神様の摂理から見た
  南北統一

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三.韓国は摂理の終着国

1 韓国は民主と共産が対処する代表国

 神様が見るとき韓国は信仰の終着国であると言うことのできる観を、我々はここに見通すことができるのです。それはどういうことかと言えば、韓国は摂理が終着することのできる定着国にならなければならないということです。そして新しい地上天国として出帆しなければならないのです。

 人類歴史は結局神様の摂理の観と一致しなければならないために、人類歴史の終着点も神様の摂理歴史の終着点と一致しなければならないのです。そのため全人類の希望の基地も、理想的終着国家も韓国であり、また人類が定着することのできる理想的地上天国の基地も韓国だということです。それでこそ神様と人間の理想が一致して、すべての摂理が終結し、歴史的希望が終着することによって、そこから新しい天国開門が起こるのです。ところがそこまで行けないでいる今においては、韓国は南北に分かれており、東西に分かれている立場にあるのです。世界を見れば東西の格差、東西文化の分立問題、その次には南北の貧富の格差の問題と、五色人種の不和問題が、全世界の終結的患難であり、難問題として登場したのです。

 サタンと天の側を見るとき、堕落することによってサタンが上にいるようになったのです。そのため世界的思想は、サタン側の思想である唯物史観を中心としては北側、唯心思想を中心として弟の位置のアベルが南側に、このようになったのです。このように、韓国が世界的に共産主義と民主主義が対処する代表国であり、天の目から見るとき、全世界の課題として残った最後の国家だというのです。これは韓国だけの戦いではありません。モスクワとワシントンの戦いだというのです。(一六八―六〇)

2 西洋文明の最後の終着点

 宗教をあがめ貴ぶ国は、物質的なものをみな捨てるのです。それで歴史時代に神を崇拝する国は貧しい生活をする国なのです。今も台湾のような国の土着民たちを見れば、ただバナナを取って食べて踊りを踊りながら、自分たちなりに神を崇拝しています。このように宗教を信じる人々は大概自分を犠牲にして、個人の人格完成のために努力しています。宗教を中心としては、物質を捨てるのです。

 東洋と西洋を比べてみるとき、精神的な文化はどちらがより深く発展することができるのでしょうか。東洋です。何ゆえにそう言うことができるのでしょうか。東洋が西洋よりも貧しい生活をしているからです。文化創建はどこが最初にしたのでしょうか。東洋が先にしました。文化の創造が東洋で最初に始まったのに、なぜ西洋がよりよい生活をしているのでしょうか。東洋の思想は物質世界に接近したのではなくて霊的な世界、精神世界に接近したのです。そうしてみると物質はみな整理して投げ捨ててしまったのです。そのようにして投げ捨てたものを誰がもっていったのでしょうか。盗賊たちがみなもっていきました。皆さん、英国のような国はどのような人々が集まって成した国ですか。海賊たちが集まって成した国です。しかしながら神様の摂理上、そのようにしてでも管理しなければならない必要性があるために、彼らにその国を任せられ、発展させるようにされたのです。

 それゆえに今物質文明はどこを求めて行かなければならないのでしょうか。西欧陣営から始まったのに、また西欧に帰ってくれば世界は滅びるのです。西欧文明は神様も何もありません。それでは西欧文明の最後の終着点はどこでなければならないのでしょうか。物質は精神の前に完全に屈服しなければなりません。体は心の前に完全に屈服しなければならないのです。東西の文化を見てみても、精神文化圏である東洋がこの座標を中心として正座して位置をつかむ日には、西洋文明はそこに完全に屈服しなければなりません。

 二十世紀の後半期から二十一世紀に越えていく時には、西欧人たちがアジアの精神文明を知らずしては人間扱いされない時が来るのです。それでトインビーのような人は西欧文明の末路を説いたのです。これから先は東洋文化、東洋文明を中心としてキリスト教を統一することのできる文化的起源と新しい宗教的な基盤が現れなければ、世界を収拾することができないと言いました。事実そうです。

 それではそれが東洋のどの国でしょうか。東洋で昔から看板を大きく掲げていた国はどの国ですか。中国でしょう? ところが、今中国は共産国家となりました。その次にはインドです。インドには何がありますか。インドにはヨガとか何とかいうものがあります。これが米国社会で大きな問題として台頭しています。今インドには何か神霊的な運動だとか宗教思想、特に仏教思想が相当に頭角を現しています。しかしそれは現代の時代感覚には合いません。その次に日本がありますが、日本は宗教国家ではありません。雑教国家です。統一された宗教的な伝統思想をもって世界思潮の前に肩を張り合うことのできる背景をもつことができなかったのです。

 このようなことを見るとき、今後は我々の大韓民国が問題となるでしょう。今我が国は、キリスト教文化と東洋思想を基盤として新しい文化を創建することのできる歴史の流れに、ぶち当たるまいとしてもぶち当たらざるを得ないのです。このような歴史的な流れが我々の前に近づいています。このような現時点を我々は注視しなければなりません。そして、我々が処しているこの時点がどれほど重要なものであるかということを知らなければなりません。(二五―一五三)

 思潮的に見ても、韓国は世界文明の展示場になりました。この韓国は数多くの民族に対してみました。アメリカをはじめとする一つの国連機構に加担した数多くの種族に対してみました。しかし彼らが主張するいかなる主義や理念も、この民族には合わないということを知りました。

 このような韓国が南北に分かれ、北側は共産主義が占領しました。その北側は共産陣営の焦点になっています。そして南側は民主陣営の焦点になっています。そうだからといって、この民族が共産主義に絶対的に寄与するのでもなく、民主主義に絶対的に寄与するのでもありません。このような情勢に処しています。(九―二八二)

3 韓国はすべての文明の集約地

 韓国はアジア国家の中で一つの特異な国です。韓国は過去五千年間、東洋固有の文化と生活様式を保存してきました。ある見方をすれば、最も純粋な本然の東洋文化の真髄が維持されているところがまさに韓国だというのです。また、韓国には世界の主流宗教が入ってきて栄えました。今は西欧文明の精神的核心であると見ることのできるキリスト教が韓国に深く根を下ろして発展一路にあります。世界の至る所の教会ががらがらになっていくのとは反対に、韓国のキリスト教会は夜昼なく祈祷と礼拝の声が高まっています。

 韓国キリスト教は西欧精神文明の根になった「ヘブライ思想」の実だというのです。古代ヘブライの預言者たちによって証され、キリスト教の聖者たちによって継承され、今日世界の主流宗教となってきたキリスト教は、まさにヘブライ思想に根ざしたものだと言えます。そうかと思えば、休戦線以北の北韓ではヘブライ思想とは正反対の伝統を継承してきた「ヘレニズム」の極端な実が結ばれています。それがまさに唯物思想に立脚した神様を否定する共産主義です。この相反する二つの主義を信奉する二つの世界が、まさにここ韓国で互いに衝突しているのです。

 韓国戦争はこの二つの主義の世界がぶつかった戦争でした。そのため韓国戦争は国家戦争ではなく、結束した共産主義世界と国連内の自由国家の二陣営がぶつかり合って戦う一つの世界戦争でした。したがって韓半島は世界の縮小体であると見ることができます。世界のすべての問題が縮小された状態で韓半島で引き起こされているのです。したがって韓国で得られた経験と成功する解決策は、それがすなわち韓国の問題の解決策だけでなく、直ちに世界の問題の解決策となるのです。(一九八二・一一・五)

 アジアにおいてどこが中心なのでしょうか。韓国が中心だというのです。そのため我が韓国の問題が世界的な問題として登場したというのです。アジアにおいても最も問題の民族が韓民族です。韓国民族は料理することができないと見るのですね。そして頭がよく、組織的な情報事業にとても鋭利なのです。

 そして近世に入ってからは、アジアにおける戦いは韓国のためにしているというのです。日露戦争も、日清戦争も、大東亜戦争、すなわち日本とアメリカが戦ったのも、みな韓国を置いて戦ったのです。

 それはなぜでしょうか。なぜそうでなければならないのでしょうか。なぜ世界図上で、近世においてアジア第一の問題の国となっているのでしょうか。今においては共産党と隣接した国の中で最後に残った一つの基点だというのです。一番最初から最後まで残った国だというのです。それが負けるのか、滅びるのか、盛んになるのかという問題は、神様の名前をもって出るのか、もたずに出るのかに掛かっているのです。このような立場から見るとき、韓国に神様の摂理があるために、サタンは我が韓国民族を自分の手中に収めようとせざるを得ないのです。

 さあ、そこを見れば、アジアにおけるすべての文明の集約地が韓国になっているのです。皆さん、中国文明の起源がどこにあるのかと言えば、世界の人々はみな中国に……。しかし韓国人たちがみなそれらの世界を凌駕したことを歴史が証するというのです。最近になって学者たちの中でそれが問題になり、認定しているというのです。

 そのような観点から見るとき、「ああ、神様の摂理をこの民族が知っていたので迫害を受け困難を経てきたが、神様は韓半島に基地をつくったのだな!」、摂理全体の歴史観をもって見るとき、それが一致したのを見れば「ああ、韓民族は天が選んだ民族であり、知恵ある民族だ!」と、私は決定し判断したというのです。そのような所が、このレバレンド・ムーンのような人が生まれた所です。

 この時代において神様の名前をもって、韓国人として世界に問題を起こすことのできる人は、歴史的な使命がある人であるということを、我々はこのような観点から理論的体系を通して結論を出すことができるのです。それは異常なことではないというのです。それが歴史的帰結となっているという事実を見るとき、これは韓国民族がすることではなく、レバレンド・ムーンがすることでもなく、神様がされることだというのです。神様が歴史を支配されたということです。そのため神様がなさったという結論は妥当なのです。

 そしてレバレンド・ムーンがこれまで何をしたのかと言えば、アジアの文明を集約するみ業をしたのです。アジアにおいて反共主義の第一人者と言えばレバレンド・ムーンを数えるようになっているのです。神様の名により、新しい宗教をもって世界的な革命をしようとする、そのような人が誰かといえば、レバレンド・ムーンだというのです。(八〇―一七)

 今後、西洋が東洋に物質を集中的にもってこられるように、中間でつなげるそのような所は希望があるのです。そこがまさに二十世紀において問題となった韓国です。そうですか、そうではありませんか。(そうです)。韓国が問題の中心だということです。そのため韓国は希望がある所なのです。

 韓国は西欧文明の接線地であり、新しい文化の起源となることのできる所であり、授け受けすることのできる最初の出発の因縁が、究極的な結論として因縁を結ぶことのできる所です。そのため、すべての文明の集結地が韓国になるというのです。

 アメリカが他の国からは手を切りながらも、韓国とだけは手を切ることはできません。神様が公認しなければ切ることはできないのです。統一教会が位置をつかむ時まで、手を切ることはできないのです。何の話か分かりますか。(二七―一九二)

 韓国は東西文化が交流する尖端地域であり、思想的な接線地域であり、新しい理想世界を創造することのできる出発基点です。(一三―四七)




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