神様の摂理から見た
  南北統一

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五.聖殿復古運動

1 聖殿を建てなければならない理由

 イスラエル民族の歴史を見ると、イスラエル民族は四十年間、荒野で流浪しながら貧しい生活をしました。生活面では飢えに苦しみ惨めでした、そしてまた、イスラエル民族がカナンの地に入って見ると、カナン七族は裕福に暮らしていたのです。仮にも、偶像を崇拝していたのに裕福だったのです。ですから、この人たちがどうしたかというと、息子、娘たちや自分がその家と関係を結んででも、もう少し良い暮らしができたらということを考えたのです。

 しかし、そこでカナン七族を越えた建国を考えなければなりませんでした。建国のためには神様の聖殿を建てなければなりません。聖殿を建てると同時に、その聖殿は国の基盤としての聖殿でなければなりません。国を求めることができる聖殿、その聖殿と一つになって、国の基準で一致できる精神的、思想的な基盤を成します。教会、聖殿によって成して、完全に、中心的な主体性を精神分野に立てるのです。そして、国家的体制圏内において、環境的な国家体制の相対圏を形成させなければなりませんでした。イスラエル民族がバビロンで暮らして、帰ってきてからしたことは、そのようなことです。また同時に、カナンの福地に入ってしなければならなかったことはそれなのです。

 まず、すべきことは何かというと、国を指導できる聖殿を建てなければならなかったのです。イスラエル民族が聖殿を建てて何をしますか。自分たちの暮らしが問題ではないのです。それを知らなければなりません。自分が暮らすのが問題ではありません。国を探し建てなければなりません。イスラエル民族がカナンの福地にたどり着いたのですが、なぜそこにきたのですか。国を建てるためです。建国のためです。エジプトを凌駕できる国を探してきたのです。これを知らなければなりません。

 エジプトで、苦労の中で呻いていた過去を思い出しながら入るという考えをもって(カナンに)入ってはいけなかったのです。それ以上に準備しようという考えをもって、彼らの前に現れたカナン七族がいれば、それを押しのけてでもジャンプし、その土台の上にエジプトよりも大きな国、自分たちの祖国を建てるのだという信念を中心として進まなければならなかったのです。

 誰によってですか。神様と共に、聖殿を中心としてです。いつも契約の箱に侍っていったではありませんか。それが一番です。契約の箱を中心とした国民の糾合です。それを知らなければなりません。何のことか分かりますか。(はい)。契約の箱を中心として国民を糾合しなければならなかったのです。

 精神的な主体の前に相対的な基準の国家体制、国民連合体制をつくっておかなければならなかったのです。国を建国しなければならないのです。こうして心と体が完全に神様を中心として一つになったなら、国を中心として、そこに相反するすべてのことを神様の名において押し返すことができる、主体思想化した行動力を動員できるのです。これがカナン復帰路程でイスラエル民族が行くべき道だったのです。

 バビロン捕虜から帰ってきて、マラキの時代に入ってしなければならなかったことは何でしたか。聖殿復古運動でした。同様に、それをしなければなりません。それをやらなければだめなのです。疲弊して、寂れたすべての聖殿を清掃しなければなりません。民族の精気の主体性として登場し、神様に侍る聖殿を中心として完全に主体的確立を全国化させるのです。全国化するだけでなく、世界化できる主体性を見せることを神様は願われたのです。それが復古思想圏内にあるイスラエル民族に対して神様が願われる道だったということを、確実に知らなければなりません。分かりますか。(はい)。ところが、イスラエル民族は飢えて餅のことを振り返ってばかりいるうちに、カナン七族が定着していたのです。羊の群れをもち、財産をもって振る舞い、食べて遊ぶのを見て、どれほどうらやましかったことでしょうか。神様が願われる聖殿の建設、祖国光復は願いもせずにいたのです。その国を肥料として踏み越えていかなければならない立場にありながら、おなかがすいたから餅か飯をくれと言うのです。肉の塊か羊の肉でも食わせてくれれば、「これが一番だ。なぜ、荒野に引っ張り出して、このような苦労をさせるのか。何がカナンの福地だ。モーセが何様だというんだ」と言ったのです。ここから狂い始めたのです。

 しかし、自分たちは腹が減って食べさせてもらっても、二世たちはそれを乗り越えられるように、教育しなければならなかったのです。それにもかかわらず自分たちはもちろん、息子、娘もカナン七族の息子、娘たちとカップルにさせるようなことをしていたのです。なぜですか。「そうしてこそ、うちの息子、娘たちがここで定着して幸せに暮らせる」と考えていたからです。これは滅びる者たちです。自分たちはそのような立場に立っても、二世は砂漠に送らなければなりません。そうしないで、二世までも同じようにほっておけば滅びるしかないのです。芽を折られ、枝と根まで腐っていけば、それはもう滅びなければならないのです。

 皆さんも同じことです。バビロンから帰ってきたイスラエル民族がしたことと同様に、歴史的な伝統を立てなければなりません。この難局を越えられない時は滅びるのです。統一教会を中心として四十三年間してきたことは何かというと、イスラエル民族の復古運動を再現してきたのです。四千年の歴史を四十年間で蕩減して、今、出てきたのと全く同じなのです。

 先生がアメリカにいる十五年間に、韓国統一教会は全く疲弊状態になりました。先生がこの国にいなかったからです。しかし、先生の勝利的基盤を中心として、世界的な版図圏を中心として帰ってくるということは、イスラエル民族がバビロンから解放されてイスラエルに帰っていったのと全く同じです。

 ここで注意すべきことは何でしょうか。何をもって入ってくるのかが問題です。お金をもってくるのではありません。聖殿を復古しなければなりません。神様に侍ることができる聖殿を建てなければなりません。分かりますか。(はい)。国を動かすことができる聖殿です。(一九八八・二・二四)

2 故郷の地に神様の聖殿を建てよう

 イスラエル民族はカナンの地に入っていって、すべて滅びたのです。なぜ滅びたのでしょうか。四十年間、流浪していたイスラエル民族が定着して、カナンの地に住んでいる異邦人たちの風習と財産をうらやましがったのです。それを越えて、イスラエルの聖殿を建てなければならなかったのです。イスラエル民族が定着し、息子たちが定着する前に失われた聖殿を造り、神様に侍ってから国を収拾し、その次に自分の前後を整えて定着すべきだったにもかかわらず、国を失い、聖殿を建てずに自分自身がまず定着したというのです。

 今はその時と同様の時代です。それで、先生が今回きて何をしたのかというと、聖殿を建てる仕事だったのです。統一教会は今、疲弊しています。それで、全国の面単位に千五百の教会を建てようとしました。その地方にある何よりも神様の聖殿を立派につくるのです。それとともに地上に国を建てなければなりません。それから定着しなければ、イスラエル民族がカナンの地に入って滅びた運命を避けることができないので、そのことを命令するのです。分かりますか。

 そして以前、四十名の基台長を送ったのは、四十名が責任をもって聖殿を建てる土地を買うようにするためだったのです。

 先生が北韓でも失われた教会と疲弊したすべてのものを収拾して、聖殿を回復させ、北韓の地を復旧してこそ南北が天の懐に抱かれるのです。その国圏内の聖殿を中心として、国が設定された所に定着しなければならないのに、今そのような考えもなく、定着しますか。それでは滅びるのです。この時をはっきりと知らなければなりません。(一九八八・二・二一)

 ここに面の出身者がいれば手を挙げなさい。皆さんが責任をもって、責任者(族長たち)は自分の土地を売ってでも、どうにかして一つずつつくらなければなりません。分かりますか。それでこそメンツが立つでしょう。福を受けるのです。昔、アブラハムが墓を探し回ったように、心情的な基盤である故郷に訪ねて行き、天に侍ることができる殿堂を自分の家よりも、もっと重要視してつくるべきではないでしょうか。今朝、話すことは聖殿を建てなければならないことと、その次に教育できる学校を造ってから自分の家をもたなければならないということです。自分の家があるでしょう? 農地もあるでしょう? 家をほっておいても聖殿を建てなさいというのです。何のことか分かりますか。(一九八八・二・二四)

3 聖殿改築にすべての精誠を尽くそう

 今回、指示したことは何ですか。二世を収拾しなさいということです。今まで関係したすべての者たち、教授や知人の息子、娘、全部です。それがまず第一で、二番目は何ですか。皆さんの故郷を救わなければならないということです。韓国を救うことを言っているのではありません。若者を引っ張り、故郷に帰らなければなりません。故郷に帰って神様の愛を中心として、父母を愛することができなかったことを悔い改めなければなりません。近所の人、親戚たちを愛せなかったことも悔い改めなければなりません。

 アメリカを見ると、国がなく教会もなくなったのです。父親もいなくなり、息子、娘もいなくなりました。家庭もみななくなりました。バビロンに行っていたイスラエル民族が新しく帰ってきて何をしたかというと、聖殿を新築しました。アメリカの建国思想がそうでした。開拓者たちが来て、初めにしたことは何ですか。神様の名において教会を建てたのです。その次は教育をしたのです。二世を教育したのです。その次は二世たちのために、彼らと暮らす家を建てたのです。これが宣教を中心とした、アメリカの建国思想の伝統的な道だと言えるのです。

 同様に、イスラエル民族もカナンに帰ったなら聖殿を新築しなければなりません。神様に侍らなければなりません。その次は二世を教育できる学校を建てなければなりません。その次には教育した二世を中心として、神様と共に暮らすことのできる家を建てなければなりません。これが順序です。

 ですから、私は今回、二世を立てて故郷復帰しなさいと指示しました。縛ってでも故郷に入っていくのです。これが統一教会でいう、家庭教会の理念を代表できる二世たちを連れて、皆さんの故郷に帰ることです。二十四時間、その村であらゆることをしても、その村の人々が反対できないのです。父親も母親もです。これからは文総裁に対して反対できない環境に次第になっていくのです。すべてが「良し」と言うようになっているのです。あっという間に回るのです。

 郷土に帰っても、既成教会はそのままにするのです。既成教会に我々が入っていって神様の思想を入れるのです。原理を入れなければなりません。今、国家の指導者たち、この人たちがこれから選挙を通して市長にもなり、地方自治制によって、市、郡の議員になるでしょう。洞議員から市議員に全部なるべきではありませんか。それから何をしますか。このような思想で、神様の名における聖殿を収拾するのです。聖殿を改築しなければなりません。

 ですから、千五百の教会を建てるのです。皆さんは、ご飯を食べられないで大変だ、暮らしの基盤もつくってくれないと言いますが。それはあとです。まず、国を救わなければなりません。我々の国のために、神様の国のために聖殿を改築しなければなりません。その次は子供たちの教育です。

 そして、聖殿ですべての精誠を尽くして、その次は自分の足りなさを悔い改めるのです。若者たちを連れてきて教育して、その教育された基盤をもとに町の人たち、里長でも何でも全部が神様と神様のみ旨に従う若者たちと一つになるのです。若者たちが中心になるのです。こうならなければなりません。このようにして、その若者たちをアベルとして、長子権を復帰した自分の先祖のように侍らなければなりません。それでこそ、この国が生きていくことができるのです。これが復帰の路程です。(一九八八・四・六)




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