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真の神様の祖国光復
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第五章 再出発のための私たちの決意

 一 再出発の決意

 さあ、滅びるわけにもいかないし、死ぬわけにもいきません。生き残らなければなりません。生き残るためには、そのままでいてはならないのです。敵を越えていかなければなりません。敵を越えなければならないのです。敵を越えれば天国です。ですから還故郷したところから敵を越える日には、天国の版図が広がるのです。統一民族圏ができるのです。
 それゆえ、皆さんが今回同行することによって、一千万の心の中に還故郷の火をともすことのできる良い機会です。こうして底辺から侍り、抱き、兄弟の愛をもって南韓の同胞と北韓の同胞が兄弟のように自らのすべてを分かち合いつつ、そこから再出発するのです。そこには国家観はありません。カイン・アベル時代に国家はあったでしょうか。国家がありましたか、ありませんでしたか。国家の後援を受けてはならないのです。国家の後援があれば、両者とも滅びるのです。
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 以前、分水嶺を越えると言いましたね。古稀のとき霊界に通じる外部の人が、踊りを踊りながら「今や文総裁が三十八度線を越えた」と言いました。それは敷居を越えたという意味です。幸福の世界が来るということです。すべてそういうことです。
 そのようにして一九九〇年代を越えなければなりません。これを越えれば統一教会は一瀉千里に発展していくことができます。今回の古稀からは……。七十歳ですから七千年、七数を蕩減して八数時代になるのです。八数は解放の数、再出発の数ですね。
 ですからアメリカが共産党滅亡宣布をしたのです。すべてが終わったのです。本当に不思議です。それも私たちが大会を終えたのちの七日と八日でした。
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 このような難局の時期が来ることを天は知っていたので、神のみ旨を中心として新たに再出発する準備をさせなければなりません。その位置にあるべき宗派、教会、あるいは宗団とはいかなる宗団でしょうか。統一宗団です。
 その名のとおり「統一」という言葉は指導を受ける位置での統一ではありません。「統」には率いるという意味があるのです。率いなければなりません。主体的中心をもって相手を教育し、主体理論の理想的な同伴者として、相対圏を形成することのできる内容を備えなければなりません。それが統一宗団、統一教会です。
しかし、それはこのレバレンド・ムーン一人の構想から始まったものではないのです。歴史性を超越した内容を中心として始まったという事実を今日の世界は知りませんでした。
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 孝子の道を行くためには、有史以来の迫害が迫り、困難な峠が多かったとしても、それを克服することのできる余裕満々とした男とならなければなりません。患難と試練の中でもまれ、後退の余念をもって悲しみの恨の道へと戻っていくのではなく、億千万世の苦衷と受難の道を克服し、克服し、決意して誓い、あすの希望に満ちた再出発の道を促していきながら、死の道も見分けていくことのできる道を残して行かなければなりません。そのような歴史的要求と、神様の要求があるということを知らなければなりません。
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 世界平和連合構想をそのときから始めたのです。それを今年八月末までに終わらせなければなりません。世界平和宗教連合も同じです。これが九月を越えてはならないのです。八月は世界的な再出発をする月なので、それを形成しなければなりません。そのために七月一日の神様祝福永遠宣布式をしたのです。蕩減路程をすべて越えなければならないのです。そして宗教圏まで一つに結んで宣布しなければならないのです。それが八月二十八日です。そのときまでに宣布式をして、その次に九月一日に新たな出発をするのです。すべてが越えるのです。そしてこれからは、世界は進んでいた道に背を向けて、すべて先生に従ってくる群れとなっていくのです。
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 皆さん、皆さんがそのように「ため」に生きようという生き方をすれば、歴代の先祖の基準を越えて、歴史上初めて必勝の勝勢者として神様の息子、娘だということのできる天道の道を行く巨人の人生に出世するのです。そのような時代になったのです。皆さんが自分自身の生涯を再出発させることのできる、驚くべき時代になったのです。


 二 真の御父母様の伝統相続の姿勢

 皆さんは堕落した息子、娘です。本来は、一人ではその位置に到達することはできません。皆さんは堕落した位置にいるのです。それゆえ、まず真の父母に学ばなければなりません。その場で互いに一つとなることができ、そこで真の愛が生じるのです。それが最初のエデンの家庭の伝統になるのです。真の御父母様なしに、どうして真の愛と伝統を学ぶことができるでしょうか。御父母様なしにはそのような相続がなされるはずはないのです。分かりますか。
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 父と母は、真の愛で愛する息子、娘に自分のすべてを相続しようとするのです。宇宙の相続は愛の伝統の上で、同等な愛の価値的位置を見いだすときに、そのすべてのものを心置きなく一〇〇パーセント相続するようになっているのです。ですから父母は孝子を望むのです。孝子とは何でしょうか。父母の永遠なる愛の同参者として愛を相続しつなぐものです。
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 皆さんは、皆さんの家庭の主人がどんな人だったらいいでしょうか。どんな人を主人の位置に置きたいでしょうか。父親でも、おばあさんでも、家族はみな、どんな人を相続者にしたいでしょうか。より愛する人です。おじいさんが最もその家全体を愛しているとすれば、家族はおじいさんにすべてを報告するのです。お父さんをさておいても、それはどうしようもないのです。それゆえ、一つの主人となることのできる者は、愛の心をもって「ため」に生きる者です。愛の心をもってより「ため」に生きる者が、その愛の家庭の伝統を受け継ぐのです。より大きな愛をもって「ため」に生きる者が永遠なる相続系列に同参するということを知るべきです。
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 皆さんは家庭で「孝子になれ」と言いますが、それはどういうことでしょうか。真の愛の中に入りなさいということです。それでは「相続者となるようにしなさい。愛国者となりなさい」というのはどういうことでしょうか。国を相続しようということです。「聖人になれ」と言いますが、それはどういうことでしょうか。世界を愛せよということです。「聖者となれ。神様の息子となれ!」と言いますが、それはどういうことでしょうか。神様の愛に同参して宇宙全体の相続権を受け継ぎなさいということです。そのすべてを相続することのできる伝統的な道があるがゆえに、今日まで堕落した人間世界において、このような論理的な段階に発展することのできる基盤を連結させてきたのです。それゆえ宗教の目的や、求道の道が可能であるということを決定づけることができるのです。何ゆえにできるのでしょうか。愛のゆえです。
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 今までこの道を切り開いてきた神様の道がそうだからです。神様の築いてきた伝統を相続してやるには、皆さんがこの道を行かなければならないのです。皆さんが苦労するのを見て喜ぶのではありません。苦労して切り開いてきた、その心血を注いだすべての福の恵みを、皆さんに無条件に祝福してくださる天があるということを知らなければなりません。その位置で相続を受けてこそ栄光となるのです。神様はそこで暮らすのです。十字架で蒔いたのですから、十字架で取り入れなければなりません。それを知らなければならないのです。涙で蒔いたので、涙で取り入れなければなりません。
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 私たちが神様の摂理全体を相続するためには、その伝統に忠実でなければなりません。伝統に忠実な者となったのちには、どうすべきでしょうか。そこからは責任をもたなければなりません。責任をもたなければならないのです。責任をもったならば革命を起こさなければなりません。この伝統が父の前に正しくないとするならば、その伝統を全体の前で相続させるためには、社会環境の矛盾したすべてを打開するために闘争しなければなりません。そうしなければ発展がないのです。それゆえ、皆さんがそのような歴史的な因縁を相続し、時代的な開拓者の責任を果たすためには、神様の復帰摂理に関する歴史的な純粋な伝統を受け継がなければなりません。そして、現在の生活的環境においてそのような責任を負い、未来の新たな理念の礎を築くために闘争していかなければならないということを、よくよく心に刻まなければなりません。
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 同じ父母をもち、兄弟の因縁を共にしなければなりません。そうして一つの父母の生活と、習慣と、伝統をそのまま相続しなければなりません。そして、天が喜ぶことのできる家庭形態を備えなければなりません。そうしてこそ家族ができるのです。
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 立派な国をもちたがっている人が、「ただ遊んで食べて、人と同じようにしながら立派な国をもとう! それはどんなに素晴らしいことか!」と言っているとするならば、その人は悪魔の後継者に違いありません。立派な氏族と民族と国をもとうとするならば、一家ではなく、一族を、自分の氏族を……。そのような世界を願うならば、まず一国を投入するということをしなければなりません。そうしてこそ、立派な世界を相続することのできる摂理史的伝統の位置に立つのです。そのとおりです。
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 皆さんのお母さん、お父さん自体が生命をもって生きているのですが、そこに愛というものがなければ、関係を結ぶことはできません。また、愛がなければ、前後左右のいかなる因縁も相続することはできないのです。それゆえ夫婦となった男女は、必ず父母の愛を伝授してもらわなければなりません。父母の愛を伝授してもらうと同時に、子女にその愛を伝授する伝統の上に生命の軸を立てなければなりません。
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 天国とは「ため」に生きる人の行くところです。自分を世界に投入しつつ、世界と連絡し、世界を抱いて、世界以上の位置を、神様に侍るための愛を求めてさまよう人が、天国の主人となるのです。そのようなことを誇らなければなりません。自分から自分の母親を誇り、自分の妻や夫を誇り、息子、娘を誇り、兄弟を誇り、皆さんのお兄さんを誇るには、そのような伝統を中心としてこれを国へと拡大して適用し、その公式を世界に適用し、天宙に適用しなければならないのです。そのような人はどこへ行っても同参、同位、相続権をもつことができます。
 それゆえ、神様が私のものとなるのです。神様の愛が私のものになるというのです。神様の行くところはどこでも同位、同参することのできる権限があるということを知らなければなりません。この驚くべき事実を知ってから他のものを求めていこうというのなら、行きなさいというのです。雷が落ちることでしょう。そのようなことを求めていくのが統一教会の道であるということが分かりました。
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 息子、娘が、自分のことばかり考えるようであってはなりません。私のように、天地のために、人類のために生きるには、より強く、より次元の高い伝統を受け継ぐことのできる息子、娘にならなければなりません。そのように考えるのです。だからといって、誰も不平を言うわけにもいきません。それゆえ、統一教会の教主の後継者には誰もがなれるというわけではありません。血統を受け継いで、「ため」に生きる伝統的な愛と一致することのできる息子、娘にならなければなりません。より次元の高いお母さん、お父さん以上の息子、娘とならなければならないのです。そのより高い息子、娘は、侍る生活をしてみなければなりません。出たり入ったりする人はなりません。それゆえ、相続も、高い次元の息子、娘がもっと「ため」に生きようという基準で相続しなければならないので、長孫(孫の中で一番上の男の子)が必要なのです。
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 皆さんは南韓の地においてどうしなければならないのでしょうか。北韓を取り戻す前に、南韓はアベル圏の中にいるがゆえに、皆さんがアベル圏の中に入ってこの世界版図まで上がるように、先生が引っ張ってあげなければなりません。ずーっと上がってきたこの基準を皆さんが相続して、皆さんの誰もが先生を代表し、世界を代表し、国家を代表し、氏族を代表し、民族を代表して、皆さんの故郷に帰って、皆さんの家に根を下ろすのです。真の夫婦の愛を中心として、本然の伝統基準をここにしっかりと根づかせることによって、先生の世界基準の根が完全に根づくのです。
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 教会をあとにして、みな家に帰って自分だけがよく食べ、いい暮らしをするというのではなりません。帰ってから第一にすべきことは何かというと、教会を整備することです。次に、自分の息子、娘から後ろ指をさされるようではいけません。物乞いになって人の世話になるようであってはなりません。血の汗を流し、正義の真なる血肉の価値を通したその基盤において、息子、娘を養い育て、息子、娘に新たな伝統を教育しなければなりません。のみならず、自分の一身を投入してその一族を生かしたのちに、一族が自分を定着させてくれて初めて私が生きるのです。さもなければ潔く祭物として消えていこうという犠牲的精神をもつ、そんな相続者がいなければ、この南韓の地が天国の基地として残り得る国家の基盤はできないということを、はっきりと知らなければなりません。
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 相続は天の名によって、天の命令によってなされるものです。相続は民主主義式ではできません。もしそうであれば滅びます。国会の相続、授権政党というものを、自分たちが偉いからといって自分たちの手段方法をもってしてはいけません。国の伝統を立てなければなりません。命令によってなされるものであるがゆえ、命令を受けることができなければなりません。そのような社会にならなければならないのです。それを分かってほしいと思います。
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 今回皆さんを配置したのですが、それは皆さんが愛の主人、サタンが愛してきたそれ以上の愛をもって、主人意識を回復した立場に立ち、神様に代わって、イエス様に代わって、先生に代わって、子孫として堂々と伝統を受け継ぐ天の相続者としての権威をもち、主人の役割を堂々と果たしてくれることを願って故郷に送ったというわけです。これまで故郷では私たちに反対してきましたが、これからは順応できるようになりました。文総裁のもとに従ってこれるようになっているということです。
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 愛には相続権があるのです。驚くべき事実です。この世でも、親が相続権を与えるときには、父母を愛し、国を愛し、兄弟を愛する人に与えようとします。それはなぜでしょうか。その伝統の歴史的起源、出発の起源に合っていて初めて正しい種となるからです。それが分からずにいたのです。
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 歴史上どんな父母にもそれはできません。私が最高の伝統を立てました。そのような伝統を皆さんに相続してあげようというのです。皆さんは何をしているのですか。これから季節が変わります。春が来るのです。お父様は春だけではありません。四季……。そのような態度でやっていくのです。
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 生命よりも貴いものは何でしょうか。私が貴いでしょうか。私の生命よりも、もっと貴いものは何ですか。それは愛であるがゆえに、高い愛をもった人の前に忠誠を尽くさなければならないのです。
 それゆえ、家庭に入れば父母の前に服従するのです。愛の最も高い位置にあるのが父母の愛であるがゆえに、その愛を慕う息子、娘は、千年、万年順応しながら、その愛を相続するために、山奥をさまようような立場にあっても良いというのです。あの臭い肥やしを頭からかぶっていても、父母を愛する伝統を受け継いでいかなければならないという立場で、「孝行しなさい」という父母の言葉を永遠に誇ることのできる愛を相続するのです。そうならなければなりません。
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 先生がこの世を去るときの贈り物として、何を残していくかということを考えるとき、それが最高の贈り物なのです。それは天地を渡しても売り買いすることのできないものです。その贈り物は、先生が真の父母だという場合、真の子女がいたとすれば、血統的に一つに結び付けてくれるものです。血統的に一つとなったというのは、生活はもちろんのこと、環境のすべてまでも収拾されます。父母に代わる者、父母に代わって愛する者であるがゆえに、父母のみ言を相続し、父母の文化を相続し、父母の生活方式を相続しなければならないのです。それが伝統的な道です。


 三 真の愛を植えよう

 愛によらずしては、一つにすることができません。二つを一つにするには、言葉をもっては不可能です。二つが一つになるためには何がなければならないのでしょうか。物質によって一つになっている場合、物質がその場を離れたならば、逃げていってしまいます。第三者の紹介によって、ある事情を通して一つとなったとする場合、その人がいなくなれば去っていってしまうのです。二つが一つとなるためには、永遠に一つとなるためには愛がなければなりません。愛以外のものではなりません。
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 神様を中心として考えるとき、根本は愛です。愛があれば統一は自動的になされるのです。サタンよりも水準の高い愛で愛すれば、サタンも引かれてきます。神様は最高の善と愛を与えるために天地を創造なさったのです。
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 愛が偉大なのはそれです。上下、高低の距離を超越し、空間と時間を超越して、共同所有の理念を即時に共有し得る圏内に参ずることができ、参加することのできる能力が愛の道にある! これは驚くべき事実です。
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 愛があればどうなりますか。どうなるでしょうか。すべてが遠ざかりますか、それとも近くなりますか。愛はどうして良いのでしょうか。それを知らなければなりません。遠いものも極めて近くに、一つにすることができるのです。東洋人と西洋人を政治力、軍事力、文化の力で一つにできる人はいるでしょうか。文化の力、経済力、どんな力をもってしてもできません。何がありさえすれば一つになるのでしょうか。愛というものがなぜ良いのか分かりますね。
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 人間が愛を最も好むのは、愛は全体を統一して私のものにすることのできる主体だからです。人は愛がどんなに良いものか完全に知るよしはありません。ですから先生が愛をもって出てきたのです。
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 愛の心は、愛の力は、殺そうとしていた怨讐までをも一つにするのです。極と極、反対のものを一つにすることができるのです。女性と男性は、極ですか、それとも極ではないでしょうか。女性は女性同士で好むでしょうか。女性が二人きりで「私はあなたの手にほれたの。ああ、なんて良いのでしょう」と言ったとすれば、どんなに気持ち悪いことでしょうか。
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 統一の方案はどこにあるのでしょうか。「ため」に生きるところにあります。それでは南北を統一するのに金日成の言うとおりにするというのでしょうか。金日成の言うとおりにするのではありません。愛が宿るものは何であっても「受けたい」と思うような良いものであるがゆえに、その良いという立場において永遠に与えることのできる位置に立てば、北韓も統一されるのです。現在北韓の民が暮らしている以上の立場で、永遠に与えることのできる基盤さえつかめば、共産党の宣伝などは通用しないのです。大韓民国が、経済分野、生活分野、知識水準などすべての分野で優越な立場にあり、永遠に与えることのできる立場に立てば、一つになるなと言っても完全に一つになるのです。
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 善は何かにぶつかるたびに発展するのです。行く先々で百勝するのです。困難なように見えてもこの原則に立脚すれば、この原則が間違っていない限り、必ず勝利をもたらすのです。この原則によって生き、この原則に立脚して犠牲になる人は、必ず勝利するのです。自分が得た利益を自分の利益と考えるのではなく、より大きい国家の利益とみなし、勝利したならば、その勝利した価値を自分のものとしてではなく、国のものとして、世界のものとして返す、そのような思想を繰り広げていく団体があるとすれば、世界が滅びることはあっても、その団体は滅びないはずです。そのような内容をもった統一思想は滅びないということを、皆さんは知らなければなりません。
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 借りをつくっては統一ができません。借りをつくるところに統一はありません。借りがあっては天国を築くことはできません。借りをつくっておいて復興するという法はありません。借りたものの何倍もの利子をつけて完全に返すことのできる余裕ができたときに、富国が設定されるのです。天国というのは富国の中の富国なので、借りのある立場では不可能だということを知らなければなりません。
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 結局のところ、どこに行かなければならないのでしょうか。愛を求めて行かなければならないのです。お金も貯めて、世界も支配し、学者にもなり、人が良いというものはすべてしてみたところで、すべては使い道のないものなのです。ですからどこへ帰らなければならないのでしょうか。真の愛と一つになった自分自身、体と心、すなわち、神様の縦的人と横的人が一致する自分、このように一致した男女が神様の縦的愛を中心として、永遠に核が骨のようなものとなり、その体が回る、一つとなるそれ以外にはないのです。
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 これから皆さんは天国の愛の僕として暮らすと考えるべきです。天国を築く愛の僕であり、愛の秘密結社隊員であり、スパイ工作情報要員だと考えるべきだということです。だとすれば何でもできないことがあるでしょうか。生きるためには男性が女性の仕事をすることもあるのです。乞食のようなことをすることもあるのです。国を生かすため、自分の一族を生かし、自分の国を生かすためには、自分はそれ以上のことでもできるという心の姿勢をもって実際にそのように行動するならば、村は黙って屈服するのです。
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 真の愛を中心とした幹の根と、真の愛を中心とした真の幹の芽が必要です。皆さんのような芽ではなりません。ですから涙を流し、血の汗を流して、皆さんが、この地上に生きては去っていった多くの人以上の愛で、地のため、村の人のため、民のために愛したという基準を定めることによって、皆さんは正常な根を下ろし始めるのです。
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 皆さんは真の御父母様の前に真の子女の名分をもっているがゆえに、相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的な事実を信じて、すべてを愛の圏内に投入しなければなりません。神様が投入したように、皆さんが完全に投入することによって、一族が復活するのであり、一族が復活するに従って一国が復活するのです。
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 先生は世界的先祖の位置に立つために、このようなことをしてきましたが、皆さんは、自分なりに氏族的先祖となるための伝統を、それぞれの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行くべきだという事実を知らなければならないのです。皆さんの氏族のために、一族のために伝統を立てなければならないということです。これから十二支派が編成されていくのです。ですから伝統が必要なのです。自分を考える人はここで落ちてしまうのです。
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 皆さんが故郷へ行くときには、真の愛をもって行かなければなりません。真の愛をもって故郷に行って、真の愛を植えて愛するならば、皆さんが先祖となるのです。皆さんが一代目の先祖となるのです。皆さんが朴氏だとすれば、朴氏として天国に接ぎ木され得る一代目となるのです。このように考えるならば、皆さんの父親は、逆に皆さんの息子格になるのです。


 四 愛の根を故郷に下ろせ

 今までは勝手に生きてきたとしても、これからは深刻なのです。私が敗者であるか、勝者であるかを決定すべき責任があるのです。その責任は先生にあるのではありません。皆さんにあるのです。敗者の覇権をもって帰るのでしょうか、勝者の覇権をもって帰るのでしょうか。どちらですか。真の御父母様が勝利し、神様が勝利したその内容をもって帰らなければなりません。その内容は他の何物でもありません。故郷に前進することです。世界を縮小して私の家庭にすべて反映したものなので、それを求めてきた御父母様と神様の蕩減歴史を考えるとき、人が訪ねてきたならば、涙で迎えてあげなければならないのです。ある人が自分を訪ねてきたならば、夜を明かして話をしてあげても疲れることのない心情が伴わなければなりません。
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 イスラエル民族がエジプトへ行って四百年間暮らしてきたように、私たちが四十三年間そのようなことをしてきたのですから、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。神様を愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。そうして世界的サタンが讒訴する起源を切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったがゆえに、カナン福地の理想天国を形成できませんでした。ですからサタン世界に何かを望んではならないのです。ふろしき包みをもって歩いたとしても、私たちが一番です。行く先々でののしられ、夜に近所の犬にほえられても私たちが一番です。そのような自負心をもって、堂々とした足取りで、村の天地を愛の歓声と共に消化することに同参し、前進しなければならないということを肝に銘じて闘ってほしいと思います。
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 皆さんが故郷に帰ったならば、故郷の山河をもう一度眺めて「ああ、これは神様が私に下さった贈り物だ」と考えなければなりません。私よりも年を取った木のおじいさん、私よりも年を取った川の石、そして平野を眺めては「元気だったか」と言うべきです。それが愛です。自然を愛することができてこそ、人を愛することができるのです。再びそうしなければなりません。復帰なのです。復帰。アダムが万物を愛せなかったので、万物を愛さなければなりません。郷土に帰って自然を愛さなければなりません。近所の草からあらゆる山川草木に至るまで、すべてを愛さなければならないのです。すべてを愛してから人を愛するのです。山川草木、動物まですべて愛することのできる立場に立ったならば、その基盤の上で人を愛するのです。万物を復帰してから人を愛するようになっているのです。
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 人を愛するときには、まず最もかわいそうな人から、かわいそうな子供たちから愛して、それから中年へと上がっていくのです。世の中の貧しい人には、良心的な人が多いのです。私たち統一教会の家庭は世の中で最も貧しい人を愛するのです。貧しい人は悪魔の世界にいるとしても、今後はそのような人の中から天運を受け継ぐことのできる人が現れると考えるのです。
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 今日皆さんは故郷に帰って、種となり得る存在にならなければなりません。そしてその種が蒔かれて、大韓民国はもちろん、天地が訪ねていくことができ、神様がいつでも訪ねていきたいような環境を残すことができなければなりません。そうしてからあの世に行くならば、天国の息子、娘として愛されて生きるに違いありません。そのような生涯路程を今から立てていかなければなりません。



















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