真の御父母様の生涯路程 5
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第二次七年路程

第三節 一九七〇年 勝利的統一戦線

一 一九七〇年の出発と摂理的意義(一九七〇・一・一、前本部教会)

年頭標語:勝利的統一戦線

 今、私たちは一九七〇年度を迎えました。今年は「勝利的統一戦線」という標語を立てて、一年間を走らなければなりません。第二次七年路程の前半期の三年は「全面的進撃」という標語を中心として進まなければならないことを、昨年もお話ししました。勝利をもたらすためには、全面的進撃という過程を経なければならないからです。

 今年、私たちはアジアだけでなく、世界を中心として表立った活動をしなければなりません。そのような責任を果たさなければならない時代になったため、「勝利的統一戦線」という標語を立てざるを得ませんでした。勝利するのは容易なことではありません。神様がこれまで復帰摂理を遂行してこられた一つの目的も、勝利するその日を迎えるためだったのです。

 キリスト教が反対し、この民族と国家が反対する立場でも、今日統一教会は宗教の基盤を築かなければなりません。ユダヤ教がユダヤの国の思想的な基盤を立てたように、統一教団も韓国の思想的な基盤を準備し、影響力を及ぼすことができる基準にまで引き上げなければならないのです。民族と氏族と家庭を宗教と連結して、確固たる基盤を築こうとしたイエス様の立場を、私たちが蕩減してきたのです。それをなすために、私たちは六〇年代の最後の瞬間まで戦ってきたのです。

 このような時代圏を準備するために、神様は歴史を通じてこれまで準備してこられたのです。外的世界に対しても、それに符合するように時代的思潮を操作してこられたのです。そうして私たちを導いてきた結果が、今現れている情勢なのです。それゆえ私たちが波紋さえ起こせば、その新しい歴史の波長がアジアを越えて世界的に広がっていくのです。そのようなことができる時が、正に七〇年代だということを皆さんは知らなければなりません。

 したがって私たちはこれまで、怨恨の時代、蕩減の時代、代価を払わなければならない悔しい時代を生きてきたのですが、この七〇年代からはそのようなことをすべて終息させ、新しい歴史時代に入っていかなければならないのです。これまで私たちがこの国、この民族のために戦ったことを栄光の結実として取り入れられる時が来たのです。

 勝利的統一戦線は、自分自身から成さなければなりません。そうしてこそ、その勝利した個人を中心として勝利した家庭が成されるのです。ここにあらゆる精誠を込めなければなりません。個人路程において精誠を尽くした倍の精誠を込めなくてはなりません。そのように精誠を込めた基準を中心として、統一氏族と統一教会をどのようにして影響力ある主体につくり上げるかということが問題です。

 これを、家庭を中心としてどのように決定づけるかということは、大きな問題であらざるを得ません。言い換えれば、個人がみ言を中心として統一戦線を確保し、家庭的な統一戦線を確保しなければならないということです。そうしようとすれば、その家庭がみ旨と一致し、神様を立証し得る基盤をつくらなければなりません。そうして宗教と共に国家を越え、世界的な運動に展開させなければならないのです。

 ゆえに今年からはアジア、さらに世界的な大会をたくさん開催するつもりです。いずれにせよ統一教会は今後、世界的な問題をたくさん提示することでしょう。その時、皆さんがそこに歩調を合わせていくためには、皆さん自身が世界的な基準で神様を完全に生活圏内に迎えなければなりません。すなわち、行く道の前後において、共に仕事をなす人をもって、生活舞台を天化させることに力を注がなければなりません。そうすれば、皆さんの行く道は絶対孤独ではないはずです。


二 韓日狩猟大会とアジア勝共大会

第二回韓日狩猟大会(一九七〇・一・一七、済州島)

 今回の済州島大会は、皆さんが知っているように狩猟大会です。先生は、なぜこのような大会にしきりに関心をもつのでしょうか。今後統一教会の青年たちは、北韓の共産党が攻め込んできた時には、銃を持って彼らに対して戦わなければなりません。

 以前のように押されていた時は過ぎ去りました。理論的な原則がしっかり合うようになっているのです。力で出てくれば、私たちも力で対決しなければならないのです。それで私は、ここに莫大な資金を投資したのです。彼らが力で出てくれば、私たちも力で対抗しなければなりません。

 私たちの目標は、共産党を撃破することです。私がこうしていることを金日成が知れば、腹が痛いことでしょう。自分が思いどおりにできる興南の監獄に入っていた文なにがしが、南に行ってこのようなことをするとは夢にも思わなかったことでしょう。私がそこに入っていく時、「お前たち、数年後を見ていろ。高級幹部のお前たち、今何をやっているかは私が全部知っている。今に見ていろ」と、そのように考えたのです。

 朴大統領が今回統一方案について話しましたが、はっきりした方案がありません。今後どのようにするつもりか、アジアの安保問題はどのようにするつもりか、自信をもっていないというのです。今後の私たちの怨讐は中共です。ですから、それと対決できる新しい体系をアジアからどのように準備していくかを考えなければなりません。

 今私たちは、日本を中心として韓国の歴史を担っています。今日本は、北海道から九州まで私たちの組織で連結されています。その日本全域の私たちの組織を活用して日本の高校生たちの卒業記念修学旅行を韓国に来てするようにさせるのです。

 日本の全高等学校の学生たちが韓国に修学旅行に来るようにしようというのです。

 彼らは高校生なので、勝共連合が背後から教育するのです。観光は「桂一観光」を通じてさせようと思います。「桂一観光」というのは、「世界で一番の観光会社」という意味であり、また「世界を統一するための観光会社」という意味です。そのような意味から世一観光会社をつくるつもりです。

 そうして日本のこの若い学生たちを連れてきて、どうするのでしょうか。今後彼らを新たに教育しなければなりません。日本は今、共産主義の魔の手に巻き込まれていく危機に置かれています。このような現状に置かれている日本を、どう救援するのでしょうか。高校生たちを連れてきて教育しようというのです。


第一回アジア勝共大会(一九七〇・一・二一、ソウル市民会館、五カ国、六千名参加)

 国際勝共連合の主催で、第一回アジア勝共大会が一九七〇年一月二十一日午後一時、ソウルの市民会館で開』催された。アジア五カ国の反共人士など六千余名が参加して大盛況を呈した中で、金額朝氏や、それに似た経歴をもつ金イクプン氏が初代講演者として講壇に立った。

 私たちはこれまで、教会活動だけでなく、反共運動において世界反共連盟を中心とした大会開催権を獲得できる道を開拓してきました。このような今日の現時点を考える時、これは偉大な奇跡を成したのです。このような一つの峠を越えることができる決定的な契機となるのは、今回私たちが開催しようとするアジア勝共大会です。それで、今回できれば政府機関と接触しようというのです。私たちは、アジアでのろしを揚げなければなりません。アジアにのろしを揚げれば、世界でも揚げられるのです。

 何ののろしを揚げなければならないのですか。神様を中心とした愛ののろしを揚げなげればなりません。それを私たち統一教会がしなければならないのです。そのような意味で、今回のアジア勝共大会は一九七〇年代の開門式だと言えるのです。

 皆さんは別名「金新朝事件」とも言われている、一九六八年一月二十一日の武装共産軍浸透事件を記憶しているでしょう。その事件は、韓国がのろしを揚げて新たに登場できる契機になったのです。その一日を迎える峠道で私たちが新しい歴史的な条件を提示してきたことには、大きな意義があるのです。

 今回、日本から七十名の食口たちが韓国に来る予定です。その人たちは、反共戦線で最初に怨讐たちと激突した人々です。白昼、棒で殴られて倒れながらも共産党とぶつかり、戦って勝利しました。それは彼らが、韓国の食口たちがどのように活動してきたかという話を聞き、「韓国の食口たちに負けないようにしよう」と言って、そのようになったのです。

 これまで一年九ヵ月の間、そのような歴史的な闘争によって新しい力を得、一・二一事件の満二周年を迎える今年、新しいのろしを揚げて世界に出ていこうと祖国を訪ねてくるのです。祖国の力に、その母体に接して、あすの戦線に進み得る材料を収拾しようと訪ねてくるのです。

 今回の大会には重要な意義があります。勝共連合の名前でアジアで開かれる大会に、世界反共連盟の幹部たちが来るので、アジアに相当な問題が起きるはずです。このような立場にまで引き上げるためには、皆さんが知らない中で、背後で内面的な闘争をしてきたという事実を皆さんは知らなければなりません。

 先生は一九七〇年を迎えながら、今がこの国と決着をつけることができる時だということを感じました。それゆえに、一九七〇年代を迎えながら大急ぎでアジア勝共大会を計画したのです。皆さんがどのように考えるか知りませんが、先生は悲壮な決意をもってそのことを計画したのです。本来これは、一九七〇年度の計画ではありませんでした。一時的計画としてこのことをしたのは、突発的事態を防備するための内的な事情があったからです。それで、そのように事を急いで断行したのです。


三 協会修練会および行事

第一回協会幹部修練会(一九七〇・二・一六〜二八、水澤里統一産業寄宿舎、七十八名)

 協会では、一九七〇年二月十六日から二十八日まで、水澤里統一産業株式会社の大講堂において、協会幹部の内七十八名が一次として入所する中、第一回協会幹部修練会を開催した。同修練会では原理講義(安昌成、崔容碩)、牧会学(李耀翰)、勝共講義(李相軒、黄仁泰)、音楽指導(黄元鎮)等があり、安東U(崇実大)、申相楚(慶煕大)、崔グァンソク(国防大学院)、徐南同(延世大)等の教授とオヂェド弁護士が招聘講師として招かれた。

 皆さんが今、み旨を中心として新たに七〇年代を迎え、この朝覚悟しなければならないこととは、「神様から密使の特命を受けている私の体だ」ということです。私たちは、七〇年代の初めの年にこのような幹部修練会を経るところにおいて、過去を再度反省し、新たに誓い、自身の精神を強固にしなくてはなりません。

 今回の修練会を通して考えるべきことは、大韓民国を中心としたこの民族が私たちを信任しているその基準に満足するのでなく、ここで、今なお成し遂げることができない神様の内的心情、事情が多いことを知り、これを発展させ、展開させなければならないというのです。このような密使の使命分野を今なお経ることができない私たち自身だということを忘れてはなりません。

 皆さんは、郡なら郡、道なら道の責任者として、自分が現在所属している範囲内で勝利的な統一戦線を確保するための計画を自分なりに立て、成就しなければならない時点に置かれています。

 今、私たちがこのような作戦をもって収穫すべきこととは何でしょうか。それは統一教会員の数的な増加です。皆さんがこのような内容を知り、数的な確保をするためには講義をたくさんしなければなりません。講義をするにも計画的な講義をしなければなりません。勝共講義を一度したなら、原理講義は必ず二度しなさい。これは公式です。ところがある人たちは、原理講義はしないで勝共講義だけしようとします。そのような人は正常的発展ができません。原理講義をして心情的な内容を備え、生活的に体恤したことを中心として勝共講義をするならば、成果を得ることでしょう。

 その次に、経済的なことが問題です。今先生が一番苦心していることが、この経済的な問題をどのように解決するかということです。

 その次には何ですか。私たちがそのような基盤を築き、国家に対して影響力を及ぼすことができる基盤をどのように築くかということが問題です。人的資源を確保し、経済的資源を確保したとしても、それでは国家に影響を及ぼすことができません。そこで、超教派活動をはじめとして、様々な間接的対外活動を展開し、これを連結させようと準備しているのです。三年以内でそのような基準を越えなければなりません。


第二回協会幹部修練会(一九七〇・三・九〜二一、水澤里統一産業寄宿舎、六十名)

 一九七〇年三月九日から二十一日まで、第二回協会幹部修練会が水澤里中央修練所において、幹部六十名が参加する中で開催された。真のお父様は毎日夜明け前に来られ、「再反省と再出発」を内容とした指導者の姿勢等、激励のみ言を下さった。

 今や皆さんは、先生の家庭を中心として内外に一つにならなければなりません。そうするところにおいて、自分が介在してはなりません。先生の家庭が目標とするところと方向を同じくして進んでいかなければなりません。司令官が最後の進撃命令を下すという時は、司令官が先頭に立って出ていってはならないのです。兵士たちが司令官の前に立って駆けていってこそ、その戦いは勝利するのです。ここで皆さんが知らなければならないことは、先生の家庭を中心として皆さんの家庭が金城鉄壁(注:防備が極めて堅固な城)のごとく団結しなければならないということです。

 私自身もやはり同じです。今こそ私が再び戦わなければならない時です。一度訪ねてくる一時、今から二十余年前に整えなければならなかった一時を失ってしまった怨恨を解くことができる時が、私たちの目前に迫ってきているのです。この時に、どのように青春時代以上の決意と信念をもっていくかということが問題です。夜が問題ではありません。疲れてだるいことが問題ではありません。行かなければなりません。

 一月にはアジア勝共大会をしました。二月には建築大会、すなわち建設大会(中央修練所新築工事)をしています。このようなことは、私たちにだけあり得ることです。ここで、私たちは歴史の基盤を備えなければなりません。私たちは、六ヵ月以上かけて建てる家を二十八日以内で建てようとしています。はっきり日にちを決めてから仕事をするのです。

 一九七〇年度は、私たち統一教会が第二次七年路程中の一つの峠を越える重要な時代です。また私たちは復帰摂理を担当した主役として、第二次七年路程を中心としたこの期間に国家復帰という大きな課題を目前に置いています。アジアを連結させ、世界に影響を及ぼし得る非常に重大な時期が、正に私たちの目の前にあるというのです。このような時点において、これまでの信仰姿勢、これまでの生活態度、これまでの伝道方法ではいけないというのです。ここに、革新的なその何かを提示しなければならないというのです。

 このような点から見る時、今回の修練会を通じてそれができる一つの契機が設けられたら、というのが今回の修練会を開催した動機だということを皆さんは知らなければなりません。ですから今、私たちは新しく出発しなければならないのです。


第三回協会幹部修練会(一九七〇・三・二四、水澤里統一産業寄宿舎)

 国家が私たちを歓迎し得る、この絶好のチャンスを逃してはなりません。この時は、神様が六千年間願っていた時であり、イエス様が自分一代において願っていた時であり、人類が願っていた希望のその時です。今や私たちは、影響を及ぼす存在にならなければなりません。一九七二年度まで腰の帯を締めて(注:心を引き締めて)いきましょう。皆さんは、天国の門が開かれていても先生を通じなければ入ることができません。先生の家庭と完全に一つにならなければ、民族復帰という途方もない使命を完全に果たすことはできません。そのためには、まず既成教会を包摂しなければなりません。皆さんは、これから既成教会の牧師たちを訪ねていかなければなりません。それで彼らが飢えていれば、米一かますを持って行き、「どれほど御苦労が多いことでしょう。私にはこれしかありませんが分けて食べましょう」と言わなければなりません。皆さんに米一斗があれば、半分以上を持って行ってあげなさい。そうすれば完全に仲が良くなるはずです。このように、皆さんが食べる物、着る物、所有している財産、そうしたものを彼らに与えることができなければなりません。

 そのようにして既成教会と統一教会が一つになれば、大韓民国を救うことは問題ありません。大韓民国が一つになれば、世界を救うことは問題ありません。その作戦をすれば間違いありません。それが、私たちが勝利を決定づけられる秘法であるということをはっきりと知らなければなりません。

 私たちは、四月から力強く総進軍しなければなりません。四月はいつも事件の多かった月です。私たちは四位基台の四数を踏み越えていかなければなりません。四月から六月まではいつも事件の月です。原理的な立場から見れば、同数から六数を経る過程では戦わなければなりません。私たちの立場で取る攻勢は、j善の攻勢です。奪うための攻勢ではなく、与えるための攻勢です。これは、笑いながら戦うのです。


祝福候補者特別修練会および婚約式(一九七〇・三〜一〇、六回開催)

(十月まで全六回開催)
 別名「婚約修練会」と呼ぱれている第一次婚約対象者特別修練会が、一九七〇年三月二十三日から三月三十一日まで、前本部教会で開催された。真のお父様自ら主宰される中、青年男女食□たち四百名が参集したこの修練会で、真のお父様は百七十二組の婚約を成立させてくださった。続く第二次特別修練会(四・二〇〜四・二六)で、七十九組、第三次(五・一一一〜五・二四)百四十四組、第四次(七・六〜七・一八)六十二組、第五次(九・一〜九・一四)百二十八組、第六次(九・二八〜三〇)二十八組等の婚約が成立した。


 先生の一生で、今、七百双という壮大な祝福の成婚式をしようというこの時、ここにいる皆さんの中にもその場に参加するようになる人がいることでしょう。その場に参加する人がいるとすれば、ただそのままの一人の男性、あるいは一人の女性という立場で参席しては駄目だというのです。その場は、これまで六千年間、地上で暮らしていった多くの男性、あるいは多くの女性を代表した場です。その場に皆さんが招待されたという認識をもたなければなりません。

 皆さんは、そのような事実を内情的な心情で体恤しなければなりません。神様の前にそのような男性、あるいはそのような女性がたくさんいるとしても、その数が問題になるのではありません。ここには確かにその男性だけ、その女性だけしかいないというのです。ただ二人のみがあるというのです。そのたった二人が新しい転換期を迎えて新しい出発をしようとするならば、神様が探し立てた再創造の実体の姿を具備して登場しなければならないというのです。

 ですから、自分のために祈祷する人は全部欲張りです。むしろ祈祷をしないで「あなたにすべてお任せします、出来損ないの私が迎える相対はいませんでしょうか。ただ父のみ意のままにしてください。そのまま一人で老いて死ねとおっしゃるなら、喜んで生きたのちに死にます」、そのように思いなさいというのです。

 これから六日の間で、この人たちに相手を選んであげなければなりませんが、それを先生がしなければならないというのです。この世の人々は、自分の息子、娘を結婚させるために何年もの間準備をするのですが、私は数百組を六日の間で結んであげなければならないというのです。


成和学生会第十回修了式(一九七〇・四・八、前本部教会、六〜一〇回、四十一名)

 一九七〇年四月八日、前本部教会講堂で全国成和学生会第十回修了式が挙行された・同修了式で真のお父様、は「峠を越えよう」という題目の特別訓示を通じ「悲壮な覚悟で七〇年代の峠を越えよう」と激励してくださった。この日の修了生は六回から十回までの四十一名であった。

 きょう、成和十回として修了証を受けるこの場において、私が、み旨の指向する目標に照らして見た時、どのような立場に置かれているかを考えてみなければなりません。み旨の指向する頂上を見つめつつ走ってはいるのですが、その道は千態万状です。

 出発したならば、神様が指向する目標に向かって直行しなければなりません。他の道を考えてはなりません。そうしなくては越えられない峠が多いということを皆さんは知らなければなりません。

 もし皆さんがみ旨の道を歩む途中で失敗した時、「再度準備して行こう」と考えるとすれば、それは間違った考え方です。最後の決戦場に乗り出した選手がある大会で落伍したとすれば、その大会が世界的な大会であればあるほど、それからは誰もその選手を推薦しないはずです。それゆえひとたび出発をしたとすれば、深刻にならざるを得ないのです。命を懸けなければならないのです。

 皆さんは、もちろんこれまでみ旨に従ってきましたが、今後進んで行くべき道は、より一層重要です。「成和学生」という言葉自体が私たちの教会の歴史を代表することができるはずです。皆さんの歩んでいるその姿が、後代において従ってくる数多くの人々の前に影響を及ぼすことでしょう。

 峠を越えるべき立場にあるにもかかわらず、越えられず責任を遂行できない時には、十倍あるいは千倍に加重された審判を受けるようになるのです。それで先生も、これまで成和出身であっても、落伍者、問題の人物たちは信じません。

 このような観点で歩むべき、各自の峠を越える皆さんとならなければなりません。これが教会のみ旨であり、復帰路程であるからには、これから皆さん各自は新しい決心をし、自分かどのような立場にあるのかを明示して再出発しなければならないことを記憶してくれるようお願いします。


全国成心会総会(一九七〇・八・二九〜三一、水澤里、七十五名)

 成和第十四回同期生で構成された成心会総会が、一九七〇年八月二十九日から三十一日まで、水澤里中央修練所で七十五入が参加した中で開催された。

 きょうここでの、この集まりを「成心会」だと言ったでしょう? 既に一九七〇年代に向けて移行していますが、一九六〇年代と一九七〇年代では時代が異なります。このような立場から、きょう、新たに発足する成心会の皆さんは、統一教会にいかなる新しいイメージを提示するのでしょうか。

 これまで摂理のみ旨を中心として教会が追求してきた伝統的な方向があるはずです。その方向と、今後皆さんが取っていく方向が異なるとしても、それは間接的な方向であって、目的から見る時は方向を同じくしなければなりません。皆さんは直線的に行かなければなりませんが、全世界的によりみ旨の分野を広めるためには、横的に立ち、様々な角度の方向を経ていくようにするのです。

 それゆえ大学に通っている人は、その大学を私たちの活動の延長舞台にしなければなりません。地方に行って活動する人も、大学で勉強しながら活動する人も同じ立場だということです。一つの目的に向かって発展し前進していくところにおいては、同じ立場だという観念をもっていかなければなりません。

 全体がこのような高次的な目的の帰一点に向かってことを進行させていくようになれば、そのことが変わらない限り、それなりにその分野を発展させるはずです。これが一九七〇年代に対する、統一教会が要求する立場であることを皆さんは知らなければなりません。それゆえ私たちの教会は、過去においては教会を主とした一方的な活動をしてきましたが、今は多様な活動を展開しているのです。

 それゆえに先生は、これまで伝統を立てなさいと強調してきたのです。その伝統は、教会だけの伝統ではありません。教会が立てたその伝統は社会全体の伝統にならなければならず、その社会の伝統は国家の伝統にならなければならず、その国家の伝統は世界の伝統にならなければなりません。それはどういうことかというと、その伝統は六千年間摂理してこられた神様の歴史的な伝統と一致しなければならないということです。その歴史的な伝統は時代を超越しているのです。


全国成和第十五回特別総会(一九七〇・一二・二〇〜二三、前本部教会)

 一九七〇年十二月二十日から二十三日までの四日間、前本部教会で全国成和学生会第十五回特別総会が「私たちは真の御父母様の決死隊」という主題のもとで開催された。真のお父様は「私たちの行くべき道」という激励のみ言を全国から集まった九十七名の会員たちに語ってくださった。総会最後の日には「成心会」を組織して閉会した。

 これまで統一教会が歩んでくるところにおいて、皆さんの家庭における個人的な十字架はなくなったかもしれません。しかし統一教会の先生が歩んでいる道の前には、いまだ十字架がなくなっていません。昔、皆さん個人に対して指導していた先生の立場と、今日の社会と国家と世界を中心として対している先生の立場では異なります。それでは、どちらがより深刻な時でしょうか。その時も深刻でしたが、今のこの時がもっと深刻なのです。

 それゆえ皆さんは、今迫ってきている時に対して深い関心をもたなければなりません。今の統一教会の食口たちは、草創期に迫害を受けた孤独な食口よりももっと悲壮な心情をもたなければならないというのです。一歩も譲れない絶対的な立場をもって戦っていかなければなりません。このような基準が残っていたので、統一教会は先生によって発展してきたのです。統一教会員によって発展してきたのではありません。

 日本にある共産党の年次計画第一条が勝共連合打倒だということです。朝総連自体内の全党大会をする時も、北韓の金日成のメッセージが何だったかというと、「アジアにおいて勝共連合を完全に撤廃させろ。そうしない限り平和はあり得ない」ということでした。勝共連合がそれくらい大きくなったということを皆さんは知っていましたか、知りませんでしたか。それくらい大きくなったのですが、皆さんは世界に押し進めていける自信がありますか、ありませんか。

 皆さんは自信をもたなければなりません。自信をもとうとすれば、まず確固たる信念がなくてはなりません。信念をもとうとすれば、理論的な体系が立っていなければなりません。思想がなければならないということです。強い思想の中には強い信念があるのであり、強い信念をもてば、強い自信をもつことができるのです。そうすることができる自信をもちなさいというのです。


四 水澤里統一の園と中央修練所開設

統一の園購入と精誠


 私は将来、ここに大学を建てようと思います。教育機関をつくるつもりです。将来、他の所に場所を定めたとしても、ここから木を移して植えるか、種をもらって植えるかしようと思っています。そのような意味から見る時、歴史を生かし、歴史を守ることのできる内的な事情を中心として、愛することのできる基盤が私たちの土地です。青坡洞を中心として長い歳月と環境を経ていくために、ここのこの土地も買ったのであり、清平にある土地も買うようになったのです。

 私は毎日のように統一の園に通いました。それは遊ぶのに通ったのではありません。長い月日にわたってこの忘憂里の峠を行ったり来たりしたのです。「先生の習癖がそうなのでそのようにするのだ」と言うかもしれませんが、私は天の前に約束したものがあるためにそうするのです。「お父様、これこれこのような基盤を築くためにお父様の前に誓いますゆえ、その日まで雨が降ろうが雪が降ろうが毎日通います」と誓ったのです。忠誠ならば、世界で忠誠を尽くしたどのような人にも負けはしません。精誠を込めるところにおいても誰にも負けないのです。皆さんも同じです。統一教会を中心として数多くの路程があるとしても、借金をしながらそのことをするのも、みなそのためです。


中央修練所開設と建物新築
(開設:一九七〇・二・一〇、京畿道南播州郡九里邑水澤里山五〇五番地)
(A棟竣工:一九七〇・四・一六、B棟竣工:一九七〇・一一・二三)


 一九七〇年三月九日、京畿道南揚州郡九里邑水澤里山五〇五番地に中央修練所の建設が着工された。それから一ヵ月余りたった四月十六日、A棟が竣工した。その竣工式が同修練所大講堂において、真のお父様を中心に多数の内外貴賓と六百余名の食□たちが参加する中で挙行された。敷地は六百余坪であり、建坪は、修練所が二百九十七坪、一度に二百四十人が食事できる食堂が百十九坪、合わせて四百十六坪である。

 一九七〇年代を中心として世界の運勢と世界情勢を見る時、すべてのものが一つの穴を通って、今、押し寄せてきています。これを調整しなければなりません。一九七〇年代を迎え、このことがやれるか、やれないかということが問題です。このことを一九七〇年代にしなけれぱならないというのです。それゆえに勝共大会など、様々なことをするのです。先生が大急ぎで水澤里に修練所を建てようとする理由もここにあるのです。願っていた時が来たのです。この時を逃してはなりません。

 私たちが修練所を建てるのは大韓民国のためです。大韓民国に与えるためです。与えるところにおいでは、私たちが使った使い古しを与えるのではありません。借金をしながら貴いものを与えるのです。み旨から見た時、七〇年代が内外にすべての蕩減的な内容を備えるところにおいて、重要な時点だという事実を皆さんは知らなければなりません。

 私たちに今、一番急がれていることは人的資源の問題です。ここでうまくやれば、人的資源の問題を解決できる無限なる道が聞かれます。それで先生がそのことに直接関与し、昼でも夜でも分かつことなく、疲れて倒れるくらいに働いてきました。

 水澤里修練所を二十八日間で造ったのです。約四十名を連れて私が監督して造りました。山を崩して埋めたのです。十二フィートにもなるところを私が監督して埋めました。他の人であれば六ヵ月かかるところを、「六ヵ月とは何だ。そんな時間はない」と言って、二十八日目にして造り上げたのです。

 今年の初めから修練に関する話がありました。京畿道警察局情報課長が私たちの内容をよく知っています。勝共活動というのは、統一教会の勝共連合のように思想的な土台が備わっていなければ駄目だということがよく分かっている人です。彼がいくつかの道を回りながら実地活動してみた結果、「統一教会の勝共連合でなければ駄目だ」という確信をもつようになったというのです。

 それで、うちの仁川の地区長に会って話を交わしたのです。それが契機となって、局長も私たちを手助けするようになったのです。「自分が道知事を動かすのは問題でない」と言うのです。道を挙げて事をなそうとすれば、それは地区長だけではできないので、私が連絡を受けるようになったのです。それで私が、「動員させる人員は何名くらいになるのか」と尋ねると、「約五千名くらいになる」と言うのです。それで、「何ヵ月間教育させるつもりか」と聞くと、「六ヵ月」と言うのです。長期間なのです。それで「間違いなくするつもりか」と三回も念を押したのです。

 それで、やむを得ず私たちが修練所を建てることにしたのです。間違いなく教育することを約束して、大急ぎで家を建てたのです。本来は二十数日間で修練所を落成しようとしたのですが、結局三十日目にして落成式をするようになりました。

 そうして四月十六日に、私たち統一教会と京畿道が、水澤里中央修練所(A棟)の竣工式を中心として相まみえる新しい時を迎えることができたのです。本来は十七日が復活節であるため、その日に竣工式をしようとしました。ところが、そのことを中心として祈祷する中で、十六日にしなければならないということを知り、大急ぎで十六日にしたのです。分かってみれば、神様はこのように一日を置いて外的内的に、すなわち国と教会とを出会うようにされたのです。そのようにされた次の日に復活節を迎えたのです。


修練会の成果と展望

 今、京畿道で地方の指導者を集めて修練会をしています。この修練会を十五回までする計画ですが、先週金曜日までで五回が終わりました。第一次として五回までの修練会を勝利的に終えて挙道的な影響を及ぼすようになりました。それで国家が関心をもって問題視し得る時に入ってきました。

 私たちの勝共修練会で修練を受けてから出てくる人々を見てください。どうしてそこまで変われるのかというのです。わずか四日間の教育を受けて、どうしてそこまで変わることができるかというのです。先日も、地方の有力者たち二百七十名を集めて教育をした時に、最初のうちは自分たち同士で争ったり、あらゆることが起こったりしたのですが、あとになったら、どうやって五日間の教育を受けてこんなにまで変わってしまったのかと、彼ら自身もそれを不思議に思って感嘆するのでした。明らかに理解できない何かがあるのです。いくら聞いてみても、彼らもなぜそうなのか分からないというのです。「見た目には何でもないようなのだが、奇妙だ」と言うのです。

 今回の修練期間では、思想問題を担当している警察署の情報係長が五名だったか、六名だったか修練を受けに入ってきました。「彼らからまず受けなければならない」という警察局長の特命があったということです。今後は、警察署長から全部受けるようにするつもりです。

 また、霊界でも協助してくれるようになっています。今時が、彼らの先祖たちが動員されなければならないようになっているのです。先生が精誠を捧げたところに対しては、霊界が先生の立場を後援しなければならないために、彼らの先祖たちが協助するのです。そのため、彼らが教育を受けて帰ると、またこの修練所に来たいと思うようになるというのです。今まで多くの人が通っていったのです。

 それで内務部や情報部では、自分たちの情報要員を秘密裏に投入して勉強させています。すなわち、国家観を担当している教授や、共産主義批判を担当している教授たちに教育を受けさせ、立体的に分析、報告させるようにしているのです。ところが、彼らが「今後はこのような教育を挙国的にしなければ駄目だ。これまでは共産主義に対する批判はできたが、それを克服できる代案が分からなかった。しかし、今や初めてそれを教わり、痛快さを感じている」と報告するようになったので、情報部のほうで問題になったのです。それで今、ソウルを中心として教育をするようになったのです。

 また、京畿道側では、「教育公務員をはじめとするすべての公務員に全員教育を受けるようにさせるから、情報部のほうはほっといて自分たちのほうを先にしてくれ」と所長に頼むのです。情報部側でも、「京畿道だけ勝共連合の教育に参加するようになればこの修練所が京畿道に奪われる」と、どうもそのように思ったようです。それで今になって、「自分のところの要員たちをもっと教育をするようにしてくれ」と交渉をしてきているのです。情報部の幹部たちが「修練所をもう一つ建てよう」と言うので、「それならば建てよう」という話もしました。


五 超教派運動の新しい局面

統一教会、韓国宗教協議会に加入(一九七〇・四・一五)

 世界基督教統一神霊協会は一九七〇年四月十五日、韓国宗教協議会に加入した。この日、理事会の決議により加入承認は受けたものの、まだその他の七大宗数団体の信徒間や、甚だしくは加入に同意した各宗数団体出身の理事たちの間に、我が協会に対する認識がほとんどされていない状態であった。それで各宗数団体を訪問y統一教会に対する認識を新たにさせるために各宗数団体の指導者を招請し、七月十五日、原理セミナーを開催した。

 宗教をどうやって糾合するかということが問題です。これは私たちの課題です。ここには皆さんが知らない苦衷があるのです。そこにお金が必要になれば、私が借金をしてでも基盤を築かなければなりません。そして私の子女を愛する前に彼らを愛で屈服させなければなりません。そうしなくては私の子女を愛することができません。そのため、愛する子供を後回しにして、怨讐のために与えなければなりません。私の子供よりも怨讐をもっと愛したという立場に立たなければなりません。

 皆さんが知っているように、私たちの教会は去る四月十五日を期して宗教協議会に加入しました。もちろん私たちは、宗教協議会をつくるのに多くの努力をしましたが、ここには七大宗教が加入しています。この過程で、最初、三つの宗派が分裂しました。それでも私たちは、反対するなら反対しろという方式でずっと引っ張ってきてみたところ、反対していた宗派全体が戻ってくるようになったのです。それで七大宗教と因縁を結ぶようになったのであり、私たち教会が八番目に入るようになったのです。これが今回の一九七〇年四月十五日午後四時から六時の間になされました。私たちはこの協議会をどんなことがあっても特徴づけ、際立たせ、この協議会を通して、対社会活動を展開させていかなければなりません。

 この宗教協議会を中心として新たに一致を成し、この民族の前に多くの精神的な基盤となってくださいますよう心からお願いします。願わくは、この宗教協議会を中心として超宗派的な活動を積極的に展開し、現韓国社会における新しい中心の役割をなす求心体となり、新しい福地化運動の先鋒に立って多くの貢献をしてくれるよう心より願うものです。


超教派運動と勝共運動

 私たち統一教会が、また先生がこれまで世界史的な、天宙史的な責任を担ってきながら苦心したこととは何かといえば、この民族と既成教会と私たちが一つになるその一日をどのように迎えるかということです。この民族と既成教会と私たちが一つにならなければならないのです。これまでの復帰摂理において神様が時代的使命を担った人々を送る時は、どのようにして既成宗教と国を収拾して一つになる基点を立てるのかということがいつも問題であったのです。

 それで一九七〇年に宗教協議会の三大目標を決める時に、救国を中心思想としたのです。それでは、その救国の方向とは何でしょうか。勝共思想で武装しようというのです。共産党に反対し、戦って勝とうというのです。そのようにすれば、私たちがこれまで宗教協議会を中心として築いてきた内的な基盤が、各宗教団体の宗牧人を中心として外的な基盤として築かれるのです。結局は、勝共連合の基盤を中心とした外的な国家基準と、宗教問題を中心とした内的な教会基準が互いに一致すれば、内外がぴたっと合うようになるのです。その次に人を修練させれば、人が増えるようになっているのです。

 それで先生は今、勝共連合の活動を中心として外的な活動をし、内的なものは宗教協議会を中心として救国ということを教えているのです。これは、国民的願いであり、民族的宿願である南北統一をしようということです。南北統一は宗教人たちが率先してしなければなりません。共産党をたたきつぶそうとすれば、勝共思想で武装しなければなりません。勝共思想とは何ですか。結局は統一思想です。ですから統一思想を学ばなければなりません。

 それで私たちはキリスト教を中心として超教派運動をするのであり、また、宗教を中心とした宗教協議会活動をしているのです。そして勝共思想を中心として超国家運動をしているのです。


第一回教役者招請原理公聴会
(一九七〇・一一・二六〜一一一・二八、クリスチャン・アカデミー・ハウス、二十六名)


 協会では一九七〇年十一月二十六日から二十八日まで三日間にわたり、ソウル城北区水論調にあるクリスチャン アカデミー・ハウスで、ソウル市内の既成教会で事務を執っている青年数役者を招請し、原理講義を実施した。これは、既成教会の教役者たちが我が教会の内容をほとんど知らないまま、風聞によって判断していることに対し、原理の内容を紹介しようというところに動機があったのであり、招請に応じて聴講した教役者の数は二十六名であった。そこに仏教界から東国大の徐景洙教授と円仏教の育英財団理事長である文東賢氏が特別招請され、講義を受けた。原理講義は李戴錫牧師が前編講義を、安固成教育部長が後編講義を各々担当した。

 私には数多くの怨讐がいますが、一九六九年度を越えながらすべて許してあげることを宣布しました。そのような話を聞いたことがあるでしょう? 言葉だけでなく、実際に怨讐を愛するのです。個人的なアベルの基準を越えるためには個人的なカインを愛さなければならないのです。その次に、家庭的なアベルの基準を越えるためには家庭的なカインを愛さなければなりません。そうしてこそ越えていくのです。そうして氏族が出発するのです。

 氏族的なアベルは氏族的なカインを愛さなければなりません。統一教会は新しいアベル的氏族です。既成教会はカイン的氏族です。それゆえ私たちは、教団的な立場において既成教会のために与えなければなりません。彼らを打っていくのではなく、連れていかなければならないのです。それで私は既成教会のために、ある金ない金全部はたいて、彼らを生かすためにこのようなことをしているのです。

 朴長老のような人も、私たちの怨讐の立場にある人です。しかし彼が西大門刑務所に入っていった時、私が多くの努力をして救い出してあげたのです。彼らはそのような事実を知らずにいます。しかしながら、そのようにしなければなりません。そのようにしなくては、アベルの位置に入っていくことできないのです。

 今回、二十六日からアカデミー・ハウスで開かれる原理公聴会に参加するよう、ソウルにある既成教会の有名な牧師たち二百余名に、統一教会協会長の名前で招請状を送りました。彼らは「統一教会」と聞いただけでもびっくりするはずなのに、統一教会協会長、金誰それの名前で送ったのでひっくり返るかもしれません。しかし、人は会ってみれば、あなたも私もみな同じなのです。

 今回、二十六日から二十八日までの二泊三日の間、アカデミー・ハウスで牧師二十六名が原理講義を聞きました。姜元龍牧師は「招請をしても一人も応じないだろう」と言いましたが、私たちの招請に「応じる」と言った人は約四十名ほどになりました。ところがこの期間中に秋収感謝節がはさまっていたので、人員が減少し、結局二十六名が参加したのです。

 これを見る時、私たちに対する既成教会の認識がそれだけ変わったということを知ることができます。うちの協会長の名前で招請したのにもかかわらず、多数の若い牧師たちが参加したのです。このような事実は、私たちに対する既成教会の関心が高まったという事実と、今後彼らが私たちを知るためにも原理を勉強しなければならない時期に置かれているということを説明してくれています。それで、このような活動を大々的に展開させ、その範囲を広めていくことを考えています。


六 六ヵ月特別精誠と夏季四十日伝道

六ヵ月特別精誠期間(一九七〇・五・一〜一〇・三一)

 真のお父様の特別指示により、全食□は一九七〇年五月一日から十月三十一日までの六ヵ月間を特別祈祷期間として定め、祈祷に力を注いだ。真のお父様は「祈祷団の基本組織形態は、婦人たち四名ずつの三つの班十二名を一組とし、ここに男性たちも相対的に同数の祈祷班を組織し、二十四名が一生懸命祈祷すれば大きな役事が起きるだろう」と語ってくださった。

 この一九七〇年度において、五月から十月までの六ヵ月間は特別精誠を込めなければなりません。特別祈祷をしなければならないのです。北韓が滅ぶようにするためのものではなく、北韓が天の前に屈服し得る道を模索するためのものです。そのためにはまず、既成教会のために祈祷しなければなりません。その次に、大韓民国のために祈祷しなければなりません。このように、既成教会と韓国と北韓を消化することができる主体的、能動的な権限を統一教会がもち、動かしていかなければならないのです。

 そうするためには包囲作戦を展開しなければなりません。三国を連結させなければならないのです。韓国を見れば南北が対立してするのですが、内的に見れば、統一教会が中心となって出てきている基準と、北韓が今、もって出てきているものとが、真正面からがちんと対決しているのです。ソ連、中共、北韓を置いて見る時、韓国は一人孤立しています。復帰はアダムー人ではできません。アダムからエバ、エバから天使長、そのように連結させて復帰しなければならないのです。

 韓国はアダム国家であり、日本はエバ国家であり、中国は天使長国家です。これを見れば、アジア人同士で復帰の形態を備えられるほうが西欧人を加担させるよりも、復帰においてはもっと早いのです。そのような観点で、カインを愛さなければならないのです。

 統一教会で真の父母と呼んでいるように、サタン世界である北韓でもまた、金日成のことを父と呼んでいます。相対的な関係になっているのです。サタン側は、ソ連が根拠となって中共を経て北韓に連結されているのであり、天側は、韓国を根拠として日本と自由中国(台湾)に連結されています。そのようにしてアジアの連結点をつくるようになれば共産主義は衰退するようになるはずです。

 それでは、このような動きを私たちが左右し収拾しようとすれば、どうすべきでしょうか。私たちが二つになってはいけません。一つにならなければなりません。そのために私たちは、五月から十月までの六ヵ月間を祈祷期間として定め、祈祷をしようというのです。この期間は七〇年代における重大な期間です。この期間の中でも、五月から七月までの三ヵ月間はまさしく峠を越えていく期間です。

 祭司長にとって、自分が精誠を込めたものを祭祀の日を通じていかに神様の前に連結させるかということが問題になります。今が私たちにとってそのような非常に重大な時点であることを知り、時を迎えることができる姿勢をもって、ここに一致し得る祭物とならなければなりません。民族とアジアを引っ張って越えていかなければならない重要な時点であることを知り、特別に精誠を注いで祈祷してくださるようお願いします。

 ですからこれから皆さんが地方に戻ったら、既成教会の牧師たちが自分の教会員を大切にするのを見て、「私たちのほうがもっと大切にする」と思えるくらいに既成教会員たちに関心を傾けるようにしなさい。統一教会員全体を動員して既成教会を擁護してあげ、彼らが復興会をする時には、行って伝道もしてあげなさいというのです。六ヵ月のこの特別期間の間は、既成教会を積極的に後援する教役者を理解して同情してあげなさいというのです。


夏季四十日伝道出発(一九七〇・七・二〇〜八・二八)

 きょうは七月十九日、またあすになれば私たちは四方に出発しなければなりません。赤ん坊のいる人は赤ん坊を背負ってでも行かなければなりません。今回は、みな深刻になって出発しなければなりません。習慣的に出発していた以前のようにではなく、国の危機を克服すべき責任を負ったがゆえに、統一家と統一の一族がこの国とこの民族の前にすべて捧げられたことを栄光と思い、この期間だけでも力の限り戦わなければなりません。

 六八年、六元年、七〇年の三年、すなわち、第二次七年路程の三年目を迎え、皆さんの家庭を再び前に押し出すのです。それはなぜそうなのかというと、皆さんの家庭が責任を果たせなかったからです。皆さんの家庭が先生の家庭と一つになれなかったのです。先生の家庭を中心として全体的に一つにならなければならないのに、それができなかったため、先生の家庭と一つとなるための条件を立てなければならないのです。

 それで今回、女性たちを全部送り出すのです。先生が皆さんの夫の代身です。ですから先生の命令を受けて出ていかなければならないのです。皆さんは母子協助の基盤をつかまなければなりません。その基盤をつかめない母性は死んでしまうでしょう。神様を中心として四位基台を成し、母子協助ができる基盤を立てておいたので、女性たちを動員したのです。皆さんの夫は天使長の復帰型であるため、動員の命令をしなかったのです。これが女性たちだけを動員するようになった理由です。

 では、第二次七年路程とは何でしょうか。皆さん自身の家庭がアベル家庭にならなければならない期間です。これを決定するための路程であるため、皆さんの家庭がアベル家庭として責任を果たすためには、カイン家庭を復帰しなければなりません。そうしてアベル家庭がカイン家庭を復帰すれば何になりますか。氏族になります。皆さんは氏族的メシヤにならなければなりません。

 それゆえこの期間は、皆さんの夫婦生活が問題ではありません。行くべき道をわきまえていかなくてはならず、天が立てた家庭を中心として一つになるための運動をしなければならないのです。家庭の家族が完全に団結しなければなりません。

 そしてその団結した家庭を中心として、昔皆さんが伝道した人々を訪ねていかなければなりません。どうして昔伝道した人たちを訪ねていかなければならないのでしょうか。それは、皆さんが信仰の息子、娘を復帰し、育てる途中でやめてしまったからです。その信仰の息子、娘を中心として、そのお母さんとお父さんが完全に一つになってその家庭が従ってくるようになれば、それがカイン家庭を再び取り戻すことができる条件になるのです。

 神様の心情は、遠い所に行った息子を待ち焦がれる父母の心情と同じです。待ち焦がれるその心情は、離れている距離が遠ければ遠いほど、道が険しければ険しいほど倍増するのです。夫を愛する妻の心や、妻を愛する夫の心、そして兄弟を恋しがる友愛は、距離が遠ければ遠いほど、往き来が途絶えれば途絶えるほど、より切実なのです。

 それゆえ統一教会は、片田舎の山合いのどこであろうと、旗を立て、新しいニュースとともに愛の贈り物を分け与えてあげなければなりません。それが統一教会の行く道です。すてきでしょう? 統一教会は、激しい波の押し寄せる荒漠なる海で暗礁にぶつからないようにしてあげる一つの灯台とならなければなりません。堕落した世界に新しい方向を提示する教会にならなければなりません。


七 國進様誕生と聖進様日本留学

國進様誕生(一九七〇・七・一七〔陰暦六・一四〕〇五:一一)

 國進様が、一九七〇年七月十七日午前五時十一分、ソウル特別市鍾路区楽園洞二八四の六、楽園アパート一三〇八号室でお生まれになった。名前は文國進、国家復帰の意味が込められている。

 うちの國進は四番目の息子ですが、この子は数学的な計算が早いです。國進の「國」という字は、国家という意味なので、「韓国統一のためにすべき責任がある」と言って、國進は「全日成が死ね」という祈祷をたくさんしました。(笑い)それで、私が「こら、こいつめ、全日成が死ねと祈るんじゃなくて、全日成が降参しろと祈らなくちゃ駄目だろう」と言うと、「あ、そうですか。死ねという祈祷はもうしません」と言っていました。(笑い)

 國進を見ると、この子と清平に行った時のことですが、モーターボートの運転台を足でやたらにけ飛ばすのです。一、二回やれば普通それでやめるのに、一時間くらいずっと座ってけ飛ばしているのです。だからといって何か起こるわけでもないし、動き出すわけでもないのに、一人そうやっているのです。「こら、もうやめなさい」と言うと、ぴょんぴょん跳ねながら「もっとやる」と駄々をこねるのです。それを見れば、女の子とは質が異なっているのです。女の子のすることを見れば、目だけぱちくりさせて母親のくしや、手鏡や、おしろい入れのようなものを触るのです。(笑い)何、男女平等とか言いますが仕方ないでしょう。

 ところで、うちのお母様は車に乗ってきながら「お父様は福の多い人です」と言うのです。そのように考えているのです。女性たちは誇りたがるのです。そうそう! 福も多いのです。なぜ福が多いのでしょうか。うちの國進は親孝行者なのです。先生の息子、娘たちはみなそうです。國進が父親をこの上なく大切にするのです。私が朝食を食べないでいると、学校に行く時間になってもふんばって座っているのです〇

 また、きょうも、式を執り行う時のことです。昔、男性たちは右側に行くようになっていました。きょうは場所が狭いというので、男女の区分なく左側からみな座らせておいたのですが、國進もそこに座っていたところ、式の終わる前に飛び出して右側に座るのです。それを見てお母様が「あの子を見て、あの子! 右側に座っていますよ」と言ったのです。けれどもそれが父の原理の教えであるのです。先生の息子、娘を黙って観察していると、お父様とお母様に対してこの上なく精誠を尽くすのです。それを見ているので、お母様が得意になるのではないですか。「私がいい息子、娘を生んであげておめでたいことですから、それを認めてくれなくてはならないでしょう」と、そういう話でしょう。もう! (笑い、拍手)


聖進様日本留学(一九七〇・九・五)

 聖進様が一九七〇年九月五日午後七時十五分、日本留学のため、金浦空港発の日本航空機便で渡日された。

 今回、聖進が日本に行く時も、「日本に行ったらほかのことはしてはいけない。これとこれをしなさい。お前は日本国民とは違うから、お前がよくやって父の威信を立てなければいけない」と言いました。日本に行った時、最も重要な第一の問題は、対教会問題であり、第二に、対国家問題であり、第三が先生の息子だという問題であり、第四が男女問題であるが、「これらの問題を中心として自分の栄光のために動いてはならない」と言いました。教育はそのようにしなければならないのです。

 この七〇年度からは家庭を中心として精誠を込めなければなりません。これまでは個人の立場で精誠を込めました。それで私は、協会長の息子、娘や、総務部長の息子、娘を一度も抱いてあげることができませんでした。孝元の息子も一度も抱いてあげることができなかったし、手首を一度も握ってあげることができませんでした。聖進に対してもそのようにしてみることができませんでした。そのような面で、聖進がかわいそうで痛ましいのです。しかし、先生はかわいそうだとは考えません。なぜでしょうか。まだ時になっていないからです。


八 劉孝元協会長昇華(一九七〇・七・二四〔陰暦六・二一〕)

 劉孝元協会長が一九七〇年七月二十四日、肝臓がんで昇華し、協会葬による昇華式を挙行した。満五十六歳を一期に昇華した劉協会長は、一九一四年九月二十五日平安北道定州で出生し、一九三九年京城帝国大学医学部在学中病気により中退、一九五三年原理原本筆写本を通読後、その年十二月二十四日釜山で真のお父様に出会い入教、一九五四年協会長に選任され、原理講義、『原理解説』、『原理講論』の整理等で大きな活躍を遂げ、一九六〇年四月十六日真の御父母様により史吉子女史と三家庭の祝福を受け、一九六八年には七年路程大を受賞した。


三次の手術と闘病(一九六九・一〇・二六〜一九七〇・七・二四、ソウル大学病院)

 劉協会長の体が不自由であるということが、彼の生涯に骨髄に染みわたる恨だということを先生は知っていました。ところで、彼が受けた手術のせいでなく、彼に現れなかったそれ以外の症状が現れて死ぬようになったのです。

 皆さんも知っているように、がんという病気は一年半ないし二年以上の潜在期間があります。そのがんが彼も知らないうちに定着していき、手術期間に現れてこのような結果を迎えるようになったのです。またそれだけでなく、肺も相当悪くなっていました。このようなことを考えてみると、劉協会長は肉体的な困難を顧みることなく無理をしながらも、精神的にすべてのことを克服してきたということが感じられるのです。

 先生は、劉協会長が一次、二次、三次まで手術を受けるようになる時、霊的にそのような感じを受けました。皆さんに、彼のために祈祷しなさいという命令はしましたが、先生は既に最後の祈祷をしていたのです。それで、皆さんが彼のために精誠を捧げている期間、先生はこの国とこの民族のために精誠を捧げていたのです。そうする中の数日後、彼が逝くようになったのです。

 監獄にいる時、私は忘れることのできない衝撃的な印象を受けたことがありました。それで、一生涯私があの息子(劉協会長)の身代わりとなり、いかなる犠牲の代価を払う恨があったとしても、不自由なその身を免れるようにしてあげたかったのです。彼が一日でも健全な体をもち、神様の息子らしい姿で神様に仕え、一日だけでも喜んだ顔で笑う姿を見ることができるならば恨はない、というふうに思ったのです。それで彼に「手術を受けなさい」と言いました。また、み旨が訪ねてきたすべての苦難の道を推し量ってみる時、彼が血を流さなければならない時であることを感じたのです。

 そのような受難の行路に責任を負い、先生の命令により入院し、先生のみ旨を中心として逝ったという事実を見る時、今日私たちの協会が行かなければならない受難の路程において、全体にはならなくても、一部分の悲しみを身代わりし責任を負っていく息子になってくれればというのが先生の願いです。彼が治ることを切実に祈祷できない私自身であることを感じながら、神様のみ前にゆだねてきたのです。それはなぜでしょうか。広大なこの世界を担うため、世界の悲しみを残してはならない時代が私たちの前に追ってくるためです。


み旨から見た次子の犠牲

 み旨から見れば、いつも二番目が問題になりました。息子も、いつも二番目の息子が問題になりました。アダム家庭でも二番目の息子であるアベルが問題になり、ノア家庭でも二番目の息子であるハムが問題になりましたし、アブラハム家庭でも二番目の息子であるイサクが問題になりました。また六千年の歴史を置いて見る時も、二番目のアダムとして来られたイエス様が問題になったのです。このようにいつも、二番目の人、あるいは二番目の家庭、二番目の責任を負った国が問題になったのです。

 いつの年でも四月から十月までは、私たちの協会においては問題の期間でした。それで先生は劉協会長について心配していたのです。彼は喜進に責任を負っていた人です。そのため彼には、神様が願う基準の前にどのように生き、どのように責任を果たさなければならないかという問題がありました。このような観点から見る時、劉協会長の家庭は、神様が願うその基準で喜進を中心として侍る生活の伝統を立てなくてはならない責任があったのですが、そうすることができなくて喜進が死んだのです。

 劉協会長は、陰暦で計算すると、喜進が逝った日(一九六九年陰暦六月十九日)から三日後(一九七〇年陰暦六月二十一日)に逝きました。このように見る時、二番目がいつも問題になるということを皆さんは知らなければなりません。先生の家庭の二番目である喜進も逝きました。このように、蕩減歴史というものは避けることができないということを皆さんは知らなければなりません。これを見ても、統一教会の原理は漠然としたものではないというのです。蕩減の歴史路程では、そのような過程を経ていくのだということを皆さんは知らなければなりません。劉協会長の家庭も、み旨から見れば二番目の家庭です。そのような立場であるため、先生は彼に全体の責任を負わせたのです。


劉協会長の真心とみ旨への貢献

 過ぎ去りし日、劉協会長はどれほどたくさん苦労をしましたか。西大門刑務所事件をはじめとする様々な困難なことにおいて、不自由な体で先生を助けてくれたことが先生の骨髄に染みわたっています。そのような事件がどんなに多かったか知れません。そのたびに、彼は直接間接に先生を助け、すべてのことを処理したのです。このようにいろいろなことに思いを巡らせば、統一教会の歴史において協会長と先生とは、切っても切れない間柄になっているのです。

 彼は先生に従ってくる中において、私のために多くの苦労をしました。その中でも、先生が監獄にいた時、先生のことをとても思ってくれました。それゆえに先生が劉協会長のことを振り返ると、「彼はこれこれこのような人だった」と思い出すようになるのです。監房に伏していても明け方になれば会いたいと思うその情に駆られたし、劉協会長から送られてきた紙切れ一つまでも生命の価値として受け入れることができるほど、内的因縁の後ろ盾が彼にはありました。そのような協会長だったことが思い起こされます。

 今回、劉協会長がこの世を去るようになる時、「先生に出会い、これまでこのように歩んできたが、終わりをどのように結ぶつもりか」と私が聞きました。すると、劉協会長は「永遠に変わらない」という言葉を残して逝きました。そうでなくてはならないのです。


九 アジア勝共戦線とワクル(WACL)世界大会

アジア統一戦線構築

 今一九七〇年代を迎えながら先生の作戦によると、韓国がアダム国家とすれば、日本はエバ国家であり、中国は天使長国家です。人を創造する前から天使長がいたのと同じように、アジアにおいては中国文化が先を進んでいたのです。我が国は中国文化の影響を受けたのです。そうして再び日本文化に影響を与えているのです。

 日本はサタン世界の攻撃を受けなければならない立場でしたが、協助を受ける立場になったのです。日帝が滅びたのち、誰の協助を受けたかというと、蒋介石の協助を受けたのです。五億ドル以上の賠償金免除を蒋介石が推進したのです。日本が蒋介石の協助を受けたというのです。これを見れば、中国が天使長的復帰の使命をなしたとみなすことができます。それゆえ、中国は滅びずに今なお残っているのです。今は、日本がその恩徳に報いなければなりません。

 それでは堕落は誰がしましたか。エバがしたでしょう。だから世の中は全部滅びても、物質だろうが何だろうがすべて滅びても、日本はその中で世界のあらゆる国の文化を全部収拾しなければならないのです。

 それゆえに今日、日本はこの上なく発展をするのです。飛躍的な発展を遂げるのです。堕落したことを復帰しなければならないからです。復帰するためには、日本は自分の息子、娘を全部抱いてアダムのところに戻ってこなければなりません。財物と息子、娘を抱いて戻ってこなければならないのです。そのことを今しなければなりません。そのため先生は、現在日本を中心として、このような作戦を直接指揮するのです。

 それで先生は、「今後日本教会は、日本を第一にして経済的資源を使ってはならない」と話しました。「今は国家的相対時代に入ってきているので、必ず先生に決裁を受けなさい」と言いました。それは日本のためというよりも、全体のためにそうしているのです。それがよりアジアのためであるからです。韓国のためよりも、日本のためよりも、アジアのために行くほうがより公的であるため、アジアのために経済的投資をしなければならないのです。そのようになればアジアは、投資された経済条件により巻き込まれてくるようになっています。

 それで先生はこれまで、アジア情勢において三国同盟問題を掲げてきているのです。日本を主軸として韓国と一つになり、日本を中心として台湾を復帰しようというのです。それで日本の久保木会長が米国に行ったあと、台湾政府と接触するために台湾に立ち寄ってくるのです。そのようにして韓国と日本と台湾が一つになる日には、アダム国家、エバ国家、天使長国家が復帰されることになるため、アジアすべてがこの作戦圏内に入ってくるのです。その次には世界です。アジア文明圏を中心として勝利の基盤を築き、その次には世界に出ていくのです。


ワクル(WACL:世界反共連盟)世界大会
(一九七〇・九・二〇、東京・日本武道館、五十七カ国、二万余名)


 全世界の耳目を集めたワクル世界大会が、二八七〇年九月二十日、東京の日本武道館で五十七力国から二万一数千名の会衆が集い、超満員を呈する中で開催された。五十三力国、二百五十名の世界代表が参加したこの国際大会に、各国元首と閣僚だちから多くのメッセージが届けられたが、特に朴正煕韓国大統領が送ってくれた白い鳩と花束は、会衆を大いに鼓舞した。

 日本では今、共産党が朝総連の朝鮮大学の学生たちをして、教室ごとに回るようにさせて、「勝共連合を打倒しよう」という宣伝をしています。このようなことを見た時、本当に深刻な問題だというのです。きょうの新聞にも出ていましたが、朝総連は二つに分裂しつつあります。韓徳洙派と金なにがし派に分かれて壊れる段階に来たというのです。今回も全党大会をしようとしたところ、できずに私たちとの戦いが起こったのです。彼らは私たちを打とうとしますが、私たちが責任さえ果たすようになれば、神様が私たちと共にあられるのです。

 一九七〇年代の運勢に私たちのプログラムを合わせていくのです。今回開かれるワクル大会が世界に出ていく一つの峠になるはずです。日本で万国博覧会が開かれるのも、蕩減復帰の運勢が世界的に越えていく時に日本が置かれているためです。全世界の国家がここに因縁を結んで戻ってくるので、ここで私たちがうまくやりさえすれば世界的に権勢を集めて出ることができる良い機会になるはずです。

 日本は我が国の怨讐だったでしょう? しかLながら日本を生かそうとして私たちは今駆け回っています。生きるにも共に生きよというのです。それで、そこで共に生きるには隊長がいなければならないので、きのう金榮輝を送り出しました。「お前が隊長だ」として世界の前に追い立てても、やらざるを得ないのです。ここから新しい役事が起こるのです。

 今日本では、世界反共大会が盛んに進行しています。きょう、午後一時半からこの大会が開かれているはずです。その大会に、米国のある上院議員まで来て祝辞をすることになっています。そこには、日本の自民党員たちから、昔首相をした人たちまで、私の作戦に巻き込まれながら喜んでいます。まず自分たちが意気揚々となるのです。もし日本が容共国家となる日には、大韓民国には生きる道がありません。それで十年前から計画し、これまで血の涙の出る闘争をしてきたのです。

 私たちはアジアを守護しなければなりません。それで日本を引っ張り込み、中国を引き入れる作戦をしているのです。今や日本政府で、統一教会の文先生を問題にする時が来ました。私たちがアジアを必要とし、アジアを開拓するのは世界を復帰するためです。大韓民国を復帰しようとするのは、世界を復帰するにおいて、標準にするためです。

 そして原理研究会の活動を、どのように強固にさせるかが問題です。私たちが人的資源を発掘するためには、何と言っても大学街を中心とした活動を重視しなければなりません。

 学校において、何とかして一、二年生を会員として確保し、内的には原理理念を、外的には勝共理念で武装させたのち、その理論を中心として講義できる実力をどのようにして育てるかという問題を考えています。それでこの期間中、学生たちに講義をさせてみて、講義の結果がどうだったかその反応を見て、繰り返し練習させるつもりです。


世界的活動時代の切迫

 神様の存在価値の内容を表面化させることが統一教会の仕事です。それでは、それをどの程度まで表面化させなければならないでしょうか。氏族を越え、民族を越え、国家を越えて世界的に表面化させなければなりません。それゆえに一九七〇年度に入ってからは、世界的な宣教基盤を築き、全体の環境が同じ基準になるように私たちが準備していかなければなりません。そのような責任遂行の路程が私たちの前に残っていることを知らなければなりません。

 もう数年もすれば、先生は韓国には住みません。今外国に行って住む準備をしています。皆さんに話はしませんでしたが、日本でも今基金を準備しており、米国でも、私が行けば住めるように「家を建てます」と言っています。

 統一教会は約二十カ国に宣教師を派遣しています。今年中に四十カ国に宣教師を派遣するつもりです。大韓民国がどんなに反対してもするでしょう。私のすることで間違いがありましたか。間違っていないということをこれまで証明したのです。それで、私自身がそのような歴史を胸に抱いていくのです。

 アジア勝共大会と九月の日本大会まで終えれば、必ず問題が起こります。米国で、アジアの事件の中で一番大きい事件は「勝共連合の活動である」と見るようになるのです。どんなに「嫌だ」と言っても、研究するようになります。それを研究する日には共産主義も克服できます。今や統一教会を世界的に紹介できる時期に入ってきました。内的な統一教会の活動を世界的に紹介できる時になったのであり、外的にも世界的に紹介できる実質的な環境が整えられました。

 金永雲先生もここに来ていますが、ニクソン大統領が、私たちの活動している米国ロサンゼルスの国際勝共連合に、三千ドルのお金をサインして送ってくれました。さらに十万ドルを送ってくれるようです。このように米国が国際勝共連合の活動を援助しているのです。それが実際的な宗教人の態度なのです。このようなことを見る時、私たちの時が目前に来ているというのです。


十 七百七十七家庭国際合同祝福結婚式
(一九七〇・一〇・二一、ソウル奨忠体育館、十カ国、七百九十一組)


 七百七十七双国際合同結婚式が、一九七〇年十月二十一日、ソウル奨忠体育館で祝い客等、一万五千余名が参集し、超満員の中で挙行された。新郎新婦の実数は、韓国五百三十九組、日本二百三十五組、欧米十六組等、七百九十組であった。夜は同じ場所でフライボーイ郭圭錫氏の司会により、吉オギュンカンボバンドの演奏のもと、具鳳書、ソンヘなどのコメディアンと、ボンボン四重唱団等が出演し、笑いと歌の花の咲く多彩な行事が催された。


世界氏族圏祝福開門家庭

 第一次七年路程に加担した人々は福を受けた人々です。今回の七百七十七家庭までは、なんとしてもこの第T次七年路程に加担させてあげるための作戦をしたのです。ここに加担した人々は公平で義理堅い人です。もはや私は責任を全うしました。私は「私の責任を全うした」と言える立場に立つために七百七十七組を結婚させたのです。

 七百七十七組が何番目の祝福かというと、先生(家庭)、三家庭、三十三家庭、七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭、その次に世界巡回中にした四十三家庭と七百七十七家庭です。ですから国内的に見れば第七次祝福式であり、世界的に見れば第八次祝福式です。

 一九七〇年に七百七十七組を祝福してあげたのです。三×七は二十一、三数と七数は全体の完成数です。すなわち、二十一数は三段階も表し、全体完成も意味するのです。そのように一つの位置に合わせておいたのです。ここに十カ国が加担したということは、世界を代表して十数を全部蕩減するためです。それにより家庭を中心として世界的に新しい部族を編成できます。このようにすることによって、超民族的な基準で新しい部族編成ができる基準を立てるようになったのです。

 四十三組も十カ国です。十数以上にならなければならないというのです。十数は十二数に該当するでしょう? それで七百七十七組を中心として世界国家十カ国が初めて天と共に横的に左右往来できる、家庭が行っても引っ掛からないようにすることができる門を開いた世界的な宣布式が七百七十七組の祝福です。これはラッキーセブンです。

 七百七十七家庭、これは、国家基準である韓国の基盤を世界的に拡大させ、世界のすべての氏族圏が開門されることを意味します。これにより世界の数多くの人類、どの国家の人であろうと、み旨に対してくる人々は恩賜圏内で祝福家庭に同参できるよう、恵沢圏を拡大させたのです。

 このような光明なる朝を前にして、一九七〇年十月二十一日を期して七百七十七組が全世界万民の前に解放の旗印を掲げて現れるということは、天宙史的勝利の基盤が蘇生する意味があるのです。結婚国際連合時代。(笑い)そのような時代に入ってくるので、その時より七百七十七組を中心として国際結婚時代に入ってくるのです。全部混ぜるのです。


経済祝福と世界的活動時代の到来

 七百七十七組、初めてこれを中心として世界史的な基礎をつかんで戦うのです。内的な基準と外的な基準を中心として、一九七〇年度から世界史的な祝福時代に入っていくということを知らなければなりません。ここからそのようなことが起こるのです。そのようにしたので、世界の土地も一つの天の条件を立てたのであり、人も、世界的な条件を立てたというのです。五色人種が全部入ってくるようになったのです。

 さて、それで地と人の基盤を築いたため、ここから世界的な出発をするのです。それで初めて一九七〇年度から経済的活動を始めたのです。一九七〇年度から経済的な分野に手をつけ、金持ちになったといううわさを生んでいるのです。(笑い)反対を受けなさいというのです。反対を受ければ受けるほど福を受けるのです。統一教会に人は入ってこないのですが、人が入ってくる前に物質の祝福がもっと多いということを知らなければなりません。物質祝福が増え、その次に人が入ってくるのです。

 このような意味から、私は汝矣島の土地を一万坪ほど買おうと思っています。今回合同結婚する人たちは、この祝福の重要性を知らなければなりません。それで世界的記録を樹立した記念碑を一つつくろうと思います。そのように七百七十七組を祝福したので、これからは先生も家庭を率いて世界中どこでも歩き回ることができるというのです。先生の家庭を連れてドイツにも行くことができるし、アフリカにも、いかなる国にも行くことができるというのです。これは、どこに行こうとみ旨を成すことができるという話です。どの国の人であろうと先生のところに来ることができる道があるので、先生もどんな国だろうと行くことができるのです。

 このような条件を立ててきたがゆえに、摂理のみ旨をここでぎゅっとつかみ、それを天の世界に帰結させることができるのです。一九七〇年度までに七百七十七組を結婚させることにより、先生の家庭が全部米国にも行くことができるのです。今や先生は、韓国が反対すればどの国でも先生の家族を率いて行き、み旨を成すことができる基盤を築いておいたので、世界的時代に向かうことができるのです。


十一 祝福家庭婦人三年総動員(一九七〇・一二・一、百二十箇所、千二百名配置)

祝福家庭の家庭的蕩減路程

 今回の結婚式が終われば、一九七二年度まで三年間、女性たちをすべて動員しなければなりません。ではなぜ皆さんを動員するのでしょうか。これまで皆さんは個人的な蕩減時代を経てきました。皆さんが個人的蕩減時代を経てくる時、先生は家庭的蕩減時代を既に経ていたのです。家庭的蕩減時代を経たので、「神の日」、「万物の日」、「子女の日」、「父母の日」が出てきたのです。しかし皆さんは、まだそのような基準を備えていません。

 そうして三年が過ぎて七〇年を迎えながら、第二次七年路程の三年を越える場において、家庭的勝利の基盤を成さなければならないのに、備えることができなかったため、動員を避けられず、再び皆さんの家庭を中心として十字架の道を行かなければならないというのです。それで十二月一日から七百七十七組の祝福を受けた家庭に、動員しなさいと通告しているのです。それだけでなく、彼らを中心として全体家庭を動員する時が来たというのです。

 個人は、家庭を探し立てて縦的な蕩減の過程を経ていくために必要なのです。それゆえ私たちは、家庭を中心として縦的な出発をしなければなりません。この縦的な出発を破壊させたのが女性であるエバであったため、女性を前面に押し出すことは原理的に妥当な見解だというのです。そのようにして息子、娘が母親を訪ねていき、夫が妻を訪ねていってこそ復帰されるのです。その妻が国のために苦労をするのですから、夫も国を愛し、息子、娘と国を愛する思想を蕩減的な過程で立ててこそ復帰された家庭として新しく収拾されるのです。それゆえ一九七〇年代は、家庭が根づく時だというのです。

 家庭が国を愛する道を行かなければなりません。夫だけ国を愛しては駄目です。妻も子供たちも国を愛したという条件を立てていかなければならないのです。これが四位基台が備えるべき条件です。いつ、家庭が神様を愛し国を愛したことがありますか。愛したことがなかったので、四位基台的愛の一つの起源を準備するために統一教会は、やむを得ず統一の運勢の時代が目前に近づいているこの時に、祝福家庭全体の動員を展開しているのです。

 正に女性を中心として、母子一致の基準を決定できる良い機会なのです。それだけでなく、夫婦が互いに協助して完成できる良い機会でもあります。重ねて言えば、家庭の四位基台が一時に協助目的を完成できる機会はこの時しかないのです。天は六千年間、母子協助の基盤のために苦労してきましたが、ここでは、母子協助完成はもちろんのこと、夫婦協助完成までなし、四位基台完成の協助基盤を決定づけることができる機会なのです。

 そうして入籍が起こるのです。原理原則どおりにアダム家庭の形態を備えることができない人は抜けるのです。三十六家庭も抜けるのであり、七十二家庭も抜けるのであり、百二十家庭も抜けるのです。これに備えるために先生が七百七十七家庭を準備したのです。それで先生は七百七十七家庭に話をしました。できるならば三年間貞操を守って過ごしてみなさいと。

 それで七百七十七家庭は世界復帰のために全部散らばって三年間歩んだのです。日本の食口たちは五年間聖別したのです。五年間です。一九七〇年から七一、七二、七三、七四年を経過して、七五年の六月十日に、初めて同居しなさいと先生が特別措置をしたのです。なぜそうしたのでしょうか。世界的基盤を築いておくためにそうしたのです。


イエス様の三年公生涯解怨と国家守護

 誰それの夫人を動員し、誰それの母親を動員するということは、どんな立場で動員するのですか。その家庭を代表して動員するのです。家庭を代表するだけでなく、教会を代表して動員するのです。ひいては大韓民国が責任を果たせずにいるので、大韓民国を代表して動員するのです。大韓民国だけでなく世界を代表して動員するのです。世界だけでなく霊界の霊人を代表し、数多くの先祖を代表して動員するのです。ですから今回の動員にやり甲斐を感じなければなりません。

 今日、家庭的基準で少数の群れを動員することは、ある面においては有利です。しかしながら今後南北統一をする時代においては、挙国的に動員されて仕事をしなければならないのです。必ずそのような時が来るはずです。その時が来れば皆さんをまた動員しなければなりません。そうしてこそ国家を中心として世界の前に出ることができ、世界の女性圈を身代わりして万民を指導できる天の女性圈を立てることができる基盤をつくるようになるのです。このような問題を置いて見る時、女性たちの開拓路程においても、蘇生、長成、完成の三段階の路程があるということを知らなければなりません。

 このように三次路程を通じて個人を復帰し、家庭を復帰し、氏族、民族、国家を復帰しなければならないのが神様の摂理です。それゆえ国家復帰路程までは、女性たちが三次の開拓路程を経ていかなければ蕩減原則の路程が完結されないのです。今は第二次開拓路程です。

 一九七〇年度において、祝福家庭の主婦たちが動員された原因はどこにあるのですか。イエス様は三年路程を歩む中、女性によってみ旨を成すことができず、民族を失ってしまい、国家を失ってしまいました。それで女性なる皆さん方は、イエス様の三年公生涯路程の恨を解いてさしあげるため、三年路程を満たしていきながら、彼が失ってしまった民族と国家を取り戻し、世界まで復帰してさしあげることができる基盤を準備しなければなりません。

 そうしてこそ、イエス様が願い待ち焦がれてきた新婦の基準を決定することができる立場に立つのです。そのようになってこそ、自由奔放な立場で解放を謳歌することができ、天を中心とした平面的な基準の前に新しい家庭の出発を見ることができるのです。

 今この時は、先生が北韓で三年間監獄生活をしたのと同じ期間です。この期間は、天が祝福してあげることができるキリスト教とキリスト教の女性たちが先生を奉じることができなかったため、先生が受難路程を行かなければならなかったことを全部再び解いて越えることができる重要な時期なのです。

 平壌を去る時、私は、この故郷の地に帰ってきて定着する時までは受難の道を行かなければならないという覚悟をして発ったのです。先生が故郷を訪ねていって祭物を捧げて、この国が解放されたと祝賀会をもつことができるその日まで、皆さんは総進軍しなければなりません。

 また一九六〇年代から、これまでお母さんが復帰できなかったことを復帰するのです。家庭なら家庭で一番貴いものを選んで植えなければなりません。家庭で一番貴いものはお母さんです。それゆえに、お母さんたちを動員させたというのです。

 赤ん坊を生むお母さんに「骨が折れるなら少し生むのを待て」と言ったならどうなりますか。母親と赤ん坊をみな殺すことになります。骨が折れて苦しいのに「もっと力を入れろ。もっと力まなくちゃ駄目だ」と、目をいからして怒鳴らなければなりません。お産の時は、目をいからして無慈悲に力を入れろと雷のように怒鳴る人が本当に愛する人です。それゆえに今の時は、先生が皆さんに対して最大に無慈悲な立場を取る時だというのです。

 統一教会の婦人たちが家庭を捨てて伝道に出るのは、家庭のためよりも、民族のために生きるほうがもっと公的なことであるためです。これは将来、韓国の文化史に必ず記載して越えなければならない歴史的な大きな事件です。それは既に起きています。この運動史は、この民族が残される限り、千年、万年民族と共に残されることでしょう。そのような意味で、私たちはより公的な歴史を創造しているのです。


十名単位、百二十組派遣

 さらにこの期間は、これまで精誠を尽くして努力してきたすべてのものを投入し、最後の限界線を越えることができるか否かの勝敗を決定する重要な期間として見ています。それで婦人たちは、十名を一組に編成し、百二十箇所の伝道任地に出動するようになります。各地区本部から地域本部、区域本部まで出動して、少なくとも一九七二年までは私たちの教会の内的な精鋭食口を十二万以上確保しなければならないのです。

 今回婦人たちが動員されるのに幸いなことは、一人だけで行くのではないという点です。本来は一人で行かなければならない道ですが、世の中があまりにも険悪なために、皆さんの同志である兄弟たちと共に行くようにするのです。ですからここには、自ら環境に侵犯される与件が完全になくなるのです。ただみ旨だけのために協助できるお互いの基台が形成されるというのです。

 万一ここで自分を第一としたために互いに争いが起きたり、問題が起きるなら、それは大きな問題になります。しかも三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭の中で組長となる人が争いをするようになれば、問題はより一層大きいのです。それに対する全体の責任は、組長が負わなければなりません。しかも今回祝福を受けた七百七十七家庭は、二十一日修練を受けたので、心情的に相当高潮して出ていくはずです。それゆえ皆さんは、これまで自分勝手に暮らしていた生活習慣をただそのままにして出ていったら、彼らの前に反駁を受けることでしょう。

 それゆえ、一番最初に仕事をしなければならない人は組長です。組長としてまずなすべきことは、十人の組員をどのように一つにするかということです。イエス様に従っていた十二弟子が分裂したその立場を、今日皆さんが蕩減しなければなりません。男性たちができないことを、女性たちが代わりにするのです。ですからみ旨を中心として完全に一つにならなければなりません。

 ここで十数は十二数に該当するのです。これは、イエス様の弟子たちが分裂したそのような環境を女性たちが身代わりし、一体となった環境を備えて天の前に一つになるためのものであり、一つになれずに分裂したイスラエルの族長編成の基盤を身代わりできる基盤として完結づけるためのものです。

 皆さんは、イエス様が弟子たちの足を洗ってあげたのと同じ心をもたなければなりません。それこそ広い母の心をもたなければなりません。そのような母の心情で昼夜彼らを愛し、和同の中心となって一つにしなければなりません。そうでなくては、伝道する時に多くの支障があることでしょう。一つになりさえすれば、その日には先生が計画した目標は間違いなく達成されるはずです。イスラエルの十二部族のような形態で構成されたこの十人を中心として、三ヵ月ないし四ヵ月以内に百二十名は糾合されるはずです。


愛国愛族の碁盤と世界進出

 一九七〇年度に全国にいる私たち統一教会の祝福を受けた家庭に、「この国、この国家の運命が悲運に達し、非常事態が差し迫ったので、この民族が生きるためにはこうしていてはならない。家庭を破綻させ、子供を犠牲にさせてでも国のために守護できる道を行かなければならない」と言って、三年間子供を孤児にさせ、乞食のような姿で全部出発させたのです。悪口を言う親戚の家の前に子供を置いて、「これは誰々の息子ですが、私が三年間行ってきますから、ちょっと管理していてください」と書いておくような、ありとあらゆる悲劇的な背後を残して行脚の路程に出発し、戦ってきたのです。

 旅人の身の上を免れることが千秋の恨であったため、私がこの道を行くことができなければ後世の人たちがもっと苦労するということを知っている祝福家庭のお母さんたちは、スカートをつかんで取りすがる子供を振り払い、目をつぶって十里、百里を走っていったのです。そのようなお母さんの事情を誰が知っていますか。父母の事情を誰が知っていますか。「あの曲がり角を回っていけば、母と別れて泣く子供の姿は見えないだろう」と、山すその曲がり角を回っていくために走っていった父母の身の上を誰が知っていますか。

 皆さんは親戚や孤児院に赤ん坊を任せ、あるいは、遠い姻戚まで訪ねていって赤ん坊を任せ、泣きじゃくりながら出発しました。韓民族が統一教会に反対し、文先生の行く道に反対したことにより捨てられなければならないはずですが、祝福を受けた子女たちを彼らが育てることにより、彼らは許されるのです。彼らがその子女たちを見る時、母親がいないことに心から同情しながら御飯を与えたことを、かわいそうなこの民族を代表して御飯を与えたことを私が知っています。それがこの民族が負った、私に対して誤ったことを許すことができる条件になったというのです。

 その時は北韓の金日成が韓国を侵犯しようという危機一髪の時代だったのです。だから、その環境に全部乗って基盤を築いてこなければならなかったのです。言い換えれば、大韓民国の国民が天の民となるためには、統一教会の信徒たちと共に国を愛さなければならないというのです。それゆえ、その時私たち統一教会の動員されたすべての食口たちは、歴史始まって以来の愛国者であるという以上の立場で国のために生きたという条件を立てなければなりません。カイン民族圏、カイン国家圏の前において、アベルが神様の愛を中心として見る時、カインよりももっと愛国、愛族をしたという基盤を立てることにより、神様が初めてそのような民族圏と国家圏を干渉できる圏が開かれるのです。

 その時は何でしたか。非常時期でした。統一教会において、それこそ歴史始まって以来の非常事態を迎え、サタン世界の氏族、民族に対峙できるところにおいて、私たちが優先権を握った三年期間でした。ですからその時、国家、民族において、全部統一教会の信徒たちがしたようにしなければ国が生きることができないのです。先生がその基盤を築いてこそ世界的基盤を築いて越えていくことができるのです。

 世界的迫害時代に入っていこうとするので、国家的な立場で歩調を合わせなければなりません。そうしてこの三年路程が終わると同時に、その基盤を中心として、先生は米国を中心として、勝利的国家基盤を中心として出ていくのです。














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