真の御父母様の生涯路程 4
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真の御父母様の聖婚と第一次七年路程

第七節 一九六六年 勝利的主管者となろう(四)

一 一九六六年出発と摂理的意義

年頭標語:勝利的主管者となろう(四)
       (一九六六・一・一、前本部教会)


 「勝利的主管者」とは、堕落した人類の誰もが、個人や氏族や国家を問わず、全地の全体が願うことであり、天がこれまで願ってきたことであることを知っています。私たちの願いは神様に出会うことであり、神様の願いは私たちを勝利の子女にすることだということを、私たちは知っています。

 勝利するためには、戦いの路程を経なければなりません。この戦いの対象とは誰でしょうか。それは言うまでもなく、人類と神様の怨讐であるサタンです。

 それゆえ皆さんは神様を身代わりし、変わろうとしても変われず、偏ろうとしても偏れない、確固不動たる本然の勝利の化身体となり、神様と心情一体化した位置に立たなければなりません。それでこそ、霊界にいるサタンを追い出せると同時に、地上にある悪の基盤を追い払うことができるのです。このような責任をなすことができる権限をもたない限り、皆さんは天地の前に勝利的主管者とはなれないことを知らなければなりません。

 このような立場に立つようになる時、初めて皆さんは、完全な勝利の主管者となれるということを知り、この年始めに新たに決心をするようお願いします。そのような覚悟のもとで、この一年を、三千万(韓国)民衆と世界人類の前に、新しい福地を建設してあげる勝利的主管者となるよう努力しなければなりません。


一九六六年と霊界動員

 先生は「一九六六年から神霊の役事が始まる」と言いました。最近、既成教会に霊的に混乱した風が吹いています。どうしてそうなのか分かりますか。神様のみ旨がよく分からないのに、神霊の役事をするからです。けれどもこの霊的世界の混乱を収拾できる人がいるとすれば、彼らは神様の息子、娘となるのです。

 最近、神霊に通じる多くの霊能者たちが「韓国は主が来られる国だ」と言っています。ところがどのように来られるかということは知らずにいます。それも知らないくせに「韓国がどのようになる」と言って、何の意味がありますか。もし彼らがただそのまま変わらずに霊界に行けば、どのようになるか分かりますか。

 それで、近ごろ先生は、霊界にいる皆さんの先祖を動員するための祈祷をしています。皆さんの先祖を動員し、蕩減の道を歩む皆さんに協助させようと思うのです。

 今後、自分を中心として蕩減しようとしても、自分の個体を中心として蕩減せずに家族を中心として、氏族を中心として、金氏ならば金氏の家門を中心として、蕩減するというようなことが起こるでしょう。統一教会の信徒の何人かが「責任を負おう」と祈祷するようになれば、氏族的に蕩減することが起こるというのです。そのようになるのは先祖が再臨して協助するからです。早く復帰させるために、先祖たちが自分の後孫を打って犠牲にさせる、そのようなことが起こるのです。そのようなことが起こらないかどうか見ていなさい。原則がそのようになっているのです。

 先生はそのような時が来るということを知っているので、皆さんを苦労させるのです。み旨のために苦労する条件さえ立てれば逃れるようになるのです。世界復帰が完結される時までは、蕩減の荷を下ろす考えをもってはなりません。


二 教会員の四段階倍加運動(一九六六・一・一)

 一九六六年、活動課題として教会員四倍化運動を設定。昼夜を分かたず「み旨」伝播に全力を尽くした結果、目標十六万千五百四名であったのが、活動後、十八万五千五名の在籍教会員教を確保するようになり、結果的に二万三千五百一名の目標超過教会員たちをさらに迎えるようになった。


四半期単位の倍加運動

 四倍加運動の目的は、第一に対外的にピーアールするためであり、第二に食口たちが摂理的時期に対する新しい運勢を感じ、内的再生をするためであり、第三に既成教会を伝道できる基台をつくるためであり、第四に教会員を動員する契機をつくることです。

 私たちはこの時代に、民族復帰の基準と国家復帰の基準まで立てなければならず、何をしようが、理念的に共産世界と対決し勝利できる基盤を築き上げなければなりません。この基盤を築くためのものが四倍加運動です。

 皆さんは蕩減復帰路程を必ず歩まなければなりません。歩まなければならないのです。歩まなければ皆さんの後孫たちに讒訴されるようになるのです。

 先生は、映画「栄光への脱出」を見て感じた点がたくさんありました。み旨を中心として見る時、神様の福を受けるべき民族があのように凄惨になったのは、昔イスラエルの族長たちが責任を果たせなかった天倫の罪が、今なお蕩減できずに残っているからです。

 そう思うとき、現在の統一教会が任せられた責任を果たせない時には、後代にまた再びあのような荷を引き渡すことになるのだなあということが切実に感じられました。

 同様に、皆さんの時代で責任を負うべき問題を、皆さんが達成できない時には、それが後孫に移っていくのです。そうならないようにしようとすれば、皆さんは、全体的な責任は負えなくても、自分の個人的な責任は絶対的に果たして越えていく、という心をもたなければなりません。ところが、そのような心をもった人が何人いるでしょうか。

 皆さんは安らかに眠り、食べ、暮らすようにはなっていません。皆さんには四段階の倍加運動が必要です。私たちの味方をたくさんつくるためには、誤解を受けようが、何しようが、まっすぐ突き進まなければなりません。


ソウル教会分割──第一、第二、第三教会(一九六六・五・一五)

 一九六六年五月十五日、聖日礼拝のあと、真のお父様は「長い間ソウルの教会としては本部教会一つだけであったが、それをまず三つの教会に振り分け、少ししたら十二の教会に、将来は百二十の教会に分ける」と核分裂方針を宣言され、これに対する必要性を語られた。A、B、C、同数分割原則により、自由抽選による絶対服従を前提条件として各自行くべき道を自らの手で引いた。
 A教会は、劉孝元協会長が青坡洞本部教会で、B教会は李耀翰巡回師室長が明洞所在の文化会館で、C教会は李載錫講師が受け持ち、新たに準備された場所でそれぞれ出発した。


 第一教会は木の根と同じであり、第二教会は幹と同じで、第三教会は枝や葉と同じです。それで、第三教会の食口たちはときめくことだろうと思っていたのですが、予想どおり第三教会の食口たちはときめいています。人々は木の根や幹を見て喜ばず、葉を見て喜ぶのです。

 このようにソウル教会を三つに分けたのです。宗教人は霊界を中心として進む人です。霊的人格の完成を第一として進む人が宗教人ですが、第一教会より第二教会にそのような霊通派がたくさんいます。

 今は、もっと一生懸命しなくては、もっと一生懸命に精誠を尽くさなくては恨になるのです。今後ソウルにある大きい教会を分けて、四十個程度の教会を建てようと思います。そのようにして四十個の教会から百二十個の教会に、その次には三百六十個の教会に増やそうと思います。

 今や、私たちが攻撃する時が来たのです。私たちが包囲作戦を展開し、三百万のソウル市民を導き、志を同じくするならば、韓国は問題ではありません。韓国でなされるならばアジア、世界は時間の問題なのです。

 パゴダ公園に弟子たちを送り出して八年間も伝道させながら、統一教会の先生とかいう人は影一つも見せないと悪口を言う人もいることでしょう。しかし、それはその人がよく知らずにそのように言うのです。彼らは苦労の代価として先に栄光の位置に行くことを願っているのです。彼らは苦労したので、栄光の位置にも彼らが先に同参するのです。もちろん先生がしてあげてもよいのですが、彼ら自ら栄光の位置に参与するようにしようとしているのです。それが心情世界の因縁です。その世界では、兄が弟をこの上なく愛する心をもたなければならず、父母が子を愛する心をもたなければなりません。


四倍加運動激励のため全国巡回(一九六六・五・二一より九日間、李耀翰牧師随行)

 今や、六年が過ぎようとしています。今、ここまで来て振り返るならば、神様が干渉し加護されたので、今日私たちの行く道が世の中からあざけられ、この世の非難を受ける逆境の中においても続いてきたのです。さらに、今日この国、この民族の前に、私たちの理念でなければこの国を生かせないという事実を、すべての三千方(韓国)民族が公認しなければならない段階にまで来ているというのです。

 皆さんは地方に行き苦労します。先生は、第一次四十日修練路程において、数千名を配置した地方を巡回し、彼らを後ろに残して置いてくる時に、心で涙したことが思い出されます。今も忘れません。それで、今回巡回する時に見たら、その時のその幼い者たちが今はみな成長し、地方に行き責任を負うことのできる人になっていたのです。

 先生は地方の教会を巡回する時、うちの統一信徒があまりにも悲惨な所で生活するのを見てきました。そのようなたびごとに、神様に「お父様、彼らと共にあってください! 私がそのような環境を経てくる時、あなたは私と共にあってくださったし、私がお父様を身代わりし、そのような位置に立った時、行くべき道が残っているとおっしやったではありませんか。そのような因縁を彼らにも結んであげてください」と祈祷しました。

 今の皆さんの悲惨なその立場が、悲惨なそれだけで終わってはいけません。悲惨な立場でも善を中心として、勝利の凱歌を歌える姿として現れなければなりません。そうしようとすれば、悪なる世界を根本的に審判できる神様の王子とならなければなりません。激しい波風が押し寄せる所に、皆さんを追いやらなければならないこの師の立場を、皆さんはよく知らなければなりません。


全国地域長特別修練会(一九六六・七・四〜七・九、前本部教会、百八十二名)

 全国地域長特別修練会が一九六六年七月五日より八日までの四日間、青坡洞所在の本部教会で男性百七十六名、女性六名の合計百八十二名が参加した中で開催された。

 私たちは天国を建設する隊列の先頭に立たなければなりません。皆さん方は天の国の公務員であり、入会願書を出した教会員たちは国民です。今や、すべてのことを蕩減して神様に侍るべき時が来たのです。

 最近の国際情勢を眺める時、我が国はあまりにも難しい環境に直面しています。もし大のために小を犠牲にさせて蕩減復帰され、それでみ旨が成就するならば、神様は喜んでそのことを断行なさるということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。本部から下される命令に反すれば、後孫たちにまで莫大な支障を来たすということを知らなければなりません。

 これまで活動した地域長たちには、自己圏内の基準をもっている人がいませんでした。六年、つまり六数を越え、七数をもたなければなりません。歴史的な最高の位置に上がることのできる重大な機会は一度しかありません。

 私たちの作戦は地域長を中心にして動くことです。神様は既に勝利できる権限を私たちに付与してくださったので、誰がどんなに反対しても私たちは勝利できるのです。

 私たちは一部落も残さずすべて訪問してみ言を伝えなければなりません。七年路程が終わる時までには、統一教会があるのかないのか知らなかったと言われないようにしておかなくてはいけません。

 十月からは復興会を開催しなければなりません。すべての人が最大の努力を傾け、よく戦ってくださるようお願いします。外国の食口に劣ってもいいのですか。

 一番必要なのは皆さんの後継者です。できるだけ信仰の基盤がある人々を伝道し、自分の後継者として立てなければなりません。それさえ実践すれば何倍もの成果を上げることができるのです。


百日復興会(一九六六・七・四〜一〇・一四)

 私たちが誓ったことを果たせずして、民族や後孫に引き渡すと、蕩減条件がそのまま残るようになるので、勝利の実績を立てなければならないのです。今日から十月十四日までの百日を、刑務所で服役するごとく生活しなさいと言ったのは、十月四日(西大門刑務所出監日)と十月十四日(興南監獄出監日)を特別に記念するためです。この期間に復興会をしようとする理由もここにあります。

 先生が皆さん方と横的な立場に立つことは、この国が横的に因縁が結ばれるようになる動機にもなるのです。この期間は七年路程を越えていく最後の期間です。すなわち、七年路程の門を閉じる期間になるのです。もちろんこの期間は短いのですが、心情的には六千年を蕩減できなければなりません。

 第一次七年路程において、私たちは神様の前に何を残していくのでしょうか。疲れてみすぼらしい姿をもってそのまま越えていくのでしょうか。それとも何かをもって越えていくのでしょうか。六数はサタン世界の数です。数字的に言うならば、一九六六年と第一次七年路程の六年目、このように六数が三つそろうのは、偶然の一致とだけ考えることはできません。このサタン数の代表的な数を、栄光の数として復帰できる道はないのでしょうか。

 皆さんには七年路程ですが、先生にとっては二十一年路程です。この七年路程を中心として、私たちはこの民族と相まみえる運勢をつくらなければなりません。神様は前半三年路程の中で、内的に家庭的な基準を立てられ、後半四年路程の中で、外的に社会的な基準を立てられながら七年路程を合わせてこられるのです。そのために先生は、家庭的な代表、民族的な代表、世界的な代表を復帰したという条件を立ててくるのです。

 七年期間は私が神様の息子、娘となる期間であることを知らなければなりません。先生は二十一年の間、寝ても覚めても、食べても、目さえ開けば、み旨のことだけを考えています。他は眼中にありません。先生が子供たちを愛することも、家庭を抱えることも神様のみ旨のためなのです。そのみ旨に外れる時は、先生と怨讐になるのです。

 このように私たちが戦ってきた歴史は、血と汗と涙を流す歴史でした。骨髄が正常な人であれば、涙なしには眺めることのできない歴史です。皆さんを指導してきたこの師には、胸にしみわたる恨が残っているのです。


地方教会の総力伝道

 皆さんは今、地方の各集会所を中心として伝道していますが、その心はどうですか。あの人たちが今晩死んだらどうしよう! 地獄に行くだろうに……。そのような思いがわきますか。その人たちが皆さんのお兄さんや、皆さんの息子であればどうするでしょうか。そうした切ない思いが皆さんの心の中にありますか。

 皆さん、弘済洞の火葬場に一度行ってみなさい。人とはいかにむなしいものでしょうか! 皆さんも遠からずみな死ぬのです。復帰路程を歩んでいくべき運命に置かれている万民であるのに、その彼らがあのように歩んでいけば、終局にはどうなるのでしょうか。このような問題を考えながら、先生はしばらく御飯を食べられずに痛哭したことがたくさんありました。

 地方で開拓に出ていき、食べられず、着られず、苦労している人の手を見れば、見るからにひどいのです。凍えてひび割れてめちゃくちゃです。冷たい部屋で寝て、冷たい水で御飯を作って食べれば、そうならざるを得ないのです。どんなに痛ましいでしょうか。星回りが良くなくてふさがれてしまったように見えるのです。

 けれども、それでふさがれてしまうのではありません。そこで統一教会の運命が終わるのではありません。個人の問題を中心として良いだの悪いだの、幸福や不幸を論議するそのような段階ではないというのです。

 この世はすべて自分を中心として幸福になろうとします。しかし私たちは、自らの不幸を自ら招き寄せ、民族の不幸を阻むための歩みでなければならず、民族の不幸を自ら招き寄せ、世界の不幸を阻むために歩み出る人にならなければなりません。


三 全国大学原理研究会創立(一九六六・一・一〇、前本部教会)

 一九六六年一月十日、本部教会講堂で、全国二十六の大学の全国大学原理研究会会員たちが集い、真のお父様をお迎えする中で、全国大学原理研究会および、傘下の各地区会を結成した。全国会長には、李炳基君が任命された。


創立目的と活動方向

 民主と共産の二つの陣営を統一することが私たちの使命です。そのためには全国二千四百の面に少なくとも一人ずつ配置しなければなりません。三位基台をつくって配置するには、約七千名が必要です。この人たちは大卒以上でなければなりません。本来、梨花女子大と延世大を中心としてなそうとしたことが駄目になったので、方向が変わりました。すなわち、中学生、高校生を中心としてなすようになったのです。

 三年路程の期間は、この民族に統一信徒と共になければならないということを見せてあげなければならない期間でした。韓国が現在の状態でいては、共産主義の侵入を防ぐ道がありません。彼らは中流以下の階級に侵入します。ゆえに私たちは地方にいる人に原理を伝播し、生活指導と啓蒙運動を続けてきたのです。

 各面の三位基台は、理念指導と生活指導と啓蒙運動の責任をもたなければなりません。本来、理念指導は教会が責任をもち、生活指導と啓蒙運動は農桃園で責任をもたなければなりませんが、皆さんが面に行けば、この三つすべてに責任をもたなくてはなりません。

 大学生たちを一年ずつ地方に送り、中学教育に責任をもつようにすれば、彼らは、農村の事情も体得し、愛国心ももつようになるでしょう。民族のために祭物になる真の思想を大学街に残しておかなければなりません。そのためには審判者の責任を果たし得る若者を立てなければなりません。これが本会創立の目的です。

 今、国内においては、何よりも共産主義の勢力が強化され浸透していくのを防ぐ道がないのです。ゆえにまず、私たちが行っているその方向において信任を受けることができる基盤を築くと同時に、理念的な基準を私たちが民族の前に提示しなければならないのです。

 その次には、現在、哲学思潮を動かせる拠点地が学校であるだけに、世界の大学街の哲学分野を動かすために原理研究会を創設したのです。ところが地方では原理研究会に対して関心がないようです。先生は側面作戦を企図することができる最高の基点を原理研究会におきました。日本でも原理研究会は、初めは認識が良くありませんでしたが、あとになって認識が良くなり、とても良い結果をもたらしてきました。

 今後は原理研究会の活動を通して、学生と教授、特に哲学科の教授まで、理論的な面で私たちの理念に太刀打ちできないことを証明させ、それを世界的に認識させるつもりです。


第二回全国大学生修練会
  (一九六六・一二・二一〜二八、前本部教会)


 一国家の興亡はその国の若者にかかっています。統一教会は特殊な青年が入るようになります。あすの私を創造すべき人々を立てるため、このような修練をするのです。

 泉と芽が育つためには、適当な環境が整えられなければならず、泉と芽がその環境に適応できなければなりません。神様は歴史をおいて、芽を立て、横的な環境をつくる歴史を編んでこられました。今でも神様は芽となれる個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を探していらっしゃいます。韓国はこのような芽の立場に立たなければならず、そのためには試練を経なければなりません。芽はすべての枝が受ける試練を一時に受けますが、前進的な克服をしなければなりません。このように私たちも世界的な試練を克服しなければなりません。

 今日神様が死んだと宣布するキリスト教は、既に終末期におかれています。しかし、茎に花が咲いたり実がなるのでなく、枝に花が咲いたり実がなるゆえに、芽のような私たちが、神様が生きていらっしゃるということを証明できるならば、統一は可能なのです。

 統一信徒は泉とならなければなりません。泉の水はわき出ます。滝とは反対です。山中の獣も泉の水を求めてきます。泉のない山は名山にはなれません。皆さんは腐敗した大韓民国を清める泉とならなければなりません。

 泉の水はわき、清いそれ自体を汚さない所に流れようとするはずです。泉の水が人間の生命と因縁をもつためにはその純粋性を失っては駄目なのです。そして、その純粋な泉の水とは磐石を貫いて出てきた泉の水です。そうして誰しもがそのような水を飲もうとするのです。


四 経済的な復帰時代とか水澤里工場−京畿道南楊州郡九里邑 水澤沢所在)

経済的な復帰時代開幕

 四十ヵ国を中心とした百二十箇所の聖地は、百二十の国家を象徴したものです。それは先生が四十歳の時、すなわち一九六〇年に聖婚式をしたので四十年を代表したのです。その四十歳を基盤として、世界的に百二十の国家と連結させたのです。

 このような観点から見る時、先生が四十ヵ国を中心として百二十箇所の聖地を選んだということは、世界的百二十の国家と、私たちのみ旨と物質的関係が一致したということを意味します。万物を復帰できる条件を立てたということです。それにより、統一教会は神様が復帰しようとする息子、娘を復帰したのであり、氏族と民族を代表できる代表者を復帰したのであり、世界を代表する人を復帰したのであり、万物を代表できる聖地を復帰したため、ここから天国の運勢は私たちの教会を中心として回り始めるようになったのです。

 限界線がそうであるがため、一九六六年、聖地を選んだあとから経済的な復帰をしなさいと指示したのであって、それ以前には経済的な復帰はさせないようにしたのです。その前に経済的活動をすれば条件に引っ掛かるのです。神様の復帰摂理は、人を先に復帰しなければならないのが原則です。物質を先に復帰できないのです。人を復帰しておいてから物質を復帰することが原則なので、人を復帰する前には物質に手をつけてはいけないのです。このような原則により、それ以前には経済的活動ができないようになっているのです。それゆえ自分がもっているものすべてを売り払い、苦労するとしても、人間を復帰する業をしたのであって、経済的な活動はしなかったのです。

 お金を稼ぐときには、血と汗を流す労働以外はさせないようにしました。血と汗の代価で稼いだのです。ですから、その期間に韓国の食口がどんなに苦労しただろうかということを皆さんは知らなければなりません。


工場新築と生産現場の指導
一九六六・四・六:統一産業水澤沢里工場の新築上棟式
一九六六・四・一五:統一機械制作所水澤沢里工場落成式、五月に移転


 先生がこのごろ毎日工場に出掛けるのは、今は国家復帰をしなければならない時代だからです。精誠を尽くさなければなりません。本当は皆さん全員がすべきことですが、皆さんができないので先生がするのです。

 物質的基準、生活的基準を公的に立てなければなりません。

 本来事業をすることは先生の主目的ではありませんが、環境問題を考えてみた時、先生が事業をせざるを得ないので、今年は非常作戦を用いました。お金が一銭もなくても、大きな工場を建て、良く運営してきています。この世にそのように事業をする人はいません。歴史上、先生が初めてでしょう。

 皆さん、統一産業をつくったことについても見てみなさい。忘憂里の峠を越えて私が一日に三度も通った日が何度もありました。二度通うのは言うまでもなく、一日に一回は通ったものです。それはどうしてでしょうか。世界の工業界を掌握するためには精誠を尽くさなければならないからです。血と涙を流して尽くしたその精誠が天に染みわたり、霊界に行ったあらゆる工業者がその精誠に感動し、地上にいる人々がその精誠の前に膝を屈するようになってこそ天の所有権になると見たので、そのように精誠を尽くしたのです。

 工場にいる人たちは「先生はお忙しいのに何をしに毎日工場に来られるのか。毎日のようにいらっしゃらなくてもいいのに」と思うでしょうが、そうではありません。きのうの夕方見たものとけさ見るものに、特に差はないでしょうが、きのうよりもきょう発展したものがあればその差に興味を感じるのです。同じ機械を造っても、きのうよりどれぐらい良くなったかを見て、少しでも発展したことがあればおもしろいのです。これは私たちの旗竿を突き剌すことです。そうしてこそ神様の前に褒めたたえることができ、神様の前にある条件を立てるのです。それで、ある基準までは、先生がそうしなければならないのです。


五 『原理講論』初版の出版(一九六六・五・一)

真のお父様と原理のみ言

 今日まで人類歴史は何をしてきたのでしょうか。真理を探し求めてきたのです。皆さんはそれを知らなければなりません。堕落した人間がこれまで苦しみ、うめく声はどこから生じたのでしょうか。真の道を見いだせなかったため、哲学だ、何だと言って、数千年の歴史を続けてきたのですが、人生の行くべき真なる真理の道を決定できないこの時代において、私たちは世界の人々が行くことができる道を、正しく導くことができる一つの真理をもっています。これは、宗教を中心とする教理だけでなく、今後学問的にも研究せざるを得ない高次元的な膨大な内容をもっているのです。

 イエス様がみ旨を成し遂げられず、「わが父よ、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」と言いながら、イエス様御自身の思いよりも神様のみ旨を成就できない切なさを語られた、その内情の裏まで深く掘り起こした内容をもって出てきたのが、統一教会の教理ではないでしょうか。そのような内情をもっている人が涙を流せば神様も涙を流し、その内情をもって決意して進む時は、神様がそこに同情せざるを得ない、そのような真理をもっているというのです。

 私たちは歴史で行ったことをすべて貫き通して見て、検討する業をなしてきたので、摂理観が分かるのです。皆さんが勉強している原理の本には、歴史観が出てきますが、それは適当にやって見いだしたのではありません。先生が霊界と肉界の血みどろの戦いをして探し出した、闘争歴史の実績であるということを知らなければなりません。そこは血の涙がつづられています。前後の事情もたくさんあるのです。誰かが私をつかんで「先生、このような事情を私は知っています」と一言言えば、いつでも痛哭し得る心をもっているのです。

 皆さんはこのことを知らなければなりません。統一教会はかすめて過ぎ去るものにはなり得ません。検討に検討を重ね、内容に関することを調べに調べて、自分と関係を結び、国とつながり、世界とつながって、神様の解放まで主張するのです。

 そのように根本問題を掘り下げ、理論的にすべて一つ一つ定立してから定義を下し、現実社会に合う術語をつくって訓練することができてこそ神様のみ旨を成せるのであって、大ざっぱな計算や無知から完成がありますか。キリスト教がそうしては駄目なのです。私は科学を勉強した人です。

 この愚かなる文なにがしが現れて、みな発見したのであって、それが簡単に発見できますか。山中に埋められた鉱石を探し出すことは簡単なことです。しかし、これは千の道、万の道の中で、何千年前に金銭十銭を埋めておいたのを探し出すことよりももっと大変なのです。ですからどれほど涙を流したことでしょうか。どんなに転倒したことか考えてみてください。ただで食べながらやろうとしても駄目なのです。「精誠を尽くしてつくった塔が崩れようか」(注:真心を込めてしたことが無駄に終わるようなことは決してないという諺)というのです。精誠を尽くさなくては統一教会の後継者になれないのです。

 皆さん、原理のみ言がみな分かりますか。その原理のみ言を中心として、実践の復帰路程を現在、身もだえしながら行く先生がいるのです。その先生の骨髄に流れる深い心情の谷間をもっと知りたければ、そこに自分自身の根を深く深く張らなければなりません。大きな枝になろうとすれば、深い根の中の樹液と関係を結び、それを吸収できる力がなければなりません。うわべだけさっと育つ枝はでたらめな枝です。それはやせ細った枝になり、しまいには枯れて落ちていきます。深刻なのです。それゆえ、毎日のように祈祷し、精誠を尽くさなければなりません。


『原理講論』執筆指導

 アダムとして来るメシヤはどのような立場で来るのでしょうか。長成期完成級の立場で来るのです。長成期完成級の立場ということは、結婚式をするための立場でしょう。それゆえメシヤuこの地に来て、個人復帰の使命をなしてはならないのです。それを誰がしなければならないかというと、洗礼ヨハネがしなければならないのです。

 洗礼ヨハネは、両方の世界をまたにかけているのです。復帰したアダム型というのは、そのことを言っているのです。そのようにして養子は、アダムと絶対的に一つになりさえすればよいのです。

 新しい世界的な法を中心として、メシヤと完全に一つになってこそ蕩減になるのです。ですから良い養子を通して愛するようになっています。統一教会では、劉孝元協会長がこれまでそのような洗礼ヨハネの業をしてきました。それゆえみ言も、他の人の言葉は認めないのです。どんなに本を書くのがうまいとしても、劉協会長以外の人にはみ言は任せません。そのようにしてきたのです。それで統一教会の人は全部ついていきなさいというのです。

 皆さん、原理の本は恐ろしい本です。原理の本を協会長が書いたといって軽視する人がたくさんいます。もし、この本を私が書いたとしたらどうなりますか。みな引っ掛かります。言うまでもなく一遍に引っ掛かってしまうのです。霊界に行ってみなさい。もし間違って書かれていたとしても、軽視すれば引っ掛かるのです。何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。

 経書は絶対視しなければなりません。「確かに間違っているようだが、なぜそのように書いたのか」と言う人がいます。それは全体を通して見る時、そのように書くようになっているためです。そのように書くべき事情があり、飛躍せざるを得ない内容があったということを知らなければなりません。そのように考えなければなりません。


原理の完成本の執筆課題

 偉大な人はユーモアで自分の事情をよく話します。そのユーモアが確実に当たっていれば、そのユーモアが自分に事実となってぶつかってくるのであり、当たっていなければただ流れていくのです。この世界ではそういうこともあり得ます。

 しかし、原理は千年たっても変わりません。私が最近話していますが、今後先生が原理を書くようになれば、人々が何千年たっても知ることができない、私だけが知っている内容を中心として何冊か残しておきたいのです。祈祷しながら、骨髄がにじみ出るほどに精誠を尽くし、書いて残しておきたいのです。どうしてでしょうか。歴史に偉大なる後孫を残し、精誠を尽くす後孫を残すためにです。それを永遠に保管できる人が誰でしょうか。このような見地から、先生は今後、新しい角度から原理の本を書こうと思います。協会長が書いた原理の本に対して是正することがないわけではないことを私は知っていますが、彼が精誠を尽くして書いたので何も言いませんでした。

 統一原理で表現する部分的な事項は、多く新しく試みられることでしょう。しかし、初めから最後まで、啓示の基本的な内容は少しも変更しません。例えば「創造原理」「堕落論」「メシヤの降臨とその再臨の目的」等で見られる中心思想は、決して変わりません。しかし、私たちの哲学のある概念や思想を表現するところにおいては、困難が伴うことを知っています。それで、相当に多くの時間と努力を費やすようになる私の課題中の課題は、もう一度私自身が『原理講論」を整えて歴史の前に出すことです。この課題は完成されるべきこととして残っています。

 「統一原理」というものは、それに対して協議したり、人々が好まないからといって変えることができるようなものではありません。そのようなことは決してあり得ません。また、いまだに発表できない相当な部門の真理が残っています。私は既にそのような啓示を受けていますが、未来に公表しようとわざと保留しています。

 原理はイエス様までを説明しているため、イエス様以後、先生に関することを皆さんは知りません。それゆえ皆さんはこれから本当に勉強すべきことが残っているのです。統一教会の文先生は原理の中に現れる先生ですか。原理にはイエス様までが入っているのです。イエス様を中心として話したものです。それなのに原理だけ重要視すれば完了すると思いますか。先生がどのようなみ言を話したのか、心で従い、苦労を共にし同調しながら、その生活に感激し、あすの歴史創造の旗手として責任を果たし得る統一教会の信徒たちとならなければならないのです。


六 基督教超教派運動本部創立
   (一九六六・一・一七創立、一九七四・一〇・四超教派キリスト教協会に改称)

 キリスト教超教派運動本部が、一九六六年十一月七日、「キリスト教系各教職者間で、密接な交際をもつことにより、教理と信仰生活の一致を図り、キリスト教本然の家庭と信仰性を回復しよう」ということを目的に創立された。事務所はソウル唐珠洞におき、本部長に朴チャンボン牧師、議長方ブシン牧師、総務局長金ユンカン牧師と財政局長金チョンニョル長老等で構成されている。十二月五日には、明洞所在のサムオ亭に二十八教派に属する約二百名のキリスト教指導者を招請、キリスト教教職者懇談会を開いた。


超教派運動の目的(一九六五年開始)

 宗教の道は犠牲と奉仕の道です。これはサタン世界を分離させるために必ず必要です。それゆえ蕩減路程を歩むためには、宗教を選ぱざるを得ません。今後、ある宗派的な宗教は世界的な宗教と連結しなければならず、哲学も世界的な哲学基準に連結しなければならず、政治も世界的な政治と連結しなければなりません。このような基準を私たちは、七年路程が終わればすぐに国家的次元で築いておかなければなりません。そうでなければ、天が守備の立場から攻勢の立場に変わることができないのです。そうしようとすれば、キリスト教を中心として韓国内に統一教会が勢力を形成し、多くの宗教を糾合しなければなりません。

 そのため、一九六五年から超教派運動を展開しています。さらに言えば、キリスト教を中心として超教派的活動を展開させ、彼らと私たちが共通の立場を取っていることを自他共に公認し、国家的な次元でもやはり統一教会の教理が最高であることを公認するようにしなければなりません。これが超教派運動を始めた目的です。

 第二の目的は既成教会を復活させることです。今、新しく既成教会の門を開けなければなりません。そうしなくては、その人々は最も哀れになるのです。私たちは自分を死の道に売り渡した十人の兄弟を許したヨセフと同じ立場から、既成教会の人を伝道し、彼らの門を開けてあげなければなりません。


現実問題の解決と超教派運動

 百人の食口がいる場合、百人が和睦の中心になれば天の前に記憶されます。和睦させるために、借金をしてでも超教派運動をするのです。

 イエス様の四十日断食祈祷が勝利に終わったがゆえ、サタン世界である共産主義も一九一七年から四十年の全盛期を迎えたのち、一九五七年からは、ソ連と中共との争いにより下降し始めるのです。そうしてこれが三十年間下降していき、合わせて七十年になる期間内には、壊滅状態に入っていかなければなりません。

 共産主義と最先鋒で対決すべき米国は、他の国家を援助しましたが、世界の宗教を統一し、それを協助することができませんでした。そのため、反対に共産国家が、宗教を悪い方に利用したのです。

 宗教問題と政治問題そして学生問題が世界的な動向の三大問題です。このようなすべてのものの縮小型が韓国です。ゆえに韓国は民主と共産の一線であり、宗教問題で最も混乱を起こす問題の国家であり、また学生たちを中心とした政権転覆運動が起こる国家なのです。先生はこのようなあらゆる問題を解決するため、超教派運動によるアカデミーハウス運動をしているのです。


七 仁進様と興進様誕生

真の御子女様誕生と摂理の運勢
仁進様:一九六五・八・一四(陰暦七・一八、四:〇八)
興進様:一九六六・一二・四(陰暦一〇・二三、〇:三三)


 三十六家庭がどのような家庭かというと、歴史的な先祖です。それが何かというと、サタン世界の堕落した子孫から復帰された歴史的な先祖です。この復帰された歴史的な先祖たちを中心として、そこから代を継ぎ、一回り交替することにより入っていくのです。それがカインとアベルです。

 そのため、外的な基準の祝福家庭と先生の家庭を中心として、内外が一体とならなければなりません。四位基台の復帰基準なので、四数です。方位も四数が問題です。今年、興進も生まれましたが、子供を見て本当に驚きました。

 東側が女です。西側が男です。本来は男が先に出てこなければならないのではないですか。私の子供たちはどうなっているのでしょうか。東側が譽進で、西側が孝進で、南側が仁進で、北側が興進です。

 したがってこれまで、天の側から見る時、反対となる側に男性たちが立っているかのようになっているのです。これにより、民主世界を代表できる南方の人、共産世界を代表できる北方の男性たちが生まれました。天が保護できる人、東側と南方を新しい希望の場として眺めることのできる条件ができたため、世界史的な一つの転換時期がこの七年路程の峠となっています。それゆえ世界にいくら壮大な力をもった共産党でも、この時代に来れば分裂しなければなりません。今後この統一運勢が行く所に妨害になり得る要件があれば、自動的に追われて出ていかなければなりません。ゆえに、今後中共がどのようになると思いますか。そのようにして内外で越えていくのです。


仁進様、興進様の幼い時

 私がじっと見ていると、興進はまだ一歳にしかなりませんが、誰かが「何かを取り出して」と言うと、何を取り出すと思いますか。全部つまんでほうり投げ、大きなものを持ってきて「パン」とやる(撃つ)のです。それが男の子と女の子では違うのです。仁進は(興進様の)お姉さんなのですが、お兄さんのものや、何かがいろいろある中から全部つまんでほうり投げ、人形を取り出すのです。人形でも大きいのは嫌がります。ちっちゃいので遊ぶのです。「わずか、一つの違いなのに、どうしてあんなに差があるのか」と思いました。(笑い)

 それはどんなに教育をしてもそのようにならざるを得ないのです。どんなにたたいてみたところでどうしようもありません。そう、「お前はどれがいいの?」と聞けば、(大きなジェスチャーで) 「これ(イゴッ)」と言うし、「お前の方はどんなのがいいの?」と聞くと(小さなジェスチャーで)「これ(ヨゴッ)」と答えるのです。どちらが男の子でしょうか。「これ(イゴッ)」が男の子ですか、「これ(ヨゴッ)」が男の子ですか。「これ(イゴッ) です」。「これ(ヨゴッ)」は小さくて、「これ(イゴッ)」は大きいでしょう。言葉は本当におもしろいのです。【注:「これ」に相当する韓国語は二通りある《「イゴッ」「ヨゴッ」 一近くにある二つのものを選択するときに使い分ける》」

 仁進もおもしろいのです。夜清平に行くには、浮きをつけなければなりません。その時「お前に浮きを着せてほうり投げたら、あの遠い所まで渡っていけるの?」と言うと、「渡っていきます」と言うのです。一晩かかっても渡っていくと言うのです。「ここは恐ろしい所なのに、怖くないのか」と聞くと「怖いなんて、何が怖いの? 神様がいるのに」と言うのです。

 それを聞いて「いやあ、子供がこのような信仰をもつとは立派だ」と、私が感嘆したことがありました。皆さんもそう思いますか。夜、子供が何も分からずに、それも一人で渡っていこうとすれば、どんなに苦労するでしょうか。「ここに何がいるのか知っているのか」と聞くと、仁進が「神様がいるじゃない」と答えたのです。そのような信仰が必要です。


八 勝共啓蒙運動の拡散と今後の進路

勝共啓蒙運動の拡散

 私たちは寝ても覚めても統一を考えなければなりません。この七年路程をかけながら、私たちの怨讐である共産党を屈服させなければ駄目だということを知らなければなりません。これまでこの国が統一教会を排斥したがゆえに、神様のみ旨成就がどんなに遅れたでしょうか。最近になってようやく統一教会でなければ駄目だという話が出回り始めたのです。国だけでなく、アジアが生きるのも私たちの理念でなければ駄目なのです。’もう私たちは出発しました。ゆえに、より一層頑張らなければなりません。

 最近、先生が地区長たちの報告を聞くところによると、地区長たちが、今や道の有名人になったというのです。道知事が表彰しようとするし、内務部長官が表彰しようとするというのです。それは、理念的に見て私たちを無視しては駄目だというふうに思ったからです。昔は先生がどこかにちょっとでも出掛けると、統一教会の文教主がどこどこに行くと言って、電話をしてまでも監視していた各警察局情報課が、今は統一教会でなければ駄目だという段階に変わったのです。この世で日陰が日なたとなり、日なたが日陰になるような道理です。

 彼らは次第に急変する世界情勢のもとにあって、しかも反共体制を強化すべき国家的な危機に直面したこのような時点で、自分たちの生命と財産が大事であることを知り、まかり間違えば自分たちが死ぬだけでなく、氏族、父母、一族まで殺されるということもよく知っています。北緯は今、戦争の準備に狂奔しています。休戦ラインでもただならぬことが起こっています。それゆえ私たちの助けが必要になったのです。

 このような段階に入ってきたので、警察局長や情報課長が統一教会の幹部のところに来て縁を結ぽうと言い出したのです。それで江原道や慶尚北道が今そのようになっています。私たち統一教会は下からだんだん上がっていくのです。

 国家的に見る時、理念的な基準においてカイン的なこの民族が、アベル的な私たちに従わなければならない段階に来ています。関係公務員がみな私たちの理念を公認できる段階に来ているのです。このような状況を見れば、時は今正に熟しているのです。

 これまで韓国では、統一教会が迫害を受ける位置で動いてきましたが、大衆が歓迎し得るいくつかの条件を立ててきたがゆえに、今は歓迎され得る環境になりました。これを私たちが如実に感じています。けれども統一信徒は、共産党と戦わなければならないので、今後もっと苦労しなければなりません。


国内外の勝共団体結成計画

 私たちは世界、国家を代表し、共産国家と戦うことにおいて、犠牲の群れになることを志願しなければなりません。先生は反共という言葉が好きではありません。反共だけしてどうするのですか。しかし反共せずには勝共が出てこないので、反共したのちにもっと準備し、勝共をしなければなりません。今は私たちが共産党に対して攻勢をかけなければならない時です。先生は今後、そのための挙国的な団体を組織しようと計画し、八〇パーセントくらい進捗していたのですが、それがこの世の反対を受け、今まで延期してきているのです。

 困難ではありますが、私たちは何としてもこの段階を越えなければなりません。そうして韓国を動かし、さらに進んで日本と中共を含んだアジア全体を動かさなければなりません。アジアに反共連盟がありますね。これを中心として世界の自由を私たちに任せるようになるのです。そのような時が来るのです。

 今後は韓国と米国を中心として、ワシントンに世界的な反共団体をつくろうと思います。それで反共に関する他のあらゆる団体を全部吸収し、新しい思想と理念で武装させ、反共指導要員を養成しようと思っています。これが先生の計画です。

 これまで私たちが過去に活動したことをすべて清算し、この七年路程が終わったら実際に対共産主義問題を中心として団体活動をしなければなりません。そのような時となったので、先生はそのような団体構成に関する計画を立てています。その計画を実行するためには、外的な分野にキリスト教が必要です。今私たちには、既成教会のような信徒の数をどのように確保するかということが問題です。また、今私たちは、緊迫な国家問題や、社会問題に対する対策を講究しなくてはなりません。

 それゆえ、今後多くの人を伝道するためには、女性がたくさん必要です。今、地区長夫人たちは皆子供を二、三人生んで暮らしていますが、子供は全部夫に任せるようにして、伝道のために全国のどこかに派遣するかもしれません。また他の、ある非常対策を講じるかもしれません。


世界宣教の課題と準備

 既に、先生の関心の対象が韓国だけに限定された時代は過ぎ去りました。祈祷をしてもそうです。昔は韓国のために三分の二ぐらい祈祷し、世界のために三分の一祈祷したのですが、今では逆になりました。韓国のために三分の一ぐらい祈祷し、世界のために三分の二を祈祷しています。既に、世界のために準備すべき時が来たのです。それゆえ世界的な試練と迫害の十字架を負おうと努力しています。

 そして、最近の国際情勢とか共産党の動きに対して、相当な関心をもっています。そのような世界的な問題を解決するために、私たちは霊的に戦い、霊的に責任を負っていかなければなりません。神様のみ旨に責任をもった者が行くべき正式な方向は、ある絶対的な基準を中心とした方向でなければならないのです。

 摂理的に見る時、韓国を中心として動いていた恩賜が、もちろん韓国でもその実が結ばれるかもしれませんが、それより日本でもっと早く結ばれる可能性が大きいのです。そうすれば、これをどのようにしなければならないのでしょうか。早く交流させなければなりません。それで、先生は今、十二名以上の幹部を連れて日本に行こうと思っています。これはお互いに交流し、同じ恩賜の圏内で、活動できるようにしようということです。

 今後七年路程が終われば、神様はまた私を追いやってどこに送るのでしょうか。多分米国のような所に送るはずです。これまで韓国を中心として戦ってきたのですが、今後はそこで戦えとおっしゃることでしょう。そして統一教会の先生に従っている最も近い弟子たちはどこに送るのでしょうか。世界各国に送るはずです。皆さんは世界各国に神様の伝統と思想をもって行き、それをそのまま蒔くことができる人とならなければなりません。

 その時先生は、日本の食口や米国の食口たちを一度試験してみようと思います。彼らは七年路程の恵沢圏内に入っていないので、彼らをどのように恵沢圏内に入らせるかということが問題です。個人問答をして彼らの心情を分析し、特権を与えるための準備を先生はしています。

 先生は、先生から直接教えを受けた韓国の男性や女性たちが、世界各国に散らばり、世界のために涙を流しながらみ旨を広げていくことを願っています。韓国人たちを宣教師として世界へ送り出すことができれば、先生はうれしいのです。
















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