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罪と蕩減復帰
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 三 責任分担を完成すれば

  1.責任分担の自由化圏が必要

 アダムとエバが責任分担を果たしていたならば、後孫は責任分担圏にいるのではありません。その次は統治法的家庭倫理時代に入るのです。そのときは地上に真の父母がいるので、即刻、平面的な面から教えてあげることができるのです。しかし今までは三六〇度の平面をもちましたが、神様は教えてあげることができないので、中心が来る時まで待っていたのです。それで問題が生じたのです。そのようなことを、はっきり知っていかなければなりません。
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 真の御父母様は個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙蕩減路程を経なければなりません。サタンによって失った責任分担を完遂して、サタンを分別させることによって愛をもたらすのです。怨讐を愛し、怨讐の国を愛する人にはサタンが侵犯できないのです。自分を中心とした愛をもっては駄目なのです。サタンは自分を中心として愛し始めたので、これを除去するには自分を中心とした愛をもってはできないのです。
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 蕩減復帰は、責任分担の自由化圏をつくるためのものです。堕落していない本然の責任分担の自由な環境を復帰するためのものです。理論的になっているのです。先生もそこに引っ掛かっているのです。ゆえに先生が世界的な反対を受けるのです。世界的な迫害を受けるのです。世界的に攻撃を受けるのです。その世界的迫害を受ける中で、世界的にサタンを分立するのです。
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 蕩減復帰は不可避なものです。なぜ蕩減復帰しなければならず、なぜサタンを分立しなければならないのでしょうか。自然な本然の責任分担、自由な環境基盤を必要とするからです。そうすればサタンが讒訴できず、サタンが因縁を結ぶことができないところを私が占有するようになるからです。それで蕩減復帰、責任分担完成という基準は、論理的にも不可避です。ですからサタンを分立しなければなりません。それゆえ御飯が食べられずに座っていても、サタン世界とは関係がないという考えをもっていなければなりません。ここが分水嶺です。それが境界線です。
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 責任分担がどれほど重要かを、みな知らずに生きてきました。蕩減復帰とは何ですか。責任分担を完成することのできる自由な環境をつくるためのものです。サタンが侵犯するので、サタンを防御しなければなりません。サタンを防御するにはどうしなければならないのでしょうか。サタンよりも神様をもっと愛し、人類をもっと愛さなければなりません。サタンは神様を憎み、人類を憎みますが、私たちは「神様をもっと愛し、人類をもっと愛する」と言えなければなりません。堕落していない人間がもっていくべき、責任分担完成圏を越えて行くべきその基準で一方通行させることのできる、このような立場に立たずしてはサタンを分立させることができません。
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 責任分担を完成するためには、蕩減条件が必要です。先生がそのような蕩減条件を払ったので、皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を受け継いだ者として、愛の旗手として、堂々と国に現れれば愛国者になるのです。家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。世界に向かっては聖人の道理を行くのであり、天の国の王宮の法に歩調を合わせる王子の位置まで行くことになるのです。無事に通過することのできるただ一つの道があるとすれば愛のために「ため」に生きようとすべてのものを捧げる生活です。これは驚くべき事実です。
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 アダムとエバの責任分担、神様の前に頭を痛くしたその怨恨の峠に五十億人類がみな引っ掛かっているし、霊界に行った数多くの先祖もみな引っ掛かっています。これを見つめる神様は、堕落がなかった本然の基準をどうやって再び回生できるのでしょうか。それで神様はかわいそうな神様なのです。ですから早く早く、もっと早く早く蕩減の道を行き、このすべての責任分担を完遂して世界人類が解怨成就することのできる道を、その道に向かって「時間よ、行け」、「歳月よ、行け」、「解放の日よ、早く来い」と言いながら歩んできたのです。
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 神様は今まで蕩減復帰の過程を待ちながら変わりませんでした。最後の峠、愛の理想を成して万民の前に解放の鐘の音とともに天下に宣布する、そのようなところまで耐えてきたのです。耐えてきた心を抱いて涙とともに復帰の使命を成し遂げることのできる再臨主がこの地上に来て、そのみ旨を成し、サタン世界全体の所有権を相続して天の前にお返しすることのできる、それこそ平和統一の世界を地上で成さなければなりません。強制ではありません。所有権を伝授して天の前にお返ししなければなりません。


 2.完成した立場は天地一体化家庭

 地上と天上を統一し、心身を統一するのが責任分担の完成です。縦的な神様と横的な真の父母は一つだというのです。そこに統一された愛、天と地上を連結する愛、体と心が一つになった愛、男性と女性が一つになった愛が問題です。統一された愛の基盤を築くことができ、そこで初めて天の愛と天の生命と天の血統が連結され得るし、それの横的な拡大が八方に展開されることによって王権ができるのです。内容は簡単です。
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 男性と女性は、天宙の圧縮された核です。夫婦が真の愛で愛するところには、全宇宙がかかってきます。男性と女性は、愛のために生まれました。本来人間は縦的、横的にできています。責任分担を完成することによって縦的な主人が設定され、次に横的な主人が設定されるのです。それは真の愛によって成立するのです。
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 アダムとエバが責任分担を完遂することによって神様は彼らの縦的な存在になり、アダムとエバは横的な存在になるのです。真の愛によって一体化するのです。そうして初めて縦的なものが横的に連結され、そのように連結されたところは宇宙的な愛の根を下ろす基盤になるのです。それが定着できなければ、軸が正しく立つことができません。その軸を正しく立てるにはメシヤ思想、父母の思想が軸となるのです。それで立ったとすれば、それは自動的にその軸と一つになることによって繁殖するのです。そして神様の愛、神様の生命、神様の血統が永遠に固着するのです。
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 責任分担は第一に真の子女になることです。第二に真の兄弟になることです。第三に真の夫婦になることです。第四に真の父母になることです。それで息子、娘として生まれ、子女になり、兄弟になり、夫婦になり、父母になる、父母になって神様の代わりに創造するのです。神様がアダムとエバを造って喜んだその事実を内的、外的に体恤するのです。どれほど貴いか、分かりますか。
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 真の父母の勝利圏は第一は個人、第二は家庭、第三は国家、第四は世界、第五は天宙、第六は神様の真の愛です。その次は一体理想の実現で、このすべてのものが真の愛によって一つになるのです。神様が真の愛の主人ですが、この真の愛によって全部が連結されます。一体理想の実現で神様の愛が一つに連結されているので、一体理想です。家庭も個人も離れているものがないというのです。一体理想実現で天上、地上が統合され、本然のアダムとエバが長子権を取得することによって霊界が地上に順応するようになります。それは愛を中心としてそうならなければなりません。真の愛によって。私たちの原理で言い換えれば、責任分担を完成することです。
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 神様の心情圏をどのように伝授されるのでしょうか。堕落していない本然の人間は、責任分担を完成することによって神様の縦的愛の核を中心として、左右にアダムとエバの愛が連結されなければなりません。そこが根源になり、根となって息子、娘が生まれるようになっています。そこから心情圏が勃発し、根を下ろすようになっているのです。血統基盤がよみがえるというのです。深刻な問題です。
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 神様の摂理は四千万人、六千万人が全部動いて成されるのではありません。祭司長から成されるのです。はとを裂くことによって国が行ったり来たりするのと同じです。
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 何よりもまず責任分担をはっきり知らなければなりません。責任分担を完成するために、天と地とすべてのものは、一つの愛の共鳴圏だということを知らなければなりません。親子関係、夫婦関係、兄弟関係がすべて真の愛を中心として統一を成しているのです。神様を中心とした愛を掲げていくのに、妻が掲げていくときには夫がついて行かざるを得ないし、お母さんが掲げていくときにはお父さんがついて行かざるを得ないし、孫や息子、娘が掲げていくときは祖父母、父母、兄弟たちがみなついて行かざるを得ません。それで家庭がすべてのものの基盤になるのです。それは責任分担を完遂することによって天の愛、地の愛、親族の愛、父母の愛、兄弟の愛が成されるのです。
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 天の愛は縦的で、地の愛は横的です。そして兄弟の愛は前後の愛です。立体的です。ですから父母と息子、娘が一つの統一体になれば神様が地上に臨在することのできる基盤になるのです。それで神様が正に人間の先祖の立場に立つのです。人間がその神様の前に子女の関係で連結されて初めて、天地一体化の家庭が設定されるのです。責任分担を完成した立場で、それが可能です。天と地上の愛が連結されなければなりません。内容は簡単です。
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 神様の愛、それは神様の血統を言います。アダムとエバの堕落によって神様の血統が切れたのです。それゆえ原点を復帰するその立場においては、どのように神様の生命を連結し、神様の愛を連結し、神様の血統を連結するかということが問題です。この場が再創造完成の場です。
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 血統復帰は根本復帰です。条件では復帰ができません。愛は、条件的愛でいいでしょうか。根本的な愛でしょう。血統は根本的な愛から始まったので、条件的愛では全体復帰ができません。蕩減復帰は苦労したこと、何か牛どろぼうしたこと、人のまくわうりを取って食べたこと、かぼちゃを取って食べたこと、すいかを取って食べたこと、そのように蕩減復帰されるのではありません。愛は根本を蕩減しなければなりません。
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 アダムが責任分担を完成すれば長子の立場に立つのです。それで真の父母です。父母権復帰です。王です。天地の王です。今までずっとサタン世界と闘って長子権を復帰したということは、いかなるものとも比べられない大変なことです。父母権復帰というのはなぞなぞのようなものです。王権復帰というのも、このような難しい時期に民主主義の世界の中でやったということを考えてみてください。そのようなことを話すことができたでしょうか。しかし今は「ああ、文先生がそんなことを話すとは、素晴らしいところがある」と言うことのできる環境になったのです。
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 完成基準に立った真の男性、完成した主体となる本然のアダムの立場から見たとき、責任分担を果たした場合には子女の種、人類元来の子女の種を受けたはずです。それは神様の愛と神様の生命と神様の血統を受け継いだ立場のものでなければなりません。そのような種を受けなければなりませんでした。堕落によってそれが根本的に狂っているのです。
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 アダムとエバは神様の体です。アダムとエバは横的な父母であり、神様は縦的な父母なので、私たちが横的なこの体を脱ぎ捨てて、縦的に還故郷して天の国で永遠の王に侍って生きるのです。アダムとエバが堕落しなかったならば、神様の体と和してその体を着て完成し、この地上で神様の愛によって直接主管圏と間接主管圏を連結させ得る責任分担を果たした愛の王になるのです。
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 責任分担というものを失ってしまいました。それでは責任分担とは何でしょうか。男女に任された責任分担とは男は東側、女は西側で互いに成熟することです。男性が生まれたのは女性のためであり、女性が生まれたのは男性のためなので、結婚しなければならないのです。どこで出会うのですか。中央線です。垂直線、プラス、マイナスが接すれば、愛が爆発して神様の愛、神様の生命、神様の血統的基盤になります。これが根となり、抜こうとしても抜くことができないのです。絶対的な愛の起源、絶対的な生命の起源、絶対的な血統の起源を中心として人間が生まれるのです。
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 皆さんの心に残すべきことは、神様の心がそうであるように、責任分担、蕩減復帰というものが残らなければならないはずです。他のものはありません。本然の基準をどのように探すかというのです。蕩減復帰、その次は血統、真の愛を中心とした血統! それを知らなければなりません。責任分担、蕩減復帰、血統、この三つです。蕩減復帰が易しいですか。血統をひっくり返して合わせなければなりません。接ぎ木しなければなりません。完全にサタン世界と私は別の人です。お母さんの顔、お父さんの顔、みな忘れてこそ復帰ができるのです。


 四 責任分担の発見とその重要性

 責任分担という言葉はこの世ではあまり使わない言葉です。しかし統一教会では、どんな言葉よりも特別に重要視する単語です。統一教会において、この責任分担と蕩減という言葉、責任分担と蕩減復帰、この二つを知らなければ歴史的なすべての内容を悟ることができず、間違った歴史、あるいは歴史の未知の事実を解決できません。そのような重要な言葉です。
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 責任分担ということを今まで知らなかったので、歴史の曲折を知りませんでした。なぜ善なる人たちがみな犠牲になり、悪なる人たちがうまくいくのですか。歴史を見ると、独裁者がなぜこの世を支配し、善なる王が出てきても平和の世界をつくることができなかったのでしょうか。歴史を調べてみると、独裁者の世界統一の夢だけが記録されているのです。それはサタン世界だからです。責任分担圏を侵犯されたので、それ以下のすべての被造物、それ以下の人間全体、地上世界の万民、以前に来ては逝ったすべての霊界にいる先祖たちまで見ても、責任分担完成圏を越えた人は一人もいないというのです。それが原理です。文先生が適当にもってきて付けたのではありません。この責任分担という言葉が分からなければ、歴史が解けません。歴史の曲折を解決することができません。なぜ戦争史ですか。責任分担という善の条件が悪なる世界の条件を克服しなければならない立場にあるので、堕落して、サタン世界になり、落ちたものを覆す闘いをしなければなりません。ですから歴史は善悪の闘争史なのです。
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 この宇宙の矛盾した事実と歴史の悲運の曲折、このすべてが歴史上の責任分担というものを知らなかったので生じたのです。責任分担がどれほど重要かということを、皆さんは知らなければなりません。皆さんは責任分担を自分勝手に考えているのです。「責任分担は原理で教えてくれるものであって、私たちとは関係ない」。このように考えているのです。このように見るとき、先生が責任分担という言葉を発見したということは、偉大な発見だということを知らなければなりません。皆さんは責任分担をどれほど重要に思いましたか。この責任分担には宇宙が引っ掛かってあえいでいるのです。
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 今日統一教会で人間の責任分担というものを見つけたという事実は、宇宙的な発見だということを知らなければなりません。原子爆弾を発明したことや、アインシュタインが相対性原理を発見したこととは比べものにならないのです。それを知らなければ、歴史のすべてのものが解決されないのです。皆さんが人間の責任分担というこの真理を知ったという事実は偉大なことです。しかし今私たちは人間の責任分担を一番嫌っているのです。一番好まなければならないのが私たちなのに、人間の責任分担を一番嫌っているというのです。
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 復帰摂理を知らないので、人類歴史が解けないのです。歴史を通じてみれば、必ず因果原則によって悪なる者は滅びるようになっているのです。ところで、なぜそうなのか知らなかったのです。また、人類の理想がなぜ成就していないのか、神様の愛が現れなければならないのに、どこで現れるのかを知らなかったのです。学者の頭からは現れません。それは本然の父母の骨髄から現れるのです。本然の父母からです。ですから真の父母の歴史が始まったということは、天国の起源がこの地上に連結され得る一つの基盤が設定されたということです。真の父母を通さずしては天国は出現することができません。
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 神様の愛は絶対的であると同時に、その愛は絶対的な責任分担の上に立たずしては見つけることができません。皆さんが朝、御飯を食べることと生きることを考えるよりも、これがもっと根本です。責任分担という言葉は先生が発見しましたが、皆さんのようにただ座って発見したと思いますか。闘争して発見したのです。これを発見すれば、サタン世界は完全に倒れるので、サタンは隠し、覆って、ひたすら泰山のようにして、それを全部隠してきたのです。
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 統一教会において、責任分担という言葉を誰が作りましたか。私は発見したのであって、作ったのではありません。神様が作ったのです。神様がです。それでは先生がそれを発見する前にその言葉がありましたか、ありませんでしたか。太初からありました。この法は永遠の法です。それを知らなければなりません。
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 統一教会で言う責任分担という言葉は、重要な言葉です。この責任分担が成就されることによってアダムとエバは初めて人間として完成するのです。完成した人間になるのです。また人間の完成とともに、神様が人間を創造した目的が成されるのです。それは何かと言えば、創造主として権威を立てることのできる結果をもたらすことになるというのです。このように重要なのです。人間が責任分担を完遂したというその立場は、神様のすべての創造理想を完成することのできる結果になるということです。
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 レバレンド・ムーンが責任分担という言葉を発見したということは、偉大な発見だということを知らなければなりません。皆さんは責任分担をどれほど重要に考えていますか。この責任分担には宇宙がかかっています。このために神様も解放されず、宇宙も解放されず、地獄の門も解放されず、社会の矛盾したすべての不義の歴史が責任分担という囲いに、責任分担という壁に引っ掛かって、みんながあえいでいるのです。
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 人間の責任分担という言葉は、私がいる前からあり、私がいるこの時代、そして私が去ったのちまでも永遠に残る法であると考える人がいますか。「人間の責任分担という言葉が何のために私たちに必要なのでしょうか。何で必要ですか」と言う者たちがいます。神様の愛が絶対的であると同時に、その愛が絶対的な責任分担の上に立たずしては見つけることができません。絶対的です。皆さんが朝、御飯を食べること、生きることを考えるよりも、これがもっと根本です。
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 統一教会が出てこなかったならば、神様が分からないようになっています。人間の歴史始まって以来、霊界と肉界に対する関係、人間がどうしてこのように受難の道を行き、神様がいらっしゃるならなぜ悪なる世界をつくって人間をこのように悲惨な運命に追い込まなければならないのか、という問題を解決する道がないのです。しかし今日統一教会の信徒たちは、これが人間の責任分担のためだということを知っているのです。それは驚くべき事実です。
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 もし堕落した人間の前に神様が責任分担を設定しなかったならば、蕩減復帰という言葉は出てこなかったでしょう。復帰するならただそのまましたでしょう。蕩減しなければなりません! なぜ蕩減しなければならないのでしょうか。人間には責任分担があるからです。人間が完成すべき責任分担を自ら壊してしまったので、その賦与された責任を果たしていかなければなりません。そうするためにはサタン世界のすべてのものに勝って、サタンを主管する立場に立ち、堂々と神様の愛を受けることのできる位置に入らなければなりません。そうなればサタンは離れるのです。


 五 責任分担を遂行する姿勢

  1.責任分担はすべての分野の過程にある

 蕩減復帰歴史は幼いときから年老いて死ぬときまで、また霊界に行ってもいつも付いて回るのです。責任分担というものは付いて回るのです。霊界に行っても責任分担は残っているのです。霊界に行って、高い世界に上がれば上がるほどもっと高い次元の法があるのです。すべて責任分担が付いて回るのです。それを知らなければなりません。
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 先生の時代に法を立てるのは、責任分担法の延長であり、拡大であることを知って、その法に順応しなければなりません。教会の規範のようなものも、みな責任分担です。それで礼拝時間はぴったり守らなければなりません。礼拝が始まる前に来なければならないし、礼拝の時間は絶対に動いてはいけません。先生もそうしました。先生も昔、学校の時間に遅れそうになれば、その日は昼御飯を抜いて、ちょうど五分前に行くのです。そういうことをやりました。あらかじめ行っても時間を無駄にすることはないではありませんか。ですから思考がとても科学的だったのです。
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 すべての制度が責任分担の管下に所属するということを知らなければなりません。統一教会の法を守らなければなりません。朝、敬拝時間を守るのも責任分担です。それ一つもできなければ、この次の皆さんの人生の問題がここで左右すると考えなさい。
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 責任分担はどこでもあるのです。御飯を食べれば、自分が食べた食器をみな片付けなければならないのも責任分担です。責任が多いのです。責任分担をたくさんつくることのできる人が偉大な人です。統一教会の先生が責任分担制度をたくさんつくりました。会社でも全体のためになる原則、法を立てて、その規約を守らなければなりません。異議があり得ません。ああしたりこうしたりしていたら追い出されるのです。アダムとエバが、ああだこうだと行動してどうなりましたか。追い出されたのです。


  2.責任分担を遂行する姿勢

 堕落した人間は、人間の責任分担だけではありません。全体創造の九七パーセントをみな蹂躙してしまったのです。創造過程全部が崩れたというのです。ゆえにどれほど難しいかというのです。ですから人間が九七パーセントに該当し得る責任を果たさずしては責任分担を完成できる道が永遠にないというのです。ですから復帰摂理というのは再創造摂理ですが、再創造摂理がなぜ必ず必要なのでしょうか。人間の責任分担のためです。人間の責任分担を果たし、その場まで出ていくためには必ず再創造の過程を経なければなりません。再創造過程を経るには必ず蕩減条件を立てなければなりません。受難の道を行かなければならないというのです。
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 責任分担をよく知らなければなりません。救いの歴史は復帰の歴史であり、復帰の歴史は再創造の歴史です。再創造は原理的にするのです。責任分担を果たさなければなりません。責任分担は私たちの絶対的な信仰です。絶対順応です。これしかありません。自己主張があり得ません。エバは自己主張して堕落したのです。教会に入って不平を言ってはいけません。
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 皆さんは責任分担を一日に何回考えてみましたか。御飯を食べるときも責任分担、スプーンを握るときも責任分担、お皿を洗うときも責任分担、便所に行ってうんこやおしっこをしながらも責任分担、歩きながらも責任分担を唱えよというのです。アダムとエバが責任分担というものを考えなかったので滅びたのです。私たちはアダムとエバのように責任を果たせないで堕落する人になってはいけません。復帰して勝利する人になるためには二十四時間責任分担を尊重し、考えなければなりません。
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 神様は今まで人間の責任分担圏以上の立場で人間世界に接していらっしゃいます。しかし、それ以下に落ちた人間はどんなことをしても橋を架けて上がらなければなりません。その圏内にすべての人類が引っ掛かっているし、すべての世界が引っ掛かっているし、歴史が引っ掛かっています。過去に霊界に行った人、今後生まれてくる後孫全体がこの運命圏を抜け出せないでいるというのです。これが怨恨の堕落圏です。それで再創造していくには必ず闘争過程を通過しなければなりません。再創造過程に必要とする圏は誰が支配していますか。サタンが支配しているのです。九七パーセント圏をサタンが支配しており、九七パーセント圏以上から神様が支配します。このように見なければなりません。
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 人間が自分の責任分担を果たせなかったので、アダム完成者が責任分担を果たさなければなりません。ですから未知の世界を開発していくのです。ゆえに原理の道は開発していかなければなりません。求めていかなければなりません。原理の道は探していく道であり、蕩減の道は踏んで行く道です。ただそのまま踏んでいかなければなりません。ヤコブが蕩減したもの、イエス様の蕩減、モーセの蕩減路程を、今日の統一教会の文先生の蕩減路程を通して踏んでいかなければなりません。千里の道ではなくても、三歩、四歩ずつでも踏んでいかなければなりません。そのような条件が貴いのです。
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 天使が来た時、ヤコブは神様の使者として来たことを知っていました。それで「私を滅ぼすための使命をもって来たのですか。でなければ福を与えるための使命をもって来たのですか」と尋ねると、「福を与えるために来た」と答えました。それに対して、「福を与えようと来たのならくれたらいいのに、どうしてくれないのか」と言うと、「それは責任分担が残っているから、ただ与えることができない」と言うのです。すなわち、ヤコブが相撲をして勝たなければ福を与えられないというのです。言い換えれば、命を懸けて闘わなければ与えられないというのです。そのような条件をかけて立ち上がった時、ヤコブは「そうか、よし、私の指が抜け、私の腕がなくなっても決して負けない」と決心し、刀で打たれても離さないし、首を切られても離さないという心をもって相撲をしたのです。どれほどやったでしょうか。夜を明かしてやりました。死んでも離さないという心で闘ったのです。
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 責任分担圏の蕩減路程は立てなければならないものです。その責任分担は何を中心として果たさなければならないのでしょうか。より天を愛すること、より絶対的な信仰とより絶対的な愛をもたずしてはサタンを屈服させることはできません。
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 責任分担という言葉に対して感謝したことがありますか。この責任分担を果たせなかった人間が行く道において、解放を追求する前に通過すべき蕩減という怨恨の道が、壁が、どん底が残っているのです。この事実を知ったので、この道を行くために身もだえする統一教会の群れにならなければなりません。その道が残っているので、先生もこの道を埋めるために身もだえしてやってきたのです。
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 皆さんは責任分担を完成したと思いますか。アダムとエバが責任分担を完成できずに死んだので、皆さんも責任分担を完成した立場にいないのです。いくら素晴らしく、いくら大統領で、この国の有名な学者になったとしても責任分担を完成した立場に上がれなかったというのです。責任分担を完遂できなかった圏内ではサタンがぎゅっとつかんでいるのです。これを離すためには蕩減しなければなりません。蕩減せずしては、祭物にならずしては離れないのです。蕩減するまでは、ただでは離れないのです。
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 皆さんは天国に行く道を知りません。蕩減の道を知りません。蕩減の道を知っていますか。責任分担を完成できなかったので、責任分担条件に引っ掛かっているのです。責任分担を果たせなかったことによってサタンが侵犯したのです。個人、家庭、社会、国家、世界、また霊界まで、みなサタンが侵犯しているのです。
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 五パーセントの人間の責任分担を果たさなければなりません。先生も責任分担と蕩減法のゆえに一生の間、苦労するのです。これを知ったのでサタンが統一教会を一番恐れるのです。これがサタンを屈服させる武器です。ですからサタンの一線に行かなければなりません。サタン世界に行って反対行動をして、その基盤を築いて、カインを救わなければなりません。カインもサタンを解放してあげなければなりません。カインを救ってこそサタンが解放されます。カインを探してくることができなければ、追放ができないのです。
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 私たちになぜ蕩減法が必要なのでしょうか。サタンを分別するためです。責任分担を果たせなければサタンを分別できません。責任分担を完遂できずしてはサタンが分別されないというのです。ですから皆さんは蕩減の道を行かなければなりません。先生が責任分担と蕩減法を知らなかったら、今日統一教会は成り立たないのです。神様のみ旨を中心として見るとき、神様が私に協助できないというのです。統一教会が特別なのは、責任分担を中心として蕩減法を知ったからです。先生が生涯をかけて苦労するのは、蕩減の道のためです。先生が一生の間なぜこのことをするのでしょうか。いつも牢獄に出入りし、なぜこんなことをしなければならないのでしょうか。それは蕩減法のためです。蕩減法のゆえなのです。


























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