌がそこに符合すれば、心も一致させることができるのです。(一五八−二三三、一九六七・二・二七)

 真の父母を中心とする家庭の家宝がなければなりません。父母を中心とする愛の法度が立てられていなかったので、この地の上に平和の基準が立てられなかったのであり、平和の基準が愛を中心として立てられなかったので、平和の息子、娘がおらず、平和の家族、平和の氏族、平和の民族、国家、世界がないというのです。父母として来られるそのお方に従って、愛の懐に入っていかなければなりません。(一五七−一六五、一九六七・四・二)

 統一の方案の秘訣は、相反する要因を早くキャッチして、短時間に吸収消化することです。そうすればその家庭は、その人を通して平和が連結されるのです。幸福が連結されるのです。二九 四十日修練を通して、統一教会の理想的な結婚の内容を知るようになれば、みな「理想展開は家庭から始まるのだな! 女性を解放し、男性を解放し、そのようにして人間を解放することが歴史的に既に展開されているのだな! 平和の根本になるのが家庭からだということを知った」と言いながら感激するようになるのです。家庭が天国の縮小体であり、天国実現の教材だというのです。(一九〇−二八五、一九八九・六・一九)

 「夫は悪いもの、夫は私より悪いもの!」、このように言う女性がいてはいけません。「夫が不足でも、その方が私のために歴史時代を訪ねてきました。数多くの男性たちの旗を受け継ぎ、生死を懸けて争い滅びる、そのような男性世界の歴史の中で、その旗を受け継いで私という女性を訪ねてきました」と、そのように言わなければなりません。その旗をここに差して、二人が平和の王国を成そうとして、愛の国を成そうとして出会ったのです。これが夫婦です。(一八七−八五、一九八九・一・六)

 アダムとエバの子孫たちは、心と体を一つに完成して、神様と一つになった個人、そして夫婦が一つになった家庭を、また子女たちと共に一つになった家庭を成して、自由と平和と幸福と希望がすべての地上に満ちた安定した基盤を成したはずです。その典型が家庭や国家にとどまらず、世界と全宇宙に広がることが神様の理想でした。真の家庭において成された天国の模型が国家全体に拡大され、国家圏の天国が全世界に拡大され、世界圏の天国が全天宙に拡大されるのです。(二八八−一六七、一九九七・一一・二七)

 きょう私は、人類共通のビジョンを見つけるために、過ぎた五十年を回顧しようと思います。人類は第二次世界大戦の痛手を踏み越えて、すべての国が平和になり得る道を見つけようとしました。神様は私に、二千年のキリスト教の基盤の上に神様の天国を建設する世界的な運動を指示されました。啓示の中心は「真の父母」、「真の家庭」を見つける公式路程でした。

 神様が下さるメッセージを拒絶したことが、なぜこれほど不幸な結果を生んだのか、ということを知るためには、五十年前に神様が私を通してキリスト教の指導者たちに下さったメッセージの意味を知る必要があります。そのメッセージは、本質的に私のきょうのメッセージと同じです。ただキリスト教だけのものではなく、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、そしてすべての宗教と宗派のためのメッセージです。それは、神様を中心とする真の理想だけが個人相互間や家庭と社会、そして国家相互間の真なる関係と平和を成すことができる土台になるというのです。(二八八−一六六、一九九七・一一・二七)

 人類が歴史の始祖から神様と一つになっていれば、人類は、真の愛を中心とする真の家庭を成して、「ため」に生きて、またさらに「ため」に生きる真の愛を実践することによって、真なる国家、真なる平和の世界を既に成していたはずです。

 この歴史的な争いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず、神様を中心に個人の心と体が一つにならなければなりません。そして、そのような真なる男性と真なる女性が神様を中心に真の家庭を成すことによって、その中に神様を再び迎えるようになるのです。したがって、真の愛を中心とする真の家庭こそ神様が宿られる地上の基地になるのであり、さらに真なる国家、真なる平和世界の出発地になるのです。そして、これをもって真なる自由と幸福の世界が開かれるのです。(一一七一−八八、一九九五・八・二二)

 世界平和の起源は、個人を中心とする子女と父母が家庭でどのように平和の基盤を築くのかという問題にあります。これが平和の全般的な解決をすることができる基礎だということを知ったので、私たち統一教会は、個人完成、家庭完成を強調しているのです。このような趣旨で、皆さんも、これから大韓民国において、いくら南北統一がもたらされたとしても、家庭の平和をもつことができなければ、南北統一の平和も崩れてしまうのです。先進国代表の国々が、国際会議を通してどんなに世界的平和を形成してきたとしても、世界の家庭を中心とするすべての父母たちが、平和の基準を引き継ぐことのできる家庭的基盤が形成できないときは、その国の平和も崩れるようになるのです。
 このような観点で、神様がいらっしゃるならば、神様御自身も平和の基準をどこに望んでいらっしゃるのかというと、世界平和になる前に国家平和を望まれるのであり、国家平和になる前に氏族平和、氏族平和がなされる前に家庭平和、家庭平和が成される前に夫婦平和、夫婦平和が成されぬ前に個人平和を望まれるのです。心と体の争いを止める平和の基準を形成しなければ、どんなに世界平和が、どんなに天宙平和が、どんなに国家平和が形成されたとしても、その平和の内容が私とは関係なくなるのです。(二六七−一九七、一九九五・一・八)

 どんなに社会的条件が変わっても、父母と子女の関係の重要性が揺れることはなく、家庭の貴重さもやはり変わることがありません。繰り返し言いますが、愛は人の幸福と喜びの源泉であり、家庭はその幸福と平和の基台になります。(二七一−八〇、一九九五・八・二二)

 家庭が一つになる方法は簡単です。互いが望めばできるのです。おばあさんはおじいさんのために、おじいさんはおぱあさんのために、父は母のために、母は父のために、夫は妻のために、妻は夫のために、また兄弟同士も、兄は弟のために、弟は兄のために生きるのです。一つになることができる秘訣は、このように簡単なのです。「ため」に生きて関係を結べば、その家には平和が訪れるのです。自分のために生きろというときは、八つの群れが生じるのです。

 どんなに難しくてもおばあさんのために生き、母のために生き、自分の妻のために生き、自分の娘のために生きるのです。娘が嫌だということ、妻が嫌がること、母が嫌がること、おばあさんが嫌がることを男性としてしなければよいのです。「良い」と言うことだけ、してあげればよいのです。妻の胸を触りたいと思っても、嫌だというのを触ると、けんかになるのです。嫌だというならば触らなければいいのです。行きたくても、嫌だというなら行かなければいいのです。二カ月くらい行かなければ、自分から来るのです。問題は遠くにあるのではありません。世界平和は、世界から先に訪れるのではありません。まず私の家に平和をもたらさなければならないのです。(二四一−三〇一、一九九三・一・一)

 世界平和は、どこにあるのでしょうか。世界にはありません。私にあるのです。どんなに外部が統一されて浮かれていても、私の体と心が一つになっていなければ、なんの関係があるでしょうか。その平和は、世界から来るのではありません。私から成していくようになっているのです。アダムとエバの体と心が一つになったその基準において、真の愛を中心として完全に一つになるところから平和の家庭が起こるのです。

 その平和の家庭というものは世界的です。平和の家庭であると同時に、統一された家庭なので、それは世界的です。これをはっきりと知らなければなりません。国も是正しなければなりません。一つになることができていないので、今、政党など、国の内外のすべてのものを是正しなければなりません。そのような面で、私たちが家庭堂を掲げてきたことを世界的に堂々と主唱するので 夫婦の部屋というものは、宇宙の宝をいっぱいに積み上げておいた宝庫なのです。そこには、神様御自身が注目されるのです。それが平和の世界として、永遠なる神様が「あなた方の平和、あなた方の幸福の環境に私が浸ってみたい。そこに一度定着して自分の家のように注んでみたい」という考えをもち得る夫婦になるとき、宇宙のすべてのものと神様を占領できるのです。それゆえに、夫婦の愛の環境を通過しなければ、宇宙と関係を結ぶことはできません。(二二八−一六五、一九92・三・二七)

 「家和万事成」といいました。ある家庭が平和なら、万事がすべてうまくなされるということです。完成した家庭は平和の家庭であり、これは天国の基礎です。家庭の原動力は真の愛です。自分よりも神様を、そして対象を生命のように愛する純粋で美しい犠牲的愛、これが真の愛です。神様はこの宇宙に、真の愛の力よりさらに大きな力は創造されませんでした。真の愛は神様の愛です。

 このように、真の愛でなされた家庭が基礎になって社会が成され、国家が成され、世界が成されます。このような社会、国家、世界は、真の愛が原動力となる相互奉仕の社会であり、国家であり、世界であり、そこには葛藤の代わりに和睦があり、誤解の代わりに理解があり、分裂の代わりに団結があり、自分の利益の追求の代わりに全体の利益の追求があり、犠牲と奉仕が美徳になる社会、国家、世界なのです。このような神様の理想実現が、すなわち真の世界平和の理想なのです。(二一九−一一八、一九九一・八・二八)

 私たちの社会と世界の紛争の起源が、サタンの偽りの愛によって個体の中の心身の葛藤から始まったので、真なる平和は、神様の真の愛によって、まず個体の中の和合統一が成されることによって成し遂げられるのです。平和世界を実現する基地は世界ではありません。心と体がサタンの主管圏を超えて、神様の真の愛で調和一体を成した個人、さらにそのような男女が夫婦として結合した家庭が、すなわち世界平和の産室になるのです。(二一九−一〇九、一九九一・八・二七)

 男性と女性が世の中に生まれて夫婦になり、「私は幸福だ。私は平和だ」という心で一つになったという時には、神様は、一つになった場に自然にやって来て関係を結ばれるのです。これが神人関係を結ぶことができる一番の動機です。このように、神様と人間が関係を結んだ時、神様と人間にだけ良いのではなく、関係している動物世界、植物世界、鉱物世界のすべての因縁も、その統一的内容を歓迎して感謝することができる、そのような内容だというのです。(二八−二一〇六、一九九一・七・二九)

 天国の起源は家庭です。真の愛を中心として家庭の向きを変えなければなりません。ですから、家庭の中でも、青少年である二世たちが活動しなければなりません。青少年たちを破壊させてしまいました。青少年たちを麻薬の常習者にしてしまい、悪魔の矢に当て、フリーセックスの状況にしてしまったのです。その町に暴れん坊のような輩たちがいるなら、青少年たちがみなで一つになって警察と共に除去運動をするのです。その町に盗賊団が現れれば、二世たちが責任もって父母と一つになって彼らを部落から追い出し、部落で教育することができるこのような時代に超えていくことによって、私たちの家庭は希望的な家庭になるのです。そして、平和の王宮の基台を自分の家から世界版図まで拡張できる理念的世界が展開されていくことに対して、それを迎える準備をする人が知恵深い国民であり、これから福を受けられる国民になるのです。(二〇八−二九九、一九九〇・一一・二〇)

 家庭の中には、男性と女性を中心とする愛の舞台が組まれています。この家庭を中心として、愛国思想、聖人思想、聖子思想をつづっていかなければならないのです。このような一致された方向を中心として終着点に定着するようになる時、一致された目的の価値が世界的基準の前に成されるのです。それゆえに、統一の世界、平和の世界は、愛の方向を整えて全世界を抱くための神様の愛の歴史的方向性を経てこそ可能です。それがなくては、理想天国が顕現することはできないのです。(二〇七−三〇二、一九九〇・一一・−一一)

 真の愛を中心として理想的な夫婦になると、彼らは宇宙のすべてのものと連結されるのです。そのようになる時、神様のものが私のものになるのです。どれほど幸福でしょうか! ですから、皆さんの心が万物を征服したいと思うのです。人類歴史上の誰でもみな、そのような心をもっています。しかし、誰もそのようにできませんでした。この時代にレバレンド・ムーンが教えた真の愛を中心とすれば、それが可能です。それは、皆さんが平和の世界、国家、社会、家庭を成すことができるということです。そのようになると、神様の位置に立つようになります。神様に代わるようになるというのです。それが人間が生きていく路程です。(二〇−三六、一九九〇・二・二一)

 民主世界の政治体制は、闘争の体制です。ですから、私たちが父母の位置に上がっていって、争いを止めることができなければなりません。すべての兄弟たちが、父母を中心として一つになるのです。そのように一つになる所から平和の世界が展開されるのです。そのようにしなければ、他に方法がありません。まず真の父母を取り戻してこそ、そこから真の子女、真の国家、真の平和を含むすべてのものを取り戻すことができるのです。それ以外に他の方法はありません。(二〇五−一八九、一九九〇・九・一)

 堕落していない本然の人間先祖とは何でしょうか。横的な水平的父母です。それゆえに、九〇度の角度になっていました。これは一周回しても、どこでも同じ位置が維持されるのです。このような水平と垂直が九〇度を備えたものは、東西が上下になっても不平がなく、神様の位置が男性と女性の位置に来ても良く、息子、娘の位置が父母の位置に行っても良く、おじいさんの位置が孫の位置に行っても通じるというのです。ここで統一圏が形成されるのです。人間の家庭構成理念において統一的基盤ができるのです。ここには消耗がありません。闘争がありません。分かりますか。消耗がなく、闘争がないので、平和の真理が万年作動できるのです。論理的にぴたっと合うのです。(二〇四−一〇四、一九九〇・七・一)

 二十一世紀以後の世界は、人類が戦争のない平和の世界で自由と繁栄を謳歌して、愛と幸福を共有するようにしなければなりません。東西の理念対決の問題は終わったので、南北の貧富の問題もこのような観点で接近しなければならないのです。私が早くから科学技術の平準化を提唱して国際高速道路建設を主唱してきたのも、世界が一つの家族として統合され、相互に依存せざるを得ない未来に対する洞察によるのです。

 このような東西冷戦が終わり、科学技術が日に日に発達して、全世界が一つの共同体になると、二十一世紀の人類は、何の問題もなくすぐに平和と幸福を謳歌するようになるのでしょうか。とんでもないことです。冷戦時代よりもっと根源的で危険な問題が二十一世紀の人類社会を脅かすようになるのです。その世界で人類を苦しめる最も大きな問題は、私が洞察したところでは、正に家庭の価値を破壊する不倫と退廃の問題です。道徳的退廃こそ人類を苦痛と絶望のどん底に追い込む原罪なのです。(二八八−一三九、一九九七・一一・二六)

 一九九一年、冷戦の時代が幕を下ろし、東西間の緊張と葛藤が終息を告げる時、私たちはみな、今から平和の時代が到来すると期待していました。しかし、むしろ冷戦以後の社会的な葛藤と不安は、さらに加重しているのが実情です。アメリカだけでも、フリーセックスやホモセクシュアルのような紊乱した性道徳が、家庭を徹底して破壊させています。(二七一−八六、一九九五・八・二二)














SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送