真の御父母様の生涯路程 4
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真の御父母様の聖婚と第一次七年路程

第八節 一九六七年 勝利的主管者となろう(五)

一 一九六七年出発と摂理的意義

年頭標語:勝利的主管者となろう(五)
      (一九六七・一・一、前本部教会)


 復帰摂理を中心として見る時、この期間を峠であると言うならば、一番高い峠であり、谷間と言うならば一番深い谷間です。先生が流した血と汗と涙がこの谷間にたまっています。この峠や谷間をそのままにしておいてはいけません。平地としなければならないのです。平地とするには、山を削って谷間を埋めるのでなく、この峠をすべて取り出さなくてはなりません。

 原則的にこの七年路程はたった一度だけです。復帰摂理歴史においては二度とあり得ないものです。ゆえに、一片丹心、最後の峠を越え、勝利的主管者とならなければなりません。そうでなければ、天国に入ることができません。

 七年路程の最初の年の標語は「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」であったし、二年目は「父の代身者となろう」であり、三年目は「見せてあげて誇り得る者となろう」でした。それから四年目から七年路程が終わるまでは「勝利的主管者となろう」という標語で一貫するようになったのです。

 私たちが行く道には、越えるべき峠がたくさんあります。その峠を越えようとすれば、まず個人的な峠を越え、勝利し、主管者とならなければなりません。それゆえ先生は「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」と言ったのです。

 自分自身を防御するのに怠ることなく、攻撃するのに機転がきかなければなりません。勝利者となる前に私が死んでしまったとしたならどうなるだろうかを考えてみなさい。皆さんは、勝利をもたらすまで、一片丹心で戦うようお願いします。先生はけさも「お父様、また行かなくてはなりません」と祈祷しました。恨を抱いた男の行く道がどうして平坦であることを願うでしょうか!

 み旨のために行く路程で皆さんが味わう苦労は、皆さん自身をして能動的な生活をさせるための天の贈り物なのです。これを嫌がる人は勝利的主管者になれません。寝ても覚めても、どこに行こうが、私の心は天と一致しなければなりません。復帰の峠で私自身が置かれている位置を再度見極め、この一年、残りの道を力強く走っていきましょう。


七年路程の収拾と総進軍の年

 私たちは決して良い環境の中で出発したのではありません。しかしそのような中でも一片丹心で苦闘を続け、今や私たちは、民族的な基準に匹敵する時を迎えるようになりました。今は七年路程の六年の峠を越え、残り一年の峠を目前に控えているときです。

 特に今回の七年路程では、六千年間積もり積もった神様の歴史的な悲しみを、私たちの一身で横的に蕩減しなければなりません。それゆえ先生は、公席に立ちさえすれば苦労しなさいという話を何度もしてきたのです。先生の生活もまた、六千年の蕩減条件をかけて、無慈悲に打って追い立ててきたものでした。

 皆さんが韓民族の前に七年路程を経て苦労した結果、ついにこの民族が統一教会のみ旨に従わなければならないようになりました。ちょうどヤコブが二十一年路程を終え、エサウの前にすべてを捧げる時に、エサウがヤコブを歓迎したのと同じ型の路程です。

 理念的な世界から統一教会を締め出そうとしても、何ものも絶対不可能です。今私たちの立場では、み旨を中心としてどのように世界の問題を合理化させるかということが問題であるので、ここに私がぶつかって押し出すか、押し出されるかということが、今後一年間の戦いの路程での課題です。

 今年は内外において収拾しなければなりません。長成期完成級を復帰し、完成期に向かって進むのがこの七年路程です。完成期を過ぎたのちには迫害を受けてはいけません。今年は総進軍する年です。安息期間ですが、民族的な罪が残っており、民族のための祭祀を捧げなければならないため、献祭を捧げるこの仕事に全力を尽くさなければなりません。

 アダムが長成期完成級で堕落したので、その国と義を復帰するために私たちは進まなければなりません。神様が外的な創造後に内的創造をなさったように、今は外的なものは復帰し得る立場を備えたので、今後は内的なものを復帰していかなければなりません。それゆえ、この一年を総動員の年と定めなければなりません。


二 一九六七年四大活動目標設定(一九六七・一・一発表)

(一)心情の内的基台造成

 今年の標語の四大活動目標の中の一つである内的基台造成のためには、アベルの立場を復帰しなければなりません。したがって、より一層与える人とならなければなりません。これをもって信仰的な人格が成されていくのです。

 したがって、アベルの立場にある私たちは、食口を愛し、怨讐まで愛することができなければなりません。観念的でなく実証的に愛し、方事に自信をもって進んでこそ、サタンの讒訴を受けない立場に立つようになるのです。

 個人を経て、家庭、氏族、民族、国家、世界を成す、すべての復帰摂理歴史の成就には、この公式が適用されます。一つの拡大は全体になります。結局、全人類は一つの兄弟姉妹なのです。したがって食口に対する時、誰でもお兄さん、お姉さんとして接しなければなりません。そして、出ていって戦う時は、父母の資格で戦わなければなりません。すなわち戦う相手が怨讐だとしても、窮極的な意味では自分の子供と同じなのです。それで私たちの標語は、「父母の心情をもって僕の体となり、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流そう」なのです。そうしてこそ完全に復帰されます。このような人をつくることが、神様の最高の教育指針です。

 過去に関係当局が私たちをどれほど苦しめましたか。しかし今は、私たちが積んだ実績と功績を直接目撃することにより、私たちを理解するようになり、とても近い仲になりました。皆さん、どうかアベルの使命を果たしてください! そして初めて教会に入ってきた時感じた喜びをそのまま大切にもち続け、生命の源泉とし、生命の火をつけなければなりません。


(二)教会員の四段階倍加運動を完遂

 四段階倍加運動、これは今年掲げた私たちの四大目標の中の一つです。

 今日の韓国人は善悪を分別できない状態ですが、心が動き、入会願書に判を押して教会員となれば、その条件で彼らは天の側に立つようになります。蕩減復帰であるため、多くの人が復帰されるのではありません。ですから、教会員が量的にたくさん増えないといって心配しないでください。

 私たちは伝道をなぜするのでしょうか。繁殖するためです。繁殖は縦的な関係からは成されません。横的な立場に立ち、一つとなり、お互いに授け受けして初めて成されるのです。したがって皆さんは教会長を中心として、教会員たちと横的な立場で一つとならなければなりません。そうして初めてすべての面で発展するのです。

 重点的に伝道すべき対象は、実権を握っている権力層の人々です。先生はこの問題をどのように解決すべきかに対して、心配してきました。今はいかなる教会がどんなに反対したとしても、彼らの意のままにならないはずです。これからは継続して復興会を開き、彼らが統一教会を誤解していたと悟らせるようにしなければなりません。そうして今の社会に天的な因縁の環境を広めるのです。この活動を促進しようとすれば、相手をして関心をもつようにさせなければなりません。


(三)経済的な基盤完成

 また私たちの活動には、必然的に経済問題が伴います。ところで皆さんは、そのようなことには関心がないようです。

 先生がこれまで企業を通して経済的な復帰を強調してきたのは、それが皆さんにとって生命の基盤となり、神様の足場となり、神様の心情を鼓舞する助けとなるようにするためでした。しかし、逆に心情を売る一つの材料として利用するようになってしまっていることを考えると、非常に残念です。あれこれの問題を考えた時、心情的な内的基台の造成を再度強調せざるを得ないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。

 皆さんが経済的な復帰に出ていくと、既成信徒が「統一教会の若者たちは商売をしている」と言いますが、それを気にとめてはなりません。私たちが経済的な復帰するところにおいて、絢爛豪華な位置ですることを先生は願いません。歓迎される位置ですることはなお一層願いません。「来るな」と言っても行かなければなりません。


(四)体系的組織活動強化

 皆さんは韓国に責任を負い、私は世界に向かっていくべき責任があるのです。それで今年も外国へ行かなければならない立場です。行かざるを得ない立場に置かれているのです。さて、そうなると、皆さんが国内に責任をもたなければならないでしょう。四段階倍加運動も皆さんが責任をもってこそでき、経済基台の造成も皆さんが責任をもたなければなりません。体系的組織化を中心として、しなければなりません。

 今後本部で管轄できる最低の基準とは、どこまででしょうか。区域までです。区域まで本部で管轄しなければなりません。協会長を中心として見る時、地区と地域と区域まで、それから協会長を中心として、先生と神様まで七段階です。そのようにして上がっていくのです。協会長を中心として見るならば、七段階の形態を経ていかなければなりません。

 教会の体系的組織化というのは、国家を代身できる社会団体として組織することを意味します。み旨を早く立てるためには、第一に、国家権力層を理念的に説得しなければならず、第二に、宗教界の数多くの難題を解決し、早く彼らを統一された方向に導かなければなりません。第三に、思想的に共産主義という世界的な思潮を克服しなければなりません。民主主義とキリスト教文化圏をもって、共産主義を克服しなければならないのですが、そこには必然的に体系的な理論の確立が要請されます。このような三つのことが私たちの解くべき宿題です。

 当局が私たちの反共活動に、勝共という名詞を認めたことは、ヤコブがヤボク川で天使と戦って勝利することにより、イスラエルとなったのと似た事例です。このような点から見て、み旨を成就させることができる勝利の立て札が既に立てられたと見るのです。

 今や、縦的な勝利の基準はできたので、これを基盤に横的にも勝利すべき組織が必要です。既成教会だけをもってしてはできません。世界を統一の理念で復帰しなければなりません。このためにはやむを得ず哲学的、すなわち学問的で思想的な土台を中心としてしなければなりません。このような一連の作業を具体的によく見てみると、思想を中心として学界と関連を結び展開しているのが反共運動であり、教会を中心に展開しているのが対外伝道活動であり、学生を中心に展開しているのが校内の原理研究会運動です。


三 経済基盤完成のため事業経営

空気銃生産(一九五八、仁川の朱安工場から出発)

 朱安に工場を造らせました。その時は工場に何もなかったのです。助手が一人いて、それからあの挟む道具が何ですか。バイス(万力)でしょう。そのバイスが一つあって、それ以外には刃物数個と、のこぎり、かんな、それしかないのです。それは今のお金にすれば、大体一万五千ウォンあれば買えるものでしょう。それが銃工場の起源です。

 それでおよそ七年間は常に投資しました。お金がかかりました。約三年前に初めて市場を相手に販売する基準にまで至りました。この期間はどのような期間だったでしょうか。私たちがこれを製作するにおいて、どのような分野にミスが生じたか研究する期間でした。専門分野において、故障するところを完全に把握しないまま大量生産し、それが失敗した場合、莫大な損害を被ってしまうのです。そのような専門分野に該当する部署を、私たちが完全に把握するまで約七年かかりました。こうして、約七年過ぎて一昨年から、大量生産しても間違いないという自信をもってやり始めているのです。

 このように十年の歴史を経て、銃を造り始めたのです。この期間、食口たちもみな、「何で銃を造るの。銃を造って鳥を殺そうとするなんて。何でそんなことするの」と言ったのです。みんなでこそこそと議論を交わしたのです。集まってはひそひそ話をたくさんしたのです。

 今となっては、これが企業化され、韓国においては、特許製品に成功した会社として一番もしくは二番に選ばれるようになったのです。そのように発展させてきたのです。

 現在皆さんは外で銃を売っていますが、この銃というものは本当に気の利いた物です。時代の気風にふさわしい物なのです。韓国は反共国家だからです。北韓では共産党を中心として軍事訓練をして下りてくる時局にあります。このような実情の中、韓国にいる為政者たちは、共産世界の脅威を、将来再び北韓が南侵するかもしれない脅威を感じる瞬間に置かれているというのです。このような時期であることを考えた時、今後政府を背景にすれば、これを無制限に発展させることができるというのです。そのような背景を私たちがもっているのです。現在そのような立場にあります。

 それでそのような内外の与件を中心として、今後反共講義をして訓練し、先生がしっかりと構想して、ある一時を望みながら今歩んでいるのです。


水澤里工場の経営

 先生はあらゆることにアベル的な責任を全うしてきました。これが先生の生活哲学です。さらに大きな公的なものの前に立つ時は、謙遜にならなければなりません。思想的な面で先生は霊界でも戦い、地上でも戦いました。

 商業面で見ても、精誠を尽くしたところがたくさんなければなりません。彼らの精誠に報い、工場の基盤を整える時までは努力しなければなりません。まだまだ努力すべき部分が残っているので、天の前にお金がもうかるようにしてくださいという祈祷はしません。

 これまで私たちは、涙と血と汗を流しながら神様の心情を学びましたが、これからは、経済的な基盤を築いていかなければなりません。世界を復帰するためには、世界的な経済基盤が必要だというのです。

 それで先生が工場を経営しようとしているのです。それはどうしてそうするのでしょうか。精誠を尽くそうというのです。お金を稼ぐことも重要ですが、お金をもうけること以上の精誠を尽くそうというのです。天と地が公認し、億千万金をあげても換えられない、そのような基準まで精誠を尽くそうというのです。天宙の財産をすべて集めても余り得る精誠を尽くしなさいというのです。


工作機械製作

 これからは工作機械を造らなければなりません。その準備は、既に二年前からしてきています。人が十年を費やすその時間と努力と誠意の量を、わずかの期間の中に注いでするのです。そうしようとすれば、夜寝ないで、寝ても覚めても、どこに行ってもいつもそのことだけを考えるのです。

 そのようにしてその部門を任せたのです。そうして、それに対して自信がついたのです。銃を開いてみれば大したものではないのです。そうするうちに数ヵ月が過ぎると、それに自信がつくのです。約一年もすると隅々までとても詳しくなったというのです。それで三年の基準を中心に準備し、ある基準に、軌道に乗せようとしていたのが、一年八ヵ月で軌道に乗ったのです。

 そうして、そこで責任者たちが、工場長、生産部長から班長たちまでが「やあ、もう先生が作れとおっしゃるもの、何でも作れる」という自信をもつようになったのです。そうして機械を造るのです。何の機械を造るのですか。鉄を削る旋盤を造るのです。旋盤は工作機とも言います。それを造るのです。

 それで全数量を私たちが造り出すためには、三年はかかります。三年以内に、純粋に旋盤だけ二千台、付属機械まで約二千台は造らなければなりません。そうすると一年に七百台を造らなくてはならないのです。それをどうやって造るのでしょうか。七百台造ろうとすれば、一日に何台ずつ生産しなければなりませんか。一日に二台ずつは造っていかなければならないのです。

 私たちは早朝六時に起きて、夜十二時まで仕事をするのです。食事時間は三十分だけです。六時半には既に作業を開始し、十一時まで仕事をするのです。その中に朝食時間三十分、昼食時間三十分、夕食時間三十分だけです。それ以外は機械についていなさいというのです。そう、十八時間仕事をするのです。

 今後私たちは世界のどの工場にも負けない工程をつくらなければなりません。競争する時は、次の三つが重要です。計画管理、組織、技術人力です。これさえきちんと確保すればよいのです。それが完全に一致すれば、一つの製品にかかる時間は短縮することができるのです。


地域経済基盤の助成と農桃園

 今後、先頭に立って私たちの発展にきちんと責任を負える人と、そうでない人とに分け、後方の経済体制を備えていかなければなりません。それで計画したことが、今後、各地区と地域単位で工場を新設しようということです。今、我が国では第二次経済開発五ヵ年計画を推進しています。私たちもそこに歩調を合わせ、私たちの対内的な基盤のために、八つの地区を中心とし、百五十箇所の地域に分工場を造ろうというのが先生の計画です。

 今後は私たちが面単位の区域を中心として、農業ができる基本単位の農地を準備しなければなりません。それで今盛んに建てている農桃園を発足させようというのです。この農桃園では、将来み旨の前に入ってきた青年たちを全員連れてきて、農業指導をしなければなりません。少なくとも農地を四千坪ないし五千坪は準備して、農業を教えるのです。

 そして精米所も造らなければなりません。農村の人たちをいきなり工場に連れていっても、機械がどのように回るのかよく分からないのです。それでうちの食口が来て、精米所を運営するのです。農閑期に遊んでいる若者たちを全部集め、村中の稲や大きな農場の稲を全部集めてきて、それをついて売るのです。そうすれば二重農業になるのです。ここで素質のある青年たちに精米所の発動機を動かすようにさせるのです。

 また、科学的な農業の方法を指導しながら、現地の実務担当者として、実際に見習いもさせなければなりません。そうしてともかく韓国の農村に科学的な農業を実現しなければなりません。それをこれから着手していくのです。


韓日間の経済交流

 日本にあるうちの会社と、ここにあるうちの会社は、もう一つの所属です。そうすれば、韓国で会社を新設する時、日本の注文を受けて私たちが物を買ってあげれば、人が来る必要がないのです。幸世物産といううちの会社があります。

 また、日本は、先生が話せば三時間以内に北海道から九州まで伝達され、五時間以内にうちの食口がその会社に行って交渉できる組織をもっているのです。それがどんなに素晴らしいことでしょうか。どこへでも行けるというのです。

 それゆえ韓国で今後必要なすべての機械を入れるには、自ら交渉するよりも組織を利用するほうが、何より利益になるということをみな知っているのです。また、これは韓国ですることですが、日本に行って交渉する時は、日本の食口が日本人に対して交渉するので、信用度が一〇〇パーセントだというのです。絶対に踏み倒すことはないのです。


四 超教派運動の活性化

摂理の時と超教派運動

 み旨から見た時、イスラエル国家とユダヤ教がイエス様に対することができるのと同じ基準、すなわちイエス様の時代と同じ環境が既に私たちの前に造成されたのです。このような時に置かれているので、私たちは超教派運動を展開せざるを得ないのです。このような信念をもって、ここで私たちは両面作戦をせざるを得ないのです。ゆえに私たちは、民族復帰のために忠誠を尽くしたように、超教派運動にも忠誠を尽くさなければなりません。

 兄のカインに会える時が来たのです。既成教会と会うことができる時になってくるので、七年路程において超教派運動をしなければならないのです。

 私たち統一教会はこれまでアベル的な基準に立ち、エサウに排斥されたヤコブや、十一人の兄弟に排斥されたヨセフと同じ立場で歩んできました。ところが、今の時がどうなっているかというと、排斥を受けていた基準から私たちがだんだんと上がってきているのです。ヤコブ路程で見れば、還故郷した時、自分が離れる前の故郷を再び復帰できる時代に戻ってきているのです。

 その時はどのようになるのでしょうか。ヨセフも、自分のお兄さんたちが訪ねてきた時、彼らは怨讐の立場であったのですが、飢えてかわいそうな立場にあるので食べさせてあげなければならなかったのです。

 そして、その兄弟たちはヨセフによって、貧しく困難な環境から全部解放されなければならないのです。そうするためには、エジプトのものを、すなわちヨセフの管轄圏内のものをもっていってあげなくてはならないのです。同様に、ヤコブがもっているものも、全部あげなければならないのです。

 このようにヤコブとヨセフは、財物をあげて何を取り戻そうとしたのかといえば、ヨセフは、愛する天の相続を父から受けようとしたのであり、ヤコブは父から祝福を受けようとしたのです。それが目的です。これをお兄さんたちが喜べる立場で受けられれば、この世の物質は問題ではありません。お兄さんさえ復帰してくれば、サタン世界の物質はすべて入ってくるのです。


神霊役事の結束


 一方、このみ旨を成すためには神霊に通じる人も必要です。山中にいる多くの神霊に通じる人たちを統合する運動を展開しなければなりません。誰もが聖霊の役事を必要としています。一度恩恵を受けると、それ以降心霊がさらに渇いてくるのです。彼らが食口にならなくても関係ありません。中間的な位置にいる人もいなくてはならないからです。

 私たちは外的には対外活動を中心として、内的には恩恵を受けた人々が結束し、み旨の成就を促進させなければなりません。このようにして韓国の教会を救うのろしの役割をなさなければなりません。これまでは神霊的な体験をした人たちが、教会で完全に無視されてきました。しかし絶対にそうであってはなりません。

 先生も一人ではできません。間違えば大変なことになります。世界的な状況と霊界のプログラムに合わせて決定していくのです。霊能者たちを受け入れ、カインかアベルかを分析しなければなりません。

 すると実際、アベルになる内的な基準とは何でしょうか。それは神様を愛し、神様のみ旨を愛することです。そしてそのことのために祭物となるのです。天の前に祭物となり、アベルの立場が決定されたのちに、その位置からカインに命令すればいいのです。それで、言うことを聞かなければ打たなければなりません。それで砕け散るならば、その人の福をすべて皆さんが引き継ぐことができるのです。

 み旨を愛することにおいて、その人より自分が上に立てるようにしなさい。そうしてアベルとしてみ旨の前に祭物となれば、カインとしてはどうすることもできず、皆さんを通してのみ、み旨の道を歩むことができるようになるのです。

 一九六五年より、既成教会で再び恩恵の役事が始まりました。それまでは統一教会に反対していたので恩恵を失っていました。今は統一教会の二十一年の期間ができ上がったので、既成教会も再逢春(注:不遇な立場に置かれていたのが再び幸福を取り戻すこと)を迎える立場に置かれるようになるのです。なぜならアベルの祭壇が決定されれば、カインの祭壇も設けなければならないからです。


集中的な超教派運動の三年期間(一九六六〜一九六八)

 先日の一周年記念行事(一九六七年十一月七日、ソウル・ウォーカーヒル、基督教超教派運動本部創立一周年記念行事)の時、教会から約五百名余りが集まり、大行事を催しました。それで、既成教会の人たちは大変驚きました。いくら見ても背後に統一教会がいるのが分かるので、どんな方法を使ってでも阻もうとしたのですが、自分たちの作戦計画が食い違ってしまったのです。それで今は育ててあげなけれぱならないというのです。今は、このような姿勢を取るようになったのです。彼らは統一教会をどんなに恐れているか知れません。

 今は皆さんが自信をもって既成教会を訪ねていけば、既成教会の信徒が震えるようになっています。それで今、宗教界で大変な問題になっているのです。それで今年もこれを大々的に発展させようと思います。昨年は、既成教会の上部層にいるあらゆる人と接し、その人たちが垣根となることができるよう、背水の陣を敷くのに力を注ぎました。

 それでこの前も、儒城温泉で、キリスト教の幹部クラスの人たち十四名を含めて合計二十名が集まり、三日間の座談会を行いました。そのように他宗教との交流など、これまでキリスト教団体のいかなる大きな教派もできなかったことを一年の間に無難に断行したのです。

 これまで教派の教役者たちは、一つに集おうとしても集うことができませんでした。ところが、約二十の教派がひとところに集まって腹を割って話すようになれば、昔は、怨讐視していた党の会長あるいは老会長や総会長たちが集まり、膝をつき合わせて過ごしてみれば、悪くないというのです。そうして、そのような元老牧師たちが超教派総会に出てきて、「これまで教会を駄目にしたのは自分たちだった」と言うのです。教派争いがみ旨だと思ってしてきたが、今振り返れば、結局は神様に対して大きな罪を犯したと言うのです。

 こうして、公式の席上で謝罪して動くようになったので、今超教派活動が大変活発に進行するようになりました。キリスト教の新聞社も最初は正面から私たちを非難してやっつけようとしたのです。ところで最近では、福音新聞社のような所からも私たちの所に来て謝るのです。もう打たないから許してくれと言うのです。クリスチャン新聞やキリスト教連合新聞など、反対した輩たちがみな、もう打つことはしないで、育成すべきだというのです。そういう必要性を感じているのです。

 このようにして物質的に後援する条件のもとで、神様の祝福を相続する権限を認めてさえくれれば、自分の故郷を離れたイエス様に怨讐視されたすべての条件を越えることができ、神様が長子に祝福すべき嗣業を、ヤコブが次子として相続できる問題が解決されていくのです。

 このような時に置かれているので、この期間、私たちは何をしてでも、統一教会の信徒たちが苦労してでも、この超教派運動をしなければならないのです。今は、英大な資金を投資してその人々を収拾する作戦を行うべき歴史的な時代なのです。それで昨年からこの仕事を始め、これに三年を見積もっているのです。昨年から来年十一月までですから、いくらも残っていません。

 それゆえ皆さんも、地方で超教派運動に対する基台を築き、これを対既成教会信徒作戦における材料にして、伝道をしなければなりません。


五 真の御父母様の家庭と教会幹部の日本巡回

 真の御父母様は六月十二日、孝進様、仁進様、興進様の三人の御子女様のほか、崔元福、劉孝元、金元弼、金榮輝、柳光烈、黄煥ァ、李起錫、崔容碩、李耀翰、文成均など、十三名を同伴され、日本を訪問し、二ヵ月間滞在されながら、日本語版「原理講論』出版、修練を通じた原理武装、心情復活の具現、天のみ旨の民族的分立傾向止揚等、多大な成果を収め、八月十日、中心食□約三百名の出迎えを受けられながら、金浦空港に帰国された。

巡回出発前の特別集会(一九六七・五・一一〜六・九、前本部教会)

 今は、七年が過ぎました。八年は再出発する年です。最初の基準を越えなければより向上することはできません。今は外国も直接主管すべき時です。先生自身が神様から責任追及を受けなければならないでしょうが、心情的には同情を受けるしかない立場にあります。

 国に責任を負えない人が世界の責任を負うことはできないし、世界に責任を負えない人が天宙の責任を負うことはできないのです。先生が世界巡回して帰ってきたら、全国的な指導者の交代をしなくてはなりません。

 先生は一九四六年五月二十八日、韓国を発ち、六月六日、平壌に入りました。今年は先生が公的路程を出発してから二十一年になる年です。

 この集会をもったのは、皆さんが先生を初めて見た時の喜びを想起させるためであり、また、新しいことを立てて韓国を発ってこそ、韓国が復興することを知っているためです。

 昔、この道を歩む途中で落ちて死亡の道を進んでいる子供たちを顧みて、彼らの恨みを解こうと思うのです。いくら死刑囚だとしても、最後の死の瞬間には彼の言うことを聞いてあげるでしょう。先生が外国に行こうとしているこの時に、落ちて離れた昔の食口を再び思うのは、今年が第一次七年路程が終わる弛緩期だからです。

 先生が帰ってくる時まで精誠を尽くしてみ旨をなし、団結し、祈祷する七十名を選んで彼らに責任を任せて出発するつもりです。土曜日の夜には教会で徹夜をしなければなりません。毎日聖地に通い、聖地祈祷をしながら一人以上伝道しなければなりません。伝道ができなければ、前に来ていた食口でも連れてくるようにしなければなりません。

 先生が皆さんにお願いしたいことは、み旨に従って行く道において、私のために祈祷するよりも、世界に散らばっている日本、米国、ドイツなどの外国の食口たちのために祈祷し、精誠を尽くしてほしいということです。全世界の人類のために祈祷し、精誠を尽くす皆さんにならなければなりません。

 皆さんは六月から九月までの四ヵ月間に、毎月三名ずつ、十二名を伝道しなければなりません。統一教会に反対する人は主に皆さんの親戚や友達ですから、彼らのために祈祷して精誠を尽くし、伝道しなければなりません。精誠を尽くしてどれだけ天が協助するかを見なさいというのです。地上で自分の親戚や知人を伝道しなければ、あの世に行って彼らの讒訴を免れることができないのです。

 先生は皆さんに対する時、昔の統一教会の食口という気分で対したくはないのです。どのようにすれば新たな気分で皆さんに対することができるかを考えているのです。それで今回の集会の期間において、どのようにすれば、皆さんと、神様が下さった新しい使命と目的を中心として、新しい心情と新しい道義の法度を討議しながら、互いが一つになって歩める新たな心情を誘発させられるだろうかということが、今回先生が考えたことの中で最も重要なことです。

 それでこの期間で、皆さんが統一教会の草創期の時から入教し、神様を信じて侍って生活してきた全般的な内容を全部発表させるつもりです。そうすれば皆さんは、信仰告白とか証を通して、これまで聞けなかった様々な前後の事情を聞くようになることでしょう。


出発前の聖地巡回

 先生はこの期間を特別の期間と思い、できれば聖地も一定の期間内で巡らなければならないと考えています。それしか考えていません。先生は工場にも何度も立ち寄りますが、そのような時にも心の中では、私たちが行くべき道のために先生が何をなすべきか考えているのです。

 しかも外国の食口たちは、我が国に対し、非常に大きな期待をかけているのです。彼らがみ旨を知ったのちには、最高の基準で韓国と先生を思うというのです。ですから皆さんは、彼ら以上に精誠を尽くさなくてはなりません。

 それゆえに先生は、そのように精誠を尽くす人に対しては、いい加減に接しないのです。それでこの期間においては、時間の合間に聖地を回ろうと思うのです。

 その次には何をするのですか。過去に神様が先生に対してきたあらゆることを振り返ってみながら反省するつもりです。私がある事情に置かれている時、神様が私を呼んで協助してくださったその恩賜を彼らにも分け与えてあげようというのです。きょうここに集まっている数多くの食口たちの育ってきた過程は、千態万状です。出発の時から、将来天国の門に連結する時まで、すべての人が異なった道を行くのです。

 そのような人たちを心情で連結させるため、先生はこれまで蕩減復帰の道を歩んできたのです。そのように神様が協助してくださった心情の因縁を彼らに連結させ、彼らを神様の前に奉献すべき責任があるがため、先生は、この期間、聖地を巡回しているのです。今回特別に集会をもつのも、やはりその趣旨からです。


巡回の意義

 先生は、第一次世界巡回の時には土と石を持って巡回しましたが、今回は心情をもって出発しようと思います。寝ている人を起こして恵みを与えようとすること、また、怒っている人をなだめて恵みを与えようとすることは、神様の一番大きな悲しみです。一九六五年に世界一周をした時は喜びがありませんでした。数多くの天的な子女たちが連結されていなかったからです。これからは、先生は、韓国を離れ、外国に出ようと思います。そして外国の人々を生かすために、統一教会の人たちの鼻にひもを通して引っ張っていくつもりです。そうして万民が生きるならば、先生は死んでもいいです。

 先生が一周回ってくれば、これまであったすべての前後の事情を全部忘れてしまうつもりです。新たに再出発する心をもちたいのです。これから先生が世界を巡回して戻ってくれば、七年の峠を完全に終結し、越えていかなければなりません。それゆえ皆さんはみ旨の道のために、精誠を尽くさなければなりません。

 神様が韓国の民を信じて訪ねてきたので、皆さんは、信じて訪ねてきたそのみ旨を世界に連結させてあげられる一つの連結体にならなければなりません。どの民族よりも韓国人が世界にたくさん出ていき、天の旗を立てるべき責任をもっているのです。どの民族よりも多くの涙を流してこそ、韓国に下さった福をそのまま維持することができ、また、他の民族にまで福を分け与えることができるのです。

 七年路程が終わればすぐに、十ヵ国に宣教師を派遣しなければなりません。一人でも父母に対して孝行の道理を果たす心情基準の高い人がいるならば、その人を通して、その国の人々は神様と連結されるのです。


世界巡回のために日本巡回
(一九六七・六・一二〜八・一〇、真の御父母様、御子女様三名、教会幹部十名)


 「先生の言うことを聞かなければ日本に行かない」と言ったところ、一年の間で相当に発展しました。今は行かざるを得ません。それで行くべき日が六月十二日、正にあすです。あすは必ず金浦空港に出掛けていかなければなりません。

 先生が先回日本に行って感じたことは、信仰の本国に対する日本の食口たちの心を単一化させなければならないということでした。これまでは、宣教師を中心に動いてきたため、一定した一つの方向へ進むことができなかったようです。今回、本部の幹部たちを日本に連れて行ったのは、各地方に彼らを派遣し、日本の食口たちと心情的紐帯を結ぶためでした。

 それで日本に到着し、二週間の間、修練会を開催し、それから地方を十三日間巡回しました。そうしたあとで、日本の大部分の重要な工場に行ってみました。

 なぜなら今後、私たちには、宗教的な問題に対する信仰運動も重要なのですが、なおかつ、韓国の国家発展という遠大なる目標を念頭に置いて、計画を立てなければならないからです。それで現在の日本産業界の実状がどうなのかを見ようと、十以上の工場を訪問したのです。そしてそこで感じたことは、韓国もこれからは挙国的に団結しなければならないということでした。

 うちの今の文成均は天才的な素質をもっています。この人は運転手をしていた人ですが、設計もよくできるし、できないものがありません。どんな複雑な機械でも、回っているのを一度見るだけで、その機械について全部分かるというのです。それで今回、日本に行き、日本の十大に(十本の指に)入る重要で大きな工場をざっと回りながらかなり多くのことを見てきました。

 それをすべてカタログにつくってきたのですが、私たちの工場でもそれらをみなつくれるという結論を下しました。ですから、急いでそのような体制を整えた工場をつくろうというのが先生の計画です。

 日本の食口たちも今回、原理に対する方向性と、本部との心情的な紐帯を完全に備えるようになりました。原理に対するこれまでの態度を反省し、新たな覚悟で、今は、韓国食口たちと同じ発展の軌道に突入しようと努力しています。

 日本の神川という所に私たちの工場があります。そして日本の全域にわたって青年たちが、何をしているかといえば廃品回収をしています。彼らはそのような大変な生活をする中でも、本部を慕い、本部と関係のある便りを聞くのを願っています。

 今回は日本の食口たちの祝福問題も考えて行ったのですが、彼らは祝福を夢にも考えていませんでした。彼らは、「二年ないし三年してからしてください」と言うのです。それで先生は非常に満足しました。自分たち個人の問題よりも日本のために本当に生きることができずして、本当に活動できずしては、神様の前に立てないというのです。それは正しい言葉です。

 今回、一緒に行った柳光烈が、北海道に行き、号泣して帰ってきました。彼は自分には涙などあり得ないと考えていた人なのですが、「どうして彼らと別れて戻らなければならないのか」と思ったら、我知らず二筋の涙が止めどなく流れてきて痛哭したというのです。

 結局、本部から行った食口として話せる内容が何かといえば、先生と関係を結んで苦労したということだけで、それ以外には何もありませんでした。彼らの前に出せる韓国食口の財産はそれだけでした。ほかのものはありませんでした。


日本の情勢と巡回時の措置事項

 東京に行ってみれば、都内に日本共産党という看板が真っ赤な字で書かれて、堂々と貼り出されているのを見かけます。また、彼らは白昼堂々と、東京の駅前や渋谷の駅前で、自信をもって共産党の宣伝をしています。

 日本の国会でも共産党員たちは、社会党と手を結び、対自民党闘争を展開しています。自民党が発議したことにはすべて反対するなど、国会でも共同作戦を展開しています。実際その内容を見れば反対するほどの条件はないのです。それにもかかわらず彼らがそのようにするのは、日本の労働者、農民を扇動し、彼らを一つの道具にして利用し、地下基盤を強固にしようとするところにその目的があるからです。共産主義者たちがそのようなことに血眼になっているということを感じるのです。

 現在、日本の正式共産党員は十三万ないし十七万人と推算されています。しかしこれらの人たちを中心に、団体活動できる数は、実に二百八十万ないし三百五十万人に達しているのです。このような勢力が現在、日本全域に分散し、休むことなく活動しており、その中でも最も悪賢く悪質的な群れが朝総連(注:在日朝鮮人総連合会の略称)に属する人です。彼らが共産党の行動部隊として、先鋒に立って活躍しているのです。これが現在の日本の実情です。

 現実がこうであるので、私たちとしては、韓国だけを中心に反共体制を構築していては、アジアに散在している共産陣営と対峙できません。これに対抗するため、どのようにすれば日本を、この反共隊列に参与させることができるかということが、これまで先生が考えてきた問題でした。

 それで先生は、今回何とかして道を切り開かなければならないと考え、日本に到着するや否や、大使館と民団(在日大韓民国居留民団)を訪ね、本国(韓国)で活動した反共講演の実績を提示して、日本でも僑胞(在日韓国人)を中心に反共講演をしなければならないと強力に要求したのです。そうしたところ、大使館側は、国家の代表という立場から高姿勢に出てくるし、民団側は、六十万優雅を代表した立場に立っているため、団長以下幹部たちは、韓国のいかなる長官もうらやましくないというふうな高姿勢で出てくるのでした。

 けれども、天はそこに崔昌林地区長を送りました。まず、日本全国四十七県にある婦人会の代議員約四百五十名が集まった席で、崔地区長が講演することになりました。そして、今後、僑胞たちに思想統一のための反共講演をしなけれぱならないということを何度も副団長に強調したのです。二十分間講演するのに、何と十二回の柏手喝采を受けたのです。このようにして、聴衆はその講演にとても魅了され「小柄な人が何とまあ、あんなにも話上手な人は初めて見た」と言いながら、皆、口を閉じることができませんでした。

 現在、日本で右翼勢力の支持者は百五十万人程度ですが、これは左翼の半分にもならない数です。それなのに右翼は内部で分裂し、互いに分かれようとしているのです。それにもかかわらず、これを懸念する人がいません。

 私たちは何としてでも、民団を私たちの側に引き込まなければなりません。民団を私たちの味方にして、その民団を通して、反共講義をしなければなりません。

 日本でそのような基盤を準備し、この国ができないことを推進して、韓国とアジアを生かそうというのです。それでまず、早急に、日本の四十七県に原理で武装した人々を来年三月までに千人以上派遣しなさいと指示しました。また一方で、大学出身者の中から二百三十名を選抜し、やはり来年三月までに原理で武装させ、全員が講義できるようにしなさいと指示してきました。

 また、毎月修練会を実施し、合格した人を韓国本部に報告して、僑胞(在日韓国人)と相対的作戦をなせる基盤を早くつくり、日本に大々的な革新を起こしなさいと指示しました。


各言論の反応

 今回日本では、千人余りの学生たちが、夏期開拓伝道に出ました。日本では今、統一教会の文先生ゆえに騒ぎが起こっています。五大新聞をはじめとして多くの雑誌が、統一教会のことで騒ぎ立てているのです。記者たちが毎日のように取材しようと大騒ぎしています。

 優秀な学生たちが学校をやめ、路傍で野宿までしながら、「日本を救わなければならない」と言っているので、これが異色的な問題として取り上げられ、各新聞ごとに大きな話題になっているのです。

 日本では「全国大学連合原理研究会」という名称を掲げて活動しています。どうして、そこの学生という学生がみな家を飛び出したり、学校を辞めたりするようなことが起きるのか、そうかと思えば、彼らはくず屋をしたり、その次には開拓伝道とか何とか言って、乞食のように軒下や野原で寝たりして、なぜ、ありとあらゆることをしてまでも日本を生かすと大騒ぎしているのか。そのように、世間では大きく取りざたされているのです。

 また、男女の学生が合宿生活をしているにもかかわらず、男女関係が厳格だという事実が公認されています。もちろん一方では、私たちに反対する人々もいます。しかし、もう一方では私たちを応援する人たちもいるのです。

 四十数日間は、各言論機関が統一教会を訪ねてきて幹部たちに会おうと、とても騒がしかったのです。しかし時間が経過すれば「真」は残るようになり勝利するという原理を知っているので、できるだけ会わないようにと言いました。

 きょうも、先生が韓国に行くことを聞きつけ、取材しようと、記者たちが空港に来て列をなして立っていました。日本に駐在しているAP、UPI等の外国通信社の特派員たちも、互いに取材しようと大騒ぎしていました。ここ韓国でも、きょうも通信社の記者たちが訪ねてきています。そのような状況なのです。

 一方、米国最大の放送局の一つであるCBSの本社でも、日本駐在の特派員に、「統一教会の文先生が本国へ帰る時の実況と、また教会の内情に関したことをカラーで撮って米国に送ってくれ」と、指示したとのことです。

 それで、先生は約四十日の間で、日本の歴史上で前例のない偉人になったのです。結局、一九六七年度の日本言論界での話題の中心になりました。約二百八十個余りの言論機関が動員されたのです。


日本巡回帰国歓迎集会(一九六七・八・一〇、前本部教会)

 先生は韓国を発つ時、皆さんの中から百二十名を選び、四十三組の三位基台を造成し、この人たちに、聖地巡回祈祷と特別活動をしなさいという指示を下しました。一致団結して動けば、ここから新しい歴史が起こるという確信をもってそのようにしたのです。

 皆さんはもう一度聖霊の火を受け、再出発しなくてはなりません。過去には、聖霊の役事をすると蕩減が多く、迫害がたくさんあったのです。しかし、今はそのような時が過ぎたので、きちんとやりさえすれば、良い結果をもたらすことができるのです。けれども、その中には厳しい試練の山があり、その山を越えるのは大変なことです。しかし、九月までは何としてでも越えなければなりません。

 これから先生は、先生としてなすべきことに対して、新しい決意をしなければなりません。ゆえに、今回皆さんは、全体的な角度からもう一度心情を復活させなければなりません。皆さんは新たに整えた姿で、新たに第二次として、統一教会に入ってきたという気持ちをもって、この民族を代表し、第二次七年路程に向けて出発しなければなりません。

 これからは、地区長が管轄していた人事発令も、先生が直接管掌します。そうして現在の統一教会を止揚し、新しい角度からもう一度出発させるのです。


野外生活期間
(一九六七・八・二三〜九・一五、京畿道八堂、九・一五〜一〇下旬、京畿道清平)


 一九六七年に先生が米国に行こうとした時、米国国務省が駐韓米国大使館にブレーキをかける訓令を送りました。「この人が米国に来れば、米国の主権を握り得る人なので、米国入国ビザは発給しないように」というのです。そのように米国が先生を恐れているのです。日本も同じです。先生が日本に入ろうとする時も、日本外務省が世界にある日本大使館に公文を送り、先生が日本に入れないようにしたのです。

 先生が今、八堂に来ているのは、ヤコブが二十一年期間を清算して財物をエサウに分けてあげたように、既成教会に分けてあげるためです。すなわち、ヤコブの祝福を完結するためです。ゆえにこの期間は、私たち食口は、すべてものを犠牲にして既成教会の人たちに与えなければならない期間です。

 それゆえ、既成教会で、神様に忠誠を尽くし困難な境遇にある殉教者の遺族を助けるべき使命が私たちにあるのです。超教派運動に多くの関心を払い、少なくとも来年の春までには三千万ウォンを支援できなければなりません。

 先生は世界巡回ができなかったので、九月末まではここ八堂にとどまる予定です。さあ、心情を中心として新しい運動を起こさなければなりません。「自分がどこに行くのか」ということは、先生においても問題です。


七年路程の最後の三ヵ月(一九六七・一〇・一〜一二・三一)

 先生はこの路程が経過すればするほど悲しい思いを禁じ得ません。先生も自分自身を再考しながら悲壮なる思いをもっているのです。イエス様が悲運に消えていくその場面を何千万回も考えたのです。

 この世がいくら迫害しても、またガソリンをまいて火をつけるようなことが起こったとしても、燃えることなく残る私となりましたか。皆さんが国家と世界に連結しているということを知らなければなりません。先生が日本に行く前に、百二十日を特別期間として定めた目的が正にここにあります。

 み旨を歩む中で離れていったある食口が会ってもらえないかと先生に尋ねてきました。それで、十月が過ぎてから時間をつくろうと言いました。そして、怨讐を愛しなさいという父の心情を思い、涙を流しました。

 これからは先生の直系子女のために祈祷する時が来ました。私が誤れば不孝の子供が出てくるのです。これまでお母様とは、心情の中心で一体を成すことが大きな使命でした。これが心情の第二次十字架路程でした。七年路程は父母から直接教育を受け、認定を受ける期間であるために重要なのです。今から残された問題は、先生の家庭に関することです。

 七年路程の残り三ヵ月間、総動員をしなければなりません。先生が日本から帰ってきたあと、どうして食口がだらけているのでしょうか。先生は十月十二日までは野外生活をします。先生は皆さんに、百二十日を定めて神様の前に祈祷しなさいと命令し、皆さんはそれを実行していますが、先生も先生なりに実践しなければならないのです。

 先生も、み旨を出発した時と、二十一年路程が終わろうとしている今日を比較しながら、反省し、清算しなければならない深刻なる場にあるのです。出発当時よりも心情的に切実でなくてはならず、出発当時よりももっと活動的でなければなりません。

 私は今も、考えれば歯ぎしりするほどに悔しいことがたくさんあります。先生とみ旨を共にすると誓った人が裏切ったこと、蕩減復帰路程が二十一年に延長されたことなどが正にそれです。この原因になった反対者たちをどう処理すべきか、今も考えている問題です。彼らの犯した罪は氏族的なものであって、国家的、世界的なものではありません。したがって、それは今後二十一年を越えることができません。私たちは彼らも復帰しなければなりません。

 祝福家庭は後孫があがめることのできる源泉にならなければなりません。後孫たちに、お父様の心情と、お父様を思慕した人だということを残してあげなければなりません。残された三ヵ月間は、過ぎし七年を反省しながら、神様が私を見て喜ばれるか、そうでないかを考えてみなければなりません。


六 全国勝共活動と学生運動

全国大学原理研究会会館開館式(一九六七・一一・一、ソウル鍾路区内資洞)

 全国大学原理研究会では、一九六七年十一月一日、鐘路区内資洞に、三階の集会場所を設け、「原研会館」と命名、約五十人の会員が集う中、真のお父様をお迎えして、会長孫大(日偏+牛)君の司会で、その開館式を挙行した。

 「原理研究会」の原産地は韓国です。ところが今日、日本の「全国大学連合原理研究会」がマスコミを通じて、世界的な評判になっています。最初のころは、一部の父兄による反対デモもあり困難が多かったのですが、今日では世界的な足場が築かれるようになりました。そうして今では日本の国会と警察までも、この原理運動を支援しています。どんなに問題になろうと、勝利は私たちにあります。それは勝利せざるを得ない理念をもっているからです。

 四十九の言論機関が「原理研究会」に関して報道しました。日本共産党の機関紙である「赤旗」は三大打倒目標の中に「原理研究会」を挙げており、中共の人民日報とソ連の共産党機関紙にも掲載されたという話を聞きました。ところで、この運動の原産地である韓国の原理研究会が、果たして世界的に、この原理運動の波を押し進めていける実力を備えているかと見る時、そうなっていないのです。では、どうすべきでしょうか。「宗家の子供がばかでも、いないよりはましだ」という言葉があります。

 かつて先生は南韓を復帰するための闘争(原理運動)をするのに、大学出身者三千名ないし七千名を必要としたのですが、それができませんでした。それで高校出身者を立ててきたのです。歴史的に見た時、大きなことをなした大部分の人物は決して学者や博士ではなく、それらとは関係のない闘志ある人物でした。人が見れば無謀に見えることをした人たちが、歴史的な人物になりました。すなわち歴史は闘士たちがつくってきたのです。

 先生は、信念を貫き通すことにおいて、過去のいかなる聖人、賢哲も、現在から未来の誰にも譲歩することができず、また譲歩もしません。

 勝者になろうとすれば、第一に、思想がなければなりません。すなわち、強くなろうとすれば、自信感がなければなりません。神様も、最も孤独な立場、最も冒険すべき場にあっても自信にあふれる祈祷をする勇士を喜ばれます。自信のない人の勝利は偽りの勝利です。

 第二に、勇断を下さなければなりません。自分の精力を一二〇パーセント注がなければなりません。そのようにしても敗れたとすれば、それは敗れたのではありません。必ず同志が現れます。人が寝るときに寝て、食べるときに食べて、遊ぶときに遊んでいては敗れるのです。その次、第三番目には、闘争が必要なのです。思想を備え、勇断を下して闘争すれば必ず勝利が伴うようになっているのです。


全国的な勝共活動の基盤

 神様に代わり、民族のために歩んできた皆さんが反共講義をするのは、何人かの人のためではありません。復帰途上において、共産主義は必ず撃破すべきサタンの勢力であるためです。神様は勝利する民族を立てようと心を砕いていらっしゃるので、「民族全体が歓迎するその日が来るまでは、自分たちが歓迎されることはない」という気持ちをもたなければなりません。

 私たちが昨年一年間で反共講義をした対象人数は、百五十万人です。この百五十万人は無学な人たちではありません。大部分が各道の有力者たちです。この数字は、韓国民族を中心として見る時、何分の一になりますか。二十分の一になるのです。二十人中一人は講義を聞いたことになるのです。講義を聞いた人は大体二十代から四十代の人です。彼らは現在社会の中心メンバーです。そして数的に計算してみても、この社会に莫大な影響を及ぼせる基盤が造成されたというのです。

 哲学的な面で、民主と共産に分かれている二大思想を統一できるのは統一思想です。この統一思想が共産主義思想を凌駕できるということを自他が公認するようになれば、つまり私たちが世界のために生き、万民のために生きるという実質的な資料さえあれば、世界を主管できるのです。その資料を集める期間が七年路程なのです。このように七年路程を過ぎて見た時、そのような段階に来たということを知ることができるのです。

 これまで私たちは韓国で多くの受難を受けてきましたが、今や、すべての人が統一教会を恐れているのです。治安局の統計によると、韓国の学生活動の中で最も恐ろしく活動する団体が、原理研究会だということです。

 今は、私たちが活動する時、内的な活動でも外的な活動でも、サタンが肉迫できる道を越えて、攻勢一辺倒で追い込むことができる時代となったのです。七年路程を通じて、天と地の前に中心を定めたので、攻勢を仕掛けることができる基準が立てられたのです。これを見て、七年路程は所期の目的を達成したのです。


七 恩進様誕生と年末特別集会

四百三十家庭婚約者特別修練会(一九六七・一一・一〇から、前本部教会)

 祝福は真の父母の因縁を継承することです。ゆえに、父母は、サタン世界と戦った看板を掲げて祝福するのです。男性はお父様の代身に、女性はお母様の代身にならなければなりません。イエス様が新郎新婦の恨を残したのも、結局、祝福の摂理があるからでした。理想世界に行く同調者が、すなわち理想相対です。

 蕩減復帰は、アダム、イエス様、再臨主の三代にわたる摂理であるため、祝福を受けた人は、三代にわたる歴史的蕩減条件を立てなければなりません。そのため、三数に該当する三万ウォンが必要になります。これは万物復帰のためです。十二名を伝道しなさいというのは、イエス様の十二弟子が一つになれなかったことを蕩減復帰しなければならないためです。

 神様の催す宴会は、サタン世界のいかなる宴会よりも壮大でなければなりません。しかし個体としては、その基準に立てないので、歴史上なかった合同結婚式を挙げなければならないのです。

 今回、第一次七年路程後に挙げられる四百三十双の祝福は、韓国の歴史四千三百年を蕩減するためのものです。また、復帰路程において、イスラエル民族がエジプトの地からカナンヘ復帰するまで四百三十年かかったことを埋め合わせるものなのです。それで来年一月十五日まで、三次にわたって四百三十組を満たすつもりです。

 そうすれば、今後、どんなことが起こるかというと、「統一教会から嫁を迎え入れれば、その家は万事がうまく運ぶ。見た目には、顔もかぼちゃみたいだし、背も低くて貧相だが、その人の忠誠だとか情熱だとか、倫理面を見れば、過去のいかなる人もこのような嫁をもらった人はいない」というようなことが起こるのです。そのような精誠を尽くす嫁をもらおうというのです。

 今回の七年路程の最後の峠を中心として、四百三十組を祝福してあげようというのです。それは六百六十以上の祝福の数を満たさなければならないからです。六数はサタン数であり、その位置は神様の前に怨讐の位置です。私たちはこの六数を越えなければなりません。それで既成家庭まで全部合わせて、七百六十家庭が七年期間内に祝福を受けるようになるのです。


恩進様誕生(一九六七・一二・二四〔陰暦一一・二三〕)

 うちの恩進がいますが、「恩進」という名前には、恩恵という意味があります。幼いときから日曜日の敬拝式に参加させないといって泣く子供は、子供たちの中でも、多分珍しいでしょう。一日中遊んでくたくたになって寝れば、お姉さんがそれを思いはかって敬拝式に参加させないことがあるのです。そうすると、もう、苦痛を受けるほどに抗議をするのです。そのようなことが何度もありました。皆さん、きょうここ、恩進の誕生日に来て、何をお祝いするのですか。そのようなことはすべて記憶に残るのです。その記憶をたどっていきながらお祝いする気持ちをもてば、お祝いの内容が深くなるのです。

 また、幼いときから、神様にとても関心をもっていました。幼児の一歳、二歳の時、静かに座って、天を見つめているのです。「何を考えているの」と聞くと、「私、神様を考えているの」と言うのです。そのようにしているのを私は、何度か見ました。ある時は、「変だなあ、何か後ろからついてくる」と言うのです。「不思議と何かがついてくる」と言うのです。「捕まえようとしても捕まらないし、振り返ればいないのだけど、間違いなくあとからついてくる」と言うのです。それで、そう言うたびに、私は、「善なる霊が保護するためについて来るんだ。天使だとか、善なる先祖だとか、立派な聖人たちがお前を保護するためについて来るんだ」と、言いました。そうすると、「聖人て何?」と聞いてくるので、「イエス様、お釈迦様のような人たち、孔子のような人たちだ」と答えるのです。(笑い)

 年月が過ぎて、五歳、六歳、七歳、十歳になって、「私、いま分かった! 誰がついてくるのか、いま分かった!」と言うのです。どうして分かったのかと聞くと、「見える」と言うのです。「いまは見える」と言うのです。「見て分かった」と言うのです。それで、「誰だったの?」と聞くと、「イエス様がついてくる」と言うのです。(笑われる)そうして、いつでも静かに祈祷するときは、必ず来て、立っているのが分かるし、見ることができて、そのような経験がどんどんと深まっていくのを感じることができるというのです。

 昔、子供の時、小さかった時のことです。「父母の日」の大会の時、世界中の責任者たちが集まって、マンハッタンで祝賀会をしていたのですが、先生の家庭の子供たちに歌を歌ってほしいというのです。それで、ちっちゃい子(恩進様)が出ていきました。その時いくつだったか、多分小学校一年か二年だったでしょう。歌を歌ったのですが、途中で詰まってしまったのです。詰まったのですが、自分の威信(メンツ)があるので、そのままでは終わることができないのです。それで、もう一度歌ったのですが、また詰まったのです。あー、それで、涙が出てくるのです。その涙を流しながら、三度歌って、四度歌って、また歌って、最後まで歌ってから降りてきたのを見たとき、「我が子よ、我が子ならそうあるべきだ」と思ったのです。そうして、一大歓迎を受けたのです。一大センセーションを巻き起こしたのです。(笑い)

 そしてまた、あの恩進の性格は、危険きわまりない性格です。ただもう自分の気が向くようになれば、父母が知らないうちに、何であろうと決断を下してしまうのです。指だろうが足だろうが切ることができる性格なのです。冒険心が多く、決断する心が強い性格をもっているのです。一度やると決めたら、誰がなんと言おうとやるのです。それで、前進しか知らないタンク(戦車)とあだ名をつけたのです。恩進よ、恩進も、もう嫁にやろうか? うちのお母様は、「もう、お嫁に出してあげたらよいでしょう」と言っているのです。私は「もうしばらく待ちなさい、もうちょっと(何をするか)見物しよう」と言うのです。私は、将来二世たちを教育するとき、二世たちがどうなるのかを測定する材料を収拾するため、しばらくそのままにしておこうと考えているのです。


入教三年以上の食□の集会(一九六七・一二・二四、前本部教会)

 先生がなぜ三年以上になった人だけ集まりなさいと言ったのでしょうか。皆さんが種のように、すなわち統一教会の種のように見えたからです。あらゆる風霜を経て、皮はしわくちゃになって腐ってしまったとしても、その中に隠れている種だけが良ければいいのです。そうなり得る種を蒔こうと思って、三年以上になった人は集まりなさいと言ったのです。皆さん自身は種になりましたか。種になったと思う人は手を挙げてみてください。私は間違いなく種だ、私をもっていって蒔けば間違いなく実を結ぶはずだと自信をもって言える人は手を挙げてみてください。皆さんは、この地球のどこにもっていって蒔かれても、再び芽生える種とならなければなりません。

 先生がこれまで七年間苦労したのは、正にこのような種をつくるためです。夏の時期に暴風雨が押し寄せ、秋の時期に冷たい風が吹き、冬の時期に吹雪が吹き付ける、そのような過程を経たとしても、それが問題ではありません。それをすべて越えたのちには、それ以上の生命力をもった種が芽生えなければならないのです。

 二十一年路程、あるいは七年路程が目的とするところは何でしょうか。それは統一教会の種をつくろうということです。皆さん自身が統一教会自体を植え付けることができる種とならなければなりません。


七十二、百二十四家庭の婦人会総会
  (一九六七・一二・二六 七十二家庭、一二・二七 百二十四家庭、大田教会)


 私が家庭基金を約三十万ウォン出しますから、七十二家庭一家庭につき千ウォンずつ出しなさい。私が三十万ウォン出しますから、七十二家庭で三十万ウォン準備しなさい。七十二家庭が協力して三十万ウォンをつくりなさい。そうして、三十万ウォン集めれば集めただけ、私があげますから。

 百二十家庭には家庭基金がありますか。(ありません)。無ければ、それは背骨がないのと同じです。

434〜435P 抜け



八 第一次七年路程の締めくくり

真の御父母様が歩まれた七年路程

 第一次七年路程は、先生を中心として、先生の家庭が行く道であったという事実を皆さんは知らなければなりません。この途上は、誰かの協助を受けて行く道ではありません。誰も協助してはいけない道なのです。この道は、人類の父母であるアダムが失敗することにより失ってしまったため、父母の立場で来られる方だけが責任を負って行くべき道なのです。皆さんはそれを知らなければなりません。

 第一次七年路程は天地全体を中心として、全体の使命を担った先生が行く道です。先生の二十一年路程の中の最後の路程です。イエス様がダビデー族、すなわちヨセフの家庭を中心として一体になって、イスラエル民族の反対を受けることなく勝利の一路を開拓し、イスラエルの国を蕩減復帰しなければならなかったのですが、そうすることができなかったので、統一教会がそれを蕩減復帰する仕事をしているのです。それで、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰をして、統一氏族を編成しようというのです。

 統一氏族を中心として、大韓民国の前に、民族復帰の使命を果たすために、第一次七年路程を設定し活動してきました。これにより、大韓民国では、統一教会の行く道を阻むことができなくなったのです。

 第一次七年路程の一年目の標語が「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」でしたが、これは、サタンに完全に勝利しなさいという意味です。第二年目の標語は「父の代身者となろう」でしたが、これは、神様の代身の立場で主体になりなさいという意味です。第三年目の標語は「見せてあげて誇り得る者となろう」でしたが、これは、四位基台を成しなさいという意味です。第四年目からは「勝利的主管者となろう」でしたが、これは、四位基台を完成して勝利的主管者とならなければならないためでした。

 皆さんには分からないでしょうが、これはすべて公式的なことなのです。皆さんは、そのような標語をもって歩み、生涯の最高の実績を残さなければなりません。第一次七年路程をすべて成し遂げたというのは、全体を中心として言う言葉です。皆さん個人の七年路程はいつ出発するのですか。それは皆さん各自でみな違います。

 それなら、過ぎし第一次七年路程の三年期間には何をしましたか。三十六家庭を祝福し、七十二家庭と百二十四家庭を祝福しました。それは何を意味するのでしょうか。三十六家庭と七十二家庭を祝福したのは、蕩減復帰の歴史路程で縦的な立場を中心として失った息子と娘を復帰したと同じことです。また、百二十四家庭は世界の国家を代表して復帰したのと同じです。それにより、内的に世界に向けて行くことができる基準が立てられました。

 先生自身も、一九六〇年に「父母の日」と「子女の日」を定め、一九六三年に「万物の日」を定める時までは、誕生日を祝いませんでした。今の統一食口はそれを知らないでしょう。(先生の)母親の誕生日とか、姉の誕生日など、祝うべき日があっても祝いませんでした。「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」が定められたとしても、「神の日」が定められて初めてそのような日を祝うことができると考えました。したがって「神の日」は、このような日を祝うことのできる起源の日となるのです。

 み旨から見れば、この期間は本来、聖婚式をした四月末までです。先生は年数で見れば、二十一年期間をすべて歩みきったというのです。実際は、皆さんには七年間の完成基準が残っています。三年間で自分の家庭基準を復帰しなければなりません。皆さんを中心として「父母の日」をつくってください。「子女の日」、「万物の日」、「神の日」はありますか。皆さんを中心とした「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を七年間でつくるのです。全体的、世界的にサタンの攻撃を受け、先生が七年間歩んだ道を皆さんは条件的に歩めばいいのです。昔のように迫害されて伝道するのでなく、歓迎を受けながら伝道するので、難しい道ではありません。


一九六七年最後の日

 皆さんも知っているように、きょうは、一九六七年最後の日であると同時に、最後の聖日です。その上この日は統一教会において、七年路程という非常に長くてうんざりするような期間を越える最後の日です。また、先生においては、み旨に従ってきてからの満二十一年を締めくくる最後の日でもあります。

 一九六七年のこの最後の日自体は、私たち統一教会が願った勝利の日として、喜びと賛美の日として迎えることができるよう待ち望んでいたことでしょう。また、私たち自身も、心を開いて神様をたたえ、勝利者の栄光なる姿をもって、この日を迎えることができることを待ち望んでいたはずです。この日はこのように重大な日です。

 苦労をする時、先生に代わって責任を負って苦労するようになれば、先生と同じ立場に立てるようになるのです。それゆえ皆さんが七年路程の初めの戦いに加担し、真なる者として神様の前に責任を全うし、涙を流し、血と汗を流したことがどんなに貴いことであるかを知らなければなりません。


2004.7.11















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