神様の摂理から見た
  南北統一

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五.我々はサタン世界に送られた天の密使

 今日、天のために行く人たちはサタン世界に送られた密使です。個々人において大小、広狭、高低の違いがあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体が密使の生活を離れてはいけないのです。危険をはらんでいるのです。ちょっと間違えば、永遠の生命を左右される、このような立場に置かれているのです。

 ですから、永遠の生命を支えることができて、永遠の生命を保護することができる我々の祖国を探すという観念が、その環境よりも、何百倍も強くならなければ密使の生活をすることができないのです。その祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いた時に、すべての万民が喜ぶということを思って新しい歴史を創建し、祖国光復の一日を迎える時に、自身の功労が明らかになることを考えながら、現在の立場を無視できなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使を遂行できないというのです。言い換えれば、祖国光復のための願いが現実の願いよりも、千倍万倍も強い心でなければなりません。(それがあれば)今日、命を懸けた恨があっても、それを克服して密使の使命を遂行できるのです。

 もし、そのような責任をもっていて、不意の事故で犠牲になったとしても、その位置に新しい責任者を再び派遣できるのです。彼は既に死んだものの、彼の友達になれるし、ファンになる人が出てくるのです。彼が模範になる立場で生きたので、たとえ、彼が犠牲になったとしても、そこには彼のファンになる人が残るのです。このような人たちが残っている限り神様はその基盤の上に代身者を送ることができるのです。しかし、そうできない立場で死んだ時は、そこから彼がいくら苦労したとしても、それで終わるのです。

 このような立場で皆さんが、これから新しい時代を迎えて、どのような姿勢を備えなければならないのでしょうか。祖国光復のための信念が何よりもさらに高く、胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば六千年間、神様が願われた祖国を建設する旗手になり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、この重要な使命に責任をもったプライドを感じなければなりません。

 生まれて死んだ数多くの人々が望みましたが、手に入れようとしても手に入れられなかった、一つの時しかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。

 ですから、食べて、寝て、行き来する、あらゆる生活全体が祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に送られた密使として、凛々しく立派に、この使命を遂行すると言って出ていくことを、神様はどれほど願っていらっしゃるでしょうか。今までは、あきれるほど押され、あきれるほど追われ回りました。国家の発展を備えて全体の内容を提示して、一度も広げることができなかった神様の願いである祖国を立てることができる、そのみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を一度も成すことができなかったのです。

 しかし、これからは、そのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこには単一民族の血統がつながっていて、他の民族がもつことができない歴史があります。このような祖国のために、我々は密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命に自ら進み、早いうちに完遂すればするほど、祖国光復の基盤が私を通して次第に近づいてくるのです。今日の苦労の代価を払い、祖国光復のその日を近くに迎えることができる基台となるのです。このような事実を考えながら、皆さんは、生きて密使の使命を完遂するという決意をもって進み行かなければなりません。そうでなければ、これから神様が我々にもってきてくださる世界的な祝福と天運を、我々のものとして迎えることができません。(二九―四〇)

 我々は天国を地上に建設しなければなりません。地上にその国を立て、その国の中心と一つになり、天が願う基準を備えて帰ってこそ、天の父の前に面目を立てることができるのではありませんか。

 ところで、皆さんには国がありますか。そうでないことを思う時、死のうとしても死ねないのです。死んだらどこへ行くのかというのです。霊界に行ったときの恥ずかしさをどうしますか。私の生命の年限というのは制限されているのですが、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいですか。それに邪悪なサタンの環境は我々に反対し、怨讐たちは我々の道を妨げているではないですか。それを乗り越えて行こうというのですから、いつも密使のような行脚の路程を避けられないのです。これが統一教会の食口たちが行かなければならない道であることを、皆さんは知らなければなりません。(五〇―二五二)

 私が行き来するのも、その国を探し立てる祖国光復のための建国の功臣になるためです。そのような使命を負い、あるいは天の密使として指令を受けて、今日、悪の世にきて、このようなことをしているという事実を考えながら生きていかなければなりません。そうでなければ、皆さんがこれからできる国の国民として、その威信と面目を立てることができないことを知らなければなりません。(五〇―二五五)

 皆さんは個人的な影響を与えたいですか。家庭的な影響を与えたいですか。国家的なのか、世界的なのか、どのように影響を与えたいのですか。(世界的に……)。ところが、世界的な舞台に上がれば、一人ではだめなのです。国がなければならないのです。ところで、皆さんに国があるでしょうか。(ありません)。

 ですから、我々は夜も昼も国のために食べて、寝て、暮らしているのです。そのために生まれたということを、皆さんが天を中心として誓う生活をすべきだということを知らなければなりません。寝るときも、世界の数多くの人々を集めて頂上に置いて寝ることを考えなければなりません。お膳を見ても、そのようなことを考え、どこにいても自分一人でいるのではなく、世界のすべて、数多くの人種を全部集めて、その頂上の宝座に座っているという心をもたなければなりません。天の息子、娘はそうでなけばなりません。

 サタン世界の権限を凌駕する位置に立つことができる栄光の位置を占めて暮らさなければならないのが、天の息子、娘の生活であることを、皆さんは知らなければなりません。神様が息子、娘を愛するなら、そのような娘、息子を愛するでしょう。サタンほどもない息子、娘を愛したのでは、神様の威信が立たないのです。皆さんは、そのような信念をもって日々の生活を全世界と手を握ってやっていかなければならないことを、新たに決意しなければなりません。その点、統一前線の基盤は確固たるものになると見ています。

 「私はたとえサタン世界圏内にいても、天の密使である。一人の天の大使である」と考えなければなりません。密使が連絡するのは、その国の王と直結できる道があるからです。ほかの人には分かりませんが、そのような密使の使命と威信のために暮らしているという信念をもって進まなければならないのです。これを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。国王も密使の知らせを待っているではありませんか。同じことです。我々がこの地上でこのような使命を果たせば、神様も我々の報告と我々の要求を待たれるようになるのです。

 ですから、私が密使の立場で早急に願うものを送るようにと言えば、百方に冒険をし、克服しながらでも送るようにするのではないでしょうか。これと同じように、皆さんがそのような信念をもって神様の特権的な霊長の息子、娘であることを認識しながら「私はこれを願いますから、どうぞかなえてください」と言えば、成就してくれるのです。そうすれば、生きていらっしゃる神様を発見することができ、生きて神様が働かれるのを見ることができるのです。

 そうなってこそ指導者になれるし、病人がいれば治すことができるし、困った時、直接手を貸してくださるようになるのです。そのような生活を通してたくさんのことを学ばなければなりません。そうしてこそ自信がもてるし、信念をもって進むことができるのです。(六五―二八六)




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