天総官 文興進様
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第二章 興進様の昇華と「愛勝日」宣布

一 摂理史において二番目が犠牲になる理由

 統一教会の四十五年の歴史を見れば、先生の家庭に不幸な事件があったでしょう? 興進君を霊界に送った事件などです。その背後における、統一教会の失敗と、成し遂げることができなかった様々な未完成の事柄を、先生の家庭を中心として蕩減しなければならないために、先生の家庭において悲惨な蕩減の痕跡が残されてきたというのです。(二一三−二三五、一九九一・一・二二)

 イスラエルとユダヤ教が間違ったことは、キリスト教が蕩減しなければならず、キリスト教が間違ったことは、統一教会が蕩減しなければなりません。四千年間のイスラエルとユダヤ教が間違った歴史的蕩減を、先生がすべてしました。それから、統一教会の食口が間違ったので、先生の家庭が十字架にかかるのです。それで興進が逝ったのです。粉々に砕ける環境を、先生がいなければ収拾できないその環境を、収拾しておいたのです。統一教会の皆さんが間違ったことを、先生の家庭がすべて責任をもっていくということを知らなければなりません。原理がそうではないですか。(二一三−一一八、一九九一・一・六)

 歴史的に見れば、必ず長子と次子を中心として、いつも次子は打たれてきました。ですから、先生の家庭を見れば、次男はすべて客死しました。どうすることもできないのです。(二七六−二二三、一九九六・二・二四)

 先生の家庭でも、蕩減するため、惠進が生まれて八日目に逝きました。苦労して産んだのですが、熱が四〇度を越え、呻吟しながら、母親のお乳も飲むことができずに泣いて逝きました。その時の先生の祈祷は、「この赤ん坊が、エバが堕落した以後のすべてを代表できる受難の祭物になるように願います!」というものでした。そのように逝きました。お母様に対しては、「涙を流してはいけない」と言ったのです。その墓を見る時も、かわいそうだという心を抱いてはいけません。私が霊界に行って会うことができるその日まで、元気に育つことを願うのです。それで先生が八十歳になる前に、すべて祝福させました。

 お母様にとっては二番目の娘です。男性も二番目がみな問題となるのです。エバが堕落する時に、家で堕落しました。外では堕落していなかったのです。家で行われたので、そのような蕩減の道を越えて、女性の中で初めて祭物として、潔く逝きました。母親のお乳も飲まず、生まれてすぐに祭物として逝きました。エバの原罪を清算した立場で腹中から生まれ、エバ自体が自主的に大きくならなければならなかった今までの女性を代表し、祭物として逝きなさいと祈祷したのです。(三一三−九六、一九九九・一一・一二)

 先生の一族の中で、二番目は、すべて客死しました。おじいさんの中でも文昇均氏のおじいさんが客死し、それから、兄弟の中でも二番目がすべて問題になりました。文長老のお父さんも客死しました。骨も捜し出すことができませんでした。それから、私たちの時代では、私が二番目です。元来は二番目をサタンが連れていくはずなのですが、連れていくことができないので、私たちの家庭の長子をすべて打つのです。

 長子権を中心として弟を立てたのですが、完全に凄惨になりました。そして、家庭は荒れ地になり、私一人が残りました。一人で越えてきてこの道を訪ねていこうとするので、内外に苦労するのです。原理をすべて探し出し、また実践しようとするので、内外にどれほど苦労したでしょうか。今でも異郷生活をしているでしょう? そうではありませんか。国が滅んでいったとしても、先生は使命をもってこのようなことをするのです。愛国者、聖人の道理、聖子の道を行こうとするので、世界でこのことをするのです。

 それゆえに、私たち統一教会を中心として見れば、劉孝元氏も二番目です。客死しました。そうではないですか。(二九七−二四三、一九九八・一二・一)

 私の家の中で、三代を中心として、そのように二代がすべて打たれてきたのです。先生の代になっても、やはり残された何かがあるので、二番目がすべて犠牲になったのです。喜進も伝道に出掛けていく途中で客死し、興進もやはり客死したのですが、父母を愛することにおいては一番でした。喜進のことを言えば、原理のみ言を聞いて一人で喜んだことは何かというと、「ああ!私の家に再臨主が来る」ということだったのです。

 ところが、お父様がそのような使命をもっているということを知らなかったのです。そうこうしながら一週間の修練を受け、私の家に来るといった再臨主がお父様だということを知ったというのです。お父様がそのような使命をもっていることを知って喜び、伝道に出掛けるのに自分が先頭に立たなければならないと思って立ち上がったのですが、交通事故で逝ったのです。(一七一−二五九、一九八八・一・二)

 一九八三年、国家の危機を越えていく時に勝共大会をしました。その時、七十二カ国の教授が「科学の統一に関する国際会議」を終えて帰るところを、「韓国に来なさい」と言って呼び寄せて勝共大会をしたのですが、光州がその最後の大会でした。この最後の大会の会場が超満員になりました。

 その時、霊界から何かを受ける人々は、「文総裁の最後の道だ」とあらゆる話をしました。しかし、私の行くべき道が残っているので、映画の主役が生き残っていてこそ、その映画のプログラムが継続されるように、どれほど難しくても私が倒れなければ継続されるのです。周辺がすべて壊れていっても、主役だけ残ればよいのです。その映画がどれほど長編映画だとしても、主役が残って華々しくスリルある映画にさえなれば、それは成功だというのです。

 その時その会場で、人々がどれほど満ちあふれたか、鉄の門を閉じてしまい、トイレに立つこともできない状況でした。ですから、共産党の地下工作員も活動できなくなりました。そして、大会の最終日の講演が始まる時間に興進の事故が起きました。(三一三−九七、一九九九・一一・二二)

 興進は、百歳生きる運勢で生まれました。氷の面に寝かせても死なないという赤ん坊が、生まれる時には仮死状態で生まれたのです。病院に行って生きることができたのですが、成長して、やはり祭物として逝ったのです。(三〇四−二六六、一九九九・一・九)

 私たちの家庭が代表して、家庭的な祭物になったのです。歴史時代において、アダム時代のエバの罪、旧約時代のモーセの罪、新約時代のイエス様の罪、成約時代に父母様が四十年かかったことをすべて経ていくのです。(三〇四−三一〇、一九九九・一一・一二)

 霊界に父母の実体圏があることにより、地上と霊界に統一的な祝福をし、その祝福を受けた人々が天国に行くようになっているのです。天国は空いています。天国を満たそうとすれば、地上で祝福が成されなければなりません。地上の祝福なくして天上に祝福はあり得ないのです。

 堕落することにより、アダムの体が天使長の体になりました。二つの体をもったというのです。十六歳の時に堕落することにより、蛇の体、天使長の体をもって人類を繁殖しました。すべて蛇の子です。真の父母がこの地に来て、一つの心情を中心としてお母様を育て、お母様を中心として蘇生、長成、完成、八段階の闘争過程を経てきたのです。

 それでお母様の圏が地上世界の最高の位置、天上世界の最高の位置になりました。同じ父母圏で世界の万民を祝福できる統一的環境条件を地上につくったのです。(三〇四−三〇六、一九九九・一一・一二)

 真の父母の家庭が世界の頂点に立つことを国が反対し、民主世界が反対することにより、私たちの家庭を中心として、統一教会が間違ったこと、三十六家庭が間違ったすべてのことを、先生の家庭が蕩減しなければならないというのです。

 蕩減法は許しがありません。このような途方もない蕩減の基準が私たちの家庭を押し流そうとし、韓国を押し流そうとするのです。代わりに私がそれを防止する防波堤にならなければなりません。そのようにしようとするので、私が父の立場で、歴史を誤らせたアダムとエバの失敗とイエス様の未完成基準のすべてに責任をもち、旧約一新約聖書を中心として失敗したすべてを立て直したのです。旧約時代を立て直してこそ新約時代が正しく出発することができ、新約時代を立て直さなければまっすぐに成約時代に行くことができないのです。それゆえに、過去の旧約時代と新約時代を立て直すための伝統的歴史観を立てるのが、正に原理的歴史観です。(二一四−三〇一、一九九一・二・三)


二 犠牲になった当時の時代状況

1 興進様が犠牲になる時の韓国の時代状況

 興進が霊界に行ったのですが、その時が転換期でした。国家の運命が私たち統一教会と向かい合って一つになるべき立場だったので、全世界が、七十二カ国が一つになったのです。七十二カ国が先生と一つになり、摂理から見る時、全国家の前に一つの制圧的な一大契機を設定した時でした。

 皆さんは、北の傀儡に対して知らなければなりません。北の傀儡が私に対して一番神経をとがらせているというのです。KGBも同じです。ですから、祈祷する人々もそうであり、私もそうですが、全羅常道光州大会(一九八三年十二月二十三日、勝共決起大会)が問題でした。光州大会が問題になったというのです。

 それで特別命令をしました。「光州で大会をする時は、超満員、いったん入ってくれば立って動くことができない環境的条件をつくりなさい」と言ったのです。立ち上がって一歩も動くことができない環境をつくらなければならなかった時だというのです。その時、会場の外側にもおそらく五、六千人は集まったでしょうか。このようにして修羅場ができ、このような時、正にその時間に興進に対して交通事故が起こったのです。

 韓国と統一教会と先生の勝利がそうです。その時を見れば、韓国は南北に分かれていて、韓国が統一教会に対して反対し、統一教会は反対を受けることにより、祝福家庭が先生と一つになっていませんでした。「一つになる」と言いましたが、全体的な割合から見る時、一つになれなかったというのです。ですから、このすべてのものを清算して一つになった位置につないでいかなければ、世界に影響を及ぼせないのです。

 そして、一九八三年と一九八四年は、一大激動期に向かう時でした。別の言い方をすれば、生きるか死ぬかという問題、大きな暗礁に直面するかしないかという、このような世界史的な流れを経ていく時でした。あくまでも韓国の基地で方向を変えなければ、世界に行けないのです。そのような時代に入ってきました。(一六九−一〇七、一九八七・一〇・二九)

 興進君が霊界に行きましたが、もし興進君が霊界に行かなかったとすれば、国家的次元で問題が起きるようになっていました。その前後に韓国でKAL事件、ラングーン事件などが起きました。それは、すべてその転換期に外的にも内的にも蕩減を受けたのです。そのようなことを知っているので、先生が子供たちを集めておいて、「君たちは、この期間、できる限り外に出てはならない!」と言ったのです。お母様がしきりに「どこどこに行こう」と言う時にも、私は「この二十日が終わったのちに行こう」と言いました。それは、このような摂理的内容を知っているからです。

 この時は、精誠を尽くさなければならない時だというのです。統一家においては、限りなく貴重な時です。四十年を迎えて越えていくこの時において、先生を中心として世界的な長子権を立てなければなりません。今までカインは、サタンが讒訴し得るカインでしたが、今からは、神様と一つになれる長子権を立てなければなりません。私たちの家庭でそのようにしなければなりません。(一三四−三一〇、一九八五・八・二〇)

 一九八三年十二月を中心として、韓国に行って全国民を動員しました。全国民を完全にまとめる運動をしました。世界とキリスト教を代表する七十二カ国のアカデミーの代表を集めて一つにしたのです。そのようにして全国を巻き込みました。完全に……。このようにしてサタンと激戦したのです。

 ですから、韓国国家全体がレバレンド・ムーンの運動でぽんと完全に浮かんでしまいました。ですから、先生の家庭を中心としてサタンを支配するというのです。その時、先生の家庭は混乱時代でした。先生の家庭が全世界を代表して家庭の攻撃を受ける時なのですが、サタンは、先生には攻撃できないので興進を攻撃したのです。最後の光州においての講演時間にその事件が起きました。

 国が父ならば、教会は息子と同じです。このような立場でキリスト教が相変わらず反対し、そのような立場を蕩減しようとするので興進が祭物になっていったのです。(一六一−七七、一九八七・一・二)

 全世界の自由世界の国民が一つになって総結束し、独立成就に協肋しなければならない世界的時代に入ってきます。それで、この七十二カ国の人々が韓国に行き、勝共という命題の前に宣誓し、決意したという事実、これは歴史的な事実です。「勝共」というのは共産主義に勝つという意味です。

 韓国政府が今回、はっと驚きました。約二週間以内に全国的に大会を行い、国民が完全に一つの所に糾合されました。その間に、本当に不思議に思ったことは、全国勝共決起大会の時、光州が最後だったのですが、この日、全く同じ時間に、興進に自動車事故が起きました。韓国政府が一番嫌う光州ですが、その光州で先生を一番歓迎するというのです。五千人ほどの人たちが、零下一〇度の外で講演を聞くのに、少しも動揺がなかったのです。サタンが光州を攻撃できるすべてのものを完全に失ってしまったので、アベル的基準に立っている興進を打ったというのです。

 地下にある共産党が暴力事件を起こし、レバレンド・ムーンをどのようにしてでも殺そうと、そのような計画を立てたというのです。それで大会が終わる前に警告をしました。光州のために集中して祈祷しなさいと指示しました。それゆえに、父母の前に一番孝行した息子が、父母の代わりにこのように打たれたのではないかと思うのです。全体の国と全世界の前に祭物の立場で打たれたのではないかと思うのです。(一三〇−一一三、一九八四・一・一)

 興進がいる時のことです。韓国で勝共大会をする時、七十カ国以上の学者が「科学の統一に関する国際会議」が終わり、帰る途中において、「回れ右してソウルの金浦空港に到着してください! 二日以内にするのです!」と言ったのです。帰ろうとしていた人がみな飛行機を乗り換え、金浦でビザのために問題が起きました。先生が命令するので、学者も何も、すべて看板を下ろして先生の言うとおりに来るというのです。今やればどうなると思いますか。それ以上でしょうか、それ以下でしょうか。それ以上です。(二七一−二一九、一九九五・八・二八)

 み旨的に、歴史的に見れば、アベル的な存在が祭物としていく確率が高いのです。つまり、摂理史的にアダムを個人的な人類の先祖として見る時、イエス様はアベル的な存在でした。それで、イエス様が十字架の祭物として逝かれるようになったのです。同じように、父母様の家庭でも、聖進をカインとして喜進(アベル)が逝き、また譽進をカインとして惠進(アベル)が逝き、また今回は、結局このように孝進をカインとして興進(アベル)が逝くようになったのです。

 今興進が逝くことにより、共産侵略を阻止するはずです。七十二カ国を代表として立てることにより、東洋文化と西洋文化が融合されるのです。国民はアベルであり、主権者はカインです。今回、この病院が積極的に協肋し、医師がみな涙を流して感動を受けたことは、カトリック側で大きく肋けた条件になります。そして、七十二カ国の代表の中には、特にユダヤ教徒が多かったのです。

 今後、東洋と西洋の宗教、政治、芸術が一つになる契機が今回つくられたのです。興進が逝くことにより、これから霊界と自由に往来するのです。

 これで全世界が統一教会の祝福を受ける時が来るようになります。今回興進が逝くことにより、霊肉合わせて世界が帰ってくるようになります。反対していた政府が支持に変わるのです。摂理的に見る時、一九八四年は三十年の私生涯の終わりであり、一九八五年からは公生涯に入るようになるのです。(一三〇−九三、一九八三・一二・三一)

 皆さんが誤れば、先生の家庭で蕩減されます。統一教会のすべての祝福家庭が誤りを犯すことにより、興進のような息子が死んだのです。その息子は、まだ死ぬ息子ではありません。健康から見ても運勢から見ても、すべての面から見ても、まだ時期ではありませんでした。その時、霊通した人々は、みな光州大会が危険だということを知りました。光州は左翼運動の根拠地であったので、サタンが万全の準備をして攻勢を行おうとしたのですが、あまりにも多くの人々が来て超満員になったので、仕事をすることができなかったのです。一度入ってきた人は、立って動くことができない環境でした。それで、この大会を終える瞬間に、興進にそのような事故が起きたのです。時期的に見ても、そのようなことが起きる時期でした。(二三七−四〇、一九九二・一一・一〇)

 統一教会を見れば、世界の頂上に上がってきました。蕩減復帰により、サタン世界ですべてのものを奪われる大王の役割をしたのです。「サタン世界において、今まですべてのものを犠牲にし、怨讐を愛しなさいと教え、その怨讐を通して私のものをすべて奪っていかれるのですか」と尋ねると、「あなたが一番愛する人を私が奪い取っていく」と言うのです。打ってしまうというのです。

 そのようにしながら、「それでも愛するのか。それでも愛するのか」と言うのです。「私がレバレンド・ムーンの愛の力がどれくらい強いか見てみよう」、このように言いながらテストするのです。それで今回、興進が逝ったのです。「あなたは神様をより愛するのか、人類をより愛するのか、自分の息子をより愛するのか」とテストしたのです。そのサタンに恨みを晴らそうとするのですか。そのようにしてはいけません。私が率いる国、あるいは反対するアメリカ、反対するソ連までも解放しようとするのです。そのようにしてこそ、そのすべてのものが正常になると見るのです。

 私たち統一教会は、サタンがどんなに発動しても、「あなた方が強ければ強いほど、天国の版図は広くなる」、このようにしながら基盤を築いてきたのです。興進が逝ったとしても、彼を通じて霊界を動員し、地上を動員できる天的な勝利の基盤が築かれていくのです。ですから、「打ちなさい」と言っても、打つことができずに後退する時が来る、と私は思います。(一三〇−一六〇、一九八四・一・八)


2 真の御父母様の御家庭の事故−摂理的な意味

 統一教会の先生の家庭を見れば、一九八四年、その時は、先生の家庭に対してサタンが総攻勢を行った時でした。それで興進君が霊界に行き、先生は、外国で新しい機動隊の編成を中心として、一九八三年から始めたことが二年目に入っていて、一九八五年まで、四十年の峠に向かっていく時、法廷闘争を中心としてダンベリーに入っていきました。そして、すべてのものを蕩減原則によって背負いました。ダンベリーで完全に蕩減し、解放されることにより、アメリカ自体が反対していた立場から歓迎するようになったのです。アメリカのキリスト教と統一教会、カイン・アベルが一つになった基盤の上に、アメリカ自体を屈服させることができる基盤、世界基盤を築きました。それゆえに、今回帰ってきて、韓国を国家的基準で縦的に上がっていくようにして、横的基準で再び連結しなければならないのです。世界的にそのようにするというのです。

 このようにして、今までは、市民に対する仕事をしませんでした。外的な基盤を中心としたのではなく、あくまでも教会を中心としてきました。しかし、今回は、先生が帰ってきて何をするのでしょうか。統一教会においてアベルが誰かといえば、私たち統一教会の組織であり、カインが誰かといえば勝共連合の組織です。今回は、勝共連合を中心として国家基準をまとめるのです。

 勝共連合は天の側のカインなので、天の側のカインが統一教会と一つになるようになればアベル圏になります。したがって、そのアベル圏を中心として国家を動かしていかなければなりません。それで国家を、頂上から底辺まで韓民族を動かさなければならないので、この動かす対象をソウルに選んだのです。

 祭事を捧げるにおいて、全国の祭事を捧げることはできないというのです。特定の所を設定しなければなりません。したがって、ソウルという所を中心として総蕩減基準を立て、民族的解怨式をしなければならない時代に入ってきたというのです。

 それで、勝共連合を中心として区から洞に、それから統班まで、統・班長一万二千八百人の教育を先生が直接指揮したのです。そして、これが終わったので、今からは十二万の班組織を一月以内に、四月十日までに、先生の結婚記念日の前までに終えなければなりません。(一四三−一八五、一九八六・三・一八)

 縦的に見れば、国と民族は、父子の関係であり縦的アベル・カインです。国家と統一教会を見れば、横的なアベル・カインです。横的な立場で統一教会がアベルならば、国家はカインです。これがすべて一つにならなかったというのです。国家と国民が一つにならず、統一教会と国民が一つにならなかったというのです。また、統一教会を中心として先生と皆さんを見れば、縦的なアベル・カインです。これも一つにならなかったのです。

 また、先生と祝福家庭を見れば、横的なアベル・カインです。国家と皆さんとは縦的なアベル・カインであり、統一教会とは横的なアベル・カインであり、その次には、先生と皆さんが縦的なアベル・カインであり、祝福家庭と先生の家庭は横的なアベル・カインだというのです。これが完全に一つにならなかったというのです。ですから、これは、二代にわたる縦横の相対、横的な主体・対象と同じだというのです。このような立場になっているので、先生の家庭が縦的に引っ掛かるのです。父子の関係としてです。これを蕩減しなければなりません。

 それから、横的基準において、先生を中心としてすべて蕩減しなければならないというのです。先生を中心として見れば、縦的な立場の子女になっていて、横的基盤で私の子女たちを代表して横的アベルの位置に立ったのが誰ですか。興進だというのです。二番目、二番目なのです。(一六九−一〇九、一九八七・一〇・二九)

 サタンは、いつも天の側の中央部を撃破します。それゆえに、二番目を重要視します。上下関係の中心、左右関係の中心、前後関係の中心がこの一箇所です。中央です。この中央を撃破しようとするので、二番目が問題です。

 アベルというものがなぜ重要かといえば、二番目だからです。二番目は中央の代わりです。中央の代わりだということは、神様の代わりだというのです。それゆえに、サタンは、いつも二番目を侵食しようとします。ノア家庭も第二であるハムがあのようにして、ノアを中心として審判が行われ、アブラハム家庭でもイサクが祭物になりました。また、全体を見る時、神様の息子の中でも、アダムが第一の息子ならば、イエス様は次男です。これが問題だというのです〇いつも次男が問題です。

 このような歴史的な総蕩減をしなければならない先生を中心として、先生の家庭と教会の代表的な三つの家庭がサタンの攻撃の標的になっているというのです。(一六九−一一〇、一九八七・一〇・二九)

 年末に、今日の世界代表、キリスト教文化圏における精髄分子、最高の学者を、「科学者大会」(科学の統一に関する国際会議)が終わるやいなや、韓国に向かいながら私が「回れ右」と命令しました。それで、この七十二の「PWPA」(世界平和教授アカデミー)議長団が韓国にすべて集まりました。集まって韓国国民を完全に奪う運動をしたのです。取り戻してくるのです。取り戻されたというのです。

 今回の大会の期間に、韓国の国民が完全に先生と一つになり、七百万会員確保がきのうまでにすべて終わりました。それは、自由世界を一つにしたという条件です。議長団たちは、「科学者大会」(科学の統一に関する国際会議)が終わって家に帰る途中でした。誰でも不可能な時に、来なさいと命令措置をしたのです。来たあとに、十二月十八日に宣誓までしました。

 そのようにすると、サタン世界が大変なことになりました。そして、事件が起きるようになったのです。先生がこのような天理の内容を知らなければ、興進は悲惨な無駄死にをしたことになるのです。イエス様が十字架へ行くことによって終わると思ったのですが、新しい霊的基盤の版図を築いたように、サタンは、次男の興進を打ってしまえば終わると思ったかもしれませんが、新しい実体世界版図圈を造成したということを知らなければなりません。(一三一−一九八、一九八四・五・一)

 キリスト教が解放直後に国と完全に一つになり、イスラエルの国において立てることができなかった基準、国家を中心として蕩減復帰したその基準を立てたならば、世界は七年以内で料理されます。先生は、そのような能力のある人です。このような先生が、その道をどのように来たのでしょうか。先生が僕の僕の役割をし、複雑な家庭の背後を残して歴史の悲しいすべてのことを経てきたのです。

 そのような再蕩減路程を歩もうとすれば、どれほど複雑ですか。おばあさんからすべて先生の側ではありませんでした。昔の旧約時代は、年老いたおじいさんの時代です。新約時代は壮年時代、今の成約時代は若者たちの時代です。この若者の時代に、キリスト教文化圏を中心として、解放以後、五千年歴史の悲運をもった国に歴史的な惨事のすべての犠牲の功を集めて初めて韓民族を天が祝福してくださり、先生のような人を送って世界的な福を与えようとしたのですが、国家とキリスト教がすべて……。大統領である李承晩もキリスト教を信じる人だったというのです。その時に一つになったならば、どれほど良かったでしょうか。

 先生の側は青少年です。おじいさん、おばあさん、それが問題ではなく、青少年が問題だというのです。十代、二十代の若者たちです。二十歳以前のすべての人々を私が教育するようになっていました。おばさんたちに何の観があり、おじいさんたちに何の観がありますか。

 その時、二十代前後の青少年を私が教育したとすれば、世界を指導することができる要員をどれほどたくさんつくったでしょうか。先生は国家を代表し、李承晩を中心として、梨花女子大と延世大学をはじめ、青少年を教育するはずでした。ところが、多くの盗賊がはびこる政治風土となり、韓国に分立された政府が立てられたのです。本来、南と北に分かれるようにはなっていなかったのです。その後、金活蘭も先生と闘いました。(一三三−一一七、一九八四・七・一〇)

 私たちが汝矣島大会(世界救国大会)をすることにより、共和党が驚いて倒れたことを知っていますか。共和党の事務総長をしていた吉典植と情報関係の責任者が私を訪問しました。今後、国がどこへ行くのかという問題を相談しに来たというのです。これはすなわち、国とキリスト教を完全に制圧したことと同じです。

 それで残ったものは何でしょうか。韓国は、霊肉を統一させ得る基盤を築きましたが、アメリカを中心として霊肉一体が成されていません。それで、韓国の汝矣島大会の勝利基盤を中心として、二十一日間、汝矣島大会が六月七日なので、六月二十八日までの二十一日間滞在しながら、私が朴正煕大統領に対して長文の手紙を書いたのです。「あなたはこのようなみ旨を受け入れなければならない」と伝えたのです。二十一日間待ちましたが返事がなかったので、六月二十八日に私は韓国を離れ、アメリカ戦略を立て、実体国家基準を蕩減しなければならなかったのです。それゆえに、その時アメリカに出発したのです。

 大統領の中で二代目は誰ですか。もちろん、尹普善がいますが、それは影と同じです。全権を握って行使した二代目の朴大統領が客死しました。暗殺されたのですが、客死したのです。二番目がいつも問題なのです。

 このようにして、韓国でイエス様が失ってしまった国家的基準を蕩減したというのです。ローマのようなアメリカと連結したこの関係を中心として、アメリカに来て、必ず実体基盤を中心として闘わなければならないのですが、このニクソン大統領が問題になったのです。最高の大統領とつかみ合って闘うのです。それで、ぴたっと二つが引っ掛かっているのです。ぴたっとサタン側に引っ掛かっていて、天の側に引っ掛かっているのです。

 それで、このキリスト教が歓迎をすることにより、世界的版図の条件を中心として勝利的基準を立てたのです。韓国の国家的基準を中心として、国家的実体を中心として、霊的版図であるキリスト教文化圏をすべて引き継いだ位置で、国家を中心として大会をしたのです。このようにして、一九八〇年代に三次七年路程を中心として越えてきたのです。(二二五−八一、一九九二・一・二)

 韓国で勝共大会をした時が、北朝鮮が侵犯できる良い時でした。国が難しい時でした。それゆえに、私が代わりに闘ったのです。全世界のサタンが私を攻撃するようにしておいたのです。光州大会をする時、サタンがあらゆる行動をすることができる状況だったのですが、人があまりにも多いので、何もできなくなってしまいました。先生を打とうとしたのですが、打つことができる何の条件もないので、自然に二代目を攻撃したのです。

 サタンが全世界の中心家庭である先生を打とうとしたのですが、打つことができないので代わりに息子を打ったのです。私が見れば、すべて自動車事故です。孝進もトラックにはねられたのですが、その車のカバーがすべてはがれてしまいました。それがこのてっぺんにある毛を削りながら飛んでいったのですが、首をすくめたので即死を免かれました。興進が事故に遭ったその日も、孝進が目を開けてすべて見たのです。自分が車に乗っているのですが、サタンが襲撃して事故が起こるのを見たその時間に、そのような事件が起きたのです。

 その時、私が興進に対して、「お前は絶対にどこにも行ってはいけない!」と言いました。時がそうであるので、「お父様がいない時は絶対に出ていかずに祈祷しなさい」と言いました。ところが、それを管理する人々が責任を果たせずに外に出ていき、そのような事故に遭いました。私は、事故の起きた所に行って現場検証をしました。アメリカでは左側で運転するので、トラックが来れば、自分が反対側になるようにハンドルを切るようになっています。ところが、それとは反対に切りました。

 このように、息子が歴代の祭物として逝ったことは間違いないので、お父様がそれに責任をもたなければなりません。お父様として責任を果たさなければなりません。以前に興進が他の人の体を借りてやって来て話すには、「私があの世界に行ってみると、お父様から受けた恩徳がどれほど大きいか、それを返す道がない」というものでした。その言葉は理にかなった話です。

 背後をすべて収拾してあげたのです。侵犯された歴代の二世たちをすべてつづって完全に一つにし、南北のブロックになり、世界のブロックになる、そのすべてのものを清算できる「統一式」をしてあげたのです。それで今は、二世を侵犯できるすべての条件を完全にふさいでしまったのです。(二四二−二七六、一九九三・一・二)

 一九八三、一九八四、一九八五年には、先生の家庭を中心としてサタンが総攻撃をして、鉤という鉤をすべて投げました。それで、孝進がそこに引っ掛かり、我知らず苦闘しました。仁進も、「お父さん、おかしい!」という話をよくしました。今まで通っていた学校で、牧師が「転学すればより良い」と言うので転学したのですが、おかしいというのです。ベリータウンから二時間、ないし一時間半の道なのですが、「私が勉強していて、いつこのベリータウンに来たのか分からずに来ました」と言うのです。車に乗って運転したのですが、自分の意識がなかったというのです。そのように、サタンが先生の家庭を総攻撃する時代です。歴史的にお父様と統一家を中心として、皆さんの父母が間違い、皆さんが間違ったすべてを清算しなければならないというのです。

 ですから、その時、大韓民国に来て復興し、世界的な運勢を集めて国家的基準で総蕩減しなければならないというのです。その時に来て、全国において、天の権限を立てなければならない局面になったので、蕩減しなければならないというのです。国家が立つか立たないかというのです。その時、私がこれをしなければ、政府に何かの問題が起きていたのです。

 政府が反対する環境で、大会をほとんど終え、最後の光州大会で講演し始めたその時間に興進君の事故が起きました。その前から祈祷する人々が、「光州大会で事故が起きやすい」と先生に対して言っていたのです。私もそのように考えました。ここでは、必ず共産党が何か問題を起こすだろうと忠告したのです。

 その時、聴衆が立ち上がることもできないほどたくさん集まったので、いくら工作隊が工作しようとしても活動できない雰囲気になったというのです。ですから、サタンがその時間に興進を打ったのです。そして、孝進は、座ってそれを、目を開けて見たのです。「お父様、おかしいです! あの真っ黒い運転手、真っ黒い車が私をひこうと三度もこのようにして、去っていきます」と言うのです。そして、その日に事故に遭ったのです。(一三七−二九〇、一九八六・一・三)

 興進一人が逝くか逝かないかが問題ではありません。既に私がお母様にもそのような話をしました。もし祭物として逝くようになれば、統一教会自体に福が来て、世界は新しい世界へ転換するということを宣布しました。

 興進は、お父様をとても愛しました。そのような心をもって、皆さんが今後、死を覚悟することがあったとしても、このような神様の祭物的な価値を残し、万人の前に福を残してあげていくという祭物的な思想を受け継いでいくならば、興進君がこのような思想を通して天の前に導くのです。興進が生涯においてできなかったことを、皆さんが代わりにしなければならないというのです。興進は、世界の祖国創建を見ることができなかったのですが、皆さんの世代が代わりに奉献するという信念をもって一つになれば、統一教会のすべての運勢は世界的に拡張されるのです。(一三〇−一一三、一九八四・一・一)


三 勝共決起大会のみ言から見た当時の時代状況

 先日の九月と十月(一九八三年)、大韓航空機撃墜事件とラングーン暗殺爆破事件の時、どれほど驚きと悲痛が大きかったでしょうか。私もその時、外地でその衝撃的な消息に接して、故国の皆さんと共に驚きと悲痛な思いを抑えることができず、憤怒もまた大きかったのです。しかし、国民の皆さんは、その途方もない衝撃にも挫折せず、その試練によくぞ打ち勝ちました。その時私は、数多くの国難を不死鳥のように打ち勝ってきた伝統的な民族の魂を、故国の皆さんから再発見し、頼もしく思いました。

 今日の世界は、一言で表現すれば大混乱の世界と言うことができます。洋の東西を問わず、世界の南と北を区別することなく、また先進国と後進国の区別なく、今日の社会は、すべて病に冒されており、不正、腐敗、殺人、強盗、搾取、抑圧、暴力などの絶える日がなく、日がたつほどより一層増大していっています。また、国際的に国と国の間に、民族と民族の間に、宗教と宗教の間に、紛争、衝突、反乱、戦争などが随所で行われています。最近では、大韓航空機事件、ラングーン爆破事件、ベイルート爆破事件などの大量虐殺という蛮行までも続出しています。一方、先進国の国民が豊かな生活を楽しんでいる反面、アフリカのような後進国では数多くの人々が飢餓に苦しみ、飢えて死んでいく群れが増えています。

 統一運動が世界的に広がるにおいて、最も障害になるのは共産主義です。共産主義は、弁証法的唯物論、唯物史観などの独特の哲学をもっているのですが、民主主義は、これに相当する哲学をもっていないのです。その代わりに、民主主義は「統一思想」を受け入れることができますが、共産主義はその党派性と階級性のために、これを全面的に拒否しています。

 そして、共産主義は、統一運動に対して、あらゆる手段を尽くして妨害し、迫害しました。各種の印刷物と集会を通じて虚偽宣伝と悪らつな謀略を行い、私と私のグループに対して中傷と迫害を加えたのです。

 政治家、言論人、学生、宗教人、文化人、芸術家、その上夫人たちまで動員して統一運動の悪宣伝をしました。「うそも百回繰り返せば真実になる」というレーニンの言葉に従い、彼らは粘り強く私の運動に対して偽りの宣伝を繰り返しています。

 例えば、日本共産党の場合、彼らの機関紙である「赤旗」とその関連紙に捏造されたうそを載せ、十年間にわたって十六億枚に相当する偽りの記事を載せた新聞、またはビラをまいたことが明らかになりました。これは、一億の日本国民一人当たり十六枚の虚偽文書がまかれたことになります。統一運動に対する日本共産党の中傷と迫害に関する詳細な調査資料は、間もなく本で出版される予定です。

 共産主義は、何を理由に私の統一運動をそのように執拗に反対するのでしょうか。それは、「統一思想」が彼らに神様を明確に分かるようにするだけではなく、体恤するようにしてあげることにより、無神論的共産主義の虚構性が白日のもとに暴露されるからです。悪魔は、太陽の光を避けて夜にだけ戯れるように、共産主義は、今まで神様を避けて闇の世界においてのみ権勢を振るってきました。

 「統一思想」で神様の真理の光を照らす時、悪魔の正体が暴露されるので、彼らはやっきになって統一運動に反対しています。実際に共産主義者の中には、「統一思想」に接してみて共産主義が偽りであることを悟り、転向して統一運動に加担した例が少なくありません。

 しかし、共産主義の反対と迫害にもかかわらず、統一運動は弱まるどころか、かえって驚異的な速度で成長して全世界的に拡大されてきました。どのような理由のためでしょうか。それは、神様が保護してくださり、助けてくださったからです。「統一思想」こそ神様の思想であり、統一運動こそ神様が願われる運動だからです。神様は、この運動を通してすべての矛盾と社会悪を除去し、統一された一つの真のユートピアを実現しようとしていらっしゃいます。ユートピアとは、宗教的術語では地上天国のことをいいます。

 統一運動の最終目的を具体的に明らかにしようと思います。既にお話ししたとおり、神様の真理と愛の理念である「統一思想」は、第一に、社会的、世界的なすべての問題を解決して、共産主義をこの地球上から完全に一掃し、真の自由と平和と繁栄の世界を成し遂げようということであり、第二に、新しい価値観、新しい倫理道徳による大家族主義世界を実現しようということであり、第三に、すべての抑圧と搾取と差別と社会悪が消えた共生・共栄・共義主義の大統一世界を具現しようというのが統一運動の最終目標です。

 大韓民国は、共産主義と闘って勝たなければならない宿命的な位置に置かれています。共産主義と闘って勝利する時、大韓民国は世界に雄飛するはずです。共産主義に敗れる時、大韓民国は跡形もなく消えるはずです。敗亡の悲惨な運命はベトナムの例がよく見せてくれています。

 大韓民国は、北朝鮮だけに勝つのではなく、全世界の共産主義に勝たなければなりません。北朝鮮は悪なる側であり、世界の共産主義を代表してその地を占領していて、大韓民国は善なる側であり、世界の民主主義を代表する立場で北朝鮮と対立しています。このようにして、休戦ラインを間において、北朝鮮と大韓民国は、各々共産世界と民主世界の先端に立ち、両世界を代表して、生死をかけた運命的な歴史的対決を繰り広げています。

 北朝鮮は悪を代表し、大韓民国は善を代表します。北朝鮮は悪魔が支配し、大韓民国は神様が共にいらっしゃいます。このようにして、韓半島は、世界で善と悪が最も鋭く対抗している世界史的地域になっていて、この地域において善が悪を打ち破って勝利する時、世界のすべての悪は滅びるのです。神様は、全摂理史をおいて、このように韓国国民と全世界の自由人が一つになって全体的勝利を得るのを待っていらっしゃいます。

 私が今回韓国に帰ってきたのは、正にこのような仕事をするためなのです。各国の勝共国民基盤を韓国と連結させて、強力な国際的国民連合戦線を形成するために来たのです。きょうここで勝共大会をもつのも、国を生かすために、国民の皆さんに早く「勝共思想」で武装してくださることを訴えて、一つになって国際的な勝共国民戦線を形成するためなのです。

 私がこの立場に立つまで、多くの迫害を受けました。国家を越えて世界史的に受けたのです。今は、国民の皆さんが、これまで積まれた実績を通じて悟る時になりました。韓国が産んだ偉大な神様の思想を受け入れなければなりません。この思想は、私の思想ではなく、神様の思想であると同時に、皆さんと人類の思想です。

 この場には、七十カ国の「世冷汗和教授アカデミー」の議長団七十二人も来ていらっしゃいます。この方々は、著名な世界の碩学であり、私の統一運動と勝共運動に賛同した方々であり、本大会を支援して韓国と各国の勝共国民の連帯強化を図るために、今回訪韓したのです。

 ここで留意しなければならないことは、北朝鮮は全共産世界を代表しているので、北朝鮮の背後には、ソ連をはじめとする様々な共産国家が連結しているという事実です。北朝鮮と連結したそれらの国家は、世界制覇という思想的な連帯関係をもっているので、有事の時に北朝鮮は、それらの国家、特にソ連と中共から軍事的経済的支援を受けることができるのですが、大韓民国はそうではありません。

 今後有事の時、六・二五動乱の時のように、自由世界の友邦が私たちを助けるだろうと期待してはなりません。なぜなら、民主世界には世界統一という思想的内容がないからです。六・二五の時とは事情が変わりました。これは、自由世界の友邦が世界のために生きるという思想で一致せずに、各々の国家的利益を追求するだけで、さらには選挙による主権者の変動が可能であるので、ますます自由化していくからです。

 自由陣営のこのような脆弱点を既に知っていたので、私はこれまで、日本、アメリカ、ヨーロッパ、中南米などを往来しながら、世界の青年、学者、言論人、政界人などを糾合して、超国家的な「勝共思想」で彼らを目覚めさせてきたのであり、各国に国民的(民間的)勝共基盤を造成し、歴史的であり、摂理的であり、世界的な全体主義的共産主義との対立地である大韓民国を守護するために全力を傾けました。特にアメリカと中南米において、カウサ(CAUSA)運動を通じて、勝共思想を国民に土着化させることに成功し、日本でも三百五十万人の勝共会員をもつ強力な民間の勝共基盤を構築しました。

 アメリカと日本におけるこの基盤は、今後より一層急速に拡大されるはずです。韓国も、これまで私が勝共連合に指示して、全国の里、統単位の指導者を選定し、全国民基盤を立てるようにしました。このようにして、少なくとも韓国と日本とアメリカにおいて、為政者レベルではなく民間レベルで思想的に強力な連帯関係を形成するようになったのであり、有事の時に迅速に支援を得ることができる基台がつくられたのです。

 今後世界を代表したこの三カ国の勝共国民会員は、姉妹提携、相互交流、教育などを通じて、より一層団結を固めるように指導しようと思います。ところが、北朝鮮の直接的な脅威のもとに置かれる韓国には、いまだに勝共国民要員が大幅に不足しています。一つの里、統内に、少なくとも百人以上の勝共国民会員がいなければなりません。そのようになれば、約七百万の勝共国民会員になるので、勝共の主体国として国際的威信をもつようになるはずです。

 したがって、一つの里、統内で、できる限り父親も母親も勝共国民の役軍にならなければならず、兄、弟、姉も、そして夫も妻も勝共国民会員にならなければなりません。そのようになる時、班常会は勝共国民班常会になり、民間防衛隊は勝共国民民間防衛隊になり、セマウル運動は勝共国民セマウル運動になるのです。このようになる時、初めてこの国に強力な勝共国民基盤が造成され、確固たる安保国民基盤が構築されるようになります。

 国の為政者は変わっても、この国民基盤造成は決して中断してはなりません。(世界と韓民族の決意、一九八四・一二・二八)


1 受難の事件の経緯

 今回、自動車事故で興進は死んでいきましたが、二人は生き残りました。本当に良いことをして逝ったのです。今回、その事故現場に行ってみたのですが、この車がこのように行き、あの車はこのように来るので、このように避ければ、いくらでも車を切り返すことができたのです。しかし、どうして興進は、自分の側で車を受けたのかというのです。それが問題です。

 道がこのようになっています。さあ、ここでやってくる大きなトラックが道をこのようにふさいだというのです。すると興進の車がどのようになったのかといえば、これが走っている車で、左側の運転席にこのように座っていたのですが、このようにぶつかれば興進は死なないのです。ところが、なぜこのようにぶつかったのかというのです。ここが潰れました。運転すれば、自然にこちらに行くはずなのに、なぜこちらに行ったのか、これが問題だというのです。コーナーにぶつかったのです。では、その二人の子供たち(珍福、珍吉)が言うには、自分たちを意識して車をそのようにしたというのです。その話を聞いて、どれほど有り難かったか分かりません。

 これを考えるとき、民主世界と共産世界を代表できる犠牲の祭物として逝ったという理論的な根拠を、ここで知ることができます。その二人は、民主世界と共産世界を代表し、イエス様の右側の強盗と左側の強盗のような立場ですが、彼らの身代わりになったというのです。

 それゆえに、このような観点で摂理史から見るときに、統一教会は転換期です。サタンは、間違いなく先生が1番愛する次男を……。次男は、アベルはいつでも讒訴することができるのです。いつでも讒訴することができるというのです。アベルを侵犯できるのです。これが摂理観です。

 イエス様の時代には、すべて死んでいったのですが、先生の時代には、興進一人が祭物になったので、二人の人が息を吹き返して民主世界と共産世界の道が開けたのです。興進は、珍福と珍吉を父親がいないからと特別に愛しました。その家に行って慰労してあげ、一緒に過ごしました。そのようなことを思えば、父母のような、父親のような考えをもって、その子供たちを保護するために逝ったのではないか、このように考えざるを得ないのです。

 それゆえに、自由世界と共産世界に蕩減条件を立てる道が開かれるというのです。さあ、すると興進は、どのようになったのでしょうか。これは、国家基盤まで築きました。国家的蕩減基盤の上で、自由世界と共産世界のために犠牲になったのです。それが違います。国家的基盤と民主世界とこの二つの世界を連結しました。ここで事故を起こしたのですが、起きたのは自由世界で起き、埋められるのは韓国に帰ってきて埋められました。体は祖国に帰ってきて埋められたのです。

 そのようにすることにより、興進は、国家的基盤を築いた真の父母の勝利的基盤の上に立ったので、国家的な次元でいつでも霊界にいることができ、いつでも地上に定着できる霊的基盤が付与されるということを知らなければなりません。(一三〇−一九八、一九八四・一・一五)

 サタンが打ちやすい最高の道具が車です。右側は車が行き、左側は車が来るのですが、あちらから来る車が左にハンドルを切って走れば、ぶつからざるを得ないではないですか。それで、私が興進の事故が起きた地点に行ってみると、本当に有り難いことは、事故が起こったのは興進のためではありません。自分が原因で事故が起きたのではなかったのです。氷の板が、丘の頂上にこのようになっているのですが、この車が下ってきながらブレーキをかけたので、後ろに物を載せた大きなトラックが頭から滑り落ちながらこのように入ってきました。これがこう回るので、道をふさぎました。

 突然、そのようになるので、避けることができなかったのです。

 興進がどこに乗っていたのかといえば、左側に乗っていました。左側に乗っていたのですが、生理的に見れば、運転席ではこのように左にハンドルを切るようになっています。このように入ってくるのを見れば、十ならば十、百なら百が左にハンドルを切るようになっているのに、どうして右に切ったのかというのです。その車に珍吉と珍福が一緒に乗っていたのです。その子供たちを本当に愛しました。父親がいないからと、連れていって食べさせてあげ、何でも持っていってあげて限りなく愛しました。その兄弟が乗っていたのですが、間違いなく彼らが死ぬようになっていました。ですから、自分のほうにハンドルを切ったのです。そして、左側がめちゃくちゃになりました。私がその車を見てから、「お前は正しく逝った」と思いました。珍吉と珍福も、興進が自分たちのために逝ったと悲しみ、悔しく思っています。(一九六−二七九、一九九〇・一・二)

 興進は、珍福と珍吉、二人の息子を生かして逝きました。アメリカも、韓国のように自動車が右側車線を行くでしょう? ですから、左側で運転するのです。興進の車がこちらへ行くのですが、向こうから車がこのように入ってきました。このように入ってくれば、運転席をこちらにするようにハンドルを切るのですが、あちらにハンドルを切ったというのです。その子供たちのために逆にハンドルを切ったのです。それで私が現地に行ってみて、「正しく逝った」と祝福したのです。それに対して私が責任をもたなければなりません。それで、息子が死んでいくその瞬間にも、息子が死ぬという考えは一つもしませんでした。行くべき道を整えてあげなければなりません。父として行くべき道を整えてあげなければならないというのです。ですから、興進に対してそのような責任をもった立場にいるので、お母様でも、涙を流せば行くべき道がふさがります。そのような天的な条件の世界では、人間的な面においても条件に引っ掛かってはいけません。父母の立場で涙を流せば、その道がすべてなくなるのです。(二三六−一六一、一九九二・一一四)

 私が興進君にそのような祝福をしておいて、良心の呵責になることは何かというと現地調査です。興進は、自分が生きようとして死んだのか、他の人のために死んだのかというのです。ところが、私が行ってみて有り難いと思ったことは、興進が死んだのは、池生蓮の二人の息子を生かすためだったのです。

 そうでなければ、車を右側に切る必要がなかったのです。左にさえ切れば、興進はそのまま生きることができました。そこに行ってみて、私は本当に有り難いと思ったのです。「そうか、私がお前のために『統一式』をしてあげ、天の前に十字架で犠牲になったその張本人であるイエス様の前に送るのに、このようなすべての面において私の良心に呵責がない」と思ったのです。そこに行ってみて、その場で「興進が逝くことにより、霊人世界から地上世界に接近できる一つの橋梁を置くようになったので、これは地上世界にも恩恵であり、天上世界にも恩恵です。それが公的な家庭、真の父母の息子、娘が残していかなければならない道です」と、このように祈祷したことがきのうのことのようですが、既に八年が過ぎました。(二一二−九六、一九九一・一・二)

 霊界では、今まで霊界と連結させることができるセンターがなかったのですが、興進が逝くことにより、興進を愛するすべての霊界の霊人たちには、お父様を愛する条件が連結するのです。統一教会と連結されるというのです。統一教会で見れば、地上では生命を捧げて闘うことの標準になり、霊界においては、愛をもって連結させることにおいて、歴史始まって以来今までいなかった霊界の代表になったというのです。

 この地上では、統一教会の食口に、生命を捧げてでも愛さなければならない、み旨を愛さなければならないという手本を見せてくれたのです。「お父様を愛しなさい! お父様を愛しなさい!」というのです。世界のためにお父様を愛していかなければならないというのです。ですから興進が霊界に行くことにより、霊界が興進を愛することによって、地上の真の父母と愛の関係が連結するめです。

 それで霊界では、歴史始まって以来、一番の喜びの日だというのです。興進は、愛のメシヤとして霊界の門を開けた人です。地上では、標本的な殉教の道を開いたというのです。ですから、統一教会の食口は興進を愛さなければなりません。

 それでは、両面で、霊界でも興進を愛して、統一教会でも興進を愛するのですが、私たち真の父母はどのようにしなければならないでしょうか。これが問題です。真の父母は、どのようにしなければならないのでしょうか。天の愛を歓迎し、地上の愛を歓迎する意味で、自らの息子を祭物として捧げることを栄光と考えることができなければならないというのです。

 また、今まで神様がこのような立場で愛する息子を、青少年のアダムとエバを愛することができずにいたので、霊界においてだけでも愛することができる一人の息子を、今まで国家基準を復・帰するために苦労された神様が慰労を受けることができる一人の息子を、レバレンド・ムーン一代で送ってあげたと考えなければなりません。

 それで先生が祈祷するのは、「私が青春時代に韓国基盤を築き、神様を栄光のもとで愛することができなかったことを、私一代で世界的基盤を築き、世界的基盤の上であなたを慰安してさしあげられなかったことを、この息子によって蕩減してください!」というものでした。「自分自身がそのような立場でできないことを、この息子を通して受けてください!」と祈祷したのです。

 霊界も愛して、地上も愛するので、私たち父母も、「愛しなさい」という標語を立てなければなりません。「愛しなさい」という標語を立てなければならないというのです。私は、興進が二人の息子の中で死ぬことは死んだが、地上世界と霊界にいて、死なないで愛の復活圏を成し遂げるはずだと考えています。お前は死を通してそこに行ったが、お前の死を通して愛を復活させるというのです。霊界をつかんで、地上をつかんで、愛の復活圏を宣布するのです。

 このようにすることにより、死亡圏と決別するのです。それゆえに、昇華式の時も悲しんではならないというのです。すべての儀式においても同じです。それで、興進が地上から入っていく間、先生は霊界と肉界を中心として特別な式を……。その過程を話そうとすれば複雑です。(一三〇−二〇一、一九八四・一・一五)


















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