真の御父母様の生涯路程 1
(全面表示) 戻る INDEXへ
真のお父様の誕生と内的準備

第三節 神様の召命とみ旨の道出発
        一九三五・四・一七

一 召命を前後した蕩減役事

祝福後に受ける蕩減

 先生自身を中心として見る時、また、今まで先生の家庭が生活してきたのをずーっと振り返ってみるならば、神様は、ある時には祝福をしてくださるけれども、残忍で、無慈悲であられるというのです。

 先生の家庭は、曽祖父の時に神様の祝福を受けました。しかし、祖父の時になって蕩減を受けました。祝福を受けたのちには、必ず蕩減を受けるようになるというのです。必ず蕩減の役事が起こるのです。イスラエル民族も祝福を受けたのちには、必ず蕩減を受けました。十ほどの祝福を受ければ、必ずその程度の蕩減を受けなければならないというのです。あるものを維持して、その種を残すためには、蕩減を受けなければなりません。しかも、家庭のための種でなく、氏族のための種を残そうとするならば、その家庭に祝福した以上の試練を、サタンが浴びせるのです。言い換えれば、十の祝福を与えるためには、二十あるいは百の試練を与えなければならないのです。必ず蕩減を受けなければなりません。

 それゆえ、先生が神様の召命を受けるまで、先生の家庭に相当な混乱が起きました。一家の財産を使い果たしてしまい、人命の被害もありました。それだけでなく、私の側にいる人々に、混乱が起きたりもしました。当事者である私から始まって、全部打たれたというのです。

 そのように祝福を受ければ、神様がその家庭を絶望的な状態に至るまでサタン世界に差し出すのです。そうすると、サタン世界が激しく打つのです。例えば、先生がこのみ旨を探し出してくる時まで、その背後には三代に該当する蕩減の因縁が関係されていました。祖父の代で蕩減を受け、父の代でも蕩減を受け、私の代では兄まで蕩減を受けました。おじいさんの代においても悲しいことが起きなければならず、父の代においても悲しいことが起きなければならなかったのです。これを経ていかなければ、蕩減にならないのです。

 これは、私自身を滅ぼそうとする摂理でしょうか。いいえ。これは完全な勝利の基点を願う、神様の愛であることを私は知りました。堕落した血統を受けて生まれた、歴史的な摂理をおいて見る時にも、これは不可避な事実でないはずがないというのです。いついかなる時、サタンがその先祖を通して、家庭を通して、兄弟を通して、自分を通して入るか分からないのです。それゆえ、それを清算できる内容をもって、天の側を代表して出ていくことのできる背後をもつことなしには、蕩減の場に出ることができません。その当事者が知っていようがいまいが、蕩減の因縁は来るのです。


一族の次子たちの客死

 先生の家がそうです。おじいさんが三人いましたが、二番目のおじいさん(文信國氏)が客死しました。三人のおじいさんの息子たちの中で、二番目の息子たちは全部客死しました。龍基のお父さん(文慶福氏)も客死し、文社長の家のおじいさんの二番目の息子(文慶勲氏)も、ソウルに来て勉強していて、病気になって死にました。また三番目の坡州のおじいさんの二番目の息子(文慶浩氏)も、フィムン高校に通っていて、やはり病気になって死にました。そうしながら、その期間に私の家門がめちゃくちゃになったのです。これはもう、サタンの総攻勢を受けるのです。

 そして、私たちの代になって、私が二番目です。本家の二番目だから、私を打たなければならないはずなのに、私は倒れなかったというのです。昇均も二番目で、龍基も二番目で、みな二番目が残りました。ですから、サタンがありとあらゆることをしたのです。

 ですから、賢い人を勉強させれば早く死ぬと言って、学校に送らなかったのです。私たちの門中で最高である私を保護するために、そうしたのでしょう。

 そうした家門的基盤が、既に神様の蕩減法を中心とした摂理観と一致し得る路程を経てきたのです。原理がそうなので、否定できないのです。ですから私たちの家庭が、どれほど不思議なほど当てはまっているでしょうか。

 また、私がこのみ旨の道を出発し、一番受難に遭ったのはいつだったでしょうか。第二次、二番目の道でした。もちろん最初の道もそうでしたが、二番目の道はより一層そうでした。そのような過程をたどらなければならなかったのです。

 さて、このように見る時に、摂理史はカイン・アベルの戦いであり、カイン・アベルの戦いは、カインがアベルを打って、摂理のみ旨をいつも妨害してきたというのです。いつも摂理のみ旨は、カイン世界を占領して、アベル世界を拡張させるためのみ業をしてきた反面、サタンはカイン側の地上人たち、すなわち主権者を通して、いつも宗教を迫害してきました。この戦いは、今日まで人類歴史の出発以後、ずっと反復されてきたのです。

 私たちの代でも、そうではないですか。劉孝元前協会長も、三家庭の中で二番目です。うちの喜進も、二番目の息子です。お母様の時代では、二番目の興進も客死しました。うちの恵進も、二番目の娘です。生まれて八日後に死んだのです。蕩減法がそうです。

 天理の公法においては、因果原則が変わることはないことをよく知っている人なのです。それは、人間がとってつけたものではありません。私は、それを知っている人です。それゆえに、私がこの道を行っていなければ、既にサタンに奪われていたのです。どこかに行って死んでいたかもしれません。それを知っている人なので、死を越え、死を目の前にして行く道を、人知れずそれ以上前に行こうとするのです。そうするうちに、今ではもう峠をすべて越えてしまいました。


休む間もない家族の災難

 霊的な現象は見えない世界で起きるのではなく、実際に見える所でいろいろな現象を起こすのです。ですから、サタンはすべての手段を使って、先生の一家を滅ぼす計画をしたのです。その渦中に、兄(文龍壽氏)と姉(文孝淳氏)が狂って、とても大変なことになりました。若かった時、そのような霊的な背景と霊的世界の問題があったのです。狂ったと思っていた兄が、よく見てみると、何か話をするのです。その内容が途方もないことでした。話す時も、兄が一人でずーっと話しますが、語る方法が違います。一日中、数名の霊人たちが来て話をするのです。それを先生は正しく知ることができました。

 ありとあらゆることが起こったのです。祖父が絶命してからよみがえったり、混乱が起こったのです。お化けたちが無法な振る舞いをするのです。息子、娘を結婚させる時に使う礼緞(注・進物として贈る絹織物)というものがあります。それは、十二本縒り以上、十五本縒りになるもののことです。それを織物の反といいます。糸車で抜くもののことです。それを全部瓶に入れておいて、一反になれば、その機を織るのです。機を織って木綿を作りました。そのようにして積んでおいたものを夜に全部解いて、私の家におよそ百五十年以上生きている栗の木がありますが、そこからあの上の村の朴氏の家に大きい栗の木があったので、そこまで空中にどうにかして白く干し並べるのです。昇均、それ覚えていますか(はい)。

 ありとあらゆる不吉なことが起きました。お化けがいないのではありません。また、平安道の田舎に行くと、「壁門」という、壁にやや小さい門があるのです。母が台所で火をたけば、その火がパンと鳴って、その空気を出すために開けておいたやや小さい門から抜け出して、軒先に火がつくのです。それが信じられますか。

 叔父(文慶球氏)の犬が赤ちゃんの耳を食いちぎり、大きい豚が一遍に水に溺れて死に、牛が死に、馬が死に、そんなことが起きましが。私一人のゆえに、一家が全部、なんというか。私が数えの十六歳の時、この道を出発するようになる時には、十三人家族の中で、五人だけ残り、一年の間にみな死にました。

 兄として、妹が喜ぶことがあれば、どんなことでもしてあげなければならないと考えたのに、その期待までもみな断たれてしまいました。妹だけでなく、愛する弟も連れていきました。

 私の弟は数えの七歳の時に死んだのですが、その子は私よりハンサムで、とても関連で、「やー、あいつ、一つ大きなことをしそうだな。俺もお前に負けない」と言っていた、本当に愛らしい弟でした。名前が「龍」の字と「官」の字で、龍官です。それが、ほうそうにかかりました。その時は日帝時代でした。薬を求めることができたでしょうか。種痘がなかったその時において、ほうそうにかかって熱がぶり返すから、かっかと熱いのです。ところで、その便が甘いならば死に、苦ければ死なないとかで、母がその便の味を見るのを私は見たのです。今もそれが忘れられません。


天が切った因縁

 先生自身においても、一番近かった友人たち、天で祝福してやることができる立場にある友人たちは、みな連れていかれました。みな除去されてしまいました。世の中で信じ頼ることができるものは、みな断たれてしまいました。彼らの中には平安北道の人もいたし、黄海道の人もいました。誰よりも一番近かった友人を、みな連れていってしまいました。

 なぜ彼らを霊界が連れていったのかということを、今考えてみると、先生が彼らと私情を交わすのではないかと心配で、そのようにしたというのです。神様のすべてのみ旨に責任を負っていく先生が、彼らと私情を交わす恐れがあるためだったというのです。神様は、先生が世の中で関心をもつものは、すべて連れていったというのです。このようなことを先生がよく知っているために、他の道に行きたくても行くことができないというのです。

 幼い時から私が他の村に行くようになれば、その村で人が死ぬとか、病気になるとか、そうでなければ馬が死ぬとか、牛が死ぬとか、そのようなことが必ず起こるのです。一生の間そうでした。ある村に静かに入っても、その村に騒ぎが起きるのです。馬が死に、犬が死に、鷲が来て一日に鶏を数羽ずつ奪っていくというようなことが起きます。そのために私は、何度も村から追い出されたのです。風変わりな人、あれが村に来たところ、そのようなことが起こったと、妖邪な人だといって追い出すのです。個人でもそうで、家族が全部そのように生きてきました。


二 イエス様との霊的出会いとみ旨の道出発
      (一九三五・四・一・朝、定州の猫頭山)


根本問題の悩みと談判祈祷

 先生が生まれた一九二〇年は、この地が日帝の植民治下にありました。そのころ先生は、強大国に蹂躙される弱小民族の苦痛と悲しみが何かを、痛切に感じる体験をしたのです。先生が青少年時代だったその当時には、この悲惨な戦争と罪悪の世界を救う道が何かを、深刻に悩まざるを得ませんでした。

 そのような難しい国家的事情があるために、他国の統治権内において民族が受ける悲惨さを子供のころから心深く感じ、「このような環境的条件をどうにか打開していくことができないか」という問題を考えていた子供のころを思い出します。

 混乱した世界情勢を、誰が責任を負って収拾するのでしょうか。個人生活が困難で、家庭生活が困難でした。村ならば村のどの家庭を見ても、幸福そうな家庭がないくらいに、混乱が支配していた時でした。さらには、部落を越えて国がそうであり、国を越えてアジアがそうであり、アジアを越えて世界がそのような混乱期だったのです。

 また、少年時代から人生に関し、次のような、いろいろな基本的な問題などに対して悩み始めました。「私は誰であるか。私はどこから来たのか。人生の目的は何か。死んだのちに、私たちの生命はそのまま続くのか。また、神様は果たして存在されるのか。神様は全能であられるのか、あるいは無力な存在であられるのか。もし神様が全能であられるなら、神様はなぜ人類世界の問題を解決してくださらないのか。この地球上には、なぜ多くの苦痛が存在するのか」。

 過去のことをすべて振り返ってみる時、今においては追憶の一言になるかもしれませんが、その時においては本当に深刻でした。自分の生涯の未来をかけて、どのように行くべきかという問題を談判する時期でした。

 これが人間だけの決定では駄目だという事実を知っていたために、「神様がいらっしゃるならば、神様のみ意によって、人間たちの考えを越えて、決定的な路程を取ることのできる道を行かなければならない」と考えたのです。そのように、信仰の道において苦しんだすべての追憶が、生き生きとしているのです。


十六歳(数え年)の復活節の朝

 先生は数えの十六歳の時に、非常な経験をしました。復活節の朝、長時間の涙ながらの祈祷の果てに、イエス・キリストが先生に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。イエス様は、奥深く驚くべきことに対して、多くのみ言を語ってくださいました。「苦痛を受けている人類のゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる」とおっしゃいました。そして先生に、「地上での神様の役事に対する、特別な役割をしてほしい」と要求されました。

 先生が、幼い時体験したこの経験を、言葉で皆さんにみな表現するというのは、大変難しいことです。一言で言って、霊的な世界が突然本人の前に広がり、先生は自由に、その霊的な世界にいる聖者たちと思う存分通信できるようになりました。北朝鮮の地、静かな山中で、先生は何度もイエス・キリストと直接対話をしました。その時に啓示された真理の内容が、今の「統一原理」の核心になるのです。

 それが啓示の始まりでした。その特別な出会いがあった時から今まで、私は生きていらっしゃる神様と、イエス様を含めた霊界のすべての聖賢たちと、絶えず対話をしてきました。その内容は、言葉ではすべてを表現することはできません。

 ところで、皆さんが霊的にイエス様を見た時、イエス様が笑いながら、「ああ、いい!」と言いますか。そのようなイエス様を見ましたか。そのようなイエス様に会ったことがありますか。先生も会ったことがありません。いつも深刻で沈うつな姿で現れます。そうするしかないのです。天をよく知っているためにそうなのです。先生もそうなのです。


本来の復活節、四月十七日

 この四月は皆さんが知っているように、イエス様がこの地へ来られ、受難の道を経て復活された期間でもあります。私たち統一教会では、四月十七日を復活節として過ごしています。四月は春の季節の中でも、すべての人の愛を受ける月であることを知っています。

 この日は、二千年前に来て逝かれたイエス様が、復活された復活の日です。今日まで、この世界にはキリスト教徒たちがたくさんいましたが、イエス様が復活されたその一日すら知ることができずにきたことを考える時、皆さんはこの復活の一日を知ることのできない人間に対する天の心情が、どんなに苦しく、どんなに悲しいかということを考えてみなければならないのです。

 そしてここにいる皆さんだけは、天と万民の代身として、誰も知らないこの一日を祝わなければならないのであり、この時間、イエス・キリストの心情を感じる、彼の内的・外的の友達にならなければなりません。そのような意味で、今日皆さんが座っているこの一つの場所は、天と地とすべての万物が注視する、貴い場所であることを感じなければならないのです。イエス様が現れ、きょうが自分の復活の日であることを証してくださったことが思い出されます。


責任感と未来のための決意

 私がこの道を歩み出すようになった時は、皆さんよりもっと年齢が幼い時です。二十歳前に、この道を出発したのです。その時は天真爛漫な時代でした。良い何かがあれば、その良いものを全部自分のものにしたいし、また、村に少し風変わりなものがあれば、それを探ってみたいし、関係を結びたい、そのような心がとても強い時でした。

 そのような時代に、この途方もない天のみ旨を知り、天的な大命を受けた、その日がありました。そして、この途方もなく大きいことを、神様が約束すると同時に、それを感じ、それを願いとして行かなければならない自分は、その大きいことをそのまま受け入れて、そのままそれをのみ込むことのできる自分自身にはなっていないことを知りました。支えるにはあまりにも大きく、それに従うためには内外にすべてのものを備えなければならない自分自身の責任が、どんなに大きいかということを痛感せざるを得ませんでした。

 私がイエス様から使命を受けた時は、「その大きい責任をどのようにみなやり遂げるか」ということが大きな問題でした。私は、ノアやアブラハムやモーセが、どのようなことがあっても、目的とする道に行くという力が、誰よりも強かったということを知りました。

 賢い人とは、難しい道を通して、未来の希望を抱いて行くことを決定した人であり、愚かな人とは、当面の幸福のために、未来を夢のように捨てる人です。先生も若かった時、そのような考えをしたでしょうか、しなかったでしょうか。青春時代は一度しかないのです。どんな道を選ぶかというのです。賢い人が選ぶべき道を選んだのです。そして、進んでいくにおいて、私が幸福になることのできる道を選ぶのか、国が幸福になることのできる道を選ぶのか、世界が、神様が幸福になることのできる道を選ぶのか。高い次元に比例して、その人格の価値だとか、歴史を支配する人間像が変わるのです。

 今日の皆さん自体が問題なのです。果たして私は、自分自身があすを約束することができ、あすを保障することができる自らのその立場を決定したか、この問題が何より重要だというのです。きょう楽しむことより、未来に希望をうち立てることができる自らの覚悟と、自らの決意になっているかということが何より重要なのです。

 召命を受けてみ旨の道を行く人が考えなければならないのは、「いつでも精誠を尽くしながらみ旨の目的を尋ねていかなければならない」ということです。いつでも尋ねていくために、努力しなければならないのです。先生自身も、復帰摂理の全体的な問題を中心として行く道は、平坦ではありません。ここには、私自身も考えられないほど、いらだつ立場が多いのです。

 執念が必要なのです。この先生も、やはり執念をもった人なのです。私は永遠のために出発しました。執念をもたなければなりません。それが絶対に必要なのです。それから何かというと、克服が必要です。


三 召命と内的な準備(一九三五・四〜一九四五・八)

神様の実存と原理の探求

 神様は御自分の時刻表に従って私を選択し、任命されたのです。ところで、なぜそのようにされたのでしょうか。問題は、神様に直接的にお伺いしてみなければなりません。私が明らかに知っていることは、そのような使命が私に付与されたということです。

 救いの歴史に多くの事情を残しながら、今まで歴史の峠を越えに越えて、解決できないまま、門前まで神様が訪ねてきたというのです。すなわちレバレンド・ムーンが少年の時、神様が門前まで訪ねてきて通告しました。それがレバレンド・ムーンがこのみ旨を知り、出発した時だったのです。

 道を歩いていて、偶然誰かの話を聞いてこの道を出発したのではありません。ある牧師から感動を受けて、このことを始めたのでもありません。誰かに伝道されて、この道を行っているのでもありません。それでは、その動機の出発点はどこですか。それは神様です。

 私がこの道に進む時にも、「神様いますか」と最後まで探し求め、神様がいらっしゃることをはっきり知って出発しました。次には「神様に願いがありますか」と尋ねて、神様に願いがあることを知りました。また、「神様、私が必要ですか」とお尋ねして、私が必要なことを知りました。「それではどれくらい必要ですか」と問い詰めました。

 このように私が一度尋ね求めると、神様は、答えてくださるか、でなければふろしきを包んで他の所に行くか、しなければなりませんでした。

 そうしながら、十代後半には、信仰的路程でいろいろ悩みもしました。そうしながら、「日本に行ってみなければならない。日本を経てアメリカに行ってこなければならない。現地に行って、弱小民族が悲しみに遭い、迫害を受けるとはどういうことかを体験しなければならない」と考えました。

 そして、神様がいるならば、み旨を成就させることのできる冒険をする代表者として、神様が登場しなければならないと考えたのです。

 では、神様を知るには、どの程度まで知らなければならないでしょうか。神様の内情から事情、神様が行かねばならない目的地まで知らなければならないというのです。それで、このような問題を中心として、キリスト教の聖書から、すべての経典を探求してみました。

 先生がみすぽらしい立場で、神様を知るようになる経験をし始めたのは数えの十六歳の時からでした。それから九年間、先生はいつも全能なる神様、そしてイエス様と共に暮らしました。先生は何回にもわたり、霊界に入ってみました。順次に神様は、驚くべき真理を教えてくださいました。それはあたかも、長い長い暗い夜が過ぎ、朝日が昇るようなものでした。その真理のなかで、私は光栄なる新しい文化の曙光を見ることができました。

 新約聖書に基礎をおいたこの特別な啓示は、ユダヤ教の教えよりも、もっと立派なのです。この啓示は、すべての宗教を包摂して一つに結ぶことのできる力と能力をもっているのです。先生が受けたこの啓示は、今日「原理」と呼ばれていて、先生は神様から、この「原理」を地の果てまで伝えなさいという指示を受けました。

 ここで教えてあげたことは、全部ふたで覆われていた未知の事実です。今まで人類歴史において覆われていた膨大なふたを全部開けて、それを連結して一つの理論的な体系を作って、それに実際的な事実と真理的な歴史的内容に一致させることができる結論を付けられるようにしたという事実は、驚くべきことなのです。


全国遍歴

 私は世の中をよく知っています。この国の事情もよく知っています。私は数えの十五、十六歳の時、この三千里半島をすべて踏査した人なのです。自分の国を考えることができなければなりません。その国が立てられたならば、世界はどうなるでしょうか。

 既に数えの十五、十六歳の時期に、韓国一帯をみな遍歴した人です。全羅道がどうで、慶尚道がどうで、家を回ってもらい食いもしてみたのです。そのようなことをしながら、民族が悲運に消えてはならないのであり、悲運の運命、天の前で退歩したその悲運の歴史は、私たち先祖の血筋を通して今日私にまでつながってきて、終着点を立てることを願っているに違いないと考えました。それで、寝入っている民族の前に、私が旗手となり、爆発的な民族の魂を世界に誇ることができる、そのような何かがあるならば、大韓民国は生きる道があると思ったのです。

 その国が幸福で平安であったなら、それほど印象的なこともなかったでしょう。しかし、貧しく暮らす村々を経て、あるいは山野をさまよいながら感じたことは、「このかわいそうな民族」ということでした。そのような思いは、今でも忘れることができません。

 そのように思いながら、私はこの民族の中の一人として生まれ、そのかわいそうな民族であると同時に、その当時は日本統治時代でしたが、外勢に踏みにじられながら、自分の心中と自分の生活環境を誇ることのできない悲惨さを思いました。そのすべての内的な苦汁が大きければ大きいほど、環境の困難な民族を見る時、その衝撃的な、あきれるほどの事実を忘れることができなかったことを、今思わされます。

 学生時代、青少年の数えの十七歳の時に、全国において行ってみなかった所がないのです。夜を明かしてトラックに乗って回ったのです。トラックの運転手が乗せてくれなくても、それでもかき上がって乗るのです。運転席に乗れなければ、荷台にでも上がって乗るのです。乗って座っているのです。私を殺して行け、というのです。私一人が乗ったからといってパンクはしません。

 そうしてトラックに乗って行き、その翌日の夕方に降りて、「おじさん、私が夕食をごちそうするよ」と言えば、「そうか」と言うのです。それで、夕食を食べながら、ひとしきり話をし合うのです。そうすると話にすっかり乗せられてしまい、私が夕食をごちそうするといった言葉も忘れてしまって、代わりにお金を取り出して自分が支払うのです。

 また私は、田んぼで仕事をする自分の夫の食事の仕度をして、かごを頭に載せていくおばさんを道端に立ち止まらせて、その御飯をごちそうされた人なのです。それゆえに、臨機応変が必要です。


死も覚悟した深刻な出発

 先生が初めてこの道を出発する時、どんなにたくさん考えたか分かりません。この道のために、血の汗を流して、命を懸けて祈祷しながら、一生を捧げてきた人です。

 先生は今まで神様に対しながら、私が正しい、正しくないという考えをしてみたことはありません。既に死ぬ覚悟をしてこの道に乗り出したのです。私が死なず、倒れなかったので、今なお私の行く道が残っていて、経ていかねばならない約束の道が残っていると考える人です。そのように考えるので、よしあしを考える余裕がありません。

 先生は一つしかない青春をすべて捧げたのです。一つしかない生命を捧げているのです。私は、頭が間抜けでそのようにしているのではありません。逃げようとしても、逃げる道がないのです。ですから仕方なく、この道しか行く道がないので行かざるを得ないのです。皆さんが深刻に考えたのなら、皆さんよりもたくさん考える先生は、どれほど深刻に考えただろうかと考えてみてください。命を懸けて、どれほど深刻だったでしょうか。

 神様が人を召命されるとすれば、その人はどんな人でしょうか。その人は外形的に体格が優れた人ではなく、内的に信念が強い人でもありません。その人は真をもった人です。弱そうに見えても、愛の刀をもって、愛の心情をもって、これらすべてのことにぶつかるようになる時に、それらを切って残ることができる人です。このような人にならなくては、私たちの召命の目的地に向かって行くことができないのであり、召命された方の前に、私自らが行くべき道をみな来たと認定を受けることができないのです。

 すべての問題を、先生一人で解決してきたのです。それは誰かに相談しても分からないのです。先生が将来行こうとするその道に対しては、父母も知らず、誰も知らないのです。話してみたところで、理解もできないのです。話をすれば、みな妨害にだけなるのです。

 先生が十代の青少年のころ決意したことにより、今日歴史的な復帰の恨を越えて、勝利の天国の門を開門できる位置まで来るようになりました。それを知るようになる時、一人の若者が決意したその能力は、偉大なものだというのです。


故郷と氏族に顔を背けたみ旨の道

 公義のみ旨、世界のみ旨を受け継ぐためには、神様を知り、神様が人間の父母であるということを知らなければなりません。それゆえに、人道に従って天道が左右されるのではなく、天道に従って人道が左右されるのです。すなわち、人情に従って天の情が動くのではなく、天情に従って人情が動かなければならないのです。それゆえに天情を立てようとする人は、人情をなくさなければなりません。天道を立てるためには、人道を吸収しなければならないのです。

 それゆえに先生は、私をそんなにも愛する父母に、ハンカチ一枚、履き物一足も買ってあげられませんでした。今もそのようなことを考えれば、人間的には親不孝者です。しかし先生は、父母の前に不孝をしたとしても、神様の前には死んだとしても、不孝の立場には立たないと身もだえしながら来ました。先生は、そのような決心ですべてのものを主管してきました。そのため、゛その決意が成されるその日までは安息しない」という心をもっています。

 先生は実の兄弟を救うことができませんでした。世界的カインを愛し、そして世界的カイン国家まで愛して、その方向を天の側に向けるまでは、自分の故郷に行って収拾することはできない、というのが原理観です。

 それゆえに、神様は今まで、近い人々を、一番愛する人々を霊界に連れていったり、犠牲にして、カイン世界の復帰運動をした伝統的内容をもっているのです。先生は母と父に「原理」のみ言を一度も伝えることができませんでした。先生の兄は、すべてに通じる人でした。日本から解放されることも知っていたのです。そのような兄でした。

 私たち一族すべて、姉や弟や妹も霊感を受けた人々です。「原理」のみ言を聞いたなら、直通できる素地が多かったのです。しかし「原理」のみ言を聞けなかったのです。話をしようとすれば、口がくっつきました。時があるのです。

 統一教会の皆さんは、召命を受け、レバレンド・ムーンを通してみ旨の道を出発したのなら、召命を受けた者として、「何のために召命を受けたのか、私はどこに行くのか」をはっきりさせなければなりません。「私はこのように行かなければならない」と決心したのなら、その道において何分のいくつ、あるいは尾根の何合目にいるのか、ということを知らなければなりません。人が一度決心したならば、その決心したことを中心として、決定しなければならないのです。イエスか、ノーか、答えなければならないのです。

 それは先生も同じです。天の前に私が約束をして、「これこれの道は必ずや行かなければならないので、同じ志の者が裏切っても、私の父母が裏切り、妻子が裏切っても私は行きます。私の民族が裏切り、私がいる統一教会自体が裏切るならば、これを掃いてしまっても私は行きます」と、そのように召命を受けたその日から、私は行っているのです。今も行っているのです。あすも行くのです。その道は、早く行くほど良いのです。


み旨の道出発時の回想の祈り

 お父様、今から数十年前、分別もつかない幼い者を呼び、お父様が命令されたその時がきのうのようでございます。数多くの歴史的な峠を越えた今日、昔を悔いて生涯をもう一度考えることができる、このような時間を許諾してくださったことを感謝いたします。

 何も分からないまま、父の前に訴えたその時に、静かに命じられたあなたの声が鮮やかに思い出されます。鼻歌を歌いながら幸福を感ずるその場よりも、涙と血を流す場で唇をかみつつ、お父様の前に誓ったその時間が懐かしく思われます。人間同士交流するその場よりも、追いに追われながらも天の因縁を誇ることのできる場が、懐かしく思われます。現在のこの地上の人間たちは知りませんが、私たちは、天を訪ねていく子女の道がそうであり、子女たちが行くべき因縁がそのような場にある、ということを知ったものです。私たちが死の道を自ら進んで行くことを決意するたびに、天はその道を再び生きることのできる復活の道につなげてこられたことも、また知ったものです。

 み旨の道を知った時に、そのあわれで難しかった事情を前にして、身もだえし、あえいだその時を忘れることができません。統一家の伝統的背後には、多くの涙の交差路が絡み合っていることを知っています。今この場に帰って考えると、それが避けることのできなかった回生の一念になっています。日帝時代を経て、北朝鮮の地をたどり、韓国の地をたどり、アメリカの地をたどり、世界を行き来しました。天が行く道はそのように迫害が伴った事実を、その由来を知ってみると、天の前に感謝する道しかありません。そのような生涯の道を歩んでくるようにされたことを、再度感謝いたします。














SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送