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二 理想世界の主役となる女性 1


 この講演文は1992年5月から12月まで韓国、日本、アメリカなど13ヵ国88都市で韓鶴子総裁が語られたみ言です。


1 尊敬する内外の貴賓の皆様! ならびに「世界平和女性連合」会員の皆様!

2 きょう、このように各界の女性指導者の皆様が御列席の中、世界平和のために私の所信の一端をお話しできますことを無上の栄光と存じます。

  ◆ 永遠の平和世界建設のための「神主義」

3 きょう、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。今日の時代は今、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の[藤を越え、一つの世界に突入する重要な転換期を迎えています。全人類は今や、この地上にあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ただ真なる自由と平和と繁栄の未来だけが約束されることを念願しているのです。

4 今日まで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた「神主義」の理念は、これまで力を基本とした男性たちの激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしました。今後は、和解と協力を指向する今日の歴史的な転換の時代に、私は「神主義」を基本とした永遠なる平和世界建設のための大原則を提示するに際し、未来の世界を開拓していくべき女性たちの標題とするために、文総裁が発表した「頭翼思想」を、いま一度皆様にお伝えしたいと思います。

5 本来、神様は喜びを分かち合うために、愛する相対をつくられました。彫刻家が作品一つを作るために昼夜の別なく力を消耗させながらも全身全霊を投入するのですが、それはいったいどこから来る心でしょうか。それは喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似た心ではないでしょうか。

6 存在する世界を見ると、鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までもすべてペア・システム(対)になっていることが分かります。なぜ、すべてがペアで存在しているかお分かりですか。互いに作用するためなのです。

7 鉱物界ではプラス・イオンとマイナス・イオンが作用します。元素と元素同士でも、互いにどれとでも付けようとしても結合しないのです。相対的要因が合わなければ、神様も命令することはできません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も愛の創造理想のモデルになるようにつくられたのです。

8 それゆえに、真の愛の本質を中心とする時に、神様の心情と人間の心情とすべての万物、動物界までも互いに通じるようになっているのです。その心情の中に入ると、岩であっても通じるのです。皆様がそのような心情世界に入れないのが問題なのです。深い神秘の境地に入るようになると、森羅万象がすべて友となるのです。喜悦にあふれた愛の境地に入ると、自分が笑えばすべての万物と神様までもが和動するのです。

9 皆さん! 愛する夫、愛する妻がいらっしゃることでしょう。どれくらい愛していらっしゃいますか。愛する妻を、十億、千億のお金をあげるからと言われて、そのお金と取り替えますか。心から愛する夫を、天地のすべてをあげるからと言われて取り替える妻がいるでしょうか。よくよく知ってみると、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてが「ため」に成そうとする真の愛のゆえなのです。男女が陰陽の調和によって愛の理想を成すために、神様がそのように創造したのです。真なる男女を通してこそ、統一的な真の愛を見いだすことができ、神様と人間も真の愛を中心として統一が成立するというわけです。

10 結婚というものは、男女の絶対価値である真の愛を横的に連結したのちに、神様の縦的絶対価値である真の愛を占領しようというのです。このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高に貴い立場に立てられたのです。真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に一つに統一されるところに、私たちの人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題の解決の糸口を見いだすことができるのです。

11 神様の真の愛は投入し、また投入してもさらに与え、また与えて忘れる愛なのです。与えたという記憶が残っている以上、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するものであるので、与えたという記憶がとどまっていてはいけないのです。続けて与え、また与えても記憶に残っていないゆえに流れていくものなのです。

12 それでは天地を与えると言われても取り替えることのできない価値のある愛を、誰が皆さんに与えたのでしょうか。皆様の父母が与えたものなのです。言い換えれば、根本に返れば神様が与えてくださったというのです。神様はこの無限なる価値ある愛を父の立場で与えてくださりながらも、それを忘れ、その愛を受けた息子、娘たちが天を裏切るようなことがあったとしても、さらに与えようとされるがゆえに、そのような終わることのない神様の愛のゆえに、きょう皆様もこの場に参加できるようになったのです。

  ◆ 神様の愛の永遠なる相続者

13 それゆえに真の愛が行く道は施しを受けるための道ではなく、「ため」に生きようとする犠牲の道なのです。ですから神様御自身も愛の相対を創造される時は、神様御自身が「ため」に生きようとする立場に立たれて、御自身が所有していらっしゃるすべてを一〇〇パーセント投入し、さらに投入したいというのです。このような心をもち得る本然の中心存在が、天地を創造された神様なのです。

14 ゆえに真の愛は、「ため」に生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント、すべてを与え、真空状態になるというのです。空気でいえば、絶対低気圧が生ずれば高気圧は自動的に循環運動が行われるのと同じことなのです。そのために絶対的に「ため」になそうとするところには無限なる力が発動するようになっているのです。

15 親愛なる「世界平和女性連合」の会員の皆様! 「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はこの上なく弱いものですが、もし女性が母として愛の主体的立場を取り、また妻、娘として愛の中心的役割を成す時、女性はこの上なく強くなるものです。なぜならば、女性が母、妻、娘として愛の主体的立場を取り、一〇〇パーセント相手のために与えようとする時、その空白を神様の愛が埋め尽くしてくださるからなのです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。

16 だからこそ女性であったとしても、神様に似て燃えるような愛の主体的立場を取るようになれば、その愛の能力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れるのです。柳寛順のような十六歳の幼い少女が、大韓民国全土を独立運動の波に包み込んだということは、正に国を生かそうとする熱き愛国の精神が成した奇跡であったのです。

17 神様はこのように人間のために与えてくださった愛の主体的な立場にいらっしゃって、与えてくださり、さらにまた与えようとなさる本性がその作用を続けることにより、永存されることができるのです。ゆえに、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様と真の愛の同伴者として造られた人間が、神様の願いどおりに成長し、絶対不変の真の愛を神様から相続していたなら、人間世界には、根本的な統一の歴史が展開され、戦争だとか血を流すような悲惨な歴史はなかったはずでした。

18 真の愛を中心として心と体が一つになれば、皆様は神様自身の愛の同伴者となり、永遠の対象になるのです。そればかりでなく、神様の永遠なる愛を相続する者となるのです。

19 愛の属性には相続権があり、同居権があり、また同参権があります。愛する夫が大統領であり、妻が小学校すら出ていないとしても、愛する夫婦の関係になれば夫のものは妻のものとなり、昼夜の別なくいつでも共に同居できることはもちろん、同参する権限もあるのです。

20 愛にはこのように相続権、同居権、同参権という偉大なる三大属性があるので、神様の絶対的愛、不変の真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様がいらっしゃる所に自分自身も加担することができ、いつでも同居、同参することのできる権限をもつようになるのです。そうなれば、私自身が目を閉じなくても神様を見ることができるようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛なる心情を体恤(注:血肉の一部となるほどまでに実感するの意)した者は、道を歩いていても立ち止まり痛哭するような体恤の世界があるのです。

21 堕落したこの世の中ですら母の愛は、もし子供が見知らぬ地で不慮の事故に遭ったとすれば、直感でもって分かるような場合がたくさんあるのです。寝ていても名前を呼び、叫び、目覚めるというのです。

22 もし、神様の本質的な真の愛、千年万年を「ため」に生き、さらにまた「ため」に生きようという、そのような真の愛を自分自身の心と体に一〇〇パーセント吸収することのできる内容をもつようになる時、心には神様の真の愛の根が芽生え、神様が感じたすべてのことに通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するというのです。心の世界の真の愛を中心として共鳴体になるように創造されたのが体であり、心と体の統一世界を成すためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っているということを知らなければなりません。

23 このような真の愛に共鳴する論理を中心として見る時に、私たち人間がそこに一体化し、共同一体圏に入れば、神様の愛が自分自身の愛であり、神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私自身の血統であり、神様の所有である被造世界が、私の被造世界であるということができるのです。したがって、天下を抱く父母の心をもち、天国に入籍するようになっているのです。

  ◆ 真の愛の原理

24 それでは愛が先ですか、生命が先ですか。それは愛が先であるというのです。人間の生命は愛によって、愛の理想を中心として妊娠するものなので、人間の生命の本質は正に愛なのです。

25 それゆえに、愛を本質として生まれた生命は「ために生きる」のが天理であり、また人間は生まれた時から他のために生まれたといえるのです。自分は自分自身だけのために生まれたとか、すべてが自分だけのためになければならないとするなら、決して愛の概念は成立することができません。相手のためにしてあげ、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発され始めるのです。家庭のために犠牲になる人は家庭の愛を誘発させることができ、同志のために犠牲になる人は同志の愛を誘発することができるのです。

26 他のために犠牲になれば、すべてを失うようですが、それは全く反対です。むしろ、愛の主体となり、すべての主人になるだけでなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。クラスのために犠牲、奉仕する人はそのクラスの班長になるのであり、村のために犠牲になる人はその村の指導者になるのです。ひいては国のために犠牲になり奉仕する人は、その国の主人になるというのです。

27 愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になればそれに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教が復活の宗教になったのも、他のために犠牲になりなさいと教えているからなのです。

28 イエス様は罪なく死んでいく十字架上においてさえも、「わが父よ、私の思いのままにではなく、父のみ意のままになさってください」と祈祷しながら、自分を槍で刺すローマ兵に対してさえも、彼らが無知によって犯す罪をお赦しくださいと、むしろ神様に切願したのです。これが正に神様のように「ため」に生き、犠牲になって生きる生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源になり、キリスト教の核心的伝統思想にならなければならなかったのです。他のために命までも捧げ犠牲になる時に、さらに高い次元の命を得るようになっているのです。

  ◆ 人間を救おうとされる神様の戦略戦術

29 親愛なる女性連合会員の皆様! 私は一九九九年十一月三十日、私の夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席や他の多くの指導者たちと会ったことも、考えてみれば命懸けの冒険でした。皆様もよく御存じのように、文鮮明総裁は彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐としてきた宗教指導者であり、勝共指導者であったので、彼らは私の夫を取り除こうと国内外においてあらゆる工作をしてきたわけなのです。そのような所に、ただ神様のみを信じて行き、「主体思想では統一できない。『神主義』でのみ、統一は可能である」と主張したことは、ただただ真に、彼らを生かし、「ため」に生きたいという愛の心と、祖国統一の門を開くためならばどのような犠牲も甘受していくという、殉教の精神によるものなのです。

30 「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」というみ言を実践されたのです。真の愛こそ、地獄までも占領することのできる柱となるのです。皆さんが真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛もその真の愛の中では喜びに昇華されるのです。言い換えれば、この宇宙の個人的な権力、知識、金力等をもって主張するそれ以上の絶対的権限で残していきたいものが、人間の本性の要求である真の愛なのです。

31 このような観点から見る時、歴史を通じて、人間を救おうとされる神様の戦略戦術と、これに反対しようとする悪魔の戦略戦術は正反対に行われてきました。神様の戦略戦術は打たれて奪ってくる作戦であるのに対して、サタンはまず打って奪われていくのです。第一次、二次世界大戦を考えてみてください。まず打ったほうが滅んでいきました。しかし神様は、盗難に遭ったからといってその者を殺して奪ってくるのではありません。神様は宇宙の主人として堂々と現れ、打って奪ってくる能力をもちながらも、打たれてあげるのです。

32 父母は犠牲になることにより、不孝者を悔い改めさせるという道を行くのです。神様は、天理の公道を立てられるために自らサタンを探され、主人が来たらこうしなさい、ああしなさいと教えてくださるのです。

33 しかし歴史的に見ると、教えようとして行った主人が、むしろ打たれてきたのです。しかし、打たれたのちはどうなるか御存じですか。損害賠償までも受けてくるというのです。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国の前に反乱罪として追われ、殺されたのです。すべては歴史が過ぎたのちに、聖人という名が付けられたものなのです。その当時に聖人となった人がどこにいるでしょうか。

  ◆ 迫害は怨讐の所有権を相続する秘法

34 このように、彼らはその当時においてはみな、悲惨に死んでいきましたが、歴史の時代を経ながら、少しずつ上がっていくのです。損害賠償を請求するのに、十年、二十年で終わらせてくださいとは言いません。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占めるようになるのです。

35 数千年の間、耐えに耐えて損害賠償のすべてを計算してみると、銀行に預金したお金に利子が付き、また付いて、のちにはその銀行まで買っても余りあるお金になるのです。

36 神様は待ちながら訪ねてこられる方なのです。打たれて奪ってくる戦略戦術を取られる方なのです。悪なるこの世が全面的に迫害し破壊しようとするなら、天運が開け、すべてを越えていきながら跳躍させてくださるというのです。

37 神様は私と夫にも、そのような多くの体験をさせてくださったのです。迫害を受けるということは、怨讐の所有権を相続する、また一つの秘法なのです。このようにして、神様が愛される人は常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、それでもその者を愛する父母や妻、息子、娘がいることを御存じであられるからです。

38 神様も涙の谷間を越えてこられたお方であるがゆえに、その怨讐を、誰よりも愛する父母や妻、そして子供たちの心情を体恤される時、むち打つことができないというのです。

39 そのような神様の心情を真に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか。それを思うと、逆に人を送り怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ天理の大道、愛を中心として一つに抱こうとするその大道の前に自分自身が近づくようになり、そこに天地が振動しながら神様も涙を流すようになるのです。神様も御自身に似たと喜ばれるというのです。

40 このような立場で見つめられる神様でいらっしゃるがゆえに、怨讐を愛しなさいという言葉が理解できるのです。そのような力が出てくるところといえば、知識でもなくお金でもありません。真の愛の中にのみあるのです。それゆえに、皆様は愛する息子、娘、父母のために、南北がにらみ合っている峠を越えて、「ため」に生き、犠牲の真の愛でもって統一を願わなければなりません。

41 私たちがこいねがう南北統一は、あくまでも怨讐さえも愛するという、「ため」に生きる犠牲の真の愛の精神においてのみ可能なのです。父母が子供の面倒を見るように、兄弟が兄弟を大切にするように、北の同胞の痛みを本当に自分の痛みとして分かち合い、変わることのない神様の真の愛の中で共に会うことができるようにしなければなりません。

42 真の愛を中心として、神様とアダムとエバが互いに会い定着することができる交差点は、九〇度を成すのです。なぜならば、神様と人間を縦的に連結する真の愛の道は最短距離である垂直以外になく、完成したアダム、エバを夫婦として連結する真の愛の道は横的な水平であり、正にこの垂直と水平が出合う点は、自動的に九〇度の角度になるのです。そして、この点は絶対的な価値をもった位置としてはただ一つしかない真の愛を結ぶ中心点であり、モデルとなる点であるのです。

43 しかし、アダムとエバが成熟する以前に天使長のゆえにこの角度を間違ってしまいましたが、これが正に堕落であるのです。

44 大工が家を建てる時、水平を先に見ますか、垂直を先に見ますか。水平を先に見るとするならば、それはもう既に垂直を認定しているということになるのです。同じように、女性という言葉も、男性がまずあってこそ出てくる言葉なのです。また男性という言葉も、女性をまず先有(前提)条件として出てくる言葉です。「上」という言葉は「下」を考え、「右」という言葉は「左」を先に認定している言葉なのです。したがって横的という言葉は、縦的という言葉が前提とならなければならないのです。このように先有(前提)存在圏を認定するというのは、「ため」に存在する相対圏を立証するものであり、ここに真の愛は相手のために生きようという目的をもって成立するものなのです。

  ◆ 本郷的人間を復帰する道

45 だとすれば、神様と本然のアダム・エバはどこで出会うのでしょうか。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九〇度の角度以外にありません。この点は真の愛を成立させる公式な点であるのです。

46 神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母であるので、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は縦的な私となり、体は横的な私となるのであり、この縦的な「私」と横的な「私」が統一体となる時、人間は永遠な神様の「真の愛の同伴者」となるのです。

47 神様は真の愛と真の生命と真の血統をもっていらっしゃり、私たちもそこから出たので、私たちの中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。人間は神様の真の愛を中心として父子一体の関係をもって生まれたがゆえに、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されなければならなかったのです。

48 ところがサタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、体はサタン側の、心は神様の側の一線で絶えず闘っているのです。

49 このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があるのです。この体が悪魔の舞踏場になってしまったのです。悪魔の錨綱で結ばれた柱のようになってしまったのです。心は天を身代わりするプラスの位置にあるのに、体がまた別のプラスになり、心をもてあそんでいるのです。これを是正しなければならない道が、私たちの生涯の義務であるのです。これを御存じであられる神様が修理工場としてつくったのが宗教です。

50 そうであるがゆえに、宗教は断食や犠牲、奉仕というように、体を打ち、体を心に克服させる教育をするのです。体の欲望を弱化させ、心が成そうとするままに順応できるように、三年ないし五年以上かけて、習慣性を伝授するためのものが信仰生活なのです。また休まず祈祷することを強調するのです。

  ◆ 当面の平和の世界

51 神様は縦的な立場のみにいらっしゃるので、心が通じなければ活動することができないお方なのです。サタンはあらゆる所で活動しています。三六〇度いつでも活動することができるので、サタンの活動の前には負けるようになっているのです。

52 心は垂直の位置にあるので一つです。垂直は横的基盤ではないので、横的基盤に出ていくことはできません。そのため、環境に強い体のほうに引っ張られやすいので、垂直の場において精誠を尽くし、祈祷し、三、四倍の力を心に受けて体に対して自由に処理し、三年ないし五年導いていきながら、心のままになせる習慣性を身につけなければならないというのです。この二つの方法以外に修理する道は絶対にないのです。

53 それを修養する宗教の門を通過せずには、本郷の人間の道を見いだすことはできないのです。哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。

54 ところで、人間の心と体が神様の理想の前に一つにならないようにした、その堕落の起源は何ですか。聖書には善悪の実を取って食べたからだとあります。それでは善悪の実を取って食べ、どこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。違います! 下半身を隠したのです。そしてサタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源となったのです。

55 しかし考えてみると、人間において真の愛と真の生命と真の血統の根源地は正に愛の器官なのです。堕落によって、この神聖であるべき愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまったのです。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったのです。

56 十代の未成熟な時に人間始祖アダムとエバが堕落をしました。そのようにして悪を植えつけたので、歴史的に人間社会に悪の血統がそこから広がっていったのです。したがって終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダム、エバのように愛の倫理を破壊させ、退廃的風潮に流れるのです。このような現象を見て、サタンの全権時代がこの地上に到来したということを知らなければなりません。そしてこの時こそ、神様が鉄槌を下し、審判の日になるのです。

57 歴史的に神様の前に淫乱の都市、淫乱の国は滅んできたのです。ソドムとゴモラが火の中に焼かれたのも、ローマが滅んだのも、ほかの理由で滅んだのではありません。節度を守れずに淫乱に落ち、滅んでいったのです。

58 今日、米国、ヨーロッパ、日本など世界の先進国を見てください。東西四方に広がる「フリーセックス」と淫乱の波を誰が防ぐことができますか。末梢神経を刺激する享楽主義、乱れた愛だけでは物足らず、麻薬や覚醒剤を求める、世紀末の世界になっているのです。それはすべて、肉体が滅びの道に引っ張っていくことなのです。決して心が願う道ではありません。心は手を上げて痛哭しているのです。天理大道において人間を本然の始発地である神様の懐に導いていかなければならない良心の使命と召命は、すべて失敗してしまったのです。誰かが現れて、世界人類をこのような堕落の環境から救いの道に導かなければなりません。

59 堕落してサタン側に立った人類は、渋柿に例えることができます。その中でも神様が分立させて探し立てた人類が宗教圏の渋柿なのですが、それは神様の所有権の中にある渋柿なのです。したがって神様が自由に主管することができるのです。再臨の主が来られれば、一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたのです。ゆえに渋柿が甘柿になり、本然の状態に返っていくのです。

60 それゆえに、宗教を信じる者も本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らもまた、本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからなのです。本来の真の愛を中心として神様の血筋と連結された真の息子、娘として一体になれず、理想をなし得なかったのです。それゆえにメシヤが来なければならないのです。皆さん、メシヤとは何か御存じですか。

61 メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれ偽りの根を植えたものを取り除き、本然の形態を復帰し、サタンを追放し、すべてのものが歓迎し得る自由解放の天国世界を創建しなければならないという、重大なる責任をもって来られるお方なのです。

62 皆様。皆様が神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子、娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘うことのない真の統一の起源が生まれるのです。そして、自分の心と体が統一されたところから、永遠なる平和の世界は出発するのです。

  ◆ 真の愛の世界を建設してこそ

63 尊敬する「世界平和女性連合」の会員の皆様! 私たちすべては父母の心情を抱き、僕の道理を果たしましょう。私たちの汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人でいらっしゃる父母の恨を解放し、一つの平和世界を建設する十字架を負い、救世の道に前進いたしましょう。

64 私たちが最後に行く所はあの世ですが、私たちの出発点は正に私の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠なる幸福と真の愛の定着地になる時に初めて、私たちが願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。

65 私たちの「世界平和女性連合」の運動は、遠からず世界万民が参加する「世界平和家庭連合」の運動に昇華発展し、五色の人種が永生を謳歌し、子々孫々「ため」に生き、さらに「ため」に与えんとする真の愛の世界を建設することでしょう。この歴史的な聖業に私たちすべてが決起し、先頭に立つことを決意いたしましょう。皆様と皆様の家庭に神様の祝福が共にあられますことを祈願しながら、私の話を終わります。ありがとうございました。



















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