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宇宙主管を願う前に
自己主管を完成せよ

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五、情欲主管

 皆さん、これから男女問題に対しては格別に注意しなければならないのです。皆さん、男も女も二人が好きだという言葉を残す人は、これから絶対祝福を受けられないのです。それはしてあげてはいけないようになっているのです。それを知るべきです。


 きれいな血統をどのように保存するのかが我々の問題

 今までのアメリカの考え方は通じないのです。親たちがデートもしなさいと言いますが、それは通じないのです。天の法度を通じてすべきなのであって・・・。我々が世界のこの倫落問題、青少年問題を全部解決できなければ、世界を救えないのです。皆さんは、これから責任者になる人たちですが、このような面に徹頭徹尾しなければいけません。今まで自分たちなりにありとあらゆる考えをして、問題を起こす人たちがたくさんいました。

 韓国でも日本でも、自分たちが前に互いに約束して来た人がいたかもしれませんが、そんなことはいけないのです。アメリカの宣教師を信じてしてあげましたが、これからはそうはいかないのです。

 通訳する人は、私が言うことを何とかより分けてしようと思わないで、そのまましなさい。

 ですから、そのような問題においては、これから徹頭徹尾にすべきです。分かりますか? 見てみなさい。一度堕落したために、数万年かかったのです。一日の失敗が数億千万年かかったことを知らないのですか。それが誤って引っかかると、皆さんもそのように引っかかってしまうのです。さらにここは完成時代を標準とするために・・・。長成期完成級で落ちたのも復帰歴史が大変なのに、完成基準で父母様の心情を蹂躙する立場に立つようになると、許す法がないのです。それを知るべきなのです。

 アダム・エバは、神様と心情関係がつながっていなかったのです。神様の愛を中心として、言い換えれば、人間と神様の間に心情の紐帯をつながなかったその条件があったために、愛をもって救うことができる道があるのであって、心情の紐帯が侵犯されたら愛をもっても救えないのです。神様の愛がアダム・エバを経なかったとき、アダム・エバが堕落したために、愛がまだ残っていて・・・。神様が人間と関係を結べず、愛がタッチできなかったそれがあるために、そのタッチされなかった愛を中心として救いの役事をするのです。

 では、今の時はどんな時か? その愛を中心として、それが基調となって出発するのに、これにタッチするようになると救われる道がないのです。何で救うのかというのです。理論的にそうなのです。理論的にそれが何のことか分かりますか?(はい)。

 愛が侵犯されないために、その愛をもって救いの役事をしますが、今や我々の時代、完成時代には、神様の愛が接触するのに、この愛を蹂躙したらどこに行って救われますか? 救われません。救われる所がないのです。何をもって救われるかというのです。先生の勝手にできますか? だめなのです。知ってから堕落したらだめなのです。知ってするというこれは何と同じかというと、回るサタンの押し切りの端に突きつけるのと同じなのです。切ってしまうのです。それが分かるかというのです。この問題がどれほど恐ろしい問題か?(はい)。

 ここに来ても、もう自分が言葉を聞いていることを知るべきなのです。自分が皆知っているのです。ワシントンから、昨年からところで毎回ここに来てはぞろぞろついて回って、そうできるかというのです。ここに座っている皆さんは感じられないかというのです。皆さんはそのように考えませんでしたか? そういうことを忠告してあげなければなりません。これから我々は、社会的にこの貞操を汚さないきれいな血を、血統をどのように保存するかということを肝に銘じなければなりません。最近、大社会倫理として保存すべきなのです。

 ここのアメリカの公園のような所に行けば、若い男女たちがありとあらゆる・・・。それは、これからそうできるようですか? できないのです。ありとあらゆることを皆やっているのです。これから我々の青年たちは、三人が歩いていてそんなのを見たら、そのまま放っておいてはいけないのです。それを越えて、ともに越えていったら滅びるのです。それを中心として飛躍すべきなのです。それを踏んで飛躍しなければならないのです。そうしてこそ世界がまともになるのです。


 愛の失敗をするのは後孫に毒を飲ませること

 更に、若い青年男女が一所に暮らして皆こうするときに、これから皆さんの責任者たちは、この問題については徹頭徹尾責任を持たなければなりません。私がこのようなことを厳重に処断するでしょう。これから、男女が会って、二人手をつないで歩いていて、私に見つかったらただでは置かないのです。なぜ純粋な自分の感情を変な、関係ない人に皆消耗させて流してしまうのかというのです。きれいに保管しなければならないのです。

 花を見るとき、香りがあります。香りを見ると、花のつぼみがしっかりと閉じていてから開いてこそ香りが濃いのです。いつでも開いていたら面白くないのです。同様なのです。愛は人間の香りと同じです。しっかり封じてから、相手に会ったときに初めてその相対のために表現するためのものが愛というものです。なぜ先生はそう言うのか? 原理がそうだからです。ここに来てみたら、今まで宜教師たちが原理を知らなかったのです。

 ですから、このような問題を中心として、皆さんが責任者ほどにこの問題を徹底して取り締まらなければならないのです。責任者は女性と二人で一つの部屋で会うなということです。会うには、必ず三人が会いなさい。天使長とエバが二人で会ったため事故が起きて、エバとアダムが二人で会ったために事故が起きたのです。エバとアダムの間に神様をお連れしておいて、天使長とエバの間にアダムを呼んでおいたら、堕落しなかったのです。三人が会ってこそ、その防備になりうるのです。

 皆さん、男、女だけいたら堕落する可能性がありますか、ないですか? 答えてみなさい。(ありません)。それはなぜそうなのですか? 揮発油があるのにマッチをなぜ入れて歩くのですか。揮発油がある所にマッチをなぜ持って入り、揮発油のタンクのそばでタバコをなぜ吸うのかということです。それができますか? 一度誤ったら皆消えていくのです。もう永遠に逃れる道理がありません。原理を知れば、逃れる道理がないのです。原理がこのようになるというなら、それはしっかりと条件的になっているため、一度引っかかってみなさい。それを逃れうる何らの根拠もないのです。

 では、既成家庭はどのように祝福を受けるのか? その人たちは、結婚するときこれを知らなかったのです。先生が今まで家庭的なすべての基盤を築くために、苦労して蕩減復帰した基盤があるために、先生がそれを・・・。先生が特権を持って祝福してあげることができるのです。ですが、若い男女は原理原則に一致しなければしてあげないのです。できないのです。また、若い男女といっても、アメリカのような所は、純粋な若い男女がいませんが、それはアダム・エバが堕落したのを復帰するそのような原則により・・・。そのようなものを復帰して引っ張ってきたために、その原則を中心として許してやるのであって、そうでなければだめなのです。汚れた人は、先生が絶対祝福してあげるようになっていないのです。前にも話しましたが、それは殺人したことよりひどいのです。殺人は一人を殺しますが、それは自分の後孫を全部殺してしまうのです。

 ですから、これから法の中で、愛を侵犯することを治める法律以上がないというそういう時が来るでしょう。それは分かりますか? 今まで皆さんがありとあらゆることをした過去があれば、ここで全部悔い改めなければならないのです。きれいに悔い改めるべきです。原理を聞く度に、本当にあきれて、くやしく、無念なことを感じるべきなのです。「堕落の後孫として生まれたことも無念なのに、自分自体がまたそのようなことをしたとは」と言い、拭いえない悲痛さを感じながら、神様の前にこれを許されうることがあったなら、それ以上の喜びはないという、それ以上感謝できないという、このような立場に立つべきなのです。

 そんな者たちがここに来て、自分の好きな人に会ってまたそんなことができますか? できないのです。それがはっきりと分かりますか?(はい)。それを知るべきなのです。

 皆さんがこの罪に引っかかれば、皆さんの先祖まで・・・。先祖の希望が何でしょう? 自分たちを正してくれるのを願っているのに・・・。また後孫がどれほど悲惨であるか考えてみなさい。人の親の役をすることは大変であり、人の先祖になるのが易しいことではありません。これから子供たちを産めば、皆愛して喜ぶでしょう? 彼らに口を開けて毒を飲ませるのと同じなのです、毒を。これをよくしなければならないのです。


 志操を生命よりもっと重要視せよ

 今回、ここの西欧の食口たちを私が祝福しましたが、西欧人がどれほど男女関係に乱れているかについてパーセントが皆出てくるのです。これを何人かが統計を出しましたが、韓国を見るなら純然たる処女・童貞がどれほどになるかというと八三パーセントです。統計が出てきたのです。男も女も同じです。男と女を合わせてそうなのです。日本はどのくらいかというと、六三パーセントです。アメリカは、あまりにもひどいのです。それは恥ずかしいことです。恥ずかしいこと、それが誇りですか? 滅びるのです。そんなに私を嫌わないでください。そうするなら教会に来ないでください。ここでなくても、社会に出ればいくらでも・・・。ここに来てそうですか?

 皆さんは、ここでなぜこんなことまで言うのかというと、これからこの問題に対しては徹頭徹尾にしなければならないという思想をしっかりと・・・。自分の生命が絶えても、それはできないのです。こんな覚悟をすべきなのです。志操がなければならないのです。それを命よりも重要視すべきなのです。愛を誤ると、自分の子孫が滅びるようになるのです。

 さあ、先生がこのような道を行くようになれば、アメリカ社会全体が悪いと言うようでしょうか、良いと言うようでしょうか? 皆さんも皆そうじゃないですか。結婚するとき、だれがぼろのような新郎・新婦をもらいたいですか? あきれたるじゃないですか。それは皆隠して分からないからそうであって、ありとあらゆることを皆しているのです。皆さん、そのようにぼろのようなものたちがここに来て、神様の女を得るように許したことだけでも恐れ多いのに、他の女に目を移しますか? その目玉を抜くべきなのです。そうして暮らしてきた奴を祝福されるようにして、自分の前に女を、あるいは男を許してくれたという事実だけでもあまりにもありがたくて、恐縮で、大事にすべきなのに、他の人について目玉を回したら、その目玉をみんな抜いてしまわなければならないのです。

 ここのジャックにも息子がいますがね、嫁をもらうとき、そんなに勝手に遊んでいた人を嫁にもらいたいと夢でも思ってみましたか? 純粋な嫁をもらおうと思うでしょう。あんたの奥さんもそのように思えば・・・。父母がそれを望むなら、父母がそうであるべきでしょう。そうしてから、そのように願うべきでしょう。それでこそ正当なのです。

 さあ、子供たちが結婚するとき、もし皆さんが娘を持ったとしましょう。ところで、あの人と結婚させてやったら離婚するだろうということが分かって、娘をやる人がいますか? また、あの人と結婚するようになったら離婚するだろうということが分かって嫁に行く人がいますか? 離婚すると思いながら息子をやり、娘をやり、嫁をもらい、婿をもらう人がいるかというのです。大概離婚するその主な事件は何か? 男女問題です、男女問題。これをどのように防止するか? これを防止するには、これをしてはいけないということを、理論的にはっきりと教えてやる教育がなければならないのです。ところで、アメリカでそれをしているかというのです。それは原理しかないのです。我々の原理しか。これによって、どれほど直接的な損害がくるかということが頭にスッと打ち込まれてこそ、「ああ」と言って、やれと言ってもやれないのです。それをはっきり知らないから、被害がどうであるかということを知らないからそうでしょう。

 夫婦同士は事実・・・。伝道のためにそうであって、夫婦はしっかりとくっついて歩けというのです。一つにならなければなりません。どこかに行って座るときも、別々に座らないで、一緒に座れというのです。夜も昼もいつでも一緒に通じうるのが夫婦ですが、夫婦にならずにそうできますか? 二人が一つの部屋に入って寝ることができますか? 夫婦にならなくて? 行けないようになっているのです。どこにも行けないのです・・・。


 我々はすべての面で新しい次元の規律を持つべし

 それゆえ、これから理想世界では、夫婦同士本当に仲良く二人で行けば、その人たちに若い男女は挨拶しなければならないようになっているのです。そのような時が来るのです。そのように通り過ぎるようになったら、必ず三人いたら握手して拍手して、皆そうすべきなのです。夫婦同士で一つになったのを栄光と知り、それを讃える社会風土にならなければならないのです。その人たちは、どこに行っても社会からあがめられ、多くの人たちがその夫婦に対して讃美でき、尊敬できるようにならなければならないのです。

 さあ、この問題について徹底すべきなのです。そこについて質問する人は質問してみなさい。また、はっきりと分からないという人は手を挙げてみなさい。分かりましたか。もう? なぜ先生がそう言うか分かりましたか?(はい)。それゆえ、皆さんが統一教会に入ってきたら、七年間は公的生活をすべきだというそのことです。六千年の歴史、七千年の歴史を蕩減復帰しなければならないということです。


 結婚することは天地が合わさること

 先生が皆さんを見ると、正確が皆分かるのです。だれがどうでどうで、誰々が発展性があり、それが皆分かるのです。話さなくてもサッと見れば、心がどうだというのが分かるのです。笑うのを見てもいっぺんに分かるのです。

 去年日本食口が何双結婚しましたか? 二七〇何双ですか?(二三五双です)。二三五双を何時間でやったかというと、八時間四〇分という時限内で全部結びました。それをどのようにしたでしょう、どのように? 立たせておいて悪戯のように、人が見れば悪戯をすると言ったことでしょう。女が一人いれば、女をここに一人立たせておいて、男たちを皆一度サッと振り返って合うかどうか見るのです。皆さんの目には、森なら皆青く見えるでしょうが、森の中にもいろいろ種類があるのです。松の木も青く、アカシアも青いですが、アカシアの木と松の木と結婚したらそれでいいですか? 二つとも死ぬのです。接ぎ木したら二つとも死ぬのです。いくら葉が黒くて幹が曲がっていても、その曲がった松の木なら松の木同士でしっかりと接ぎ木すべきでしょう。形は良くても悪くても・・・。

 人は滝のように落ちる形があるのです。そのような人は、ぽっくり死ぬタイプなのです。その滝のように落ちるタイプがあれば、爆弾のように突き出すタイプがあるのです。それは皆そういう何かがあるのです。彼らを互いに結んでおくと、事故が中止されるのです。それは皆そういう何かがあるのです。これが下がってくれば上に上げなければならないのと同じではないですか? 風がこうしてひゅうっと吹くとき、もっと風がひゅうっと吹くとき、もっと風が吹くと、フィールドがこのように押されるのと同じで、調整するのも皆そのようなことを考えるべきなのです。ただ街で互いに会って暮らす、それは危険千万なのです。街でこのようにして、何、愛して結婚して暮らすとき、そのようにした人たちによって、これからアメリカに低能児がだんだんたくさん出てくるという思いは、すでに決定された先生の観なのです。それは間違いないのです。それは自滅なのです。自動的に滅びるのです。自動的に後退するのです。

 そのようなことが分かる先生なので、皆さんの結婚問題についてそのように深刻なのです。そう思いませんか?(そう思います)。結婚は自分のためにするものではありません。天地、男は天であり、女地です。天地が合わさるのです。自分を中心として国家を代表して、平面的に見れば自分と国家を代表して結婚するのです。

 それゆえ、妻に反対することは、地に反対することであり、相対国家に反対するのと同じになるというのです。妻を愛するのは、地を愛することであり、国を愛することです。そうではないですか? 国の一番の代表的な人だというのです、国の。その妻というものは、国の人の中で一番近い人ではないですか? その国を考えてみるとき、妻が一番近いから。それは国を愛することです、国を。そうではないですか? 地を愛せず、妻を愛せなくては、顔を上げられないのです。それなのに、離婚、離婚していいのですか?(いけません)。(六七―五五〜六五)

   問:我々が講義を聴いて堕落論を知っても堕落をしてはいけないと言われましたが、いつからその責任がありますか?

 その堕落について知ったときからです。これは、すべきでないことをすると言いながらするのはいけないのです。ですから、徹底して教えるべきです。堕落論を聴けば、あなた、君は、このような・・・。さっき言ったように、男にぶら下がっているものは毒蛇の頭であり、女のものは毒薬の壷だというそういう思想をぶち込めというのです。皆さん、それを思うとき、気分がいいですか? それは言葉だけでなく、事実がそうなのです。それよりもっと恐ろしいのです。一度誤ったら自分の子供まで全部滅びるのです、全部。世の中でも、病気のようなものにかかれば皆滅びるではないですか。そうではないですか? それをはっきりとぶち込むべきです。それゆえ、皆さんから行ってこれを中心として実践しなければならないのです。それで今から、この伝統をもって全国的にきれいに洗わなければならないのです。きれいに。それから、その次?

   問:男は男にだけ、女は女にだけ伝道しますか?

 それは大丈夫です。お父様の仕事のためには大丈夫です。女は娘のように考えて、男は息子のように考えなさい。それは大丈夫です。いつもそのような心の位置だということです。夫のように、相対のように考えては絶対いけません。相対のような観念を絶対持ってはいけないのです。ですが、第三者以上考えれば・・・。必ず大衆生活をするようになるなら大丈夫ですが、二人会ってするようになると誤解するのです。自分はきれいですが、誤解するのです。ここに誤解するようになると、罪をかぶらざるをえないのです。弁明してもだれも聞かないのです。弁明にならないのです。ほかに?

   問:そのように考えることさえも罪を犯すことだとイエス様が言われたそのみ言の基準がここに適用されますか?

 考えてもいけないのです。我々はそれ以上になるべきです。我々がここでこのような悲惨なことを選ばずには、蕩減復帰という道に合わさりうる道がないと、このように考えろというのです。もっとすべきなのです。先生はこの問題のために今まで、一九六八年の正月一日、神の日を定めるときまで・・・。この問題解決のために、先生が一生かかったのです。先生が一生の間かかったのが、この問題を清算するためだったのです。心情問題、これをまさにつかむために一生かかったのです。この問題なのです。そのために一生かかったのです。皆さんは、先生の尻尾と同じです。先生は頭として大きいですが、皆さんは尻尾であるため頭についていくのと同じことです。

 これは何を言おうとすることか? イエス様がかかったその三年間を越えていこうということです。この三年間に三弟子を作って祝福してやり、その形式に合わせようということです。アダム家庭、ノア家庭を作ろうということです。アダム家庭が八人家族でしょう? ですから、アダム家庭で八人が分かれて、争って離れて下ってきたので、八人が父母と一つになって・・・。八人が離れるとき父母と分かれて、兄弟同士で分かれて離れて下ってきたので、兄弟同士一つになって、父母と一つになって復帰して帰っていくのです。八人でなければ天国に入れないのです。

 父母と子供が分かれ、兄弟同士殺すことをしたというのです。ですから、兄弟が一つになって、その次に夫婦同士で一つになるべきなのです。そうしてこそ行くのです。そうして八人家族になってこそ天国に入ることができるのです。

 それゆえ、三人伝道しなければ・・・。それは何かというと、三人の息子は自分のために命を捧げるべきだというのです。イエス様のために三弟子が命を捧げられなくて、悲惨なことが起こったため、それを蕩減復帰する原則により、自分を中心として三弟子がイエスの弟子よりもっと命をまず捧げると立ち上がれるようにならなくては、復帰にならないのです。

 そのように離れていったために、復帰もそのようにしていかなければならないのです。それが原則です。それゆえ、八人家族の条件を備えた人でなければ天国に入れないのです。ここはサタンの愛を中心として壊れて下ってきたので、ここは神様の愛をもって結んで上がっていくのです。

 それで我々は、伝道した人と自分の兄弟よりもっと近くあれというのです。しかし、神様の愛を中心としなくては、皆さん同士で愛せないのです。それは、男女的な、異性的な考えなのです。それはできないようになっているのです。長成の時にあるために、男女関係を知ってはいけないのです。だれが夫になるのかを知ってはいけないのです。それがそのようになるべきなので、だれが自分の夫になるのかが分からない立場で祝福を受けてこそ原則なのです。それゆえ、「おまえと私と相対になろう」と言ったら、すでに引っかかっているのです。そうですか、そうでないですか?

 アダム・エバが知らずに堕落したために、皆さんも知らないうちに神様の愛を立てて、越えて行くべきなのです。ですから、あらかじめ知ったらいけないということが分かりますか? それゆえ、だれが夫になるか知らず、だれが妻になるか知らないのです。これをだれが知りますか。神様が動機になるべきでしょう。父母が動機になるべきでしょう。統一教会の食口は一家族なのに、だれが父母ですか? 先生ではないですか? ですから、先生が許すときに・・・。そのときは、訪ねても大丈夫です。許した次には。それは先生がそのようにしたくてするのではありません。そうでなければ原理が立たないのです。それで一週間であるとか時間を与えて、いくらでも会えと言うのです。その時には。そのような日が来る前に、そのような許しをする前に心にそんな思いをしたら、それは不純なのです。

 このように厳格にしても堕落する可能性があるのに、そのままにしたらそれは何もならないのです。ですから、神様が取って食べるなと命令したのです。善悪の実を取って食べるなと言ったのです。神様も取って食べるなと言ったのです。それなのに、先生が「皆さん勝手にしなさいと言いますか! 神様よりもっと恐ろしく取って食べるな」と言うべきでしょう。神様よりもっと恐ろしい法を適用する人なのです。

 さあ、もう分かりましたか?(はい)。それで、皆さんも子供たちをうまく育てろというのです、子供たちを。そう、先生の子供には、今責任者を一人ずつ付けて通わせるのです。何か事があるか、一人で置いておくと恐ろしいのです。どんなことでも起こりうるのです。それで、ぞろぞろとくっついて歩けと言ったのです。今、年が幼いからそうであって、年を少し取るようになったら全部サタン世界を恋しがるのです。愛したくてですね。

 ですから、この悪なる世の中でこれを立てようとするので、先生がどれほど頭を使うか考えてみなさい。それゆえ、国が恋しいということを皆さんは知るべきです。早いうちに我々は国を見出さなければならないというのです。それは理解できますか?(はい)。それで今、うちの子供たちは一対一で歩けと言うのです。皆さんとは違うのです。先生の息子は問題が大きいのです。

 神様が天使長に「天使長、おまえは歩くとき一人で歩かず二人で歩け」と言い、またアダム、エバにも「二人で歩け」、このように厳命したら堕落しなかったでしょう。それを先生は教えてやるべきなのです。これから、人を一人だけで歩かせるのではなく、二人まで歩くようにしようと思います。それはなぜそうなのか? 息子を愛してそうするよりも、この問題のために・・・。それが深刻な問題なのです。

 ですから、今はそれを思うようになるとサタンが浸透し、それを考えなくてこそ神様が臨在されることを考えろというのです。いつでもその実感が出なければならないのです。男たちが話すとき、男たちが女について「私があなたを愛します。」こんな言葉を絶対に言ってはいけないのです。女もあなたを愛するという話をむやみにできないようになっているのです。

 堕落したエバとして、自分が復帰する責任がどれほど重いか、復帰もできないでどうして「あなたを・・・」。それは考えてもできないようになっているのです。その愛は、父母が持ってきてやる前には、皆失ってしまったので、ないのです。父母が持ってきてやらなければならないのです、父母が。父母が持ってきてやってこそ愛が出てくるのであって、父母がいなければ愛が出てこないのです。それゆえ、再臨主だの、新郎新婦だのという問題があり、この父母がその死を持ってきてやるために、人類の希望になるのです。それが新郎新婦を中心としたキリスト教思想というものです。

 父母が愛してこそ、万民がその愛を持って出発するのです。その前までは独身生活です。それで、パウロのような人も宦官になれと言ったし、聖書もそうであり、今まで宗教もその一つを標準としてきたのです。

 さあ、先生がこのように繰り返して話すのは、これがどれほど恐ろしい問題であるかを知っているためにそうだという思いを持つべきなのです。もしそんな失敗をしたら、それをどこに追放させるべきでしょう? それは地獄、無抵抗に入っても当たり前なのです、無抵抗に。

 この次に霊界に行って、「先生、先生はなぜそれを確実に教えてくれませんでしたか?」そんなことが言えますか? 言うようになりましたか、言えないようになりましたか? さあ、教えましたか、教えませんでしたか?(教えてくださいました)。ですから、そこに引っかかるなというのです。どうか引っかからないように。

 今までの観念とはあまりにも差があるのです。それを皆さんがよく知っているのです。ですから、これをしなければいけないのです。公式ですから、これをしなければいけないのです。(六七―五五〜七七)


 新しい愛の姿勢を正して結婚しなければならない

 統一教会に入って、そのようなことが起こるなら、それは永遠に讒訴されるのです。もしここに入ってきてそうしたら、自分の先祖たちが許さないのです。霊界の先祖たちが後孫たちに願うことは、純真であってきれいな血族が出てくるのを願うのです。ですから皆さんは・・・。それゆえ、ここに入ってきては、新しい愛の姿勢を正して、それこそ理想的な男性と理想的な女性が互いに会わなければなりません。結局自分一人が過去にそのように生きてきたのは、人類歴史を代表して汚れたと、それを象徴するということを思い、人類歴史を通して悔い改めをすべきなのです。ここではこれから、自分の問題を全部ありのままに告げなければなりません。それを隠しておいては通じないのです。

 祝福を受けた家庭の男が、もし他の女とキスしたら、自分は今日だれとキスしたと夫人に報告しなければなりません。愛の主人は夫人であって、自分自身ではないのです。夫人がそれを大丈夫だと言えば、その程度は・・・。(笑い)愛の主人は自分ではないのです。そうではないですか?(そうです)。皆さんは、これから原理的なみ旨を中心として祝福を受けるべきなのに、他の女の所に行き、他の男の所に行ってキスする、そんなことができますか? 絶対いけません。

 そういう面で、きれいな結婚をしなければなりません。結婚は自分のためにするのではないのです。後孫のためであり、人類のためなのです。それゆえ、結婚をして子供を産むときは、世界が必要とする子供を産みたがらなければならないのです。そうではないですか?


 きれいな体と心を大切にして愛すべし

 自分の相手でなくては、男が女を見るとき恥ずかしがるべきなのです。我々は堕落論を習ったではないですか? 我々の立場では、それは否定して、それを清算して越えていくべきです。それは女で言えばですね、この乳房をある男がわずかに触れてたら、塩水で洗ってしまう覚悟をすべきなのです。口をそうしたら、口を洗ってしまいヽ手をそうしたら手を・・・。そんな奴等がどんな奴か分かるかというのです。これから皆さんの中にそんな奴等がいたらそれはサタンなのです。頭を踏んで殺すべきなのです。若い奴等、分かったか?(はい)。そうしなければならないのです。

 夫と妻は、宇宙の主人を代表して現れる主人というものです。それなのに汚れた愛をもってしては・・・。そんな不純がどこにありますか? そのような扱いがどこにあるかというのです。そのようにして堂々とできますか? いちばん嬉しく良い日に、結婚する日に、恥ずかしくて良心の呵責を受けるべきですか? その愛の目を見ても、どこを見ても、目を開けて胸をのぞいて見ても透明で、少しも引っかかるものがなくてきれいであるべきで、これがそんなではいけません。いけないのです。それが理想的なものではないのです。

 愛は、いちばん貴い、いちばん価値ある出発点なのです。そうなるべきではないですか? 分かりますか?(はい)。それゆえ皆さんは、手がそうしたらこの手がサタンだったなあ、こいつの体がサタンだったなあという心を持つべきです。分かりますか?(はい)。

 このようになるのが原則なのに、同性愛? それは動物もそうしません、動物もそうではないのです。そんな人は、畜生にも劣るのです。そんな者たちが今世の中に・・・。このような原則をはっきりと知って、州の代表たちはこのような分野をきれいに掃除していかなければなりません。自分自らが全部、後進たちを教育していかなければなりません。自由にこうして会うのが理想的ですか、先生が言うことが理想的ですか? どちらが理想的ですか? さあ、そこについて、何か聞いてみることはないですか?

   問:ところで、それにどのように勝ちますか? 悪霊が来てそうしうることもあり、先祖たちが来てそうしうることもあるのですが。

 皆さんが堕落の原理を知るようになるなら・・・。アダム・エバの一度の失敗で、復帰するのに何万年かかったか考えてみなさい。数多くの人が犠牲の代価を払ってこの場に訪ねてくるまで苦労したのに、ここでまた再びそんなことができるかというのです。知らないときは分かりませんが、知ったならばそれはできないのです。

 それにどのように勝つか? 勝つでしょう。自分に損害となり、被害が莫大だということが分かるから、自分に被害となり、どのような結果となるかということがあまりにもよく分かるから、そんなことはやれと行ってもできないのです。アダム・エバの一日の失敗によって、どれほど被害を被ったかを知れば、自分自身にどれほど致命的な損害が来るかということを知れば・・・。それが分からないために、それにどのように勝つかという、そんな言葉が出てくるのです。

 一度そうしたら、被害がどれほど大きいかということを知るべきです。自分の先祖も引っかかってしまい、後孫まで皆引っかかってしまうのです。その被害がそのように膨大なのに、それを知りながらこっくりこっくりしますか? 知りながらそうすることができますか? 今までは原理を知らないからそうしたでしょう・・・。それを誤って使ったら、後孫が皆滅びるのです。世の中が皆滅びるのです。それがどれほど恐ろしいことですか? 分かりますか?(はい)。それゆえ、このようなことは、これから皆さんの責任者たちが全部厳格にうまくやりなさい。皆さんが、育つ後孫を、きれいな後孫として養い育て、天地の前に恥ずかしくない、後孫を愛しうる父親になりたかったら、そのようにしなさいというのです。きれいな父母として、きれいに愛して息子を産めば、恥ずかしくないのです。何といっても恥ずかしくないのです。そうできずに、その欠点が子供にあるようになったら、それがどれほど恨みになり、どれほど罪責感を感じるようになるでしょうか? それは恐ろしいことです。愛は恐ろしいのです。愛はこの上なく良いものですが、この上なく恐ろしいものです。

   問:あるとき、祈るときには、正しい祈りが出てこないのですが、それでも続けて祈るべきですか?

 そういうときは、時間を変えるのです。時間を変えるというのです。人によって時間を異にしなさいというのです。自分に合う時間があるのです。例えば、ラジオを見るとですね、電波の方向があるのと同じで、方向をわきまえなければならないのです。

 それゆえ、祈りが出てこなくて、何度もそうなるならですね、神霊のある人と一緒に祈る訓練をしなさいというのです。ちょうど、鉄が磁石の近くに行くと、磁石化されて作用するのと同じで、そのようにして自分を是正しなさいというのです。

 そうするときは、何度も祈ろうとせず、徹底した信仰の同志の言葉を聞き、証を聞いて、激励を聞いて、恵みの刺激を感じるのがむしろましなのです。

   問:ティーンエージャーの場合、また二一歳になると結婚をするというのですが、これから入ってくる学生たち、次の世代に性の問題をどのように教えるべきですか?

 それを教えるべきです。その結果がどのようになるということ、その結論から教えてやるべきです。ここの西洋文明圈では、小学校のときから性教育をしますが、それは良くないのです。それは自然に分かるようにすべきです。アダム・エバについて、神様が性教育をしましたか? むしろ知らないのが良いのです、知らないのが。そうして、知るべき年齢になれば、それが恐ろしいということを教えてやるべきなのです。そして、どれほど貴いものかということを教えてやるべきです。

 我々の時代は、男女共学時代ではありませんでした。それなのに、その者たちが体をくっつけて踊りを踊りますか? それゆえ、我々はそのような教育機関を作るべきです。これは恐ろしいことのうちでいちばん恐ろしいことです。殺人罪よりももっと恐ろしいのです。殺人罪よりももっと恐ろしい罪を扱うのです。人一人を殺す殺人は、一人を殺すことですが、これは数千代の後孫を滅ぼすのです。何人、何百人、何千人が犠牲になるのです。これからこの問題は殺人よりもっと恐ろしい罪として・・・。そうでしょう。そうでないですか? これはこれから、考えもできないように教育しなければならないのです。

   問:今は制度がこのようになっていますが、これから我々が子孫を産むようになればそのときになってこれが変わりえますか?

 今でも変わるのです、今でも。統一教会の草創期に、天が直接指導するときは、もし統一教会に入ってきた夫婦同士で関係をすると、夫人が下血する罰を受けるということが起こったのです。我々の教会が反対されるのが、そのようなことのためなのです。婦人たちが我々の教会に入ってくるようになると、そのようなことが起こって、何度も夫を拒否するようになるので、家庭破綻の問題が起きたということです。夫婦同士でそのように分かれる役事をしますが、どうしてそれを許すことができるかというのです。

 それゆえ、いちばん恐ろしいのが何かというと、女には男がいちばん恐ろしいのであり、男には女がいちばん恐ろしいのです。ですから、近づくなというのです。女が来たらこのように回れというのです。


 男女が会うには、三人以上一緒に会え

 この頃見てみると、若い男女が木の下に座って話したりしますが、それは皆誤ったことです。いけません。それは何の話をするのですか、何の話を? 話をしようとするなら、必ず三人が集まってしなさいというのです。三人は大丈夫なのです。天使長とエバが二人で会ったので堕落したのであって、アダムを呼んでおいて話したら堕落しなかったでしょう? そして、アダム・エバも二人で会って話したので堕落したのであって、神様を迎えておいて話をしたら堕落できますか? それゆえ、会うには三人以上一緒に会いなさいということです。

 これは強制ではないのです。そのような動機が、そのように誤ったことがいくらでもあるので、それを防止しようとするのです。そうするには、アダム・エバが堕落できない立場を取るのが原理的なのです。それゆえ、我々は、互いに会って「おまえは二人で会ったか? 二人で会うな。なぜ二人で会うのか?」と話しなさいというのです。三人が会いなさいということです。それに不平を言うなら、それはサタンです。それを防止するためのものが、それを清算するためのものが、我々のみ旨ではないですか? それゆえ、三人以上で会いなさいというのです。

 伝道をするにしても、女たちは一人で行くなということです。年取ったおじいさんやおばあさんでも、ただ杖をついて歩くおじいさん、おばあさんでも、一人連れて歩きなさい。分かりますか?(はい)。伝道するなというのではありません。危険なのでそうするのです。

 皆さん見てみなさい。堕落しうる可能性がありますか、ないですか? (あります)。全部イエスではないですか? ですから、それを防止するのです。三人がいれば、大丈夫なのです。三人がいれば大丈夫です。我々が互いに愛するのは、これを互いに防止するのです。それが愛というものです。

 いくら責任者でも、そのようにしなければなりません。責任者でも・・・。もう男女関係、分かりましたか?(はい)。いくら機動隊の隊長でも、州の責任者でも、この原則を守っていくべきです。そうでなければ、誤解されるのです。弁明する道理がないのです。ここで一度その問題に引っかかってしまうと、これは永遠に道理がないのです。もう、この男女問題についてはっきり分かりますか?(はい)。


 きれいな血統は、純粋な愛を通じてのみ現れる

 それゆえ、今皆さん自身もそうですが、これから祝福を受けた家庭は、その子供たちをうまく育てなければなりません。うまく育てるべきなのです。本来は、世の中に対して全部囲いをしてですね、接触できないようにして育てるべきなのです。ですから、その父母の責任がどれほど重要でしょうか? 父母がそこに対して頭を使わなければならないのです。

 我々の時代は、きれいな血統、きれいな血統、きれいな血統を・・・。それが理想的です。それが理想ではないですか? 皆さんの子供たちが頭が良いのは、その夫婦がどれほど愛したか、どれほど犠牲になって愛して産んだかに従って、頭が聡明に生まれるのです。深い美の性稟を持って生まれてくるのです。皆さんの子供たちは、皆さんよりましになるのではないですか? では、どのようにもっとましに産むか? どのようにもっとましに産むことができますか? さっき先生が話したこと、その動機が愛ですが、純粋な愛であるほど、純粋な子供を産むと言ったでしょう?

   問:機動隊の活動において、あるときは女性とカウンセリングをする場合もあります。そのようなときは、どのようにしますか?

 そのようなときはドアを開けておくとかしてですね、だれか見る人がいなければなりません。だれも見ないほかの所に行くとか、木の下に行って話してはいけません。ほかの食口が見ている所で話しなさい。

 もしある女がキスしたら「この野郎」と言って、男がしたら「この馬鹿野郎」と言うのです。分かりますか? そうすべきではないですか。六千年間、数多くの人類を滅ぼし、神様に苦労させ、天地を滅ぼしたそのような凶悪なことを我々が再びできますか? それは愛の怨讐、愛の怨讐なのです。そうなのに、自分たちが昔関係したから、相対を結ぼうと思って良いですか? 原理を知るなら、それは成立しないのです。どのようなことが良いのかというのです。

 皆さん、愛する夫の手が数多くの女たちをいじった手だと考えるとき、それは気分がいいですか? そいつの手を見るとき、気分がいいですか? 犬の糞を摘んで食べたその口をもってキスしようと言ったら、それを好むかというのです。この問題は、厳格にわきまえていくべきです。今、完成時代に入って、この問題に引っかかるなら、許す法がないのです。そこには理想的な愛だけを中心として、完成ということが成立するのです。皆さんはそれを知るべきなのです。

 純粋な愛をもって、純粋な愛をもって関係している子供を持つようになれば、天国に入るにしても、皆一緒に入るのです。そうなるべきではないですか? そこに自分勝手がありえるでしょうか? 今やこれから、責任者たちがそのような問題をわきまえそこなって、自分の部下たちがそのようになるときには、その責任者が責任を追及されるのです。アダム・エバが堕落したことに神様が責任を取るのと同様で、自分の部下たちが誤ったら、その責任者同士責任を取らなければなりません。皆さんが責任をとらなければならないのです。それが原理観なのです。

 精密に話すと、ものすごい法があるのです。愛の法度には、愛をものすごく価値的なものとして立てようとする、そのような内容の法があるのです。これが今、アメリカで蔓延するのは、全部サタンの罠です、罠。滅びるのです。そのようなことを自ら進んでできますか? はっきりと分かりましたか?(はい)。では、やめましょう。(六六―二二〇〜二二九)


























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