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二 祝福と永生


 この講演文は、1998年3月18日、韓国ソウルの蚕室にあるオリンピック体育競技場で開催された4000万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生のみ言訓読大会、また韓鶴子総裁来日時に語られたみ言です。


1 世界の人類は末世に住んでいます。家庭が壊れ、父、母、子女が怨讐になったりしますが、なぜそうなのでしょうか。真の愛がないためです。最も重要なことは、永生のこと、霊界の存在について知らないからです。

2 永生することを確信すれば、「罪を犯せ」と言っても犯しません。「自己中心に生活しなさい」と言っても、そうしません。これを知らなければ、キリスト教やいかなる宗教を信じても、絶対に天国、神様の理想世界には行けないのです。真の愛は、生命を投入しなければなりません。

3 永生問題と連結されなければ、社会革命も不可能です。現在よりももっと疲弊し、没落した環境に陥れば、誰もそこに行こうとはしません。

4 永生問題、永遠なる生命の問題においては、環境的なすべての条件は克服できます。それゆえに宗教が偉大です。永生問題とつながっています。永生することを確信すれば、自分の家族を導きます。

5 今までの宗教は、思想界を含めて環境の中で習慣性として、現在の文化の背景となったのを、すべて消化できずにいます。永生という概念がなかったためです。

6 今まで信仰してきたキリスト教もそうです。末世になって、環境が変われば変わるほど、すべてがかき回されてしまいます。なぜなら、永生の概念がないからです。永生に自信がありません。神様の存在を知らないのです。命を懸けて環境を越えられるかといえば、四方を見回しても、現在の生活方法に流されて、その道へと陥っていくのです。

  ◆ 永生問題を知るべき理由

7 信仰の道は、今の肉身生活の準備ではありません。永遠なる世界のための準備であるという信念さえもてば、そのままにしておいてもかまいません。人は時がたち、四十歳、五十歳を過ぎれば、死が近づくために永生について深刻になります。

8 一般の愛は、年を取るにつれて希薄になりますが、永生の概念さえあれば、年を取ればだんだん深刻になっていきます。それゆえに、真なる宗教理念だけが、これからの世界を収拾することができます。邪悪な環境の中で、乱れた変化がどれほど多いでしょうか。しかし、永生の概念さえ徹底すれば、頻繁に変化する環境を貫いて越えられるし、いかなる悲劇がぶつかってきても何一つ問題になりません。

9 真の愛で、神様は相対であるアダム、エバをパートナーとして造ったのです。それで、その相対として生きなければなりません。それを言葉だけでなく、実感し体恤しなければなりません。

10 真の愛の力がどれほど偉大であるかを知れば、「この道に行くな」と言っても行くのです。

11 それで常に生活の中で力を注ぐべきことは、いかに永生の概念をもつかということです。これさえもてば、すべては解決です。理論的にこの概念が的中すれば、心に強く響き、体まで同じ基準で一つになれる人は、青少年です。

12 十六歳以前は、アダム、エバが堕落する前ですから、本性の基準が生きています。堕落前の本性の基準を、一〇〇パーセント活用できる時でもあります。それゆえ、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と不可分な関係が分かるようになります。そうするには永生の概念を、常にもたなければなりません。

  ◆ 一生と永生

13 皆さんは、何歳まで生きられると思いますか。七十歳、八十歳までは生きられると思うでしょう。それ以前に死ぬとは考えません。自分は八十歳とか、百歳になれば死ぬと思っていても、きょう、あす、死ぬかもしれません。食事の途中に、または今夜、帰宅して眠っている間に死ぬかもしれません。

14 皆さんは、私はまだ若いから、これから少なくとも四、五十年は生きられるという願いをもっているでしょう。そのことを神様から保証されていますか。皆さんはできるだけ短く、一年以内には死ぬと考えてみてください。そのような観念を、できるだけ短くもつほど幸福で、損をしないのです。この期間に、誠を尽くして準備をしなければなりません。そうすれば、その内容が、自分の永遠の生命の宮をつくるのです。

15 それでは、その短い期間に神様を愛したことがあるでしょうか。神様を愛したいのに、そうできないのです。神様は「愛しなさい」と言われます。この世に生きている間に二十四時間、精誠を込めて多くの人々の中で、一人でも多く神様の前に導いてください。そのように生きれば、それが永遠なる生命の財産となるのです。

16 では、皆さんは何歳まで生きようとしますか。神様の命令で直ちに死の場に出されたら、どのようにしますか。そうしたら、神様から褒められる何かを残さなければならないのに、自信がありますか。眠る時間も、食する時間も惜しまなければなりません。心配をする間もありません。

17 一生と永遠について、その一生を短く見積もるほど価値があります。それで、個人、家庭、氏族をどれほど愛しましたか。

18 どうして、個人、家庭、氏族を愛するのでしょうか。全人類を愛するための教材です。彼らを愛することは、全体を愛するための教材として愛するのです。これは絶対に、私たちの一生において損をしません。極めて知恵のある考えです。

  ◆ 永遠の生命を追求する人間

19 永遠なる生命の世界を求めることが、信仰生活です。信仰は、永遠なる神様の愛を追求します。永遠なる生命と愛とを一致させるため、神様の喜びと私の喜びが出会って、一つの喜びとして感じられる決着点を見いだしていくのが、信仰の道です。

20 それで、信仰生活をする私たちが、どれほど前進的な愛と生命力をもって生きるかが、何よりも重要な問題です。

21 私たちが、五官を通して感じる感覚の一切を統合して、この生命、真の愛と、どのぐらい関係を結んで生きるかによって、人間としての価値が左右されます。

22 そこで、私たちが生命力と真の愛の心で、どのように対人関係を結び、社会生活をしてきたかを考えなければなりません。もし、そうでないとしたら、それは停止か後退です。

23 人は一生だけではなく、永生するのです。宗教は地球からなくならないで、文化と風習が違うすべての環境を経ながら、世界的な版図を拡大してきました。それは一生が問題ではなく、永生しなければならないからです。

24 人はこの世だけでなく、宇宙と共に生活しなければなりません。一生は百年以内の短い期間ではありますが、それを限界として、そのままなくなってしまうのではありません。その限界線を克服すれば、全地球村の生活を越え、超越した場において生存し続けるのです。

25 そのような世界は厳然として実在しますが、たとえ、しないとしても、今まで苦痛の中で呻吟しながら生きる人類を同情し、助けなければなりません。そのためには、仮想的な永生論を主張し、仮想的な神様を中心とした理想国家の形態を、推理していかなければなりません。そのような面からも、宗教が必要です。

26 しかし、仮想的に推理された宗教理想であるということを知れば、誰が満足するでしょうか。「実在する」と断定しなければなりません。「実在する」ということは、私が決めることではありません。「実在する」ということは、永遠の昔から決められているのです。根本から「そうだ」と言えるところまで、明らかにしなければなりません。それで、皆さんの永生問題とともに、宗教問題を中心とした神様の問題まで、解決しなければなりません。このような諸般の問題が連結されています。

  ◆ なぜ永生するのか

27 神様は、人間をいかなる存在として造ったのでしょうか。神様の絶対、唯一の価値をもつ、真の愛の相対者として造りました。

28 人の命の価値は、どれほどでしょうか。お金で計れる無価値な人間ではなく、神様の前にあっては、宇宙と取り替えることのできない、高貴なる価値をもっています。真の愛の相対圏をもって男性を造り、女性を造ったという、驚くべき事実を知らなければなりません。

29 人間は真の愛から生まれ育ち、生きて、死んでいきます。しかし、なくなってしまうのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一であるので、その対象的な真の愛の立場に立つ時には、永生するのです。永生という理論が、ここから出発します。生命から始まるのではありません。

30 今日、この地上で最も真なる人とは、どのような人でしょうか。神様と内外共に一体となって、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人です。そのような人々が、神様と共に生活することを、真の人生の道であるといいます。

31 人々は誰もが最高を願っています。人間が最高の立場にいれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の子女となり、神様と私が一つになるので、宇宙は私の所有となります。

32 神様にとって、最も愛する大切なものがあるとしたら、それを一日、十年、百年間用いたのちに、投げ捨てるようにと造ったのではありません。 永遠に、共にあるように造られたのです。 人間も同様です。人間が生まれて死ねば、終わりではなく、永生します。なぜでしょうか。人間は、絶対者であられる神様が、真の愛を中心として喜ぶ対象であるからです。

33 皆さんは、漠然とではありますが、永生を願っています。大切なものは避難する時、それをもっていきます。

34 そして、それを誇りにします。それを一日、二日誇って、やめるのではありません。自分が死ねば、それを後代に永遠に残すことを願います。

35 それは神様も同じです。神様が永生される絶対者であれば、その方が愛することのできる対象も永遠でなければなりません。それゆえに、人々は昔も今も永生を願います。それで、絶対者であられる神様は、永生する価値をもつ、愛する子女を探すのです。

36 私たち人間は、神様から造られた傑作品として、神様に似るように造られました。神様が永遠であられるので、私たちも永遠なる性稟が必要です。ですから、私たちの心は老けないのです。

37 人は永生することによって、傑作品としての存在価値をもつことができます。人間は霊的存在なので、永生しなければなりません。

  ◆ 創造主の永遠なる真の愛のパートナー

38 永生の論理を、いかに見いだせますか。神様は知恵の方です。もし、神様に愛の理念がなかったなら、神様は孤独単身で、喜怒哀楽を感じることができないでしょう。

39 絶対的な愛を失われた神様は、歴史始まって以来、誰も体験できない深刻で悲惨な立場に立っています。永遠に、誰も慰めることができません。本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足されるのではありません。御自分の願いである、真の愛の理想的パートナーを再現させて、彼らを抱いてあちこちと移動しながら、もっと輝くように着飾って、さらに美しく誇りたいのです。全宇宙を、彼らのために造ったのです。

40 大気圏が絶対低気圧圏になれば、高気圧圏が生じて、自動的に循環運動が起こります。神様は、真に知恵の王様です。なぜ、投入して忘れなければならないのでしょうか。自動的循環原理を通して、永遠に回転が始まるので、永生の論理が設定されるのです。

41 投入し、投入し、また投入するところに、永生の論理が展開されます。「ため」に生きることにおいては、滅びることはありません。小から大へと成長して、その大は次に内に入って、核となります。

42 神様が絶対的な真の愛のパートナーを求めるとすれば、誰を立てるでしょうか。それは、間違いなく人間です。それで、「万物之衆、唯人最貴」(万物の中でひとえに人間が最も貴い)という、言葉が出てきます。ここから、創造主の永遠なる真の愛のパートナーになった時、そのパートナーは永生するという論理が生じるのです。

43 永生というのは、自動的な産物です。永生は、ここから始まるのです。真の愛の関係を中心として、永生の論理をいかに立てるかという問題は、宗教で極めて大切なことです。

44 男性、女性に永生があるのではありません。神様の真の愛に、永生があるという結論が出てくるのです。

  ◆ 真の愛でのみ救いが可能

45 今日キリスト教徒たちは、「イエスを信じれば永生する」と言います。言葉では、素晴らしいことです。それならば、永生はどのようにするかと聞けば、「そのようにします」と言います。永生は、継続的な作用を続けるところにあります。その人生の道を永遠に行くのです。

46 そのためには、心臓の動脈と静脈のような循環器官、神経系、大脳、小脳のすべてが、正常的に動かなければなりません。そうするには、莫大な消耗がなされます。

47 どのように永生するかと聞いたら、皆さんはどう答えますか。イエスを信じれば永生し、救われるとは、とんでもないことです。真の愛によってのみ救われるのです。

48 神様の創造原則から見れば、真の人だけが神様の真の愛の同伴者です。真の愛をもてば、永遠に生きるようになっています。真の愛の圏内に入れば、霊界や地上に生きる時に、自分がどこへ行って住むか、見ることができます。

49 皆さん、大洋を航海する大きな船が、遭難する危険が生じれば、その中に住んでいたねずみが、全部ロープをつたって陸地へ逃げるという話を聞いたことがありますか。微々たるものにすぎない動物も、未来の生死圏を判断することを知っているのに、万物の霊長である人間は、そうではありません。

50 これは堕落のゆえです。この堕落の環境をどのように脱ぐかという問題が、すなわち悪魔の愛と生命と血統から、いかに解脱するかによります。解脱という言葉は、抜け出るということです。完全に抜け出て、関係のない立場、自主的な立場に立つのです。

  ◆ 永生に必要な観念

51 私は永生し、真の愛を実践する人です。私がここで何かをしていても、工場で仕事をしていても、永生を延長させる材料であります。

52 永生を訓練し、永生を育てる訓練材料を生産することが、自分のやっていることであると思ってください。皆さんにとって、永生と真の愛は、永遠に必要なのです。


  ◆ 真の愛と直結した永生

53 私たちは永遠、永生を願います! 永生を願うのに、変わらないものは何でしょうか。真の愛です! 他のものは、みな変わります。環境的に変わるのです。それではなぜ、真の愛は変わらないのでしょうか。それは、すべての生命力の中心であるからです。

54 また、真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めているからです。中心は、その周囲がすべてなくならない限り、なくなることはありません。真の愛は宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残れるのです。

55 真の愛というのは何でしょうか。皆さんが結婚する時、相手は自分より優れていることを願うでしょう。自分の子女が、自分より優れていることを願わない人が、どこにいるでしょうか。それは誰に似たのですか。神様に似ているのです。

56 絶対的な神様が人類の父であるなら、その父が行わないことを、その子女に必ず行えと命令することができますか。それはできません。神様も、真の愛の相対は、自分より優れることを望むという原則から見ると、人間の価値は最大です。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。

57 それで、皆さんの心は最高のものを願うのです。それが、不可能なことではありません。堕落しなかったなら、万人平等に可能なことです。

58 天上の高く貴い立場から、この宇宙を見つめ、管理、主導するようになっているのであって、他の何かを見つめ、服従するようにはなっていません。皆さんの心は解放されています。誰の支配をも受けたがりません。これは万民平等です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天国の宝座に自由に行けるのです。神様の友となれるのです。

59 真の愛のゆえに、人間を造ったというときは、永遠、絶対、永生される神様であるために、その真の愛に一致した人間が、永生するというのは自然な論理です。それで永生しようとすれば、その真の愛の圏内に住まなければなりません。

60 真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程からすべての目的が、真の愛を中心として完成されるのです。過程を通して結果が出てきます。

61 自分の心と体の完成は、真の愛によって根本的に可能です。無限の根本、原因から過程、それによって理想の結実を結ぶのは真の愛しかありません。真の愛によって神様も永存されるのです。

62 永生の環境をなすには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏は、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければなりません。

  ◆ 神様・永生・真の愛を知るべき

63 皆さんは、神様が霊界のどこにいらっしゃるかを、はっきりとは知りません。皆さんは、神様の絶対的なセンター、愛のセンターという観念を、はっきり知らなければなりません。その愛の力は、最も早い、真の愛の力であり、それは直短距離を通ります。

64 なぜ、文先生がこのことを教え、強調するのでしょうか。知っているからです。神様を知り、永遠なる世界を知っていれば、自分勝手な生活はできません。

65 第一に、神様を知らなければなりません。第二に、永生を知り、第三に、真の愛を知らなければなりません。これは投入によるものです。一〇〇パーセント以上投入するところに、永生があります。真の愛をもたなければ、永生はありません。永生できない人は、神様に会うことはできません。

66 今後の世界をいかに収拾しますか。第一に利他主義、第二に真の愛、第三に永生です。これで世界が収拾されます。これの反対は利自(利己)主義です。サタン側と通じるのです。

67 真の愛とは何でしょうか。自分の生命以上に、投入しなければなりません。レバレンド・ムーンがアメリカに行って、生命と財産と統一教会のすべての精誠を込めたでしょう。ここから、真の愛が成立します。真の愛が成立しなければ、永生はありません。

68 なぜでしょうか。皆さんの悪なる生命の起源は、サタンの血統を受け、サタンに属するようになったのです。愛もサタンの愛です。それで、聖書で「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」というのです。ここで、心を尽くし、精神を尽くせというのは、生命までも捧げなさいということです。これが第一の戒めです。

69 第二の戒めは「自分を愛するように隣り人を愛せよ!」というのです。すなわち、命を懸けて、真に愛せよというのです。生命を投入しなければなりません。

70 なぜでしょうか。命を懸けなければ、第一に、サタンを屈服することができません。第二に、サタンの環境から抜け出ることができません。第三に、サタンの血統から脱することができません。この三つです。サタンの環境は抜け出ることができるとしても、サタンの血統はどうすることもできません。真の愛は生命を超越するのです。

  ◆ 真の愛と関係した死後の世界

71 神様には、時間という概念はありません。それは永遠にアルファであり、オメガです。過去も、現在も、未来も同じです。そのようにしても、拒まずに作用を起こし、神様が安息できる元の土台は何でしょうか。それが問題です。

72 全知全能なる、神様の能力や知恵をもってしてもできません。真の愛のみが可能です。神様も「真の愛!」といえば、「そうだ!」というのです。そのほかは神様には必要ありません。

73 私たちは、最終的にどこへ行くのでしょうか。霊界です。大概の人は、死後の世界であるといいますが、そうではありません。なぜならば、真の愛と関係をもっているからです。真の愛を中心として出発したのですから、自分がその立場に立っている時には、そこが正に霊界なのです。ですから、真の愛は偉大です。

74 真の愛で、縦的な球形運動をすることによってのみ、上下、前後、左右が和合できます。縦横が和合されなければ、上下、前後、左右全体が和合できません。統一がなされません。真の愛においてのみ統一が可能です。それで、統一教会が真の愛を中心とした統一理想世界を論ずるのも、原理観に一致した結論です。

75 神様が、人間を導いてくださろうとするのです。神様も真の愛の呼吸をされます。神様も宇宙のリズムに合わせているので、真の愛を中心として、宇宙が永遠に続くのです。

76 真の愛に永生があるのです。それで皆さんも、ここまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏内に入って、さっと超えていけるのです。

77 真の愛も呼吸をします。宇宙の脈拍がそうなっているので、男性も女性も、これを好みます。リズムが合った時、互いが真に愛さなければなりません。方向が違いません。すべてが神様を中心とした一つの方向です。

  ◆ 「祝福」の門を通過して天国へ

78 霊界も肉界も、真の愛に従って動きます。縦的な真の愛の主軸を中心として、環境的条件は、自動的にリズムを合わせます。

79 共通分母は何でしょうか。過去の人も、現在の人も、永遠性と同伴できる資格が何であり、人間世界で必要とするすべての欲望の要因は何でしょうか。それは真の愛です。でたらめな愛ではなく、真の愛です。

80 では、その真の愛とは何でしょうか。縦横を通して、九〇度にどこに合わせても、角度が合わなければなりません。東洋の家、西洋の家、南の家、北の家、どんな家でも合い、五色人種、文化背景、各宗教の背景が違っても、この道を共に行くことができてこそ、それが正に真の愛です。

81 今日、世界中に五十億以上の人々が住んでいますが、統一教会でいう祝福の意味を知っている人は多くありません。祝福という言葉は、統一教会で始まった言葉であり、その言葉を中心として、今まで、祝福結婚行事を行ってまいりました。

82 これから、人類はどこに行くのでしょうか。全人類は祝福の門を通らなければ、天国へ行くことができません。数多くの人々がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も、祝福という門を通らなければ天国に行けません。

83 こういえば、キリスト教では、統一教会のレバレンド・ムーンは、独善的な発言をする人と不平を言います。そういうことは、彼らの言うことであって、統一教会でいう祝福結婚は、堕落した人類が必ず行くべき道なのです。どんなに反対しても、霊界と肉界を連結して、天国に入らなければなりません。重大な問題は祝福結婚です。

84 今日、一般宗教を信じている人は、「救い」といえば、個人の救いを考えます。良く信じれば自分は天国へ行けると信じている立場です。しかし、本来の神様の理想から見ると、天国は一人で行けるようになっていません。

  ◆ 夫婦の霊人体

85 私たちは、真の愛の理想を求めていく群れです。それで、霊界の代弁者として立つために、真の愛の理想を現実の私の身にもって、その真の愛を、どれほど横的な世界に植えて、種として蒔くかです。ここにおいて、真の愛の心で互いに授け受けながら育つのです。

86 このようにして、真の愛の実を結び、その夫婦が霊界に行く時、神様の永遠なる真の愛の圏内に抱かれ、神様と一体となります。

87 人は地上で肉身は老けますが、夫婦生活をして真の愛で愛すれば愛するほど、霊人体は若くなります。これは何の話かといえば、人間が長く生きれば生きるほど、内的な人間である霊人体は、最高に円熟した、美男、美女になるのです。肉身という殻は、古着のように脱がなければならないのに、これが若いままくっついていたら、どうしますか。

88 それで年を取れば、外側の殻は全部駄目になりますが、内的な中身は固くなって、未来の相続者になり、美人となるのです。秋に実った栗のようになります。

  ◆ 結婚はなぜしなければならないか

89 神様を直接愛する以前に、皆様の足元から、食べ物、物質、万物を愛し、皆さんの体を愛さなければなりません。万物を愛することで、その要素を吸収し、自分の体を愛するようになります。

90 第一の父母は、皆さんを生んでくれた父母であり、第二の父母は地球です。この地上です。皆さんは、地上から肉身が成長できるように、要素を供給されるのです。地上が肉身の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母のもとに入っていくのが、死という過程です。

91 第三の父母の所へ行くのに、そのままで行くのではありません。第三の父母に帰っていこうとすれば、本来の父母であった、神様の姿に似なければなりません。

92 したがって、結婚するのはなぜでしょうか。神様の姿に似るためです。神様は二性性相であり、各一性が合体化した一体的な存在であられます。その神様の分性的人格自体が男女であるので、それらが合性一体化して、種のようになって、神様の本性の立場に帰らなければなりません。

93 しかし、その種を連結させるためには、真の愛の道理である結婚をしなければなりません。生まれる時も、成長しながらも、生活をしながらも、真の愛を中心として生き、どこへ行くとしても、真の愛に帰るために行かなければなりません。結婚の目標を、真の愛のために探し求めていかなければ、永生の方向が違ってくるということを、皆さんは知らなければなりません。

94 祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母と真の愛で一体となることは、個人、家庭、国家、世界、天宙が完成され、神様の創造理想が完結されるのです。

95 真の御父母様が生まれた所は、人類の祖国であります。そこは地上天国と天上天国の出発地となり、神様の全権時代を迎えるようになります。それで滅びることはなく、全盛の時代へと発展するのです。

96 日本の国民は訓読大会を通して、真の父母と超国家的に一体を成して、万国に勝利圏を誇れるようにいたしましょう。御清聴ありがとうございました。




















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