真の御父母様の生涯路程 4
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真の御父母様の聖婚と第一次七年路程

第五節 一九六四年 勝利的主管者となろう(二)

一 一九六四年出発と摂理的意義

年頭標語:勝利的主管者となろう(二)
      (一九六四・一・一、前本部教会)


 私たちは四年路程を展望しながら、神様が私たちに命じられた四年間の標語として「勝利的主管者となろう」というみ言をもらいました。皆さんが勝利的主管者になろうとすれば、全体の勝利を願う前に、まず個人の勝利的な基台を築いていかなければなりません。

 完全に勝利するためには、すべてのものから公認を受けなければなりません。戦って勝つことはもちろんのこと、勝ったあとには、天と地の公認を受けなければなりません。そうしてこそ初めて、信仰を中心とした勝利的主管者になるのです。では、どのような公認を受けなければならないのでしょうか。ある限定された時間圏内でのみ公認を受けたのでは駄目です。現実の舞台でのみ公認を受けても駄目なのです。過去、現在、未来に通じる立場で公認を受けなくてはなりません。そこには個人から世界まですべて入っていなければなりません。そのような公認を受けなければなりません。希望においても同じであり、愛においても同じです。

 ましてや一二九六四年は、数字的にも良くない年です。ゆえに、この一年間皆さんは、苦痛を受けるにも歴史的な苦痛を受けるのであり、悲惨な目に遭うときも歴史的な悲惨な目に遭うのであり、悲しみに遭うにしても歴史的な悲しみに遭うという姿勢で、すべてものを完結しようという決意をもって進まなければなりません。このような決意をすべき一九六四年です。

 この四年間で皆さんは責任を果たし、民族的な勝利的主管者にならなければなりません。そうすれば民族的な勝利の日を皆さんが迎えるとともに、神様が迎えるようになるのです。皆さんはこれを理解し、ひたすら祈祷しなければなりません。そのようなことが終わったのちには、世界的な勝利的主管者にならなければなりません。


二 前半期主要行事と活動

 第十九回全国伝道師修練会および第二回成和修了生修練会
   (一九六四・二・二〇〜三・二九、前本部教会)


 一九六四年二月二十日、前本部教会において、全国各地より集まってきた伝道師修練生および、学生修練生百五名を中心とし、第十九回全国伝道師修練会と第二回全国成和学生会修了生修練会が合同で開催された。学生修練会修練生は三月十日に六十名が修了し、伝道師修練生は三月二十九日に七十名が修了した。

 歴史にわたって打つことができる材料、時代にわたって打つことができる材料、未来にわたって打つことができる材料が必要です。それでは、その材料とは何でしょうか。それは血と汗と涙です。心情に通じ得る血と汗と涙、神様に涙を流させ得る血と汗と涙、民族に涙を流させ得る血と汗と涙なのです。それで、個人個人が、世界の人々がそれを聞く時、涙を流し得る血と汗がなくてはなりません。

 その汗の上に築き上げられた勝利の功績が、後世の人が崇拝できる材料となり、後世の人が必要とし得る材料であると認識するようになれば、世界はそれによってすべて吸収されるようになります。それで皆さんに、三年間苦労しなさいと先生が叫んだのです。そのようにしてこそ皆さんは滅びないのです。

 祝福家庭をこの天地の四方八方の前面に立てたので、心が痛いのです。痛哭したいのです!けれども、その心情を抑えて、彼らに対する時は無慈悲な師として現れるしかありません。それは歴史を創造する計画を立て、歴史を収拾する民としなけれぱならないため、無慈悲に駆り立てるのです。正にこれが先生の主張する信念です。このようにしてこそ何年かのちには、皆さんにたくさんの人々が従ってくるようになるのです。

 最近の日本教会の様子を聞くと、日本の高校生たちは学校で勉強を終えると、教会に来るそうです。学生かぱんを教会に置いてから路傍伝道をするのですが、皆一人ずつ伝道して家に帰るそうです。こういう運動をしているというのです。ここにいる壮年、青年たちはこれまで何をしましたか。皆さんが動かなくても神様は休みません。皆さんがしなければ、私がします。


地方巡回 一九六四・三・二三〜二六、大邱、大田、全州、
サラワク(Sarawak)王・アンソニーブルック(Anthony Brooke)卿同伴


 今年一九六四年は、統一教会では、活動において実に重要な年です。皆さんの活動いかんによって、この天地の運勢が左右される、そのような重要な時です。

 なおかつ、今から四月までは、国際情勢も、国内情勢も緊迫します。そのような意味から、私は本部にいる食口たちに話をして指導してきたのですが、今この時が天的に見ると重要な時期なのです。ですから皆さんは、今回のこの期間、四月までは皆さんの地域に戻って、今後地域を運営するときに、画期的に発展することができるよう計画を立てて動いてくださるようお願いします。

 そしてこの間、地区長会議でも話しましたが、今年からは地域において最小限二百人以上を確保しなくてはなりません。もし、この数に満たない地域があれば編入するのです。編入させなさいというのです。

 今日、私たちは二十世紀の奇跡を成しつつあるのです。皆さんにお金が一銭でもありますか。韓国政府ができないこのような業を私たちがなしているのです。お金は一銭もないのです。血を売り、肉を削って、少数のこの一つの集団が、今日、この三年過程において、厳しく強い風と戦っているのです。私たちは神聖なるこの一場面を迎えた集団であるというのです。二十世紀の奇跡があるとすれば、これ以上の奇跡はありません。怨讐の都城が崩壊し、武器をもってきた人々が、涙を流しながら屈服し、頭を垂れて降参する神聖なる場面が展開するのです。ここから歴史が開かれていくのです。

 今この時代の政府は、革命政府となっていますが、統一教会でなければ駄目だということが知られるようにならなければなりません。今や、その最後のページをめくるか、めくらないかという、そのような段階に来たのです。

 皆さんが考える時、約五、六年前は何人かの人しか動かなかったのに、先生が既にこのようになろうとは、誰が知っていたでしょうか。この世では夢にも考えられなかったのです。


大邱原理大講演会(一九六四・四・一〇、十八日間)

 四月十日より二十七日までの十八日間、大邱放送局文化会館で、統一教会原理大講演会が開催された。講義は、郭錠煥、安昌成、崔昌林氏が六日間ずつ交代で行い、動員された伝道隊員数は約二百五十名であった。鄭壽源全北地区長の総指揮のもとで実施された同行事の総聴講者は、一万五千七百九十名で、毎日平均八百七十七名であった。このうち、み旨の道に従うことを決心した聖徒の数は百名程度。

 今や、四十年路程が過ぎ、三年路程が過ぎ、カナン七族に対し得る四年路程を歩むようになりました。ここで問題になることは、カナン七族を身代わりした韓民族をどのように復帰するかということです。韓国復帰を中心として歩む皆さんは個々人ですが、皆さん個人のみが行く道ではないということを知らなければなりません。

 韓国復帰を中心として歩む皆さんは、真の父母の代身として歩む自らであるということを肝に銘じなければなりません。そうでなくては、氏族的、民族的、あるいは国家的な真の父母の勝利の基盤を準備することができないのです。

 先生が共に動く今回の期間、皆さんは再起し、昔、み旨を初めて知って恵みを受けて決意した、その心情の感応、感化を呼び起こさなければなりません。そうせずしては、四年路程を最後まで行くことができません。

 皆さんの苦労によって、多くの人々が大きな関心をもって講演会に集まりましたので、あすからは再出発しなければなりません。

 三つの国から苦難を受け、三大主権から苦痛を受け、サタンの三大試練で勝利し、復活しなければなりません。このような勝利の基盤の上でユダヤ教とイスラエルの代身である既成教会と大邱城に対して起こした戦いが、今回の復興会です。

 先生がこれまで大邱でこうしたことをすることができなかったのは、時が熟さなかったからです。今や、大邱を霊的に一段落つけたので、皆さんは地方に戻り、既成教会のために苦労することにより、彼らを自然屈服させなければなりません。既成教会は霊肉を合わせたカインなのです。数千年の基盤を築き上げた既成教会ですから、皆さんは、ヤコブがエサウを自然屈服させたその知恵をもって屈服させなければなりません。

 内的には既成教会、外的には民族を屈服させ、勝利してこそ、第三イスラエルを成すことができるのです。大邱でこの復興会をするため、ソウルでも成功を祈りました。皆さんを必要とする神様の前に七年路程の責任を全うし、神様の計画が成就するようにしなければなりません。


三年路程模範食口 四十人表彰(一九六四・四・一四、大邱教会)

 一九六〇年を起点として始まった三年路程において、様々な功績が多く、心情的にも模範的な足跡を見せ、後世に模範となり得る食□四十名を選抜し、四月十四日、第五回「父母の日」(四・一二)を記念し、慶北地区本部である大邱教会で表彰した。表彰状には歴史始まって以来、初めて真のお父様が直接署名をしてくださった。

 皆さんが三年路程を最善を尽くして歩んだ結果、私たちは所期の目的を達成し、ある段階に上がったと見ることができます。今、私たちは三年路程を終え、四年路程を歩む途上にあります。今後皆さんが四年路程を終えたら、その時は父母賞をあげなければならないと考えています。復帰摂理の途上で顕著な功績を築いた人に、そのような賞を与えなければならないと思っているのです。皆さんは、四年路程を歩む間、み旨に対し、神様に対し忠誠を尽くし、神様が記憶する人となり、賞を受けられる人になるよう願います。そのような人が多く出てくることを願っています。

 表彰を受けるに値する人が多くて、今回、受賞者を決定するのに非常に苦労しました。今回賞をもらえなかった人も、今後、あらん限りの力を尽くし、より一層努力してくださるよう願います。

 これを残った四年路程で、全民族的な路程を開拓するところにおける戦いの盾とし武器として、より発奮し得る力を内的に外的に誓う立場に立たなければなりません。それで今後、この賞を受けた人たちは、民族的な使命を完結するために、より一層犠牲的な努力を傾け、全体の前に見本とならなければなりません。


水原で原理大講演会(一九六四・五・二〇から一週間)

 五月二十日から二十六日までの一週間、京畿地区主催により、水原市内の水原結婚式場において第一回原理大講演会が開催された。約百二十名近い食□たちの伝道活動により、講演場所には、毎日四百名近くの聴講者が集まり、最高で六百四十五名出席した晩もあった。

 三、四年間でこの道が終わるのではありません。七年、あるいは七十年に延長したとしても、粘り強く行こうという気迫が必要です。その期間が長ければ長いほど、その範囲をさらに広げていかなければなりません。

 あることが地区で成功すればそれにとどまらずに、その成功の型をそのまま手本として、地域と区域と教会が成功するようにして初めて、全体が発展するようになるのです。水原で勝利を収めたと喜んでいるだけでは駄目です゜それが区域と教会の勝利に連結しなければなりません。

 先生も空手で出発したので、皆さんも何もない中でも心を合わせ団結して信じて行うならば、神様が助けてくださいます。三年路程は長いようであったが、終わってみれば大勢が変わったように、四年路程もはるか遠いようですが、あっという間に過ぎ去ります。今からは、私たちの行く道はますます容易になります。

 今ワシントンでは、重要な人物百名余りが編成され、私たちのみ言を宣布していますが、来年までには米国五十州が動くようになります。外国の食口たちが韓国には負けないと一生懸命に歩んでいるのです。問題は韓国です。

 皆さんの誇りは、ないところで苦労したということです。米国にいる食口は毎週一日ないし二日断食をして、ソウルに来ている米国食口は、毎週木曜日と金曜日に断食しています。

 今回復興会の期間、「おかゆを食べて活動します」と言っていますが、指導者は時にはそれさえも食べられないよう、砂を振りかけることもあり得るのです。皆さんは復帰の道を知りませんが、先生はよく知っているので、そのようにするのです。


大邱で原理大講演会(一九六四・六・一〇から十九日間)

 六月十日より二十八日までの十九日間にわたり、大邱駅前の慶北文化会館と大邱市鳳山詞の大邱統一教会において、原理大講演会が開催された。毎晩、新参者(新規の人)が一千二百名以上、最高一千五百三十四名に達する超満員を記録した。大邱教会の昼の講義場所も六十名であったのが、最高百六名の聴講者数をあげる日もあった。一方、動員された伝道隊員数は平均二百十名であった。

 今は姿勢を正して活動すべき時が来ました。どうか、へこたれることなく、倒れずに、死なずに生きて残りなさい。今は死んでも勝利、生きても勝利です。一九六七年さえ越せば、霊界が動員されることでしょう。

 先生はこの国を救うために、どのようにすれば国家機関に入っていき、原理講義をできるだろうかということに関する作戦計画を立てています。私たちが活動した実績をもってこの国を生かしましょう。その地方の責任者、すなわち郡守、面長などを動かさなければなりません。そして今回、大邱教会が自ら動ける基盤を立てていかなければなりません。

 戦いにおける、勝利の栄光は、最後まで残った者の子孫が受けるのです。共産主義は既に斜陽です。イスラム教とキリスト教は極と極です。このような視点で世界の一つの焦点に向けて皆さんを押し出すのです。その道は説明しながら行く道ではありません。実績を備えたあとにこそ説明することができます。天のことはそのようなものです。

 今は夜の期間なので何も見えないのです。しかし、日が昇ればすべてが見えるようになります。四年路程の一つの峠を無事に越えなくてはなりません。大邱の集会は、蕩減期間を無事に越えるための一つの条件です。


三 特別宣布儀式

蕩減基金献納式(一九六四・五・一二〔陰暦四・一〕、一二:〇〇、前本部教会)

 一九六四年五月十二日(陰暦四月一日)青坡洞前本部教会で「蕩減基金献納に関する儀式」があった。これ以後教会員は、祝福のための個人的蕩減路程で、蕩減基金一万二千ウォンを献納してきている。

 アベルとイエス様の血の代価を蕩減する日としてこの日を立てます。七年路程において、これまでの四年間は、蕩減条件があり消耗してきたのですが、残りの三年は一致団結して個人が勝利した基準の上で国家的、世界的な蕩減基準で越えていかなければならない期間です。

 蕩減基金はお金の中でも最も貴いお金です。この基金には逸話がたくさんなければなりません。悲惨なことが多くなければなりません。アベルを殺したカインの罪の代わりとしての蕩減基金なので、子女たちにとっては、父と兄の血の代価です。

 縦的な歴史の蕩減路程を歩んでこられたイエス様を殺したので、イエス様以後二千年間、地上では横的な蕩減路程を経てくるのです。横的なすべての血の代価を、来たるべき主を土台として相続しなくてはなりません。この期間が今回の四年期間です。

 来たるべき主が真の父母になるまでは、僕の位置から養子を経て、直系の子女の位置を経るのです。キリスト教徒が来たるべき主を受け入れなかったために、最も悲惨な立場から出発してきたのです。

 それで来たる主は獄中で十二弟子の型を復帰し、そこで勝利して天国を成すことができる土台を立てたあと、それを基盤として発展していくのです。監獄の中でも地獄の底を突き抜け、キリスト教を中心とした民族的な路程を経ていかなければなりません。

 来られた主は歴史の蕩減条件と血を流した目的を達成しました。それで天と地の恨みを解きました。しかし、子女たちが恨を解くことができなかったので、これを解くようにするための条件が蕩減基金です。父母は勝利しましたが、子女たちがサタンに侵犯されたので、勝利された父母の基盤の上に、父母を売った恨を解かなければなりません。蕩減基金を用意してこそ飛躍的に発展する時が来るのです。

 蕩減基金は食べるものを食べずに、着るものを着ずに精誠を尽くし、人の手を経ることなく自らが直接出さなければなりません。この蕩減基金を伝統にして、私たちの後孫たちも皆この峠を越えなければなりません。これを全うすれば国家の運勢は移っていくのです。

 イスカリオテのユダがそのお方を売り、死の谷間に突き落としたその行動は、結局、世界万民が行ったのと同じことになってしまいました。また、それは、摂理圏内にあるすべての民が自らの真なる父母を売った結果となってしまいました。

 一人の人の誤った行動により、真なる父母をこの地上から追い出してしまった立場となり、四方八方で神様の摂理はふさがってしまいました。その結果、四方八方でサタンが勢いを増すようになったのです。

 これを蕩減しなければならないので、真の父母を売ったその実体の代価として、四年間で三数に該当する金額を神側に返さなければならないのです。四年間というのは東西南北に該当するのであり、韓国では一年に三千ウォンずつ四年間で合計一万二千ウォンを献金します。そのお金は、自らの汗と涙と生命の価値よりももっと精誠がこもっていなければならず、神様のみ旨を思う基準で稼いで得たお金を神様の前に捧げるのです。


象徴的な聖殿建築宣布式と生命水(一九六四・五・二三〔陰暦四・一二〕、前本部教会)

 一九六四年五月二十三日、青坡洞前本部教会で、「象徴的な聖殿建築宣布式」が挙行された。特にこの日、真の御父母様は生命水を食□たちに下賜された。

 この式は、地上にエデンの園が立てられ、民族が立てられて、天の基準に合わせていく式です。私たちはこの世界、この国の主人であるという思いをもち、信念をもって戦わなければなりません。天の宮、天の権、天民を立てる日として新しい時代へと越えていく式です。

 また、生命水ですが、心に忌まわしいことがある時、この水を食塩と一緒に飲みなさい。水がなくなったら、六時前、誰かが飲む前に補充しなさい。聖塩は外的分別、生命水は内的分別です。心情の因縁を結んでくれる生水です。

 本来は「万物の日」をまず探し立て、「子女の日」と「父母の日」を探し立てるべきでしたが、統一教会では反対に探し立てました。しかし先生は個人的に「万物の日」と「子女の日」を探し立て、その基台の上に再び「父母の日」を探し立てました。真の愛で訪ねてきた父母が子女から捨てられた心情を感じてみることができずしては、真の父母の立場で「父母の日」を立てることはできません。

 この三つの日が血をもって侵犯されました。ですから父母を殺した罪、子女を殺した罪、さらには万物を捨てた罪をどのように蕩減するのでしょうか。ユダはイエス様を売った血の代価で旅人の墓地を買いました。ゆえに蕩減基金で聖徒がとどまることのできる家を準備しなければなりません。本来は本部を買わなければならないのです。

 神様は、万物と父母と子女の位置を探し立てるため血を流されたので、これを蕩減して、生命の家である聖殿を建てなければなりません。これを解決してこそ、神様を迎えることができる道が開かれるのです。イエス様の代価で、死体の聖殿をつくったので、私たちは蕩減基金で、生きた人の聖殿を造り、民族、国家、世界的な聖殿を建てなければなりません。


実体サタン屈服儀式(一九六四・六・九〔陰暦四・二九〕、前本部教会)

 一九六四年六月九日、青坡洞前本部教会で、「実体サタン屈服儀式」が三次にわたり挙行された。第一次では心情審判の条件を立て、第二次式で、み言を中心として分かれた天と地を合わせるようにする条件を立て、第三次式では人格審判の条件を立てる式が行われた。


〈第一次儀式(七:○○)〉

 きょう、三次にわたって行う実体サタン屈服儀式は、本然の世界の全権をもって善の主権を立て、心情を中心として統治することを意味する式です。今や、僕と息子を立て、父の使命と母の使命をなす父母を立て、神様が被造世界を直接主管できる基盤を準備しなければなりません。

 聖霊時代を蕩減するために、これまでは聖霊も堕落人間の立場にありましたが、これからは聖霊が不義を直接審判できなければなりません。これまでは誤りを放任してきましたが、これからは善なる霊界を動員し、責任を追及しなければなりません。

 この式は、神霊が分かれてしまったものを再び一つに合わせてあげる式です。自分のことよりみ旨をもっと案じなければなりません。これまでは蕩減の苦労でしたが、これからは神様の前に自分の功績を立てるための苦労です。これまでは聖霊が間接的に役事しましたが、これからは神様が直接役事なさいます。皆さんも先生に代わって役事しなさい。


〈第二次備式(一二:○○)〉

 昼十二時に挙行する第二次の式は、不義を容認せず、分かれた天と地を再び一つに合わせ、また、霊界を動員して新しい命令による新しい戦いを展開することによって、地上におけるサタンの実体を清算する式となります。

 み言の前に不義は立つことができないという信念でこのみ言を伝えれば、このみ言によってサタン世界に恐怖が訪れるのです。今後はみ言を中心に長子の嗣業を奪う役事がなされます。私たちがみ言を伝えることによって霊人たちも協助します。

 朝行った式は、心情審判の条件を立てる式でした。昼行う式はみ言を中心にして天と地の前に立ち、分かれた天と地を一つにする条件を立てる式です。これまではこのみ言が世の中の誹膀を受けてきましたが、今後はそうではありません。これからは活動するほど広がることでし


〈第三次備式(二三:○○)〉

 第一次、第二次に続き、この式は人格審判の条件を立てる式です。国(大韓民国)に対する式はこれで最後です。世界のための式はしなくてもよいです。国家と教会が受難を受けることは、サタンの実体を屈服する基準となります。良心を偽らないようにしましょう。これは天に記録されます。

 生命水にあるものを燃やして入れました。これはモーセが偶像を燃やし、それを水に溶かして飲んだように、サタンを燃やして食べるのです。勝利者の快感をもって絶えず苦労しながら進めば、自分の実績として残されます。今、皆さんはこのような条件を立てたので、サタンを屈服させ得る自信をもたなければなりません。

 今回の行事のために神様の前に断食して祈祷した基準があります。ですから私たちが責任を果たせなければ、神様が悲しまれ、サタンたちが私たちをあざけり、讒訴するという途方もない事実を知らなければなりません。

 神様が苦労された四千年の人類歴史は、イエス様を送り、天の勝利を勝ち取る歴史でしたが、この三年間またはこの何ヵ月、何日かの短い期間で覆す時間があったということを知らなければなりません。

 先生は去る陰暦の四月末日、陽暦の六月九日に食口たちと共に、三次にわたって戦い、実体のサタン屈服儀式を執り行ったのです。


キリスト教のための式(一九六四・七・一五〔陰暦六・一七〕、八:〇〇、前本部教会)

 一九六四年七月十五日、青坡洞前本部教会で「キリスト教のための式」が挙行された。この日、真のお父様は「この式により全キリスト教はアベル的立場に、人類はカイン的立場に立つようになり、イエス様当時の役事を再び集中的にすることができるようになった」とおっしゃった。

 一四四はイスラエル全体数であり、世界の第二イスラエル全体数です。全キリスト教を新しい方向へ変えます。この式によって全キリスト教はアベル的な立場に、全人類はカイン的な立場に立ちます。私たち百四十四名の群れは、代わりに忠誠を尽くさなくてはなりません。そうすれば、イエス様の時に役事したあらゆる役事を集中的にできるようになるのです。百四十四名全員が、十四万四千の代表であり、外見はみすぼらしいものですが、極めて大きな意義をもっているのです。

 過去においては、アベル的立場からカインに追われ追われたのですが、今日の私たちはそのアベル的な立場からカインを抱き入れようというのです。打たれて死んでしまうアベルとはならず、打たれたのち、殴った人を自然屈服させて天の前に連れていこうというのです。

 それで今、私たちは既成教会を訪ねていくのです。既成教会の牧師たちが「統一教会が三年間静かにしていたかと思ったら、どうして既成教会を訪ねて来るのか」と言うことでしょう。反対するとしても訪ねていかなければならないのです。天の命令権のもと、この三年路程が終わる時までぶつかるのです。


四 夏季四十日伝道

陰暦八月までの危機(一九六四年七月〜九月)

 皆さんは、最も危機である陰暦八月までを無事に越えなければなりません。今年と来年、その中でも特に来年は本当に重要な時です。統一教会は見掛けは何でもないようですが、内的な面においてはとてつもない天的な責任を担っているということを皆さんは知らなければなりません。

 今先生は、日本と米国、ドイツ、イギリス、この四ヵ国のために祈祷しています。この四ヵ国を中心にして、南北韓に分かれたこの韓国だけあればいいのです。多くの国が必要なのではありません。

 韓国に共産主義理念をおいて、どのように南北統一をするのかということが問題です。これは政治家も問題視していますが、統一教会の先生はもっと問題視しているのです。どうやってするのでしょうか。今皆さんを動かすのはその時に備えてです。私たちのみ旨がここに根を下ろしているのです。よく伸びていくことでしょう。先生はそのような戦いを考えて祈祷しています。

 では、今はいかなる時でしょうか。民族的な精鋭の基盤を築き、世界的な舞台に向かって進むべき時が、既に私たちの目前に追っています。これまで私たちは、むちで打たれ、迫害を受け、あざけられてきましたが、その嘲笑していたサタン世界に対して一気に蕩減できる時が追ってきているのです。


民族的総蕩減のための四十日動員(一九六四・七・二〇〜八・三一、二千百名動員)

 四年路程の第二次年度である一九六四年の七月二十日より四十日間、夏季伝道が始まり、全国から二千百名の有能な食□たちが選抜され活動した。

 今、時は総蕩減の使命をなすべき時代であるので、皆さんは先頭に立ち、民族的な蕩減のため、民族に代わって十字架を背負って進み出て戦いなさい。今はもう、いくつも峠は残っていません。

 今回の伝道期間は、できる限り全員が動員されなければなりません。今回は回数として何回目ですか。今後、何回もすると思いますか。できるだけ時を逃さぬよう参加して、たくさん苦労し、責任をもった立場で任せられた天の精鋭の目的を達成してくださるようお願いします。

 先生は今年、この三千里半島(韓半島)を遍歴したいという懇切なる思いをもっています。今、時はそのような時です。統一教会の信徒たちは三年路程を終えたら、少し疲れたようです。それで、今回大邱で復興会をして、地域長たちを新しく配置したのです。どのようにしたら、来年一年間戦うことができる準備をするのでしょうか。近ごろ先生は、この問題のためにとても心配しています。今回も二千人以上を動員するつもりです。俸給は一銭もありません。むしろ月例献金を出していかなければなりません。ではそれをもって何をするのでしょうか。この民族を生かそうというのです。

 全体のみ旨の前にあって、民族復帰の使命の内的責任は先生が負うのであり、外的責任は皆さんの努力でなしていきなさい。統一教会が出発してから十年がたちました。十年の間、私たちは個人的、家庭的、氏族的に発展してきました。

 先生が皆さんを、実績があろうがなかろうが、できるだけ動員しようとするのは、なぜでしょうか。皆さん、ある皇帝が山で木を切り、担いで宮中に入っていく時、その木の先にありが一匹ついていたとすれば、そのありも宮中に共に入っていくでしょうか、入っていかないでしょうか。くっついて共に入っていくでしょう。一年、二年……十年と歩んでくる中、同じようには歩んでくることはできませんでしたが、ここからでもついていこうというのです。

 戦場に行く途中で戦争が終わってしまっても参戦兵なのです。また、戦場で銃を撃ったところ、誤って味方の将兵を打ち、殺害してしまったとしても、その軍隊が勝利すれば戦勝兵となるのです。ゆえに、皆さんをこの七年路程にできる限り、どんな作戦をとろうとも動員しようとしているのです。


五 惠進様昇華と特別儀式

惠進様誕生と昇華
誕生:一九六四・七・二八(陰暦六・二〇)
昇華:一九六四・八・四(陰暦六・二七)、四:一五


 私は、惠進の死を通して、イエス様を失った神様の心情を体恤し、死を免れるほどにまだ神様の前に忠誠を尽くせなかったことを悟りました。

 先生の蕩減路程は、キリスト教の蕩減路程を経て、統一教会で再蕩減路程を歩んでいるのです。それで、先生の家庭から子女たちを供え物に捧げる歴史的なことが起きるのです。

 母と娘、兄弟、先妻と後妻の関係において、愛の戦いがこれまでの人類歴史の戦いでした。崔元福先生は、マリヤであり、イエス様の夫人格であると同時に、レアの立場です。ゆえに先生のみ言に絶対服従しなければなりません。

 また、長成期完成級まで復帰しなければならない堕落した母型です。完成期は堕落人間の心情では駄目なので、完成期に到達しようとすればお母様が絶対に必要なのです。そのために、お母様も悩み、先生の家庭から惠進が蕩減を受けるようになったのです。

 一九六四年度になってから協会長に教会を任せました。私が今、経ていくべき道は個人の道ではありません。家庭的な時代を迎え、歴史的に悲運であった家庭的環境を喜びで消化し、氏族的な悲しみ圏を迎えるべき責任を負ったため、その因縁をわきまえ、誰も知らない内的な心情を中心として一人で戦ってきたのです。

 皆さんには分からないことでしょう。これは協会長も知らなかったはずです。近くにいるその誰もが分からない心情をもって歩んできたということを、この時間、皆さんの前に話していることを知らなければなりません。

 私たちの家庭に、私たちの部落に、千人、万人の人が犠牲になるとしても、あるいは赤ん坊が死んでいくことがあったとしても悲しんではいけません。先生はそのような時むしろ、人類のために歴史的な怨恨を食い止めることができる家庭として立てなくなるのではないかと心配したということを皆さんは知らなくてはなりません。


霊的サタンを打つ式(一九六四・八・一四〔陰暦七・七〕)
肉的サタンを打つ式(一九六四・八・二一 〔陰暦七・一四〕)


 霊的サタンを打つ式
 真の御父母様の五番目の御子女様である惠進様の昇華後十日目にあたる一九六四年八月十四日(陰暦七月七日)午前七時、青坡洞前本部教会で「霊的サタンを打つ式」が厳粛に挙行された。
 肉的サタンを打つ式
 「霊的サタンを打つ式」に続き、それより七日目の八月二十一日(陰暦七月十四日)午後十一時、再度「肉的サタンを打つ式」を青坡洞前本部教会で挙行することにより、霊肉間のすべてのサタンを打つことができる立場が準備された。


 先生が歩んできた四十年は、四千年の歴史を蕩減する路程でした。カインが血を流した蕩減条件を立て、カインが受けるべき苦難を受けてきたのです。また、アダムとエバの堕落が家庭的な堕落であったため、一九六〇年までは家庭的に最も悲惨な路程を歩みました。

 六月七日は七年路程の三年半を越える峠なので、祝福を受けた老人たちと赤ん坊の惠進が亡くなったことは大きな意味をもっています。死去した四日の日、ベトナム問題が発生しました。

 先生に最も近い存在が亡くなるのを、皆さんが経験することは大きな意義があります。皆さんが行く所には何か危険が伴うようになります。以前のサタン世界とは違います。皆さんはモーセ、アロン、ホルの前に立ったヨシュアのような信念をもたなければなりません。

 以前は、サタンが祈祷中に現れれば、外部から問題が起こりました。しかし今年からはそのような時、家庭から問題が生じます。今後蕩減の供え物がもっとあるでしょう。

 神様はアベルが供え物であったため、アベルを打ってカインを許してあげたのです。これを条件として、神様はサタン世界を打つことができたのです。これからはみ旨に反対する人を打つことでしょう。私たちは誰が何と言おうが、神様のみ旨だけを見つめて進まなければなりません。


食□同士、心を合わせるための式(一九六四・八・二二、七:〇〇、前本部教会)

 先生は歴史的なすべての曲折を蕩減する儀式を行いました。一つになるための最後の儀式も終えました。このすべてが私たちのものになるようにするのは、ひとえに私たちの心にかかっています。これまで四十五年の間経てきながら、先生にはたくさんの怨讐がありました。しかし、先生はその国とその義だけを追求しました。それが先生の生涯でした。今や、天地は私たちによって動いていくことでしょう。

 本部において様々な式を終えたので、これからは、心情的な基準のみをもって活動すれば、実績を収めるようになります。先生がすることに対して批判してはいけません。何年後、何十年後かに成就することが皆さんに分かりますか。複雑な霊的環境を収拾し、今日、このように成すまでどれほど苦労したかが皆さんに分かるでしょうか。

 神様を中心としてなすことであれば、誰が何をしようとも、先生は受け入れてきたのです。先生は今や責任を全うしました。


六 第一次全国巡回原理大講演会

復興講師特別修練会(一九六四・九・一四〜九・二三、前本部教会)

 一九六四年九月十四日より二十三日までの十日間、ソウル青坡洞前本部教会で全国巡回原理大講演会の準備のための特別修練会がもたれた。この特別修練会の修練生は、本部原理講師と地区長および、地域長等、四十五名。これらの人たちは、十月一日より全国的に実施される原理大講演会で活躍する統一の闘士たちだ。講師は安昌成氏と郭錠煥氏であった。

 今後六ヵ月は私たちが精誠を尽くさなければならない期間です。定められた時期に召命を受け、非常に大きな使命を負って怨讐の前に立っている私です。私たちは出発も公的であり、過程も公的なので、これから公を立てる立場で動かなければなりません。今や韓国は、神様と因縁をもった統一教会を中心として収拾しなければなりません。それゆえ、私たちは原理を宣布しなければなりません。一九五七年から今年で七年目です。これから私たちは世界的な理念を立てていかなければなりません。

 統一教会は先生が立てた教会ではなく、皆さんが創建した教会として動かしていかなければなりません。精誠と志をもって先生に代わって三千里(韓国)の山河を巡回するようお願いします。この地に、死ぬことのない種を植えてから逝こうという覚悟をもって進んでいくようお願いします。

 私たちの使命は厳粛です。六ヵ月の六数をもって六千年の歴史を蕩減する意味で、私が復帰の一つの峠を越えようという厳粛な使命をもって力いっぱい頑張るようお願いします。


全国巡回原理大講演会の動員活動(一九六四・一〇・一から二ヵ月)

 十月一日より翌年三月末までの六ヵ月間にわたり、三名単位の講師による十五チーム、合計四十五名が動員された。付随的な伝道紙六十万枚、ポスター一万五千枚を準備し、携帯用マイク十五台、中型黒板百四十個を新たに購入し、同原理大講演会開催地域に分配した。

 皆さん統一教会全体は、一つになって先生の責任を身代わりし、また、先生が祝福家庭を保護し、この民族、国家を、統一の理念を中心として心情的に抱き、理念的にその位置を立ててきました。そのことを身代わりし、皆さんは、天の前に責任を果たし、先生の天に対したその基準が皆さんを動かしたことを延長させ、持続させるためには、皆さんに対して全体動員を命令せざるを得ない、そのような事情であることをはっきりと知らなければなりません。ゆえに、今回の期間は皆さんにとって、皆さんが責任を立てることができる一時であること、天の前にこれまで民族的な使命を果たせなかったことを、ある条件を立てて進んでいくことのできる一時であることを知らなければなりません。

 本当ならば私がこの三千里半島(韓半島)、あるいは数多くの宗教指導者を訪ねていき、民衆の前で叫びたいし、数多くの群衆を教育して三千里半島を動かし、三千万民族(韓民族)の運命を解決したいというような思いがあるのですが、体が一つしかないのでそのようなことができないのです。ゆえに、先生の四十歳を代表した代表者として、ここから叫びたい天の使命を担うことができない恨を皆さんが解かなければなりません。皆さんは、今回の六ヵ月という期間を中心として、蕩減条件を立てて精誠を尽くすそのような生活をしなければなりません。

 六ヵ月間は四十五人を先頭に立て、彼らを中心にしてこの国の運命を決定すべき最後の一大決戦を行う期間です。この期間において、私たちの精神をこの民族に完全に認識させなければなりません。

 全体が最低二ヵ月は参加しなければなりません。神様の前に最低十分の一の時間は捧げなければなりません。先生も一ヵ月に一週間は家にいないで、巡回をします。皆さんは最小限この公的な理念の前に、生命を捧げていくという誓いの基準がなければなりません。今後二ヵ月間の実績が成功的であれば、先生がここにいなくても協会長を中心にして、全国的に四日間ずつ三次にわたり復興会を実施する計画です。


全国地区巡回(一九六四・一〇・一から九日間、全国/一一・二九から大邱)

 十月からは本部から出発して全国大復興会をすることを知っていますね。(はい)。それで四十数名を選出し、京畿道から徐々に降りていくつもりです。地区長を選び出してさせるつもりです。この世の行動組織を見れば、組織的な運営方針を立てた機関においては、中枢神経のような人に「戦いなさい」と先頭に立たせるような方式はありません。連隊長を一線に立てることがありますか。師団長を一線に立てることがありますか。大隊長を一線に立てることがありますか。ところが統一教会では「お前たち、先頭に立ちなさい」と言うのです。

 彼らを前に立たせるのは皆さんの代わりです。六ヵ月間皆さんに代わって行く時、私たち全員が六ヵ月間、靴のひもを結び、ベルトを締め、かぶとをかぶって武装し、三千里半島(韓半島)のために、三千万(韓民族)のために贖罪をし、拘束の責任を負って行軍しようというのです。

 私たち伝道隊員の中には、血を売って伝道に出掛けた人がたくさんいます。このような話を聞いた時、先生の心はいかばかりだったでしょうか。そうしなければならないのです。ここで話しているこの先生も上から大きな使命を担い、これまで生涯を捧げてそのような道を歩んできました。皆さんも当然、そのような道を行かなければなりません。先生がそのような道を歩んでくるとき、神様が協助してくださり、支えてくださったように、先生もそのような心情をもって、皆さんを神様と因縁づけてあげたいのです。それが先生の心情です。

 統一食口は裸足になって祖国を創建しなければなりません。食べ残したものをもってこの国を生かすことができますか。食べて、着て、乗っていくことに気を使っているひまがありますか。裸足で、何ももたないで開拓していきましょう。このようなことをする所が統一教会です。
















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