神様の摂理から見た
  南北統一

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三.北韓の生活実情と軍事的準備

 今日の時点においてかわいそうなのは北韓の共産治下で暮らしている北韓の同胞たちです。先生が解放以後北韓に入って宣教活動を展開し、そのために反動扱いを受けて、収容所で死ぬよりも苦しい生活をしてみたので分かるのですが、北韓の同胞たちの全般的な生活が、アメリカの監獄よりももっと自由がない、つらい生活であるというのです。アメリカの監獄は北韓の生活に比べれば休養所のような所だと言ってもよいのです。(一九八八・五・一)

 北韓ではご飯をおなかいっぱい食べて暮らすことが願いなのです。そうなっているのです。ご飯をこちらのように食べるのではありません。どうしたら、ご飯を一度でもおなかいっぱい食べてみることができるかというのです。服などは何の問題でもありません。おなかのすいた人に服など何の問題になるでしょうか。靴を履くのが問題ではなく、家が問題ではないというのです。ご飯だけ食べることのできる生活であるなら最大の満足だというのです。

 そのようにしておいて、あらゆるものは全部南韓浸透のための軍事費として使います。そのため多分三十八度線までは道をよく整備してあることでしょう。五〇年代に興南監獄から出てきた時によく見ておきました。我々はこのような面に関心が多いのです。橋をどのように渡しているのかといえば、あらかじめ延長できるようにしてありました。二車線程度の高速道路のように、そんなふうに軍事道路を造っておきます。以北にはセメントが多いので、コンクリートでこのようにぶ厚く造ってありました。関心があって掘って見るとそうなっていました。戦車が通り過ぎても壊れないようにしてあるのです。

 その時、五〇年代に私が北韓から出てきながら感銘を受けました。橋梁のようなものも、全部三十トン級の戦車が移動しても大丈夫なように渡してあったのです。興南から出ている、東海岸では重要な幹線となり得る道路でも、既に軍事道路として準備してあるのです。それを見て、これは南韓侵攻のための計画をしているのだと思いました。政府を樹立した時にソ連の極東政策に従って背後からKGBの 唆 しを受けて、このようにしたと考えられるのです。

 それゆえ興南から出てくる肥料などを、どこへもっていくのかと言えば全部ソ連にもっていくのです。肥料と武器を交換するのです。その武器はソ連では十年、二十年も時代遅れの品物ですが、安いのでそれと交換してくるのです。そうしてそれを三十八度線に配備して、南韓侵攻のための訓練に消耗するのです。ですから、高級な軍備は必要がないので、安い軍事重装備をしてきたのです。ところでどうやって重装備をしてきたのかと言えば、それは肥料です。そのために興南の肥料工場の肥料を全部ソ連に送っているのです。一日に何台分も積み込んでは運搬します。それが全部武器となって入ってきて、三十八度線に配置されるのです。それゆえに彼らは大移動することのできる軍事道路を拡張したのです。それを私はすべて知っていたのです

 五〇年代に既に、興南から平壌まで来るのに、アスファルトがないのでセメント、コンクリートで橋梁を渡して、道路工事を全部済ませたのです。そしていつでも拡張することのできる計画がすべて整っているというのです。(一六三―一八六)

 北韓ではセメントがたくさん生産されるので、もう既に軍事道路を準備してあるというのです。それゆえ平壌から新義州までは言うまでもありません。そして今日まで、休戦後何年たちましたか。 その間に何もたくらまずにいたと思いますか。トンネルを掘っているのです。そのトンネルが今いくつあるのかも分からないではないですか。(一六三―一八九)

 休戦になる前ですが、アメリカと戦う時に、ここからは飛行機で攻撃したのです。一方、以北には飛行機がありませんでした。それで砲弾を一線までどうやって運ぶのですか。白昼トラックに積んで高速道路を走るわけにはいきません。戦闘機のために車が走れないのです。

それで、全部夜の間に運ぶのです。夜間にどうやって運ぶのですか。全部班組織でやるのです。どこからどこまではどこの班で運ぶという組織ができているのです。部落から部落までです。こうして日が暮れさえすれば銃弾、大砲の弾を運ぶのです。配当された数字、ある基準まで運ばなければならないのです。夜になるのを待って一線に向けて運ぶのです。夜が明けるまで砲弾を移動させるのです。何十里かずつ移します。ひたすら運ぶのです。

 ですからどれほど撃っても砲弾が足りなくなるということはありません。総力的な軍事訓練ができているのです。それゆえ後方にいる人も前方にいる人も同じです。すべて兵士と違いがありません。敵を破るには国家の力で破るのだといって、軍隊の力で勝つとは考えないのです。総力戦です。そのような作戦を行っているのです。そうして休戦直前にどれほど砲を撃ちまくったのか、砲弾の炎が夜には、それはもう天下を崩したようでした。アメリカがどんなに砲を打ち込んでも、それに対抗して以北も絶対に負けなかったのです。それをいつ運んでくるのか、生産地からそのまま来るのではないのです。全部このような組織編成を通して運んできます。そのような戦いを行っているというのです。国民全体が兵士なのです。全軍、全国民武装化という言葉がそのために必要なのです。

 このような体制を備えておいて、南韓解放ということを中心に固く一つにまとまっています。ただ一つ彼らにとって問題になるのが何かと言えば、アメリカがここにいるということです。アメリカが進駐しているために今こうしているのであって、さもなければ既に全部解放してしまっているのです。休戦は絶対に長続きしません。三年もたたずに、また仕掛け、また仕掛け、このような行動をいくらでも起こすのです。(一六三―一九一)

 私が南下したのが一九五〇年なので、解放以後、彼らが政府を建てて三年たってから南侵したのです。このことを知らなければなりません。一九四八年に政府を樹立して、一九五〇年度の六月二十五日に、三年にもならない期間で準備を行って南侵したのです。何の話か分かりますか。このように機動性のある部隊を三年の間に養成し上げたということなのです。軍隊を編成して南韓を釜山の近くまで押し込んだのです。このように侵犯することができるように戦略的な訓練をしながらも、配置基盤を中心に訓練をしたのです。(一六三―一九一)

 北韓の軍事準備を見る時、あちらの北韓の正規軍はどのくらいいますか。(八十万です)。それから労働赤衛隊はどのくらいですか。

(二百五十万)。またその次に大学生教徒隊がどのくらいいますか。その次は何かと言えば、中・高等学生を中心とした青年防衛隊、すなわち近衛隊がどのくらいですか。(数百万になります)。数百万であるということを知らなければなりません。それから労働赤衛隊が集団農場で常に訓練をしています。もし万一このような人たちが服を着替えて南韓に南下して来るとすれば、それを笑いごとと思ってはならないのです。笑い話にしてしまうわけにはいきません。このような連中を我々が相手にして、これに対処するための準備を、ただそのまま通り過ぎるお客さんたちを相手にするような方法で行ってできると思うのですか。冗談ではありません。死に物狂いなのです。この人たちの命令に服従しなければ、残らず首が飛ぶのです。自由社会において志願する立場に立ち、銃口を突きつけて強制的に威嚇するこの者たちを、すべて消化してみせると名乗り出たというこの事実、これを容易なことと考えることはできません。

 あの「真弓」、名前が「金賢姫」とかいう彼女を見たでしょう? 七年間準備を行ったのです。そうして韓国に来てから口をつぐんで話をせず、甚だしくは中国語を使い、英語で話したりしている姿を見なさい。日本人であると言い張っているのです。こんなにもあくどいのです。また話をしないように舌をかみ切ってしまうのです。これは事実です。これこそ生死をかけた戦いなのです。(一九八八・一・二一)

 私が以北の監獄に入ったのは、このようなことをすべて学ぶためだったと有り難く思っています。私が学生時代に共産党の理論を勉強した友達と理論闘争もしてみましたが、このままではだめだと考えて、戦い続けてきたのです。共産主義がどのようなものなのか実に詳しく知っているのです。その中でも監獄の組織が共産党の組織の中で最も緻密です。(一六三―一九七)




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