成約人への道
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 五 神様を中心とした主権が復帰されれば

  1.神様のみ旨が成就した世界

 人間の力、人間の知恵、人間の文化、このどれをもってしても真の意味の平和の世界や、一つに統一された世界を願うことができない視点にあるということを私たちは知っています。このような立場で世界文化を解決する上で一番中心となる問題は何でしょうか。神がいるのか、いないのかという問題を、確実に解明することが何よりも重要な問題だと見るのです。もし神様がいるということを全人類が知った日には、神様のみ旨がどのようなものを指向するのかを確実に知るようになるでしょうし、その指向するみ旨を知るときには、その世界はそれこそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界でないはずがありません。
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 大きいものを得るために小さいものを犠牲にすることは、正常なことです。より価値のあるものとすり替える人が、知恵のある人です。これが世界に行くための正当な道です。人間はより大きなものを憧憬するのであって、小さいものを憧憬しません。より大きいものを願うのであって、小さいものを願いません。
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 私たち統一教会が違うのは、これです。統一教会は父母を愛するように兄弟を愛し、兄弟を愛するように氏族を愛し、民族を愛し、国家を愛そうというのです。父母を捨ててでも国家を愛そうというのです。世界を愛するためには自分の国も捨てなければならないのです。また、天を愛するためには世界まで捨てようというのです。もっと遠く大きいもののために、私に近く小さいものを犠牲にする愛の道を求めていこうというのが、統一教会の主流思想です。
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 今日、民主世界が第三解放を要求するならば、共産世界では第二解放を要求するのではないでしょうか。このような問題を考えてみるとき、第二解放、第三解放の旗手になり、その源泉とし得る新しい主義と思想は、どこから来るのでしょうか。これは、人間世界からは出てくることができません。人間は今まで数千年の間、この解放を迎えるために身もだえして努力してきましたが、そのような環境も、内容ももつことができませんでした。それゆえ、人間だけを中心としては解放することができません。
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 皆さんは民族主義者になりますか、世界主義者になりますか。宗教は世界主義だけではありません。人間だけを良くしようという主義ではなく、神様まで良くしようという主義です。しかし共産主義や民主主義は、人間だけを良くしようという主義です。それで神様まで良くしようという主義と、人間だけ良くしようという主義と、どちらの主義がいいですか。神様もいいし人間もいい主義がいいですか、主人を除いて僕たちだけで喜んでいる主義がいいですか。宗教は、それでいいものなのです。
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 最後に残る思想は何でしょうか。世界のために、自分の国や国民よりも世界をもっと愛することのできる運動、神様をもっと愛することのできる運動だけが、最後に残り得る主義になるでしょうし、思想になるでしょう。ですから、この国を越えることができる超民族的運動を世界的に提示し、超民族的に天が愛することのできる立場に、あるいは世界の人々が愛することができる立場に、自由に行けるようにするためにはどのようにすべきかを模索する主義だけが問題となるのです。
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 今後この世界を受け継ぐ主義、思想は、自分の国家を犠牲にしても世界を救おうとする主義、思想です。このような思想をもつ国、このような新しい運動を中心とした国家と国民が登場するようになるとき、この世の中には新しい希望の世界が顕現するでしょう。そこから新しい統一の世界、理想世界が顕現することでしょう。国を越えることができない国家観、歴史観は、神様の理想世界を引き継ぐことはできません。
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 一つの目的に帰一させることのできる思想は、自分を中心とする世界観ではありません。この思想は世界を中心とする世界観であり、万国を中心とする世界観です。これが、一つの目的に帰結させることができる思想です。これは、世界と分離された立場から自分の氏族を誇る思想ではなく、人間自体のために生きる思想です。人間ならば誰でも、このような思想によって成された世界を願っているというのです。
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 黄色人種は長男であり、黒人は次男であり、白人は三男ですが、彼らが争うのを韓国が統一思想を通じて統一することができるというのです。このようになることによって、神様を中心とした理想的祖国創建ができるというのです。そこから初めて、平和の世界、一つの世界、統一の世界、勝利の世界へと、世界は収拾されていくというのです。そのようにして地上に天国を形成すると同時に、神様と一致しなければなりません。天上天国の主体であられる神様を地上にお迎えして、統一された一つの天国を形成しなければならないのです。これが統一信徒たちがやらなければならない使命であることをはっきり知らなければなりません。このような基盤のもとで初めて父母と一つとなることによって、平和の天国生活が始まるのです。
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 統一教会とはいったい何ですか。右翼を抱き左翼を抱いて、これらをつかんでどこに行くのでしょうか。ここから追い込まれて争う、闘争の世界を越えて、天が導く幸福の世界に、ユートピアの世界に導くのです。これらを抱いて平面的に行ってはいけません。これが何のことかと言えば、統一教会が、思想的に体制によって没落して失敗したことを全部収拾することのできる論理体系をもっていると同時に、これを抱いて横的に運行することができるのです。また同時に、宗教を中心として縦的な基準で運行し得る霊的な体験の基盤を中心として、超越的実体を追求しなければならない内容をもつべきなのです。
 統一思想は、人間的面での人本主義や物本主義、今までの過去のすべての神本主義も体系的に理論化させてこれを統合することのできる内容をもつと同時に、縦的面で宗派を超越して連結していくことのできる超自然的体験の宗教思想にならなければならないという事実を知らなければなりません。
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 すべての物質主義者、共産主義者たちが見るとき、「統一教会の信者であるあの人は、私たち共産党よりも徹底していて、人格的に良心的に内外すべての面において徹底している。共産党自体があのような人を必要とする」と言うことができ、また世俗的な人本主義者たちが見るときにも、「ああ、私たちの世界にあのような人がいたらいい」と言うことができ、今までの既存宗団たちが見る時にも、「ああ! 統一教会の信者は私たちの宗団を越えた立派な人だ。あのような人が私たちの宗団の人だったらいいのに」と言うことができ、神様が御覧になれば「ああ! この人は私に絶対必要だ」と言うことができる、この四大面において必要とされる資格を備えた人がいたならば、問題は解決されます。


  2.その国を求めていかなければならない

 皆さんが願うその国とはどのような国ですか。その国は今日、皆さんが生活しているこのような国ではありません。このような国は、どうせ別れを告げなければならない国です。皆さんがこのような国と因縁があるとすれば、罪悪の因縁があるというのです。皆さんは、その国のみ旨と神様のみ旨が結びつくことができる善の因縁を本来から結ぶことができなかった、堕落した人間の後孫として生まれたということを、自らがよく知っています。
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 国がなければ国籍がありません。国がなければ入籍し得る土台がないのです。私たちは民族編成をして、新しい入籍をしなければなりません。この地上に天の国を編成し、その国籍をもち、愛国愛族する、真であり善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の血族あるいは家族を率いて生きたのちに逝ってこそ、天上世界の天国に入ることができるのです。これが原理です。
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 国があって初めて、千秋万代の私たちの後孫の前に、大切に残してあげることのできる伝統も残るのであり、私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、天の苦労を祝うことができる記念の塔がこの地上に生じるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地上に残ることができるのであって、国がなくなるときには、すべて無駄になるというのです。今日の世界キリスト教において残された十字架だとかすべての文物も、天が求めようとする国がなくなるときには、全部を川に流さなければならず、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡(注:まるめこむこと)に倒されていくということを知らなければなりません。それゆえに、国が問題だということを皆さんは知らなければなりません。
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 真の父母の愛を受け、神様の愛を受けなければなりません。ところが神様の愛は、国がなくては受けられないのです。本来のアダムは、一人でも国の始まりです。サタン世界のサタンの国より優れた国があってこそ、神様の愛を受けるのです。私たちは神様の愛を受けますが、代わりに受けるのであって、直接受ける立場になっていないのです。真の父母の愛は受けることができますが、神様の愛を受けようとするなら国までもたなければなりません。国です。なぜでしょうか。サタンが残っていて、サタンの国が残っているからです。それよりも上がっていかなければならないでしょう。そのような道を、皆さんが行かなければならないということをはっきり知らなければならないのです。
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 先生は復帰摂理を歩んでいます。この世の政治と経済、文化世界を基盤として神様の摂理を解いたということは歴史上にないことです。今、世界の学者たちの中で韓国語を勉強する人が増えています。レバレンド・ムーンのみ言選集を原語で読むためです。それは通訳、翻訳すれば権威がないのです。皆さんは、これを読むことができなければいけません。皆さんが、この原語で書かれた先生のみ言集を一度読んでみなければならないのではありませんか。
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 私たちが求めなければならない祖国というものは、今日この地上にある、そのような歴史と伝統をもつ国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。私たちは次元の違うその国を受け継ごうとするならば、そうすることのできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致された思想でなければならないのです。絶対者が願う国が存在するには、その国の主権を中心としてその国の国民が一致することのできる国になることを願わなければならないのです。そのような国民性をもち、国家形態をもたなければならないのです。
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 本然の地とはどんなところでしょうか。悪が宿るところではありません。悪と絶縁して、あふれ流れる本然の愛を中心として永遠無窮に幸福を謳歌しつつ生きる永遠の統一世界です。ところで、そのようなところで生活した人がいたでしょうか。一人もいませんでした。歴史上、数多くの人々がそのような世界を追求しましたが、そのような世界はこの地上に建てられませんでした。その世界がどんな世界だと言葉を語った人はたくさんいましたが、自ら実践してそのような世界を成した人はいなかったというのです。
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 一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国も、やはり同じです。主権を代表するのが父母であり、国民を代表するのが息子、娘であり、国土を代表するのが国だというのです。この中で、どの一つも除くことはできないのです。これは鉄則です。
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 国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。主権とは何でしょうか。根源的な神様と因縁を結ぶことです。国を治める人々は、国民が深く寝入ったあとに神様と因縁を結んで政治をしなければなりません。そうして、主権者は国民と一つとならなければなりません。国民と一つとなって、自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、国のためものであると考えなければなりません。そのようになれば、その国は繁栄するのです。
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 一つの国を見れば、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。国民がいなければならないのです。国土がなければならないのです。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人とは誰でしょうか。主権者とは誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして国民とは誰でしょうか。国民は万民です。それでは国土とはどこでしょうか。地球星です。
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 どんなに大きい社会、どんなに大きい国家だとしても、人に似なければなりません。これは、神様が御自身の形状に似ているものを好まれるからです。それでは、人が一番好きなものとは何でしょうか。自分の形状に似たものです。それゆえ、理想的な国家は人に似なければならないのです。似ていますか、似ていませんか。天地人に似ているというのです。
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 私が行き来するのもその国を取り戻すための、祖国光復のための、建国の功臣になるためです。そのような使命を担って、あるいは天の密使として指令を受け、今日、悪い世の中に来てこのようなことをしているという事実を考えながら、生きていかなければなりません。そうでなければ皆さんは今後、やがて到来する国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。
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 さあ、六千年の間、神様に打撃を与えてきたサタンがただ素直に「ああ、私は下降した」と視線を落として帰るでしょうか。皆さんはぞうきんのような物も捨てようとすれば、もったいないと思うでしょう。ぞうきんの切れ端でもひっくり返してにおいをかいでみて捨てるでしょう。サタンがただで引き下がるはずはありません。それで執拗に闘いを挑んでくるというのです。ですから中心に合わせなければなりません。統一教会の文先生も中心からずれてしまうときは、折れていくのです。方向が合っていなければ発展しません。
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 統一教会員たちは裸足で立ち上がって、祖国を創建しなければなりません。食べ残しをもってこの国を生かすことができるのでしょうか。いつ食べて、着て、乗り回ることに気を遣っていられるでしょうか。裸足で、素手で開拓していこう、このようにするところが統一教会です。






















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