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真の神様の祖国光復
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 四 真なる心情を本郷の地に植えよう

 個人が安息するには、家庭がなければならないので、今まで統一教会は家庭を探し求めるために闘ってきたのです。また、家庭が安息するためには氏族圏がなければなりません。氏族が囲いとなって吹き付ける風と、それ以外のすべてを防いでくれる責任を代わりに果たすような、そんな舞台をつくらなければ、自分が安らかな家庭で生存することはできないのです。そのためには、親戚を中心として族長になれというのです。
 族長になれば、戦いが起こっても町中の親戚が出て戦うので、族長は作戦を指揮しながら休むことができるのです。ですから先生は皆さんに対して宗族的メシヤの使命をなすように言うのです。
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 今までは事実上、他郷での暮らしでした。これからは故郷を訪ねていくのです。故郷へ行って、涙を流して精誠を尽くさなければなりません。イスラエル民族がエジプトに行って四百年間暮らしたのと同じく、私たちは四十三年間そのように暮らしたので、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。神様を愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。
 ですから世界的サタンが讒訴し得る起源を切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったので、カナン福地の理想天国を形成することができませんでした。ですからサタン世界に何かを求めてはならないのです。ふろしき包みを背負って歩いたとしても、私たちが一番です。
悪口を言われて歩き、夜には近所の犬にほえられても、私たちが一番です。そのような自負心をもって、父母も堂々と村の天地を、愛の歓声と共に消化することに参与して前進しなければならないということをよく覚えておいて、闘ってほしいと思います。
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 皆さんは真の御父母様の前に真の子女の名分をもっているがゆえに、相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的事実を信じて、すべてを愛圏の中に投入しなければなりません。神様が投入したのと同じように、皆さんが完全に投入することによって一族が復活するのであり、一族が復活するに従って一国が復活することでしょう。
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 自分の郷里を中心として、新しい種として植えてもらうことのできる父母の赤い血筋が自分に埋められ、すべての山野、山河がすべての犠牲の代価をたたえるように、頭を下げるようにしなければなりません。そこに植えられて花が咲けば、初めの花は天の花として、二番目の花は御父母様の花として、三番目の花は自分の長男の花として、四番目、五番目は自分のものとしなければなりません。適当にしてもいいでしょうか。とんでもありません。
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 今回故郷に帰ったならば、皆さんもカナン福地に入ったイスラエル民族と同じなのですから、皆さんは故郷に帰ってお金持ちの人をうらやんではなりません。権力者をうらやんではなりません。気を奪われることなく、正しい教育をしなければなりません。
 神様を愛し、自分の後代を愛し、イスラエル圏である私たち民族を愛することのできる伝統が第一です。
皆さんの子を抱いて教会に出入りするとき、彼らに吸収されてはなりません。何千年ぶりに、何万年ぶりに故郷に帰ってきた還故郷の喜びをもって細胞と骨の髄が響くように泣き、血の涙でその地を濡らし、血の涙に浸った聖なる血であるという名が天から降りなければなりません。そこから天国が始まるのです。
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 皆さんは故郷に帰って、故郷を復活させなければなりません。イスラエル民族はそれができませんでした。四十年間乞食の群れとなって渡り歩き、帰ってきてからは豊かに暮らしているカナン七族がうらやましく思われ、子羊がうらやましく、家がうらやましかったのです。天幕を張って暮らす身の上だったからなのですが、そうしているうちに国を売り渡し、神様を売り渡すことになったのです。
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 それでは、故郷に帰ってどうしなければならないのでしょうか。皆さんと一つになるようにしなければなりません。その方法は簡単です。息子を生んで、天の伝統を伝授する教師となり、「こうすれば天国ができる」という手本を見せてやり、母親、父親は、その町内の母親、父親に「こうすれば天国の部落になる」というのを見せなければなりません。
 そうすれば良いのです。簡単です。夫は妻を、妻は夫を愛し、父母は子を、子は父母を愛する愛の家庭を築いて、それをすべて伝授すればよいのです。
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 先生は世界的先祖の位置に立つために、このようなことをしてきましたが、皆さんは、それぞれ皆さんなりに、氏族的先祖になるための伝統を、それぞれの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行かなければならないという事実を知るべきです。皆さんの氏族のために、一族のために伝統を立てなければならないということです。これから十二支派が編成されていくことでしょう。ですから伝統が必要だということです。自分のことを考える人は、ここから落ちるのです。
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 真なる心情を本郷の地に植えなければなりません。これが植えられなかったのが堕落でした。そして皆さんは皆さんの一族の中で宗長にならなければなりません。
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 「神様は宇宙のアベルであり、この世界の人類は神様の前にカインの立場にあるのですが、神様は、僕の僕の体をまとい、養子、子女の体をもまとって、今まで復帰歴史をしてきたので、私たちはその伝統を受けて、自分の氏族のところへ行き、そのような伝統を再び提示し、屈服させる役事をしましょう! というのです。それは長くかかりません。三年、長くても三年です。ですから十年と見るのです。


 五 この時代に我々がやるべきこと

  1.真の父母を証しよう

 万民の願いは何でしょうか。世界の国家を迎える前に、真の父母を迎えようということです。誰から出発したがるのでしょうか。皆さんの新しい息子、娘は、皆さんの血筋を通して生まれるのを願うのではありません。真の父母の血筋を通して生まれたがるのです。それゆえ真の父母は、新しい未来の出発点になるのです。
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 すべてはどこに帰結するのでしょうか。真の父母に会うことに帰結するのです。人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、摂理の願いです。ですからそのような真の父母が現れるときは、歴史上で一度しかない定点をなす時であり、空前絶後の時なのです。永遠な世界というものを考えれば、人間の一生というのは、一度呼吸する期間のようなものです。
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 真の父母というのはどのような存在でしょうか。真の父母は全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴なのです。それは歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、六十億人類が生きている今日のこの世界の国家圏の中心です。真の父母は今後の理想世界につながる未来線上における出発点です。
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 真の父母というその名(韓国語で三文字)を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新たな世界になり得る起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な因縁が結晶し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服し、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が結晶するのです。それゆえ、真の父母と共に生き、真の父母の命令を受けて行動することのできる、この驚くべき恵みに、皆さんはまず感謝しなければなりません。
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 人間の願いは真の父母に会うことです。死の道を行ったとしても会わなければならないのが真の父母なのです。歴史のすべてを失い、時代のすべてを失い、自分の子孫すべてを失うことがあったとしても、真の父母に出会ったならば、歴史を得ることであり、時代を得ることであり、未来を得ることなのです。そのようなお方がすなわち真の父母だということを皆さんは知らなければなりません。
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 皆さんが真の父母と完全に一つとなるときに、国家があり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地の栄光の価値すべてを総合した実体基準が真の父母です。真の父母をこの世のお金と取り替えますか。自分の生命を渡して取り替えることができるでしょうか。それゆえ昔とは違うのです。皆さんはどこに行っても真の父母にお仕えするために大韓民国を訪ねてこなければなりません。皆さんの息子、娘も、千世万世の子孫たちもそうしなければなりません。それゆえ統一教会は違うのです。
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 統一教会で言う真の父母とは何でしょうか。堕落しなかったとすれば、神様が縦的な愛になり、アダムとエバは神様の体になるのです。神様の体のようなものです。神様は骨のようなものであり、アダムとエバは体のようなものだということです。神様にも心があり、体があります。神様は内的な立場で内的な父母であり、アダムとエバは外的な立場で外的な父母となるのです。内的、外的な父母が一つとなったその場において、愛によって結ばれて内的父母に仕えるようになり、外的父母をもつことになります。神様と人間との愛の結託によって、真の父母、つまり完成した人間が成就するということです。愛と結託しなければ、完成人間はないのです。


  2.すべての家庭に御父母様のお写真を掲げよう

 御父母様の写真を貼り、統一教会の旗さえ掲げればそれは天国の眷属となるのです。天国の眷属にしようというのです。それゆえ、今回旗を掲げるのをためらっていて打たれた人がたくさんいましたね。本当に不思議です。先生に対して後ろ指をさしたことで、手が悪くなり、幾晩も祈祷して悔い改めて初めて良くなったり。そのようなことが起こるではないですか。なぜでしょうか。
 天運が来ているのに、個人の運勢によって防ぐことはできません。宿命的な道なのです。モーセが杖を持っているときは、それを見ていた人はみな生きました。統一教会の旗を見て行く所ごとに敬拝し、泣いては敬拝し、写真を見て敬拝し、泣いては敬拝すれば生きるのです。
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 統一旗を掲げるのは、通りがかりの信徒が空腹であれば、ここに入って休みなさいという表示であり、昼時であれば、昼御飯でも食べていきなさいという表示です。それゆえ、いつでも客をもてなすことのできる準備をしていなければなりません。父母に代わってそのような準備をしなければならないのです。ですから部屋もなければなりません。御父母様が来ないので、御父母様の代わりとしての客に侍ろうというのです。この思想は、天の最高の基準の前に平準化思想を連結させるためのものです。そのような意味で、神様に侍るように、御父母様に侍るように客をもてなしなさいというのです。そのような人は恵みを受けます。
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 文総裁は有名です。国のための愛国者だということは、みな認めています。また、私が成した功績には、天下がみな頭を垂れます。そして「あの方の写真をかけている以上、夫婦がむやみにけんかをするわけにはいかない」と言い、息子、娘の前でも「あの文先生の前ではそれじゃあいけない」と言うようになれば、悪いことはありません。自分の両親の写真以上に尊ぶことによって、先祖たちが来て、先祖として侍るのです。また、先祖たちが来て、その家に侍るための祭壇となるのです。それゆえ、天上世界の恵みを受けることのできる道があるので、午前三時になれば、自分たちは寝ていても、(先祖たちが)みな一家周辺の邪悪な悪魔をすべて追い出すのです。
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 今日以降、皆さんは先生の写真をもって歩くのが良いのです。そうすればどんな苦難に遭ったとしても、無事に耐え抜くことができるよう保護してくれることでしょう。モーセがエジプトのパロ王からイスラエルの民を脱出させてカナンに導くために、奇跡を見せたとき、長子は患難に遭い、病気になって死にましたが、羊の血を門の柱に塗った家はその患難は避けて通ったのです。霊界は、私たち人間のすべての行動を見ることができるだけではなく、保護もしてくれるのです。
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 イスラエル民族がエジプトから出てくるときに、門の柱に血を塗って災いを免れたのと同じように、写真をもっていれば、そのようなことがあるかもしれないのです。先生の写真をポケットに入れておいても分かるのです。このように小さな条件が、門の柱に血を塗るのと同じことになるのです。
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 これからレバレンド・ムーンの名声は国境を越えます。あちこちの政治家の中には、書斎にレバレンド・ムーンの写真を掲げて仰ぐ人が多いということを私は知っています。尹博士も私の写真を掲げましたか。毎日あいさつしますか。毎日キスをしますか。熱情的でなければなりません。キスしなければなりません。だからといって失礼になることはありません。神様の愛に代わってキスすることによって、私がキスすることによって、霊界に行った人々に同参圏、同位圏をもたせようとしているのだと言えば、神様は「ノー」とは言わないのです。「そうだ、そのとおりだ」と言うのです。尹世元博士、そうしてみたらどうですか。
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 先生のほほえみは、モナリザのほほえみほどに神秘的なところがあるという経験をしたことがあるはずです。ある時はこうで、またある時はああで、数十万種類の姿に見える先生のこの神秘的な姿は、霊界をして皆さんに協助させるという経験を大部分がもっていると思います。霊界の霊人たちはみな、先生のことをよく知っているのですから、この写真を見れば霊界が喜ぶでしょうか、気を悪くするでしょうか。皆さんの先祖がこれを媒介体としてつながることができるのです。そのような良い材料であると理解してほしいと思います。


  3.氏族復興会をしよう

 これからは家庭復興会をしなければなりません。家庭復興会は皆さんの一族を中心としてするのですが、その復興会は全体の氏族を代表した復興会です。それは韓国だけでなく、世界の多くの祝福家庭が、氏族をつなげた、その氏族を代表した復興会だと思わなければなりません。そのような復興会に世界の人がみな同参するのです。今日韓国にある統一教会は、韓国が基地となることによって、氏族基盤を中心として、世界を代表して復興会をすることができるのです。これがどれほどの恵みか知れません。
 ですからこの復興会の宴会で牛をつぶしてもいいのです。それは皆さんの思いどおりにしてください。鶏をつぶすならつぶして、鶏をつぶしただけの恵みを受ければいいのです。牛をつぶせは牛をつぶしただけの、牛百頭をつぶしたとすれば牛百頭をつぶしただけの恵みを受けるのです。相手のためにというその心情、自分の努力いかんによってすべて左右されるのです。それに比例して皆さんの先祖の解放圏が広がっていくのです。
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 今や韓国統一が可能な時になったのです。すべてがそうです。これからは故郷を訪ねていって氏族復興会をすれば、それは歴史的な復興会になるのです。これは国を取り戻そうと三・一運動で万歳を叫んだ以上の驚くべき事件です。歓迎される立場で天理が動き得る、そのような環境をもったということです。このような舞台で自分の氏族を動かせないとすれば、それはもう死ななければなりません。
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 歴史というのは、真の真理を求めていく路程です。その真理は、真の個人が生きる道、真の家庭が生きる道、真の社会が築かれ得る道、真の国が築かれ得る道、真の世界が築かれ得る道を提示しなければなりません。そうして個人から世界までの焦点がすべて一致してこそ、世界完成、国家完成、氏族完成、家庭完成、個人完成が可能なのです。このようにぴったりと合わせ得る核となるみ言、すなわち真理をもってこられるお方が真の父母なので、その真理はすなわち神様の真の愛です。
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 全世界の人類は、気を確かにもたなければなりません。統一教会の文総裁の教えは、救世の真理なのです。人類が永遠に必要とする真の愛と生命のみ言です。再臨主が世の中を救おうとして来られるとするならば、人類を鉄格子の窓で審判するというのではなりません。たたくことによっては一人として完全に屈服させることはできないのです。手がヒキガエルの背のようにでこぼこになり、曲がって開かなくなるほどに苦労した母親の犠牲的な愛には、不孝者を悔い改めさせ、戻ってこさせる力があるものです。
 棍棒をもってしてはできません。審判の大王であり、天地を思いのままに主導なさる神様でも、真の愛なしには天宙統一は不可能なのです。真の愛は困難が問題にはなりません。自分の生命を投げ出してでも、行くことのできる力が真の愛にはあるのです。
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 統一教会のみ言はいいのだが、人は良くないというようになれば滅びます。滅ぶのです。統一教会の文先生は皆さんの前にみ言を語っただけでしょうか。み言を語っただけではありません。先生が今皆さんに教えている内容は、先生がすべて行ってから教えているものなのです。それゆえこれは間違いありません。
先生は知識の面においても、実際的な面においても、矛盾や相いれないということのない理念体系をつくって教えてあげているのです。そこに関しては誰も何も言えません。サタンも公認するし、神様も公認することでしょう。
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 神様はみ言をもって私たちを呼んでおられるので、私たちはそのみ言どおりに行かなければなりません。真の父母と真の子女が相まみえるための道は何でしょうか。真なるみ言を通じることです。そのみ言は父のみ言です。父のみ言を知らずしては、子となることはできません。父のみ言が絶対的であり、真のみ言であるとするならば、同じみ言を千年、万年聞いても飽きません。終わりがないのです。
 私たちはそのようなみ言を求めていかなければなりません。そのみ言がある論理的な条件にぴったりと合うといっても、それで終わるものではありません。大原則でありながらも、聞いて、聞いて、また聞いて、永遠に聞いても生命となり得るみ言です。そのようなみ言を求めなければなりません。
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 父母のみ言は永遠なものです。時間と空間を超越しているということです。それゆえ、神のみ言は歴史を超越しています。主義を超越しています。思想を超越しています。ですからどこの誰の言葉よりも貴いものです。そのみ言は夜聞いても、昼聞いても、夜見ても、昼見ても、皆さんの心に無限に流れてくるのです。そのようなみ言を求めなければなりません。
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 私の恨は何でしょうか。両親の生きているうちに、統一教会に入会するように涙を流し、絶叫しながら勧めることができなかった不孝を残したことです。この恨を、皆さんを通して解こうと思います。
 私の一族を伝道することはできませんでした。八人の兄弟姉妹がいましたが、私は彼らの前で原理のみ言を一言も語ることはできませんでした。兄は私が語れば何でも絶対服従するのです。カイン復帰を完全にしました。家を売れと言えば家を売り、牛を売れと言えば牛を売ってくれるのです。母親、父親が及ぶところではありません。そのような兄に対して、一度も原理のみ言を語ることができませんでした。
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 これからは故郷に帰って灯台を立てるべきです。灯台とは何でしょうか。夜、暗いところに灯をともすのです。それはどんな灯台でしょうか。南北統一、東西統一の灯台の灯をともしなさいということです。これからは聖地のその灯を消さないように、灯をともさなければなりません。
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 今後皆さんは口を閉じていてはなりません。人が集まってくれば、先生が一九五〇年代に七年間二時間以上寝ることなく、皆さんに昼夜を問わず教えたように、夜も昼もなく七年ぐらいやってごらんなさい。七年間しなくてもよいのです。四年もかかりません。四カ月以内にすべて終わるのです。
 私が故郷に行くならば、もう、あっという間に統一してしまうのです。ですから両親によく教えてあげなければなりません。兄弟たちに本当の意味でよくよく教えてあげなければなりません。自分の手で、人の口を借りることなく、皆さんの血の汗を通して教えてあげなければなりません。精誠のこもったその教える態度を、その姿勢を父母が見習い、兄、姉、弟、妹が見習い、甥、姪が見習えば「家の宝である私たちのおじさん、私たちの弟、お姉さん、私たちの息子、娘」というようになるのです。
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 皆さん、これからみ言を宣布しなければなりません。これから原理宣布だと言って、皆さんの町内で八時間でも何時間でも夜を明かして、私が七年間したように、皆さんもそのようにしなければなりません。七年もかかりません。七カ月もすればすべて変わっていくことでしょう。そうなれば私がトラックにいろいろと積んで行くかもしれません。一族が私を招待して。
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 先生は七年間一日に二時間しか寝ませんでした。皆さんもそうしなければなりません。私は劉協会長に三年間、十六時間ずつ講義させました。劉協会長が大変がるときに、私が「こら、横になって人を殺そうというのか。先生に横になると言いもせずに横になっているのか」と怒鳴ったことが、今となっては心が痛みます。劉協会長は魚のことが好きだったですから。
 アキアミ(注:甲殻類に属する海老の一種)というのがありますね。アキアミの塩漬けは臭いがして、その横に行くこともできないのに、それがおいしいといって食べたことを今でもはっきり覚えています。今では味付けした牛のカルビー(あばら肉)の片方全部を食べさせてやることのできる時代になったのに、あんなにかわいそうな生活をしていたことを思うと、胸が痛むことがあります。どうしてそうしたのかというと、伝統を立てるためです。


  4.訓読会を組織化せよ

 先生のみ言は、先生が語ったものではありません。先生が言ったことではないのです。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は皆さんがいつ、どこで聞いても心が動き始めます。心が感動を受ければ、体に一大革命的変化が起こるのです。そのような力があります。
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 集まりがあるときは勉強です。夜も昼も時間さえあれば勉強です。何百回、何千回と読んで、自分のものになるまで、自分がその相対的実体圏をもつまで、これからはそのようなことをするのです。統一教会員は座っていると病気になります。病気にならないためには一生懸命に読んで、試験をして、努力するのです。
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 真の父母はみ言の先祖であり、人格の先祖であり、心情の先祖です。
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 訓読会は私が千辛万苦して人生において積んだすべての宝の箱を、民族の前で開けて与えることなのです。誰にでもすべて。翻訳もするなと言いました。翻訳できません。私の民族の前に通告するときまでです。それを知らなければなりません。
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 時間さえあれば訓読会をしなければなりません。一人でも、化粧室でも訓読会、一日に何時間でも、どこを読んだか記録して、ポケットにみ言の本を入れておいて常に訓読会をしなければなりません。
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 『御旨の道』を読み、原理を読むのはもちろんですが『祝福と理想家庭』であるとか、今まで先生の語ったみ言の中で重要なみ言は、サタン世界と対峙して闘ってきた勝利の記録なので、すべて読まなければなりません。ここには御父母様の歴史的記念である過去、現在、闘ってきた内容がすべて含まれているので、私たち統一家が御父母様と一つとなるためには、その内容と一つとなりながら、そこにあるそのみ言と相対的な基準をつくっていかなければなりません。自分を中心として、家庭を中心として、自分の一族、七代まで、そして横的には百六十家庭、百八十家庭を中心として完全に一つとなってみ言を定着させなければならないのです。
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 訓読会は祝福家庭の夫婦二人きりでもしなければなりません。毎日朝一時間ずつ。もし朝にできなければ、夜寝る前に十二時でも一時にでもすべきです。私はしています。今回南米を巡回したときにも、十二時を過ぎて疲れていても、それを実践したのです。一日も欠かすことはできません。分かりましたか。読んでみるべきです。『祝福家庭と理想天国』! この本は祝福家庭の内容をすべて教えてあげたものです。先生がそれをめぐって闘ってきた勝利の基盤を、ハイウェイを切り開いておいたので、ここに高速道路をつくって皆さんはすべて自動車となり、ガソリンとなって、自動車でここを最高のスピードで走らなければなりません。
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 私たち統一教会の原理の内容を、嫌気がさすほど語ってみなさい。一度嫌になるほどやってみようということになれば、どんなにおもしろく、どんなに良いか知れません。み言が創造の能力をもっているという事実を、確実に知らなければなりません。私がどこへ行こうとも、天が共にあるということを知っているので、その心情が直接大衆に影響を及ぼすのです。どういうことが分かりますか。
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 今までの先生の説教をまとめた説教集をすべて読んだ人は手を挙げてみなさい。こら! どんな教育をしたのですか、協会長。先生はその説教集の中でも深い内容は語れませんでした。今でも語ることはできません。み言の貴さを知り、み言の下には生命の源泉が、湧き水の源泉、水の源泉ではありません。降水ではありません。その生命の源泉が流れているということを知らなければなりません。自分個人の家にその湧き水のパイプをひいて、永遠の生命水が湧き出すような道を模索しなければならないというのが、統一家の群れの責任であるのに、何をしてきたのですか。あれはみな古物屋に売る本なのですか。


















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