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真の神様の祖国光復
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第六章 真の父母が伝授する世界と南北統一教本

 一 「世界と南北の統一は真の愛で」

 世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士、淑女の皆様!

 今正に始まった新千年紀は、分裂と[藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆さんの各家庭に、新千年紀の祝福が共にあらんことを祈願いたします。初めに、私の八十回の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地から訪ねてこられた皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光を捧げます。

 私の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期はありませんでした。私は韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史と共に歩んできました。

 私は、十六歳(数え)の少年時代に祈祷をしている最中、突然、神様のみ旨に接したのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。そうして知ってみると、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り神様との関係が断絶されたことにあったのです。これによって、神様と人生と宇宙などの根本問題について無知に陥ったのです。これまで私は、世界各地の公式席上で、一万回余りのみ言を通して、神主義に立脚した真なる人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、十二種類の世界各国の言語に翻訳され、既に三百巻余りの書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形、無形両世界を自由に行き来しながら、原理的であり、根本的な答えを説き明かしてきたものです。

 きょう私は、意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。

 我が国の統一は、単純に国土の統一だけでなく、これは、堕落によって引き裂かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に引き裂かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがって、この問題は、神様の救援摂理的側面から理解しなければならない事案であるがゆえに、摂理的次元から解いていかなければならないのです。

 人類歴史は、人間始祖が堕落により失ってしまった本然の世界を再び取り戻すための蕩減復帰歴史です。

 ゆえに歴史は、神様の創造理想を実現させるための目標を置いて、サタン側と天側の善悪闘争の歴史なのです。歴史の背後ではいつも、善なる側には善霊が協助し、悪なる側には悪霊が作用してきました。人間の堕落により始まった分裂の歴史は家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。

 二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていたならば、イエス様はユダヤ教を基盤としてユダヤの氏族と民族を統一し、十二支派の後孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたことでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたことでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、イエス様は世界の王の王にならなければならなかったのです。

 しかし、イエス様が十字架にかけられることによって、それ以降、外的な肉的文化圏である人本主義のヘレニズムが先に発達して、ローマ文化を形成しました。一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。人間始祖の堕落によって引き裂かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何をねらっているのでしょうか。神様をはっきりとねらっています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、天地創造時に理想とされた基準も永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。

 神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様! 最初に私を天使長として立てられたとき、一時的な愛で立てられましたか。そうでなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様は、どのように答えられるでしょうか。それを考えてみなければなりません。神様は、永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。

 ゆえに神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、どのような環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。神様は、サタンがいくら暴れ回るとしても、罰したり、打ってしまうことができないのです。どのような状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。幸福でした」と告白しない限りは、神様は、完全なる勝利を成し遂げることができません。それが問題なのです。

 神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、やはりその道を行かなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ」ということでした。

 話は簡単ですが、これが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたということを誰も知りませんでした。神様がサタンを敵であり怨讐であると見なし、彼に対して復讐しようという思想をもったとするならば、絶対に勝利の頂を占領することはできません。反対に、神様は「怨讐を愛せよ」と言って、愛の作戦を繰り広げてきました。神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事して自分を殺そうとする怨讐に対して、彼らを許し給えと祈祷したということは、偉大なことです。もし、イエス様が十字架で死ぬときに、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転したことでしょう。福を祈る愛の心をもって死を克服したために、サタンが自然屈服したのです。永遠に神様の子女として残ることができる資格が、そこで生まれたのです。サタンもこれを認め、「あなたは、本当に神様の息子である」とサインするのです。

 皆さんも神様の前で、「サタンよ、私が神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」、また「神様の息子としての相対圏を拡大していくであろう。個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは原理原則なので仕方ありません」と答えるように行動しなければならないのです。

 神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても神様を愛し、怨讐までも愛する運動をキリスト教は展開してきたのです。私たちは家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国がついに屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上に消化できる主義は生じません。韓国が日帝のもとにあったとき、韓国、日本、ドイツ、米国など主要な摂理的四大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐の関係であり、日本と米国が怨讐の関係であり、米国とドイツが怨讐の関係です。

 ところが、私はこのような怨讐関係にある日本人とドイツ人を米国に連れていき、米国が神様を無視し、神様を失ってしまったら滅んで死んでしまうので、米国を生かさなければならないと言って、真の愛の道を実践しました。日本やドイツの人々に「敵対関係であった米国を、自分の祖国以上に愛することができる伝統を立てることなくしては、神様が望まれる新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。怨讐関係にある国家を自分の祖国以上に愛する基盤と伝統を成さない限り、地上に天国は顕現できません。このような歴史的な伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。

 私は、米国連邦政府より屈辱を受けて罪なく法廷に立ったとき、米国の未来を心配し、保守正論紙、「ワシントン・タイムズ」を発行し、放送局を設立させるなど、むしろ米国のためにあらゆる努力をしたのです。近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類にも及ぶ各種の教材を出版し、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。

 皆さん! 日帝のもとで反日地下運動をしていた私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、私は日本人を愛しました。地下独立運動をしたからといって引っ張っていき、むごい拷問をした日本の警察官たちは、私が一言言えばみな処刑される運命だったのですが、反対に、追われている彼らを安全に送ってあげたのです。

 今日、日本の多くの若者たちがなぜ、私に永遠なる命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるためです。それは、私が国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛して生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、自分たちも知らずに天命に従っているのです。

 私は、日帝のもとで当時の日本にも恨みがあったのです。しかし、日本は既に敗者でした。天は、滅びる者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して、謝罪する者に対しては、哀れみをもって対するのです。そのような天であるので、敗者にさらに刃物をもって打てば、打った者の後孫が滅びるのです。米国もやはり、私を敵対視していた国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥った米国を救うため、父母兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。

 また、既成教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはなりません。お互いに、愛で和合しなければならないのです。二つが和合して、大韓民国を天のみ旨の前に立て、北朝鮮を消化しなければなりません。

 解放直後に、既成教会と統一教会が一つとなっていたならば、すべてのことが解決されていたでしょう。しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前において、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐と対峙するようになり、それでも闘わないという条件を立てるために、無限なる犠牲を払いながら受難の道を克服してきたのです。

 内外の貴賓の皆様!

 既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成の主体思想で武装しています。私たちは、彼らを消化することができる神様の真の愛の思想で武装しなければなりません。北韓は、ソビエト文明から来た冷たい風が吹きつける、北方文明です。私たちは、温帯文明によって彼ら自身が自ら溶けていくことができるような作戦をとらなければ、お互いが滅びるのです。ゆえに、私たちは徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。私たちの思想は、個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。

 しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心として成そうとするのです。それで彼らは、自分の敵が現れれば除去してしまうのです。私たちはそうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を成そう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や、人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕することのできる私たちとならなければなりません。私たちが彼らに影響を与えることのできる環境をもたなくては、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になり得る復帰の国家が成立しないのです。

 したがって、南北韓は分断されましたが、北韓と闘わずして解放しようというのです。ゆえに、お互いに利益となる愛し合う道を探し求めなければならないのです。

 皆さん、現在、南と北の目的が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする分かれ道にいるので、その目的が異なっているのです。どのように統一されるかという問題をおいて見るとき、深刻です。その主体的使命を誰がしなければなりませんか。それを南韓がすると言うとき、北韓が反対するでしょうし、北韓が主導すると言うとき、南韓が反対することでしょう。互いが、「我々がしようというとおりにしよう」と言うときには成されないのです。自分自身の立場に固執すれば、必ずまた決裂することでしょう。これをどのように克服するのかが問題です。問題は、南韓の人が南韓を愛する以上に北韓をもっと愛するという人が出てこなければならないということです。

 同様に、北韓の人が北韓を愛する以上に南韓を愛する人が出てこなければならないのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。南韓の誰よりももっと国を愛する人、北韓の誰よりももっと国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるというとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。それ以外に道があるでしょうか。どんなに考えても、それ以外に道はありません。

 それでは、これをどのように実践するのかが問題です。それは、北韓の人よりももっと苦労し、南韓の人よりももっと苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決方案なのです。悪なる世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張することができる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのです。

 そのような観点から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない立場になられると、神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬことしかないと考えたのです。それが十字架の道理なのです。人類を愛することにおいて、歴史始まって以来誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、歴史始まって以来誰よりも愛したので、滅びつつあった歴史が、そこから新しい方向に向かってより次元の高い善の目的の世界に進出したのが、キリスト教文化圏です。それは歴史的事実です。

 ゆえに、南北を統一することができる方案は、南と北のために死ぬことができる群れとなる道しかありません。それ以外に、統一することができる道はありません。本当に、共に生きたいという心がなくてはなりません。人間がどのように生きるのか、あるいは、私たちの人生航路をどのように行くべきかということを念頭において見るとき、その骨子を要約するならば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。まさしく、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、共に生きたい思いに満ちた人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。「共に、一緒に生きたいなあ」という、その内なる共通分母とは何でしょうか。それは権力ではありません。権力は歴史を超越できません。

 それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。知識の世界で、この学問と永遠に共に生きたいという思いがあるでしょうか。間違いなく私たちが共に生きることができるのは、知識でもなく、お金でもありません。

 このように見るとき、上や、下や前後左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通的に認定することができる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛だというのです。ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また、愛国者は国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万民をこの上なく愛する人であり、聖子は人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。

 したがって、愛国者の心のように、民族と共に生きたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びでなく、私たちすべての喜びとして永遠に残ることができるものでなければならない、と誓うことができる真なる心情の基盤が問題なのです。真なる愛と心情の因縁をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。

 皆さん、全く字を知らない女性でも、博士と結婚して愛の因縁を結ぶならば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に生きようという情の因縁をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席することができる特権があるのです。神様御自身がそのようなお方であるために、一つとなることができる生活内容をもてば、同参することができる資格が自動的に賦与されるのです。

 それでは南北統一は、どこから、何をもってするのでしょうか。力で屈服させるならば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。その方式では統一を成し遂げることができません。たとえ以南の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと真心から共に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道が開かれます。北朝鮮を思いながら胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、あなた方の困難と共に私は生きている、解放の一日を準備してあなた方の前に現れることであろうと誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。

 皆さん、その最初の段階として、郷土とどのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に生きたがらず、郷土と共に生きたくない人が国を愛するというのは偽りです。国と共に生きてこそ、世界と共に生きるようになっています。そして、世界と共に生きてこそ、神様と生きるようになっています。ゆえに郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。政治をする指導者たちが国をどれほど愛していますか。彼らに、国民と共に真心から共に生きようという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。

 引き裂かれた南と北がそのまま一つとなることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服することができる心の決意と実践が必要なのです。「本当に共に生きたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国問題を心配する場合は世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来、世界の将来を見通さなくてはなりません。

 そして、「私は、あなた方と共に、本当に共に生きる運動を展開するだろう」という誓いをしなければなりません。それが聖人の道理に通じれば聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって神様に対して実践すれば、「神様の相続者」「み旨の後継者」となるということを、私は生涯を通して確認したので、きょう皆さんにこのようなみ言を伝えているのです。

 内外の貴賓の皆様!

 神様の真の愛を中心として互いに因縁を結べば必ず主管権と所有権、それから、相続権をもつことができる特権が賦与されます。力学では入力よりは出力が小さいですが、真の愛の世界では、入力よりも出力がもっと大きいのです。

 真の愛とは何でしょうか。「他のため」に生きる愛であり、与えてはそのまま忘れてしまうものです。与えたことを、ことさら記憶もしないのです。また、どんなに降り注いでも、疲れるということを知りません。九十歳を超えた父母が、七十歳になった息子に、「息子よ! 車に気をつけるんだぞ」と言っても不自然でなく、何十年間、その言葉を数限りなく繰り返したとしても嫌気がさしたり、疲れるということがありません。堕落した世界の父母がこのようであるのに、いわんや、本質世界で父母なる神様の愛を授け受けするとき、疲れるはずがあるでしょうか。人生で真なる神様の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変であるということを初めて知るようになるとき、永生の論理を妥当化させることができるのです。

 私が、去る一九八四年に何の罪もなく米国の監獄に入り、獄中のベッドに一人で横たわっているとき神様が訪ねてこられて、信じる人は私しかいないのでニカラグアの事態を解決しなさい、と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、どうして私しかいないのでしょうか。先進国を代表するという米国には、二億四千万という国民と、数限りなく多くの教役者(注:宗教活動に携わる人)がいるのですが、彼らを訪ねていくことができず私を訪ねてこられた神様が、どれほど哀れであられるか推し量ることができるはずです。

 しかしながら、神様は強い引力の愛を訪ねていくことができるので、昼夜、世界のために心配する私を訪ねてこられたのです。その時、私が「ワシントン・タイムズ」を前面に立てて助ける仕事を展開しなかったならば、南米は思想的に既に廃墟になっていたことでしょう。

 紳士、淑女の皆様!

 我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北韓と南韓を統一させ、神様が安息することができる基盤を、皆さんの家庭と、私たちの教会と国に築くことを天は願っているというのです。それでは、神様に何をもって侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないでしょうか。何をもって洗い流してこそ、神様がきれいだとおっしゃるのかというのです。ほかでもなく、自分の父母を愛する以上の、夫や妻を愛する以上の、子供を愛する以上の真の愛を中心としてその環境をつくり、祭物的な祭壇を積もうというその立場から、初めて理想的な南北統一ができてくるのです。理想的東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれるのです。それで、真の愛の鍵が必要なのです。

 私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と常に互いに通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した世界、和合した天と地、和合した真なる人間愛と神様が一体となった、そのような世界が真の愛のユートピアではないでしょうか。すべての植物が太陽の光を生命の要素として吸収するのと同じように、人間には、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛と共に、慕いながら生きることのできる地上天国と天上天国が建設されることです。

 しかしこの世の中には、すべてのものの主人格として登場することができる驚くべき人生の価値と、その特権的な権限をもった真の愛の主体者あるいは対象者が、果たしてどれくらい存在するでしょうか。きょう、この場に参席された皆さんはどうかこれを忘れないで、心と体が一つとなるように努力することによって、自らの夫婦同士でより高くために生きることができる愛で愛し合うことから、家庭と、民族と、国家と、世界を愛することができる真なる人と家庭となることを願います。

 もしそのようになれば、南北統一は既に成就したも同然です。どんなに強い主体思想であっても、神様の愛の中では力なく収拾され、消滅してしまうことでしょう。真の愛で愛する心をもつようになれば、南北統一は絶対問題ではありません。それだけでなく、東西問題や世界的南北の貧富の格差問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。このような神様の理想を中心として世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結することができる理想世界の平和的無限境が成し遂げられることによって、この地上には真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。

 内外の貴賓の皆様!

 私は四十年余り前から、ここでお話ししたように統一の根本原則を宣言し、国内外で神主義を中心とした理念運動を土台として、周辺四大強国に統一の国際的な基盤を造成してきました。韓国や、日本、米国などに、各々数百万を超える会員たちが、国際勝共連合、カウサ(CAUSA)活動などを通して民間基盤を構築してきたのです。これまで私が主唱してきた神主義は、唯物論、無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放することができる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。

 南北統一を熱望する愛国同胞の皆様!

 私たちはみな共に、真の愛の神主義で私たちの価値観を定立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と、韓民族と世界平和のため、南北統一を信仰化しましょう。そしてこの時代、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。真心より共に生きたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。

 特に、人類歴史の始まりにエバの失敗によって歴史が誤ったので、終わりの日には女性たちが先頭に立って、真の愛の母性愛で、青少年の和解と統一の新しい歴史を創造していきましょう。女性の使命は、子女のような立場である青年男女および学生たちを、真なる教育を通して真なる子女たちに復帰することです。さらには、母と子女が一つとなって手本を示し、教育を通して夫までも真なる天の息子として復帰し、真の父母に従って神様を中心として侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。今一度、きょうの私の話が、南北韓が共に真の愛で出合うその日を早める全国民運動となるように願いながら、お話を終えようと思います。

 神様の祝福が皆様の家庭に共にあることを祈願いたします。ありがとうございました。



















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