真の御父母様の生涯路程 6
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第三次七年路程

第五章 一九七九年 家庭教会を通じた天国完成

一 一九七九年の出発と摂理的意義
(一九七九・一・一、ニューヨーク、ベルベディア修練所)

年頭標語:家庭教会を通じた天国完成

 きょう、一九七九年の新年を迎えると同時に、十二回目の「神の日」を迎えるこの場において、全世界と米国と日本と韓国に共に祝福があるよう祈りつつ、神様の栄光が皆さんの上に臨むことを願ってやみません。

 皆さん、ホーム・チャーチ(注一家庭教会)という言葉は、本来、どこから始まらなければなりませんか。本来、エデンの園から始まらなければなりません。チャーチ(注:教会)というと、宗教を意味する言葉ですが、宗教は神様を抜きにしては語ることができません。

 宗教といえば、東洋の言葉では棟なる教えのことです。家でいえば棟(注:屋根の最も高い水平部分)を意味します。すべての教え、すべての習いにおいて、原理的であり、原則的であり、中心となる教えであるという意味があるのです。家で見れば、家のビーム(注一大梁)のことを言うのです。センター・ビーム(注:中心の大梁)を意味するのです。それゆえ、神様を除けば、すべての宇宙は崩壊してしまうというのです。宗教というものは、新しい宇宙の家を建てる摂理の基盤なので、土台を築いて柱を立て、すべてのものを備えても、この棟木を載せなければ、すべてのものができないのです。

 ホーム・チャーチの本来の起源は、アダム家庭がエデンの園で堕落せずに神様を中心として完全に愛して一つになることを意味したということは間違いありません。そのようにホーム・チャーチが始まり、ホーム氏族チャーチ、ホーム・ネーション・チャーチというように、教会を世界形態に拡張しながら、家庭理想を備えた一つの世界になっていたはずであるというのが原理で教える見解なのです。

 それで今日この統一教会が、歴史上にホーム・チャーチというタイトルを主張することができ、これを私たちが立てることができるという事実は、神様の前においても、人類全体の前においても、この上なく重要なことだということを知らなければなりません。

 皆さんは何を求めていくのですか。「人類のために私が真の教育をしなければならず、真の愛を教えてあげる先生にならなければならないだろう」というのです。それは、神様がする業なのです。神様をかかしにしようとして、そのようなことをするのではありません。神様には体がないので、体をもっている人間が必要なのです。ですから、そのような人が現れさえすれば、「私の代わりにやりなさい」と言われるのです。

 それで、今日の宗教を代表した統一教会は、神様が願われる世界を代表して、神様の身代わりとして登場したのであり、統一教会員を世界を代表して、神様の代わりに父母の立場で愛を施す人々にしようと思うのです。愛を中心として、父母の愛を中心として教育をしなければなりません。

 ですから、棟となる宗教とは何かというと、そのような宗教だというのです。人類を教え、人類を愛そうというのが神様の宗教であり、神様の中枢的思想なのです。それ以外にはありません。

 どのような人が真なる父母かといえば、子供に対して世界が喜び天が喜ぶことを教えてあげる人が真なる父母だというのです。真なる友達というのもそのようなものであり、真なる家庭、真なる民族は、そのような愛をもっているのです。

 それゆえ、統一教会は、これまでそのような思想をもって、レバレンド・ムーン独りで歩んできたのです。神様が宗教を立てたのは、先生となるためであり、世界人類を愛する父となるためだということを知ったのです。神様は「教えてあげて愛そう」と言うのです。「先生の立場で教えてあげて、父母の立場で愛そう」というのが神様の立場であるということを知ったのです。

 それで、ホーム・チャーチの役軍とはどのような人でなければならないかといえば、神様のように教えてあげることができ、神様のように愛することができる人でなければなりません。父母の立場で愛することができるそのような教会、そのような人、そのような国民、そのような世界人類になる日には、神様は地上のどこにでもおいでになられ、天国ができるという結論が出てくるのです。ホーム・チャーチとはそれなのです。第一に何ですか。第一に教育、第二に愛です。


ムーニー(Moonie)を誇るとき

 これからは、誇るべきものは「ムーニー」という言葉しかありません。「ムーニー」という言葉は韓国語で、ディスカッション(discussion)、問議する(注:尋ねて相談する)という意味です。また「ムーニー」という言葉は、絹織物に織り込まれたムニ(注:模様のこと)、刺繍をした模様という意味です。戦っていた人たちを尋ねて相談しようという意味です。ディスカス(注:話し合う)して、刺繍しようというのです。何をもってですか。愛をもってです。どのような愛でしょうか。永遠なる神様の愛です。何をもって模様を入れるのですか。神様の愛で模様を入れるのです。

 米国では、米国の国務省が私を恐れ、すべてが私を恐れているというのはどういうことでしょうか。私が武器を持ち、原子爆弾を背負って歩いているので恐れるのでしょうか。ムーニーに接すると、すべて溶かされてしまうというのです。愛で溶かされて民族がすべて引っ掛かっていくので、米国も吸収されるのではないかと考えて、恐れるのです。(拍手)

 それを見るとき、世の中の人と比較してみれば、比較にもならない私たちの立場なのですが、誇らしいムーニーになりなさいというのです。一九八〇年には、ムーニーであることを自慢できなければ駄目なのです。この前、誰かが「アイ・アム・プラウド・オブ・ムーニー(注:私はムーニーであることを誇る)」と書かれているランニングシャツを着て歩いていました。そうでなくてはなりません。(拍手)

 そのムーニーが誇らしいのです。ムーニーという言葉がなぜ恐ろしいのですか。ムーニー(Moonie)がサニー(Sunie)になって、キンギー(Kingie)になると教えてあげたでしょう。「蘇生段階を経てこそ長成段階であり、長成段階を経てこそ完成段階である」と言いました。私はこれまで監獄に入り、ありとあらゆることをしましたが、私は絶対に恥ずかしいと感じません。堂々としています。皆さん、何が恥ずかしいのですか。さあ、自分の心に安らかでない思いがあるのなら「ムーニー、ムーニー」と言って誇りなさい。そうすれば、すべてなくなります。


二 本格的な家庭教会運動展開(一九七八〜一九八一)

復帰摂理の終着点

 私たち統一教会がしなければならないことは、ホーム・チャーチです。復帰摂理の終着点は、ホーム・チャーチです。私たちがホーム・チャーチ運動まで宣布できるというのは、偉大な成功だというのです。天と地がすべて祝賀するほどの成功なのです。先生が苦労したのもこれをつくるためであり、イエス様が死んだのもこれをつくるためであり、神様が六千年間摂理されたのもこれをつくるためです。これをなしてこそ天国ができるのです。そのとき、天国の門が開くのです。ですから、イエス様はペテロに天国の鍵を残して逝ったという事実を知らなければならないのです。

 エデンにおいて堕落の結果とは何かといえば、カインとアベルの戦いです。カインがお兄さんとして生まれ、アベルが弟として生まれたのですが、これをひっくり返してしまわなければなりません。そうしなくては、父母を探す道がないのです。このような曲折の歴史を歩んできた神様の摂理の中において、今日、この統一教会が現れて主張することとは何かといえば、ホーム・チャーチです。

 エデンの園とは何ですか。ホーム・チャーチです。そこにはカインとアベル、お兄さんと弟の戦いがありません。父母と子女が一つになり、神様と天使長が一つとなり、すべてのものが一つになって統一されるのです。このような環境のために、今日、統一教会のレバレンド・ムーンという人が現れ、天使世界と天との境界線を取り除き、人間世界と天使世界との境界線を取り除き、カインとアベルの恩讐の垣根を壊して、これを正そうというのです。

 それでは皆さん、ホーム・チャーチとは何ですか。すべての歴史時代の摂理を中心として、国境を越えて家庭教会の中で一つになれば、すべてのものを復帰するのです。三百六十家庭は三百六十氏族です。それをなぜするのでしょうか。三十六は十二数の三倍です。十二数とは天理の数です。これは霊界の十二の真珠門のことをいうのです。三十六家庭の数と同じであるというのです。三十六は旧約時代、新約時代、成約時代の三段階の運勢を連結させることができるのです。それは天道を解くために出てきたものです。

 三百六十日の一日というものは永遠を代表した一日です。皆さんがそのような観点で、一日ホーム・チャーチを訪ねていくということは、この歴史時代において数多くの日を神様の前に勝利の日として立てるための業であるというのです。三百六十家庭というものは、人類が天の国を立てられず、勝利の日を立てられなかったことを再び取り戻すためのものです。三百六十日を神様の前に立てるための業であり、三百六十家庭を人類と共にもつようにするための業なのです。それで三百六十家庭が必要なのです。それは悲しみの日ではなく、希望の日です。どんなに骨が折れようともその希望のために行かなければなりません。


真の御父母様の世界的勝利相続の祭壇

 三百六十軒には、十二の国の人が入らなければなりません。そのような国は米国と英国しかありません。私が韓国を離れた原因はそこにあります。そのような基盤を築かなければならないのです。百二十ヵ国以上の総合民族国家を中心として一大闘争を展開し、勝利の旗印を立てて勝利したという基盤を築き、サタンの認定証をもらわなければならないのです。天国に行こうとすれば、「あなたは、このような立場で天の国に行くので、私には讒訴すべきものが何もありません」というサタンの認定証を受け取らなければならないのです。神様は認定証をくれません。サタンから認定証をもらって、その認定証に神様が判を押すのです。

 今までは、いくら「家庭教会」という名詞を知っていたとしても、実際にはそれを迎えることができなかったのです。なぜでしょうか。時になっていなかったからです。そのような蕩減条件が神様とサタンと歴史を代表した責任者との間において決定されなかったため、いくらホーム・チャーチに入って、「これを世界の祭壇として完結して捧げます」と言っても、受け入れることができなかったのです。サタンも認めないというのです。

 ところが運良くも今の時代に先生が現れ、世界的蕩減をすべて立てて勝利した基盤の上でホーム・チャーチというものを制定することによって、できるようになったのです。それがホーム・チャーチなのですが、それが何かといえば、結局、地球を代表する型となるのです。全体を縮小したものなのです。これさえつかめば、すべてをつかむのです。それがホーム・チャーチだというのです。

 それで、この過程を経れば、家庭、氏族、民族、国家、世界にまで上がっていくようになるのです。これを見れば極めて小さいものですが、全体を合わせて一つにまとめたものがホーム・チャーチだというのです。

 それゆえ、歴史的な祭壇なのです。最初にして最後の祭壇であるというのです。それゆえ、皆さんは精誠を込めなければなりません。自分のお母さん、お父さんよりも、自分の兄弟よりも、もっと世界を愛するために、神様はそのような計画をされ、そのような摂理をされたので、自分の国よりも、自分の父母よりも、自分の兄弟よりも、自分の妻子よりも、ホーム・チャーチをもっと愛さなければなりません。伝統がそこから立てられるのです。このような時を迎えたのは、先生が築いた基盤があるからです。

 権威をもって、サタンの前に守勢から攻勢に方向を変えなければなりません。それで、ホーム・チャーチを中心として各地域をブーンと空襲するのです。ホーム・チャーチで勝てば民族で勝つのであり、国家で勝つのであり、世界で勝つのであり、すべてで勝つのです。そのような攻撃戦が起こらなければなりません。このような歴史時代に先生に会い、先生が命令したこの三次七年路程の中において、ホーム・チャーチ活動にあらゆる精誠を尽くして攻撃するということは、万物と人と心情を一遍に復帰して捧げることができる歴史的な事件であるということを知らなければなりません。

 それでは、今の時とはどのような時でしょうか。「天勝日」を通過した時であるため、アダム完成、エバ完成時代です。天使世界もプラスとなるのです。これまで天使たちは霊界で働いていました。霊的救いの摂理は霊界で成されましたが、今は肉的救いの摂理であるため、天使たちが働く方向、神様が働く方向が地上に移されたということを知らなければなりません。そのような時代であるので、天を信じ、また霊界が協助するので、「私は一人だけれども、すべてのものを制覇できる」と言わなければなりません。地上で実績をもつことができない人は、霊界に行って最も冷遇されるのです。

 それで、「天勝日」がもたらしてくれた贈り物とはホーム・チャーチなのです。そのホーム・チャーチ活動はどのような背景をもっているのですか。これまで働いていた神様の方向が、霊界から肉界に移されたというのです。ですから新しい時代になったのです。


氏族的メシヤは愛の実践場

 三百六十軒とは何かといえば、世界的に築いた蕩減条件を接ぎ木して、世界を代表した一つの中心型として現れたものです。ここで勝利すれば、自分の氏族は世界的氏族圏に登場するようになります。蕩減することによって初めて父母の位置に登場するのですが、メシヤの資格を備えた氏族的メシヤ、すなわち新郎の立場に立って新婦を迎えることにより、氏族的真の父母になるのです。

 ホーム・チャーチに行き、歴史的戦いの中において勝利しなければなりません。その歴史的戦いというのは、「私は三百六十軒を相手にしているが、これは、御父母様が世界を懸けて戦って勝利したその木の中の一部分であり、世界を代表した枝のような立場から受け継いで戦うのである!」というものです。そこでサタンと戦うのです。そのサタンも世界を代表しているのです。死ぬか生きるかという問題がかかっているのです。そして変わることなく戦い、三百六十軒を自然屈服させることによって初めてメシヤになるのです。メシヤとは何ですか。サタンを屈服させた人です。完成したアダムなのです。

 ホーム・チャーチを通じて故郷へ帰らなければなりません。エデンの園から落ちて、家庭、氏族、民族、国家、世界に滅びの運勢を抱いて、巡り巡って、興隆する運勢を経て、ホーム・チャーチを通じて故郷を経て、将来どこに行くのですか。天国に行くのです。これは運命の道です。

 皆さんは、その道を行かなければなりません。私を愛してくれる人がいないと思うのではなく、愛してあげられない私を恨めしく思おうというのです。神様は、愛してあげられる人がいなくて嘆息されるのではなく、愛してあげられなかったことを嘆息されているのです。そのような神様と同じ心をもって継続してやりなさい。神様が先に愛するようになっているのです。それで、愛を中心として「すべての不祥事、ふさがったものはどこにもない」と言える勝利者とならなければなりません。

 では、今、皆さんはホーム・チャーチで生活していますか。そこに行って何をするかというと、奉仕をするのです。肉体的に奉仕し、精神的に奉仕し、愛で奉仕しなければなりません。再創造です。そうして、そこで皆さんがどれくらい血と汗を流して時間をたくさん投入したかによって、皆さんを歓迎する基準が変わるのです。

 それでは、三百六十軒とは何でしょうか。愛の門を開き、愛の道を正常な軌道に乗せるための修練場であり、訓練場であるということを知らなければなりません。どのような人でもみな愛することができるようになるとき、皆さんの心は、彼らを完全に指導して余りある主体になることでしょう。誰がいかなる問題を尋ねたとしても、すらすらと解答が出てくるのです。

 これから、愛の鐘の音を皆さんの心で聞きなさいというのです。そのようになれば口が、「私の口は愛の言葉を語るようになっていて、そうでない言葉は語らないようになっている」と言います。愛がなければ、このように口が「うむ」と閉じます。また、耳が開かないようにし、目が見ないようにするのです。そのようなことを感じなければなりません。

 そのように暮らすようになれば、間違いなく皆さんは、神様の愛に酔いしれる境地に遠からず入っていくことでしょう。霊界と直接通じて、自分のホーム・チャーチにおける難しい問題を実に巧みに自分でも知らないうちに、難なくすべて解決できる主人公になることでしょう。三百六十家庭のいかなる問題でもすべて解決できる、神様を身代わりした主人となることでし

 夫が妻を愛する以上に、妻が夫を愛する以上に、我が子供を愛する以上にホーム・チャーチ活動をしなければなりません。そうして彼らが、「これほどまで私たちを愛してくださったので、あなたに愛をお返しします」という内容がホーム・チャーチ圏内をすべて覆うようになるとき、「そこが神様の領域である」と言うことができるのです。「神様の地上の天国圏だ」と言うことができるというのです。新しい文化、新しい運動で一つとなり、新しく復興することができるのです。


共産党組織を凌駕する活動

 共産世界は、北韓と中共とソ連が仲間になっているので、ここ民主世界は、韓国と日本と米国が一つにならなければなりません。互いに一つになって綱引きをするのです。綱引きをするには、一番前に強い人が立たなければなりません。弱い人が立っては駄目なのです。共産世界は中共とソ連が金日成を中心として一つになって引っ張っているのですが、民主世界の米国や日本は引っ張られるようになったのです。それで仕方なく統一教会のレバレンド・ムーンが韓国を代表し、日本の食口と米国の食口と一つになって日本と米国と韓国に問題を起こしながら、「霊的に、精神的に戦って勝たなければならない。反共をしなければならない」と主張をしているのです。

 共産党は外的に勝利した立場に立っていますが、私たちは霊的な面で勝利した立場に立ったのです。ところで、霊的な面がより強いため、私たちは共産党よりも強くなければならないというのです。霊界全体がすべて協助しているのですから、私たちの側の数と共産圏の数とでは、どちらが多いですか。そこに、裁判長である神様までもが私たちの側だというのです。

 問題は何かというと、共産党が人類を愛するのと、統一教会が人類を愛するのと、どちらがより愛するかということなのです。神様は、それを審判しようとします。神様が見ているのです。それで、統一教会は、ホーム・チャーチを通じて「家庭を愛せよ」という運動をしているし、共産党も細胞組織を通じて家庭に入っていって運動をしているのです。どちらがより愛するか見ていなさい。強制でなく、「自ら進んで従っていこう」という運動が起こらなければなりません。

 共産党は、教会を破壊し、家庭を破壊し、キリスト教と米国を滅ぼし、すべてを滅ぽすのです。ですから、「私たちは教会と家庭を生かすためにホーム・チャーチ運動をする」という言葉が出てくるのです。このような結論が下るようになったのも、偶然にそうなったのではありません。歴史の帰趨がそうであるため、神様の摂理の方向を見るとき、そのような避けられない結論に到達したという事実を、私たちはここで直視しなければなりません。

 ホーム・チャーチは、本来、昨年からしなければなりませんでした。一九七八年から、七九年、八〇年、八一年の半ばまで、三年半の間にするようになっているのです。ホーム・チャーチをつくったことは夢のようだと思いなさい。それで、先生がみ旨のために生まれ、み旨のために生きるのと同様に、皆さんもホーム・チャーチのために生まれたということを知らなければなりません。ですから皆さんは、どこにでも行くことができなければなりません。皆さんは、この地に地上天国を成す時まで、ホーム・チャーチを続けなければなりません。

 皆さんは、氏族的メシヤから、民族的メシヤ、そして国家的メシヤにまでなれるというのです。国家的メシヤまで行くことができるというのです。三年半でできなければ七年かかります。それでもできなければ、三次の七年路程を行かなければなりません。二十一年かけなければならないというのです。


三 韓国超教派運動と南大門教会事件

十三年間投入してきた超教派運動

 反対を受けていた人が勝利し、反対する人を自然屈服させられる基盤を世界的に築かなければならないのが天の行く道だということを、皆さんは知らなければなりません。それで、キリスト教が私に反対しましたが、反対するこのキリスト教を十三年間、超教派運動を中心として統一教会の予算よりたくさん使いながら食べさせ、助けてきたのです。

 うちの幹部たちは、「先生、そんなことをする必要がどこにありますか。うちの教会のために使ったほうがどんなに良いですか!」と言います。しかしながら、それはよく分かっていないのです。キリスト教を助けてあげ、大韓民国を生かさなければならないというのです。

 大韓民国を生かす道は、朴政権に対してデモすることではなく、金日成を追放することなのです。それがキリスト教の責任であるということを私は知っています。ところで、そのことが政府にも分からないので、私が多くの基盤を築いたのです。どのくらいまで基盤を築いたかというと、超教派運動に統一教会が加入しているといって、理事会でそれを除去することができないくらいにまで、十三年間かけて基盤を築いたのです。理事が七人ならば、五人は私たちの側になるようにしておいたのです。


キリスト教牧師が統一教支持声明の発表計画(一九七九・夏)

 三次の七年路程を定めて歩んでいくことがどんなに忙しいかというのです。二十一年間です。ですから死ぬに死ねないのです。死の絶頂にあっても死ぬことができないというのです。私が死ぬ寸前にあっても、生かしてあげなければならない責任が神様にあるのです。生かしてあげない日には、神様のみ旨を成すことができないのです。

 そのように考えるとき、先生が三次の七年路程のすべての蕩減内容を経て、自由世界に対する蕩減条件をすべて立てて解放圏に入ることができる立場に立っているという事実、これは天と地が、あるいは統一教会自体が、全人類が喜ぶことができる内容であるということを知らなければなりません。今年の夏、韓国では全宗教界の重鎮がレバレンド・ムーンを歓迎するための準備をしているという報告を聞いています。そのようになる日には、世界は一瞬にして回るのです。私たちの原理をもってキリスト教を一つにするのは、問題ありません。

 もう、六月になれば、韓国で三千五百名の牧師たちがレバレンド・ムーンを支持する運動をするという報告を、私は聞いています。うれしいでしょう? (歓声、拍手)ユダヤ教とキリスト教とが今もこのように闘っているのに、先生は、生きている間にこのようにしてしまいました。私にあれほど反対していたキリスト教が変わり、あれほど反対していた韓国が変わりました。もう、私に反対する人がいないというのです。先日韓国に行ってみると、「韓国五千年歴史が誇る愛国者である」と言っていたのです。

 そして今、全世界のキリスト教は、「韓国のキリスト教だけが生きている」と言っているのです。また、国を見るとき、共産世界と民主世界の間の難しい中で、それでも復興している国は、世界を代表して韓国だけであるというのです。すなわち、共産世界と民主世界の間で、米国自体も共産主義に巻き込まれていっているのです。また、日本にしても、すべてが私に反対していたのに、今では共産党だけが騒いでいるのです。そして日本と韓国をはじめとした全世界の学者たちが力を合わせて、「先生を後援しよう」としているというのです。(柏手)


申四勲の統一教会批判講演阻止事件(一九七九・四・二四、ソウル中区陽洞南大門教会)

 南大門教会事件さえなければ完全に崩れるところなのに、この者たちが誤りを犯したのです。三ヵ月だけ我慢していれば、天下に翼を広げ、私がキリスト教に対して堂々と「会おう」と進み出ることができる基盤を築いておいたのに、「十年の勉強南無阿弥陀仏」(注:長い間の努力が一朝にして水泡に帰すこと)になったというのです。誰がそのようにしなさいと言いましたか。「私の命令がある時まで待ちなさい」と言ったのに、このようにしてしまったのです。

 外国の人々を宣教師として育てあげ、外国に組織をつくって機動隊を編成し、国際的な活動舞台を全部準備して「ヨーイ、ドン」をすれば、国家が動き、アジアが動き、世界を動かすことができる版図を、千辛万苦の末に築いて、その日を待ち焦がれてきたのにもかかわらず、このようになってしまったというのです。

 この峠さえ越えていたならば、今日、キリスト教はあのようにはならなかったはずです。このままで行けば、キリスト教も滅び、国も滅びるのです。さらには統一教会も滅びるのです。さらに進んで、レバレンド・ムーンも天の前に責任追及を受けるのです。

 このような立場に立って、私個人として見るとき、「歴史的な神様のために、誰にも負けない孝子になり、忠臣になろう」と考えながら、私自身をむち打って追い立てるのに忙しかったのです。大韓民国を生かし、世界を生かすためには、私の父と母を売ってでもするのです。私は、愛国者だ、何だと、あがめられることを願っているのではありません。私の願いがあるとすれば、それは垣根を崩すことです。

 民族と民族の間にある数多くの垣根を誰が崩すのですか。それは、人が崩さなければなりませんが、何をもって崩すのでしょうか。力で崩すのではありません。涙と血と汗をもってこそ、それが崩れるようになっているのです。歴史時代のいかなる孝子以上に父母のために孝行し、国のために忠誠する心をもって、天地の運勢を胸に抱き、常に天に侍ることができる王国を準備し、愛の心をもって崩してこそ、崩れるようになっているというのです。


四 朴正煕大統領逝去と前後措置(一九七九・一○・二六)

真の御父母様の急遽帰国と危機警告(一九七九・一〇・二五、帰国〜二・三、出国)

 現政府は、少なくとも私たちの三次七年路程が終わるときまでは残っていなければなりません。二十年間は、何としてでも持ちこたえなければならないというのが摂理史的な見方です。私たちは内外共にすべてを成しておかなければなりません。そうすることができる内容を、すべて具備しているというのです。

 私たちは、二十年路程を行かなければならないのですが、国家も、二十年路程を中心として波乱曲折を経ながら外的な基地を強固にしなければなりません。経済基盤や、国家安保のための政治体制において、波乱曲折があろうと二十年間は残らなければならないのです。そうなれば大韓民国はアジアを代表して天運を継承するようになる、と見るのが統一教会の信仰観です。

 大韓民国は、一九八〇年代まで無事に越えなければなりません。今年が峠です。今年が難しい時です。十月を越えて、十一月を越えて、この三ヵ月間が峠であると見るのです。この期間が一番難しいのです。ですから、為政者たちは大きな腹をもちなさい、肝っ玉を大きくもちなさいというのです。

 私は何がどうでこうで、反対する人がどうでこうでと、米国のあらゆる情報をよく知っている人です。反対する輩が私を追い出そうと、ひたすらありとあらゆる陰謀を企てています。しかし「私がお前たちに巻き込まれるようなら、とうの昔に統一教会を売り払っている。私は人の言葉を聞いて生きる者でなく、天命に従って生きる人なのだ」と考えながら歩んでいるのです。大韓民国に、来年四月までその余波が続くのではないかと見ています。

 私がある人をして、車ヂチョルに「今年の十一月三日までに方向転換しなければお前は滅びる」と胸ぐらをつかんで詰め寄って言いなさい、と命令して送ったのですが、反対に、訪ねていった人が横っ面を殴られたりしたのです。そうして、一週間もしないでその事件が起こり、みな滅びてしまったのです。通りがかりの人、関係ない人のようなレバレンド・ムーンの言った言葉がそのような影響を及ぽすとは誰も知らなかったことでしょう。その時、事態が穏やかではなかったので私が飛んで来たのです。私が飛んで来た二日目に、そのようなめちゃくちゃなことが起きたのです。

 大統領が亡くなる三週間前に、人を送りました。そして「十一月三日を越えてしまったら大変なことになる。私の話を聞きなさい」と通告したのです。車ヂチョルに「大統領につないでくれ」と言いました。すると、「誰だ?」と聞くので、「文先生の言葉だ」と言うと、拒絶したのです。それで結局、腹が張り裂けて死んだではありませんか。これは脅迫ではありません。そのような悲惨な事実が起きたのです。私に反対する人はみな順調でなかったことを、私は見ているのです。


朴大統領夫妻殺害事件と国難克服

 大韓民国の歴史は悲惨な歴史ではありますが、悲惨で終わるのではありません。下がっていくサイクルの運勢圏内でこれまで呻吟しましたが、上がっていく時が来るはずです。そのように見るのです。皆さんは今、朴大統領が逝去したという、歴史に類を見ない悲しみを迎えました。その方は、夫人である陸女史を四年前、足掛けでは五年前に先に送り、自分自身もこのような悲運の道を行くようになりました。しかし、これは純然に自分のためではなく、この国、この民族のために祭物として逝ったのです。

 それでは、このような歴史的事件はこの民族が奥深く打ち込まれるための、急降下するためのものでしょうか。そうではありません。下がっていったものが一挙に跳ね上がることができ、将来一つの水平線を貫いていくことができる、一つの新しい歴史的な起源を準備して、一つの門を開く道にもなるというのです。

 大韓民国は五千年歴史の間、ずっと下がってきて、このような悲運の事実が起こり、悲痛な心をもつ立場に立つようになりましたが、この民族は、ここで挙国的に団結しなければなりません。天運がこの民族を引っ張っていくことができる道が必ずあるとすれば、それをこの民族がつかむとき、真っ逆さまに落ちるのでなく、飛躍できる一つの起源を迎えることができるのです。私はそのように見るのです。

 宗教世界において、なぜ「祭物が必要だ」と言うのですか。祭物とは何でしょうか。それは、これまで塗炭の苦しみの中にいた人々が飛躍できる新しい起源として、一つのサイクルの方向を転換させるための、一つの個人的な悲運を天運の方向に接ぎ木するためのものです。

 このような立場から見るとき、陸女史が四年前に逝ったことにより、全国の複雑な環境をすべて埋めて新しい方向に向かうことができる道を準備してくれたのではなかったですか。また今回の事件は、世界的には本当に恥ずかしい問題ですが、このようなことが悲劇で終わってはなりません。

 私が清平にいながらずーっと考えてみたとき、その方は本当に苦労したというのです。一国を率いて、開拓の道を行くということは非常に難しいことです。私自身、やはり統一教会という一宗教団体を率いてきた者として、開拓者の心情をよく知っています。開拓がいかに難しいかということを知っているのです。誰とも事情が通じ合えない寂しさと孤独が染みわたっているのです。それこそ、身もだえしつつ夜を明かしながら、独り涙を流すことがいくらでもあるのです。

 それゆえ、本当に助けてくれる力を誰かがもっているとすれば、一〇〇パーセント自分を放棄して、その人にしがみつきたい心情が常に周辺に漂っているのです。そのような環境で、難しい条件を打開しながら政権を執ってから十八年、足掛け十九年になりましたが、その間に韓国がこれほど世界に知られるようになったということは彼の功績であり、私たちはその功績を褒めたたえなければなりません。

 現政府がこのような悲運に処しているからといって、ここで希望を失ってはならないのです。朝野が結束しなければなりません。今、しっかりつかまなければならないものとは何でしょうか。共和党はこれまで向かっていた方向にそのままいるのではなく、ここで飛躍できる新しい姿をもち、この民族が国家の運命の道を越えて天運が行く方向をつかむことができる立場に立てば、新しい希望の民族として飛躍できる道がすぐに開かれることでしょう。私はそのように考えるのです。そうすることができればどんなに良いでしょうか。

 それゆえ、全国民は自ら反省し、軽挙妄動することなく沈黙を守りながら心の声に耳を傾け、天運の脈拍に自らを寄与させることができる道を模索する立場に立つならば、これは、この国、この民族の前にこの上なく悲しいことであると同時に、この上なく喜ばしいことにもなり得るのではないでしょうか。全国にいる私たち統一教会の信徒たちは、このような時であればあるほど、国のために働かなければなりません。国を救わなければならないのです。

 それで、十月の朴大統領弑虐(注:主君・父などを殺すこと)事件以後に私たち統一教会は何をしたでしょうか。金日成が韓国を侵犯できる良いチャンスだと思ったので、勝共連合を中心として七十万名を確保し、団結大会をしました。生命を覚悟して莫大な財産を投入しました。政府がしなくても、民が何と言おうと、これを負い、基盤を築いて戦わなければならないのです。

 それは何のためですか。神様のみ旨のためです。反共戦線を構築して、この韓国の地から共産党を防ぎ止めなければならず、青少年たちが倫理的に堕落していくのをこの韓国の地で食い止めなければならず、キリスト教が没落していくのをこの韓国の地で復興させなければならないのです。もしキリスト教が受け入れなければ、キリスト教をほっておき、統一教会の基盤をもってしなければならないというのです。


民族の将来のための祈祷

 今回、韓国に行きましたが、韓国は大度だったのです。私は、行く計画もしておらず、行こうとも思わなかったのですが、世界と神様と韓国のために行ってきたのです。

 国が、世界がひっくり返るかもしれない危機にあったのですが、私が行くことにより、天が中心となって、緊急にカーター政府がそのように措置するようになったのです。レバレンド・ムーンを先に送ったので天が威信を立て、その条件をもってそのようにできたのではなかったかと考えるのです。米国が朴大統領の死後、緊急措置をして防御するようになったのは、このような状況でなされたのです。天が共にあるべき何かがあったのでそうなったのです。私が涙を流しながらこの民族の将来を天の前に訴え、人類のために、正に精誠を込めて祈祷したのです。

 朴大統領の葬儀を執り行う日、私が韓国の地をたたなければ出てくることは難しかったのです。「天よ、韓国に責任をもってください」と涙を流しながら祈祷したのです。神様のために、人類のために、自由世界のために、韓国のために、私が涙を流したのです。それを知らなければなりません。「金日成め! 私がこれほど愛する地をお前が侵犯しようとすれば、私よりももっと愛することができる心をもたなければ越えることはできない!」。そのように祈祷して飛行機に乗ってきたのです。そのようにしてきたので、どんなに心が軽かったか知れません。


五 米国主要行事と活動

米国約婚式(一九七九・五・一三、七百五組)

 今、私たちがなすべきことは、米国の整備作業です。今の時は緩衝時代に入っているというのです。「統一教会は悪くない。ことに今回の合同結婚式を中心として見るとき悪くない」と言っています。米国の家庭が崩壊していくのを見るとき、すべてが腐っていっているので、将来、遠からずしてぽろ切れになり、雑巾の切れ端となって滅びるのは明らかなのです。自分たちがよくよく見れば、家庭破綻から、教会破綻など、すべてに破綻が起きているのに、統一教会をじっと見れば反対なのです。新しい結婚観を中心として、世界的に人種を超越して七百組が結婚し、統一教会は、この国家を生かそうという新しい運動を繰り広げているというのです。(拍手)

 先日、米国の有名なカトリックの雑誌にも出ましたが、統一教会の結婚方法が実に神様のみ旨に合っているというのです。米国はこれまで統一教会の人々に「来るな」と言っていたのですが、米国の国務長官や外務長官に会って折衝しました。その結果、韓国や各国の大使館で、これまで統一教会員が出られないようにビザを出してくれなかったのですが、出してもらうようになったのです。

 レバレンド・ムーンが勝利したことを、結局はどのような人に相続してあげるのでしょうか。父子の関係をもって最後まで従ってくる人です。今回、五月に皆さんにしてあげた祝福は、そのような意味での事件だと考えるのです。ヨーロッパから回ってきて、ここで結末をつけたのです。さあ、それでは、今皆さんはどのような自負心をもたなければなりませんか。「私は真の父母が立てた勝利的な伝統を受け継いだ」ということです。何がその伝統を受け継いだという証拠となるのでしょうか。ホーム・チャーチです。


朴鍾九氏を中心としたカープ活動

 こうした次元の時代に入ってきたので、ここ米国の若者たちの前に火をつけなければなりません。「カープ(CARP)の活動を中心として大学街を攻撃しなさい」、その次には「家庭に訪ねていってホーム・チャーチを中心として攻撃しなさい」という命令を下しました。町の家庭の若者も私たちのような若者にしなければならず、私たちのような家庭の基盤をもたなければなりません。そして大学街では、統一教会の青年のような青年たちをつくりあげて確保しなければなりません。そうして、米国が反対せずにレバレンド・ムーンを支持する環境に入っていけば、その次には私たち統一教会は何をするのでしょうか。共産党をつかむのです。

 一九七七年十二月にカープ活動を最初に指示して始めたにもかかわらず、米国の若者たちは戦うことを知らないのです。それで、三十六の有名な大学を選び、現在十二名ずつ派遣して戦っているのです。では、なぜ戦いをするのですか。天運を知ることができない米国民であり、青年たちなのです。特に年の多い人は天運を知らないのです。さらには若い人々がすべて落伍者になり、地獄の落とし穴に落ちていっているというのです。これを防ぎ、彼らの向かうべき方向の旗手となる人は統一教会員しかいないのです。ほかの人は絶対になることができません。

 カープ隊員たちに「君たちは責任者として、一週間で米国の東部と西部を往来しなさい」と命令を下しました。「全国は一ヵ月の活動舞台である」と言ったのです。先生は、米国に最初に降り立つと同時に、四十日間で四十八州を完全に走破しながら、回るべき所はすべて回ってみたのです。皆さんのする前に既に全部やったのです。

 一九七八年までに、私が三万名を教育してさっと配置すれば、先生がいなくてもこのことは完全に可能であると判断したのです。三年間、万人が十人ずつ伝道するようになれば、三十万名を越えるので、全米国に配置しても余るのです。そうすれば、ホーム・チャーチ圏内にすべて入っていくと見たのです。

 しかしながら、教会がやれなかったので、仕方なくカープを先頭に立てて一九七七年から始めたのです。一九七七年から一九八〇年までの三年間にそれをしようとしたのですが、米国の人々が責任を果たせなかったため、仕方なくタイガー朴を先頭に立てたのです。共産党とぶつかって戦い、既成教会の牧師を訪ねていきなさい。ならず者がいる所を訪ねていき、淪落するすべての所を訪ねていきなさいというのです。

 カリフォルニア大学のような所は、米国西部における共産党の基地ですが、カープ活動を積極的にしてぶつかりなさいというのです。その核心的共産主義者たちが「ムーニー KCIAの手先」と言って騒いでいますが、私がKCIAですか。ブレイン・ウォッシュ (注:洗脳)だとか何とか言っていますが、何を言っているのだというのです。「おい、鍾九、お前の名前はタイガー朴だろう。タイガーが出ていって戦うときは、雄が独りで出ていって戦うのだ」と言ったのです。

 最初出発するとき、八十数名を西部に配置して戦ったのです。共産党も命懸けなのです。共産党上部からの指令を受けて、彼らは米国で行っているカープ活動に譲歩すれば日本のようになるということが分かっているのです。以前、共産主義者たちは、カープを軽く見ていたのです。

 それで、「こいつら、統一教会がそんなにくみしやすいとでも思っているのか。レバレンド・ムーンを見くびるな」と言いながらタイガー朴に「一人で出ていって戦いなさい」と指令を下したのです。それで、彼は一人で堂々と出ていき、「責任者、出てこい」と言って戦ったのです。テコンドーをマスターして、大胆に出ていったので、若い者たちに火がつくのです。

 それで現在、昼夜の別なく闘争しているのです。昼は大学で戦い、夜は私の所に来て報告し、また戦い、報告するというように、私が直接指導したのです。そしてカープ運動に反対する学生所長や学長を告発したのです。そうすることができる材料を我々がもっているのです。ですから、法廷闘争が起きたのです。

 見てみなさい。大学街で勝利して基盤を築き、教授たちから認められれば、社会においで警察局長などのような人々から認められるようになるのです。大学街において勝利すれば、社会の中枢的な活動をするところで継承者になるのだということを知らなければなりません。


国会議員糾合活動

 統一教会のグッド・ニュースは、統一教会自体から出てくるのではなく、米国の国会から出てこなければなりません。その次には言論界で、「我々はレバレンド・ムーンに負けた」というところから出てくるのです。そうすれば、統一教会では、「わあ!」という歓声がわき上がるのです。またその次には、既成教会から出てこなければならないのです。

 今回のワシントン事件がなぜ偉大な事件かというと、既成教会がグッド・ニュースを私たちに与え、国会がグッド・ニュースを私たちに与え、ワシントン・ポスト紙が私たちにグッド・ニュースを与えたからです。怨讐がすべてグッド・ニュースをくれたというのです。(笑われる)宗教歴史を中心として見るとき、このようなことが統一教会で起きたということは、最初で、最後なのです。

 どれほど大きな事件でしょうか! 歴史的事件なのです。皆さん、三日間で歴史的な事件が終わったということ、しかも、先生が六十歳を越える正にその前日(一九七九・二・一)にこのことが終わったということは、歴史的な事件だというのです。

 大韓民国の解放は、韓国一国でいくらやってもできないのです。米国を動かさなければならず、自由世界を動かさなければなりません。金日成を打つには、大韓民国の力をもってしてはできません。日本と米国の力を借りなければなりません。

 では、それを誰がするかというのです。それは、大韓民国の現在の大統領ではできないのです。そのような面において私が必要なのです。大韓民国の国民が私の世話になるでしょう。そのような力が私にあるかどうか、私には分かりません。しかし、私は天をつかんでこれまで人間ができなかったことをなしたので、現在の立場から見るとき、極めて可能な圏内にあると考えるのです。

 先日私は、米議会にあるうちのPRチームを通じて、一日で上院議員十五名に会い、下院議員二十五名に会いました。今ではそのような基盤をすべて築いているのです。国務省がびっくりして、「えっ、あなたは国務省の紹介を受けることもなくそのように会うことができるのか。誰を通じて会ったのか」と言っているのです。あなた方は自分たちだけ基盤があると思っていますが、私がそのような基盤を全部築いておいたというのです。


米国法曹人原理公聴会および国際司法協会創設(一九七九・八・九〜一二、バハマ、六十二名)

 今回、学者世界で支持圏をつくりあげ、それから一般社会では、弁護士や判事、検事を集めて修練会をしたのです。現在、統一教会で使っている弁護士が二百名を越えます。米国で一番有名な弁護士はみな、私が握って使っているのです。最初は、無条件に一時間で五百ドルまで払いました。平均で三百五十ドル支払ったのです。お金をたくさんあげたので、最初はひたすら矢を向けられながらも弁護したのです。ところが今では、「いやあ、弁護して良かった」と言っています。「レバレンド・ムーン」が分かってくると徐々に世論が良くなるので、すべてが良くなったのです。

 このようなことを分かったので、私が「みな来てください」と言って、バハマに全部集めて修練会をしました。突然に集まれと言うので、本人が来なければならないのです。「来ない」と言うなら、もうあなた方のような年の多い人はやめにする、若い人をいくらでも使うことができるというのです。そうして六十二名を集めて、四日間修練会をしたのです。

 「私が悪口を言われる立場になかったならば、弁護士と関係を結ぶことはなかったはずですが、悪口を言われることにより、このようなことを成さしめてくださった神様に感謝します」と祈祷しました。神様が御覧になって、「うん、韓国人、お前本当に良くやる」と言われながら、神様の笑いのふろしきがゆらゆら揺れたのです。こうして四日間教育したのですが、そのことが忘れられません。

 そこに憲法問題に責任を負っているとても有名な人がいたのです。その人が聞いて、帰ってきて、うちの総務部長と握手をしながら、「あなたと私と、心を合わせて先生のために生命を捧げて戦いましょう」と言って涙を流したというのです。「これまで正義に立脚して、内容も知らずに弁護したのですが、分かってみると米国の国民はあまりにひどすぎる」と、言いながら悔しがるのです。

 一次、二次、三次を終えたのちには、「国際司法協会」をつくったのです。世界の有名な弁護士をみな引っ張り込んで何をするのでしょうか。日刊新聞をつくって共産圏内の弁護士、判事、検事に出張させて取材するようにするのです。そうすれば、公開しないようにといってもしないわけにいきますか。それで独裁世界の背後を撃破できる陣をはっているのです。


第八回「科学の統一に関する国際会議」(一九七九・二・二二〜二五、ロサンゼルス
センチュリー・プラザ・ホテル、七十二ヵ国、五百二十名)

主題:絶対価値の探求と学界の責任


 このたびの第八回「科学の統一に関する国際会議」に参加することを決定してくださったことに対し、感謝申し上げます。皆さんの参加のおかげでこの会議は、毎年その重要性を増しています。

 私がここでお話ししたいことは、人間はその起源から価値を所有しているということです。人間は神様の創造物です。そして人間は、創造目的に符号する明確な価値観をもって生きるように創造されました。本来、巨大なる価値観を所有してきた創造物であるにもかかわらず、人間は、その価値観を無視して科学の万能性を信じ、それを万病の薬とみなしています。その結果、科学技術は徐々に公害を増加させる原因となっています。

 科学は、人間生活において、単純な手段であり目的であってはなりません。人生の目的は、神様の創造目的を実現するところにあります。人間は、霊と肉の結合体です。したがって人間は、肉的生命を土台にして価値ある人生、すなわち愛と真理と善と美の生活をするようになっています。便宜的に言うならば、科学技術は霊的生活に符合し、肉的生活に必要なものです。したがって価値ある生活を強調せず、また無視する科学は、むしろ価値観の破壊をもたらし、今日のような恐怖と不安の現実に導くのです。この不安な現実から人間を救うことは、真の価値観を追求し、発見することによってのみ成し遂げられます。科学は言うまでもなく、絶対価値に起因したこの価値観に一致しなければなりません。

 この絶対価値はどこで発見できるものでしょうか。私が思うに、それは、神様の愛においてのみ見つけることができるものであり、神様の愛による真理と善と美、すなわち絶対価値です。結局、科学技術の悪用による被害から人間を解放することは、科学自体が神様を認識し、神様の愛と同じ方向にその技術を応用するときに可能なのです。

 今日までの科学は、真理を追究することにおいて、特定の現象に対する直接的原因を研究してきましたが、存在の全体的動機や理由に対する探求を取り扱ったことはありませんでした。したがって、科学が直面している最後の挑戦は、存在の究極的理由に対する問題です。物質の本質とは何かという問題の中で、まだ探求されないでいるものが「存在の理由」です。生命の本質というものが何かという問題の中で、生命の「存在の理由」それ自体が探求されていません。

 私が提起しようとするその理由をもう少し明確にしようとすれば、まず目的性を認めなければならず、その目的性を認める前に、その目的をつくり出した意志、すなわち、万物を超越した「宇宙的意志」を認識しなければなりません。この宇宙的意志を神様と呼ぶとき、未解決の問題を明確にできる最初の段階は、神様の創造目的をはっきりと知ることであり、第二段階は物質と生命の現象において、肉的、化学的要素とともに、各自を一定の目的に向かわせる原因的動機が存在するということを感知することです。

 以上のことを簡単にまとめると、人間の幸福のために発展してきた科学は、今日、人間の生活に障害と被害までもたらしました。このような被害から抜け出す唯一の方法は、神様の愛を中心とする真の価値観のもとで科学を発展させることにあります。

 より多くの科学者たちが、科学が限界に至ったことを認めるようになれば、彼らは、この限界を超越できる鍵が、すべての物質、および生命的現象の背後で神様の創造目的によって動いている動機にあるということを発見するようになるでしょう。

 絶対的真理に関する皆さんの研究と真理追究が成功するよう願います。この会議の発表に現れる皆さんの努力の結実が世界平和に貢献することを、私は確信しています。

















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