神様の摂理から見た
  南北統一

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五.国のない第二イスラエル圏の受難

 洗礼ヨハネを見ると、洗礼ヨハネは養子の位置にはいますが、霊的養子、肉的養子、天使的な位置に立っています。イエス・キリストは十字架で亡くなることで、キリスト教の出発ができました。そのキリスト教は養子の位置で復帰の役事をするのですが、霊肉を兼ねた位置ではなく、霊的基準だけをもった位置で行っているので、ユダヤ教よりも低い位置に置かれています。ユダヤ教は霊肉ともの基盤をもっていましたが、キリスト教は霊的基準を中心とした基盤だけであるという事実を知らなければならないのです。

 ですから、キリスト教は今まで養子圏を成してきましたが、外的世界である国がないのです。キリスト教に国がありますか。(ありません)。国がないのです。旧約時代は僕の位置ではあっても、ユダヤ教を中心とした民族の肉的な国があったし、霊的な国が設定できる基盤があったのです。 なぜ国が必要かというのです。国をもっていれば誰も勝手に攻撃することができないからです。ところが、国がないので、キリスト教はどこの国へ行ってもいじめられ、犬死にをし、悲惨な死に方をしました。世界的な足場を築くのがイエス様の本来の使命でしたが、それができず、キリスト教は数多くの犠牲を払い、数多くの殉教の血を流して、その足場を築きながら世界的な発展をしてきたことを我々は知らなければないのです。(九〇―二一三)

 今まで、宗教人たちはなぜ、生き残ることができないような立場にあったのでしょうか。宗教を協助してくれる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。

 国がない民だというのです。国があったなら、氏族が反対する立場にいても、その国の圏内に残る道があったはずですが、今まで宗教を信じる人たちは、どこへ行っても迫害を受け、どこへ行っても血を流す祭物の道を歩んできたのはなぜですか。国がなかったからです。主権者がいて、国があったなら、「おい、お前たち! これが正しいのだ」と言えば、「はい」と言ったはずです。ところが、国がなかったために、そうできなかったのです。国がない民だというのです。(五六―一五九)

 今までのキリスト教の歴史を見ると、数多くのキリスト教徒が虐殺されてきました。殉教の道を歩いてきました。なぜならば、キリスト教を中心とした強力な主権国家がなかったからです。もし、ある国が反対しても、その反対する国に対して堂々と対応できる国家あったなら、キリスト教徒は、そのような迫害の道、または殉教の道をたどってきはしなかったでしょう。自分たちを保護してくれる国がなかったために、悲惨な殉教の道をたどってきたのです。

 これを思う時、もし、再臨の時期においても地上にそのような主権国家をつくることができない場合には、再臨主を信じる信徒たちが、そのような迫害を受けたとしても追い払うことができないのです。サタン世界の数多くの国々が迫害をしてくる時、それに対処して攻撃できる神側の国家基準がなければなりません。それがなければ再臨時代において再臨主を信じる信徒たちもあらゆる者から迫害を受けることになるのです。(四〇―一一八)

 キリスト教を中心とした霊的なイスラエル圏はどうすればいいのでしょうか。今日のキリスト教は、昔のイスラエルの国のようになっていません。世界のキリスト教国家の中で、「主よ、私の国にしてください」という個人や氏族、民族、国家は多いのですが、イエス様が間違いなく自分の国に来られると主張できる国がないというのです。二千年前、イエス様が来られる時のイスラエルの国のようになっている国がありません。「我が国は数千年間、来られる再臨主を迎えることができる基盤をつくった。メシヤは間違いなく我が民族の中に、我が国の中に来られる」と、主張できる国がないというのです。国のない民族よりも悲しく、むなしいものはありませんが、そうなってしまうのです。(二一―四〇)

 今日、この地上に霊的救援を完成した世界圏、キリスト教文化圏が民主世界です。ところが、神様が選んだイスラエル民族が選民思想を受け継いだように、その選民を選んで、間違いなくあなた方の国へメシヤを送るとユダヤ民族に対して約束したのと同じようにできるキリスト教国家が世界にはないのです。皆さん、これを知らなければなりません。ですから土地を失い、国もなく、空中に名前だけをもって、その国を追求し、東側から追われれば西の方へ追い出され、西側から追われれば東の方へ追い出され、南側から追われれば北の方へ追い出され、北側から追って来れば南の方へ追い出されてさまよいながら、死の道を避けながら、世界的な発展をしてきたのがキリスト教文化圏の世界です。

 この世界に神様が地を足場として、「おい! お前たち、世界のために出動しなさい!」と、出動命令できる国がありますか。イエス様が来る前まで、イスラエル民族が間違いを犯した時には攻め入って悔い改めさせ、国を収拾してくださったし、異邦の民族が撃ってくれば、その撃った国を敗北させて勝利するように、(神様が)いつでも収拾してくださいました。しかし、今はそのように収拾する国がないというのです。イエス様が死んだのちに、どの国を中心として、そのようにできる国があったでしょうか。ありませんでした。それはなぜですか。霊的な基盤の上でのキリスト教であり、肉的な基盤をもつことができなかったために、この地上の摂理ができないというのです。(六五―四八)




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