成約人への道
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 二 家庭は天国完成の基本単位

  1.家庭は地上・天上天国の礎石

 家庭から天国を成さなければならないのですが、イエス様も家庭を築くことができなかったので天国に行くことができず、楽園にいらっしゃるのです。楽園は、天国へ行くための待合室のような所です。地獄は、人間が堕落したがゆえに生じたものです。神様が始めから造られたものではありません。
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 四位基台は、地上天国と天上天国の礎石です。天国は、一人ではつくることができません。それゆえ、イエス様も一人でいてはいけないので、聖霊が降臨しなければならないのです。
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 天国の起点は、個人でもなく、国家でもありません。家庭なのです。それゆえ、イエス様は新郎新婦の因縁を求めてこの地に来られるのです。個人が天国の起点でしょうか。家庭が天国の起点なのです。
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 家庭は天国完成の基本単位です。天国は、一度行けば帰りたくなくなり、十回、百回会ってもまた会いたい、そのようなお方のいらっしゃるところです。万民が共通にそこに行きたいと思い、そのお方に会いたいと思い、そのお方と共に生きたいと思うならば、世界は統一されることでしょう。そこを目指して進んでいるのが統一教会です。しかし、それは一度に成されるのではありません。まず、個人の基台ができ、次に家庭の基台ができ、民族、国家、世界へと順次、広がっていかなければならないのです。
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 家庭天国は、男性と女性が完全に一つとなってこそ完成するのであり、個人天国は、体と心が完全に一つとなってこそ完成するのです。家庭天国は、神様のみ旨を中心として夫婦が一つとなり、子女と一つとならなければなりません。そのみ旨の目的は、万民のためのものです。そして、そのみ旨の中心は神様です。それゆえ、神様を中心として万民のために生きるところから、家庭天国が連結されるのです。神様のためだけに生きるのではなく、神様を中心として万民のために生きなければなりません。神様は、そのような家庭を探し求めていらっしゃるのです。世界が復帰されるときまで、そのような家庭を探し立てなければ、万民を救うことができず、万国を救うことができず、万家庭を救うことができないがゆえに、そのような家庭をつくるために祝福家庭を立てたということを、皆さんは知らなければなりません。
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 統一教会の原理でいう四位基台とは、三代愛圏を意味するものです。三代が一つの家で暮らしながら愛によって和睦し「幸福だ」と言うときに、天地創造の理想が実現されるのです。夫婦が愛すべきことはもちろんですが、子女たちを愛で指導し、真心を尽くして育ててこそ家庭が和睦でき、幸福になるのです。これが縦的に成され、横的に連結されるとき完全な愛が完成するのです。いとこや、六親等のいとこまで、愛で一つとなって初めて愛の円形となり、完全なものとなります。
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 私たちの家庭と、天国は、その形態が同じです。私たちの家には父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、兄弟がいます。私たちの家は愛で一つになることができます。ここでは統一がなされ、生命が連結することができ、理想を実現することができます。ですから、皆さんが夫婦の愛を尊重することができ、父母の愛を尊重することができてこそ、天国へ行くことのできる資格者となるのです。祖父母は父母の前に愛を相続し、父母は夫婦の前に愛を相続し、夫婦は子の前に愛を相続しています。ここで、どの愛一つを否定しても天国は成り立ちません。夫婦同士で愛する以上に両親を愛し、自分の両親を愛する以上におばあさん、おじいさんを愛すべきだという結論になります。それが天国の核心となり、理想的モットーとなるのです。
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 神様の創造理想世界とは、どのような世界でしょうか。真の父母圏を通じて地上天国と天上天国が成される世界です。天国は愛の基盤を通じてのみ成されます。堕落した世界には、真の父母の愛を受けたことのある人は誰一人としていなく、現れた痕跡すらありません。霊界も同じです。真の父母の愛を受けていった者がいないからです。
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 天国はどこにあるのでしょうか。空中にぽつんと離れているのではなく、父親と母親、そして子供の間で授け受けるという生活的な舞台を育て、また、その中にあるすべての被造物を私たちの生活に利用し、私たちの理想の条件として利用する楽しさ、その楽しさを一〇〇パーセント享受し得るところが天国です。
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 今後先生は、家庭に関する規範、天国家庭としてもつべき、生活に関する規範を教えてあげなければならないと感じています。ところで、復帰の路程を歩んでいくべき人は、原理を中心として教えてくれる人がいるので、その人を通して教わらなければなりません。先生がそのような問題に直接責任をとる時代は過ぎました。家庭一つ一つを中心として、再度収拾しなければなりませんでした。私たち統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を主としているのです。個人を主としてきたものを、家庭を主とするのです。
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 み言の時代を経て、実体の時代を経て初めて、相逢(相まみえる)の日を迎えるのです。そして相逢の日を迎えてこそ、天国生活をすることができるのです。相逢の日には、相手の心が私の心であり、相手の心情が私の心情であり、相手の姿が私の姿であり、相手の困難は私の困難であり、相手の傷は私の傷として感じられる境地にまで入らなければなりません。そのような境地に入って相手の心も私の心であり、相手の心情も私の心情となってこそ、天国家庭ができるのです。それがこの地で完結されてこそ、天国家庭ができるのです。
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 天国生活は、どこから始まるのでしょうか。家庭です。他のところから始まるのではありません。天国とは、家庭を立体的に拡大したものにすぎず、家庭圏を離れたものではないのです。それゆえ、皆さんは自分の妻や夫を抱くとき、それが世界の男性と女性が一つになることだと考えなければなりません。そのように、世界人類を愛したという条件を立てることのできる場が、すなわち家庭なのです。
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 天国は、家庭を中心として成されます。家庭の家族として守るべき矜持(誇り)を忘れてはなりません。
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 これからは私たち統一教会で礼拝を捧げるときも、説教の形式ではなく、報告の形式で行わなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇ることのできるものでなければなりません。それゆえ、家庭全体で来て礼拝を捧げなければならないのです。そうして、良くやっている家庭を見ては見習い、そうでない家庭には、うまくいくように導いてあげなければならないのです。そうして家庭天国を建設しようというのです。まず家庭天国ができなければ地上天国はできないということを、はっきりと知らなければなりません。
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 今、私が教会を建てないのは、それなりの考えがあってのことです。教会に多くの人が必要ではないからです。天国は教会からできるものではなく、家庭から始まるものです。家庭、すなわち新郎新婦から始まるのです。女性は男性に出会うために生まれ、男性は女性に出会うために生まれました。赤ん坊が眠りから覚めて、まず呼ぶのが「お母さん」です。赤ん坊が母親を呼ぶ以上に、夫は妻を呼ばなければなりません。そのように呼んだことのない人は、かわいそうな人です。また、妻も夫以上に、そのように呼ばなければなりません。お互いに、そのような夫婦として接しなければならないのです。琴瑟之和(注:夫婦の仲がごく睦まじいこと)の夫婦として、お互いにそのように呼び合って暮らさなければならないのです。そのように千年、万年暮らしたならば、老いても青春をうらやむということはないのです。今後、祝福家庭の夫婦が八十歳の老人になったならば、先生が世界一周をさせてあげようと思います。
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 昔、先生が統一教会を始めた時のように、友達が家に来れば「自分の家よりもここのほうがいい。麦飯を食べたとしても、粥を食べたとしても、うちの御飯よりもおいしい。もう一晩だけ泊めてくれないか」と言う、そのような家庭を築きなさいというのです。訪ねてきた人、訪ねてきた友達がみな、自分の家を捨ててその家に来たいと思うような家庭になってこそ、その家庭は天国の家庭となるのです。
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 神の愛を中心として二人が一つとなってこそ、夫婦の天国ができます。一つとなったものは誰にも離すことはできず、分かれたり離れたりする心配はありません。皆さんは、どのような愛を見いだしましたか。神の愛を見つけたとするならば、皆さんの心と体が完全に一つとなり、神の愛がそこに臨在できなければなりません。そして夫婦の天国が生じ、家庭天国を成さなければなりません。お母さんとお父さんが完全に一つとなって愛し、その息子、娘も両親のように相手を得てこそ、家庭天国が実現するのです。父母がプラスとなり、息子、娘がマイナスになれば、家庭天国となるのです。
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 夫婦のうちで、男性はどうあるべきなのでしょうか。男性は、教会と関係をもたなければなりません。また女性は、物質と関係をもたなければなりません。環境的にはそのようになっていますが、家庭的にはどうでしょうか。父親と母親と息子、娘、この三者が一つとならなければなりません。そこから家庭天国が始まるのです。それゆえ、愛を中心とした天国を成すためには、四位基台を成さなければなりません。


  2.家庭は真の愛の訓練道場

 天宙主義というのは、体と心を合わせたのち、神様の愛の本体となる家庭を成し、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」の字は「家」という意味です。家の宙、ですから天宙主義という言葉を使うのです。天宙は、無形世界と実体世界を合わせたものです。それが私たちと、どのような関係があるのでしょうか。私たちには家庭が必要です。皆さんが家庭で一つになれないとすれば、天宙主義とは関係がないのです。家庭が、天宙主義を完結するための最終基準なのです。そこで平和の歌を歌うことができず、幸福を賛美することのできない人は、地上でも、霊界へ行っても不幸な人となるのです。
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 愛は永遠に続くものです。愛は最高の願望なので、万民がもろ手を挙げて相続しようとします。その愛を残すことによって、霊界でも神様の前に堂々と進むことができます。そのような愛を完遂し得るところが家庭です。家庭を通して天国に行くということは、すなわち愛の一体圏ができるということです。
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 天があれば地があり、天と地があれば、これを象徴する男性と女性がいて当然です。それが立体的な面で一つとなり得る心情的な基準が、家庭です。その家庭は、目的世界のための絶対的な基準をもって突き進むことができます。そこから新しい歴史、新しい世界、新しい天宙の基盤が築かれるのです。
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 家庭を中心として天宙主義を成さなければなりません。天宙とは、天と地を総合したものです。天と地は、人間における心と体のようなものです。心と体が一つにならなければなりません。一つの主体があれば一つの対象が必要であるように、一人の男性には一人の女性が必要なのです。男性と女性が一つとなるのが家庭です。
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 一つの家庭は、社会の倫理的基盤であり、人間世界において最も手本となり、根源的で、一次的な組織です。そのような家庭において、「愛」が最善の価値基準になるのです。
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 人間の価値をどこに置くべきかというと、理想世界に置くのではなく、理想の人に置かなければならないのです。ですから世界を愛そうとするならば、人を愛さなければならないのです。どのように愛するかというと、男性が女性を愛するように、女性が男性を愛するように愛さなければならないのです。
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 神様の息子になろうとすれば、神様の心情に似なければなりません。神の心情は、世界に植えられています。ですから、世界の人を愛さなければなりません。距離が離れている関係で愛せないというならば、その国を愛し、氏族を愛し、家庭を愛し、父母を愛さなければなりません。なぜなら、父母は神様、夫婦はアダムとエバ、子女は世界の人類を代表した立場にあるからです。
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 理想世界とはどのようなものでしょうか。理想的となるには、単色よりも色とりどりなのが理想的です。そのような意味から考えると、五色の人種が一つとなって暮らすのが理想的でしょうか、五色の人種がそれぞれに暮らすのが理想的でしょうか。みな一緒に一箇所で交わって暮らすのが理想的です。ですから、そうなっていないとすれば、直さなければなりません。レバレンド・ムーンが現れてそれを直すのを、神様は嫌がるでしょうか、喜ぶでしょうか。神様はそのような人を後援しようとするのです。ですから皆さんは、神様のような心をもって、その父母の伝統を継承して人類を愛する天の家庭的なこの心情の絆を、いかにして拡大するかということに力を注がなければなりません。
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 この中で、年を取ったおばあさん、おじいさんが好きだという人は手を挙げてみてください。それでは、好きではないという人、手を挙げてみてください。手を挙げない人が多いです。皆さんに五百歳になるおばあさん、おじいさんを任せたとすればどうしますか。それでもよいですか。年が多ければ多いほど好きだという人は、神様のことが好きな人、ということになるのです。なぜかというと、この世界で最も年を取ったおじいさんとは誰かというと、神様だからです。
 ですから神様を愛する人であるならば、その中にいる年を取っていないおじいさん、おじさん、息子を問わず、みな愛さなければなりません。すなわち、神様の家庭を愛さなければなりません。神様の家庭には、日本人でも韓国人でもアメリカ人でも、どの国の人でもみな入っているのです。人種差別をする人は、神様の家庭を愛していない人だということになるのです。その差別がなくなってこそ、理想世界なのではないでしょうか。
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 もし父母の愛を受けている子女が、外でお父さん、お母さんのような人に出会ったならば、その人にとても親近感を感じ、話をして、助けになりたいと思うことでしょう。また、兄弟姉妹の間で美しい絆をもった人が社会に出れば、周りの人とより親密な関係を保ち、うまく交わることでしょう。自分の兄弟姉妹と仲の良い人が外に出て異性と交際するときも、ごく自然に交際することでしょう。肉欲的、あるいは不健全な感情をもつことなく、兄弟姉妹のような感情をもつようになります。地上天国とは、神様を中心として、そのような関係を経験することのできる家庭をいうのです。
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 健全な家庭生活とは、祖父母、父母、子女が共に生活することです。もし、一つの世代が欠けているとすれば、その家庭はかたわのようなものです。そこで理想家庭を成すならば、その家庭は地上天国を成すれんがとして奉仕しなければなりません。私たちは、その理想家庭を地上に築くべき使命をもっています。
 祖父母の深い愛を享有する子女が社会に出れば、例えばその人がニューヨークの街に行けば、お年寄りにとても親近感をもつことでしょうし、お年寄りはその人に対し、自分の孫のごとくに接することでしょう。とにかく、お互いに話をしたいと思うし、親近感を感じることでしょう。家庭で祖父母に仕えたことのある若者は、助けが必要なお年寄りを見ると、走っていってでも助けてあげることでしょう。
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 父母、夫婦、子女で形成された家庭は、世界の縮小体です。家庭的愛を拡大してすべての人を愛するのが、人類の生きていくべき道であることを知らなければなりません。年を取った人は自分のおじいさん、おばあさんのように、中年の人は自分のお父さん、お母さんのように、自分より少し年上のような人はお兄さん、お姉さんのように、年下に見える人は弟妹のように思って愛さなければなりません。
 ですから真の人というのは、自分の父母と年の似通った人は親のように思い、お兄さんと年の近い人はお兄さんのように思い、お姉さんと年の近い人はお姉さんのように思うというように、すべて自分の家族のように思って、すべての世界的な障壁と境界線を超越して人類を愛することのできる心情をもった人のことです。そうしてこそ、本当の意味で父親、母親を愛することのできる資格をもつことになるのです。
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 皆さんはどこへ行っても、すべての人を他人ではないと思わなければなりません。皆さんの家族だと考えなければなりません。お年寄りを見れば自分の親のように思い、その人に悲しいことがあれば、その人を抱いて痛哭し得る心を常にもたなければなりません。
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 自分の妹やお兄さんを捨てることはできません。自分の母親も捨てることはできません。誰も捨てることはできません。ですから離婚ということはあり得ません。夫は父親に代わり、兄に代わるものなので、父親を捨てることはできず、兄を捨てることはできないので、妻も夫を捨てることはできません。そのような愛を抱いて、世界を愛さなければなりません。父親と同じような年の人を見れば、父親のごとくに愛し、母親と同じような年の人は、母親のごとくに愛さなければなりません。
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 皆さん、家庭がなぜ良いのでしょうか。それは、父母の愛を中心として自由な活動の基地となるからです。同じように、神様が自由に活動できなければなりません。いくら見た目にはみすぼらしくても、輝く愛の核をもつ、そのような内的な人間から成る社会となったならば、神様は自由なのです。皆さん、そうではありませんか。人の家に客として行けば、何か不自然です。なぜでしょうか。それは愛の因縁がないからです。愛の因縁に四方性が備わっていないので、ぎこちないのです。ですから私たちの行くべき道は、人格の道です。
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 統一教会では、天国は氏族圏の中からできると見るのです。おじいさんを中心として父母と兄弟が一つとなり、いとことその子供まで一つに結ばれれば、完全な三代ができます。このような氏族圏の愛が地に立てられて神様と一つとなったならば、世界はすべて神様と一致する愛の世界となり、天国となるのです。
 女性が嫁に行っても同じです。婚家のおばあさんとおじいさんは、神様に代わる位置にあり、夫に代わる位置にあるので、愛をもって仕えなければなりません。また、夫の兄弟姉妹とも愛によって睦まじく暮らさなければなりません。そのような愛の関係が社会に拡大し、民族と国家、世界に拡大するならば、この世界は、罪悪と戦争に代わって、平和と愛に満ちるようになります。そうなれば、その世界こそが神様の理想が実現した一つの天国であり、理想世界なのです。
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 この宇宙の中心はどこにあるのでしょうか。家庭にあります。真の愛が定着し得る基地とはどこでしょうか。皆さんの生きている、皆さんの家庭だというのです。それゆえ、本来の家庭は宇宙愛を掌握し、宇宙の保護様相を体得しながら宇宙愛圏を拡大して、家庭を越えて国家を愛する愛国の道を行くべきであり、さらに民族と国家を越えて世界を愛する道を行かなければなりません。家庭を愛する人を「孝子」あるいは「烈女」と言い、国を愛する人を「愛国者」と言うならば、世界を愛する人を何と言うのでしょうか。そのような人のことを「聖人」と言うのです。
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 神様は家庭の中心となるお方として、この世界は神様の国とならなければなりません。祝福家庭は、神の国を連結し得る家庭となるように努力する生活をしなければなりません。神様に代わって「ため」に生きる生活をするところから氏族が生まれ、民族が生まれ、国家が形成され、世界が形成されます。ですから家庭は、神様を中心とした世界を形成する責任を果たさなければなりません。先生を中心とした統一教会は、一つの氏族のようなものであり、一つの民族のようなものです。五色の人種が合わさって単一民族を形成し、誰よりも世界のために生きる国家を形成するのが、統一教会の目的です。それが先生の目的であり、神様が先生を通して果たそうとされる目的です。
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 家庭というのは、人類愛を教育する代表的な修練所です。心情の中心を立てる、代表的な広場です。そこで互いに信頼し、幸福を享受するようになるのです。それが理想圏の始まりです。愛なしには、何ら存在する意味さえありません。
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 家庭は、天国を成すための教材としてつくられたものです。おじいさんのような年格好の人を自分のおじいさんのように愛するならば、その人は天国へ行くようになっています。自分の親と同年輩の人を、自分の親のように愛するならば、万国共同で、霊界でも境界線が生じません。息子、娘と同じような年のアメリカの若者を、自分の息子、娘だと思うことのできる心さえもっていれば、天国のどこへでも行くことができます。天国には十二の門があり、方向があるのですが、どこへでも通じるのです。家庭というのは、天国全体に因縁を結ばせる教材です。すなわちテキストブックだということです。
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 家庭において父母は、縦的な軸を完全に継承し、そこに合わせなければなりません。次に夫婦は、軸に対して横的に九〇度の角度に合わせなければなりません。その基準は、国家においても同じです。愛の軸の位置は一つしかありません。それゆえ、その軸を中心として、家庭は小さいのですが、氏族、民族、国家、世界へとだんだん大きくなります。愛の軸を中心として拡大するようになっています。拡大縮小の因縁関係をすべて四方に拡大するところから理想圏が生じるのです。ですから今世界を一つにするために私のしていることは、軸を正すことです。ですから方向を設定するためには、思想的王子の立場を占領しなければなりません。占領するにおいて、強制ではなく、愛で消化しなければなりません。
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 皆さんの家庭は、天国の主権を代表した立場にあることを知らなければなりません。父母は主権を代表し、子女は国民を代表し、物質はその国の地を代表したものであるので、父母に孝行することが、国に忠誠を尽くすことであり、父母に孝行することが、聖人の道理を果たす道に通じるのです。今、家庭がありとあらゆる醜態の起源となっていますが、神様は家庭が聖なる基台となることを願っていらっしゃいます。それゆえ、堕落圏内にある腐敗した家庭を収拾すべき使命が、私たちにあるのです。この地の家庭は破綻していますが、その家庭を否定することのできない立場にあるということを知らなければなりません。


















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