神様の摂理から見た
  南北統一

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三.主体思想の確立を通じた南北統一

1 主体思想の定義

 統一教会の主張とは何ですか。統一教会の主体思想とは何ですか。神様を中心とする思想です。これが主体思想です。愛を中心とする主体思想です。この主体思想の中から秩序的な段階について述べるならば、そこには三つの段階がなくてはなりません。それで父母と夫婦と子女があるのです。この中心が神様と因縁をもち、皆さんが四位基台理想を拡大させることのできる愛的理想圏が我々の主体思想の内容なのです。分かりますか。

 愛を中心とした主体思想の内容は神様を第一主体とし、それから真の父母を第二主体とし、自分の相手を第三主体とし、子女を第四主体とするのです。内容を見れば、そうなのです。神様、その次には真の父母です。アベルとエバには神様と真の父母しかいないではないですか。

 愛は拡大する力をもっています。それが集約されれば一つになるのです。それゆえ拡大することのできる理想を連結しようとすれば、つまり全人類を胸に抱いて生きていこうとするなら、拡大しなければならないのです。これを拡大したのが我々人間の繁殖です。分かりますか。アベルとエバの二人を横的に拡大したのです。それゆえ主体思想の内容を要約してみれば、神様が愛を中心としては絶対主体なのです。その次は真の父母です。その次は何ですか。自分たち夫婦です。自分たち夫婦が真の父母の代わりとなって、真の父母の代わりに子女をもつのです。これが四位基台です。内容がそうなっています。(一六四―九三)

 今日統一教会の主体思想はどういうものですか。愛を中心とした主体思想なのですが、愛の内容は何ですか。神様。その次には何ですか。(真の父母)。真の父母です。この世界が一つの国になれば、「真の父母思想」を父母に代わって定立するのです。真の父母は霊界に行くのです。しかし人間たちが真の父母に代わって地上で父母と一つになり、妻子と一つにならなければなりません。この愛を壊してはなりません。これにひびが入れば大事になります。これにひびが入ればどうなってしまいますか。宇宙の力の世界から追放されるのです。(一六四―九五)

 我々の主体思想は金日成の主体思想ではありません。民主主義の主体思想ではありません。共産主義の主体思想ではありません。神様を中心として愛の主体思想をもつ我々としては権威と責任を遂行するに当たって、宇宙のあらゆる品々、被造物であるとか、創造主がご覧になるとき恥ずかしくない合格者として残っていなければならない、ということを生涯の目標と定めているのです。(一六四―一〇四)

 今日革命政府が出てきて主体思想という話をしていますが、それはよい言葉です。主体となる人はどのように行動しなければならないのでしょうか。あらゆることに対して責任を負うことのできる保障のもとでのみ主体になるということを知らなければなりません。何もしないで主体となり、責任者となるのではありません。誰でも社長になるのではないのです。社長はその会社におけるあらゆる難しい事柄、よい事柄すべてに責任をもちながらも、なお余裕がなければならないのです。そうして初めて立派な社長だと言うことができるのです。(八二―三二一)

 ソ連や中共と妥協してはいけません。自主的な立場から神様と妥協せよというのです。これが主体思想であって、大韓民国の歴史と妥協してみたところで、その歴史がこの人類史を指導することもできず、神様の摂理の路程につくこともできないことを知って、今や天倫とともに一つにならなければなりません。主体思想は神様と聖人と忠臣と孝子の道理を結束させたものです。このような思想を中心に、この国、この民族を教育して武装させるなら霊肉共に堂々とした世界の主体国家となることでしょう。(一九七八・一〇・四)

 我々が必要なのは何ですか。これまで民族なら民族、家庭なら家庭を主にし、そこから出てくる民族や家庭が、聖人たちが必ず行かなければならない、聖人を指導される、神様のみ旨と目的に一致できる方向をどこに設定するかということです。それを設定することができれば、それは世界的な主体思想となるのです。

 今日韓国において人々が主体思想について語っていますが、この時代は世界時代なのです。この世界的な文化圏を目前に控えたこの時に、大韓民国として提示する主体思想は大韓民国を中心としたものでなければならないのです。

 世界思潮の中において中心的な立場を代表できる民族史ならば、それは主体思想として登場することができるかもしれませんが、このような世界の全体歴史の主流思想と関係なく、自分の一方的な立場から主体思想を論じてはならないのです。その主体思想が、必ず神様のみ旨に一致され得る協同的な超民族性を備えられる歴史的背景をもつ時までは、成立されることはありません。(八四―一八七)

 主体思想とは何ですか。世界を一つにする思想であり、平和の思想です。韓国で各宗教が発展してきたのは、この思想を受け継がせるための天の作戦であったという結論を下すことができるのです。これが何を意味しているかと言えば、宗教を統一し、その次には内的な基準を統一した上で外的な基準を一つにするということです。それは平和のためです。平和のために! 政治の目的は平和を成し遂げることです。(一九八七・九・一)

 新たな主体思想が一般的な個人の没落を防止し、社会の没落を防止し、中心のない国家を防止し、中心のない世界を防止し、中心のない神様の摂理観を防止することのできるただ一つの公式の軌道は「ために存在する原則」であって、これは出発から終着点まで、つまり神様の創造の世界から終着点まで永遠に残る真理であり、原則であることを皆さんは知らなければなりません。(七七―一三九)

2 南北が分断されたのは主体思想がなかったため

 解放された直後に韓国経済はアメリカ派、中共派、ソ連派と三つ巴で戦い、互いに自分が正しいと言い張って、李博士が政権を樹立しましたが、暗殺問題が起きたために混乱が生じたのです。またキリスト教は、神社参拝を行ったキリスト教と獄中生活をした再建教会、それから地下にあった心霊集団が全部出てきて混乱が起こったのです。神様のみ旨を知らないためにそうなったのです。

 それで、宗教の基盤を中心とした統一的な舞台を大韓民国の南北統一と連結していくのです。その当時はアメリカによる軍事政権時代だったでしょう? 李博士さえ協助してくれていたなら、私がその人たちをまとめることができたでしょう。私にはそのくらいの能力があります。そして神様を中心にし、アメリカを中心とする一つの統一的な世界国家形成を果たさなければならなかったのですが、その機会を逃してしまったのです。

 それが四十年さかのぼってみな台無しになったのです。南北が「さっ」と分かれてしまったでしょう? それから四十二年になります。四十三年までが限界線です。四十三年までが限界線なのです。この期間に統一的な運勢を備えなければ滅びます。では、南北がなぜ引き裂かれたのですか。統一理念がなかったからです。主体思想がなかったからなのです。(一六六―一五三)

 その時は国がありませんでした。国がなかったのです。国のない大韓民国が既成教会と一つになってアメリカを連結し、世界へ行くことのできる道を提示しなくてはならなかったのです。にもかかわらず、それを提示できるキリスト教の指導者がいませんでした。それはなぜでしょうか。神様の全般的な摂理から見るとき、一九四八年以前の三年の期間は混乱期でした。指導理念を失った混乱期だったのです。

 アメリカにおいて独立運動を行った李博士が帰国し、中国に行っていた金九先生が帰り、ソ連に行っていた愛国者たちが各々違う背景を背負って帰ってきて、それぞれ自分たちの主体的な基盤を整えるために活動を行いました。互いに争ったのです。ですから主体思想がありませんでした。大韓民国が一つとなって、アメリカやソ連、あるいは共産主義や民主主義という思想的な見解を統合して、世界へと出ていくことができるだけの主義がなかったというのです。指導理念がなかったのです。その場が混乱した環境であったために北韓は北韓、南韓は南韓の思う方向に進むことになったのです。(一六四―一二九)

 大韓民国も三つなのです。ソ連派、中共派、アメリカ派、こうして三つ巴の戦いが起こったりしています。その時には主体思想がなかったのです。このように歩めば大韓民国が世界に連結されるという主体思想がなかったのです。ですから互いに角逐戦を行い、また教会は教会で角逐戦を行って、これが三年以上も続いた後に、北韓が一九四八年九月に政府を樹立しようとしたのを見て、南韓も仕方なく八・一五を中心に政府を樹立したため、この二つが分裂したのです。(一六五―二九二)

3 超民族的な主体思想を確立しなければならない

 今から四十年前解放のラッパの音とともに国外に出て活動を行っていたあらゆる愛国者、いわゆる愛国者と言われる人々が全部故国の地に帰ってき始めました。その代表的なのがソ連の一派、中共の一派、アメリカの一派ですが、その三つの派が来たために問題になったのです。金九先生とか李承晩博士だとか、金日成を中心とする南労党まで連合したのです。やがて代表的な政府を立てた一派が南労党をなくしてしまいましたが、このように(三派間で)戦ったのです。

 しかし、その時には韓民族としてこれといった主体思想がありませんでした。我が民族はアジアにおいてこういう道を歩み、アジア諸国に影響を与えていかなければならないといった自主民族思想がなかったのです。若者も年寄りも、我々はこのように進んでいかなければならないという主張がなかったのです。ちょうど今それと同じことが起こっているのです。信託統治、米・ソ関係を中心に混乱が起こり、互いに暗殺を行い、激闘していたそのような環境が今またそっくりに起こっているのです。

 どの国についていくのですか。アメリカについて行くことはできません。ソ連について行くこともできません。中共について行くこともできず、日本について行くこともできないのです。見なさい。韓国が置かれている立場を地政学的な見地から見るならば、周辺国家は全部強大国ですが、今は強大国自体も信じるに値しないのです。アメリカや日本が貿易の逆潮問題に直面しているでしょう。中共と日本は東洋において四十年前に我々を占領した侵略国です。ソ連は何といっても共産党でしょう。また韓国とアメリカを中心に見るとき、常にアメリカを信じることができますか。このごろ韓国に対して、第二の日本だといっては貿易を制御し、ブレーキをかけています。自分の利益のためには韓国を打つことも辞さないのです。我々としては体質的に連結することのできる国が一つもありません。共産党と連結するつもりですか。中共と連結するつもりですか。それとも日本と連結するつもりですか。アメリカと連結するつもりなのですか。(一六六―一一九)

 今日大韓民国が一つ知っていなければならないことがあります。主体思想についてうんぬんしている国において知っていなければならないことは、将来超民族的な主体思想をどこから探し出すのかということです。私が大統領に会ってこのことを話そうとしたのです。

 主体思想の起源は今日脱民族主義的なこの地で探し出せばよいのでしょうが、もし探し出すことができなければどうなりますか。大韓民国の歴史は世界の文化史圏の主流思想であるという、そのような歴史観を提示することになれば、この韓国が主体思想によって独立を果たすことができますが、もしそうできない時には、このような民族史観の結末を迎えるだけであって、新たな次元の世界へは進み行くことができないのです。

 今日の対共戦略からもそうなのです。共産主義というものは世界主義です。共産主義は世界主義なので、民族主義的な観念に立っていてはこの世界主義である共産主義を防ぐこともできず、消化することもできないというのです。世界主義、超民族主義を基盤として、世界的な共産主義を防御することのできる思想的な体系を提示しない限り、共産主義を撃退することはできないのです。(八五―一一八)

 今日の国家主義について言えば、共産主義は国家主義ではありません。反共を国家主義とする韓民族の思想ではだめだというのです。世界主義でなければなりません。国家を越えて世界主義的な思想をもって対決を繰り返してきた共産主義なので、これを韓民族の主体性をもってしてはだめなのです。韓国の誰それが主張する民族的主体思想ではだめだと言うのです。民族的主体思想ではあっても、世界の文化史を代表した主流の立場から主体性を確立することができるなら、それだけが共産党を防御できる唯一の方法であると考えるのです。何の話か、分かりますか。(はい)。(八四―二五八)

 世界的な競争時代に入ったということを知らなければならないのです。大韓民国が経済建設のために世界の経済的闘争圏において勝利する、その方法を模索するのと等しく、統一教会は世界のために新たなる統一思想を中心とした文化圏を形成するために、新しい世界的な競争の舞台に躍り出て、新たな主体思想を確立しなければなりません。このような使命が世界に待ち受けているということを知らなければならないのです。(一九七八・一〇・四)

 今この時に白黒をはっきりさせておかなければならないことが何かと言えば、共産党を制圧し打倒するという問題は、大韓民国が必ず歩み行かなければならない運命の道として残っているということです。このことを中心に若者たちを訓練しなければならず、思想武装を行わなければなりません。そこで民族を中心として大韓民国と北韓が一つとなるために、経済的な通商であるとか、あれこれと手を付けることもよいのですが、問題になることがあります。あちらでは思想的に全部共産主義者につくってあるのです。それゆえ彼らと接触する前に、大韓民国の二世たちを完全に思想武装させておかなければならないのです。そこには神様を主として、何とかいう忠孝思想だけではなく、忠臣思想、忠臣思想だけでなく忠聖人思想までも行うことのできる天道に従って、大韓民国が主体思想を確立するならば、この国は絶対に滅びないというのが文牧師の主張なのです。(一九七八・一〇・四)

 民族として一つの世界の基準を備えておいたというのです。相対的な立場から主体思想を中心に統一しなければならないのですが、そのような統一の形態が自動的に内外共に既に整っているということなのです。(八一―二八五)




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