祝福家庭と理想天国
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第三節 約婚事例

  事例1:自分のために祈祷する者

 先生が彼らに自分の対象者(結婚したい人)を紙に書いて出しなさいと言ったら、ある人は五人書いて出しました。ここに参席した人の中にも多分そのような人がいるでしょう。だから先生は、今回十人以上書いて出しなさいと言おうかと思いました。しかし、十人以上書いて出しなさいと言っても、困るというのです。名前を知っていなければならないでしょう。十人を越すからといって、顔を丸く紙にかいて表示することもできないですからね。名前の三字をはっきり書き出さなければならないというのです。ですから、多くても困るのです。それで五人ぐらい書きなさいというのです。

 ところで、その紙に書いたものを見ると、本当に見物です。女性たちは、男性たちの中で一番ハンサムだという人にみんな集中しています。同様に、男性たちも、女性の中で一番きれいだという女性にみんな集中しているのです。五百人ならば五百人全部が、そのハンサムだという人に集中しています。そうかといって、一人に五百人全部を嫁にやることもできないので、四百九十九人は引き離さなければならないという計算が出てくるのですね。そうなれば、男性たちより女性たちが本当に困るのです。

 どうしても男性たちが考えることのほうが、女性たちよりもましなようです。先生が男性たちの書いて出した紙切れをさっと見て、「おまえが書いて出した第一該当者は、他の所へ飛んで行ってしまった」と言えば、男性たちはただそのように理解します。ところが女性たちに「書いて出した第一該当者は、他の女性の所へ飛んで行ってしまった」と言えば、女性たちはつんつんとして騒がしいです。これはどういうことですか、私は気分が悪くて死にそうです。飛んで行ってしまうのが当然な道理ではないですか。ところが女性たちは、五〇〇対一ということは、考えもしないのです。むしろ、「私が先生のために祈祷をしたので、先生は間違いなく私の祈祷を聞いてくださるだろう」と、こう思っています。そんな祈祷は千年しても何の役にも立ちません。そんな祈祷はやめなさい。その祈りは、自分の欲を抱いた祈りだというのです。これはいけません。そうではありませんか。四百名全部が「あの人に私を嫁がせてください」と祈るというのです。みんな祈祷をするというのです。それでは、神様は誰の祈祷を聞いてくださるでしょうか。祈祷をしなかった人に同情するというのです。先生が神様の立場に立っても、そうするしかないのです。

 ですから自分のために祈祷する人は、みんな欲張りです。むしろ、祈祷をせず、「あなたの前にすべてをゆだねます。劣った私が迎えるべき相対はいないでしょうか。ただ父の計らいのままになさってください。ただ一人老いて死ぬのなら喜んで生きて死にます」と考えなさい。それが最も気楽だというのです。

 ところがこのように考えないで、自分たちだけで、統一教会が何がどうでこうでとささやくのです。そういうのを先生は感じます。そうなれば、およそ一週間じっとほうっておきます。そうすれば彼らは、結果が出てこなければならないのに、出てこないので騒がしいのです。およそ三日くらい過ぎれば深刻になり、御飯も食べないのです。そのように一週間ほど過ぎて、この世的な目から解放され、再び生き返ったと先生が思った時、結果を発表してあげるのです。

 相対を決めてあげるにおいて、その相対が嫌だと首を横に振る者には、絶対先に決めてあげません。そのような者は、最後に決めてあげるのです。先生は決めてあげないのに、その者自身ではどうにもならないでしょう。ある人は、「私は祝福を受けるために水行し四十日精誠祈祷を捧げたので、先生が間違いなく初めに決めてくださるだろう」と考えますが、とんでもありません。その反対です。絶対そうではないというのです。自分を中心として精誠を尽くした人は、天罰を受ける人だというのです。

 しかし、「今回の祝福によって特別集会がありますが、神様、私の相対は誰になったとしても、あなたが喜ぶことのできる人の中で決めてください。その人が私の知っている人であれば、さらにいいです」と祈るようになれば、この祈祷は条件を懸けてするものなので、天と通じるのです。祈祷しようとすれば、そのような祈祷をしなければならないのです。ところが「私はその女性でなければだめです」と、みんなそんな祈祷をするようになればどうなるでしょうか。だめだというのです。(151)


  事例2:写真結婚

 ここにいる女性たち、よくお聞きなさい。日本にいる食口たちは、今先生の特命であれば、どんなことでもすべてします。日本の食口たちは先生が特命を下して、こんなことをしなさいと言えば、するようになっています。「あなたは韓国人に嫁入りするか」と言えば、百人なら百人が皆承諾をします。アメリカ人もそうです。「あなたは韓国の男性のうち、労働する人に嫁入りするか」と言えば、「はい」と言わなければならないようになっています。嫌だろうと良かろうと、「はい」と言います。それは、初めは嫌ですが、会ってみれば嫌でないようになっています。

 これは統一教会だけがもっている特権です。太平洋の向こうに夫を置いて、太平洋のこちらに妻を置いて、結婚式ができるのが、統一教会の理念です。一人は日本の東京で、一人はソウルの真ん中で結婚式ができるのが、統一教会の理念です。どれほどすてきですか。私もそのように一度結婚してみればよかったです。人々は、統一教会の祝福家庭に「やあ、あなたは私より立派だ。あなたの夫が私より優れている。私ができないことをしたので、海の向こうに夫を置いて結婚をしたので、私より立派だ」と言うでしょう。

 人を見もせず、写真だけ見て結婚したので、それはどれほど素晴らしいでしょうか。いつ一度会ってみましたか、目を一度合わせてみましたか、言葉一つ交わしてみましたか。ただ写真だけを見ても夫に侍ることのできるその心は、どれほど豊かですか。韓国の男性たちは全部嫌だと言って、写真だけ見た日本の男性を訪ねていけば、その心情がどれほど切ないかというのです。すごく愛したので、写真を見て結婚するのだというのです。それこそ理想的な夫婦です。

 こういうこと(普通の人ができないこと)を、統一教会の先生がしているのです。それゆえ、世の中は十分に理解し同参し得ないのです。今回、一二〇双を市民会館に集めて結婚させる時も、父母たちに、「あなたの息子・娘を結婚させてあげます」という公文を出しませんでした。「あなたの息子・娘を合同結婚させてあげるから、どうか承諾してください」と頭を下げませんでした。それでも、なぜ人の息子・娘を連れていき勝手に結婚させたのかと抗議する人に、一人も出会うことができませんでした。誰がそのようにできるでしょうか。

 これを見るときに、考えある人は違うというのです。どの団体、どの国家の誰がそれをし得るでしょうか。どの国の大統領がそれをし得るかというのです。それは統一教会だけができることです。祝福を受けた人たちの父母たちは、今も先生を有り難く思っています。そんなものです。(152)


  事例3:ある夫婦の話

 先生は少し前に全羅南道の巡回を終えてきました。そこに以前、祝福を受けるとき思い出すある娘がいました。今ここにその夫が来ているかもしれません。あるいはその娘も一緒に来ているかもしれませんね。その娘がどういう娘だったかといえば、他の人たちが皆選んでいって残った娘でした。ところで責任者としては、心情的にその人に同情せざるを得ませんでした。美しい人はどんなにほったらかしておいても、連れて行く人がたくさんいます。連れて行くなと言っても、けんかをしながら連れて行くというのです。しかし人は物と違って、嫌いな人は、拝んで連れて行けと言っても連れて行かないのです。全部選んでいって、一番あとに一、二人残りますが、その娘はその中の一人でした。

 男性の目は誰も皆同じく、美しい人物の見方を知っているのです。先生自身も、男性の立場でじっと考えれば、誰かにその女性と結婚しなさいと言えないのですね。ところで、その人にどう結婚を執り持ってあげるかというのです。もし皆さんがそのような人を執り持つべき立場であれば、どのように言葉を引き出しますか。女性でも男性でも一つのように先生を信じながら、自分たちに最上の相対を組み合わせてくれるだろうと思っています。ですから、みんな目が高くて願う基準はものすごいのに、それより下の基準にある人を組み合わせてあげられるかというのです。そうでないようにするには、最高の基準にある人を連れてきて組み合わせてあげなければならないはずですが、そうなれば、何にもなりません。だから、これをどうしなければならないでしょうか。

 それで何と言ったでしょうか。この女性と結婚するようになれば、間違いなく二世は素晴らしい美男と美女が生まれるだろうと言いました。ところが、この女性と結婚して、そういう子女を生まなければどうするでしょうか。その女性と結婚して一緒に暮らし、子供を生んだのに、自分たちに似ていたらどうしますか。間違いなく彼は、先生に抗議するだろうというのです。そうではないですか。統一教会の文先生が私をだまして結婚させたと、いくらでも抗議できるというのです。しかし、もし美人を生んだとすれば、すべてのことは簡単に解決されるのです。そのような深刻な立場で、彼らを組み合わせてあげたのです。

 ところでこの前、全羅南道を巡回してちょっと立ち寄る中間駅ですが、食口たちが出てきたというのでさっと見ると、その娘と夫が出てきていました。一遍に胸がわくわくするのです。赤ちゃんを連れて来たなと思ってその娘を見ると、赤ちゃんをおんぶしていました。それで、他の人たちがあいさつをしようとしまいとその娘の所に行って、「どれ」と、その赤ちゃんを抱いて見ながら、「こいつは本当に美しい」と言いました。そのようにして、その娘に勇気を与えて来ました。さあ、ですから、これに対しては笑って済まそうというのです。(153)


  事例4:不具の一人の女性

 祝福するとき、女性の中に不具者がいました。そうかといって、その女性の顔、姿は醜いのではありません。背後の因縁や天性は良い女性ですが、生後父母たちの過ちにより病身になった女性です。さて、男性たちにその女性と祝福してあげるというと、みなその女性が嫌だというのです。事実誰が、病人を好きだという人がいるでしょうか。ところで、ある一人の男性をじっと見ると、目がぽこんとくぼんでいて顔立ちに欠点がたくさんありました。その欠点を補充してあげられる女性が、まさにその女性ですね。それで先生が説得工作に出ました。「あなた、この女性は見た目にはこのようだが、良い女性だ。生活していて見るのが嫌な時があるが、その時は目をつぶればいいではないか。けれども女性の顔は本当にきれいだ。また、あなたが結婚するのは何のためか。まさに後代のために結婚するのではないか。そのような立場で結婚すれば、これは統一教会の歴史に長く残ることではないか。先生の一生で、忘れられないことではないか」と言いながら、ずっと話をしてあげました。そして、「あなたがその女性と結婚して娘を生むようになれば、美人を生むだろうし、息子を生むようになれば、将軍を生むだろう」と言って、組み合わせてあげました。

 数年が過ぎたのち、先生が地方巡回に行きましたが、その夫婦がその場に参席しました。ところで、先生を見るや否や、彼が私の前に駆けてくるのです。その間、どうなったか心配だったところに出会ったので、彼らの子供を見ようと思ったら、案の定、本当に美人の娘を生みました。それで自分の娘を自慢するのです。先生がおっしゃったことは間違いないと言いながらです。だから、皆さんも人の見掛けが良いといって、その人がいいと思ってはいけないというのです。(154)

 万民は兄弟です。もし自分の兄弟の中に不具者がいれば、彼のために犠牲になるのが兄弟愛です。また、父母がそのような立場にあるとしても、その父母に服従し犠牲になるのが孝子の道です。それが原則です。他の人は、醜いといって見向きもしないほど顔が醜く背も低い子供がいるとしましょう。それでも父母は、その子供が言葉にならないほど不憫に感じられるのです。神様の心情をもって、誰よりももっとその子供を愛するのが親です。(155)


  事例5:アメリカの精鋭の三人

 さあ、それを精細に話そうとすれば切りがありませんから、特別な事件だけ話します。アメリカには今、サンバ・クラスがあります。これはアメリカで私たちの教会を開拓した、表彰すべき女性たちの集まりです。彼女たちの年がどのくらいかといえば、今四十二、四十三歳です。結婚をしていたとすれば、みんな息子・娘もあるべき人たちです。この人たちを祝福してあげなければならないはずですが、相対をどこで求めるかというのが、ここ(韓国)から行く時からの先生の大きな問題でした。

 それで、先生がそこに行ってその問題をずっと説明したところ、よく理解したのです。それを見れば、西洋人はそのような観念をはっきり超越していました。四十二歳になった女性ならおばさんみたいですが、この娘に三十三歳になったチョンガーが結婚しようと言います。三十三歳であれば、四十二歳とは九歳差があります。

 イギリスの食口もアメリカにみんな来ていました。四十二歳の人と三十三歳の人が結婚すべきはずですが、それはだめだと考える人がいます。皆さんも自分ができるかどうかを考えてごらんなさい。静かに心で考えてみなさい。皆さんのおばさん、おじさん、お母さんが何歳か考えてみなさいというのです。子供を二、三人は産んだ年だから、顔がしわくちゃになって赤みはなくなっているでしょう。そんなおばさんのような娘と、花のような若い皆さんと結婚すると考えてごらんなさい。気分が出ますか、でませんか。男性たちは率直に話してみなさい。「出ません」。そのとおりです。気分が出ないという答えが原則です。

 では、先生が彼らを強制的に結婚させたのでしょうか。そうではありません。その人たちが見るのは、年一つだけ見るのではありません。その人たちは、名誉をとても尊重します。その人がどれだけ功績と実績をもっているかが、その人の人格を代身します。功績と実績がその人の全体を代表するというのです。そのような観念が東洋人とは違います。なぜそうでしょうか。その人たちは長く生きることより、短く豊かに生きることを重要視する考え方をもっているからです。そういう意味で、彼らには進んで事を成す面があるのを感じました。(156)

 これから独身男性たちは、先生に勝とうとすれば、十歳以上年上の女性と結婚できる広くおおらかな心をもたなければなりません。気分がいいですか。なぜ、よくありませんか。その国に一人しかいない王女でも気分が悪いですか。その国で一人しかいない女性でも気分が悪いですか。女性がたった一人しかいなければ、どうするのですか。男女の比率が一〇〇〇対一であればどうするのでしょうか。さあ、元気が出ますか、出ませんか。(157)


  事例6:あるオランダ宣教師の信仰

 オランダを開拓した人の中にテディという人がいますが、彼はアメリカでかなり有名な技術学校を出た旋盤技術者でした。彼は先生に出会ってオランダへ伝道に行き、オランダ教会を開拓してオランダで一代目の祖先となりました。彼の話を聞いてみると、言い難い苦衷が多かったということが分かります。彼は自分がオランダに行って蕩減期間を三カ月以上過ごすと誓った人です。彼は自分のすべてのものを捨てて波止場に行き、ふ頭で労働をしました。彼はアメリカで一カ月に一千三百ドルぐらいもらう有能な技術者であるにもかかわらず、また合格証だけ持ってオランダのどこに行っても大変な待遇を受けられる立場であるにもかかわらず、それをみんな捨ててしまって波止場のふ頭労働者になったのです。

 先生が行ってみると、船員たちと一緒に食べて暮らしていました。暮らし向きが甚だ困難でした。手はひきがえるの手のようで、顔はくちゃくちゃな労働者の姿になっていました。乞食の中の乞食になっていました。食事の時に食べるのはかちかちのパンでした。お金は一日に三十八ドルしか稼げませんでした。食べて暮らすのに忙しいにもかかわらず、それを割いて通帳を準備し、そのお金で原理を翻訳、出版しました。そしてその本に血書を書いて先生に贈呈しました。それを見るときに、先生は感じるところが大変大きかったのです。

 彼が伝道しに行くとき歩いて行っているだろうと思って、オートバイを買ってあげようかと聞いてみると、オートバイは嫌だと言いました。オートバイが嫌なら、何を買ってあげようかと言うと、自転車を買ってくれと言いましたね。それで買ってあげました。自転車を四年前に買ってあげましたが、大統領であれ誰であれ、その誰が触っても大変だという思いで、乗って通わず、今も新しいのです。こんなにまで精誠を尽くした人です。

 今度祝福してあげるとき、ヨーロッパの人たちを祝福しないわけにはいきませんでした。それで対象者たちをみんな集めておき、あらかじめ責任者たちに名簿を準備しておきなさいと言いました。他の人は互いに希望する対象がいましたが、この人は誰も考えてみた人がいませんでした。あなたは誰と祝福されたいのかと尋ねると、自分がアメリカにいたときに、真にみ旨に忠誠を尽くして従ってきた人を知っていると言うのですね。それは誰かと言うと、ポルリンという女性だと言いました。彼女は三十四歳で入教して八年になった食口ですが、トリスという食口と三位基台を成した人でした。彼女は、我がみ旨のための三名の革命闘士の中の一人でした。

 彼がアメリカで彼女と共にみ旨の道を行くとき、耐えて開拓しながら積み上げた功労も多かったのですが、幸福な時も多かったようです。同様にオランダを開拓した彼は、彼女が今まで十年の間、どんなに難しい環境でも、その環境で一人開拓生活をしていることをよく知っているというのです。彼女が今まで結婚できなかったという話を聞いて、先生がドイツにいる時、彼女と結婚できないかと問い合わせてきました。

 世の中には美人が多く、オランダ教会にも娘たちがたくさんいますが、社会生活の経験のない女性は、これからオランダ教会を抱えてリードできる母になり得ないというのです。(彼は、)もちろんオランダ教会にも、きれいで私自身のために相当苦労した娘たちが多いですが、それは問題ではないというのです。オランダにおいてどうにかして統一運動の伝統を残すためには、オランダを愛し、陰に立ち内外のすべての嫌なことを全部抱いてリードできる、母のような人が必要だというのです。それで彼は、他の人がどう思うか知らないけれど、現在アメリカにいるそのおばさんのような娘と祝福してくれというのです。

 それで「そのおばさんのような娘は、顔つきも馬みたいに見える。馬が立って歩くような女性だ」と言ってやりました。皆さんがそんな言葉を聞けば、気分がいいですか、悪いですか。

 祝福の場で祝福を受けられなかった人を集めなさいと言った久保木も、そのおばさんのような娘と出会うや、ひどく驚いたというのです。「何でこんな女性がいるのか」と言ったというのです。そこまで醜ければ、本当に醜いというのです。顔が長く、額を出せばぶざまであり、背中は曲がり、鼻は大きく、背もまたどれほど大きいか、レスリング選手はあっちへ行きなさいというのです。この女性が笑うのを普通の男性が見るならば、たぶん驚いてふろしきを包んで逃げていくでしょう。それにもかかわらず、その男性はその女性と、年を取るまで仲良く連れ添うというのです。

 こういうことを見て、先生は気分が良かったでしょうか、悪かったでしょうか。まずは気分が悪かったのです。なぜなら先生は、若い青年に花のように美しい娘を抱かせてあげたかったからです。より良い未来の希望が膨らみ得る、見れば見るほど花の中の花が咲き、香りの中の香りが香る、夜に昼に「私の愛する人よ!」と言えるそのような人と結婚すればいいだろうというのです。ところが、もはやこのような私の考えの基準から遠くなっているので、気分が悪かったのです。しかるに気分が良くなった原因は何でしょうか。み旨のために、神様の民のために、三百万オランダ国民のために自分が頑丈な土台を築くというのです。またこういうことをするために、これから男性はそうあるべきであり、女性の権威を高めてあげられる男性にならなければならないというのです。そういうことをしなければならないという、彼の言葉に先生は手を上げました。

 先生は結婚式をする日、とことんまで彼の誓いを受けました。先生は「年を取った女性は、少したてば子供を生むことが問題になる。四十二歳になったから、子供を産める期間はもう四年しか残っていない」と言いました。しかし彼は生むことができると言ったのです。それは問題ないと言ったのです。「神様は私どもを誰よりも愛し、ヨーロッパの家庭の中でも最も幸福な家庭をつくってくださるでしょう。創造主であられる神様が私どもに四位基台を完成しなさいと、息子・娘を下さらないでしょうか」と言うのです。それぐらいなら、彼は年を取った男性をはるかにしのいでいるのです。

 私はテディに「本当に、君の夫人になる人を伝道に送るのか送らないのかを、もう一度考えてみなさい」と重ねて聞きました。そうすると、「先生は私をお信じになれませんか」と言いながら、気分を悪くするのです。ヨーロッパはそういう人がいて権威が立ちました。

 飛行機に乗りさえすれば、アメリカからも瞬く間に飛んでくることができます。それで、すぐ彼女が来ました。さっと入ってくる彼女を、私はその男性の立場で鑑賞してみました。「あ! 女性があのように見えるから」と、先生も関心が行きます。娘たちを開拓伝道に送れば心配しますが、このような女性は、み旨のために北極地帯に一人行っても千年万年絶対安心できるというのです。同様に、社会経歴が多く、家庭でも教会でも、母として内外に不足がないというのです。そして自分が年を取っているのを知っているので、若い新郎に侍っていくためには謙遜が彼女の生活哲学になるべきなのを知っているというのです。謙遜でなくてはならないというのです。(158)


  事例7:蕩減復帰のための祝福

 皆さんはこんな反問ができるでしょう。「ではみ旨を成すためには、アメリカ人だとしても一緒に暮らしなさいというのですか」という反問を……。先生が暮らしなさいと言うときは、一緒に暮らすべきです。皆さんそうできますか、できませんか。どうしますか。韓国伝統の法は、それを受け入れられないでしょう。できないのです。しかし、み旨が成されるとすればどうしますか。ここのおばさんたち、答えてみなさい。どうしますか。暮らすべきですか、暮らさなくてもいいですか。皆さんはこれからこんな立場に立つようになるかもしれないのです。それでは日本人と暮らしなさいと言うときはどうしますか。蕩減復帰のための祝福というのは複雑なのです。また、おじいさんと暮らしなさいと言うときはどうしますか。そんなことはないでしょうが、もし暮らせと言うなら、どうしますか。「何、神様がどうして……」、そうでしょうか。そんな考えは自分の考えです。蕩減の道はどれほど複雑だと思いますか。

 聖書で見ると、タマルは誰と関係をもちましたか。タマルが舅と関係をもつことによって生んだペレヅとゼラが、天の祝福を受けた直系の祖先になったでしょう。同じように、バテシバの息子ソロモン王はどのようにして生まれましたか。そのソロモンは、ダビデ王が自分の忠臣であるウリヤを殺して、彼の夫人バテシバを通して得た子供です。自分の忠臣の夫人をもてあそんだため、ダビデ王は罰を受けて彼の子供は世の中を滅ぼし得る子供が現れるべきはずが、どうしてソロモンという栄光の王が生まれたのかというのです。どうしてそうなったのでしょうか。マタイによる福音書にラハブが出てきます。ラハブはどんな人ですか。遊女でしょう。ところで彼女は誰を助けてあげましたか。斥候を助けてあげました。それは、現実的には怨讐の国家のための仕事ですが、冒険をしたのです。天の公義のみ旨のためには、冒険をしなければならないというのです。自分の生命とすべての環境、そして自分の特権的なものをすべて否定しなさいというのです。そのようにするとき、歴史はそこから発展するのです。

 最近は、おばさんを抱えて暮らす青年たちがたくさんいます。しかも若い人々がです。自分のお母さんのような年齢のおばさんを抱えて暮らす人々がおびただしくいるのです。それはなぜでしょうか。皆さん、天地開闢という言葉があるでしょう。もともとまともな男性は、自分より年下の女性と結婚をしなければなりません。それが正常です。それでは、天地が開闢するということはどうなることでしょうか。逆になるのです。同年輩や兄弟間から一段階を跳び越えるのが天地開闢だというのです。自分より年を取ったお母さん級、おばさん級の女性と結婚して生きること、それが天地開闢です。

 若い人たちは老人たちに頭を下げなければなりません。ところが天地開闢のときは、老人たちが若い人たちに頭を下げなければなりません。なぜでしょうか。若い人を夫としてもらったなら、いくら年を取ったお婆さんのような女性でも、若い夫に頭を下げるのは仕方ないでしょう。天地開闢ではそのようになるのです。しかし、これは公式化された話ではありません。言わば、そういうこともあり得るということです。(159)


  事例8:六〇〇〇双の約婚時にあったこと

 今回、六〇〇〇双の合同結婚をしたときも、結婚の相対者の中には資格を完全に備えられなかった人も多かったし、彼ら個々人の出身を見るなら、慶尚道、全羅道、京畿道、忠清道出身が集まり、また、五大洋六大州から集まってきたので、人種のルツボをほうふつさせたのです。色とりどりであるだけでなく、でこぼこまであるので、衝突事故が起きないようにするため、交通整理で汗をかなり流さなければなりませんでした。彼ら一万二千名が狂った愛のヘッドライトをつけているので、ほかのものを見ることも、考えることもできなかったのです。

 彼らを誤って組み合わせてあげるならば、彼らの将来だけでなく、み旨成就にもつまずきを与え得るために、慎重を期さざるを得ません。数日内に数千双を組み合わせてあげなければならないことは、言葉では易しいけれど、どこが易しいことでしょうか。一度考えてごらんなさい。世の中では、一双を合わすのにも、見合いを何度やっても駄目な場合がどれほど多いですか。

 ここでは、一般的な方法では到底不可能なので、隠しておいた秘蔵の方法を採択するしかないのです。彼らを一カ所に集めておいて、鼻が大きい人は鼻を、目が大きい人は目を、口が大きい人は口を動けなくするのです。ひざまずかせて何時間でも座らせておきます。初めは身もだえをしますが、彼らもいくらか過ぎればネギのキムチのごとくすっかりおとなしくなるようになっています。そのような姿勢でいくらか過ぎれば、「間違っていました。先生がやれと言われるとおりしますから、許してください」と、言葉だけでなく心から屈服するようになり、組み合わせてあげれば、不満なく有り難く思うというのです。そうなれば、一気に組み合わせていくようになります。

 彼らはまた、先生の異なった一面を初めて発見するようになるのです。それは、神様が愛の神様であるだけでなく、審判なさる神様だという両面性を発見し、怖がる心理のようなものです。どちらにしても、繊細で愛の豊かな先生だと思ってきた彼らは、また、先生の異なった一面を発見するようになるのです。

 先生が彼らを組み合わせてあげるため三、四日立っていれば、足が痛くありませんか。それで運動をしなければならないのですが、窮屈な所で足の運動をしようとすれば、彼らの向こうずねやおしりをけるしかないのです。このようにしてみれば、彼らはあきらめた状態で、先生がさせるまま何の異議もなく順応するようになり、事は易しく解かれるようになっています。

 そうだとして、先生がでたらめに彼らに相対者を合わせてあげるのではありません。世の中で誰よりも多くの男女に配偶者を合わせてあげるので、その方面には自信があるのも事実です。皆さんの心理が分かるのは、どの心理学者や心理学博士よりはるかに優れていると自負します。

 皆さんには安全ピンが必要です。人間は、千差万別の道を歩んでいっています。その世界において「私」が破綻せず、事故を起こさず、存在価値を喪失しないようにする安全ピンは何でしょうか。それは、自分の運命の道を随従し、行くことです。「私」の運命の道を行かなければならないというのです。(160)

 六〇〇〇双の合同結婚式に参席したソ連衛星国家のある食口は、写真だけ見て結婚をしました。共産国家で活動しているので、結婚式に参席できなかったからです。ところで、韓国の若者たち、特に娘たちは、先生が選んであげる人が気に入らないと拒否したりしましたが、外国の食口たちが見るので本当に心苦しく思いました。それは心情世界の逆賊と同じですが、もうすべて過ぎたことになったので、これからは絶対そのようなことが起こらなければと思います。(161)













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